HF/#6 Vol. | Jun 17, 2014

人生が動き出す瞬間

池貝 知子

より良い未来へ向かって人生をクリエイトする人を追い続けるHIGHFLYERS。Vol.6は、ビヨンセから全幅の信頼をおかれる唯一の日本人ピアニスト辻 利恵さんの登場です。辻さんが弾くピアノの上にビヨンセが乗って歌うパフォーマンスは、世界中のファンを魅了するコンサートでの大きなハイライト。ビヨンセ専属アシスタント・ミュージック・ディレクターも務める彼女の演奏は、バンド全体の調和を高め、展開に豊かなコントラストを生み出します。渡米して15年。才能とキャリアの明暗も分かれやすいアメリカの音楽業界で、スターダムに登りつめたその生き方は、奏でる音色の様に情熱と輝きに溢れています。ブルックリンに完成したばかりの辻さんのスタジオ「Riro Muzik」で、音楽と共に歩んできた“昨日・今日・明日”についてお話を伺いました。
PROFILE
RIE TSUJI

ピアニストRIE TSUJI

幼少の頃からピアノを始め、ヤマハを通じて6歳の時に作曲を始める。その後、 佐賀北高校芸術家コース/音楽科、東京音楽大学器楽科卒業後、渡米。アメリカ のバークリー音楽大学、プロフェッショナルミュージックメジャーにて卒業。 2006年、ワーナーブラザーズレコーディングアーティスト、Eric Benetの全 米ツアーに参加。同年6月に全米5都市によって開催された、ソニーミュージッ クアーティスト、Beyonceによるツアーバックバンドの為のワールドオーディ ションに合格、ファーストキーボーディストとして在籍、現在に至る。 二度に 渡る彼女のワールドツアーではショーのアレンジに携わり、2009年のべガ ス“I am Yours”ショーでは、ストリングスアレンジメントを全て任される。2 010年一月に行われたアメリカのグラミー賞でも、彼女の演目のアレンジに携 わり、バンドとしても出演。同年5月、アメリカはホワイトハウスにて、オバマ 大統領、メキシコ大統領の前にてビヨンセのバンドで招待演奏を果たす。201 3年にはスーパーボウルのハーフタイムショーにも出演。現在ビヨンセとツアー 中。彼ら以外に一緒に仕事をしたアーティストのクレジットに、Destiny Child, Jay-Z, Monica, Espranza Holding, The Roots等がある。

RIRO MUZIK http://riromuzik.com/
BLOG http://ameblo.jp/nadeshikoreea/

人生が動き出す瞬間

 辻さんが歩んでこられた道のりをお聞きしたいです。プロフィールによるとご家庭が音楽一家だとか。

そもそも父と母を結び付けたのが音楽なのです。バイオリンを習っていた父と、ヤマハ音楽教室でピアノの教師をしていた母との間には「子供が生まれたら音楽を」という想いがずっとあったそうです。私がピアノを始めたのは4歳の時。「何でもやってごらん」という両親で、私や3人の姉妹、弟と一緒に水泳や習字など色々な習い事をさせてもらったのですが、私の中で音楽だけは別格。ずっと続けていくのだという決意のようなものが、小学低学年の頃から確かにありました。

 故郷・佐賀県からの招聘コンサートでは、地元の子供たちが目を輝かせて辻さんと一緒に演奏する場面もあり、心が温かくなりました。かつてのご自身のように、ひたむきに音楽と向き合う子供たちに伝えたいこととは?

ピアノを習うお子さんは大抵クラシックから入りますが、その子が好きな曲があれば、例えばCMのフレーズでもいいですし、ジャンル問わず気になる曲から弾いてみると音楽はもっと楽しくなります。聴きたい曲がすぐ弾けるということは、大きな楽しみに変わります。耳を鍛えるトレーニングにもなり、耳の良さは音楽をやっていく上で大きな強みになります。そして、これは親御さんへのメッセージになりますが、どうかお子さんの可能性を長い目で見守ってあげて下さい。私自身、音楽はずっと続けるんだという決意はあったものの、やはり練習が嫌だなっていう時期もあったわけです。その度に、いつも両親がガイドしてくれたおかげで続けてこられた。「嫌なら止めていいよ」と、子供の自由にさせるというやり方もありますが、ある程度続けることで開ける景色があります。続けることの大切さを教えてあげて欲しいと思います。

 佐賀県立北校芸術コースを卒業後、東京音楽大学へ進学。さらにアメリカのバークリー音楽大学へ留学と、理想的なコースを順調なペースで進んでこられた印象が強いです。

両親のサポートと方針には心から感謝しています。実は、私自身は高校卒業した時点でアメリカに留学したかったんです。というのも、音楽とは関係なく、中学の頃から英語とアメリカの文化に夢中になり、一刻も早く留学したい願望に駆られるように。幼少期は恥ずかしがりやで消極的な子供だったのですが、人は大好きなことには積極的になれるもの。英語の弁論大会に出たり、外国人の英語教師に話しかけたりして。ネイティブを真似た発音で英語の教科書を読んだりすると、同級生から冷やかされたりするお年頃ですが(笑)、そんなのもまったく気にならなかったですね。中学3年の時、県の交換留学制の審査に合格したのですが、男子枠か女子枠かをくじ引きで決める最終選考で、結果的にその年の留学生は男子が選出。行けなかった悔しさがずっと残っていたんでしょうね。高校を卒業したら留学したいと両親に懇願したのですが、普段は柔軟な両親もこれには反対。佐賀から東京へ出るだけでも世界は大きく広がるのだから、まずは日本の音楽大学で学士を取りなさいと。もし大学卒業後も同じ意思があるならば、その時は応援するからという前提で東京音大へ進学しました。でも、結果的にはこの選択はベストでした。東京音大で改めて音楽を基礎からしっかりと身に付け、共に学ぶ大勢の友人にも出逢えた。英会話レッスンに通って語学力を磨き、情報収集してバークリー音楽大学への留学に的を絞りました。勢いと情熱に任せて留学するよりも、準備期間を有意義に使えたことが、あの頃の私には必要だったのだなって。

 知らず知らずのうちに最善の選択をされていたのですね。

あの頃のことを、最近になって父に訊ける機会があったんですね。そうしたら「利恵のことだから、アメリカに行く意思は何があっても変わらないだろう」と思っていたと。実力次第で這い上がれるアメリカとは違い、当時の日本はまだまだ学歴社会。いずれアメリカに渡るにしても、いつか帰国するにせよ、私が生きて行ける道すじを、親として出来るかぎり用意してあげたかったと。「今は、利恵を家族の誇りだと思っていますよ」という言葉もくれて……。改めて父の想いを知り、自分はつくづく幸せ者だと実感しているところです。本当に、親の愛情って有り難いですよね。

 様々な想いや希望を胸に始まった留学生活はどんな日々でしたか?

バークリーでの日々はまさに音楽漬け。夜中2時まで練習室が空いているのですが、いつも最後まで残って練習していましたね。辛かったことはひとつもない。好きなことをやれて、全てが楽しかったですね。バークリーは世界中から生徒が集まるインターナショナルな大学。当時一緒に学んだ友人たちが、今は各国で活躍しています。ビヨンセの海外ツアーにも観にきてくれて交流が続いているんです。世界中に友人が沢山できたことは、心の財産です。

 音楽で食べていくという意識は、いつ頃から芽生えましたか?

バークリー在学中から、近くの高校で音楽コースのアシスタントをしたり、セッションプレイヤーとして連日ライブハウスで演奏するなど、音楽の仕事を複数掛け持ちしていましたが、具体的に考え始めたのは卒業目前ですね。両親は帰国するであろうと考えていましたが、私はずっとこのままアメリカに居続けたかった。そのためには、なんとかして音楽で食べていける基盤を作らなくてはと。

 音楽で食べていくために自ら起こしたファーストステップとは?

行動より前に心構え、覚悟を決めました。まずは両親からの援助とは決別し、自立しなくては。家賃2万5千円のアパートに引っ越して、家計簿を付けて生活費を切り詰めてやくりくりしていました。ビザの問題もあるので、手続き方面もしっかり管理。仕事も、自分のこだわりとか言ってる場合ではないので、セッションプレイヤーとして頂ける仕事は全て引き受けていましたね。地道に仕事をこなしていると、口コミで仕事が少しずつ増えたり、思いがけない声掛けがあったり、自然とリレーションシップが広がるものです。昔からフットワークは軽いのですが、遠方へも電車やバスを乗り継いで演奏しに行ってました。そういう日々が4年近く続きましたね。

 地道な努力を重ねていた2006年、R&B界の大物シンガーであるエリック・ベネイの全米ツアーのメンバーに抜擢というビッグチャンスが訪れます。

自分の直感も勿論大切ですが、誰にとっても“気づき”を与えてくれるメンター(助言者)のような存在がいるのではないでしょうか。バークリーの友人で、デヴィットという素晴らしいキーボーディストが、私にとってのメンターなんですね。彼は早くから頭角を現し、エリック・ベネイを始め多くのプロミュージシャンのバンドメンバーとして活躍していました。ある時、彼も出演するエリック・ベネイのライブに誘われたんです。そのライブが、本当に素晴らしかった。その感動を、翌日デヴィットとのランチの間中ずっと話していたら、彼がエリックを携帯で呼び出し、「今から本人が来るから」と。

 予期せぬ引き合わせ。エリック・ベネイとの初対面の印象とは?

世界的なトップミュージシャンですが、まったく緊張せずに会話ができたんです。というのも、恥ずかしいことに当時の私ときたら、エリック・ベネイの凄さを知らなくて。R&Bのバンドとお仕事をさせて頂く機会が多かったにも関わらず、彼の音楽を体感したのは、前夜のライブが初めて。無知の強さですよね(笑)。一緒にNYの街を歩きながら、フランクに色んな話をしていた時に、楽器屋さんの前をたまたま通りかかったんです。「君の演奏を聴いてみたいな」と言われ、昨夜ライブで聴いた彼の曲を思い出しながら即興で弾いたところ、「僕のツアーに参加しない?」と誘われたんです。

 何てラッキーな展開!

「喜んで参加します!」と即答したのですが、その後1か月経っても連絡が来なくて。社交辞令だったのかなと思っていた矢先、ロスでツアーのオーディションやるから今すぐ来てと連絡があり、駆けつけたのです。オーディションといっても、既に最終リハーサルのような段階で、顔合わせをしたら即セッション。エリックのバンドとの相性をジャッジされてGoサイン。すぐに彼の全米ツアーを一緒に回ることになったのです。

 まさに“人生が動き出す瞬間”です。

エリックの全米ツアーは毎日が驚きと感動の連続で、素晴らしい体験でした。その後のプロモーションツアーにも呼ばれ、彼とデュオでパフォーマンスもできる機会もあり、才能豊かなアーティストのそばで演奏できる喜びとはこういうことかと実感しました。

 しかもエリック・ベネイのツアーに参加した2006年は、辻さんがビヨンセのバンドメンバーに大抜擢された年でもあります。奇跡的な二つのターニングポイントが同じ年に重なったのですね。

そうなんです。実は、ビヨンセとの出逢いを運んでくれたのも、エリックを紹介してくれた友人のデヴィットその人。ある日彼からのメールで「リエ、ニュース見た?ビヨンセのツアーメンバーのオーディションがある。女性メンバー限定で、君は絶対チャレンジするべきだ!」と。メールを読んだ当初は、そこまで心が動かなかったんです。というのも、エリックとのツアーが楽しすぎて、彼と一緒にもっと演奏したいと思っていましたから。ですが、不思議な感覚に導かれるように、オーディションの数日前から気持ちが変わってきたのです。

 何かに導かれるような感覚と臨場感が伝わってきます。

オーディションは朝10時から夜9時まで。当時住んでいたボストンからNYまではバスで4時間ほどかかるのですが、何と私は一本バスを逃してしまい、途中からはタクシーを飛ばし、会場に着いたのはセキュリティゲートが閉まる10分前の夜8時50分。警備員から「急いで!」と言われ、ぎりぎりセーフの会場入り。しかもその時が、ちょうどキーボードのセクションの最終審査のタイミングだったという。私がラストの演奏者だったのです。

 何という引きの強さ!

本当にそう。ラストの演奏というのは、急かされないし、審査員の方々とも会話ができる時間的余裕があるんです。「エリック・ベネイのツアーメンバーなんだね。どんな感じ?」など会話も振ってもらい、いい雰囲気の中、課題曲と好きな曲を演奏しました。キーボードというパートは、バンドをまとめていく上で重要なポジション。耳の良さを試されるので、音を聴きながら弾く“聴き弾き”のテストもあり、その日は解散。一週間後に連絡があり、ファイナリストのオーディションの知らせを受けました。

 強者揃いのファイナル審査。緊張感が漲っていそうです。

ビヨンセとJAY-Zの目の前で、各パートのファイナリストのメンバーをスイッチしながらセッションを行い、色んな人との相性をジャッジされるのですが、緊張は全くなかったんです。ドラムのセクションにはバークリー時代の友人もいて、心から楽しんで自分らしい演奏ができたんです。最終的に「今から呼ばれた人は、楽器の前に進んで下さい」と言われ、「キーボード、リエ・ツジ」と自分の名前を呼ばれた時は、本当に嬉しかったですね。動機は友人からの薦めで、最初は何が何でもやりたいと自主的に動いたわけではなかったのですが、途中からはチャレンジ精神に変わってきた。これをやり遂げたら、きっと私の中の何かが変わると確信していたので。

 応募者は全てのパートを含め1万人。本番でのマインドの強さも印象的ですが、 “勝因”はどこにあったと思われますか?

これは後々ディレクターから聞いた話なのですが、曲を初めて聴いた時に、細部を理解して音色を使い分けて同時に弾ける“耳の良さ”が決め手になったと。また、セッションプレイヤーとしてありとあらゆる仕事をしていた時、私はピアノとキーボードだけでなく、キーベースも弾けば、ドラムのビートのプログラミングもしてと、何でもマルチにやっていたんですね。最終オーディンションの工程のひとつで、ファイナリストのメンバー達とビヨンセの代表曲「デジャヴ」を演奏したのですが、これまでの経験値があるので、各パートの展開やバンド全体のバランスが一瞬で掴めたんです。メンバーとアイコンタクトをとりながら、曲中の“ヒット”の部分に向けて盛り上げていく。バンド全体の調和を俯瞰したパフォーマンスを評価してもらえたのかなと思っています。

1
 
2
 
3
 

ARCHIVES