ON COME UP
#15 | Jul 12, 2016

「ONE PIECE」や「ガンダム」、朝ドラ「あさが来た」から紅白歌合戦まで、一流の場で活躍する若手作曲家、林ゆうき

Interview: Hamao / Text & Photo: Atsuko Tanaka

未来に向かって躍動する人たちをフィーチャーする“On Come Up”。第15回目のゲストは7月23日に全国公開される「ONE PIECE FILM GOLD」で楽曲を担当された作曲家の林ゆうきさん。高校で出会った新体操を通して、自らの演技や他の選手に音楽作りを始め、後にオリジナルのサウンドトラックを作りたいと方向を転換。2009年に連続ドラマ「トライアングル」でデビューを果たす。その後も「DOCTORS〜最強の名医〜」や「ガンダムビルドファイターズ」、「あさが来た」や「第66回NHK紅白歌合戦」のオープニングテーマを手掛けるなどその勢いは止まらない。自ら夢に向かって積極的に動き続ける林さんの、学生時代からデビューすることになったきっかけや、未来に実現したい夢などを語ってもらった。
PROFILE

作曲家林ゆうき / Yuki Hayashi

1980年生まれ / 京都府出身 元男子新体操選手、競技者としての音楽の選曲から伴奏音楽の世界へ傾倒していく。 音楽経験は無かったが、大学在学中に独学で作曲活動を始める。 卒業後、hideo kobayashiにトラックメイキングの基礎を学び、競技系ダンス全般の伴奏音楽制作を本格的に開始、さまざまなジャンルの音楽を取り込み、元踊り手としての感覚から映像との一体感に重きを置く独自の音楽性を築く。 代表作:ドラマ「あさが来た」「リーガルハイ」シリーズ「ストロベリーナイト」シリーズ、アニメ「ハイキュー!!」シリーズ「僕のヒーローアカデミア」「ガンダムビルドファイターズ」、映画「青空エール」「エイプリルフールズ」「神様のカルテ2」 他多数

林ゆうき

作曲家になることを志したきっかけは?

高校から大学まで新体操をやっていたのですが、通常は新体操の演技で使う伴奏音楽は選手が自分で曲を選んで、それを専門のアレンジャーさんに編曲してもらうんです。僕は気になる曲がテレビで流れたら、自分でテレビ局に問い合わせて聞いたり、他の選手に曲を選んだり、編集したりするのが好きだったので、自分で曲を思い通りに作れたらいいなと思ったのが始まりです。

楽器は何かやられていたのですか?

楽器には縁がなかったですね。音楽理論もPCも全くダメで、最初は“パソコンで音楽ができますセット”みたいなのを秋葉原で買ってきて作ろうとしましたが、機材のこともまるで分からないし、つないでも音が出ないし、「もういいや、ビール飲もっ」ってすぐ諦めてました(笑)。

新体操との出会いは?

新体操は、京都にある市立紫野高校という新体操部がある学校に入ったので、そこからですね。元々新体操に興味があったわけでなく、釣りがなんとなく好きだったので友達と釣り同好会を作ろうと思ってたんです。そしたら先生に学校外活動だからそんな同好会はダメと言われ、「僕の高校生活は終わった」と思ってフラフラと歩いていたら、新体操部に勧誘されて入ることになりました(笑)。

自分のスタイルを言葉に表すとどういうものになりますか?

学生時代に音楽を勉強してきたわけではないので、音楽理論などの知識はないですが、映像と合わせた時に鳥肌が立つような瞬間を作り出せるようにと常に考えています。例えば連続ドラマなどは、選曲家の方が作曲家が作った音楽をどの場面で使うかを決めるんですね。だから、自分の曲がどこに使われるのか、実際の放送を見るまで分からない時があります。自分の理想を追及するのは中々難しいですけど、映画やダンス用の作品では、映像と音楽が「プラス」になるのではなく「カケル」になる瞬間があるので、いつもそれを生み出せるように考えながら作ってます。

理論を勉強しておいた方が良かったと思うことや、コンプレックスに感じることはありますか?

理論は絶対に必要。でも、理論と感性は相反するところにあるものでなく、別のベクトルにあるものだと思います。理論があるから自由な発想がなくなるということではないですが、理論から始めて、その後に感性や個性的な作風をつけていくのは難しいと思う。最初は音楽的な理論が無いことやピアノが弾けないことがコンプレックスでした。でも、選曲家さん達に「面白い展開の曲を作るね」などと言ってもらえるようになって、理論から入っていない上にダンス競技から音楽に入ってきた僕の可能性はそこにあるんじゃないかと、そこを良い意味でキープしつつ理論を身につけていけば良いんじゃないかと思えるようになりました。どんなに理論があったとしても、作ったものがカッコ良くなければ意味がないですし、例えばサウンドトラックも映像に合わせ過ぎても楽曲だけ聴いたらつまらないことがあるので、シンプルに曲を聴いて良い曲と感じることと、映像としっかり合ってることの両方を追求して、さじ加減を上手いこと出来たらいいなと思ってます。

音楽で仕事をしたいと思っている若い方達にとって、色んな努力の仕方があると思いますが、林さんみたいになりたいという人にはどのようなアドバイスをしますか?

まずは新体操をやってみることを勧めます(笑)。それには理由があって、新体操の大会に行くと何人もの選手が出場していて、それこそ伴奏曲が何百曲と流れています。伴奏曲はひとり一人が何十枚ものCDを聴いた中から選んできた曲ですし、大会会場にいると自然とキャッチーな曲を耳にするんですね。そうすると人が踊りたくなる曲の傾向が分かるようになるし、自分で演技をやってみると映像に音楽をつけるための基礎的な能力がつくというか、大技のところにメインテーマのサビを持ってくるように作られていることが分かるので、僕はそこが新体操をやって一番得したことだと思ってます。ダンスの曲を作りたいならダンスをやってみるとか、サントラをやりたいなら映像を撮ってみることが、遠回りのようで一番近道なんじゃないかなと思います。

今、林さんが努力していることはありますか?

たくさんあって、いつもくじけてますが(笑)、対位法やコードワーク理論など、音楽学校で習うようなことを勉強したり、ピアノの練習をしたりしてます。あとは、知らないジャンルの音楽を聞いて耳コピしてみる。それが一番実践的な力になりやすいと思います。

オリジナルでいるために気をつけていることはありますか?

最終的には自分の感性を信じることです。とは言え、自分が良いなと思っていても、あまり反応が良くないこともあるし、逆のこともあるので、他人からの評価も常に気にしています。独りよがりにならないように、アウトプットした後の皆さんの反応を見る。新体操をやっていた時も、お客さんがどう見て、どうリアクションしてくれるのかを常に見ていたので、そこは昔から大事にしていることですね。

通っていた学校は林さんにとってどんな場所でしたか?

僕にとって一番の転換期は高校時代でした。すごい自由で、やりたいことを追求できる学校でしたね。ちなみにお会いしたことはないのですが、遠い先輩でFPMの田中知之さんやアナウンサーの鈴木史朗さん、後輩だと「蹴りたい背中」の綿谷りささんとか、クリエティブな方が多くいらっしゃるみたいです。

大学は新体操で推薦で進んだのですか?

僕は選手として成績があまり良くなかったのですが、ギリギリ推薦が取れて東洋大学の夜間に通いました。大学は部活をやるためだけに行ったみたいなものだったので、昼間練習して、夜も授業を受けずに練習してたこともありましたね。学校の後に友達と遊んだり曲を作ったりすることもあったけど、普通のキャンパスライフは経験したことがなくて、暑い中、体育館に閉じこもって練習して、さわやかに青春している人たちが通るのを見て「いいよなぁ•••。キラキラしてるなぁ~」とか言いながら活動してました(笑)。

卒業後、就職活動はされなかったのですか?

新体操をする人たちって、新体操にすごい情熱をかけていて「就職活動って何?」って感じで4年生までガンガンやるんですよ。燃え尽きて引退してから、将来を考え出す人が多く、僕もサラリーマンは絶望的に向かないだろうと分かっていたので、3年生の頃からピアノの曲をオーケストラにしたり、ダンス風にアレンジしたりして新体操の音楽を作り始めました。高校生の頃、擦り切れるように見ていた大学生のトップの選手達の伴奏曲がどれもカッコ良くて、誰が作ってるんだろうと調べたら、そのほとんどがHideo Kobayashiさんの作品だったんです。今はハウスやテクノのDJやプロデュース業をされていて、世界中でご活躍されてますが、御自身も器械体操をやってらしたことがあって、当時はその流れで新体操の音楽も作られていたんです。僕が卒業した後、ある先生にKobayashiさんを紹介してもらい、お手伝いすることになって半年くらい基礎的なことを教えてもらいました。

どんなことを教わったのですか?

ほとんど全部です。それまでも独学で色々やってはいましたが、Kobayashiさんに楽曲制作の心構えからサウンドメイキング、機材の基礎的なこと、いい音楽とか数え切れないぐらい教えてもらいました。僕の師匠ですね。

Hideo Kobayashiさんと

その後、作曲家としてご活躍されるようになるまではどうやって生計を立てていたのですか?

引退試合として第55回全日本新体操選手権大会に出場したのですが、その大会は男子新体操で一番大きな大会なので日本中から色んなチームが見に来るんです。僕以外にも、僕の曲で演技する選手が何人も出場したので、こんな宣伝になることはないと思い、出場選手が使う曲をMDに詰め込んで何本も持参して、自分の演技が終わるとすぐに客席にいる先生やコーチの方に渡して営業活動しました。気に入らなかったらお金は要らないので使ってみてほしいと渡して、その結果、何校かからお仕事を頂けることになりました。そして、ちょうどその頃、Kobayashiさんがサンフランシスコに行かれるということで、これはチャンスだと思って、より積極的に先生達にアピールしたんです。その3年後の2005年に、当時の岡山県立精研高等学校(現在:岡山県立井原高等学校)が僕の曲を使ってインターハイで1位を取り、それをきっかけに多くの注文がくるようになりました。

その後、劇伴などの音楽を作るようになるまでの道のりを教えて下さい。

新体操の曲作りは楽しかったんですけど、結局人の曲を勝手にいじっているようなスカッとしないところがあって、オリジナルで作ってみたいと思うようになったんです。新体操の世界で培った技術でどこまで出来るか分からなかったですけど、自分のオリジナルのサウンドトラックを作れたら最高だなと思って。もっと高みを目指したいなと。

どこかの事務所に所属したのですか?

それもまた運が良い話なんですけど、新体操の選手達が持ってくるサントラには流行があって、当時は佐藤直紀さんや松本晃彦さんが人気だったのですが、ある時から皆が澤野弘之さんという方の曲を持ってくるようになったんです。僕はその時は澤野さんのことを知らなかったんですけど聴いてみたらもの凄くカッコ良くて、僕が一番やりたい音楽を第一線でやっていらして、HPをチェックしたらコンタクト先が載っていたので、新体操の映像と僕のオリジナル曲を合わせたデモをメールしたんです。そしたら、次の日に澤野さんからすごい丁寧なメールが戻ってきて、「事務所のマネージャーに会ってみませんか?」と書いてあって。それが今の社長なんですけど、お会いして自分のやりたいことを話して、まずはデモのやり取りから始めようって感じだったのですが、半年後、社長から連絡が来た時に「ビッグニュースがあります。ドラマが決まりました!」って言われて、寝起きだったんですけど、布団の上で正座してました(笑)。

それはどのドラマだったんですか?

2009年に放送された「トライアングル」という関西テレビ開局50周年記念の連続ドラマです。主題歌が小田和正さん、テーマイメージ曲はジャズピアニストの上原ひろみさんが担当というすごい豪華な面子で、そのメインテーマ曲に僕が作ったデモが気に入ってもらえたようで、メインテーマ曲になるよと言われて。頭の中が真っ白になりました(笑)。澤野さんと共作という形でやらせて頂けることになり、自分が一番好きな作家さんと一緒に出来て本当に嬉しかったです。それが僕のデビュー作になりますが、人生の二度目の転機ですね。

7月23日に公開される「ONE PIECE FILM GOLD」の作曲を担当されたということですが、決まった時の感想は?

去年の年末に、紅白のオープニング曲の依頼以外にもう一つ大きい案件があると言われて、何かを聞いたら「ONE PIECE」と。最初は「まさか、そんなバカな」と思いました(笑)。

「ONE PIECE」ということで、楽曲作りで特に意識した部分はありますか?

今までの「ONE PIECE」は田中公平さんというアニメ音楽の重鎮の方がずっとやられていたので、別の作家さんが今まで作った世界観を引き継ぐのはプレッシャーが大きいですし、一番はファンの方がどのように思うかを考えました。同じ経験がある先輩にもアドバイスをいただいて色々悩みましたが、「『FILM GOLD』は今までの『ONE PIECE』シリーズの中でも、原作からは少し突き抜けた感じだから、違うカラーを出したい」ということで、僕を選んで頂いたので、最終的に自分のやり方でやってみようと思って取り組みました。

  

「ONE PIECE FILM GOLD」録音時。尺八の石垣秀基さんと

「ONE PIECE」以外にも数多くのドラマや映画などの楽曲を手掛けてきていますが、印象に強く残っている仕事は何ですか?

「あさが来た」や「ガンダム」など、どれも思い出はいっぱいあります。その時苦労したことや悩んで活かしたこととか。でも、直近だとやっぱり「あさが来た」ですかね。やってることは他の作品と変わらず、同じ事をしてるだけなのですが、NHKの朝ドラということで、親や親戚が喜んでくれたのが一番大きいです。

たくさんの仕事をしてきた中で、一気に視界が開けと思ったことや成長したと感じた瞬間はありますか?

毎回レコーディングが終わる度に「やってやったぜ!うっしっし」とか思うんですが、次の日に聴くと夜中に盛り上がって書いた恋文を読むような感じで恥ずかしいんですよね(笑)。でも、その感覚はすごい大事だなと思っています。曲を作った次の日やしばらく経った後に聴いてみて、「ここはもうちょっとこうすれば良かったな」とか、そういう反省点みたいなものが見つけられなかったら、それって多分成長していないんじゃないかと思うんです。過去の作品を聴いて良く出来てると思うこともありますけど、今ならこれが出来るって気付けるということは自分が成長出来ているんだと思います。もしそれがなくなったら変われてないってことだろうし、変わらない人間は必要とされない。人に「林さんにやってほしい」と言って貰えるようになれればといつも思ってます。

社会で起こっていることで気になることはありますか?

う~ん、オリンピックですね。オリンピックで何かしら音楽で参加できれば良いなと思います。例えばシンクロや新体操の曲を出来たらいいですね。スポーツに紐づいた作品作りは楽しいですし、NHKの「アスリートの魂」というドキュメンタリー番組や「ハイキュー!!」というバレーボールの漫画などでも曲を作りましたが、それを見てバレーを始めようと思ったとか、選手達のやる気に繋がったとか聞けるのは、スポーツをやっていた者としてとても嬉しいです。

自分のやっていることで日本や社会が変えられるとしたらどんなことだと思いますか?

そんな大それたことを言える立場ではないですが、他の人が作った音楽より僕が作ったものの方が、より多く感動してもらえたら、それで別に人が救えるとか病気が治るとかそんなことはないのですが、少しは役に立てているのかもしれないですね。

他人が思う像と実際に自分自身で思う像との違いは?

「ゆうき」という名前なので、女性だと思われてることが意外と多いみたいです。この間、NHKの「スタジオパークからこんにちは」に出させてもらった時も、終わった後にコメントを見たら、5~6通、「女の人じゃないんですね」というのがありました(笑)。あと、もっとハキハキ喋る人だと思ってましたとかも言われます(笑)。

今後の予定や進行中のプロジェクトを教えてください。

8月20日に公開される「青空エール」という映画と、秋に放送予定の「ハイキュー!!」の3期、他にも水面下で作ってる作品が3つ、4つあるのと、DAZZLEさんというコンテンポラリーダンスのグループが今年20周年なので、その舞台の音楽もやらせてもらう予定です。

3年後、5年後、10年後の自分はどうなっていると思いますか?また、どうしたらそうなれると思いますか?

3年後か5年後かは分からないですけど、大河ドラマは日本の作曲家として、いつかやってみたいです。オリンピックが日本で開催される時は、何かの形で携わりたいと前から思っていましたし、もちろん海外の作品にもいつか参加出来たらと思ってます。あと、何年後という節目とは関係なく、1つのジャンルに捉われずにアニメやドラマ、実写の映画やゲームの音楽もやりたい。今まで色んなものをやらせて頂きましたが、全て作り方が違うし、監督や音響効果や台詞の音を担当する人によっても作り方が変わってくるので、ジャンルを偏ってやってしまうと自分の作品の世界観が狭まると思うので、色々と出来るようにしていきたいです。10年後については深く考えていて、仕事柄、どうしても飽きられやすいというか、絶対に自分より新しいセンスを持った若い人が出てくるし、自分の感性が衰えていくのも分かっているので、そういう時にどういう音楽活動が出来るのかは考えてますね。歳をとることで自分の可能性や行ける方向性は変わってくるので、自分が今どういう風に求められているか、どういう風にやれば世の中に必要とされるのかを考えて常に成長していければいいなと思います。やりたいことは口に出すと本当に出来るようになると思うし、実際に今まで現実に叶っているので、言葉にすることで自分が夢に向かって動いていけるように、いつも口に出すようにしてます。

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