ON COME UP
#20 | Dec 13, 2016

「人間と機械の区別がつかなくなる」。メディアアーティストの落合陽一が、科学と哲学を以て見据える衝撃的な未来とは

Interview: Hamao / Text & Photo: Atsuko Tanaka

未来に向かって躍動する人たちをフィーチャーする“On Come Up”。第20回目のゲストは、筑波大学助教であり、実業家、研究者、そしてメディアアーティストなど、若くしていくつもの顔を持つ落合陽一さん。テレビなどでは「現代の魔法使い」と称され、天才と変人の側面を取り上げられることも多いが、本人は意に介さない。自分は拘りのない人間だと飄々と語る。しかしながら、さすがに研究者であり博識である。短いインタビューの時間の中で、教育、科学、社会学、アート、ビジネス、倫理など、盛りだくさんの要素を一塊に語ってくれた。落合さんは、人間社会に必要なあらゆる要素と隣り合わせに「デジタル」が「自然」に溶け込んだ状態を「デジタルネイチャー」と命名している。そして、それらが織り成す未来については、期待でも悲観でもなく、冷静に哲学的かつ平坦に説明する。29歳となった落合さんが捉える30代像、40代像についてもとても興味深い。また、父・落合信彦さんについてや同じメディアアーティストの真鍋大度さんについても言及している。
PROFILE

メディアアーティスト落合陽一

東京大学大学院学際情報学府博士課程修了(学際情報学府初の早期修了者)、博士(学際情報学) コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、物理世界をハックする作品や研究で知られる。2015年より筑波大学助教・デジタルネイチャー研究室主宰。研究室では、デジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を超えた新たな自然「デジタルネイチャー」を科学し、哲学し、実装することで未来を目指している。これまでに情報デザインを行うジセカイ株式会社や超音波やレーザーなどの波動を制御するテクノロジーを研究開発する米国法人Pixie Dust Technologies.incを創業。父は国際政治ジャーナリストの落合信彦。叔父は空手家(和真流宗家)の落合秀彦。 従兄弟はLady Gagaの主治医を務めたことで著名なデレク・オチアイ。 研究論文や作品をACM SIGGRAPH(世界最大のコンピュータグラフィクスの祭典・学会)で発表するのが通年行事。2014年にはCG Channel(有名CGサイト)が選ぶBest SIGGRAPH論文にも選ばれ、アート部門、研究部門のプレスカバー作品をひとりで独占した。BBCやディスカバリーなど世界各国のメディアに取り上げられ、国内外で受賞多数。研究動画の総再生数は380万回を超え、近頃ではテレビやバラエティ、コメンテーターなど活動の幅を広げている。 著書に『魔法の世紀』(PLANETS)、『これからの世界をつくる仲間たちへ』(小学館)がある。

落合陽一

小さい頃はどんなことが好きな子供でしたか?

小さい頃は工作が好きでした。8歳の頃にコンピューターと出会ってからは、かなりの割合でコンピューターをいじってましたね。特に3DCGのソフトでムービーを作るのが好きでした。あとは、家の近くに理科の実験教室があったので、そこに通ったり、ピアノや絵、公文式も習ってました。計算ドリルとか好きで、周りの友達がやってると楽しそうに見えて、勉強でも遊びでも、自分もやってみたくなっちゃうタイプだったと思います。

お父様は国際政治ジャーナリストの落合信彦さんでいらっしゃいますが、落合さんのご両親はどんな方なのですか?

父親は家でもあのイメージのままですね。家でも、国際政治か経済の話をしています。僕が小さい頃から時事ネタを面白おかしく話す以外は何もしないですね。この前のアメリカ大統領選の共和党候補争いの時に、トランプとテッド・クルーズのどっちが勝つと思うか親父に聞いたことがあったんですけど、「うーん、どちらも違う」って言うので、「俺はトランプが勝つと思うよ」って言ったらマジで怒り出したことがありました。父はトランプとヒラリーのアメリカにはなって欲しくなかったみたいで。母はテレビのプロデューサーをずっとやっていたので、前はいわゆる業界人っぽい感じでしたけど、今は昔より貴族的な、のんびりした生活を送っているんじゃないかなって思います。実家も近いのですが、あまり帰らないので、元気しているといいですね。

落合さんに反抗期はありましたか?

ないなぁ。従順でもないですけど、意味なく反抗することがないタイプなんです。しかしながら、近代の人間性によって規定される人類が好きじゃないので、そこんとこは人生が全人類に対する反抗期みたいなもんです。まぁ、うちの親は放任だったし、何々しろ、何々するな!って言われることがなかったから、反抗することがなかったんでしょうね。あ、でも父は、サラリーマンにはなるな!ってずっと言ってました。

通っていた学校は落合さんにとってどんな場所でしたか?

小学校、中学校と公立の学校に行きました。小学校も中学校も六本木の地元の学校です。小学校の時は、土地柄もあってすごくお金持ちの子とかいたんですけど、中学になると同じ公立でも小学校にいた様なハイソサエティ感のある子達が一人もいなくて、庶民感があって超楽しかったです。今思い出すと、みんな当時予想したような職業になってる。僕は博士になったし、アーティストしてるし、真面目な子は銀行員かコンサルに、お金持ちはベンチャー社長か後継役員に、遊び好きは夜の街や飲食に。いい意味で健全な社会の縮図感があって良かったと思いました。

小さい頃から今までの読書量は?

そこそこ読んでるんじゃないですかね。うちの父親には「ニーチェ読めないやつとは」話せないとか小学校の時に言われてたおかげで、強制力が働いてました。小さい時は図書室にあった本を適当に読んでた感じでしたね。あと、小学生、中学生の頃は、小説をよく読んでました。「村上龍ってどうして上巻で息切れしちゃうんだろう。書ききることって大事だな」なんて思ったり、「村上春樹は書ききるけどストーリーが着地しないのはなんでだろう」なんて思ったりしてましたね。その頃までは娯楽として本を読んでいたけど、大学に入ってからは勉強として読む本が増えたと思います。先生に1日1冊読めと言われたので、やたらと読んでました。岩波文庫を買い集めるのが好きだったかな、出会って変わった本といえば、マクルーハンとノーバート・ウィナーかな。人間機械論には大きな影響を受けています。あとは、マルクスとウェーバー。

いつ頃からメディアアートに興味を持つように?

メディアアートの存在は高校の頃から石井裕先生や、明和電機さん、岩井俊雄さんなどを通して知ってはいたんですけど、自分がメディアアートの学部に入るとは思ってなかったんです。というのは、僕は当時サイボーグを作りたくて東京大学の理一に行くか、閉塞社会で麻薬の研究をするのに薬学部行こうと思ってたので、筑波大学に行く予定は全くなかったんです。だから両親の勧めで出願した時は鉛筆を転がして学部を決めたんです。結局、東大に落ちて筑波に行くことになって、その学部がメディアアートだったっていう。その時はほんと、自分は自分の人生にこだわりがないんだって思いましたね。今出来ることを淡々と全力でやるだけ。メディアアートの学部に入ったから、メディアアーティストになろうと思ったんです。

卒業後は、サラリーマンになるという選択肢はなかったんですか?

大学一年生の頃は普通に広告会社のサラリーマンになると思っていて、大学四年かM1(大学院修士課程 1 年)の頃はマッキンゼーとかで働くとか思っていました。でも気づいたら研究者の道の入り口にいてメディアアーティストになっていた。それでいいかなって思ってからは進路を考えることがなくなっていました。それに僕は昔から同じことを繰り返すのが凄く嫌いなんです。メディアアーティストは、決められたメディアの中で何かを作るのではなく、メディア自体を作れて、毎回違うものが作れるから面白いかなと。

2015年5月から筑波大学助教として働いていらっしゃいますが、教育にとって大事なものはなんだとお考えですか?

予算と環境を作るという意味での“お膳立て”と、責任を取る、それを内側で取らせるという意味での“防護壁”は重要で、この二つがないと上手くいかないと思うし、それを繰り返していくことで人は成長すると思います。日本の教育はプロジェクト型の教育ではないから難しいけど、うちの研究室はプロジェクト型だから楽しいです。その分、本気でやれない人は成果出ないし、いなくなっても行きますけど。どっぷり浸かれる人向けかな。

落合さんが提唱する人間と自然、デジタルリソースがシームレスに繋がり合う世界観「デジタルネイチャー」はどのようにして始まったのですか?

僕は音声と光の専門家で、今までずっとオーディオ・ヴィジュアルをどうアップデート出来るか、光と音が人間の目と耳の解像度をどう超えていくかについて研究してきました。環境の中で実際の物体が勝手に動くような世界をイメージしていて、空中に光で形や文字を描く方法や、音波を使って形をつくる方法などの研究もしています。身の回りのあらゆるものがオーディオやヴィジュアルによって動く世界があるはずで、そのうち僕たちは実質的にあるものと物質的にあるものとの区別がつかなくなる。というか、多分どっちでも良くなるんですよ。そう言った、イメージじゃなくて物質的な、そして3次元的な世界を、デジタルとアナログの相転移で実現して行く。その先にさらに、人間と機械の区別も効かなくなって、人間は機械的に、機械は人間的になっていく。そのボーダーラインを超えた世界があって、それが新しい自然観になっていくと思うんです。なので、それを「デジタルネイチャー」と名付けました。

「人間は機械的になる」というのは?

人間って解明していくとほぼ機械的に動くし、人間とコンピューターの区別はほぼつかないと思うんです。例えばイ・セドル(韓国の囲碁棋士)とGoogleのDeepMind(イギリスの人工知能企業)が区別がなく同じフィールドで戦うように、要素が限定してると人とコンピューターとの区別がつかなくて、やがて要素が限定してなくてもコンピューターと区別がつかなくなる。もしくは、人は「演算をする機械」だと定義することも出来て、人なのか機械なのか、モノなのかデータなのかも分からないみたいになっていくと思うんです。例えば、今「あれ取って」って言えば、「あれ」はマテリアルなんだけど、それがデータになるかもしれない。そうやってマテリアルもバーチャルも関係なくなった時、コンピューターも自然のうちに含んでいるような価値観に移行するはずなんですよ。

コンピューターと人間の境界がなくなってきて、コンピューター自体も努力や発想をし始めたときに、マズローの欲求段階説みたいなものはコンピューターにも発生するんですか?

コンピューターの寿命ってかなり長いですよね。この先、何億年もあるかもしれない。その観点からいくと、人間の欲求のほとんどは人間に寿命があることに起因しているので、コンピューターにマズローの欲求段階説があるかと言ったら、ないんじゃないかと思います。

毎年テーマを持って研究されているそうですが、今年は「ハードウェア、アーキテクチャーのソフトウェア化」、去年が「電波」、一昨年は「光」でしたが、来年のテーマは何をお考えですか?

来年のテーマは「人の機械化」です。最近、人をどう機械として使うかをよく考えています。例えば人間が視覚的にAに向かって歩いていくのをVRゴーグルを使ってBに歩かせるとか、人間をラジオで操作可能にしたりとか、楽器を演奏する人間の筋肉を電気で制御するなどの研究をしてます。これを上手くやっていけば、例えばスキージャンプの選手がジャンプするタイミングに勝手にジャンプの筋肉が動いたりとか、人を機械化出来ると思うんです。

研究している時とアートをする時の考え方は違うんですか?

モノによります。インスタレーション作品の時は環境に依存するし、空間自体を扱うので、感傷的にモノをつくることが多いんですけど、僕のアート的なアクティビティにおいては一緒です。でも作品一個一個でみれば、気を使っているところは違います。テクノロジーを使って研究している時は結果を検証するのが命で、アートをやってる時は綺麗にモノ作るのが命。例えば今年の東京デザインウィークに出した「レヴィトロープ」という空中浮遊する球がたくさん回っている作品では、環境が映り込む美しさと、浮揚が持ってる身体性を表現したいと思って作りました。人間って自分たちの体は浮かないから、浮いているモノを見ると体があることを意識すると思って、そういうことを考えさせたくて作ったんですけど、浮く仕組みをどうやって作るか考えている時は研究っぽい考え方をしてますね。最近では、物自体と建築の間の空間を作ることに気をつけながらインスタレーションを組んでいて、特別な場所じゃないところに違和感のある現象を起こすことに気を使っています。

東京デザインウィークで展示された「レヴィトロープ」

20年後、人は何を達成して、反面何を問題としていると思いますか?

二次元平面でしか映像を語れない、また特定の物体からしか音と光が出ないという、装置依存の映像的問題は解決されていると思います。今は振動体それ自体からしか音がしなくて、二次元平面でしか光を出せないんですけど、20年後には自在な位置から音がして、自在な位置から映像が出るようになってると思います。その反面、まだロボットが意思を持って人のように生活しているかといえばそうではないと思います。人間は音がしないですけど、ロボって必ず駆動音がしますよね。人間に耳がついている限り、そのうるささが解決出来なければ人とロボットの境界は超えられないんじゃないかと思います。逆に協調作業という点では人とロボットはそこら中で協調するようになるんじゃないでしょうか。

好きな音楽や映画はなんですか?

音楽は毎日新しい音楽を聴くんですけど、今日好きな音楽は「ヤバイTシャツ屋さん」です。全体的にはテクノが高校の頃から好きで、アンダーワールド、ケミカル・ブラザーズとか、ダフト・パンクみたいなエレクトロをずっと聴いてました。国内ですと姫神さんとかも好きでしたね。映画は「フルメタル・ジャケット」と 「時計じかけのオレンジ」とか、キューブリックの作品が好きです。SF映画の中だと「ハリー・ポッター」が好きですね。

未来を描いた映画で、実際にそうなるかもと思った映画はありますか?

「her/世界でひとつの彼女」っていう映画では、みんなパソコンに向かってブツブツ喋ってるんですけど、将来は結構あんな感じになると思います。人って喋る方がアウトプットが早いんですよ。普通に喋るだけで文字が打てるようになると、人はブツブツ喋るようになる。手を使ってのデータの直接操作のトレンドは、音声との協調によってだいぶ変化すると思います。そのために僕のやってるピクシーダスト社では個別のコミュニケーションに力点を置いて空間スピーカー設計をしています。

ファッションはいつもヨウジヤマモトさんを身につけていらっしゃいますが、ヨウジヤマモトさんの魅力はなんですか?

脱モード感を常に打ち出すことによってモードを制しているのがすごく好きですね。脱構築感がハンパないじゃないですか。例えば、今年のテーマは「縛る」だから、体縛っとこうみたいな感じがいいなと思って。毎回、形は脱構築しているのに往年の服でもあるギャップもいいですね。よくあのバイタリティで年間二回やっていけると思いますけど、俺もあんな感じで春夏シーズンと秋シーズンで二個ずつ作品を出したいです。テーマを決めてやって行くことは面白い。

憧れの人や尊敬している人はいますか?

エジソンを尊敬してます。彼はどうやってエネルギーを知覚可能な互換量に変換するか、例えば電気を使って映像や音を作るとか、運動を使って音を鳴らすみたいなことをやっていました。エジソンは発明家かと言われたら、僕はメディアアーティストだと思うんです。シリンダー型の蓄音機とか、覗き込む型のスコープとか、彼の作ったものがそのまま普及するわけではないが、痛烈なメディア批評性を持っていることって極めてメディアアート的だと思うんですよ。あの形では普及しないのは、必然性がないからだと思うんですけど、それはそれで示唆的でありアート的だなって思います。

今社会で起こっていることで、気になっていることはどんなことですか?

高齢化問題と自動運転です。人間はまだ身体性を自分以外に操作されることに慣れてないんですけど、自動運転になると三次元的な人間の位置は自由にコントロールされるようになるんです。そうなると高齢化問題もまとめて解決されるなって思って。要は脳に関してはコンピューターの方が人間よりすでに優秀なので、高齢者の判断基準をコンピューターがサポートしてくれるようになると思います。でも身体をサポートするようなものはまだあまりないので、それが早く克服されればいいですね。

リオ五輪の閉会式で真鍋大度さんが演出されたようなメディアアートの表現についてはどう思われますか?

すごく感動しました。今見てよかった!と心を打たれた。僕は、メディアアートは賞味期限がついているから「メディアアート」だと思っていて、多分四年後ああいう感じではもうだめになっちゃうとは思うんですけど、それが刹那的でロマンチックでとてもいいなって思うんです。なぜかといえば、こんなに感動するものをその時代性を含めて突き詰めてやってる人たちはかっこいいから。僕は真鍋さんが本当に好きで、まだ世間が真鍋さんや猪子さんがやっていることをよく分かった頃から、YouTubeを見たり、チームラボに遊びにいったりしてました。今のようにメディアアートがデカい産業になるって思われる前からデカくなりそうだなって思っていたのも、メディアアートに進路選択した一つの理由かもしれません。真鍋さんや猪子さんからはかなり影響を受けてますね。

他人が思う自分の像と実際の自分の像で違うところがあるとしたら、どんなところですか?

僕って、研究をしている時や、作品をつくっている時、本を書いている時や、教員をしている時でどれも全然違うから、どのエッジで切り取るかによって全然違う像に見えると思うんです。それを全部知っている人って僕以外に誰がいるんだろうって思うんですけど、SNSには自分のやってることをよく書いてるから、僕のSNSをフォローしている人たちは分かっているんでしょうね。そう言った狭いサポーターに支えられて今があるんだと思います。

その人たちは、やはり落合さんのことを「魔法使い」だと思っているのでしょうか?

いや、働き者だなぁ、と思っていると思いますよ。本当に朝から夜まで働いてますから。19時間働く。特に才能はないけど毎日働いてるから、他人よりモノ作ってるんだろうなって思ってるんじゃないですかね。

今、力を入れているプロジェクトをお聞きしてもよろしいですか?

最近は映像の三次元化や物質化をずっとやっていますが、どう商業化するかは次のフェーズとしてすごく重要です。あとはデジタルファブリケーション技術(3DCGなどのデジタルデータを、3Dプリンターやレーザーカッターなどを用いて木材やアクリルなどを成形する技術)で、産業応用を前提にロボットやディスプレイをどう作るか、研究開発をしています。それと、人間をどうやってコンピューター側から制御していくかという人間のハック技術にもかなり注力しています。また、新たに入ってくると思う分野は遺伝子工学。生物を使って何かを作って、それをどうコンピューターサイエンス的に解くのかというのに興味があります。

一気に視界が開けた瞬間や自分が成長したと実感した出来事は?

視界が開けたというか、日々視野が広がっていくんです。どういう時に広がるかというと、次のタームを決めた時や対談している時が多い。逆に自分一人で考え抜いて「これだ!」って思うこともあります。例えば「デジタルネイチャー」という名前を思いついた時もそうだったけど、現象に名前がついた瞬間に見えるものが変わるんですよ。あとは、多くの賞やコンペの審査員をやるようになってから、人の作品をよく見るようになって、自分の作品や研究の完成度が上がりました。

自分の脳を活発にさせるために、フィジカルにやっていることはありますか?

俺は食うと脳が働かないんで、飯を食わないです。あとは朝にストレッチすると体調がいいとかはありますね。それと、あとはずっと働くことかなぁ。

これまでに味わった大きな挫折は?

失敗してもポジティブにしかものを考えないので、挫折を感じることはあまりないです。中学受験に落ちた時とか東大に落ちた時も何にも思わなかったし、家が火事になって色々なものが燃えたこともあったけど、別に大したことはないと思った。選ぶ選択肢と選ばなかった選択肢と、あとはストーリーづけの問題なんで、さほど問題は発生しないかと。挫折って、なりたい自分があるとか、自分のエゴ的な未来を大切にする人だけが感じることなんじゃないですかね。俺は別になりたい自分がないので、「なった自分」だけで十分だし、「見せたい自分」もないから、言われたままでいい。「魔法使い」って呼ばれてるのも、自分が言い出したわけじゃなくて言われたからそのままでいいやみたいな感じです。何言われても気にならないし、ネタにしておちょくって楽しんでいきたいと思ってます。

最近ご結婚されたそうですが、結婚生活はどうですか?また、子育てに関しては興味ありますか?

「新婚生活ってあるの?」ってよく言われるんですけど、ないんですよね。俺が家にいないので、嫁に会わないですね。「最近会ってないなー、嫁」とか思います。子育ては興味あります。ルンバの上に子供をずっと乗せておいたりしたい(笑)。子供って軽いし、色んなことが出来るなーって思ってます。子供は一番プログラミングが楽しそうなものですから。

最近気づいた自分に足りないものはありますか?

時間。ここ最近、締め切りというものに反応出来ない生活が続いていて、やっと自分に時間が足りないことに向き合ってます。1日1日を大切に生きないといけない年齢になってきました。だから何かを断たないとダメだと思って、メールは秘書さんに全部任せて自分はメールしないって決めたら大分時間が稼げるようになりました。でもまた次に何かを削らないといけないですね。

落合さんにとって「成功」とはなんですか?

完璧な葬式。だって終わってみないと分からないじゃないですか。終わったら終わったらで、多分誰かは分かるんでしょうね、僕は永久にわからないだろうけど。人生をかけてカッティングエッジなものを表現し続けたとしても、最終的にあらゆるものはなくなっていく。人間は時代によって成り立っているけど、その時代を誰が構成したかはあまり関係ないと思うんです。結局のところ、意味や価値は多分何もないんだと思ってます。ただやる、今が大切。そうなるとゴールというものはあまり意味を持たないし、結局のところ人間のゴールとして明示的なところは死しかでない。しかも死もゴールですらないのかもしれない。その上で成功って何かって考えた時に、死んだ時に自分のやったことがうまく繋がっていればいいんじゃないかと思っていて、「あー、今、死に時だなー」って思うタイミングが年に一回くらいあるんです(笑)。例えば本を出し終えた時や、新しい作品を作り終えた時とか、ここで死んだらここまでの人だということで、人生に起承転結がついて、自分の人生が他人に理解可能な状態で終われると思います。別にそこに何も期待していないし、何が嬉しいとかもないんですけどね。

これから30代に突入していきますが、20代の時には分からなかった年代感みたいなものはありますか?

20代の頃はがむしゃらにやっていて、今もそれ通りに動いているんですけど、最近は理事とか国の仕事とかをし始めて、社会というものが段々分かり始めてきました。理事職を3つか4つと、会社を2つやって、国立大の教員をやって、国の会議とかにも呼ばれるようになってきて、自分の周りにいる人たちが大体僕より15くらい年上なので、自分の感覚が大分アップデートされてきました。普通の20代とはちょっと違う感じ方をしていると思います。30になった時にはその感覚の違いがより広がると思っていて、多分40代に入る前に社会に飽きてるんじゃないかという予感がするんですよね。だから最近は人間自体のアップデートに興味がある。人間性が邪魔だなぁって。本格的にそうなった時に何して過ごすのかな。メディアアートには飽きないと思うし、現場は楽しいからいいんだけど、やがて現場を離れたら急に冷めるみたいな、そのギャップってどうやって解消していくのかが30代の悩みになるんじゃないかと思います。

40代になったらきっと気づくだろうことは?

40代は、人間の改造の方に興味を降り出していこうって決めてるんです。倫理的に問題があるから難しいですけど、テレパシーが通じる人とか、寿命が長い人とか、脳が直接ディスプレイに繋がる人とか色々作りたいものはあります。周りの40代の人を見ていると、自分が40代になった時のラインが見えてくるので、それを越えようと思ってますけど、よりシステマチックな人間になっていると思います。あらゆるしがらみ、倫理から超越した人間になっていたいですね。あらゆる時代で今が大切ですから。大体、近代的人間性にこだわり続けた人が最後に発するキーワードは「愛」だと思うんですけど、僕はより仏教的な「空」の方が重要だと思うんですよね。そんなことを日々考え続けて40代になりたいです。

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