坂東巳之助
小さい頃はどんな子供でしたか?
歌舞伎より仮面ライダーやウルトラマンとかが好きな、普通の男の子でした。
通っていた学校は巳之助さんにとってどんな場所でしたか?
幼稚園から中等部まで青山学院に行ったのですが、その時の友達とは未だに仲が良くて、彼らが高等部や大学で出会った人たちとも仲良くしてます。高校は堀越学園に行きましたが、半年でやめてしまったので、ほとんど記憶にないです。
10代の頃に「ZERO click」というバンドを組んでドラムを担当され、作詞・作曲もしていたそうですが、どんなことにインスパイアされて曲作りしていたのですか?
僕は音楽理論も全く分からないし、楽譜も読めないので、なんとなくギターをポロポロと弾いて色々組み合わせて曲を作っていたんだと思います。10代の頃は感受性が豊かなので、曲の良し悪しは別として創造することのスピードとかは今より全然早かったですね。今でもギターもドラムもやりますし、曲が作れたら作ろうかなとは思うんですけど、中々出来ないです。やはりモチベーションはあの頃が一番あったんでしょうね。
1995年の初舞台の事は覚えていますか?何か思い出があれば教えてください。
ぼんやりとは覚えてます。お祝いに色んな方からいっぱいおもちゃをもらえたのが、すごく嬉しかったです。
その頃から自分は歌舞伎役者になるのだと、なんとなく感じていたのですか?
そんなこと考えている6才児がいたら気持ち悪いですよね(笑)。今の子役さんたちはみんなすごいから、どうなのか分からないですけど、少なくとも歌舞伎役者の子供でそういうことを強く思いながらやっている子はあまりいないんじゃないかな。人は生まれた時から手元にあるものを特別だとは思わないだろうし、特別であったとしても気付くのはもっと大人になってからですよね。僕は子供の頃にそういうことを考えたことはなかったです。
一時期、歌舞伎から離れていた時期があったと伺いました。その時の心境はどういったものだったのでしょうか?
僕が歌舞伎から離れていたのは15歳くらいから17、8歳にかけてで、その歳の頃は声変わりの時期でもあり、大人でも子どもでもないというすごく中途半端な時期なので、歌舞伎役者として舞台に出演する機会が極端に減ります。その時期に離れていただけであって、全くやっていなかったというわけではないんです。ただ、自分が他にやりたいことや出来ることがあるかどうかは別として、世の中には他にこんなことがあるというのを知らずに、歌舞伎役者になって人生が進んでいくのはどうなのかなと考えました。生まれた時からずっと歌舞伎の中にいる状態で、そこから外へ出ないまま一生続けて人生を終えることになるわけですから、それはどうなんだろうって。
何か実際にやってみたことはありますか?
居酒屋でアルバイトをしたことがあります。もちろんそれは世間一般からしたら全然特別なことではないですけど、歌舞伎の家に生まれた歌舞伎役者としては特別なことみたいです。それによって当たり前のことを当たり前として知れたとことは、すごく自分にとって価値のあることでした。
2015年の10月に行われた「スーパー歌舞伎 II 『ワンピース』」は大好評を得て、今年に再演されるそうですが、公演を迎える前に抱いていた期待や不安と、やってみて感じた手応えについて教えて下さい。
僕は元々ワンピース世代で漫画も読んでいたので、ファンの方々に受け入れてもらえるか不安な気持ちと、大事に作っていきたいという思いがありました。やっぱりワンピースってコンテンツ自体がとてつもなく大きなものだし、ファンの数もすごければ好きの度合いもすごい。手応えはやってみるまで分からなかったですが、作品としてはすごく受け入れてもらえたと思います。好評だったと聞いて嬉しかったです。
ゾロとボン・クレー、スクアードと3役を演じたことに関しても、「あの人があの役を?」といった意外性も評価されていましたが、そのような反応に対してはどう感じますか?
歌舞伎では、1日に3役や4役、5役やることは普通なことですから、「あの役もあの人が?」とか「3役もやるなんて」となるということは、普段歌舞伎を観られていない方々が観に来て下さったんだなと思いました。
スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』平成27年10・11月新橋演舞場/写真提供:松竹
スーパー歌舞伎は良い意味で歌舞伎の敷居を下げつつ、その世界観を伝えることの出来る公演かと思いますが、どうお考えですか?また、新しい事へのチャレンジが多い中、伝統芸能として絶対に変えてはならない部分とは何でしょうか?
宙乗りや本物の水を使った立ち廻り、仕掛けを使った早替りなどは全て江戸時代からやっていることですが、そういった昔からある表現方法を新しいと感じる方に観てもらえているところに、スーパー歌舞伎の価値があるんだと思います。また、伝統芸能としてこれだけは変えてはいけないということに関しては、僕が歌舞伎代表としてお答えするのは出来ないですが、変えてはいけないということではなく、役者一人ひとりが自分の中で曲げたくないものや受け入れるものに対してどう向き合うか、ということだと思います。
「ワンピース」という題材を選んだこと自体も、新しいチャレンジだったのでしょうか。
今の時代の大人気漫画を歌舞伎にしたことに関しては、新しいと思う人もいると思います。ですが、例えば「南総里見八犬伝」は江戸時代のワンピースのようなものですから、昔からあるものに今風の表現を加えて形にしていこうとするところは昔も今も変わってないと思います。三味線音楽ではない音楽をスーパー歌舞伎の劇中に流してみたことにしても、そうです。歌舞伎より歴史的に古い能や狂言では三味線なんて使わなかったけど、江戸時代に流行った三味線を取り入れて能を狂言っぽい感じでやってみようとやったのが歌舞伎なわけで。そうして400年続いたものが伝統となっているわけですが、結局その時代の流行りを取り入れてひとつの形にしていこうとするやり方や想いは昔から変わってないと思います。
2017年1月2日から始まる若手の登竜門として人気の「新春浅草歌舞伎」について見どころなど教えて下さい。
若い世代だけでひとつの興行をあげるのは歌舞伎では中々珍しいことだと思いますし、若手、花形と言っても、もう少し上の兄さん方が出演される公演の方がはるかに多いですから、今年は尾上松也の兄さんを始め、僕、中村壱太郎くんと中村隼人くんとでやらせて頂けることに、全員ありがたさをかみしめながら精一杯やっております。お客様に楽しんで頂ける様に、新春浅草歌舞伎でしか観られない様な舞台が出来ればと思ってます。
(左→右)中村隼人、中村壱太郎、尾上松也、坂東巳之助、中村錦之助
演芸も含めてだと思うのですが、浅草は日本の伝統芸能が似合う町ですね。
我々も毎年浅草という町に助けてもらったり、パワーをもらっている部分があるので、お客様の「歌舞伎を観るぞ」という気持ちも増幅させてくれる町であると思います。新年の浅草は本当に賑やかで日本のお正月気分を味わえるので、その雰囲気も楽しみながらお芝居を観て頂きたいです。
共演される尾上松也さん、中村壱太郎さん、中村隼人さんとは、「新春浅草歌舞伎」について話されることはありますか?
歌舞伎では当たり前なことで新春浅草歌舞伎に限ったことではないのですが、具体的な芝居の中身については、「どういう風に演技するか」ということではなく、「どなたに教わるのか」ということになるのでそういったやり取りはします。
皆さんはそれぞれどういった方なのですか?
松也の兄さんは若手世代の年長者としてリーダーシップを持った方で、裏表が全くなく、すごく信頼している方の一人です。壱太郎くんは1つ下の後輩にあたるんですが、お囃子や鳴り物の太鼓などのお稽古を同じ先生に教わっていたので、子供の頃から仲良くしています。上方の家の女方さんなので、近頃舞台でご一緒することはあまりないですが、すごく謙虚で熱い気持ちを持っていて、自分にはないエネルギーを持った人だなと思います。隼人さんは僕よりいくつか下になるのですが、すごく真面目な人です。彼が10代の頃から舞台に一緒に出ることが多く、芝居のことで悩んでいた時も側で見てきましたが、自分のやるべきことを身につけて、望んだことを手に入れようと突き進む姿勢がブレないのですごいと思うし、真っ直ぐなところが素敵だなと思います。
日本舞踊における五大流派の一つである坂東流の家元となられましたが、どの様に受け止めていらっしゃいますか?
歌舞伎俳優としての坂東巳之助は一個人ですけど、日本舞踊坂東流家元というのは坂東流という集団においての長ですから、まとめていくということ、自分の発言に責任が伴う立場にいるということなどを自覚しないといけないと思います。
日本舞踊以外の踊りやダンスに興味はありますか?また、共通点や相違点などの観点から見て何か感じることはありますか?
特別に興味があるわけではないですけど、なくはないです。日本舞踊はベースの部分が限りなく人に観せることを意識した舞踊の一つだと思います。パッションということよりも、人に何かを伝える作りになっている。だから身体との勝負はあっても、自分自身との闘いみたいなものではなく、突き詰めた先に何があるかと言ったら、例えば観客にありもしない月が見えるとか、そういうことにすごく特化しているような気がしますね。「踊る」、「ダンスをする」ことの根っこにあるのは、身体が踊り出してしまうことなんでしょうけど、日本舞踊もそこから様々なものが追加された色んなジャンルの内の一つということになるんでしょうね。ざっくりまとめればジャズダンスもコンテンポラリーもヒップホップも、何でもそう納まると思います。
歌舞伎以外でも2011年に「仮面ライダーオーズ/OOO」にご出演されたり、2013年に「清須会議」などにご出演されたりと俳優としてもご活躍されていますが、歌舞伎以外で演技をすることに対してはどの様に捉えられているのですか?
そこはすごく難しいところで、歌舞伎だけしかやらなかったら良い歌舞伎役者になれないのかと言ったら、そうではないと思うんです。昔の歌舞伎役者たちは歌舞伎しかやってなかったわけだし、本当だったら今もそれでいいと僕は思います。ですが、今の時代は歌舞伎以外のこともやらないと歌舞伎が衰退していく一方なので、他での活動も必要かと思います。もちろん、そこには面白い学びもたくさんあるし、今まで歌舞伎に無かったモノを持って帰れることもなくはない。でもやらなくても大丈夫なくらいに歌舞伎がなったら、僕は歌舞伎以外はやらないかもしれないですね。やる気がないわけではないし、やりたくないわけでもないんですけど、やらなくても良い時代に生まれたかったなと思います。
憧れている人や尊敬している人はいますか?
誰なんでしょう。あんまりそういう考え方に及んだことはないかもしれないです。
他人が思う自分の像と、実際の自分自身との差があると感じる部分を教えて下さい。
僕のことを明るくてバカみたいな面白い人だと思っている人から見たら、実際の僕はそれより全然暗くて色々考えてる人間だと思うけど、逆の側面を見ている人からしたら意外と何も考えてない。でも人間なんてそんなもんじゃないかなと思います。
一気に視界が開けた瞬間や、自分が成長したと実感した出来事はありますか?
あまりそう感じることはなくて、徐々に成長しているように思います。凄く些細な成長を感じることはありますけど、それを思って言い始めたら役者は終わりじゃないかなと。
巳之助さんにとって成功とはなんですか?
成功したかどうかは死んでみるまで分からないんじゃないかと思います。
3年後、5年後、10年後はどうなっていると思いますか?
どうなっているんでしょうね。楽しみですというくらいがちょうど良いかなと思います。先のことを思い浮かべたくないんですよね。積み重なった姿が3年後、5年後、10年後の自分だと思うので、そこを目指して積み上げていく生き方は出来ない。一方ばっかり見てやっている間に、反対側に散らばっているものを見落としちゃうかもしれないじゃないですか。それも全部集めて積み上げた先の自分を見たいですね。
最近、見つめているものはありますか?
いつも考えているのは目の前にある日々の舞台で、何があろうと常にそうです。
では、逆に死ぬまでに達成したいことは何ですか?
死ぬまでに達成したいことはと聞かれると、ないかもしれないですね。
例えば、ご家族、結婚みたいなものとか。
それは、したいというより死ぬまでにはしてないと困っちゃいますね(笑)。
新春浅草歌舞伎 平成29年1月2日(月)初日~26日(木)千穐楽 浅草公会堂