ON COME UP
#8 | Dec 10, 2015

新しい眼鏡職人の形を追求し、パリでデザイナー兼職人として活躍する北村拓也

Text & Photo: Atsuko Tanaka

未来に向かって躍動する人たちをフィーチャーする“On Come Up”。第8回目のゲストは、パリを拠点に眼鏡職人として活躍する北村拓也さん。眼鏡の聖地とされる福井県鯖江市で眼鏡職人としてキャリアをスタート。その後、世界中の眼鏡作りを学び、現在はパリで自身のブランド「KITAMURA Domont」を通して日々眼鏡作りに没頭している。ただ物を作るだけではなく、職人としての心や在り方を真剣に考え、可能性を求めて歩み続ける北村さん。彼がどんなことを思い、感じているのか語ってもらった。
PROFILE

眼鏡職人北村拓也

1985年生まれ。鯖江にて眼鏡職人としてのキャリアをスタートした後、世界中の眼鏡店やデザイナーや工場を回り、その後単身でフランスに渡る。
眼鏡ブランド「KITAMURA Domont」のデザイナー兼職人。その一方フランスの眼鏡職人集団「Dorillat」にて初の外国人職人としても活動。2014年パリにて発表された「KITAMURA Domont」は2015年現在、東京、パリ、ニューヨークを中心に世界中で展開。「Dorillat」の顧客は欧米の著名人を中心とし、1点物の眼鏡フレームを作成し、提供している。

北村拓也

眼鏡職人になることを志したきっかけは何ですか?

10代の頃から洋服やアクセサリー、雑貨など色々な物に興味を持っていて、その中で眼鏡にもファッション性の高い物があることを知り、そこから眼鏡やサングラスに夢中になっていきました。いつからか眼鏡デザイナーになりたいと思うようになり、その前にまず眼鏡の作り方を学ぼうと思ったのがきっかけです。日本の福井県鯖江市という地域が眼鏡産業が盛んで、鯖江に渡り、弟子入りのような格好で眼鏡の作り方を教わりました。

自分のスタイルを言葉で表すと?

頑固。

いつからそのスタイルに?きっかけはありましたか?

昔から頑固で、同じことを満足するまでやり続けます。

オリジナルでいるために気をつけていることは?

オリジナルでいるのは、私にとってとても難しいことです。現在は様々な情報やアイデアが、色々な所で簡単に見られすぎてしまっていると思います。眼鏡デザイナーとして無意識のうちにそれらを取り入れてしまわないように、雑誌やネットなどでデザインを見ないように心がけています。

北村さんにとってのアイデアの源泉はどこにありますか?

全てのアイデアは何かからインスピレーションを受けてというより、自分の中から生み出すようにしています。私にとって、この世に存在する少しの違和感が面白くも、かっこいい物なので、そういう物を眼鏡を作る上で表せるようにと常に考えています。

最近気付いた自分に足りないこととは?

ヨーロッパに住んでからですが、人を信用する心が欠けてきていると思ってます。もっと人を信用する自分でいたいです。人を信用する方法は、、、あれば、教えて頂きたいです(笑)。その点は自分自身が変わらないといけないと最近は考えるようにしています。ただ、それが出来ないんですが(笑)。

通っていた学校はあなたにとってどんな場所でしたか?

物作りやデザインを学ぶ学校に行っていなかったので、専門的な話はしませんが、私にとって学校とは人付き合いを学ぶ場であり、何が好きかを分からせてくれた時間でした。

活動の中で学んだことのうち、学校教育では教えられなかった大事なことはありますか?

単調な作業の中であっても、その中での考え方というものが如何に重要かということに気付きました。今でもハッキリと覚えていることは掃除の仕方です。以前勤めていたアトリエでは、毎晩掃除を15分してから帰宅していたのですが、掃除の中にも早く出来る方法や効率と、より綺麗になる方法がたくさんあることに気付きました。決められた作業や時間を聞いて納得するだけではなく、いかに考えられるかが重要だと感じました。たかが掃除ですが、日々こういった訓練をさせて下さったことを感謝しています。

あなたにとって「個性」とは何ですか?

自分にしか出来ないこと。一般的にですが、眼鏡職人とは眼鏡のデザインはせずに、眼鏡を作る専門職です。目の検査をしませんし、掛け心地も見ません。一つの言語だけを話し、その国の伝統的な方法だけをやり続けます。ですが、私は眼鏡を作るだけでなく、デザインもします。目の検査も必要であればしますし、掛け心地も見ます。私自身まだまだ若いですが、世界中の眼鏡の作り方を見てきた結果、今まで常識だった物を変えられる個所があることにも気づきました。自分に出来ることがあるとすれば、その程度のことです。

修行時代にやっておいて良かったと思うことは?

今もそうですが、修業時代に色々と勉強してきました。語学の勉強もそうですし、眼鏡の部品を大学の研究室に送って、分子レベルで調べてもらったこともあります。一番やって良かったと思うことは、流れ作業で眼鏡を作らずに、自分の考えを持ちながら作業に取り組めた事で、これは工房の雰囲気と師匠の考え方のおかげです。師匠に日頃から言って頂いた言葉で、「技術は時間がたてば自然に身に付く、考え方をどう持つかが大事」というのがあり、当時は言葉の本当の意味が分かりませんでした。今でもどこまで掴めているかは分かりませんが、技術的なことよりもこのような言葉を頂けたことに本当に感謝しています。

3年かけて世界中の眼鏡店や工場を回った時の、一番印象深い思い出を教えて下さい。

フィリピンにいた時のことですが、先進国と大きく異なる点があり、その一つがプラスチックの価値観の違いでした。バスの通常ネジが付いている場所にはネジがなく、チューインガムのような物で固定されていました。後で現地の人に聞くと、そこには金属ではなく、プラスチック製のネジが本来付いているらしいのですが、プラスチックのネジでさえ盗まれてスクラップ屋に持って行ってしまうということでした。日本で考えるよりプラスチックに価値があるのかと思い、滞在時はポリバケツのごみ箱を切って眼鏡型のキーホルダーを作り、英語を教えてくれた方々を中心にプレゼントしていました。

憧れの人や尊敬している人は誰ですか?

お会いしたことはないのですが、ファッションデザイナーのキャロル・クリスチャン・ポエル氏です。デザイナーとして大きく影響を受けました。眼鏡デザイナーでは、マーク・デラグランジ氏です。私のブランドをスタートする前に、ベルギーで1週間近く待ち続けた結果、会えた時は感動しました。私のブランドのデザインを褒めて下さり、ワインで乾杯して頂き、その時は嬉しくて泣きそうでした。

マーク・デラグランジ氏が他のデザイナーと違う点はどこでしょうか?

これはあくまでも私の意見ですが、眼鏡とサングラスのデザイナーの中でマーク氏が一番デザインで勝負しているデザイナーだと思っています。多くのデザイナーは、元々存在しているアイデアや知識に自分の味や流行、特徴などを付けているように感じることが多いのですが、マークのデザインは常に0から生み出しているように感じます。この感覚は完成した眼鏡を見るよりも、職人として図面を見た時に強く感じ、そういったデザインの図面には言葉は必要ではなく、線だけで美しいです。

メガネをよく着こなしていると感じる人は誰ですか?

自信をもってかけてる人は皆さん似合ってます。有名人で言うと、沢山いるので難しいですが、眼鏡なしでは顔が想像できないという点で、タモリさんとか井上陽水さんなどですね。

好きな歌、映画や本などで一番影響を受けたものは?

あまりありませんが、映画の「ミッドナイト・イン・パリ」は定期的に見ます。実はパリ嫌いの私にとって、心の支えになっている作品です。

社会で起こっていることで、気になることは何ですか?

仕事がら、3Dプリンターを含む新テクノロジーですね。今後の製造業に間違いなく影響を与えます。物作りをしている人で意識していない人は、本当に大変な事ことになると思います。

現在のメガネ産業における課題を一つあげるとしたら何ですか?

私が海外に出たきっかけの一つは、これからも眼鏡職人を存在し続けさせるべく、新しい方法を探す為でした。現在、格安の眼鏡店、3Dプリンターなど、眼鏡産業で大きな転機が来ています。“職人が作る”という価値観を守るという点では既に各々行っていると思いますが、価値観を守るのではなく、ある特定の職人が作らないといけない理由が必要になってくると思います。既に日本から無くなった工芸品があるように、眼鏡職人という仕事は50年、100年後に無くなる可能性が十分にあります。そうなった時に、特定の職人にしか出来ない技術や理由があれば、そういう時代が来ても戦えます。日本製だから当たり前に良いという感覚ではなく、将来に向けていかに準備が出来ているかが今は大事ではないかと思います。

日本と海外の眼鏡業界について、それぞれどう思いますか?

海外でもその国によって眼鏡の捉え方は大きく違って、ヨーロッパのファッションの中心地、イギリスとフランスでも大きく違います。なので一概に言うことは出来ませんが、ヨーロッパ内で大きく感心したことはオーダーメイドのフレームの普及です。こちらでは欧米系、アフリカ系、アジア系と様々な方が共存していて、顔の骨格も全く違うので、オーダーメイドは必要不可欠な制度なんです。日本でもオーダーメイドの眼鏡は存在していますが、もっと浸透してほしいと考えており、厚かましくも私が少しでも橋渡しになれればと考えています。

世界を目指すきっかけと、それが現実になってきたと実感した時の気持ちを教えて下さい。

きっかけは格安の眼鏡店の影響でした。鯖江で眼鏡職人になり、多少なりとも眼鏡の良し悪しが分かるようになった頃、同業者の方から格安店用の中国製の眼鏡を見せて頂いて、値段の割にそのクオリティーの高さに驚きました。将来、中国製の眼鏡がもっと良くなり、追い越されるのではないかと自分の眼鏡職人としての将来が不安になって、当時中国の大きい工場では出来ない眼鏡作りを知る必要があると感じて中国に渡ったんです。大きい工場は日本の眼鏡工場と大きな差はなかったのですが、小さい眼鏡工場では衛生面にも問題があるような環境の中、作成しているものは有名ブランドのコピー商品のみ。そこで、働きたいかもう一度よく考えた結果、日本に帰国する決意をしました。職人としてこのままではダメだと感じ、新しい眼鏡作りの方法を探す為に人生をかけて、再び外国に行くことを決めました。そして今の所属先の眼鏡工房「Dorillat」に出会った時に、当時見たことのない素材からも眼鏡を作っており、眼鏡の作成方法もアジアの方法とは大きく違って、私のみでなく眼鏡業界が大きく変わるのではないかと感じて、それからは世界水準で勝負をしようと決めました。

自分のやっていることで、日本や世界が変えれるとしたら、どんなところだと思いますか?

これからの新しい眼鏡職人像になれればと思っています。また、眼鏡をもっとファッションとして定着させたいです。

他人が思う自分の像と、実際の自分自身との差があると感じる部分を教えて下さい。

明るいフリをしますが、実は引っ込み思案です。

一気に視界が開けた瞬間や、自分が成長したと実感した出来事があったら教えて下さい。又、その時の感想も教えて下さい。

精神面なことで言うと、眼鏡職人への弟子入り、日本を離れると決めた時、今の会社に出会えた時など、自分の意見で物事を押し通した時です。中でも一番視界が開けたと感じた時は、数か月在籍した日本の眼鏡デザインの会社をクビに近い形で辞めた時でした。あの時に自分の意見を言ってなければ、自分のブランドも持たずに、日本にい続けたと思います。

パリはどんな街ですか?

歴史もあり、ステキな街ですが、プライドが高い方が多く、少し僕には生きずらい街です(笑)。それでもパリやパリの人達には人々を魅了する力を感じます。きっとこれが私がパリから離れれない理由だと思います。

あなたにとってメガネとは何ですか?

深く考えたことはありません。ただ、僕の人生で必要不可欠な物です。

3年後、5年後、10年後の自分はどうなっていると思いますか?そして、どうしたらそれになれますか?

新しいスタイルの眼鏡職人になってると思います。そうなるには自分自身がブレなければ大丈夫だと思います。まだ具体的には発表出来ませんが、楽しみにしていて下さい。

アトリエ「Dorillat」住所: 51bis, rue d'Ombreval, DOMONT, FRANCE

北村拓也 オフィシャルInfo