ON COME UP
#9 | Jan 14, 2016

夢は「五輪で踊りながら絵を描く」。力強く繊細な踊絵師、神田さおり

Text & Photo: Atsuko Tanaka / Photo Retouch: Toshiko Nagai

未来に向かって躍動する人たちをフィーチャーする“On Come Up”。第8回目のゲストは、踊絵師として、世界を舞台に活躍する神田さおりさん。幼少期をドバイとバグダッドで、故郷の日本への憧れを抱きながら、異文化の美を吸収して過ごした。現在は世界中の都市で、彼女の思い描くビジョンを「LIFE PAINTING」と称して、美しく、力強く表現している。華々しくダイナミックに描く姿は各企業にも認められ、レセプションやアートワークなどにも多く招かれている。彼女のパフォーマンスからは「自由」という言葉を強く感じる。そんな彼女が思う「自由」とは何か、そして自身の未来図など聞いてみた。
PROFILE

踊絵師神田さおり

幼い頃、バグダッド(イラク)とドバイ(アラブ首長国連邦)にて育ち、世界のうつくしさと共に日本への憧憬を強烈に体験する。世界中を旅しながら様々な土地や人々との出逢いに全身で感応し、そのエネルギーを表現し続ける。”LIFE PAINTING”と銘打たれたアートパフォーマンスでは、躯全部で音楽の波を感じとり大画面を踊る様に描き上げる。生き物の様に変化し続ける画面は、描かれては壊され、また産まれ、自由奔放な命がほとばしる。描いている肉体自ら絵の一部となり、空間を満たすパフォーマンスに世界中から出演オファーが集まっている。近年はNISSANカレンダーアートワークをはじめ、FUJIROCK出演、Alfa Romeo TV CM出演、Canon EOS 5D Mark III 公式ムービー出演、VIVIENNETAMコラボドレスをVOGUE Nightにて発表、Dragon Ash 「Lily 」 MV出演、与論島満月のアートイベント「月酔祭」オーガナイズ、池坊イベントアートディレクション、香港&台湾&カザフスタンでの個展、アメリカの野外ステージ「RED ROCKS」にて伝説的サイケデリックアーティスト「Shpongle」とのセッション、中之条ビエンナーレ参加作家として四万温泉天井画制作など多岐に渡る創作活動を行う。 

神田さおり

踊絵師になったきっかけは?

小さい頃から絵を描いたり、人前で踊ったり、延々と妄想するのが大好きだったので、それがそのまま今に繋がっています。

自分のスタイルを言葉で表すと?

逢/祭/祷
出逢いによって、やりたいことやできることが閃き、祭としてちからを合わせて場をつくり、祷りをこめて産み出すという意味があります。

Photo by Akihiko Nagumo

いつからそのスタイルに?きっかけはありましたか?

元々は一人で絵に没頭して描いているのが大好きだったのですが、段々と大好きで得意な「描く」ということで人と繋がって、一緒に楽しみ和える「場」や「時間」を創ることに喜びを感じ始めました。アーティスト名である「SAORI’An」とは「さおり庵」の意味があります。武蔵美の学生の頃から学内外で何か面白い場と出逢いを求めてアンテナを張り、色んなイベントを企画したり参加していました。その最中で様々な音楽家を始め、ダンサーや写真家など表現者たちと出逢い、刺激をもらい、気づいたら音楽や場のエネルギーに身を委ねて踊りながら絵を描くスタイルが始まりました。大きなきっかけは林明日香さんという歌手の方がデビューする際に、私のアートワークを起用して頂いたことですが、初めて彼女の生の歌声をスタジオで浴びた時に圧倒的なエネルギーに感応して、体と心が溢れかえって抑えきれなくなり、全身を大きく躍らせながら絵を描くという体験をしました。

Photo by Tsutomu Tanaka

オリジナルでいるために気をつけていることは?

魂が悦ぶことをする。それは私にとって解放することと、わかちあうことです。

通っていた学校はあなたにとってどんな場所でしたか?

ドバイに住んでいた頃に通っていた日本人学校(小学校)では、学校の先生と自分たちの両親が同世代で仲良く、一緒に砂漠ツアーに行ったりと濃密な関係でした。熱心な先生たちに恵まれて、伸び伸びと個性を育ててもらったと思います。武蔵野美術大学では、表現することが大好きな多種多様な人と出逢えて刺激を交換出来ました。

活動の中で学んだことのうち、学校教育では教えられなかった大事なことはありますか?

「創る」ことと同じ重さで「届ける」、「分かち合う」ことが大切であること、コミュニケーション能力の重要さ、表現者として生きる道/仕事の可能性は無限であること、道は自分で開拓できること。

バグダットとドバイで過ごした幼少期で得た経験を振り返って、今のあなたにどのように影響を及ぼしていると思いますか?

世界中に色んな「きもちいい」、「うつくしい」、「やさしいが」が在ることを体感しました。そして遠く離れた日本は常に憧れの存在で、夢に見るほど新鮮な刺激でした。例えば、はらはらと舞う雪の世界、障子のむこうを覗く秘密感、しっとりした曲線のうつくしさ。日本のお土産をもらった時、千代紙、お着物などの美しい絵柄にほれぼれと没入し、描き真似ました。そして日常を見渡せば、モスクのモザイクの美しさ、アラビア文字の流麗な美しさ、隠すことで沸き立つ神秘的な魅力というものに包まれていて、幼くも美意識のコントラストに度々感じ入っていました。

あなたにとって「個性」とは何ですか?

自分を信じて解放すること。

好きな歌、映画や本などで一番影響を受けたものは?

五十嵐大介さんの「魔女」、宮崎駿さんの「風の谷のナウシカ」、川井賢次さんの「イノセンス オリジナル・サウンドトラック」。それぞれからは、私自身も宇宙の一部であり、神秘につつまれていることを思い出させてもらいました。

世界を旅して気付いたことや、考え方が変わったことはありますか?

世界中に自分の知られざる能力の扉を開いてくれるキーパーソンが待っていてくれること。出逢いによって自分のやりたいことや、やれることが新たに花拓く体験をし続けています。

Photo by Andrew Wong

一番印象的な「花拓いた体験」を教えて下さい。

インドのベンガル地方に、風の吟遊詩人と呼ばれるバウルという表現者の皆さんがいます。彼らの聖地でのお祭りに縁あって招いていただき、共に右手で葉っぱのお皿でお食事をいただき、朝な夕なと彼らの唄につつまれながら、喜びを全身で表現し、踊り、笑いながら過ごさせてもらったのですが、その最中に嬉し涙を流しながら絵を描かせてもらった体験はまさに花拓くものでした。真っ青な画面に金の紋様がしゃらしゃらと舞い、真ん中に咲いた真っ白な花は、沖縄で首里城の龍譚池の弁財天様の前で眼をつむって御祷りしている時に見せてもらった花とそっくりでした。そして、お祭りのリーダーが私にベンガル語で弁財天さまの意の「Shobita」という名前を授けてくれて、嬉しいやら、びっくりやら。お腹の真ん中にきれいな白い花が幾重にもあふれるように咲くような感覚でした。

社会で起こっていることで、気になることは何ですか?

生身の人同士が集い、出逢って一緒に悦べる「祭 」の空間がここ数年でぐっと求められている気がします。泣いたり、笑ったり、叫んだり、まるで赤子のように魂を解放することや、生きている実感を強く確認すること、そんな時間を分かち合うことなどを多くの方が求め始めているのではないでしょうか。個展やパフォーマンスの際に集まってくれた方々が、お互い初めて会う同士なのに、どんどん感情を解放して仲良くなっていく様を見て、そう思いました。

自分のやっていることで、日本や世界が変えれるとしたら、どんなところだと思いますか?

一緒に悦んであったかいハグをして、嬉し泣きできる空間をつくれたら「やさしい」気持ちが増えると思うので、良いところを持ち寄り合うことの福々とした幸せ感を広げられることだと思います。

他人が思う自分の像と、実際の自分自身との差があると感じる部分を教えて下さい。

私は常に優しくもないし、ポジティブでも穏やかでもないのですが、周りにはそう思われているようです。パートナーはよく知っていますが、私は自信がなくて落ち込みやすく、感情のコントロールが下手な人間です。でも、表現の役割にある時は私の中の良い部分が膨らみ溢れ、他人の良い部分と共鳴して惹き和えます。その時は自分のことを好きになれる瞬間です。

Photo by Nobuhiko Ohtsuki

踊絵師として、パフォーマンスを通して一番気をつけていることは何ですか?

舞台には「いってまいります」の気高い境界があるので、感謝をし、澄ませること、素直にエクスタシーに繋がることです。

いつか立ちたい舞台や、やってみたい仕事があったら教えて下さい。

たくさんあります。伊勢神宮、出雲大社にて踊絵を奉納させていただくこと、オーケストラと共に描くこと。そして、インドボリウッド映画とハリウッド映画の中で描くことや、踊絵師が世界をきれいな色に塗り替えていくゲームを創ること。また、踊絵師/旅レポートのマガジン連載、ドキュメンタリー番組をやること、ファッションブランドとコラボレーションして総合芸術としてショーを創り上げることなどです。いくつか実現が近そうなものもありますが、まだ内緒です。

一気に視界が開けた瞬間や、自分が成長したと実感した出来事があったら教えて下さい。又、その時の感想も教えて下さい。

満月の光の下で、絵を描くお祭り「月酔祭」を与論島の観光課の方にオファーを頂きオーガナイズさせてもらっています。2013年、2014年と2回、台風と台風の合間に奇跡のように美しい満月に恵まれてお祭をさせていただきました。「祭」を創るということは 本当に大切なことだなぁと、つくづく感じます。祭は一方的に与えられる体験ではなく、参加者それぞれが各々の得意な事や大好きな事、チカラを持ち寄り合ってまあるく繋がる幸福感のシェアの場。共にチカラを注ぎ合う事ができるからこそ、「ありがとう」と恍惚の瞬間が訪れます。出演者やスタッフ、与論島まではるばる集ってくれたお客さん、与論島の皆さんと一緒に白い砂の上で笑って踊っている時に、魂がきらきらして祭を創ることの使命を強く感じ、続けて行こうと心に焼き付けました。

3年後、5年後の自分はどうなっていると思いますか?そして、どうしたらそれになれますか?

3年後は総合芸術としての舞台を発表し、神田さおりの作品を一堂に展示できる空間&アトリエを開設。そして世界中の祭を巡り、詣る絵描き旅と連動しながら作品を描き、香港、カザフスタンやドバイ、日本、台湾やアメリカ、オーストラリア、フランスなどに作品を取り扱ってくれるギャラリーを持ちたいです。5年後は奉納画のご縁を頂いた神社、お寺に納めさせて頂きたいです。そしてオリンピック開会式で踊り描きます。叶えることがビジョンとして見えているので、ご縁を大切にし、体と心を磨きながら、やるべきことを一つずつ丁寧に続けるのみです。

神田さおり オフィシャルInfo