ON COME UP
#10 | Feb 11, 2016

CM業界で数多くの功績を残し、「星ガ丘ワンダーランド」で初の長編に挑んだ映画監督/映像ディレクターの柳沢翔

Interview: Hamao/Text & Photo: Atsuko Tanaka

未来に向かって躍動する人たちをフィーチャーする“On Come Up”。第10回目のゲストは、3月5日に全国公開される「星ガ丘ワンダーランド」で初の長編に挑んだ映画監督/映像ディレクターの柳沢翔さん。資生堂「High School Girl? メーク女子高生のヒミツ」や、「Google」シリーズ、「POKEMON GO」などのCMから、乃木坂46「シャキイズム」のMVまで、数々の作品を手がけ、いくつもの賞を受賞。絵画で培った才能と大好きなアニメから受けた影響をベースに、自らの作風に上手く落とし込み、独自のスタイルを築いている。少し変わった幼少期の体験や、現在の活動に至るまでの経緯を聞いてみた。
PROFILE

映画監督/映像ディレクター柳沢翔 / Sho Yanagisawa

油彩画で培われたアートセンスとアニメの技法を使ったファンタジックな映像表現で、CMを中心に活動する映像監督。2004年、油彩画家として現代芸術家村上隆主催のアートコンペ(GEISAI3)にて銀賞受賞。受賞作家としてルイヴィトン、フェンディ等のレセプションパーティーにて作品展示。グラフィティアートに日本画を織り交ぜた作風で活動後、CMディレクターに転身。2009年アジア太平洋パシフィック広告祭フィルム部門にて24歳でグランプリを受賞。2013年にマイケルジャクソンのアルバム「BAD」25周年を記念して日本のファン1000人と「 REVIVING MJ」 を制作。MJの公式ホームページにて特集される。 2014年Googleとポケモンのコラボフィルム「Google maps Pokemon challenge」を監督。エイプリルフールに公開され、一日で1500万再生を記録。その年に世界でもっともシェアされたエイプリルフール動画として記録される。2015年 ポケモン、任天堂、Niantic Labが共同で開発したゲーム「POKEMON GO」の海外用コマーシャルがyoutubeで全世界合計2700万再生、資生堂のウェブムービー 「High School Girl ? メーク女子高生の秘密」が公開一ヶ月で800万再生と、いづれも監督した作品が話題を呼んでいる。

柳沢翔

映画監督になることを志したきっかけは何ですか?

最初から映画監督を志していたわけではなく、元々は油絵を描いて作家活動みたいなことをしていたんです。でも絵は年をとってからでも出来るし、若いうちに動画をやりたいと思うようになって、CMの世界に入りました。僕が就活をしていた時は、ちょうどCMが盛り上がっていた時期で、その中で吉田大八さんや、中島哲也さん、石井克人さんなどを見て、映像の延長で映画もいつか撮れたらいいなと思っていました。

動画をやりたいと思ってからは、どういうアプローチをされたのですか?

僕はアニメが大好きで、アニメは1人でも出来てしまうので、最初はパラパラ漫画みたいなのを描いて撮影していました。コマ撮りもすごい好きだったので、色々撮りましたね。マイケル・ジャクソンの「BAD25 T-flip animation」は、死人が出るんじゃないかと思うくらい大変でした(笑)。この事務所に入ってから、事務所の繋がりや自分で営業をして、若手のアーティストのMVなどの仕事をするようになりました。ギャラはすごく安かったですが、自分の作品が世に出るのは嬉しかったです。

自分のスタイルを言葉で表すと?

自主制作。僕がリスペクトしている方達は大体全部自分でやっちゃうんです。カメラも美術もやって、照明も監督も脚本も絵も描いてというように、これからはそういうことが必要になってくるような気がします。CMだけの話で言えば、広告の規模は少しずつ減ってきて、ウエブの方が強くなっていて、それに伴って監督だけやるのではなく、編集もやるとか、編集もやるしカメラもやるとか、若い人達の間ではそういうスタイルが増えています。僕はそれはすごく良いことだと思っていて、結局自分の頭の中にあることは、自分で表現して自分でやるべきだと思うので、いつか全部自分でやってみたいですね。それだと一辺倒になったりしてしまうので、役割分担した方がいいっていう人もいますけど、どちらもいいところがあると思います。

自主制作の方が自分に合っているという考えになったのは何かきっかけがあったのですか?

それは映像を始める前から僕がそういうタイプだったからだと思います。絵って画面の中を支配すればいいだけなんで、1人でも出来ちゃう。その延長なんですよね。アニメやったり、マイケルのコマ撮りをやった時も、画面の中を全部自分の頭の中にあるもので埋めたいみたいな、すごいコントロールフリークになってきて、スタッフの人達のアイデアとかももちろん大事なんですけど、俺だったらこうするなみたいのが出てきてしまうんです。

あなたにとって「個性」とは?

好きなことって皆それぞれあると思うんですけど、僕の好きなものは、例えばアニメだとガンダムやエヴァンゲリオンが好きで、好きな理由は考えれば分かるんですが、何となく漠然と好きなものがあって。仕事を続けていくと、仕事と好きなものが段々離れていくんですね。離れていくと個性はなくなっていくと思うので、自分が何を漠然と好きなのかというのを常に理解して、仕事の中でもそこに近づけていく。そして、それをこなしていくとそういう仕事も増えていくので、それは結果、個性になる気がします。個性って結局自分の趣味とか好きなもので、それが周りからの評価に繋がると思います。

漠然と好きなものは何ですか?

昔からアニメが好きで、いつかアニメの監督になりたいと今でも思っています。「ロジャー・ラビット」みたいなアニメと実写を混ぜたような作品がすごい好きだったんです。なので、そういう作品を多く作ってきて、一時は「2次元と実写を混ぜるのが柳沢君の作風だね」と言われることがよくありました。GoogleのCMとかでヒューマンドラマっぽいのをやるようになってからは、その作風は抜けていったんですが、今でも役者さんの動かし方やカメラの動かし方、照明をなるべくフラットにしたりとか、実写をいかに2次元っぽくしようか、というようなことばかり考えてます。それってかなりコアな話なので、普通の人は分からないかもしれないけど、平面にしようとする表現の仕方が僕の好きなことかもしれないですね。

最近気付いた自分に足りないこととは?

相手を慮る気持ちです。僕の好きな世界観を表現するだけではなく、広告の場合はクライアントの人達の気持ちや何を求めているかを汲んで作らなければならないので、自己中心的ではいけないと思いました。

慮ることが出来ていなかったと気付いたことによって、作風には影響が及びましたか?

映画はすごく大きかったと思います。結局自己表現の難しさからそうなっていたんですけど、「星ガ丘ワンダーランド」で初めて長編映画に関わらせてもらって、すごい大変でしたが、自己表現が出来ないというストレスはなかったです。スタッフは僕のために動いてくれていましたし、そこで一つ満たされたというのもあって、映画を撮り終えて、もう少しだけ相手の気持ちを考えられるようになった気はします。

「星ヶ丘ワンダーランド」撮影現場にて主演の中村倫也さんと

通っていた学校はあなたにとってどんな場所でしたか?

アメリカのミネソタ州という田舎に幼稚園の年長から3年間いたんですけど、僕の両親が変わっていて、その頃僕はまだ日本語でさえあまり話せなかったのに、いきなり現地の学校に入れられたんです。クラスの最初に先生が皆に名前を聞いて、何を言ってるか分からないからニコニコしていたら、地下にある特別学級に連れて行かれて、結局、僕は半年間そのクラスで授業を受けることになりました。教室には上の方にテレビが設置されていて、「忍者タートルズ」のアニメが永遠にループで流れていたんです。すごく暇だったので、忍者タートルズのイラストを描いたら、隣の席の子や皆がすごい興奮して、喜んでくれて仲良くなって、それで絵ってすごいなって思うようになりました。半年後、僕は上に上がれたんですけど、地下から誰かがやってくるってクラスがざわついたのを覚えてます(笑)。そこでも僕は絵を描いて友達が出来ました。あそこまで毎日絵を真剣に描いたのはあの時くらいですね。

活動の中で学んだことのうち、学校教育では教えられなかった大事なことはありますか?

模倣すること。そして、数学は大事なんだと思いました。CMの話で言うと、毎回違う課題を与えられて、アイデアが全く出ない時も仕事だから回していかないといけないし、毎回ホームランとまで行かなくても、ヒットは打たないといけない。そうなると皆、自分にしか解らない公式みたいなのを作るようになると思うんです。僕も自然とそういうのを作っていて、アイデアに困った時でも、とりあえずその公式にはめて、ある程度のものが出来たら、それをベースに考えるみたいな。それって頭使わずに公式に乗せて、その後で頭使うというか、頭使う容量を上手くごまかしているというか、すごく数学に近いなって思って。映画も同じで、面白い物語を本当に0から作るって、出来ないですよね。ギリシャ神話のオイディプス王やローマの演劇の時代から脈々とある財産の上に乗っかって、残っている普遍的なものをもらって公式に当てはめて、出来たものを客観的に見て、自分なりに変えるみたいな。アートで模倣でないものはないし、模倣ではなく、受け継いだものを使ってアレンジしていくべきなんだと、仕事をするようになってからすごく感じていました。学校で教えていたのかもしれないけど、美大に在学中はあまり学校に行ってなかったので、その辺は実体験で分かるようになりましたね。

大学を出た後、作家活動はどのくらいの間されたんですか?

作家活動はほとんどしてないです。大学在学中の2004年に村上隆さん主催のアートコンペ「GEISAI#3」で銀賞をとって、村上さんのところに少しだけお世話になったのですが、僕に作家活動は難しいとすぐに見切りをつけて、動画の世界に行きました。卒業後、CMの監督になりたくて就職したのですが、僕は制作部採用だったので、そこでは監督になれないということが分かって1年半くらいで辞めました。その頃演出部採用というのが中々どこにもなかったのですが、今の事務所が若い監督志望の人を育成するという募集をしていたので、試験を受けてこちらに来ました。

「GEISAI#3」銀賞受賞作品

転職してみて良かったなと思いましたか?

夢を追って、やりたいことをやれているので、精神的には転職して良かったと思います。でも会社員ではなく、フリーとしての契約なので、僕に仕事がなければギャラは入ってこない。最初の1年目は年収20万とかで辛かったですが、そこでハングリーにならなきゃいけないと思ってやってました。フリーは後ろ盾がないから大変ですけど、夢に向かっていたので気持ち的には晴れやかでしたね。

一人前になったと実感した出来事は何かありますか?

既存の素材を使って編集してビデオコンテを作るというエディターみたいな仕事があるのですが、ある時、東京工芸大学の映像学科の新入生募集のためのムービーを作るという仕事を受けたことがありました。その時に、クライアントから用意された素材を使って作るもの以外に、お金はいらないので自分で撮影して自分で考えたものも作るので、どちらか良い方を選んでほしいと頼んで、作ったんです。結果、僕が撮影して作った方が選ばれて、それが世に出た時は初めて仕事したという実感がありました。

仕事が安定するようになったのはいつ頃ですか?

CM監督としてサイクルが回るようになったのは、GoogleのCMをやってからです。最初のGoogleの仕事はウエブムービーだったんですけど、その評判が良かったので、CMにしようという話になりました。Chromeというブラウザ(インターネット閲覧ソフト)のCMだったのですが、僕の方から撮影と兼ねてイベントも一緒にしないかと提案して、美大生など集めてお絵描き大会みたいのをしました。そこで皆が描いた絵を一つずつスキャンしてプロジェクターに投影して、タブに一枚、一枚貼ってばぁ〜っと消すと皆が描いた絵がアニメになるという内容だったんですが、GoogleがCMを打ったというのも話題になって、それに乗じてあれは誰が撮ったという感じで、そこから回りだしました。

憧れの人や尊敬している人は誰ですか?

父は結構尊敬してます。元々はIBMでハードディスクを作っていたんですけど、最終的には家具職人になったという少し変わった人です。

好きな絵、歌や映画、本などで一番影響を受けたものは?

絵は伊藤若冲がすごく好きです。映画はたくさんありますが、押井守監督の「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」ですね。「インセプション」の元ネタになったと言われていて、すごく面白い作品です。

柳沢監督の初長編作品となる「星ガ丘ワンダーランド」は家族がテーマになっていますが、なぜ最初の作品のテーマに家族を選んだのですか?また、オリジナル脚本を書いてみて、苦労した点や気付いたことなどありましたか?

元々、僕が最初に書いた脚本は全く別の殺人事件の話だったのですが、プロデューサーの前田浩子さんからファンタジーっぽい、家族をテーマにした作品を作りたいという話があり、共同脚本というかたちで本作のコンセプトを作り上げました。“終わってしまった家族”を描きたいというのがあり、そこからスタートして、僕はビジュアル的なアイデアをどんどん出して、彼女がそれに対して話を作るというやり取りで進めていきました。物語を語るための感情を描いていくところは、すごく大変だなというのは感じましたね。それは僕が今まではCMという分野でメインに活動してきて、15秒とか30秒の短い間で見ている人に100%伝える表現を探すこと対して、映画は先を予感させて、物語を紡いでどんどん興味を持たせていかないといけない。その辺の違いのチューニングがすごく大変でした。

家族を取り扱う作品でも、内容は色々ありますが、「星ガ丘ワンダーランド」を通して最も伝えたかったことは何ですか?

色々あるんですけど、僕は自分の身近な誰かが突然いなくなってしまう事がとても怖いんです。その恐怖感から一歩抜け出たいという気持ちがありました。突然いなくなった母を待ち続ける主人公を通して、最終的には自立しそうな、子離れと親離れのような、ある種の通過儀礼を描こうと思いました。

初の長編映画を撮り終えて、学んだことを教えて下さい。

協調性を大事にすることです。CMは長くても3日とかで終わるし、映画に比べると予算があるので、少しくらい無茶を言っても皆さん仕事と割り切ってくれるんですけど、映画はスタッフの気持ちが途絶えてしまうと難しいんで、その辺りの気配りを心がけることが大切なんだと学びました。

社会で起こっていることで、気になることは何ですか?

放射能についてですかね。たまたまかもしれないですけど、ここ一年くらいの間に僕の周りの人達が8人くらい突然亡くなってしまったんです。これって放射能が全く関係ないと言い切れるのだろうかと思うし、関係あろうが、なかろうが、ああいう事実があることに対して曖昧なことがすごくリアルだなって思って。映画でそれを描くとしたら、過剰反応するように描くと思うんですけど、現実ってこういう生温くてなあなあでやっていくんだと。それがリアルで怖いですね。

自分のやっていることで、日本や世界が変えれるとしたら、どんなところだと思いますか?

考えたとしても誰も面倒くさがってやらない案件というのは、たくさんあって、例えば資生堂の「High School Girl? メーク女子高生のヒミツ」も、8時間かけてメイクして、1カット撮って逆再生させるって、思いついても誰もやらないと思うんです。8人もの人を8時間動かさずにああやってさせるのって、東京からハワイに行くまで動くなと言ってるようなもので、思いついても多分やらない人の方が多いと思う。でも僕はそれをやるってことですね。辛いけど、その先に何か見た事がないものがあるんだったらやるっていうのは、お金があろうがなかろうが関係ないですし、そこはフラットに面白い作品が出来る土壌な気がします。

3年後、5年後、10年後の自分はどうなっていると思いますか?そして、どうしたらそれになれますか?

映画はまた撮りたいと思っていて、それが商業的な映画なのか、完全に自主で全部自分でやってるのかは分からないですけど、多分自主でやっていて、映画には関わってると思います。ちょうど10年前にこの事務所に入って、その時と比べると今いる位置は変わったけど、やっていることは変わらないので、この先も自分の頭の中にあるやりたいことを一つ一つ映像化していくだけです。

星ヶ丘ワンダーランド オフィシャルInfo