ON COME UP
#45 | Dec 10, 2019

世界選手権で、18年ぶりに50m自由形ファイナリストとなった日本人トップスイマー。勝負の世界を生き抜いて、東京五輪でメダル獲得へ

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

未来に向かって躍動する人たちをインタビューする“ON COME UP”。第46回目のゲストは、競泳日本代表の塩浦慎理さん。塩浦さんは現在、50m自由形の日本記録保持者です。2歳で水泳に出会い、幼い頃からスイミングスクールで誰よりも速く泳ぐスイマーとして注目された塩浦さんは、ジュニアオリンピックに出場し、高校生として初めて50秒を切る49秒85(当時の高校日本記録)という快挙を成し遂げ優勝します。しかしその後は、怪我に苦しみ、辛い時期も経験しますが、2013年にバルセロナで行われた世界水泳では、男子4×100mメドレーリレーで銅メダルを獲得するなど活躍、2016年にはリオオリンピック出場を果たしました。そして、2019年4月に行われた第95回日本選手権水泳競技大会では、自由形50メートルで、21秒67という日本新記録を更新。また、7月に韓国で行われた世界水泳選手権大会では、50m自由形で、日本人としては18年ぶりにファイナリストになりました。現在は、来年に迫った東京オリンピック出場に向けて、日々鍛錬を続けています。そんな塩浦さんに、幼い頃のことから、学生時代のことや日本代表としての選手生活、挫折やチャンスと成功について、そしてこれからの夢をお聞きしました。
PROFILE

水泳選手塩浦慎理 / Shinri Shioura

イトマン東進所属。 1991年11月26日生まれ、神奈川県出身。 身長188cm、体重88kg。 2歳の時に水泳をはじめ、中学時代にテレビで観たアテネ五輪をきっかけに世界の舞台へ希望を膨らませる。 高校2年の時に世界ジュニア選手権で代表入り、高校3年のインターハイでは2冠を達成。 その後中央大学へ進学し、2011年ユニバーシアード大会の代表入りを果たす。 2013年世界選手権では400mメドレーリレーで銅メダルを獲得。 2014年日本選手権で50m自由形で日本人初となる21秒台への突入を果たすなど第一人者としての実力を積み重ね、 2016年リオ五輪代表の座を手にした。2019年日本選手権では50m自由形の日本記録を更新し、4大会連続で世界水泳の日本代表入り。同年7月の世界水泳では日本人では18年振りに50m自由形で決勝進出を成し遂げている。

塩浦慎理(イトマン東進)

神奈川県伊勢原市で生まれ育ったそうですが、幼い頃はどんな子供でしたか?

けっこう活発でスポーツが好きだったので、あまり親の言うことを聞かないやんちゃな子だったと思います。小学6年生まではサッカーをやっていました。僕は3人兄弟の真ん中で、2つ上の兄と3つ下の弟がいます。兄は典型的な長男という感じですごく優しくて、弟は昔から明るくておちゃらけていました。小さい頃は兄弟喧嘩もしましたけど、兄が高校に行った頃からはもうしなくなりましたね。

ご両親にはどのような育てられ方をしましたか?

スポーツでもなんでも、やりたいことはやらせてくれました。特に親から強制的にやらされていたものはなかったですが、僕がアホだったので(笑)、よく叱られていましたね。言うことを聞かないから、親に怒られる回数は兄弟に比べて多かった気がします。

水泳を始めた頃のお話を聞かせてください。

兄が近くのスイミングスクールに通っていたので、僕が2歳の時から一緒に通い始めました。父親がサッカーをやっていた影響で、水泳と並行して小学校6年生まではサッカーもやっていました。

そこからどうやって水泳一筋になっていったんですか?

水泳とサッカー2つを続けるのは無理だと思ったから、最初、僕は中学に上がったらサッカーだけにしようと思っていたんですよ。でも、たまたま水泳の全国大会でメダルを獲って結果が出始めていたのもあって、当時のスイミングのコーチが結構うまくのせてくれて、結果水泳をやることになったんです。

お話を伺うと、始めた時からずば抜けて水泳の能力が高かったみたいですね。

スイミングスクールでは一番速かったし、小学4年生の時に県大会で優勝して、そこからはずっと全国大会も出ていたんで速かったと思います。でも、中学には水泳部がなかったので、陸上部に所属しました。さすがに陸上で大会には出ませんでしたけど。中学1年生の時に初めて全国大会で優勝した頃からは、イトマンが全国から優秀な選手を10人くらい集めて毎年行う合宿とかにも呼ばれるようになって、水泳一色の生活になっていきました。

小さい頃に憧れていた選手はいますか?

やっぱりサッカーだと中田英寿さん、水泳だともともとイトマンにいた、奥村幸大さんという自由形の選手が憧れでしたね。

中高時代で何か心に残っている経験や、今でも憶えている衝撃的な出来事などはありますか?

中学1年生の時に初めてジュニアオリンピックで優勝したんですけど、その合宿で奥村さんが練習している横で泳がせてもらったことは今でも憶えています。トップ選手に実際に会わせてもらう経験をして、だんだん自分もオリンピックを意識するようになっていった気がします。特に、中学1年生の時に、ちょうどアテネオリンピックが開催されたのも大きかったですね。

当時も毎日練習していたんですか?

週6日は泳ぐ感じでしたね。中学と高校の時は、1日練習は1回だったので、そこまで詰めていたわけでもないんですけど、とは言え、学校が終わったらそのままスイミングに行くし、高校の時は部活だったし、基本的に平日は学校が終わったら練習なので、遊ぶ時間は少なかったです。

ところで、塩浦さんはなぜ自由形なんですか?

一番速い種目なんですね、自由形って。僕は短距離で50メートルと100メートルをやっているんですけど、50メートルの自由形っていうのは陸上の100メートル走みたいな、競泳の中で一番花形の種目なので、やっぱりそこで勝負したかったっていうのがありますね。

「最速」に憧れるんですか?

そうですね。速いのがかっこいいかなって(笑)。あとは、選手の競技人口も圧倒的に多いし、海外でも評価されるし、やっぱりとにかくかっこいいなっていうのがありますね。

自由形でいくと決めたのはいつですか?

子供の頃からずっと自由形をやっていたんですけど、中学生の時にアテネオリンピックを見て、僕も行きたいと思った時に、やっぱり自由形で出たいなと思いました。

競泳には様々な種目がありますが、種目ごとに向き、不向きみたいなのはあるんですか?

あると思います。日本は北島康介さんがいたから自由形ではない種目も盛り上がるようになって、今も強い選手が多いんですけど、海外だと基本的には体格の大きい選手はみんな自由形をやるんですよね、体が大きい方が速いんで。海外は、基本は自由形の選手を目指して、残りの人たちが別の種目に行くようなイメージがあります。

他の種目と違って、まだ日本は自由形で金メダルを獲ってないのには何か原因があるんですか?

結構シンプルなんですけど、外国人って元々体も大きいし、力も強いけど、かなり徹底的に研究してトレーニングしてるんです。なのに、「外国人は元々速いじゃん、自分たちは日本人だからしょうがないよね」って思ってる人が多いんですよ。僕たちは体の大きさは限界があるけど、テクニックはもっと詰められる部分もあると思うし、そういうマインドから変えていかないといけないと思いますね。

塩浦さんは、今年の7月に行われた世界大会の決勝まで残った時、体格も泳ぎも海外に引けを取らなかったですね。

まずは決勝に残れて凄く嬉しいし、ずっと一緒に練習してきた選手も何人かいて、ようやくそこに並べたかなというのはありました。

予選から決勝まで行くのって疲れないですか?

疲れます(笑)。

タイムを見ていたら、決勝に行くにつれて記録が少し遅くなっていったので、これって疲れちゃうからなのかなって思って。

あとは、ちょっとした力みも記録に影響してしまいますね。前日に予選と準決勝があって、その翌日に決勝だったんですけど、大会自体は8日間くらいあるので少し疲労感もありました。だからもう少し余力を持って予選とかを通過できるようになると、さらに決勝で勝負というのが見えてくる。世界大会での僕は、95%とかほぼ全力に近い力でいってるんですね。国内大会は調整しながら決勝でタイムを狙うことができるんですけど、国際大会は人数も種目も多いので、大会ごとに疲労感は全然違いますね。

今まで水泳を辞めようと思ったことはあります?

2004年にオリンピックに行きたいと思った時、2012年の(ロンドン)オリンピックに出場しようと考えていました。その前年に日本記録を出していていたので、普通に泳げばおそらく代表に入れるだろうというタイミングだったんですけど、その前に骨折してしまって。その時にオリンピックに行けないならもう辞めようかなって落ち込みましたね。

一度水泳から離れたんですか?

正直もうやる気はなくて、半年後の4月にオリンピックの選考会、8月にオリンピックがあったんですけど、その間半年くらいはずっと、「どうせ辞めるし」みたいな感じで練習に行ってました。

それがまたなぜ完全に復帰したのですか?

オリンピックに行ったか行かなかったかって、死ぬ時に後悔しそうだなって思って。あとは周りの人が応援してくれるのが大きかったですね。最初はうっとおしいなって思ってたんですけど(笑)、やっぱり応援してくれる人がいるっていうのはすごくありがたくて。もちろん一番は自分の為ですけど、応援してくれる人たちの為にももうちょっと頑張ってもいいんじゃないかなっていうのは思いましたね。

それで半年後にはやろうと気持ちに切り替わったんですね。

はい、それまで日本記録を持っていたんですけど、9月の学生選手権でそれを破られちゃったんですよ。その時にやっぱり悔しいなって思ったから、だったらやっぱりやった方がいいかなって。

まもなく東京五輪ですが、塩浦さんにとってオリンピックとはどういう存在ですか?

自分の現役時代のピークが来るような年齢で、東京でオリンピックが開催されるというのは凄く幸せなことです。僕にとってオリンピックは子供の頃から特別な舞台だったし、一回出てみてやっぱり特別な大会だと思いました。今は本当に全てをかけて東京オリンピックに臨みたいし、今度は出るだけじゃなくて、メダルを獲りたいって思うんですよね。

スイマーとして、大切にしている言葉とか、座右の銘はありますか?

座右の銘は、「学ぶ心さえあれば万物全てこれわが師である(松下幸之助)」。素直な心を持って何事も聞き入れなさい、そうすれば何でも学びに繋がりますよという意味なんですけど、どこに競技や人生にとってプラスに繋がることがあるのかわからないので、なるべくいろんな経験をしたり、アドバイスとかはちゃんと聞いて大切にしようかなと思ってます。

憧れている人や尊敬する人は誰ですか?

尊敬する人は、恩師やコーチもそうですが、北島康介さんは別格でしたね。あの人はすげぇなと思いますね。子供の頃から見ていたからというのもあるけど、今会っても緊張しますね。

他に、塩浦さんの価値観とかに変化や気づきを与えてくれた人との出逢いはありましたか?

その時々で、指導者であったり、水泳選手であったり、高校生の時の恩師であったり。お世話になっているコーチはもう10年になりますけど、いつも凄く素敵なアドバイスをくれます。あとは北島康介さんと実際に会って、一緒にリレーを組むことも一度だけあったんですけど、一緒に泳がせてもらったのも僕の中ですごい大きな体験だったし、その時々でいろんな人にタイミング良く出会えてる気がします。

北島さんから得た一番大きなものってなんですか?

やっぱり競技に向かっていく姿勢や気持ちの強さというか、勝つ人間の持つ雰囲気のようなものというか。言葉にはしづらいんですけど、勝つ人間だけが持っている空気みたいなものが北島さんにはあると思うんです。オリンピックで金メダルを獲るってただ事じゃないと思ってましたし、その辺はいろんなスイマーに会いましたけど、やっぱりあの人は特別な存在だなと。

一気に視界が開けた瞬間や、自分が成長したと実感できる出来事があれば教えてください。

僕が高校に入った時くらいですかね。高校は湘南工科大学附属高校っていう日本で一番水泳が強い学校に行ってたんですけど、コーチが元オリンピック選手だったんです。オリンピックに行ったことのある人に教わりたいと思って、スイミングに行かずに部活に入りました。

スイミングスクールではなく、高校の部活に入ったんですね。

高校生はスイミングスクールで練習するのが基本ですけど、僕は小さい頃から圧倒的に一番速かったんで、スイミングスクールでやるには限界を感じてたというか。 中学生の時には、もう少しステップアップしていかないとこれ以上の成長はないかなと思っていました。あの時、とてもいい選択をしたと思います。

そのコーチからは何を一番学びました?

トレーニングの内容とかはもちろんですけど、勝負に持っていく気持ちの作り方とか、さっきの北島さんの話みたいに、勝負感ですよね。あとは闘っていく上での心構えだとか、どういう風にやっていったら日本代表になって、日本選手権ではどう闘ったらいいかとか、そういうのを実際の経験者から聞くのはすごい大きかったです。

ところで、塩浦さんがいつも大会でプールサイドに登場する時って一人だけ凄くゆっくりな気がするんですけど、そんなことはないですか?

ちょっとゆっくりめに歩いてます。少しゆっくり歩いていって、自分のレースにしたいんですよね。タイミングがどうこうとかはないですけど、自分のタイミングでレースしたいし、自分の空間にしたいです。

今日本で一番速いですが、それってどんな気持ちですか?

一番速くなりたくてこの種目をやっていて、本当に一番速くなって、まあやっぱり嬉しいですよね。

プレッシャーもあります?

そんなにないです。やっぱり僕は僕にしかできないことをしていると思っているので、今後もオリンピックでメダルを目指していくし、体の大きさとかにすごく恵まれているので、僕がやってできないんだったら、多分他の人も無理だろうくらいの気持ちでいるので。

タイムだけで全てが決まる種目で、ずっと勝負の世界にいて、メンタル面を維持するのは大変だと思いますが、何かいつも気をつけていることはありますか?

一喜一憂しすぎないことですかね。日本選手権は4月だし、試合の日程はもう決まっていて、それまでに調子が良いとか悪いとかの波もあるんですけど、悪い時に気にしすぎないというか。練習でも、今日はタイム遅いなとかいう日もあるけど、それを気にしすぎてもしょうがないんで、来年8月まで見た時に上がっていけば問題ないくらいの気持ちでいます。

そういう考えになったのは、経験からですか?

高校の時から、ベストレースっていうのは生涯で何回もないから、80%の力で勝てる実力をつけておきなさいと言われてきたので、そういうのはすごく意識してますね。人生で100%のレースってなかなかそんなにできないんですよ。なので、僕の考えとしては80%くらいで日本選手権を通過できる実力が必要だと思ってます。

今までの塩浦さんのベストレースは何ですか?

一番気分が良かったのは、高校生の時に100メートルで50秒を切ろうと思っていて、それを達成できた時です。あとはやっぱり北島さんとレースを組んだ時。世界選手権でメダルを獲ったんですけど、そのレースは凄く覚えてますね。めちゃめちゃ緊張しましたけど、あれは本当に幸せな経験でしたね。

トップアスリートを続けていく上で、一番しんどいことは?

やっぱりトレーニングですかね。生活全てが水泳中心に動いていますが、それを苦と思うことは別にないです。

今は1日中水泳のことが頭にある感じですか?

いや、僕はそんなに。例えばコーヒーを飲んだり、音楽を聴いたり、スイッチの切り替えがうまくできてると思うんで、ストレスを感じることはあまりないんです。もちろん水泳って僕の中ですごく大きなことなんですけど、長い人生で考えたら、その一部だと思うんで、他のことも楽しめたらと思います。

好きな映画や、写真、音楽などから影響を受けているものはありますか?

映画はよく観るんですけど、何回も繰り返して観るというのはないですかね。最近はちょっと現代アートに興味があって、暇な時にギャラリーに行ったりするんです。六本木ヒルズの近くにあるギャラリーがいくつか入っている所とか、両国とか清澄白河のあたりとか。 あとはコーヒー。相変わらず好きで自分で淹れてます。

最近のコーヒーのマイブームは何かありますか?

特にないんですけど、淹れる技術はかなり安定して向上してきたと思います。新しいお店は最近は開拓できてないですけど、お気に入りの店にはちょくちょく行ってます。練習場所の近くは、自家焙煎のお店とかはあるけど、結構深煎りで、スペシャルティっていうわけでもないので、聖蹟桜ヶ丘の「tak beans(タックビーンズ)」によく行きます。

これから挑戦してみたいことはありますか?

僕の中ではやっぱりオリンピックが一番プライオリティが高いんで、とにかく水泳を頑張りたいんですけど、それ以外ではコーヒー豆の焙煎はしてみたいなとは思っています(笑)。こうやってずっと趣味を発信し続けていくと、今はSNSを見ている人が多いから、この間は笹塚の「dear all(ディア・オール)」の店主がデンマークに行った時に、デンマークのあるコーヒー屋さんに「君のお店にオリンピック選手が来てるでしょ」って言われたらしくて。やっぱり好きなものを発信しているといろんな繋がりが出てきますね。

では、社会で起こっていることで気になっていることはありますか?

天皇が変わって即位された時の儀式をテレビで見ていて、普段はそんなに考えてこなかったけど、平安時代の衣装とかを見ていると、日本て素敵だなって、歴史がずっと繋がっているっていうのは凄いことなんだなって感動しましたね。

ご自身がやられていることで、日本や世界を変えられるとしたら、それはどんなことだと思いますか?

まずは僕が頑張って自由形で穴をこじ開けていったら、今の僕たちを見て育っていく子供達の中から、10年後くらいにもしかしたら自由形の凄い強い選手が出てくるかもしれない。そういうことを考えると、僕たちの役割ってすごく大きいと思います。北島さんは世界中にあの人の泳ぎ方をコピーされるくらい影響力があったんですけど、そのあと、日本でも平泳ぎをやる子供がたくさん出てきて、今もうすでにレベルが高くなりました。自由形もそういう風になっていくといいなって。僕が子供の頃は、あまり活躍する選手がいなくて子供ながらに寂しかったので、子供たちにはそういう想いはして欲しくないなっていうのはあります。

塩浦さんにとってチャンスとは?

今僕に与えられているものは、全ていろんな幸運が重なって出来た環境だと思っているので、そういうものに全部感謝しつつ、無駄にしないように、全て掴みとろうという気持ちで生きてます。去年病気した時も、ああいうのが全てチャンスになっていて、僕の身に起こることは全部意味があることなのかなって思って。それをチャンスだと思うか思わないかっていうのは自分次第で、なるべく前向きに生きていたいなというのはあります。何が起きても、プラスの方向に持っていければ、それがチャンスだと思います 。

以前病気になって、しばらく泳げなかった時は、それをどういう風にチャンスだと、ポジティブに持っていったんですか?

時間がめちゃくちゃあったんで、水泳に対しても人生に対しても、考える時間がすごく多かったんですよ。飛行機で遠征に行く時とかって僕は結構好きで、12時間飛行機に乗ってる間も色々考えるんですけど、入院中はとにかく時間がすごくあって、水泳のことを考えていたら、やっぱり「水泳好きだな、泳ぎたいな」っていう思いが湧いてきたんです。その頃、正直そこまで前向きに取り組むってなかったんですけど、今はそういうこともあって水泳は好きだと思うし、結果的に泳ぎたいっていう気持ちが出てきたのが一番良かったなと思います。これだけ続けてそう思えるのは幸運ですよね。

それでは、塩浦さんにとって成功とはなんですか?

タイムとか結果もそうなんですけど、何か大きいプラスな影響を与えられたらいいし、それは結局自由形が発展していくことに繋がると思います。メダルを獲ったらもちろんそれは一つの成功だと思うんですけど、やっぱりポジティブな影響を周りの人間に与えられるということはなかなかできることではないと思うんで、僕はそれが成功だと思いますね。

3年後、5年後、10年後の自分はどうなっていると思いますか?

競技をもし続けていたら、5年後の2024年くらいまで続けているかもしれないですけど、そうなったらやっぱりメダルを獲れる選手になっていたいし、もし来年で辞めていたら、何してるんですかね。まだ全然想像がつかなくて。やり切ったと思えたら、水泳は多分もうやらないと思うんですよ。だけどもっと速くなれそうな気がするんですよね。そう思える限りは競技を続けてもいいのかなと思うし、そこまで来ると、オリンピック以外はそんなに僕の中で心が燃えるような大会にはならないと思うんで、やるなら2024年になると思うんですけど、わからないですね。来年終わってみないと。

じゃあ10年後は?

コーヒーでも焼いてんのかな。もしくはアフリカに移住してるかも(笑)。でもイトマンのナガセという会社の社員なんで、引退したら働くことになると思うんですけど、まだ想像がつかないですね。この間甥っ子が生まれたんですよ。そういう家庭を持つっていうのも、ちょっといいなと思いましたけどね。兄には二人の子供、甥っ子と姪っ子がいるんで、そういうのもいいのかなと思うけど。とは言え、全く想像がつかないです。

10年後は結婚してる可能性は高いですよね。

子供もいるかな~って、もしかしたら。

でも、アフリカのコーヒー農園にいるかもしれないですしね。

はい、でもそうなったらなかなか普通の人とは結婚できないと思うんですよね(笑)。やりたいことだけやっていっていいのかなっていうのもあるし。まあ競技をやってる間は難しいと思います。

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