ON COME UP
#46 | Feb 11, 2020

自身の持つ二面性を異なる角度から捉えた4曲入りEPを2作同時リリース。早咲きのアーティストが逆算する人生計画と抱える孤独

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

未来に向かって躍動する人たちをインタビューする“ON COME UP”。第47回目のゲストは、アーティストのちゃんみなさん。日本人の父と韓国人の母を持ち、韓国で生まれたちゃんみなさんは、1歳半の時に歌手になることを決意し、ピアノとバレエを習い始めます。3歳頃より韓国、アメリカ、日本の都市を転々とし、7歳から日本での生活をスタート。音楽に集中しようと芸能系の学校に通っていた高校生の時、「BAZOOKA!! 高校生RAP選手権」に出場したことが大きな転機となりました。2016 年 にデビューシングル「未成年」を配信し、2017年2月に「FXXKER」でメジャーデビュー。「LADY」、「CHOCOLATE」は、iTunes HIP HOP / RAPチャート1位、LINE MUSICでも1位を獲得し、「CHOCOLATE」はYouTubeでのMVの再生回数が1,000万回を突破。また2019年8月に発売した2ndフルアルバム「Never Grow Up」がロングヒットし、国内外問わず同年代から圧倒的な支持を受ける。近年は、2年連続でROCK IN JAPAN、3年連続でSUMMER SONICへの出演を果たすなど、注目度もますます高まりを見せています。今後、海外での活躍を視野に入れたグローバルな動きが大きく期待されるちゃんみなさんに、幼い頃のことや、高校時代に出場したラップ選手権のこと、2月19日に発売される2枚組EP『note-book -Me.-』、『note-book -u.-』についてや、チャンスと成功について、そして将来の展望を伺いました。
PROFILE

ラッパー/シンガーちゃんみな/CHANMINA

日本語、韓国語、英語を巧みに操るトリリンガルラッパー/シンガー。作曲のみならず、トラック制作、ダンスの振り付けなど全てをセルフ・プロデュースで行い、2017年2月にメジャー・デビュー。2019年8月、2ndフルアルバム『Never Grow Up』を発売すると、LINE MUSICのアルバムランキングでデイリー、ウィークリーともに1位を獲得。同年12月の自身初のホールツアーでは一般発売後即ソールドアウト。国内外問わず、同年代から圧倒的な支持を受ける、今最も注目すべき若手アーティストの一人である。

ちゃんみな

幼い頃はどんな子供でしたか?

全然覚えてないですけど、 出産予定日の9月26日は未熟すぎたので、もうしばらくお腹の中で育てようってことになったらしく、お母さんが頑張って凄く栄養を摂っていたら、10月14日に生まれた時には髪の毛も爪も長かったって聞いています。ギャルが生まれてきたっていう。普通の一般家庭でしたよ。一人っ子です。

ご両親にはどんな育てられ方をしましたか?

厳しかったと思います。1歳半くらいの時に母親に「歌手になりたい」って言ったら、ピアノとバレエを習わせてくれました。バレエを習ったのは、歌手になるためというより、お母さんがバレリーナだったからだったので、何でバレエなんだろうって感じでしたね。ピアノもそうです。でも音楽は楽しくて、クラシックを聴くのも好きでした。

幼少期。ピアノの発表会

韓国で生まれ、3歳頃からは世界各国に住まれてきたんですね。

家族の事情でサンフランシスコに住んだり、韓国に住んだり、日本に住んだりしてました。7歳くらいの時から日本で学校に通い始めました。

小学校時代の得意な科目とかって覚えてます?

なかったですね。低学年の時は日本語を覚えるのに必死で、学校はそんなに楽しくなかったです。普通の日本の小学校だったんで、日本語がわからない人用のクラスがあったわけではないし、授業を聞くのは大変でした。歌は個人的には歌ってましたが、レッスンとかは受けさせてもらえなかったです。

その頃好きだったアーティストは?

小学校低学年の時は、チャイコフスキーとかを聴くのが好きで、クラシックを聴いてました。でもビッグバンを知ってからは、アヴリル・ラヴィーンやレディ・ガガ、ニッケルバックとかも聴いてました。 Kポップは、特に2008年から11年あたりはすごく聴いてました。

中学校時代はどんな感じでした?

結構やんちゃしてました。学校はそこそこ通ってたくらい。

中学校時代で印象に残ってる出来事とかありますか?

何もないですね。中学校時代は言えないことの方が多いです。でも、やんちゃしてたのをやめたかったので、高校は真面目にやろうと少し離れた渋谷にある学校に通って、携帯番号とか連絡先を変えて、当時周りにいた人たちとの関係を絶ったんですよ。

心変わりしたきっかけはあったんですか?

やんちゃし始めた中学校1年生の頃、お母さんに怒られた時に、3年間だけだからって約束をしてたんです。もともと自分の中でやめるつもりだったし、集中して音楽も真剣にやりたかったので、環境を変えたいと思って、渋谷の芸能学校に通いました。何をやりたいかわからなくてとりあえず通ってる子が多かったけど、逆に自分のことに集中できました。そういう環境の中でちゃんとやってる子たちとは仲良かったです。

高校時代はどんなアーティストを聴いたりしてました?

高校になってからは、聴くより作る方が多かったですね。中学校の時は、歌詞を書いたり、ちょっとメロディを歌ったりとか、ピアノを弾いたりとかしていたけど、作ることはなかったですね。

高校生の頃。制作風景

1歳半の時にアーティストになりたいって言った時からずっとプロになろうと思っていたのですか?

高校生までにメジャーデビューしようと思ってました。

メジャーデビューする為に他に何かアクションは起こしましたか?

「BAZOOKA!! 高校生RAP選手権」に出ました。私の場合、メジャーデビューがゴールじゃないんですよ。こういうアーティストになって、こういう所でライブをして、最終的には自分がプロデュースした楽曲を若い子達に渡して育てたいっていうのがあって、それは私の中での40代なんですけど、そこから逆算していって、このくらいの時にデビューしたいなっていうのがあって。小学校、中学校の時は勉強しなかったし、時間はいくらでもあったんで、そういうことを考えて時間を費やしてました。

逆算してその時に必要なことをしていたんですね。

その為に私に足りないことを計算していました。練習して自分の実力を培う時間はたくさんあったんですけど、ジャッジされる機会がなかったことに気付いたんです。それで高校2年生の時に「高校生ラップ選手権」を知って、ラップもできるしジャッジされてみようかなって。ラッパーになる予定は全然なかったけど、オーディションに受かったんで、めちゃくちゃ怖かったですけど行きました。

出場していかがでしたか?

やっぱり怖かったです。直前まで震えてました。女の子同士の戦いで、そもそもフリースタイルをやるのも初めてだったし、それまで韓国語でずっと歌詞を書いていたので、日本語でラップをするっていう概念がなかったんです。でも、出た後の方が大変でしたね。アーティストになりたかったのに、フリースタイルラップのイメージがついちゃって、どこに行っても「フリースタイルやってよ」って言われて。そこから抜け出すのに時間がかかったと思います。今でも完全に抜けきれているわけではないと思うけど。

そのイメージはどう変えていったんですか?

フリースタイルを一切せずに、楽曲を作って出し続ける。

その後、何かご自身にとって大きなきっかけを与えた出来事はありましたか?

初めてのワンマンライブをしたり、そこからは大きいアクションが常日頃あったので、一つ一つが勝負みたいな感じですね。

それでは人生を大きく変えた出来事といったら、やはり「ラップ選手権」をあげますか。

「ラップ選手権」という戦いに出る覚悟をした自分も、それに飛び込んでしまった自分もそうですけど、その時の自分に拍手を送りたいですね。もう怖くてできないし、二度と戻りたくないです。

では、自分の価値観に変化や気づきを与えた人との出会いや出来事はありますか?

ないです。自分を変えようと思わないですし、相手のことを変えようとも思わないです。

新しく出されるEPについてお聞きします。 今回、『note-book -Me.-』(人間としての素の部分、感情、主観)と、『note-book -u.-』(アーティストとしての部分、理性、客観)という2作を同時に出そうと決めたのは、どういう経緯からですか?

元々、この時期にリリースをする予定はなかったんですが、作品を作りたい欲がどんどん出てきてしまって、私からお願いをしてLAで楽曲制作をさせてもらいました。そして曲にも賞味期限があるので、このタイミングでリリースしたいと説得しました。それともう1つ、作品作りに向き合った時に、 私の中に確実に二人の人格がいるなって気づいたので、そこにフォーカスしたくなったんです。二つとも本音なんだけど、全く別々の人格がいるって思ったので、違う視点から見た私の中の二面性を2枚に分けて同時に出したくて。

興味深いです。

アーティストとしての自分って一人だから一緒なはずなのに、なんか違うんですよ。それぞれの作品の傾向としては、どのタイミングかわからないけど、人のために動いてる時はわりとユーの時で、自分のために思考が働いている時がミーっていう感じはありますね。そして、ミーの方が希望的で、ユーの方が絶望的。でもどっちも自分なんで、グラデーションになってるなっていうのと、似て非なるっていうか、一緒なんだけど違うねっていうのがあります。今回の作品は音感とか含めて満足しています。

先ほど、“曲に賞味期限がある”とおっしゃいましたが、具体的にどういうことでしょう?

私の場合は自分の経験談をもとにして曲を作っているので、気持ちが続かない時があるんですよね。例えば、2年前に『note-book -Me.-』という作品を作って、ようやく今出しますってなったとして、「病んでたんですよね?」って言われても、その時の感覚は思い出せないんですよ。それに音楽的にも、私のジャンルってすごく最先端な音を使っているので、結構移り変わりが激しくて。気持ちの面でも、ライブも同じですけど、フレッシュな状態でみんなに届けた方が真心が伝わるし、技術とかでは補えない何かがそのまま出る感覚があるので、あんまり時間をかけて作った作品で良かったと思ったことはないです。

作品が完成すると、それまでに抱えていた寂しさや苦しみっていうのは多少は解放されるんですか?

されますね、私の場合は。助けてって思いながら音楽をやってる感覚に近いと思います。

「目の前のことを必死にやっても幸せは来ないと思った」とおっしゃっているインタビューを拝見したのですが、ちゃんみなさんにとって幸せって何ですか?

それが私はまだわからないんですよ。でも、少なくても私がやってる仕事、音楽っていうものは、温かい幸せや、大きな幸せとは直結しないだろうなって思いました。そう思うのには理由があって、私が憧れていた偉大なアーティストたち全員に共通してることが、“不幸そう”に見えるんですよね。負のオーラがめちゃくちゃ出てるんですよ。「アーティストは孤独だ、かっこいい」みたいな名言ってあるじゃないですか、そういうことなんだろうなって。アーティストが孤独なんじゃなくて、孤独な人がアーティストになるんだろうな、みたいな感覚が、私もこのぐらいのレベルながら感じたので、あの人たちの感覚の100分の1はわかった気がして。

いつその感覚を感じたんですか?

夢を追いかけていた頃は、ワンマンライブが終わって、そっと家に帰って、カップラーメン食べて、コナン(名探偵コナン)観てとかやってる今の生活を想像してなかった。「これだけたくさんの人からの歓声を浴びたらめちゃくちゃ幸せだろうな」って思ってた。幼少期から、「お金を持った方がいいよ」とか、「こういう所へ行った方がいいよ」とか、「 こういう風になったらあなたは幸せになれるよ」とかいう幸せの定義を押し付けられることってあるじゃないですか。それを何の疑いもなく信じてたんですけど、いざアーティストになって自分の音楽で食べていけるようになってみると、昔の私からしたらすごく幸せなはずなのに、なぜか孤独がすごく襲ってくるっていう、作品を作っている時にそこのギャップにやられてしまった時がありました。

そういう想いの中完成したEPを、どういう人に聴いてほしいですか?

今回のEPって毎回そうではあるんですけど、リスナーに合わせるのではなく、とにかく自分が納得のいくものやりたいものを作品にしています。なので、聴いてほしいというより押し付けるっていう感覚なので、「出しておくぜ」っていう感じです。

ところで、特に女性にとって恋愛って人生ですごく大きなものだと思うんですけど、ちゃんみなさんが恋愛から得るものってなんですか?

すごい端的な言い方をすると、感情ですよね。一番感情が成長する場面だと思います。感情の筋トレをしてる感じです。 その人と一緒にいてどれだけ幸せであろうが、この幸せって一生続かないのかなとか、同時に悲しみも連れてくるし、変な感情が混ざる傾向があるんで。でも、恋愛してると曲は生まれやすいです。

韓国語、日本語、英語を話しますが、ご自身が最もしっくりくる言語はあります?

今は日本にいるから完全に日本語ですね。実家にいた時は韓国語だったんで、実は2年前くらい前までは韓国語が一番しっくりきてたんですよ。でも一人暮らしを始めて両親と離れたんで、そこから日本語になりました 。スタッフの人たちも全員日本人だし、たまにアメリカに行って英語を使うくらいで、韓国語を使う場面が全然なくなった。今、めちゃくちゃ日本人ですよ。

自分のアイデンティティとしては何人だっていうのはあるんですか?

それがちょっと難しいんですよね。あんまり考えないようにしてますけど、人並みのことをめっちゃ言います。お寿司を食べた時には「日本人でめっちゃ良かった〜」とか、サムギョプサルを食べた時には「韓国人でめっちゃ良かった〜」とか(笑)。っていうことにしてます。

ちゃんみなさんは作詞・作曲もされますが、今回のEPに限らず、常に作品作りで大切にしていることはありますか?

嘘をつかないことです、曲には。

アーティスト以外で、憧れている人、羨ましいと思う人、尊敬する人は誰ですか?

尊敬する人で言うと、同い歳の那須川天心くん。私がデビューした18歳くらいの時は、若すぎて同じ年で表舞台で頑張ってる人があまりいなかったんですよ。でも21歳になって、彼の試合の様子がメディアに出てきて新鮮だったんです。独特な技を使って、一度あった固定概念みたいなものをぶち壊して彼なりのスタイルを貫いて、ものすごく格闘界を盛り上げているところに似てる感覚を感じて。 私と同じで無謀だとかいろんなことを言われてきたと思うけど、試合での彼の目や動きを観て、私も頑張ろうって刺激されましたし、彼の試合はエンターテイメント性がすごいので、特に近いものを感じましたね。それに一発勝負な感じと、自分を信じ切ってるんだけど、ちょっと不安で先が読めない、でもそれが楽しくてみたいな、いろんな感情がごちゃ混ぜになってる感覚が、私がステージに向かう姿勢にすごく近しい感じがして。

今までちゃんみなさんが無謀と言われたのは、何に対して言われることが多かったんですか?

いろんなこと言われましたよ。昔から、歌手になるって言っても、曲作るって言っても、無理だよって。お母さんにも歌が下手だから無理だよって言われていましたし、ダンスの先生にも、「みなちゃんは端っこに行くとみんなをダメにしちゃうし、真ん中でしか通用しない人だけど、真ん中にいる実力はないから今回の発表会には出ないでね」とか。今思えばありがたいと思うけど、結構厳しい先生でした。最近だと、ラッパーなのに歌を歌う人が日本でいなかった時には、私が歌うことに対して「なんで歌うの?」とか言われましたし、韓国とか海外で通用するアーティストになりたいって言うと、「無理無理」って普通に言われますよ。

でも、無理って言われても、じゃあ無理かって終わらせず、前に向かわせるものって何なんですか?

幼少期の自分に申し訳ないっていうか。小さい子って平気で真顔で、「プリンセスになる」とか真剣に言ったりするじゃないですか。「カレーライスになる」なんて言う子もいますし。そのどこから来るのかわからない、本気で自分を信じてる感みたいなのが、私にもずっと長い間あったし、それを叶えることに長い時間費やしてきて、変な自信は今でもあります。あとDNA的に、無理って言われて、無理かって諦めるタイプではないんだと思います。

では、ご自身の作品のスタイルをご自身の言葉で表すと?

“ちゃんみな”だと思います。

好きな映画や写真、アートなどで一番影響を受けたものは?

アートだとミシェル・バスキアとか、キース・ヘリングとかが好きで。あとは、エンターテイメントで言うと、サーカスやミュージカルが好きですね。城田優くんの「ピピン」を観に行ったりとか、そういう系が好きですね。

普段はどのようなライフスタイルを送っていらっしゃいますか?

もうめっちゃ普通ですよ。「名探偵コナン」が好きなんで、帰宅してメイクを落として、コナンを流して携帯をいじって、ぼーっとして、息だけしてます(笑)。

朝は早いですか?

仕事に合わせてですけど、何もなかったらずっと寝てます。夜は公園に行って月を見たりすることとか多いですね。月光浴をします。

これから挑戦してみたいことは?

いっぱいあるんですけど、直近で言うと、今あるタスクをやってからかなとは思ってますけど、韓国語のアルバムを出したいですね。

ちゃんみなさんの理想の女性像とは?

お母さんみたいな人ですかね。厳しいけどめっちゃ優しいみたいな人になりたいです。

自分のやっていることで、日本や世界が変えられるとしたら、どんなことだと思いますか?

私のやりたい音楽を押し付けていって、日本の音楽の幅広さみたいなものを広げられたらなと思ってます。世界の音楽って、アメリカで言うとラテンが流れていって、その後K-POPが流れていってるけど、次はJ-POPが流れていけばなと思ってるんで、その先陣を切れるような人になりたいなと思ってます。階段みたいになっている流れを坂っぽくできたらなと。

ちゃんみなさんにとってチャンスとは?

怖いものだと思います。

では、成功とは何ですか?

文字が具現化したら成功じゃないですか?よくノートに書くんですよ、希望とか夢、願いとか。それが具現化した時。例えば「私は高校生の時にメジャーデビューします」みたいなのをノートに誓うとするじゃないですか。それをデビューしてから見つけた時に、「!」ってなりますよね。テストみたいものがあって、ロングスパンで答え合わせをしていく感じじゃないですかね。

3年後、5年後、10年後の自分はどうなっていると思いますか?また、どうしたらそれになれると思いますか?

3年後は、韓国だったりアメリカ、中国とかいろんな所に行ってパフォーマンスしてると思います。5年後は、ちょいちょいプロデュースをしてるかな。10年後は結婚しててほしい。子供も産みたい。お腹にマッピングとかしてライブしたいですね。

プロデュースしたいっていうのは具体的にもう描いているものがあるんですか?

それはまだないです。私がプロデュースしたい理由は、いつか歌えなくなるってわかってるからなんですよ。いつか歌えなくなるとしても音楽は続けていきたいし、作ることもとっても好きなので、それを若い子達に提供していって、自分の音楽がまだ生きてるっていう満足感がほしいんです。ジャンル的には自分が歌えなくなっても作ることはできるので、勉強して、男女限らず自分に音楽性が近い子達の作品をやりたいなと思ってます。

ちゃんみな Information

New EP 『note-book -Me.-』、『note-book -u.-』

New EP 『note-book -Me.-』、『note-book -u.-』
2020年2月19日(水) 2作同時リリース

EP『note-book -Me.-』
(WPCL-13164 1.300円+税)
  • 01. ボイスメモ No.5
  • 02. ルーシー
  • 03. I cannot go back to you
  • 04. note-book
EP『note-book -u.-』
(WPCL-13165 1.300円+税)
  • 01. In The Flames
  • 02. KING
  • 03. Picky
  • 04. Baby

ゲストアーティストを招いた"『Me』+『u』TOUR "を東京・名古屋・大阪で開催決定!

  • 3/26(木) @Zepp Tokyo ゲスト:SKY-HI
  • 3/29(日) @Zepp Namba ゲスト:ACE COLLECTION
  • 4/2(木) @Zepp Nagoya ゲスト:アバンティーズ

詳細はちゃんみなHPにてチェック!

https://chanmina.com/news/detail/369