ON COME UP
#47 | Apr 14, 2020

アジア人初のワールドバリスタチャンピオンに輝いたコーヒーコンサルタントが、最前線から俯瞰する今ある自分とコーヒーを取り巻く環境

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

未来に向かって躍動する人たちをインタビューする“ON COME UP”。第48回目のゲストは、コーヒーコンサルタントの井崎英典さん。2014年に(当時24歳)、アジア人初のワールドバリスタチャンピオンに輝き、一躍脚光を浴びて以来、日本マクドナルドのコーヒーメニューの監修や、中国で4500店舗を展開して急成長を遂げるコーヒーチェーン店「ラッキンコーヒー」のチーフコーヒーコンサルタントを務めるなど、世界を股にかけて活躍しています。そんな井崎さんがコーヒーの世界に入ったのは、高校中退後に「ハニー珈琲」を営むお父様の元でアルバイトを始めた16歳の頃。ほどなくして飲んだエチオピア産のコーヒーの味わいに驚いたことをきっかけにカッピング(コーヒーの風味や味わいを評価する国際的な方法)に興味を持ち、次第に深くコーヒーにのめり込んでいきます。大検を取得し、法政大学国際文化学部に入学後は、平日学校に通いながら、週末は長野の「丸山珈琲」で修行する学生時代を過ごし、バリスタとしての経験を培いました。そして2012年に史上最年少にてジャパンバリスタチャンピオンシップにて優勝し、2013年にも同大会で2連覇を成し遂げた後、2014年にイタリア・リミニで開催されたワールドバリスタチャンピオンシップで世界チャンピオンに。昨年は株式会社QAHWA(カフア)の代表取締役となり、昨年12月に自身初の著書もダイヤモンド社より出版、テレビ番組で特集を組まれるなどますます注目を集める井崎さんに、幼い頃のことからバリスタになるまでの道のりや、チャンピオンになるまでの苦労、その後の活動や影響を与えられた人との出会いなどを伺いました。
PROFILE

コーヒーコンサルタント井崎英典/Hidenori Izaki

1990年生まれ。福岡県出身。高校中退後、父が経営するコーヒー屋を手伝いながらバリスタに。法政大学国際文化学部への入学を機に、(株)丸山珈琲に入社。2012年に史上最年少にてジャパンバリスタチャンピオンシップにて優勝し、2連覇を成し遂げた後、2014年のワールドバリスタチャンピオンシップにてアジア人初の世界チャンピオンとなる。現在はコンサルタントとしてグローバルに活動を続け、年間200日以上を海外で過ごしつつ、コーヒーエヴァンジェリストとして啓発活動を行なっている。

井崎英典

―小さい頃はどのような子供でしたか?またご両親にどんな育てられ方をしましたか?

特に熱中したものはなかったけど、元気は良かったと思いますね。みんなで普通にワイワイ遊ぶ感じだったと思います。運動神経はめちゃくちゃ良かったです。両親は基本的には何も言わないし怒らない、全てを肯定する親でした。親父は僕が小学校1年生になるくらいまでは学習塾を経営していました。「1+1=2」って教えるよりも、「1+1はなぜ2なのか」って考えさせるタイプでした。

 

—現在「ハニー珈琲」を営まれているお父様は、学習塾をなさっていたのですね。

僕が小学校1年生の頃に、ハニー珈琲を知り合いから譲り受けてコーヒー屋を始めたんです。当時は、学校から家に帰ると両親が休みなく働いていて、ずっとハンドピック(コーヒーの欠点豆を取り除く作業)をしていたのを覚えています。そういうのを見ながら、「何が楽しいんだろう、絶対にコーヒー屋さんにはなりたくないな」って思っていました。

 

―中学生の時はどんな生徒でしたか?

全く勉強しませんでした。スポーツ以外は興味がなかったんだと思います。おそらく、中学校に入ってすぐに喧嘩か何かをしたと思うんですよ。たまたま生活指導の先生がバトミントン部の顧問だったので、「そんなにエネルギーがあるんだったら、バトミントンをやりなさい」と言われてバトミントン部に入りました。県でベスト4くらいまでいったと思います。翌年のジュニアユースの大会で、高校生とかなりいい試合をしたのでその高校から推薦をもらって進学しました。

 

―バトミントンで高校進学したけれど、すぐに中退しちゃったんですよね。

今思えば、とりあえず高校に行ければいいみたいな感じで、全く勉強しなかったんだと思います(笑)。 バトミントンも、インターハイでベスト4とか8とか入るような人たちが揃ってるんで、周りが上手すぎて次第につまらなくなっちゃって。僕みたいな中途半端なやつが勝てるわけないじゃないですか。だからすぐ辞めちゃいました。

 

―中退後はどのような生活をしていたのですか?

いろんなアルバイトをして生活していました。でもそういうことを繰り返していくうちに、これは一生の仕事にはならないと誰でも気づきますよね。そんな中、 親父とその先の人生の話をした時に、「コーヒーをやってみるか?」って言われて、「じゃあちょっとやってみようかな」って思ったんです。最初は生豆を運んだり、掃除や窓ふきしたり、袋のシールを貼ったりとか雑用をしていました。店主の息子だから周りの人たちもみんな応援してくれて、まぁ楽しかったですね。

 

ハニー珈琲で働いていた頃

―徐々にコーヒーに没頭していったのは何がきっかけですか?

16、17歳くらいの時、カッピングでエチオピアのコーヒーを飲んでビックリしたんです。普段からブラジルのカップ・オブ・エクセレンス(生産国で行う最高級の豆の品評会)などの品質の高いコーヒーは家でたくさん飲んでいたんですけど、エチオピアのコーヒーのレモンティーみたいな味にビックリして、そこからコーヒーってフレーバーがあるんだって学び始めて、カッピングを教えてもらったり、頻繁に勉強会に連れて行ってもらったりしたのがきっかけだと思います。

 

―その後大検を受けたのは、やはり大学くらいは行っておこうと思ったんですか?

全然です。最初は大学行くやつってバカだと思ってたんですよ(笑)。僕が一番バカだったっていう話だけど。でもそれは自分が本当にやるべきことから逃げてるだけだって気づいたんですね。今まで一回もまともに勉強したことないなって。当時、円安、円高とか、為替市場がどうなってるとか、コモディティトレードの話とかを大人から聞くんですけど、話の内容がさっぱりわからないことにも恥ずかしいと思い始めていました。本当に自分が変わるためには勉強しなきゃいけないと思い、大検をとりあえず取って、その後は大学に行こうと思いました。

 

―大学入学後は、通学しながら週末だけスペシャルティコーヒー専門店の丸山珈琲で働かれたそうですが、働いてみてそれまでの価値観は変わりました?

すごい変わりましたよ。やっぱり上手くいかないことが多かったですね。かなり順調な方だとは思うんですけど、当時自分が思い描いているコーヒーのキャリアは築けてなかった。自分の理想が高すぎたんだと思う。なんでも上手くできると思っていたけど、そんなわけないじゃないですか。自分が思いもよらないところでたくさん怒られていました。

 

―具体的にどんなことを怒られるんですか?

怒られすぎて具体的に浮かばないくらいです。でも、丸山社長に一番教えてもらったのは、国際人としてのあり方と礼儀礼節ですね。僕が知る限り、社長は世界で一番成功しているカッパー(カッピングで豆を評価するプロのこと)だと思うんですよ。その社長が、世界で最も必要なことは礼儀だとおっしゃる。国際人っていうのは、礼儀礼節を持って、相手に敬意を払って、本当の意味で人間と人間の信頼関係をどこまで作れるかですよね。そういうことはすごく勉強させられたし、今も活きてますね。

 

―丸山社長に出逢えて良かったですね。

社長は素晴らしいですよ。当時の厳しさに比べたら今は丸くなりましたけど、根本は変わってらっしゃらないんじゃないですか。そういう人ってやっぱり大事にしている核の部分ってブレないんですよ。僕も独立して海外で仕事をさせてもらうようになってから、礼儀礼節など、いい意味での日本人らしさは常に意識してます。

 

2009年に丸山珈琲に入ってから世界で優勝するまで数年間かかりましたが、優勝までの道のりで、一番大変だった事は?

自分らしさとは何かを知ることです。要は、誰かにならないってことだと思います。最近の国内大会を見ていても、世界で誰かがすでにやっていることを真似しているだけで、オリジナリティに欠けている人(“個性を発揮しきれていない人”の方がトゲは無くなる)が多いように感じます。無意識のうちに、潜在意識で「こうなりたい」っていう人になろうとしてるんですよ。僕自身も、「自分が最もユニークである」っていうことを胸を張って言えるまでが大変だったかな。

 

2014年のワールド・バリスタ・チャンピオンシップ(World Barista Championship, WBC) に出場し、優勝を手にした 写真提供:(株)丸山珈琲

―どうやってそこを乗り越えたんですか?

いや、強烈な体験をしましたよ。2013年に世界大会に初めて出た時に思いました。2013年の世界大会は13位だったんですけど、12位以内が準決勝に行ける中、僕は12位と同点で負けて13位になったんです。その時のトレーニングの過程では、全部「そうですね、そうします」って周りの人の言うことを聞いて、自分の意見を押し殺しながら、これでいいのかなって思いながらやっていたんですけど、そのやり方が通用しなかったと痛感したんでしょうね。

 

13年にそういう経験をして成績が出なくて、14年に優勝するために変えたことってどんなことですか?

「なぜ自分が大会に出たいのか」を徹底的に考え続けました。そして自分の大会を通してのビジョンや、なぜ自分が世界チャンピオンになる必要があるのか、自分がユニークであるためにはどうするべきかを考えました。これは日本人的には結構難しい考え方かもしれません。でも、人の言うことを聞いたって結果としてみんな誰も責任を取ってくれないんですよ。だったらいろんなことで誰に何を言われようと自分の好きなようにやればいい。自己中心って思われてしまうけど、それは僕は違うと思ってるんです。そうして「自分らしさとは何か」を考え抜いたことは、今の事業にも活きてると思います。クライアントワークでも必要な、「お客様らしさとは何か」っていう、本質的な部分を見る能力をその時に身につけたんだと思っています。

 

―当時井崎さんの見つけた「自分らしさ」とは、具体的にどういうことでしたか?

大会におけることですけど、一例を言うと、“スペシャルティコーヒーのアンバサダーになる必要がある”、つまり、自分が業界を代表して喋るっていう考え方ですね。もう一つが、“なぜを明確にしろ”。当時思ったことをメモしていたんですが、他にも“個人的なパースペクティブ(考え方、見通し)が一番重要である”、“自分がこのコーヒーを通して一体何を思ったのか”、“主語が私である必要がある”、“比較に関してはシカトしろ”とか色々あります。「誰々はこうなのに、お前はこうだ」みたいなことをよく言われてたけど、結局井崎英典は井崎英典であって、他の誰でもないとロジカルに考えられるようになってからは、何を言われてもハイハイって流せるようになりました。

 

―でも大会って、人と競って優勝があるわけですし、勝つための戦略はないんですか?

2013年まではそう考えていました。でも“比較に関してはシカトしろ”と書いてある通り、僕がやりたいことをやればいいし、僕がやりたいことっていうのが業界にとって必要なことであれば必ず響くはずだって考えるようになったんです。自分をとにかく客観的に分析して俯瞰するようになった。アジア人で英語が喋れて、コーヒーも16歳からずっとスペシャルティ一本でやってきているという自分の強みをきちっと理解した上で、自分の弱点も理解する。その上でどうやって自分の価値を世界に伝えていけるかというところで、俯瞰して考えられるようになったからそう考えられるようになったんだと思います。

 

―その時に感じていた自分の弱みというのは?

弱みでもあり強みでもあることだったんですけど、アジア人であるということ。結果強みになったんですが、どうやって訴求していくかを考えたんですよ。それまでは「日本人頑張ってるな」とか、「あのアジア人頑張ってるな」とか思われてたんですけど、そうではなくて、「ヒデ頑張ってるね」って思われないとダメ。今はアジア人が優勝できるのは当たり前になりましたけど、当時は長い間できなかったんで。

 

―コーヒー業界にいて、自分の人生に最も影響を与えた出会いや経験はありますか?

2015年のワールドバリスタチャンピオン、ササ・セスティックとの出会いは大きかったかな。彼が今の僕を作ってくれたと思う。僕がササからコーチを頼まれて、翌年彼は世界チャンピオンになったんですが、それがなぜ重要な出来事かと言うと、 僕の強みは、自分のベストを常に訴求していくことではなく、誰かのベストを引き出すことだと、彼が優勝をして再認識させてくれたからです。人でも組織でも会社でも、チームでも製品でも、何かのベストを引き出すということにかけて僕がユニークな才能を持っているということを再確認できました。今もササは、「ヒデの最も優れた能力は、何かのベストを引き出すことだ」って常にリマインドしてくれますね。

 

中央の井崎の後ろにいるのがササ・セスティック。昨年、ササが来日した際に国内のバリスタ向けに行ったワークショップにはたくさんの人が集まった

―素晴らしいです。今はその能力を発揮され、中国のラッキンコーヒーでも活躍されていますが、中国のコーヒー事情はいかがですか?

まだまだ可能性はあると思います。中国雲南省もコーヒーの生産に力を入れてますし、国が力を入れているので中国のコーヒー市場はまだまだ伸びていくと思います。

 

―他に最近注目している国は?

東南アジアの国。今はコーヒーとテクノロジーを掛け合わせたところのスタートアップに社外取締役として関わっていますが、インドネシアとかシンガポール、フィリピンなどの国は特にエネルギーがありますね。インドネシアは特に今後爆伸びすると思うし、次の中国になると思います。中国もまだまだ可能性はあるけど、僕の中では今から中国進出って遅いんですよ。 僕はやっぱりもっとダイナミズムを感じる場所でやりたいなと思ってます。

 

—日本のコーヒー事情はどう捉えていますか?

スペシャルティコーヒーが、価値もマーケットも頭打ちになってきて、だんだん厳しくなっていると思います。それは日本だけじゃなくて全世界共通の悩みになっている。これを大きくしていくために僕たちは何をしていかないといけないかっていうところですよね。つまり、より多くの人がコーヒーを通して一体何ができるのか、コーヒーの価値、人類にとってその価値は何かをもっと哲学的に考える時期にきているんじゃないかって思います。

 

―そうやって考えてる人たちってどのくらいいると思います?

僕が付き合っている人はみんなそう考えていますよね。今一緒に「バリスタハッスル」というオンライン教育システムを作っているオーストラリア人のマット・パーカーも、同世代でめちゃめちゃキレる男ですし、そういう人たちはコーヒーを通してどう価値を築いていくかっていうことを常に考える人たちじゃないですか。最近シェフの人たちと繋がる機会が多いんですけど、彼らと話していると、バリスタという職業はまだまだ遅れているなという気はしますよね。成功しているシェフは、本当に職業のことを真剣に考えて、料理を通して何ができるかを哲学的に考えています。それに比べたら、バリスタはまだ、「コーヒー淹れられたらそれで幸せ」みたいな人が多い気がしますね。

 

―それはなぜだと思いますか?

僕はコーヒーが嗜好品であること、その手軽さが良い面でも悪い面でもあるかなと思います。資格もなければ、厳しい修行もする必要ないんで、「僕バリスタです」って言ったらいつでもなれるじゃないですか。でも、少なくとも僕の世代で成功してる人たちは、みんな修行は必要だって言いますよね。 やり方さえ覚えて技術を身につければいいなら、僕がみっちり3か月教えたら、技術だけなら一流になれます。でもそれでイコール素晴らしいバリスタかって言うと、全然そうではないんですよ。大事なのは思考力じゃないですか。論理的な思考力がすごく必要であって、そこに至るまでにはいろんなことをやらないといけないし、遠回りしまくらないとできないと思うんですよ。僕でもそう思うくらいなので、上の世代の人たちなんて尚更そう思ってると思います。

 

―今からコーヒー業界を目指す若者にアドバイスをお願いします。

なぜバリスタになりたいのかを考えて欲しいです。ただコーヒーを作っていきたいだけだったら、将来的に君より全自動マシーンの方が美味しいコーヒーを淹れられるからごめんねっていう話なんですよ。僕だったらいらない、そのバリスタは。コーヒーを淹れる技術云々ではなく、コーヒーというレンズを通して見る世界がどうあって欲しいかというところを一回考えてみるといいのかなって思います。つまり、日本の教育に圧倒的に欠けている「なぜ」を考えることですね。

 

―話は変わりますが、影響を受けた映画や本、アートなどありますか?

「何でも見てやろう」という小田実さんの本には影響を受けました。僕が世界に出たいと思う理由となった本ですね。小田実さんが実際にフルブライト奨学生としてハーバード大学に行って、その後に世界を貧乏旅行をするっていうエッセイなんですが、戦後のエネルギッシュな感じと、戦争に負けて日本はこれからどうして行こうかみたいな小田実さんのギラギラ光っている心境が文体から伝わってきて、こういう風になりたいなって思ったんですよね。今も読み返す本です。めちゃ面白い、良本だと思います。

 

―これから挑戦してみたいことは?

色々ありますね。まずは、より社会に貢献できる組織づくりをしていきたい。会社をIPO(新規上場)したいですね。それって社会にそれだけ貢献できたっていう認識だと思うんですよ。今は僕とオペレーションマネージャーの広田と、それ以外に社外パートナーが3人いるんですが、クリエイティブとマーケティングの第一人者が揃っていて、みんな僕が持ってない強みを持っているので、そういう人たちと一緒にコーヒーを通して平和な世の中を作ることを体現できるような、「Brew Peace(ブリューピース)」な事業をやっていくことで、社会に明確に貢献していきたいです。自分一人でやっていくのは限界があるので、今年から少しずつチームで動けるようにしていきたいと思っています。

 

 

―まさに「Brew Peace(ブリューピース)」で世界を変えていくのですね。

そうですね。コーヒーがある時間というのは幸せなことだと思っているので、そういう場をどれだけ創出できるかというのが僕の使命だと思ってます。そしてそのコーヒーが少しでも美味しければ、そこにある時間って平和なものになるじゃないですか。でも世の中はまだそうではないんで、心も身体も健康に、幸せになるような世界を作っていくことかなと思ってます。

 

―それでは、一気に視界が開けた瞬間や、自分が成長したと実感した出来事はありますか?

このビジョンに気づけた時だと思います。独立して株式会社に移行するとき、法人として社会にどう貢献できるかを考えて、ビジョンとミッションステートメントを作っていった時に、「どういう世界を描いてるのか」とか、「今まで無意識にやってきた仕事はどんなものがあるのか」を全部整理して考えて、その時はまだ「Brew Peace(ブリューピース)」っていう言葉は出てきてなかったんですけど、平和な時間を創出するために仕事をしてるんだって思ったんですよ。同時に、5年以上ずっと考えていた、「人類はなぜコーヒーを飲むのか」という問いを僕なりに咀嚼して、そのタイミングで本当にポンポンと答えが出てきたんですね。

 

―人類はなぜコーヒーを飲むんですか?

コーヒーは水ではないので、たとえ飲まなくても誰も死なないんですよ。でも、生と死は表裏一体で、生まれてから死ぬまでのジャーニーっていうものをどれだけ豊かにすることができるかっていうのが、人間が知能を身につけて以来考えてきたことではありますよね。文化と同じで、コーヒーは人類のジャーニーに彩りを与えてくれるもの、人生を幸せにするためにあると僕は思っています。その根源的なニーズを満たすことは何かって考えた時に、それは人間にとってのピースですよね。心休まる時間が人間にとって一番重要なものなんじゃないかって。つまりただの平和ではなく、心の平和のためにコーヒーを飲むんだと思います。

 

―では、井崎さんにとってチャンスとは何ですか?

チャンスはチャンス、成長する機会じゃないですかね。掴まんといかんもの。自分の核となる、なぜ自分が今この仕事をしていて、どのようなビジョンを描いていて、今その事業を回しているかを考えた時に、そのチャンスが自分のビジョンと合致するかってわかるわけですよね。それが合致した時は思いっきりベットする(賭ける)必要があると思うんですよ。違和感があったらそのままスルー、ということかな。

 

―成功とは何ですか?

一生ないものだと思いますけどね。だって僕、世界チャンピオンになったら人生薔薇色だと思ってたけど、そんなわけないじゃないですか。そんなの始まりでしかないし、成功って終わりがないものだと思うので、成功に向かってとにかく走り続けるという。だから、常に目の前に美味しい肉がぶら下がって、それを一生懸命食べようとする旅じゃないですか?(笑)。走るんだけど食べられないみたいな、前でプラプラしてるだけみたいな感じ(笑)。ひたすらそれをめがけて走るしかない。

 

 

3年後、5年後、10年後の自分はどうなっていると思いますか?どうしたらそれになれると思いますか?

こればっかりはわからないですけど、ただこうあって欲しいという気持ちは常々あります。それは、自分らしさを忘れてはならないということです。自分ができることは何かを忘れずに、自分の能力を持って社会に貢献できることは何かということを考え続けて、とにかく働く。そして圧倒的な質と量をこなしてNo.1になるしかないと常に思っているので、もう死ぬほど働けという風に考えてます。その先には何が待っているんでしょうね。

 

―最後に、まだ叶ってない夢があったら教えてください。

やっぱり「Brew Peace(ブリューピース)」じゃないですか。コーヒーで世の中が少しでも寛容になったらどう変わるんだろうって思っています。人を責めることがなくなったり、ちょっとでも心に余裕ができたりすれば素晴らしいし、そうやって僕が生きてる間に少しでも世界を変えていくことが僕の仕事じゃないかなって思っています。

 

井崎英典 Information