西森友弥
―小さい頃は、どんな子供でしたか?
本当にじゃじゃ馬な子供でした。三重県の四日市出身なんですけど、僕が育ったのは特に治安の悪い地域で、小学校の頃は授業をまともに受けることがなく、通信簿には「机に立って授業を受けるのはやめてください」みたいなことを書かれてましたね(笑)。
―ご両親にはどんな育てられ方をしましたか?
これはダメ、あれはダメっていうのはなくて、結構放任で、自由に育てられましたね。
―子供の頃に夢中になったものはありますか?
バスケです。仲のいい同級生の友達がバスケをやってて、小3の頃に一緒にミニバスのチームに入りました。当時はバスケ選手に憧れてました。
―中学、高校時代はどんな生活を送ってましたか?
僕が入った中学は、四日市の山手中学校という、三重県では有名なめちゃくちゃ悪い学校だったんです。グランドピアノが3階から落ちてきたり、「ビーバップハイスクール」のように誰かがバイクで廊下を走ってたり(笑)。僕はそこまで悪くなかったけど、友達とバイク乗ったり、バスケをやったり、わちゃわちゃした生活を送ってました。高校も、ヤンキーと陰キャラしかいないような悪い学校で、僕は1年生の終わり頃から地元のヘアサロンで働き始めました。
―きっかけは?
あまり覚えてないんですけど、気づいたらそのサロンに働かせてくださいって言いに行ってた感じです。最初は洋服屋をやりたいと思ってたんですけど、なぜか手に職がある方がいいなと思って。それで働き始めて、「絶対東京に行こう!」って将来の方向性が決まりましたね。学校にはあまり行かずにサロンで働いて、東京に月一で遊びに行くようになりました。
―色々なインタビューを拝見すると、若い頃から自信に満ち溢れていて、行動力も人一倍あった感じを受けますが、その自信はどこから来ていたのでしょう?バイタリティの源は?
身の程知らずだったんですよね(笑)。まず口が先行するし。成功するまでの道のりって、人によって何パターンかに分かれるけど、僕は自分の気持ちを隠しながら努力を積み重ねて結果を出すようなタイプではなくて。学生の頃から、口を開けば「成り上がる」としか言ってなかったですし(笑)。 “成長は自分次第”みたいな、なぜかそこには自信があって、自分で逃げられない環境をどんどん作っていってました。だから、もう成功するか失敗するかのどっちか、みたいな。本当に一歩間違えたら、ホラ吹きの失敗野郎みたいになっちゃう(笑)。でも、振り返ってみると気合は入ってましたね。まあ今も入ってますけど。
―東京に初めて来た時はどんな印象でした?
もうワクワクが止まらなかったです。一人で新幹線で来て、「これが日本一か!」と思って、原宿とか新宿とか、田舎モンが知ってる街で買い物したりして。田舎コンプレックスみたいなものは未だにずっとあって、絶対に田舎に住みたくないんですよ。絶対都会のど真ん中、引っ越すんだったらニューヨークがいいくらい。なぜかそこだけは今も絶対に変わらなくて。まあ今はそう思うだけかもしれないですけど。
―そして高校卒業後に上京されて、専門学校(住田美容専門学校)に行かれたんですよね。その頃はどんな暮らしを送っていたんですか?
とりあえず真面目ではなかったですね。練習は全然してなかったので、成績は良くなかったです。でも、ウダウダしている生徒たちよりは、先に繋がる動きとかを色々考えて街に出たり、コミュニティを増やしたりとかはしてたと思います。行動力は尋常じゃなかったと。
―タフですよね。
そうですね。専門の時からその節はありましたけど、美容師1年目の時とかは、毎晩クラブに行ったりとか、飲みに行ったりとかで、全然家に帰らずみたいな感じでしたね。でも誰よりも働きました。そこだけは絶対に譲れなかったんで。
―専門を卒業した後はどんなアクションを起こしたんですか?
卒業後は就職しました。就活は二つくらい受けたけど落ちて、面倒だし別に焦らなくてもいいやみたいな感じに思ってたら、卒業の3日前くらいに決まって。そこからは、(サロン内で)絶対に最速でデビューして、最速で独立してやろうみたいな気持ちでいましたね。
―就職先はdigz hairだったそうですが、なぜそこを選んだのですか?
街を歩いていたら、募集の張り紙を目にして。いわゆる一般の就職もそうですけど、タイミングを逃すと何もないんで、その足でサロンを見学させてくださいとお願いしました。そうしたらその週末に面接があるから受けてみなよと言われて。当時そのサロンは結構人気だったんで、競争率は結構激しかったんですけど、受かっちゃったんですよ、僕ともう一人。
―そのサロンで働いていた時に学んだ大事なことはどんなことでしたか?
一通り全部をやって、そのサロンで技術的にも一番を取ったんじゃないかくらいのところまで極めた頃から、自分のやりたいこと、やりたくないことをめちゃくちゃわがままに言い続けました。いい意味でも悪い意味でも、そのサロンは当時どちらかと言うと全部の合格点を狙うような、何でもやるサロンだったんです。だけど、何か突出したものがあるかと言えばなくて。僕はそれが嫌だったんで、それをずっと上の人に言い続けてました。あの時そうしたから今のこのスタイルに行き着いたというのがあるので、わがままを通して良かったなっていうのはありますね。それで入社して4年経った頃に独立したいって言って、若かったんで周りからは止められましたけど、その後1年は店にいて、売上をちゃんと出して店に貢献してから辞めました。
―ところで、メンズカットは独学で学んだそうですが、メンズカットにフォーカスし始めたのはいつ頃だったんですか?
結構早かったです。その店にいた時から、僕のお客さんの半分以上はメンズで、ずっとメンズをやりたいと思ってました。海外の動画とか写真とかを見て、自分のコミュニティのやつらの髪を切ったりしてた感じです。
―そして、26歳の時(2015年)、原宿に「MR.BROTHERS CUT CLUB」をオープンされます。ご自身の店を開くにあたって苦労したことや、店を軌道に乗せるために人一倍努力したことなどありましたか?
それまでは雇われる身だったから、何かあっても言い訳できたけど、それが一切できる立場じゃなくなったので、プレッシャーは結構ありましたね。それに最初は全く無名だったから、1日たりとも店から家に直帰する日はなくて、店を一緒に立ち上げた2人の仲間と、毎日飲み歩いて、そこで幅利かせてそうなやつがいれば声をかけたり、イベントがあれば顔出して名刺を配り歩いたりして、むちゃくちゃ足で営業しましたね。それはもう自信を持って言えるくらい。僕らはそこだけは気合入ってて、誰よりも努力したから、失敗はしないだろうっていう自覚はありますね。
―その後、2016年に中目黒、2017年に大阪、2019年に原宿に2号店をオープンされました。どの店も、センスの良さが伺える、独自のテイスト満載ですが、インテリアは西森さんが決めているんですか?それぞれのお店のテーマとか、こだわったポイントを教えてください。
インテリアは仲間たちと決めてます。原宿の本店が、色で言うと黄色っぽい感じで、30年代から50年代の家具とかおもちゃとか、主にアメリカンビンテージを揃えて、映画で言うと「アメリカングラフィティ」のようなイメージですね。中目は木目調の茶色っぽい感じで、ドイツとかオランダとか、ヨーロッパ系の100年前の家具とかが多くて、ちょっと大人な雰囲気です。大阪は、テイスト的には中目と近くて、その小綺麗バージョンって感じですかね。原宿の2号店は、シェービング(顔剃り)専門の店なんですけど、壁の色がミントグリーンで、家具はアメリカンビンテージで、“ザ・カリフォルニアのバーバー”みたいな感じに作って。僕らがしたかったスタイルがようやく実現できました。
1店舗目の立ち上げ当初。スタッフたちと
―家具やインテリアの小物とかは買付けされてるんですか?
最初の方は「セローテアンティーク」という知り合いのショップと一緒に組んで、家具を仕入れてもらったりとかしてました。今は全国に友達がいるんで、大阪のアンティークショップから大量に買ったりとか、彼らが買い付けに行った時に買ってきてもらう感じですね。
―ブラザーズが発信する「フェードスタイル」(バリカンでグラデーションを作った刈り上げのスタイル)は、一般の方にもだいぶ浸透してきたと感じますか?
だいぶ浸透してきたと思います。そう明確に感じたのは一昨年くらいですかね。最初の頃は、まずフェードがどういうスタイルなのかを説明しないといけなかったんですけど、それが一部のコミュニティーで流行って、友達が友達を連れて来てくれて、だんだん広がっていった感じです。それで一昨年くらいから、彼女が彼氏を連れてくるとか、奥さんが旦那や子供を連れてくるとかっていうのがむちゃくちゃ増えて。やってて肌で感じたことですけど、こういうスタイルとかカルチャーが根付く時って、絶対女性に認知された時なんですよね。何事も女性ですよ。男はよく言うんです、「奥さんを敵に回したらダメ」とか、「奥さんに気に入られたら勝ち」とか。財布握られてるから(笑)。
―なるほど、女性ってすごいですね!フェードスタイルの講習も定期的に行われていますが、フェードの技術を取得するのは難しいですか?
僕は簡単だと思ってます。でも、どんどん極めていくとなると、やっぱり簡単なことじゃない。それは何事も同じですよね。
フェードスタイルと西森がカットする様子
―フェードの中で、特に今流行ってるスタイルは何かありますか?
バリバリ王道ですが、パートスタイル(七三分けのようなスタイル)ですかね。男って、イメージをバーンと変えるというよりは、「暑いから短髪系のフェードスタイルにしよう」とか、「涼しくなってきたから上を伸ばして七三スタイルにしようかな」とか、そういうルーティーンで季節ごとに変えたりすることが多いです。あと、フェードってどっちかって言うと、「年を取ってきたからやってみよう」とか、「大人になったからやろう」とか、そういうのが多いんですよ。極端な話、「60になったからおかっぱにしよう」みたいなおじさんっていないじゃないですか。
―では、ブラザーズで働きたいとか、お店のバーバーの方々のようになりたいと思う若者たちにはどんなアドバイスをしますか?
まずは、行動することですね。それ以外に必要なものってないと思うんで。うちで働きたいなら、ここに来て、うちのスタッフに気に入られろって言いますね。僕ら、履歴書を送ってきたり、インスタとかでメッセージを送ってくるやつってめっちゃ嫌ってるんですよ。なんで親指でポチポチやってんだよって(笑)。
―なるほど(笑)。西森さんのバーバー人生にとって大きな気づきを与えた人に、カリフォルニアにあるバーバー「HAWLEYWOOD’S BARBER SHOP」のドニー・ハーリーさん、そして西森さんが兄貴分と慕う、北海道「barber shop apache」の川上昌博さんが挙げられると思いますが、お二人は西森さんにとってどんな存在で、彼らのどんなところを尊敬していますか?
二人とも、僕の人生のターニングポイントと言える、大きな気づきを与えてくれた人です。二人には同時に同じ場所で出会ったんですが、タトゥーがバンバン入ってて、「俺らがやってる仕事はかっこいいんだぞ、見ろ」みたいな感じで、仕事を楽しんでる姿にめちゃくちゃ衝撃を受けました。当時この業界は、クーポン全盛期みたいな頃で、スタイルもへったくれもない安売りで、仕事にプライドもなければ、誰かの真似事してるところばかりで、僕は嫌気がさしてこの仕事を辞めようと思ってたんですよ。そんな時にこの二人を見て、「これでいいんだ、間違ってないんだ」って思って。それでスイッチを切り替えて頑張ったら、あれよと言う間に状況が良い方向に変わっていった感じですね。
―西森さんは、オリジナリティをとても大切にしていると思いますが、唯一無二のバーバーであるために、特に大事にしていることやポリシーを教えてください。
仕事的な話で言うと、僕らが提唱するスタイル以外はやらないというのはポリシーとしてあります。あと、大事にしているというか、僕らの強みはブラザーズの個々のスタッフですね。“ハコがあるからブラザーズ”じゃなくて、このメンバーがいてこそのブラザーズなので。金をかければかっこいい店は作れるし、技術は磨けばうまくなる。でも絶対に真似できないのは、人ですよね。最強軍団だと思ってます。
ブラザーズのバーバー達
―これから日本のバーバーシーンはどのようになっていくと思いますか?
これは僕らの願いでもあるんですけど、変化というよりは、このシーンが一つの普遍的なジャンルになってほしいと思います。この5、6年間は、まず世に知ってもらって、こういうスタイルが好きな人たちを増やす活動をしてきました。でもこれからは、一つの確固たるジャンルとして、ナヨナヨした男じゃなくて、しっかり髪をバチっと決める男たちを増やせるようにしていきたいと思います。だから、バーバー業界を変化させていくというよりは、これを続けることが一番望ましいことだと思ってます。何かを流行らすことって、本気を出したら多分誰でもできるけど、何がすごいってやっぱりずっと続けることじゃないですか。僕らは続けていきますけど、バーバー業界全体がこれからもずっと続いていってほしいですね。
―それでは、西森さんが思う理想の男性像を教えてください。
素直なことですね。嘘つかない、それが一番大事なことかなと。僕はそこだけは徹底してます。素直じゃないとか嘘つくやつって、全部出ちゃうし、それは絶対に嫌ですね。コソコソせずに、ちゃんとまっすぐ正直に生きる。そうしたらスタイルがどうであれ、男として周りに認められるじゃないですか。どんなに不真面目でもいいですけど、素直でありたいです。
―好きな映画や写真、音楽やアートなどで一番影響を受けたものは?
映画はめっちゃ好きで、最近だと影響受けたのはクリント・イーストウッドの「運び屋」ですね。実話で、おじいちゃんが運び屋の話なんですが、とても奥が深くて大事なことが詰まった奥の深い作品だと思います。音楽は、昔のヒップホップとか好きで、アメリカンカルチャーにハマったのは、 Cypress Hill (サイプレス・ヒル)とか、チカーノ系の服装とかがカッコいいと思ったのがきっかけでした。カルチャーとして一番影響受けたのは、タトゥーです。僕が入れているような、アメリカントラディショナルなタトゥーって、体をキャンパスにして好きなものを入れてるんですけど、好きなものを好きな時に、その時の気分で入れる自由な感じが超かっこいいし、楽しいなと思います。
―西森さんのタトゥーは、ご自身でデザインされてるんですか?
最初はちょっと考えたりしましたけど、今はもうめちゃくちゃノリで、お任せすることが多いです。入れてもらう人は結構バラバラで、仕事で海外に行った時についでに入れることもありますけど、メインは原宿にある「Holie Glory(ホーリー・グローリー)」のYushiさんという方に入れてもらってます。
ーでは、社会で起こっていることで、気になることは何ですか?
今だとやっぱりコロナになるんですかね。多大な影響を及ぼしているので、軽々しくは言えないですが、僕はコロナが起きて良かった点も絶対にあると思ってます。僕らみたいなサービス業って、どこかしらでお客さん来ることが当たり前になる瞬間があると思うんです。僕は移動にタクシーを使うことが多いんですが、個人タクシーの運転手とかって、普段はめちゃくちゃ態度悪かったりする人も多いけど、コロナで大変だった時は「こんな時期にありがとうございます」みたいな感じで顔を見て礼を言ってくれたりとかして。でも、それって本来ずっとそうであるべきだよなって思って。自分のことにも置き換えて、お客さんに改めて感謝する一つのきっかけになりましたね。そういう意味でコロナはすごいなと思いました。
―自分のやっていることで、日本や世界が変えられるとしたら、どんなところだと思いますか?
髪を切るって、気分も上がるし、すごいリフレッシュになるじゃないですか。例えば老人ホームにいる人たちの髪の毛を切ったらすごい元気になったとか、それまでおでこを出したことのなかった人が、前髪をあげておでこを出してテンションが上がったとか、そんな風に誰かの人生にいい影響を与えているというのは実感しますね。大きな規模で世界を動かすとかではなく、小さな変化かもしれないですけど、それがきっかけで人生が変わったとかは絶対あるはずなんで。安直ですけど、やっぱりいい仕事だなって思います。
―西森さんにとって、成功とは何ですか?
みんな「成功したい」って言ったり、僕たちも「成功したね」とかって言われることがありますけど、一般的に成功ってゴールのような存在になってると思うんですね。僕らはどちらかと言うと、日々の営業だったり、お店を出したりとか、小さい成功を毎日、ひと月、1年、2年と積み重ねていくのが成功なのかなと思ってます。僕たちにはいろんな夢もありますが、ブラザーズというブランドをこの先5年、10年、20年、30年って続けていくことで、この先も成功を続けていきたいと思ってます。
―これから挑戦してみたいこと、まだ叶っていない夢があれば教えてください。
アカデミー(教育機関)を作ることですね。今は準備段階で、教科書を作ったりしてます。最近1冊目が出て、これからシリーズとして出していきます。あとは、海外進出ですかね。ニューヨークのブルックリン辺りで探そうと思ってます。今はまだ夢の段階ですけど、見ててください、成り上がるんで(笑)。
―楽しみにしています!最後に、3年後、5年後、10年後の自分はどうなっていると思いますか?どうしたらそれになれると思いますか?
めちゃくちゃ願望ですけど、変わってたくないなと思いますね。今大切にしてることとか、価値観とかは死ぬまで変えたくないです。人間って本当に弱い生物だと思うんで、ちょっと金を手にしたら金に目がくらんだり、シナジーが変わると仲間を裏切ったりみたいなところがあると思うけど、僕は変わっていたくないですね。現実的には、3年後はアカデミーをやって、海外に店を出し、5年後は店の古株たちが独立してそれぞれが店を出す。そして10年後は若い奴らで回して、古株だけでハコを作ってやってて欲しいとか、そういう願望はあります。とにかく現状維持ではなく、どういう形であれ、成長し続けていたいです。人間いつかは必ず死ぬんだから、死ぬまでにやりたいことを全てやり尽くしたい。僕は常にそう思って生きてます。