ON COME UP
#41 | Apr 8, 2019

あらゆる壁やジャンルを超えた表現を携え、“情熱とユーモア”を抱く4人が神戸大学で結成した新進気鋭のオルタナティブロックバンド

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

未来に向かって躍動する人たちをインタビューする“ON COME UP”。第42回目のゲストは、パノラマパナマタウン(Panorama Panama Town)の岩渕想太さん。パノラマパナマタウンは、岩渕想太(ヴォーカル、ギター)、タノアキヒコ(ベース)、田村夢希(ドラムス)、浪越康平(ギター)の4人が神戸大学入学後の2014年に軽音楽サークルで出会い誕生し、大学3年生の時に受けたMASH A&Rのオーディションでグランプリを獲得、2018年春にA-Sketchよりメジャーデビューを果たした新進気鋭のオルタナティヴロックバンドです。北九州で生まれ育った岩渕さんは、人を笑わせることと書くことが好きな幼少時代を過ごし、高校時代に初めてギターを買って音楽に夢中になりました。そして神戸大学入学後、バンドを結成すると同時に映画を研究してきたことがパノラマパナマタウンの音楽にも大きく影響を与えています。一昨年前に上京し、今東京をようやく楽しみ始めたという岩渕さんに、幼い頃のことや学生時代に夢中になったこと、大学で勉強したことやバンドメンバーのこと、今年2月に発売した初のフルアルバム「情熱とユーモア」について、そして今の世の中に対して感じていることや、成功とこれからの夢についてなどを伺いました。
PROFILE

ミュージシャンPanorama Panama Town

福岡、広島、大阪、神戸と、それぞれ出身の異なる4人が、神戸大学の軽音楽部で集まり、結成された4ピースオルタナティヴロックバンド。 バンド名の由来は自分達の多様性を表す「パノラマ」という言葉とポップ過ぎて違和感を感じるほどの発語感を意識したもの。 高笑いをしながらシーンのちゃぶ台をひっくり返すことを目論む、2010年後期、ロックシーン最終兵器。​

Panorama Panama Town / Sota Iwabuchi

 

小さい頃はどんな子供でしたか?

目立ちたがり屋ではあったと思います。人前に出てギャグを言って笑わせるのが好きでした。クラスの中心的存在っていう感じではないけど、こいつおもろいことやるな、みたいな役割でした。

子供の頃。実家の餅屋の前で

具体的にどのように人を笑わせていたのですか?

突拍子のないことをやったらみんなが注目してくれるので、その辺にある虫を食べるとか、焚き火をやって消した後にまだ火がついてる炭を口の中に入れて消すとか(笑)。

体張ってますね(笑)。ところで、ご両親にはどのように育てられましたか?

両親は北九州市の商店街で餅屋を営んでいました。ひたすら自由にやれみたいな育て方だったので、何にも強制されずに育ちました。ただ、中学、高校、大学と進学するたびに、「行くのか、行かないのか?」って毎回聞かれて、節目節目で自分の意志を確認させられていました。

本名の想太さんって結構珍しいと思うんですけど、ご両親に名前の由来を聞いたことはあります?

親が、「想像」っていう言葉やその意味が好きで、想太とか想次郎とか、とにかく名前に想像の“想”をつけたかったみたいです。

素敵ですね。子供の頃に夢中になったものはありますか?

書くことが凄く好きでした。「ソウタタイムズ」っていう自分の新聞を作って、160号くらいまで毎日ずっと書き続けて、ひたすら親に渡していました。日記のようにその日にあったことを全部記事にするんですよ。編集後記とか、4コマ漫画とかも自分で書いて、応募者全員サービスとか抽選プレゼントもあるんですけど、父と母しかいないから、どっちかに必ず当たる(笑)。

小学生の時に作っていた「ソウタタイムズ」

応募者全員サービスは何がもらえるんですか?

博物館とか美術館に行くのが好きだったんで、美術館に行った時に買ったポストカードの裏に落書きしたものとか、博物館に行った時に買った恐竜の模型とかをプレゼントにしていました。

まだその頃は、アーティストの片鱗はなかったのですか?

なかったですね。僕は、幼稚園、小学校、中学校までは卒業文集に「絶対にお笑い芸人か小説家か放送作家になる」って書いてました。当時から爆笑問題の太田さんが大好きでしたね。物事を凄く冷静に見てるけど、人前に出る時は徹底的にバカをやるし、狙ったら100%ボケを出せるけど、3回に1回くらいは誰も笑わないようなしょうもないボケを混ぜる感じが凄く好きなんですよね。

音楽に興味を持ったのはいつですか?

高校の時に向井秀徳さんの「ナンバーガール」というバンドを知って、歌詞に物凄く衝撃を受けました。こういう言葉をロックバンドが歌っていいんだってびっくりして、その時初めてバンドってカッコいいなって思ったんですよね。

その時受けた衝撃は、パノラマパナマタウンに繋がっていると思います?

凄く繋がってると思います。僕もありきたりな歌詞を書くのがすごく嫌で、どうやったら人と違う言葉を出せるかを常に考えています。 例えば、希望とは違うけど、なんとなくポジティブな心ってあるじゃないですか。そういう時に、自分が思ってるのとちょっと違うと思いながらも、それっぽいからって「希望」という言葉は使いたくない。自分の中から素直に出る言葉を使いたいです。

向井秀徳さんに影響を受けてアーティストに興味を持ち、そこから何かアクションは起こしたんですか?

高校1年の時にギターを買って、コードは3つくらいしか知らないのに一人でひたすら曲を作ってました。田舎だから他に音楽をやってる人がいなくてバンドを組めなかったんです。お笑いの延長のような感じで、クラスの皆を笑わせるための曲を作って弾き語りしたりとか、メトロノームだけ鳴らして先生をディスるラップを作ったりして、それを友達と共有して楽しんでました。

そんな学生時代を過ごしながらも、大学は現役で神戸大学に進学されましたが、勉強もちゃんとしていたのですか?

勉強はちゃんとしなかったんですけど、まぁ地頭がいいんだと思います(笑)。「私大に行かせるお金はないから、行くなら国公立にしてくれ」って親に言われ、そうなるとちゃんと勉強しないと大学に行けないことに気づいて、高3になって初めて勉強というものを真面目に始めましたね。それに高校でバンドを組めなかったから、大学では絶対バンドを組んでやろうと思って勉強しました。全部独学で、塾は一度も行ったことないです。

でも、バンドって大学に行かなくても組めますよね?

大学で映画と音楽を勉強したかったんです。高校の頃から映画が好きで、意味がわからないながらも、ゴダールの作品とかを観ていました。私立なら日大の映画学科とか、早稲田の文化構想学部とかいっぱいあったけど、国立っていう縛りだと映画と音楽を両方学べる文学部って神戸大学くらいしかなかったんですよ。逆にそれ以外は行きたいと思わなかった。

一番影響を受けた映画は?

アメリカンニューシネマと言われる70年代のアメリカ映画はほとんど全部と言っていいほど観ていて、特に「狼たちの午後」が好きです。あの時代って、映画自体の枠組みを怖そうって力がすごい強いじゃないですか。それまではハッピーエンドが当然だったのに、ハッピーエンドじゃない終わり方になったり、カメラが思い切り揺れていたり、ハレーションを起こしたりしていることが自分にとって凄く衝撃でした。

念願の神戸大学に入学してからは、映画を勉強しつつ、まずバンドを作ったのですか。

最初はベースとドラムと僕の3人で「andymori」っていうバンドのコピーをやってたんです。そうしたらまだ半年しか経ってないのに、ドラムの夢希がオリジナルでやりたいって言い出して。僕としては生まれて初めてバンドを組んだばかりでできると思ってなかったけど 、3人ともウマが合ったし、結局オリジナルでやることになりました。

高校の時からずっと憧れていたバンドをようやく組めた時って、どういう感覚だったんですか?

すっげぇ楽しかったです。バンドで音を鳴らすってこんなに違うんだと思ったし、僕はアンプを繋いだこともなかったから、こんなに気持ちいいんだって思ったし、ここから何作っても、どんな歌詞書いてもいいんだって思ったら、なんかすげぇ自由だって思いました。バンドを組んだばかりの頃は、なんかオモロイことをしたいといつも思っていました。

大学生の頃

3人にお会いした時の印象って覚えてますか?

タノは直感で何となく惹かれたんですけど、凄くウマが合うし、自分とどこか似てるなっていう印象でした。 夢希は、オリジナルやろうぜって言ったり、オーディションに応募したり、とりあえず物事を前に進めようとする。後から入った浪越とはバンド組んで半年くらいほとんど話したことなかったんですよ(笑)。仲が悪いわけではないんですけど、 浪越も無口だし、僕もそんなに人の殻を破って入ろうっていうタイプではないので打ち解けてなかったんです。でも喋り始めたらすごくウマが合うことがわかった。打ち解けるまでに時間がかかっただけですね。

プロになるために何かアクションは起こしました?きっかけになった出来事は?

ドラムの夢希がオーディションに応募しまくって、それが全部うまくいき始めたのが、大学3年生の時です。今の事務所に入るきっかけになったMASH A&Rのオーデイション「MASH FIGHT!」で決勝まで進んで、いよいよ優勝するかもってなった時に、「もしかしてバンドで食えるんじゃねぇか、自分が面白いと思っていたことがそのまま仕事になるんじゃないか」って思い始めたし、これで優勝したら就職はしないことになるので、先のことも色々考えましたね。そこからいろんなことが大きく動き始めた感じです。

他のバンドにはない、パノラマパナマタウンにしかないものって何ですか?

あらゆる壁というものを意識してないところ。今までの歴史とか、このジャンルだったらこうすべきとか、バンドだったらこうとか、こういう言葉を使うとかは何も意識せずにやってる。囚われる必要がないことに対してはもっと自由でいいと思っています。枠組みを壊そうとしていたり、今までなかったものを作り出そうとしていたりする映画が好きだったように、自分らも今まで他のバンドがやってきたことを極力なぞらないようにしようとしてきたし、バンドっぽい言葉遣いはしないようにしてました。

そういう思いはいつからご自身の中にありますか?

多分生まれつきなんですよね。「$uji」っていう曲は、CDが何枚売れたとか、動員が何人かとかいうところでバンドのことを評価されるのが嫌だっていうことを歌っているんですけど、数字に関しては、学校で出席番号をつけられた頃からすごく違和感を感じてました。「出席番号3番」って呼ばれた時に、何で自分と関係ない数字で呼ばれるんだろうって思ったし、マイナンバーを送られてきた時もなんでこんな意味のわからない数字が自分なのかって思ったし、そういうことには意識せずとも気持ち悪さや違和感を感じるんですよね。

では、今の世の中に対して違和感を感じていることはありますか?

映画にしろ音楽にしろ、お茶を濁すことが正義みたいな感覚がある。政治的じゃないことを良しとするムードがある気がします。僕もそんなに政治に詳しくないし、常に思ってることがあるわけでもないけど、それでもやっぱり思うことってあるわけじゃないですか。でも、それを言うべきではないという風潮があると思う。特に今は、目立ったことをすると問いただされる時代だと思うんですよね。 排他的になっているにも関わらず、音楽とか映画とか、若者が一番触れるものはすごく浄化されていて、凄く気持ち悪いと思います。SNSにしても、叩きたいだけの人がいて、その人達の欲求に合わせて社会が動いているような気がして、そこには違和感を感じますね。

岩渕さんはnoteで連載を書かれていますが、自分の正直な想いを発したらバッシングされるのではないかという怖さや不安はないですか?

それはあまり思わないですね。どっちかって言うと言いたいことひとつひとつを押し殺して、自分が普通になっていくことの方が怖いです。でも、こうやって聞いてくれれば言うし、気が合う人には話すけど、僕も言いたいことをスパッと言える人間じゃないんですよ。それに人と争うことも得意じゃないんです。だからこそnoteっていう場を使って、自分の考えを発信してる。それは自分を殺さないようにという努力ですね。

バンドをやっていく上で大変なことってありますか?

4人いるんで、それぞれの思いがぶつかって言い争うことはありますね。例えば僕は商店街で生まれ育っているから、シャッター街に対する浪漫みたいなものがあって、東京の街並みよりもシャッター街の方がリアルでカッコ良いし、自分の居場所のような感覚があるんです。でも、他の3人はシャッター街や商店街で生まれたわけではないので、「岩渕が言ってることは、正直わからない」って言われたこともあるし、感性を擦り合わせていくことが大変だと思います。そんな時は、自分の地元に連れて行って一緒に商店街を歩いたり泊まったりして、自分の好きなものを共有することも大事だと思ってます。

共有したら、岩渕さんのシャッター街への浪漫を理解してくれました?

理解はしてくれました。でもカッコいいとは思わないって(笑)。

一昨年前に上京されましたが、東京はいかがですか?

今は東京の中で暴れ回るのも楽しいんだっていう思いに随分変わりましたけど、上京してすぐの頃は凄く息苦しくて、満員電車に乗ってる時や何かの列に並んでる時に、自分がただの一人になっちゃいそうな危機感というか、自分が失われていく感覚がありました。コンビニやスーパーのレジで聞く、「いらっしゃいませ」、「ありがとうございます」という言葉も地元と違って、東京は圧倒的に機械化されてるし、ひとつひとつの言葉に意味がなくなっている気がするんです。今もたまに息苦しくなる時は正直ありますね。

プライベートではどのようなことを心がけていますか?

早起きして、朝昼晩自炊して、決まった時間に寝て、規則正しく生きてます。村上春樹さんのエッセイ「走ることについて語るときに僕の語ること」 の中で、「真に不健康なものを扱うためには、人はできるだけ健康でなくてはならない」っていう言葉があって、確かにそうだなと思って。バンドマンってやっぱり不健全じゃないですか。作詞してる時とかってすごく気持ち悪くなるし、辛い時も多いけど、それって健康な肉体があればコントロールできると思って。あとは、チェーン店であまり食べたくない。それって選択を放棄してる気がするから、自分で作れる時は絶対作ろうと思って、自炊は心がけてます。それから、めっちゃ出歩きます。映画、美術展、あとはライブに行きますね。

新しいアルバムについてもお聞きしたいです。「情熱とユーモア」が完成していかがですか?

すごく得体の知れないものになったんじゃないかっていう感覚はあります。そういうものを作りたかったから満足してます。でも作り終わってから、もっとやりたいことも見つかりましたね 。今までいろんなことしたいって言ってた割には、リズムが一辺倒だったので、今回はその反省も踏まえて、パンクのリズムや、ヒップホップのトラックっぽいものなどいろんなリズムに挑戦しました。あとは今回はベースのタノも作曲したし、浪越が作った曲もいっぱいあるし、作曲者が増えたってことによって広がりができたと思います。

作詞、作曲において岩渕さんが大事にしていることはありますか?

作詞に関しては、できるだけ自分の心に近い言葉をたぐり寄せることにこだわっています。表現をしていく上で、まさにアルバムのタイトルにした「情熱」と「ユーモア」が凄く大事だと思っているんです。情熱は当然大事だけど、情熱一辺倒になったら誰も耳を傾けてくれないし、自分から離れていないものになる。言葉遊びを入れて自分なりの別の視点を出して、ユーモラスに言い換えて伝えていきたいって思っています。

 

そういうご自身の価値観に気づきを与えてくれたような人とか出来事はありました?

アメリカンニューシネマとか、ゴダールの作品とか、日本の映画だと「台風クラブ」。音楽で言うとヒップホップですね。ヒップホップを聴いた時、昔のレコードをサンプリングして、何回もループさせて、そこに自分の言葉を乗せるだけで新しい音楽になるんだっていうことに凄く衝撃を受けたし、ラッパーの言葉遣いにも影響を受けてますね。日本のラッパーだと、ライムスターは凄く頭いいし、あの人達こそ情熱とユーモアだと思うので、影響を受けてますね。

このアルバムを、どういう人に、またどういう時に聴いてほしいですか?

普通に生きてて窮屈に感じてる人。言いたいことを言えなかったり、周りに気を遣ってしか生きられないもどかしさや辛さがある人。自分もバンドを組んで活動してなかったら、言いたいこと全然言えないし、凄く周りに気遣っちゃうし、愛想笑いしちゃうと思う。だから、アルバムを通して、「自分も発信していいんだ、やりたいことやっていいんだ」ってそういう人たちを後押しできたらと思います。

憧れている人はいますか?

音楽を通して、爆笑問題の太田さんのような人になりたいって思う。太田さんがバンドマンをやったらこうなるみたいな(笑)。あと、現代美術家のChim↑Pomのエリイさん。あの人も言いたいことを笑いに変えているし、生活に落とし込んでるし、自由に生きてるなって感じます。

ご自身の作品やスタイルを一言で表すと?

寄せ鍋。

これから挑戦してみたいことはありますか?

日常を壊したいっていう気持ちがすごくあるから、ステージが無い所にステージを作るとか、自分達でステージを組んでライブをしてみたいです。神戸に新開地っていう自分の地元に近いようなシャッター街があって、若者もあまりいないんですけど、そこにあるでかい公園に野外ステージを組んでライブがしたいですね。ライブハウスでライブをするっていう想定内のことだけじゃないことをしてみたいんです。

実現するのを楽しみにしています。では、ご自身が世界を変えられるとしたらどんなことだと思いますか?

世界を変えられるかどうかはわからないけど、僕らの音楽を聴いて、例えば今日の食事はチェーン店に行かないで自炊しようとか、自分で好きな服を選ぼうとか、進路は自分で決めようって、日常の選択に対する考え方が変わっていったらいいなと思っています。それが最終的に自分のやりたいように生きようとか、自分のしたいことをしようっていう意識に繋がっていくし、そういうことが広がって、みんなが言いたいことを淀みなく言えて、やりたいことがやれて、価値観の違いに寛容な世の中になって欲しいです。

岩渕さんにとって、成功とは何ですか?

自分に嘘をつかずに、自分を殺さずに表現したものが、誰かの元に届いた時が成功だと思います。でもこうやって言葉にしてる時点で、自分の心の中を全て伝えているわけではないから、それってすごく難しいことだと思うけど、心が届く瞬間っていうのはあると思ってます。そういうひとつひとつのコミュニケーションを少しずつ積み重ねていくことが大きな成功に繋がると思っています。

3年後、5年後、10年後の自分はどうなっていると思いますか?

将来野外ステージを組むのは実現したい。1万人、2万人単位で自分達の空間を作って、その日だけ誰もいないはずの商店街に人通りがたくさんできるような場を作りたいです。今のピュアな気持ちで言うと、日本語で歌って日本にいる人達を変えたいというか、日本独特の縛られてる感じから脱却したい気持ちが凄くあります。でもこの考えもいつかは変わっていくんだと思いますし、5年後、10年後はわからないですね。あとは、僕まだ海外に行ったことがないので、行ってみたいですね。

パノラマパナマタウン Information

The Truth

パノラマパナマタウン 1st Full Album 「情熱とユーモア」NOW ON SALE !!!
通常盤:AZCS-1078 ¥2,500(tax out)

LIVE 情報
パノラマパナマタウン 1st Full Album ”情熱とユーモア” release tour 「HUMAN PARTY」
2019年4月13日(土) 新潟・CLUB RIVERST
2019年4月20日(土) 大阪・梅田CLUB QUATTRO
2019年4月21日(日) 愛知・名古屋CLUB QUATTRO
2019年5月18日(土) 東京・恵比寿LIQUIDROOM