ON COME UP
#40 | Feb 12, 2019

ゴッホやストリートカルチャー等の要素が詰まった独自のスタイルで、ユニクロやナイキともコラボするNY在住日本人アーティスト

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

未来に向かって躍動する人たちをインタビューする“ON COME UP”。第41回目のゲストは、ニューヨークを拠点に世界で活動するアーティスト、Meguru Yamaguchiさん。キャンバスから飛び出した立体作品やビルの壁面などを制作しています。ヒップホップのテクニック「サンプリング」から着想を得たという、絵の具で描いた筆跡を切ってコラージュする独自の「カットアンドペースト」という表現方法が注目され、ISSEY MIYAKE MEN(イッセイ ミヤケ メン)、ユニクロ、ナイキなど大企業とのコラボレーションを制作。ストリートアートと現代アートをミックスしたような最先端の作風の印象を受けるMeguruさんの作品ですが、絵を描き始めたのは6歳のとき。藝大を目指して4浪する挫折を味わったのち、仲間が卒業するタイミングの2007年に単身渡米。そこから世界的アーティストへの道が拓かれました。現在はブルックリンに住み、1時間かけてブロンクスのアトリエに通って作品制作を続けるMeguruさんに、幼い頃のことから画家を目指したきっかけ、ニューヨーク生活、ブレイクしたきっかけや成功とチャンスについてを、個展開催中(インタビュー当時)のソーホーのギャラリーで伺いました。
PROFILE

アーティストMeguru Yamaguchi

1984年東京生まれ。2007年に渡米し、現在はブルックリン在住。時代や国を越え普遍的に存在する伝統的な “筆跡 /ブラッシュストローク” の手法を用いて、時代の表現に昇華するスタイルで創作活動を続けている。代表作品は、キャンバスという規定の枠組みを越えて「筆跡」自体が立体作品になった「OUT OF BOUNDS」シリーズ。またそれを解体し、再構築させた「SPLITTING HORIZON」シリーズがある。

Meguru Yamaguchi

 

小さい頃はどのような子供でしたか?

普通の子供と同じようにスーパーファミコンをして遊んだりしましたけど、基本的には絵を描いている時間が長かったように思います。保育園の頃、「ドラゴンボール」の悟空の絵を描き続けていたら、親に「絵画教室に行ってみたら?」と勧められたので、広尾にある大山絵画教室に通い始めました。ドラゴンボールの作者鳥山明さんは、色のセンスやキャラクターの造形も発明的で、一生敵わないと思える存在でしたね。

大山絵画教室とはどのような教室だったのですか?

東京藝大出身の女性の先生が近所の子供達を集めて絵を教えている、地元ではわりと有名な絵画教室です。授業では、ゴッホとかピカソのポストカードを油彩で模写するのですが、先生に「絵の具にはお金をかけなさい、そしてたくさん使いなさい」って、まだ6歳なのに教え込まれたんですよ(笑)。そのせいか今も、もの凄い量の絵の具を毎週買って使ってます。

子供の頃、大山絵画教室にて

小さい頃の夢は?絵画以外に夢中になったものはあります?

小さい頃から画家になると決めていました。絵画以外に習ったのは空手くらいですかね。でもめちゃくちゃ強い人が周りにたくさんいたし、空手で飯食うとは自分では考えられなかったので、当時から自分には絵しかないと思ってました。

小さい頃に絵を描いていて印象に残っていることはありますか?

小学校の図工の時間に自画像を描いていると、俺だけみんなと同じサイズに収まらなくなって、図工の石川先生がどんどん紙を足してくれて、かなりでかい絵になったんです。発表の時間に絵を並べると、俺の絵だけつぎはぎだらけのでっかいポスターサイズ(笑)。でも石川先生は、「もっとやりなさい」って言ってくれて、いつも好きなように描かせてくれました。

素晴らしい先生ですね。では中学、高校時代はどのような学生でしたか?

遊んじゃったのでほとんど絵は描いてなかったです。当時は感覚のまま描いていたのに、ポスターが渋谷区で表彰されたりしたから調子に乗ってたんです。でも大学受験の予備校に通ってみると、そこにいた連中には技術で敵わないことがわかって、ようやく基礎からちゃんと学び始めました。

ご両親にはどのように育てられましたか?

両親はファッションデザイナーだったのですが、やりたいことをやりなさいっていう育てられ方をされてきました。それに、僕は普通だと思っていたんですけど、地元、恵比寿の町内会では家族自体がかなり浮いてる存在だったみたいです(笑)。アーティストになったのも両親の影響が大きいと思いますね。

ご両親から言われて覚えていることはありますか?

「お前の魅力はそれしかないから、絵だけは一生懸命描きなさい」って言われてました。普通は画家なんてやめろって言うじゃないですか。でもうちは、「アーティストが一番かっこいいからやれよ」って。だからずっとやり続けてこれたのは、親のおかげだと思ってます。

予備校で学んだ後は、美術系の大学に行かれたんですか?

藝大を受け続けたんですけど、結果4浪したんです。しかも4浪したら現役で藝大に入った友達が卒業するタイミングと重なって、卒業後の彼らを見ていたら画家にならずみんな違う職業に就いていくんです。純粋に作品を作って食べていく人が一人も見当たらなかった。それで、僕は大学に行かないままニューヨークに来たんです。今は藝大に行けなくて良かったなって思ってます。未だに春になると藝大受験の夢を毎年見ますけど(笑)。

行き先をニューヨークにしたきっかけはなんだったのですか?

高校の時にパルコでKawsの展示をやっていて、作品が一枚60万とかでバンバン売れていたのを見ていました。Kawsのようにグラフィティー出身のアーティストのキャンバスに描いた作品がたくさん売れる一方で、藝大の学生のようにめちゃめちゃスキルの高い人たちが卒業しても食えてないのはなぜだろうって自分でずっと考えていました。それで、ニューヨークに行ったら画家になれるかもしれないという淡い期待を抱いてやって来たんです。

その時なぜだろうと思った答えは、ニューヨークで見つかりましたか?

こっちに来て長い時間をかけてわかったんですけど、例えば日本の美術教育って絵で生計を立てていない人達が多く教えているから、絵を描いて食べていけるなんて若い人達は思ってもないと思います。ニューヨークは人気の作家が教えていることが多いですし、日本人はアメリカに憧れがあるけど、アート以外のカルチャーでもアメリカのシーンで今本当に何が起きているかをあんまり見ようとしていない気がします。個人的に思ったのがアメリカってクラスのサッカーとか上手い人気者がノリでアートやってる感覚というか(笑)。もちろんそういう人だけじゃないですけど、アーティストに対して皆リスペクトがあるように感じます。日本は作品自体よりもそれに付随する「語り」に力をいれる人が多いように思います。それは一つのスタイルであって、ビジュアルで攻める作家がもっとたくさんいてもいいんじゃないかなって。もっといろんなスタイルがあっていいはずのに、日本は「正解は一つしかない」って思ってる人が多い気がします。

周りの人と比べたり、世間からどう見られるかを気にしたりしてしまうんですかね。

ニューヨークに来て一番良かったのが、周りのノイズがないことです。ドラゴンボールでいう「精神と時の部屋」ですね。そこは、地球上で感じる24時間が1年分に感じる所で、ノイズも何もない所でひたすら修行するんですけど、それが僕のニューヨーク生活と同じだと思うんです。ニューヨークって確実に東京と時間の流れるスピードが違いますし、自分のスタジオはブロンクスにあるので喧騒から離れて窓から緑が見えるんです。ここだと人の意見を気にせずひたすら自分のやりたいことに没頭できる。日本にいたら周りの目や人の意見が気になっちゃって、多分こんな風に突き抜けた表現はできなかったと思います。自分がやるべきことをやらずに人に干渉したり噂話したりする人が多いじゃないですか。

プロになろうと決意したのはいつですか?

2007年にニューヨークに来てからなので、23歳くらいの時です。

ニューヨークに来てからのことを聞かせてください。

まず、2007年の4月に視察で10日間だけ来たんですけど、その時にソーホーにあるギャラリー「Deitch Projects(ダイチ・プロジェクト)」でクリスティン・ベイカーっていうアーティストの個展を見て衝撃を受けました。今まで学んできたことを全部否定されて、頭をハンマーでバーンと殴られたような感覚。「自分は今まで知らない間に自分でブレーキをかけてたんだ、やりたいこと、好きなことをやっちゃってる人って世界にたくさんいるんだ」って思いました。「何をやってもいい。もっと飛び出そう」って、日本の芸術大学の思考に囚われていた自分が全部吹っ切れたのがその日で、頭にかかってた靄が一気に晴れました。

その後、どのようにキャリアを積んでいったのですか?

本格的に渡米してニューヨークに住み始めてからは、僕と全く違うスタイルのアーティストのアシスタントを5年くらいやってから、2012年に独立して今6年目になりました。2011年に日本のギャラリーで個展をやった時、作品が完売したんです。それで、売れたことに僕自身が結構満足しちゃったら作品がつまらなくなっちゃって、それから数年間売れなかった時期があります。

2011年に日本のギャラリーで個展を開催した時の作品

その経験から学んだことはありますか?

満足したらダメなんだなと。それで、常に攻めの姿勢で作品を作り始めたらまた売れるようになりました。感覚的な部分なんですけど、自分がやっていてワクワクしていないと観た人は絶対感動しないし、買わないんですよ。今回作品に円(の形)を取り入れたように、本当にちょっとしたことでいいんですけど、新しい要素を入れて自分自身が常に満足しないようにしています。

円の作品

Meguruさんはいつもどういうところにワクワクするんですか?

元々キャンバスに描いてないという時点で見たことのない形に仕上がるんですけど、自分が見たことない形ができた時はワクワクしますね。

作品が売れないときは、アーティストとして生計は立てられていたんですか?

いや全然。バイトもしてました。このギャラリー近くの「ジャパンプレミアムビーフ」という肉屋や古着屋で働いてました。それでも年に一枚くらい大きい作品が売れるから、3年間くらいはその状態でちょっと満足してました。

絵だけで食べていけるようになったきっかけはありました?

きっかけはコラボレーションですね。2017年の1月にイッセイミヤケさんとコラボさせてもらってからガラッと変わりました。「HYPEBEAST」などファッション系のメディアで取り上げられるようになって、それからインスタグラムに展示会の情報を載せると、台湾、シンガポール、マレーシア、ヨーロッパなど世界中から一気にオーダーが来て売れるようになったんです。その後も、ナイキやユニクロとコラボさせていただきました。

イッセイミヤケとコラボした時の商品と店舗

Meguruさんの作品は、現在オーダー待ちなんですよね。

今もオーダーが止まらない状態がずっと続いてます。一年待ちとかそれ以上ですね。ありがたいことに今回の個展でも作品は全部売れました。

購入される方はどういう方なんですか?

色々ですけど、学生もいます。ニューヨークはお金持ちの家族の学生が多くて。昨日は、作品を買ってくれた学生に「学校の課題にするからインタビューさせてくれ」って言われて、がっつりインタビューまでされました(笑)。 30代とか40代くらいの若い起業家の方も多くて、「いつも見て、パワーもらえるよ」って言っていただけることが多いです。会社に飾ってくださってるようです。

アーティストをやっていく上で大変なことはどんなことですか?

自分のスタイルが決まるまでは大変だと思います。スタイルが決まって楽しんでいれば次の話が来るようになると思いますけど、逆に何を描いていいかわからないって悩んでいる人が多いように思いますね。大事なことは自分が本当に伝えたいことや言いたい事は何か?ってことだと思います。

ご自身のスタイルを一言で表すと?

見たことのないもの。このシリーズは「OUT OF BOUNDS(アウト・オブ・バウンズ)」って言うんですけど、野球のファウルボールやゴルフで言う“OB”のことで、境界線の中から飛び出した球とか、ルール外のところという意味です。

この“飛び出す”っていう発想はいつからなんですか?

このスタイルは2016年からです。僕、岡本太郎さんがすごく好きなんですけど、ある時ジミー大西さんに「もっとはみ出しなよ」って画家としてのアドバイスをしていたのを観たことがあって、それから僕も「はみ出すなら思い切りはみ出してやろう」って意識し始めました。

先ほど小学校の頃も自分の絵だけ大きくなったとお話しされてましたね。それは元々の自分の癖でもあるのでしょうか。

そうですね。今思うと誰かに与えられたテーマの中で上手く描くとか、枠組みの中でやるのが苦手だったのかなって。自由に好きな形が決められるから、このスタイルが決まってからは毎日がすごく楽しいですね。12月に中国で行われたBAY ARTっていうフェスティバルでは7メートルの作品を作りました。

BAY ARTで展示した7メートルの作品

作品を拝見しても、ストリートと現代アートや、様々なスタイルと時代がミックスされていると言うか、既存のルールをあまり感じませんね。

そう、これはストリートアートのグラフィティーの線の動き一度解体して再構築し、タギング(*)の線の動きを色々集めてリサーチした結果の動きになってます。こういうストロークって書道でもあるし、僕が習った芸大系のオイルペインティングでもあるし、それらをミックスして枠を外したのが僕のスタイルです。
*ストリートにスプレーペイントやマーカーなどで描かれた落書き

作品に青が多いのはなぜですか?

単純に青が好きなんです。小さい頃から青レンジャーが好きだったし(笑)。理由はないですけど。ピカソの青の時代ってあるじゃないですか。若い頃にしか書けないっていう思いもありますし、ブルーハーツっていうバンドも好きだし、自分の中で青がキーワードなんです。

作品を作る上で、何が一番大切ですか?

何がずっと残るのか、本物はなんなのかってことを常に考えることだと思います。あくまで自分の一意見ですけど、今のニューヨークのアートシーンを見てて思うんですが、本当にカッコいい奴がいないなって、本物が不在の時代だと思ってて。人々の生活がSNSと密接になりすぎて、消費の速度がファッションもアートも変わらなくなってきている気がします。みんな作品を掘り下げる時間も、こだわる時間もないから、表層だけのそれっぽい軽い表現が蔓延しているし、若いアーティストを志す奴らもそれが正解だと思ってしまう。そんな中で現代のアーティストはサバイブしていかないといけない。だから自分がここでやりたいのは流行って2、3年経って忘れられる上澄みの表現ではなく、心のど真ん中を正拳突きで貫いた本質を突いた作品を作っていきたい。それを今のタイムライン的なスピード感の中で、やり続けなくてはいけない。

素晴らしいですね。「これだ!」という作品が完成する時って、何が一番の決め所なんですか? 

今まで見たことのない形ができたかどうかで毎回判断してます。実は、これは使えないなっていうストロークもかなりあるんですよ。30枚描いてようやく生まれたものもあるし。だから絵の具の量も凄く使っちゃうので、(絵画教室の)大山先生の教えは守ってます(笑)。

映画や音楽、アートなどで影響を受けた人は?

音楽はヒップホップ。数え切れないほどいるけれど、モブ・ディープが好きですね。日本人だったらDJ クラッシュとか5lackとザ ブルー ハーブに影響されました。ヒップホップは、もともと誰かと誰かのミックスしたもので新しいものを生み出すスタイルなので、僕の作品スタイルと同じです。アーティストはクリスティン・ベイカー、あとは白髪一雄、岡本太郎、フランク・ステラ、ゲルハルト・リヒター、草間彌生など挙げたらきりがないですね。彼らの作品を観まくったので、僕の作品にはそれら全ての要素が入ってるんじゃないかと。

好きなグラフィティーアーティストは?

いっぱいいますけど、グラフィティー出身だとバリー・マッギー、フューチュラ、ダッシュ・スノー、友達でもあるSABE(セイブ)、KYNE(キネ)、トッド・ジェームス、ファウストとか。ストリート出身でキャンバスに描いてるアーティストって、単純にクラシックに絵を学んできた人たちとは違う良さがあります。

映画は?

「KIDS」 というニューヨークを舞台にしたラリー・クラークの映画が好きですね。あそこからシュプリームのカルチャームーブメントが始まって、中学の時友達の家で観て相当影響を受けました。

ゴッホからはどう影響を受けてます?

図工の本にゴッホのひまわりの作品が載っていたのを見て育ったんですけど、高校1年の時に初めて新宿の美術館で本物を見た時に、絵の具が厚塗りでガァーっと出ている様子とか、教科書や写真からは伝わらない感動があったんです。僕の作品もSNSで世界中の人が見てくれますけど、実際に生で見ないとわからない臨場感みたいなのは大切にしてるかもしれないですね。

作品を平面ではなく、立体にしてるのは臨場感を増すためなんですか?

そうですね、単純に視覚的なインパクトを与えたいし、僕がゴッホやクリスティン・ベイカーの作品を初めて見た時に受けた衝撃くらいの感動を与えたいというか、自分が経験した衝撃を他の人にも味わって欲しいなっていうのを突き詰めたら、こういった作品になりました。

これから挑戦してみたいことってありますか?

ギャラリーの大きさと全然関係ないような、それこそ20メートルくらいのでっかい作品を作ってみたい。日本でも面白いことをパブリック(公衆)でやってみたいですね。

今社会で起こっていることで気になることはありますか?

社会で起こっていることはあまり気にしないようにしてますね。と言うのは、自分はほとんど関与できないことだと思ってます。基本的に世に出るニュースってネガティブな報道が多いですよね。ポジティブもたくさんあるはずなのに。単純に朝起きて一発目で嫌な情報に引っ張られたくないって気持ちがあります。なので情報はひたすらシャットアウトしてるので、テレビはニューヨークに来てからもう10年くらい見てないし、SNSも基本は他の人の投稿は見ないですね。それよりも自分の身の回りにいる仲良いやつらや家族との時間を大事にしてます。

ご自身がやられていることで、日本や世界を変えられることがあるとしたら?

自分自身が見たことのない作品を作り続けていれば結果的に何かが変わるきっかけになると思います。個人が繋がっての社会だから、世界を変えるというよりかは、自分自身が常に進化し続けたり、支えてくれる周りの仲間や家族に感謝したり、新しいことに挑戦し続けて平和を願っていれば、自ずと良くなるんじゃないかと思います。

今までを振り返って一気に視界が開けた瞬間や、ご自身が成長したと実感した出来事はありますか?

 何度もスタイルは変えてきているんですが、一番は今発表しているこのシリーズ(OUT OF BOUNDS)の作品ができた時ですね。HAROSHI(ハロシ)さんという尊敬しているアーティストがいるんですけど、彼は以前東京で「HHH Gallery」というギャラリーをやっていたんです。僕は2016年にそこで個展をやらせていただいて、このシリーズを初めて発表しました。これが出来たときは「ひらけた!こんなの見たことないよ!」って欲しかったものがようやく自分で作り出せたのを実感した瞬間でしたね。

それでは、Meguruさんにとってチャンスとはどういうことだと思いますか?

チャンスとは常に転がっているものだと思う。ピンチがめちゃくちゃチャンスなこともあるから、それに自分が気づくかどうかの話です。要するに見方を変えてみて全てから学ぶ姿勢を忘れないようにすること。そう考えたら実は世の中チャンスだらけなんですよね。なので常に目の前のことに一所懸命やることが大事だと思っています。

では、Meguruさんにとって成功とはなんですか?

本当にやりたいことができて、健康で、平和に生きていけたらそれが成功なんじゃないかなと思います。僕だったら、仲間や家族と笑いながら暮らして、毎日絵を描いて生計を立てられていれば成功だと思います。特に高級車が欲しいとか高い服が欲しいとかいい所に住みたいとかいう願望もないし。好きなスニーカーを好きな時に買えるようになったのは嬉しいですけど(笑)。 単純に見たことのない作品が見てみたい。そんな作品を作り続けていたい、ただそれだけなんですよ。今の状況はやりたいことができて、僕の作品を待ってくれてる人達がいるっていう幸せでしかないので、本当にいい作品を作り続けていたいです。

普段から心がけていることがあれば教えてください。

全ての事に感謝すること。感謝って日本人にとって自分を内省する時間とか瞑想に近い感覚だと思ってます。あとは自分が良い作品を作るというスタンスを崩さないこと。携帯のパスワードとかをGood Art(良い作品)にして常に無意識に働きかけたりしてます。富や名誉に心がブレると確実に作品が変わっちゃうんですよ。悪い時でも良い時でも心を不動の状態にすること。常にニュートラルな精神状態でいることが一番大事だと思います。

最後に、3年後、5年後、10年後のご自身はどうなっていると思いますか?

あんまり目標とかを考えるのが得意じゃなくて、常に今なんですよね、今やっていることをただ一生懸命やることが想像を越える未来に繋がると思ってるから、3年後、5年後、10年後って具体的に何してたいとかあんまりないんです。今やりたいことならたくさんあるし、それに集中してたら自ずとそこに続いていくんじゃないかと思います。

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