ON COME UP
#50 | Oct 13, 2020

人気コメンテーターが新刊エッセイで魅せた新たな感性。研究者としても新たな世界の扉を開き、人生をかけたテーマに挑む

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

今回登場するのは、ニューヨーク州弁護士で信州大学特任准教授の山口真由さん。テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」を始め、数々のメディアでお目にかからない日はないほどの人気です。北海道出身の山口さんは、15歳の時、筑波大学附属高等学校入学と同時に上京し、猛勉強の末に東京大学法学部に合格しました。東大在学中は、司法試験と国家公務員試験一種に合格し、学業優秀者に与えられる「総長賞」を受賞して卒業。その後は財務省に入省しますが、司法の道を歩むことを決め、ハーバード大学ロースクールへ留学します。帰国後は、コメンテーターとして活躍するだけでなく、「東大首席弁護士が教える超速『7回読み』勉強法」などの多くの本を出版、また最近は大学院で博士号を取得して、2020年から信州大学特任准教授に就任し、研究者としても新たな一歩を踏み出しました。類い稀な才能と努力をいかんなく発揮して多岐に渡る分野で活躍される山口さんに、幼い頃のことから中学生の頃の悩み、東大受験のこと、官僚時代や海外生活で感じたこと、また新版「高学歴エリート女はダメですか」についてや、チャンスと成功、今後挑戦したいことなどを伺いました。
PROFILE

信州大学特任准教授/ニューヨーク州弁護士山口真由

1983 年、札幌市生まれ。東京大学法学部卒。財務省、法律事務所勤務を経て、ハーバード大学ロースクールに留学。2017 年にニューヨーク州弁護士登録。帰国後、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程に入学し、2020 年に修了。博士(法学)。現在は信州大学特任准教授。

山口真由

―小さい頃は、どんな子供でしたか?

どちらかと言うと空想好きの子供で、みんなと遊んでいるよりも本を読んだり、空想にふけっているほうが好きでした。北海道の地方の学校に通っていましたが、みんなと同じことを同じようにやらなきゃいけないと思って努力しても、なんとなくずれちゃうようなところがあったと思います。

 

5歳の頃

―ご両親からはどのように育てられましたか?

両親にはひたすら、「この子は奇跡の子だ」とか、「生まれた瞬間から世界を不思議そうに見渡していた」とか言われ続けていました。 私は何か特別な子なんだという風に思わせるようなタイプの親でしたね。「あなたは本当に言葉を覚えるのが早くて」とか、「表情豊かで」とか、「全然人見知りしなくて」とか、 今思えば普通のことだったんですけど、親はキラキラしたポイントだけを紡ぎ出して効果的に話してくれたんだろうなって思います。

 

―小学校の頃になりたかったものは?

小学校の頃は牛になりたくて(笑)。すごく食べるのが好きだったので、牛が一日中戻しては食べ続けるっていうのを聞いて、すごいなと思ったんです。でもそのうち無理かなって諦めました(笑)。5年生くらいの時に雅子様が結婚されたのですが、 オフホワイトのコートを着てらっしゃる姿がめちゃめちゃ綺麗だったんですよ。その時、外交官の存在を知って、霞が関で働くのっていいなって思い始めました。

 

―中学校の時はどのような生徒でしたか?

中学生になって制服を着るようになり、初めて成績の順位が出るようになり、 みんなからちょっとでも外れることを罪深く感じる環境になりました。女子の間で順番に誰か一人をいじめていくみたいなのが流行った時期があって、クラスで回している手紙に“真由ムカつく”みたいに書いてあるのを見つけてすごく落ち込んだりして、今思えば結構辛い時期だったかもしれないですね。その時は中学校が私の世界の全てだったので、そこで受け入れられないことに大変さを感じていました。

 

―高校入学と同時に北海道から上京したそうですが、珍しいですよね?

ほとんどいないですね。模試で全国1位の成績を取った時に塾の先生からお電話をいただいて、「せっかくだったらどこか受けてみないか」って言われて、「そうか、この空は東京に繋がっている、この雲の向こうには東京の子達がいるんだ」って思って、受けてみようと思いました。上京してからは、父方の祖母の家から高校に通っていました。

 

―15歳でご両親と離ればなれになるって、寂しくなかったですか?

寂しい時もありましたね。中学生の頃は全然気づかなかったですけど、親って意外と偉大なんですよ。例えば風邪を引いた時に、私が何も言わなくても、声がいつもと違うと、「真由、風邪引いてるから薬飲めば」って言ってもらえてたけど、私が風邪を引いても誰も気付かないんだって、当然のことを初めて知りました。何も言わなくても手を差し伸べてもらえたことの有り難みに割と早く気づいたのは良かったなと思います。

 

―筑波大学付属高等学校に通われましたが、高校生活はいかがでしたか?

すごく良かったです。筑波大付属の生徒って、基本的に親の愛情を真っ当に受けてすくすくと育ってきた子達ばかりなんですよ。だからいじめとか仲間外れはないし、変わった子がいることを普通のこととして受け止めてるんです。例えば、「好きな俳優誰?」みたいな話になった時に、流行ってる人の中から選ばなきゃって昔は考えてたんですけど、 私の友達が、「マイケル・ダグラス」って平然と言ったんですよ。普通にそういうことを言える子に会った時、自分も好きなものを好きって言っていいんだなって思いました。

 

高校の入学式にて。母と

―高校ではすごく勉強したそうですね。著書では努力を習慣にするという話をされてますけど、勉強するのは当たり前の習慣でしたか?

そうですね、大学受験前は毎日14時間ぐらい勉強しましたね。今、友達の子供を見てると、14時間座っていることが平気な子って結構少ないんですけど、私は全然平気なんですよ。非常にルーティーンを重視する親だったので、寝る時間、睡眠時間と3食の時間をしっかり決められていたから、幼い頃から基礎体力がついたのかなと思います。

 

―東大受験は余裕でしたか?

東大は、最終的に倍率が3倍くらいなので、席に着いて両隣を見て、「私が一番」って思って言い聞かせればいいんですよ(笑)。 針の穴を通すような難解な試験ではなく、努力してなんとかなる範囲です。それに、同じ高校から東大受験する子が多かったのもラッキーで、自分だけが特殊なことをしてるっていう感じはあまりなかったです。それでも合格した時はホッとしましたし、両親も喜んでくれました。

 

―東大では一時期ラクロス部のマネージャーもされたそうですね。

私、ミーハーなんです。当時ラクロス部にミスター東大がいて、めっちゃかっこ良かったのが入った理由なんですけど、あまり続かなかったですね(笑)。勉強って自分でするじゃないですか。でもマネージャーは、選手がシュートを外しても、自分がやるわけじゃないから、入れろとかも言いにくいですし。それにラクロスのボールって当たると痛いんですよ。それで、ミスター東大ごときにつられちゃいけないって思って、大学1年でマネージャーは辞めて、司法試験の勉強を始めました。

 

―現役で司法試験、国家公務試験の両方に合格されました。そして東京大学を首席で卒業されますね。

そうですね、司法試験は3年生の時に合格して、成績がずっと優だったので、卒業式では総長賞をいただきました。事務局の方から連絡が来てお話しした時、「どうしたらこんなに優を取れるんですか?」って聞かれて、私は、「一冊の本を7回も読めば」って答えたんです。そこから「7回読み」っていう言葉が生まれたんですね。でも本当は7回どころじゃなくて、司法試験の時なんかは100回以上同じ教科書を読んでるんですよ。100回も読めば絶対に覚えますよね。私の場合は読み方が雑なのもあるでしょうけど、同じ本を何回読んでも新しい発見があるんです。

 

―司法試験と国家公務員試験に両方受かったのに、まずは財務省を選んだのは何か理由があったんですか?

弁護士の仕事もすごい魅力的だなって思ったんですけど、面接で弁護士事務所の先生に、「小学校の時からの夢だったのなら、官僚になった方が良い」と言っていただいて、一回はなっておかなきゃいけないなぁと思ってそうしたんです。

 

―財務省に入っていかがでしたか?

すごいいいところですけど、すごく忙しいんですよ。全然家に帰れない時もあるんですね。でもその割に給料が少ないんですよ。よくよく時給換算すると、飲食店とかでバイトし続けた方がいいってことになるんです。それでも働くのは、やっぱり官僚の人って国のために何かをしたいという想いがあるからなんですね。でも私はその情熱が全然なかったのと、ステレオタイプの役割の中にうまくはまらないタイプなので、徐々に居心地が悪くなってきてしまって。

 

―それで弁護士になったのですね。その後、ハーバードに行かれましたが、海外に行ってみていかがでしたか?

日本を外から見たことが一切なかったので、良い機会だと思って行ったのですが、すごくびっくりしました。予定したことが全然予定した通りに進まないんです。例えば地下鉄に乗っている時に、途中の駅で突然止まって戸惑ってると、乗客はみんな降ろされて。駅員さんに隣の駅に行きたいことを告げると、「申し訳ありません」て言われるかと思いきや、「Walk!(歩いて!)」って指示されて、「歩かなきゃいけないの!?」みたいな。きっちり予想通りに物事が動いていく日本の仕組みは、何ものにも代え難いなと思います。

 

―ましてやルーティーンを大事にする家庭で育った山口さんなら、なおさら大変でしたね。

全然ルーティーンにならないみたいな(笑)。だけど、良かったなと思うのは、私はそれまで官僚や弁護士になって、肩書きに頼っていたというか、「財務省の山口真由」、「弁護士事務所の山口真由」だったのが、アメリカではあまりそこを気にしなかったんですよね。英語も全然喋れない私と話して相手も楽しいのかなとか、私自身の価値を発揮できてるのかなって初めは思ってましたけど、友達が一緒にいて楽しいと言ってくれてから、私は私のままでいいんだなって、すごく楽になりました。

 

―お話を聞いていて、山口さんって全然挫折がないように感じますが、振り返ってみて、一番の挫折ってありますか?

私の挫折は、人生の前半部分であまりに挫折を恐れすぎたことが挫折。失敗をすごく避けてたんですよ。それはそれで良かったんですけど、財務省に入る前くらいまでは、できないかもしれないと思ったことに挑戦しなかったんです。それで、財務省に入る最終面接で、「挫折はありますか?」って聞かれて、「運転免許試験に落ちました」って言ったら、シーンとして。私はその時、私は挫折がないんだって思ったんですよ。考えてみれば、私はものすごく小さいことに傷つくんです。自分に対してすごく過保護だったから、挑戦することが怖かったんだと思います。

 

―もっとチャレンジしようとか、失敗していこうみたいに思えるようになっていったのはいつですか?

留学した時ですかね。それまで私はどちらかと言うと減点主義で、私にはこれが足りない、あれが足りないと思ってたんですけど、それは自分がすごく恵まれてたからだろうと思ったんです。でも留学して、ビリから数えた方が早いくらい英語ができなくて。それで下から数えたほうが早いってわかった時に、気持ちが楽になって、 クラスで一個でいいからとにかく質問してた方がいいと思って、いつも質問を書いて行って、それを言うようにしたんです。実際に言ってみると、みんながシーンとしちゃって、「あ、私なんか変なこと言ったんだな」って思うけど、とにかく言った私が偉いって褒めるようにして、失敗って挑戦の裏返しだよねって自分に言い聞かせるようにしてから大分楽になりました。30を過ぎてからコメンテーターをやらせて頂いて、すごく失敗するし、恥ずかしいなと思うことが多いんですけど、逆にそういうモチベーションを持てたのがいいなって。恥ずかしいということは失敗した、つまり挑戦したんだ、やったぁ!って思えるようになったのは良かったと思います。

 

ハーバード大学卒業式にて

―良いですね。では、人生を変えた出逢いはありますか?

留学した時に面倒見てくださった、アカデミックアドバイザーでメンターの、ジャネット・ハリー先生です。物事の視点がすごく自由な方で、私はこうじゃなきゃいけないんだっていう思い込みに捉われなくていいんだと思えるようになりました。日本のいわゆる「普通」の価値観から言われがちな、「いつ結婚するの?」とか、「子供はどうするの?」みたいなことを、ジャネット・ハリー先生は全然気にしてなかったし、あなたはすごく素敵よって普通に言ってくれて、もっと自信を持っていいんだなって。ある時、限られた時間の中で文書について必死で意見を言った私に、「ビューティフル!」って言ってくれたこともありました。当時、英語ができない上、自信まで失っていた私に、考えてることをちゃんと表現すれば、たとえ伝え方が稚拙でも人はちゃんと聞いてくれるんだなって思わせてくれたのも先生でした。

 

―山口さんは、仕事を人生の中でどのように捉えてますか?

20代の時は、仕事こそ人生というか、仕事しかやっている余裕がなかったんですけど、30代になって、私は弁護士の仕事に向いてるのかなと思い始めました。今は基本的にはアカデミックの仕事の方をメインに、あんまり焦らずに少しずつ人生の一つの目標みたいに進んでいこうとしています。それに、今一緒に住んでいる妹と過ごす時間もだいぶ温かい想いで見られるようになってきているので、家族と過ごす時間とのバランスもうまく取れてきたかもしれないですね。

 

―今はコメンテーターのお仕事が多い印象ですが、博士号も取得されましたね。他に実現したいことがおありでしょうか?

私は昔から、「親とは何か」っていうことにすごく興味があるんです。自分の親に対する思い入れや感謝もあるんですけど、それを次の世代に伝えていけないのは悪じゃないかと思うことが結構あって。親とは何か、父とは何か、母とは何かみたいなのを今やってるんですけど、もし仮に自分の親に生まれていなかった可能性とかも常に考えています。と言うのは、私の中の問題意識として、子供を親子関係の中に閉じこめてしまっていいんだろうかっていう思いがあるんです。そんな権利って親にあるの?みたいな話から、一体どうしたら親になれるんだろう、何をもって人は親と認められるのだろう、みたいなところにすごく興味があります。

 

コメンテーターとして番組出演前。控え室にて

―新刊「高学歴エリート女はダメですか」は、今までブログで連載していたものを一冊にまとめたエッセイということで、今までの著書と全然違いますね。

そう、何年もずーっと出したいって言い続けて、ようやく出させてもらいました。女性向きに書いた本で、ノウハウ本じゃないんです。さっき言った家族法みたいな話は結構込めてるんですけど、20代、30代を一生懸命働いてきて、いつの間にか一人で生きてるみたいなところがあって、親からは、結婚しないと寂しいわよとか言われて。私としてはすごいちゃんとしたいって思ってるのに、それができなかったっていうコンプレックスや、モヤモヤした想いを抱きながら生きてる人って意外と多いのかなと。そういう人たちに対して、モヤモヤし続けることは正しいんだって伝えたい本なんですよね。結婚して子供を産んで育てて幸せという、きちんとしていると思う生き方はしていなくても、私たちの生き方も、それはそれで真っ当なんだなっていうのを書きたかったんです。フェミニズムに関しても最初に少しだけ触れていますが、ちょっとおこがましい気持ちもありますけど、疑問や違和感を持つことへのちょっとしたきっかけになればいいなって。

 

―フェミニズムという言葉で全てをひと括りにされて、フェミニズムがまるで女性至上主義みたいな解釈をされて終わってるところもありますもんね。

まさにそこをやりたくて。だからなおさら、それをここでどう表現するかって結構難しいんですけど、今回は難しい内容は一切省いたし、小室圭さんや松居一代さんについてとか、読んでくださる方が軽く読めるような話が多いですけど、どこかで多様性に対する肯定感とか、「普通って何でしたっけ?」っていう意識とかを入れたくて書いたので、私としてはすごく思い入れのある一冊ですね。

 

―どういう人に読んでいただきたいですか?

私と同じように、20代、30代とかで仕事を一生懸命頑張っているけど、仕事だけバリバリというわけでもないし、だからっていわゆる女として生きていくことをずっとやっていけるわけでもない人たち。そういう人たちって一番割を喰うタイプなんですよね。そういう人たちに、 あなたは非常に繊細で共感力があって、聡明だから、社会の複雑さをもろに受け止めてしまっているのよ、というメッセージを伝えたいです。

 

ーところで山口さんの理想の女性像は?

かっこいいなと思ったのは、国連の緒方貞子さん。あの方の家族と仕事のバランス感覚とか、引き際が素晴らしいなと思いました。政治家になるように勧められても、「私はもうこの任務を終えましたので、これからは家族との時間を大切にします」みたいなことを仰っていらしたのもすごいと思いましたし、緒方さんは40代、50代からのキャリアの伸び方が素晴らしいんです。緒方さんのように、女性が年齢と共にもっとキャリアを伸ばしていくことはできないんだろうかっていうのはすごく思いますね。

 

―これから挑戦してみたいことはありますか?

今アカデミックなところで、“親とは何か”っていう永遠のテーマへの挑戦をしていると思ってます。

 

―社会で起こっていることで、気になることは何ですか?

ウイグル 問題がすごく気になっています。私のロースクール時代の同級生の弟も、ある日突然警察が来て、手錠をかけられて連行されました。本当に何もしてないのに、懲役15年と言われたみたいで、そんな悲劇が起きていいのかなって思いますね。私は中国も中国人も好きですが、中国政府がしていることの中には、私たちの常識では考えられないことがあるなって。しかも、 収容した人たちを教育する再教育施設があって、そこでは医者とか作家とか弁護士とか、ちゃんとした職業がある人に普通に制服を着させて、床屋になるための訓練とかをさせてるそうです。それって人のアイデンティティを破壊することじゃないですか。そういうのって、私が細かく受けてきた傷とは半端にならないくらい深い傷だって思うので、やっぱりそういうのは問題意識として持っています。

 

—お話を伺っていると、山口さんは理性だけでなく感性もとても豊かな方ですね。

私、感動屋さんですぐ泣くんです。感情的になるのが恥ずかしいから、なるべく理性的でいようとして勉強してきたみたいなところがあるんですよね。 私はもともと感性の人なので、本当は気持ちの赴くまま話したいんですけど、男社会で仕事していかないといけなかった時に、やっぱり泣いたりとかしたらみんなすごく困っちゃうじゃないですか。だからちゃんと訓練しなきゃって思っていて、そこは課題です。

 

―コメンテーターとして、冷静にコメントする山口さんも素敵ですが、その感性を全面に出したお仕事も良いのではないでしょうか?

今少しずつ出していくようにとは考えています。エッセイも初めて感性に触れて書いたものですし、すごく泣きながら書いた部分もたくさんあります。そういうのを少しずつコントロールしながら感情や感性を出していきたいなと思います。

 

―自分のやっていることで、日本や世界が変えられるとしたら、どんなところだと思いますか?

私は家族なんですよね。家族のあり方って少しずつ変わっていくはずだし、変わっていくべきだと思っていて、私はそこから世界を変えたいなと思っています。いわゆる一般的なきちんとした家族というものに、日本はゆるく誘導していくようなところがあって、その枠から外れた人たちは、何で結婚してないのかとか、 なぜそこに入らなかったかという説明責任を常に問われ続ける。私はそれが苦痛だったので、そこにただ存在する有機的な機能も家族として認めて、そのゆるい繋がりが外に開けるようにしていこう、それで子供達がもしそこに疑問を持ったら、他の大人にアクセスできるようにしていこう、っていう風になれば、社会や世界が変わっていくんじゃないかなって思っています。

 

―素晴らしいと思います。では、山口さんにとってチャンスとはどういうことだと思いますか?

私にとって全ての扉がチャンスです。私は昔から、そこに何らかの扉が開いてる瞬間があれば飛び込もうって決めています。だから電車も走り込む(笑)。チャンスというのは、どちらかというと、自分を待ってくれてるっていうよりは、全ての扉を叩いて叩いて開け続けることによって何かが生まれるのかなっていう気がするんですよね。だからどんな瞬間でも、そこに扉があるかもと思ったら、とりあえず走り込んでみることにしています。

 

―走り込んでみて、これはチャンスだなとか、チャンスだったなと思った時って、振り返って今思い出すことってありますか?

例えば、中学校の時に、東京の高校を受けてみよう思ったことや、英語が苦手だったけどハーバードに挑戦して、合格させていただいたのもチャンスだったと思うし、財務省のスキャンダルがきっかけでコメンテーターをさせていただくようになったことも、最初は重たい話をするのは嫌だなって思ったんですけど、やってみたことがまた自分の人生の転機になったかなと思います。

 

―では、山口さんにとって、成功とは何ですか?

私はずっと、成功とは人から幸せに見られていることが自分の幸せだと思っていたんですけど、最近は自分が自分に満足していることの方が大切かなと思います。

 

―以前は、自分がたとえ幸せを感じなくても、周りから見て成功だって思われていたら良かったんですか?

自分が幸せかとか、私楽しいのかな?とかってあまり思ったことがなかった。ただ単純に、みんなが受かりたいと思ってる試験に受かって、私成功したでしょ、みたいな感じだったんです。でも最近はその思考に体がついていかなくなったというか、体力的なものかもしれませんけど、変に無理してるなっていう風に気付くようになって。だから立ち止まって、人に対してあんまり片意地張らずにある程度優しくできるとかの方がいいのかなと思いますけどね。

 

―3年後、5年後、10年後のご自分はどうなっていると思いますか?

私は10年後とか、先のことまで想像することはもう諦めちゃったんです。最大一週間後をいつも考えるようにしてます。最初に入った弁護士事務所で私が一番尊敬していた女性の先生が、「私、一週間以上先のことは考えたことない」って仰っていて。この一週間を悔いなく自分のベストを尽くし続けることが10年後のあの人に繋がってるんだ、って思ったら、それでいいかなっていう風に考えています。

 

 

山口真由 Information

高学歴エリート女はダメですか

山口真由著/幻冬舎/本体 1300 円+税/四六版並製

偏差値の高い女は幸せになれないのか?     成功のゴールはどこに?

華麗なる学歴はもとより、恋も仕事も全力投球、成功への道を着々と歩んできた山口氏。しかしある日ふと、未婚で 37 歳、普通の生活もまともにできていないかもしれない自己肯定感の低い自分に気づく——。このままでいいのか? どこまで走り続ければ私は幸せになれるのか? 周囲のハイスペック女子の“あるある”や、世間を騒がせた芸能・社会ニュースもとりあげながら「女の幸せ」を考えるエッセイ集。キュートな毒と迷走っぷりにやられる人が続出の幻冬舎 plus 人気連載の単行本化。