ON COME UP
#26 | Jun 13, 2017

若き天才ピアニストの爆発的な熱情と圧倒的な技巧に、佐渡裕も指揮をしながら涙。ロシア留学後、新たな高みに挑む反田恭平の視線

Text: Yukiji Yokoyama / Photo: Atsuko Tanaka

未来に向かって躍動する人たちをインタビューする“ON COME UP”。第27回のゲストは、20歳でデビュー・アルバム『リスト』を発売して以降、クラシック界で熱い視線を浴びるピアニストの反田恭平さん。2014年に首席入学したチャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院での留学生活に終止符を打ち、プロのピアニストとして本格的に活動する様を映し出した昨年の『情熱大陸』は、大いに話題を呼んだ。『ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番/パガニーニの主題による狂詩曲』など、精力的にアルバムを発表するほか、7月からは自身初となる全国縦断のピアノ・リサイタルツアーに挑む。ほとばしるパッションを抜群の技で魅せる反田恭平さんに、将来の夢、音楽の取り組み、気になる実父との関わりについて話を聞いた。
PROFILE

ピアニスト反田恭平

反田恭平 ピアノ Kyohei Sorita  Piano 1994年生まれ 2012年 高校在学中に、第81回日本音楽コンクール第1位入賞。併せて聴衆賞を受賞。 2013年M.ヴォスクレセンスキー氏の推薦によりロシアへ留学。2014年チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院に首席で入学。 2015年プロとしての第一歩を踏み出す。 イタリアで行われている「チッタ・ディ・カントゥ国際ピアノ協奏曲コンクール」古典派部門で優勝。 7月にはデビューアルバム「リスト」を日本コロムビアより発売。 またCDのデビュー以前に東京フィルハーモニー交響楽団定期への異例の大抜擢を受け、ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲 を熱演し、満員の会場で大きな反響を呼んだ。 そして、年末には「ロシア国際音楽祭」にてコンチェルト及びリサイタルにてマリインスキー劇場デビューを果たす。 2016年はさらにステップアップし、デビュー・リサイタルは、サントリーホール2000席が完売し、圧倒的な演奏で観客を惹きつけた。夏の3夜連続コンサートをすべて違うプログラムで行うも一般発売当日に完売し、3日間の追加公演を行い新人ながら3,000人を超える動員を実現する。 コンサートのみならず「題名のない音楽会」「情熱大陸」等メディアでも多数取り上げられるなど今、もっとも勢いのあるピアニストとして注目されている。 最新CDは11月に発売された、Aバッティストーニ指揮RAI国立交響楽団とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のセッション録音。 2017年3月出光音楽賞受賞。CDショップ大賞「クラシック賞」受賞。 現在、国内外にて演奏活動を意欲的に行っている。

反田恭平

小さい頃はどんな子供でしたか?

とにかくじっとしていられない子供でした。ハイハイができるようになると、猫のような予測不能な動きをしては、母をよく困らせていたようです。熱い魚焼き器に手を触れて水ぶくれになったり、2歳かそこらで包丁を投げてしまったり。

お母さんは気が気でないですね。

母は僕があまりにも動き回るので、サッカーチームに入れてくれました。忘れられないのは、名古屋のトーナメント大会のことです。僕はキャプテンマークを付けた新しいユニフォームを着て、父親の車に乗り込んだのですが、完全に車酔いをしまして。会場の自動ドアが開いた瞬間、豪快に食べ物を戻してしまったんです。大勢の子供の見ている前で、恥ずかしかったですね。ユニフォームも台無しで、私服で試合に出たことを覚えています。

サッカーは何歳までやっていたのですか?ポジションはどこですか?

右手首を骨折してサッカーを諦める11歳までやっていました。MFかFWですね。僕はチームで数少ない左利きだったので、ポジションにも付きやすかったです。ほぼ毎試合フル出場で、4歳半で東京に越してから、区の決勝戦や都大会出場を懸けた試合にも出ていました。コーチからはドリブルのリズムがいいと褒められていました。どこかでピアノの経験が活きていたのかもしれません。

ピアノはいつ頃から始めたのですか?

最初は、4歳で名古屋のヤマハ音楽教室に通ったことがきっかけです。半年後に東京に引っ越して、絶対音感を鍛える一音会ミュージックスクールに入りました。そこで一番初めに習った男の先生が、日本テレビの『進ぬ!電波少年』に出ていた芸人のなすびにそっくりでした。僕は本当になすびだと思いこんでいましたね(笑)。

一音会はとても有名な音楽スクールです。同級生は優秀だったと思います。

今、思い返しても、一音会で練習していた子たちは、ものすごく弾ける子ばかりでしたね。小学2年生でショパンの『幻想即興曲』を弾く子もいました。でも負けず嫌いのサッカー選手の性なのか、僕もショパンの『幻想即興曲』や練習曲を弾いていました。そう言えば、ショパンで父親のビックリしたエピソードがありました。

何があったんですか?

僕が家でショパンを弾いていたら、父に「なんだ、この汚い曲は!」と言われたことがありました。父の耳だと、長音以外の音や不協和音は全て“汚い”音と捉えられるようでした。なので、子供の頃から両親にピアノの指導はもちろん、楽典やソルフェージュ(聴音)、和声の手ほどきを受ける環境とは無縁でしたね。ごく普通の家庭で育った男の子でした。

小中学生の時、学校ではどう過ごされていたんですか?

小中学校は楽しかったですね。小学生の時は、運動会で応援団長をやっていました。大きな声を出して、三三七拍子をしたりして。中学は友達と一緒にいるのが嬉しくて、今でもタイムスリップして中学生に戻りたいぐらいです。昨日もコンサートの後に、中学の友達と互いの近況報告をしました。小中学校の友達は大事な存在ですね。

Instagramに12歳でオーケストラと競演している写真がアップされていました。この時はまだ小学生でしたか?

あれは中学1年の6月です。テレビ朝日系『題名のない音楽会』の「振ってみましょう」というコーナーでした。ドラマ版『のだめカンタービレ』の主題歌だったベートーヴェンの『交響曲第7番』の終楽章を1分ほど振りました。実は、小学6年の時も指揮者の曽我大介さんのもとで、オーケストラを一度振っているんです。11歳、12歳で、映画館よりも大きな音の出るオケを二度も振るのは、衝撃的な体験でした。この時にクラシックが好きだと確信しましたし、ピアノを本格的に学ぼうと思いました。

ピアノを本格的に勉強しようと思っていたにも関わらず、お父さまはクラシックの道に進むことに賛成ではなかったようですね?

父との確執の発端が、本当にくだらないのですが、母の焼いたホットケーキなんです。僕が大きめのホットケーキを取ったのが原因で、ちょっとした喧嘩になりまして。その流れで父に「音楽系の高校には入れさせない」と言われたんです。

その後、どうなったのですか?

父に「そんなに音楽高校に行きたいのなら、コンクールで1位を取って、その賞状を俺のところに持って来い」と言われたので、雑誌でその時点で受けられるコンクールを片っ端から探しました。当時は中学2年で、受験までに時間がありませんでした。4つ受けて1つは最高位で、ほかは全て優勝したので、父の前に「どうだ!」と賞状を差し出しました。

無事、桐朋女子高等学校音楽科(共学)に入られました。初めは古典派の練習ばかりされていたそうですね。

高校に入るまでは、ショパンやリストなどの好きな作曲家の曲しか弾いてこなかったので、僕には基礎がありませんでした。ですので、師事した川島伸達教授からは試験とコンクールの課題曲以外は、バロック音楽とバッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの作品しか弾かせてもらえませんでした。苦痛の極みでしたね。

しかし川島教授の猛特訓のおかげで、高校3年生の時、第81回日本音楽コンクール ピアノ部門で見事優勝されます。

後から聞いた話ですが、先生には入学当初から僕を高校3年生で日本音楽コンクールに優勝させる目標があったようです。そのために古典の練習を徹底したそうです。でも日本音楽コンクールを受けたのは、また父と進路で揉めたことが原因でした。

2012年第81回日本音楽コンクール授賞式にて

何があったんですか?

以前、父に「高校までは学費を払う」と言われたことが気になって、高校3年の時になって大学について尋ねました。すると「普通の大学に進学するならまだしも、音楽大学には行かせない」と言われてしまったので、これはもう日本で一番歴史のある日本音楽コンクールで優勝するしかないと。コンクールで演奏してくださったのは、『題名のない音楽会』で指揮をした時と同じ東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団さんでした。12歳の僕と一緒に演奏してくださった方もいて、縁も感じましたし、心強かったですね。このコンクールがきっかけでロシア留学も決まりました。

桐朋学園大学に入られて、その年の9月にはロシアのヴォスクレセンスキー先生のもとに留学されます。正直ロシア以外の国の先生からも声がかかったと思います。国内に留まる選択はありませんでしたか?

まず国内に留まる選択肢はありませんでした。留学は4つ候補があって、ロシアのほかはオーストリアのザルツブルク、ポーランド、アメリカでした。最初の3つの国は、現地で語学を勉強してから入試がありますので、お金の心配もないですし、物価も比較的安い地域でした。アメリカはいずれ行ってみたい国でした。

アメリカを諦めたのはお金の問題ですか?

正直言うと、ジュリアード音楽院に行きたかったです。日本音楽コンクールで僕がラフマニノフの『ピアノ協奏曲第3番』を弾く際、川島先生が僕をラフマニノフのプロフェッショナルである韓国人のチュンモ・カン先生に習わせてくださったんです。カン先生は30代でジュリアード音楽院の教授になられたすごい方で、僕はジュリアードで2週間、カン先生のプライベートレッスンを受けていました。猛特訓のおかげで優勝できたのですが、カン先生からは「いいから英語、頑張れ!」と言われていました(笑)。僕は本当に「YES」ぐらいしか喋れなかったので。

チュンモ・カン先生と深いお付き合いがありながら、ロシアに留学されます。

日本音楽コンクールの後、優勝の副賞の一貫でロシア人教授による大規模な公開レッスンを受けました。優勝した課題曲のラフマニノフの『ピアノ協奏曲第3番』を弾いた後、楽屋にいると、「君、ロシアで一緒に勉強しない」と声をかけられて。その方がロシアで師事するヴォスクレセンスキー先生でした。その場で「YES」と即答でしたね。もともとロシアは留学候補に入っていましたので。2ヵ月半後には、ロシアに住まいを移していました。

ヴォスクレセンスキー先生のもとで練習を始めます。ロシアで何が一番勉強になりましたか?

奏法、体の使い方、パッションの持って行き方ですね。古典のソナタやソナタ形式の楽曲を愚直に練習しました。普通に弾いたらソナタ形式に聞こえる曲でも、ヴォスクレセンスキー先生からは「君の奏法では、まだまだソナタ形式になっていませんよ」と指摘を受けたりして、なかなか演奏に納得してもらえなかったです。ソナタ形式の楽曲を自分なりにどのようにモノにするのかを問われていました。あとは楽曲について教えてもらいました。

ミハイル・ヴォスクレセンスキー氏と

楽曲についてはどんなことを教えられましたか?

ロシアの音楽院だからといって、ロシアの楽曲ばかり弾くわけではありません。面白かったのは、ベラルーシ人の先生が僕以外の生徒に邦人作家の曲を教えていたことですね。曲は、薮田翔一さんが書かれた『瀬戸内海 Seto Inland Sea』でした。先生に「瀬戸内海ってどんな感じの海?」と聞かれたのですが、僕は「見たことがないからわからない」と答えてしまって(笑)。

反田さんが今、一番弾いてみたい音楽家は誰ですか?

僕はまだ20代で、出会っていない作曲家も多いです。苦手な作家の曲を10年後に弾いたら、印象が変わることもあると思います。なので、この段階でどの作曲家が好きだの嫌いだのは、口が裂けても言えないです。ヴォスクレセンスキー先生からも「好き嫌いは言うな」と言われていましたしね。個人的に一番尊敬する作曲家はモーツァルトです。

反田さんは音楽をやる上で何を一番重視していますか?

一番何を重視と問われると答えづらいですね。身の回りの全てが大事だと思いますが、敢えて言うならば何を伝えたいか。メッセージ性です。あと僕は、過去、現在、未来は常に同時進行すべきだと思っています。同じ曲でも場所や体のコンディションが違うと、印象が変わりますよね。朝弾いた家での演奏と夜のコンサートでの演奏の差は、いったい何だろう? この差を埋めるには、どうしたらいいのか? この悩みは一生尽きないですが、できるだけ過去から未来までの自分の演奏のブレがないようにしていきたいです。

2015年12月に「ロシア国際音楽祭」にて、マリインスキー劇場管弦楽団とのコンチェルトとリサイタルを行いました。世界の名だたる管弦楽団と競演したのは、おそらくこの時が初めてだったと思います。どんな気持ちになりましたか? また、マリインスキー劇場に立った時、どう思いましたか?

日本食は日本で食べるのが一番美味しいという感覚と同じで、やっぱりロシアの音楽はロシアのオケと演奏するのが一番だと思います。この時弾いたのがラフマニノフの『パガニーニの主題による狂詩曲』で、マリインスキー劇場管弦楽団のオケの音が優しかったことをよく覚えていますね。初めは怖いイメージのあったオケの方たちが、本番が始まるとものすごく熱狂して、コンサートが盛り上がりました。本番当日、舞台に立った時は「いやぁ、世界って広いんだな~」と思いました。素人さんのような感想ですが(笑)。

反田さんは熱情的な弾き方をされますが、自分の演奏スタイルをご自身の言葉で表すと、どんなスタイルだと思いますか?

自分の音は客観的に聴くことができませんから、演奏スタイルは一生わからないですね。毎日演奏は変化しますし、後退することもあります。でも昨日の公演(※)は、3歩ぐらい進めた気がしたんです。僕は最高の演奏をしてしまったら、次にそれを超える演奏ができないかもしれないと不安になるタイプではありません。最高の演奏をした時は、もう楽しくて仕方がない。来年、5年後、あの良い演奏の時よりも僕は何倍進歩しているんだろう、と想像するのが楽しみです。
※4月29日に北上市文化交流センターで行われた「佐渡裕指揮 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 特別演奏会2017」のこと。

佐渡さんと競演されて、いかがでしたか?

佐渡さんは、知的で面白くて、人間味があって優しいですね。情熱家で、ああいう方こそが指揮者になるんだと思わされました。僕がこんなことを言うのもナンですが、佐渡さんとは波長が合うと思います。

佐渡裕氏と

イタリアの若き指揮者、バッティストーニさんとの演奏はいかがでしたか? バッティストーニさんとは、2015年に東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会の競演を経て、翌年7月にはトリノでRAI国立交響楽団とラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番』を録音されていますね。

彼も良い指揮者ですね。紳士的で哲学者めいたところがあります。でも佐渡さんも似たような雰囲気を感じました。数字とイニシャルが好きだそうです。ですので、バッティストーニも佐渡さんも、気質として近からず遠からずと言いますか。やはり一芸術家として確立されているお二方は、それぞれ素晴らしいと思います。

7月8日(土)から、全13公演に及ぶピアノリサイタルの全国縦断ツアーが始まります。今回のツアーの意気込みや新たに挑戦したいことはありますか?

上手く弾こうという欲はいつも感じていません。その時にできることを全力でやるだけです。ただ今回は全国ツアーなので、昨日(※)までの佐渡さんとのコンチェルトのツアーを通じて、パッション、フィジカル、メンタルの配分についてすごく勉強になりました。昨日のコンサート中に「ただ心の底から楽しむ」という境地に達して、演奏の価値観が変わったような気がします。ですので、今回のツアーは多くの方に聴いていただいて、今の僕を見ていただけたらと思います。
※上記同様、「佐渡裕指揮 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 特別演奏会2017」のこと。

佐渡さんとのコンチェルトのコンサートは相当感慨深いものがあったんですね。

弾きながら泣いてしまったんですよ。佐渡さんも指揮棒を振りながら泣かれていて、オケの方も泣いていたと後から聞いて。そういうコンサートはなかなかないですね。演奏が終わってスポットライトを浴びた時、この一瞬の思いを味わうために、僕は生きているんだと確信しましたね。実は前にも泣いたことがあります。それが5年前の日本音楽コンクールで、オケが昨日と同じ東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団さんでした。もしかするとまた5年後、こういった感情を味わうことができるのかもしれないと想像すると、その間の5年の大変さなんて苦ではないと思います。1回の感動で苦労も吹き飛ぶので。

反田さんと同世代の若い人は、あまりクラシックに関心がありません。何故だと思いますか?

クラシックに興味のない方は、正直どの世代にもいると思います。たまたま僕らの世代が目立って見えるのかもしれません。今、J-POPや海外のロック・アーティストが出演する夏フェスは、何万人もの集客がありますよね。でも若者だってフェスに行くお金はあるわけです。これからはフェスに行く方に、クラシックの魅力をどう伝えていけるかが課題だと思います。クラシックはコンサートと銘打つのでリッチな印象がありますが、基本はライブと同じです。ライブっぽいクラシックもたくさんありますので、CDを聴くよりもまず会場に気軽に来て欲しいですね。僕の周りの友達には、「わざわざスーツなんて着なくていいから。服装なんてデニムでいいからね」と言っています。

社会で起こっていることで、気になることは何ですか?

気になるニュースは、北朝鮮のミサイルですね。この間まで住んでいたロシアは、現に紛争が行われている国でもあります。各国との関係性については、いつも気になるところです。それに、僕らの世代は戦争を経験していません。実は、僕はベトナム人の名ピアニストであるダン・タイ・ソンに、一度レッスンをしていただいたことがあります。彼はベトナム戦争で爆弾が降りしきる中、防空壕で石をピアノに見立てて練習をして、ショパン国際ピアノコンクールで優勝しています。彼はやっぱり違いますよ、人間が。背負っているものが違います。

自分のやっていることで、日本や世界が変えられることがあるとしたら、それはどんなことだと思いますか?

僕の人生の最終目標は、音楽学校を作ることです。大学ではなく、コンセルヴァトアール(※)でなくてはいけません。留学して痛感したのは、日本には見るべき名所などがたくさんあるにも関わらず、海外から日本に音楽留学する方がいないことです。ハッキリ言うと、観光客しか来ません。これはおかしなことだと思います。だから今から30年後までに、何としてでも学校を建てたいです。僕が留学をして友達を作るのは、将来僕と一緒に働いてくれる人を探すためです。今、考えなきゃ。若い20代の僕らが、この業界のことをちゃんと考えなきゃ。そうでもしないと、このクラシック業界は終わりはしないと思いますが、発展はしていかないと思います。
※音楽、舞踊、演劇、工芸技術などの文化的価値を保持し教育する文化保全機関のこと。

他人の考える自分の像と実際の自分自身と差があると感じる部分を教えてください。

僕は6つぐらい自分の顔を持っています。ピアノを弾いている時、家にいる時、外出している時、友達といる時などなど。その全てが僕の音楽の引き出しです。いろんな部分の僕と音楽をかけ合わせて、演奏の幅や奥行きをもたらしていると思います。あと、よく「意外と落ち着いていますね」とか、「年上に見えますね」と言われますが、僕自身は自分のことを幼い人間だと思っています。一人では決して生きていけないこともよくわかっているつもりです。

反田恭平さんにとって、成功とはなんですか?

ロシアでは本番でも日常生活でも、何かと「幸運を!」(ロシア語でУдачи ※発音はウダーチ)と言います。この「幸運を!」の類義語には成功という意味もあります。成功するためには、何事も人を大事にすることが不可欠だと思います。あと運ですね。それとクラシックは伝統芸能なので、音楽をきちんと後世に残すことができたら成功と言えるのかもしれません。

3年後、5年後、10年後の自分はどうなっていると思いますか? どうしたらそのようになれると思いますか?

僕はいつも明日死ぬかもしれないと思っているので、その日出した音に悔いを残さず生きていきたいです。だから3年後、5年後、10年後のことは全くわかりません。でも理想を言わせてもらえるなら、演奏で海外を行き来して、5年後ぐらいに最低でも5ヵ国語は話せるようになりたいですね。語学と音楽はどちらも人間が作ったもので、密接な関係にあります。全く喋れずにロシアに行ったにも関わらず、話せるようになった留学経験から得たことは、音楽も語学も、まずその土地に赴くことが大事だということです。

反田恭平 Information

The Truth

反田恭平 初の全国リサイタルツアー
ピアノ・リサイタル2017 全国縦断ツアー

プログラム:
スクリャービン:幻想曲op.28
ドビュッシー:ベルガマスク組曲より第3曲「月の光」
ショパン:4つのマズルカop.24
ショパン:12の練習曲op.10 他

[東京・札幌公演]
シューベルト:4つの即興曲D.899/op.90
ラヴェル:亡き王女のためのバヴァーヌ
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調S.178 他
※曲目は変更になる場合がありますので予めご了承ください。

スケジュール:
7/8(土)神奈川 ミューザ川崎シンフォニーホール
7/13(木)静岡 静岡音楽館AOI
7/15(土)愛知 愛知芸術劇場コンサートホール
7/21(金)新潟 長岡リリックホール・コンサートホール
7/28(金)富山 富山県教育文化会館
8/3(木)北海道 札幌市コンサートホールKitara大ホール
8/4(金)北海道 函館市芸術ホール
8/6(日)福岡 福岡シンフォニーホール(アクロス福岡)
8/17(木)岩手 岩手県民会館中ホール
8/20(日)福島 福島市音楽堂
8/26(土)兵庫 兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール
8/31(木)秋田 秋田アトリオン音楽ホール
9/1(金)東京 東京オペラシティ コンサートホール
※すでに完売した公演もありますので予めご了承ください