ON COME UP
#34 | Feb 13, 2018

米インフルエンサーアワード受賞!アリアナ・グランデなど、ハリウッドセレブから絶大な支持を得るネイルアーティストの感度と順応力

Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

未来に向かって躍動する人たちをインタビューする“ON COME UP”。第35回目のゲストは、LAを拠点に活躍するネイルアーティストのBritney TOKYO(ブリトニー・トーキョー)さん。彼女のインスタグラムのフォロワー数は現在15万人を超え、アメリカで人気のリアリティー番組にカーダシアン家のネイルガールとして準レギュラー出演するほか、顧客には、アリアナ・グランデ、ケイティ・ペリー、キム・カーダシアン、リタ・オラなど錚々たるセレブが名を連ねています。また昨年は、アメリカン・インフルエンサー・アワードを受賞し、名実ともに認められるインフルエンサーとなりました。そんなSNSの申し子のようなキャリアを突き進むブリトニーさんですが、内気でおとなしかった幼少期、ヤマンバギャルの学生時代、109ショップの店員、そしてニートなどいくつもの稀有な経験を経て、ようやくネイルという世界に辿り着いたというユニークな過去があります。ブリトニーさんの今までの生き方や、現在の暮らしや考え方、ハリウッドセレブのこと、そして未来のことをお聞きしました。
PROFILE

ネイルアーティストBritney TOKYO

ハリウッドを拠点に活動。コマーシャル、ハリウッド映画、セレブリティーのMVでネイルを担当するほか、ニューヨークファッションウィーク、ネイルを題材にした個展、全米ネイルツアーなどネイルの枠を超えファッション、アート界へも影響を与える世界が注目する新鋭アーティスト。顧客にはアリアナ・グランデ、キム・カーダシアン、カイリー・ジェンナー、ケイティ・ペリー、リタ・オラ他、各界の著名人からの指名が絶えず世界で1番予約が取りづらいセレブリティーネイルアーティストと言われている。自身がプロデゥースするネイルステッカー、アートジェルラインTOKYO SPICE(TOKYO SWAG)はアメリカ、カナダ、台湾、日本、他各国で販売されている 。

Britney TOKYO

Britney TOKYOさんは、実は千葉出身なんですよね?小さい頃はどんな子どもでしたか?

東京生まれ、千葉育ち、ブリトニー“トーキョー”。ディズニーランドと一緒です(笑)。小さい頃は、絵を描くのが好きなシャイで静かな子でした。ある日、紙に描くスペースが無くなったのでそのままカーペットに描き続けていたら、ママにすごい怒られたのを憶えてます。学校のテストの時も絵を描きたいから、文章問題は読まないで選択問題だけマークして5秒くらいで終わらせて、裏にずっと絵を描いてた。テストはいつも5点くらいでした。

ご両親にはどのような育てられ方をしましたか?

とても愛情深いけど、すごく厳しい両親でした。父は仕事でほとんど家にいなくて、母子家庭かと思うほど母に育てられました。弟がいるのですが、しっかり者過ぎてお兄ちゃんって呼んでます。

子供の頃。弟と

小さい頃になりたかった職業は?

絵描きさん。美術が大好きでした。自分で好きな絵を描く時は、なぜだかわからないけどキノコばっかり描いてたという謎のキノコ好き(笑)。絵画教室に通っていた時は、先生に有名な画家の絵を模写させられるのがつまらなくて嫌だったんですけど、今思えば、「これを描いてください」ってネイルの見本を持ってくるお客さんが多いから、それが凄く役に立ってます。

子供の頃に描いた絵

小学生の頃も内気だったんですか?

いじめられっ子タイプでした。でも中学に入学したのを機に変わろうと思って、外交的になるようにしました。絵は好きだったけど中学校は美術部がなかったし、変わろうと思ったら他も色々やってみたくなって、陸上部と水泳部と吹奏楽部に入りました。

高校受験は?

勉強嫌いでしたけど、生徒会で書記をやったから推薦をもらえたんですよ。それで高校に行ったらギャルになっちゃいました。校則は厳しい学校だったんですけど、肌の色には決まりがなかったので真っ黒で。放課後は靴下をルーズに履き替え、スカートを巻いて短くして、黒染めスプレーでバリバリになってる髪の毛をクシでとかして金髪に戻して、化粧して。それで渋谷に行って、センター街で友達と会って、地べたに座ってました(笑)。

90年代後半のいちばん渋谷が盛んだった時ですね。もしや、ヤマンバギャルだったのですか?

ヤマンバです。目の周りと唇は白く塗ってましたね。それでも美大に行きたかったから、高校時代は美術部に入ってデッサンの予備校は真面目に通ってたんですよ。ところが入試の前日にオール(ナイト)で遊んで寝ないでそのまま試験に行ったら、全然描けなくて落ちちゃったんです。なので卒業後は付属の短大に進み、グラフィックを専攻したんですけど、学校があった駅を通り過ぎて渋谷に遊びに行っちゃうから、卒業する頃になってもパソコンの電源しか入れられなかった(笑)。クラブで遊びすぎてました。

高校生の頃

その時、ネイリストの片鱗は?

全然ないですね。

その頃将来のことは考えていたんですか?

なんにも考えてなかったです(笑)。みんな就職活動してるのに、私だけ何もしてなかった。卒業直前の3月30日くらいに仕事を探しに109に行ったら、ショップ店員の正社員募集を見つけて、これで良いやと思って働きたいですって言ったら採用されちゃって。とりあえず4月1日から家にいないから親に就活しなかったのがばれずに済みましたが、3か月の研修は立ち仕事で足がメッチャ疲れたので、結局2か月目でやめました。そこからニート生活でした。

ニートからどうやってネイルの世界に入ったんですか?

正直、きっかけは消去法。立ち仕事はもうこりごりだったので、金髪のままで大丈夫な座り仕事を探したら、ネイリストしかなかった。ママにその志を伝えたら「ネイリストになろう」っていう本を買ってきたんです。それで付属の冊子を見て、校長先生の顔写真が綺麗な学校を選んで、そこに通ったんですよ。後々知ったんですけど、その学校は「NSJネイルアカデミー」というネイル協会の会長が経営する有名校だったんです。そういうの、引きが強くて(笑)。

やっぱり感性で生きる方は直観力が大事なのですね。卒業後はどうされたのですか?

特にネイルが好きだったわけじゃないけど働かないといけなかったので、ネイルスクールに通いながらサロンでネイリストとして週2回バイトしました。卒業したあともそのバイトは続けたけど、当時もまだ基本は遊び中心の生活でしたね。

そんな生活をしていて、2005年に突然渡米されたわけですが、きっかけは?

遊び中心の生活って言っても午前0時の門限が当時まだあったので、親から解放されたいというのがありました。日本だと絶対に一人暮らしなんて許してもらえないから勝手に学生ビザを取って、次の日に「明日からアメリカに行く」って言って渡米したんです。最初は1年の滞在予定で、ネイルはやらず、普通に語学学校に行きましたね。帰国する前にアメリカ一周一人旅をして色んなところを巡りました。最後にNYに着いた時、まだアメリカに来て何もしてない自分に気付いて、せっかくだからネイルの資格ぐらいは取ってから帰ろうと思って、再びLAに戻って学校に通って、カリフォルニアのネイリストのライセンスを取ったんです。

そうして、ようやくカリフォルニアでネイリストとして働き始めたのですね。

当時はまだ学生ビザだったので、働けなくてインターンとして、2年間ほぼお給料ゼロで、週5日片道2時間かけてネイルサロンに通いました。本当は週1、2回くらいのつもりだったんですが、そのオーナーがとにかく鬼のように怖い人で、週5で来てと言われて断れず。オーナーはネイルに熱心な日本人女性で、とても厳しかったですけど、そこでちゃんとネイルの技術を学べたおかげで何でもできるようになりました。色々事情があって離れることになりましたけど、今考えたら凄くありがたい経験をさせてもらいました。

その後はどうされたのですか?

ある日、家の隣のクリーニング屋に服を持って行ったら、そのクリーニング屋のおじちゃんが、私の手をいきなりバッと掴んで「何、この手!」って。「これはネイルアートだよ。日本ではめっちゃポピュラーだよ」って言ったら、そのまま隣のネイルサロンに連れていかれて、「見て見て!」ってベトナム人の従業員達に私の手を見せるんです。みんな興奮して母国語でなんか喋っていると思ったら、そのおじちゃんが突然「あんたここで働きなよ!明日から来れる?」って。すぐに私は「OK!」って言って、翌日からそのネイルサロンで働くことになりました(笑)。そのおじちゃんはネイルサロンのオーナーでもあったんです。

いつもハプニングから突然チャンスがやって来ますね(笑)。ところで、「Britney TOKYO」という名はどうやって生まれたのですか?

お店で働くのに本名を名乗ったら、違う名前にした方がいいって言われて。ベトナム人はナンシーとかジェシカとか、みんなアメリカンネームを使うんです。その時ブリトニー・スピアーズが復帰した頃で、めっちゃ可愛かったし、私は髪の毛を金髪にしたばっかりだったから、「じゃあ、ブリトニーにする」って(笑)。ところが仕事中お客さんに、「ブリトニーはベトナムのどこ出身なの?」って聞かれることが多く、英語が分からないから適当にホーチミンとか言ってたんです。そうしたらホーチミンに行ったことのあるお客さんと話が合わなくなってきちゃって、これはヤバいと思って名札の下に自分で「TOKYO」って書いた(笑)。そこからBritney TOKYOになったんですよ。

Britney TOKYOは、「ホーチミン出身じゃないよ」というところから生まれたんですね(笑)。ベトナム人オーナーのネイルサロンはアメリカにたくさんありますが、どのような環境でしたか?

そのネイルサロンがあったビバリーヒルズは白人の多い地域で、アジア人を見下している意地悪なお客さんが多かったし、差別はまだまだありましたね。それにアメリカはマニキュアとペディキュアの両方をやって25ドル程度で、そのうちの数%とチップは自分に入ってくるけど、みんなチップを1ドルくらいしかくれないんですよ。休憩時間もなく朝から夜まで働いて、チップ入れて時給500円くらいだったので本当に辛かった。でも、これも勉強かなと思って。その代わり、どんどん客を回して数をこなさないとお金にならないから、早く仕事ができるようになりました。前の厳しい日本人オーナーのところでは技術を習得して、ベトナム人オーナーのところではスピードを身につけました。

それが2013年くらいですか?

そうですね。ちょうどインスタグラムが流行り始めた頃で、Britney TOKYOのアカウントでインスタを始めたら、その3か月後くらいにアメリカの雑誌の連載が決まって。

最初はどこから声がかかったんですか?

TIPSYっていう雑誌です。その後、またインスタを通してアートキュレーターの人からNYのイベントに招待されました。インスタを始めて3、4か月だったので、実はドッキリで空港に誰も迎えに来てなかったらどうしようって思いながらNYに向かったんですよ(笑)。そうしたらちゃんと女性が迎えに来てくれていました。彼女はMoMAのビデオアートのキュレーターもしていたので、ビデオアートを見ながらネイルをするっていうコンセプトでクイーンズのMoMA PS1でイベントをしたんです。

イベントをやってどうでした?

終わった時、凄く充実感があって、「これで私日本に帰れるな」って帰りの飛行機でウルウルっとしました。そうしたらまた翌々週に同じイベントの仕事が決まって、もうちょっとやりたいなって欲が出てきたので1年間だけNYのエージェントと契約したんです。それから仕事が増えるのと並行して、セレブから直接インスタにメッセージがくるようになって。

セレブから直接来るんですね。一番最初にメッセージがきたセレブは誰でしたか?

ヴァネッサ・ハジェンズです。ネイルをやってほしいってメッセージが来て、お城のようなお家に行きました。英語が全然分からなかったから、ステッカーやネイルのプロダクトをたくさん見せて、紙に爪の形を描いて下書きして、色を決めてから爪に描いていきました。それをインスタにアップしてたら、色んなセレブの人がフォローしてくれて、メッセージがくるようになって仕事が増えていきました。

突然来たメッセージで一番びっくりした人は?

アリアナ・グランデ。アリアナから、「ブリトニー、今LAに来てるの?」ってメッセージが来て、「私はLAに住んでるのよ」みたいなやりとりをしたんです。みんなBritney TOKYOだから東京の人だと思ってるんですよ。「それならやってほしいんだけど、今から来れない?」って言うから、「OK!」って(笑)。それから毎週、今も彼女のネイルをやってます。

すごい展開ですよね。

ケイティ・ペリーも、私のことをずっとフォローしてくれてたのを知ってたから、彼女がインスタに可愛いネイルサロンをあげた時に、「ここ、どこ?」って普通にメッセージを送ったら返事が来て。そうしたらその1週間後にレコード会社の人からケイティが私にやってほしいって言ってるって連絡があったんです。

ブリトニーさんがこんなにもセレブの心を掴むのは、どういうところだと思いますか?

セレブとか色眼鏡で見ないで、ひとりの人として接しているところですかね?あとは仕事の速さだと思います。もちろんデザインは一番大切だけど、その次は「完璧さ」じゃなくて「速さ」なんです。だってネイルは長くても1か月とか1ヶ月半しかもたないものだし、セレブたちは特に撮影や状況によって週に1回くらい変えることもあるから何時間もかけてやるものじゃない。みんな忙しいから、日本の3分の1の時間でできないといけないし、状況によって臨機応変に対応できないとダメですね。アメリカは適当だから、日本の方がネイルは凄いって多くの日本人は考えると思うんですよ。でもアメリカのサロンで働いた時に、そういうプライドが日本人が活躍できない理由だなって思ったんです。そういうプライドは捨てて、自己満足じゃなく求められているものを提供しなきゃいけない。それが本当のプロだと思うから。

ブリトニーさんは現在インスタのフォロワーが15万8千人くらいいるんですよね。インスタを始めてわずか4年でそこまでフォロワーが増えたきっかけは?

2015年頃にカーダシアン一家のネイルをやりだしてからです。それまで3万人くらいだったのが、一気に増えました。カーダシアンはセレブ界で一目置かれている存在だから、それをきっかけに他のセレブからの依頼も増えて、「ブリトニーにやってもらった」ってセレブ達がインスタにあげてくれるようになって、いつのまにかセレブ界ではブリトニーにネイルやってもらうことがステータスみたいになっちゃったんです。

キム・カーダシアン(上)、カイリー・ジェンナー(下)

名前のきっかけになった、ブリトニー・スピアーズからは仕事の依頼はきたんですか?

ちょうど1年くらい前に、ついに彼女のミュージックビデオで仕事をすることになったんです!やっぱり本物は天使のように可愛かったです。そしてその仕事の後に、弁護士からアーティストとしてグリーンカードが下りたと連絡があって、とても思い出深い日になりました。ブリトニーと初めて仕事をさせていただいた日と、グリーンカードが下りた日が一緒なんて、ブリトニーとは本当に縁があるなって。本当にありがたいですね。

セレブと関係性を保つ中で、自分の中にルールみたいなものはありますか?

1対1でお互い対等な関係でいられるように接しています。私も絵を描くアーティストなので、フィーリングが合わないといい作品ができないので、セレブとか関係なく合わないと感じた方はお仕事をお断りすることもあります。あとは、ありのままの自分でいること。TPOの範囲内で自分が好きなファッションを身につけて、好きなヘアスタイルで。今の等身大の自分を表現するひとつの手段でもあると思うので。ただ自分の感性に素直に生きてます。

アメリカと日本でネイルの捉え方や傾向は違いますか?

まず、使う色が違いますよね。アメリカの方が鮮やか。日本だとピンクでも、私の好きな濃いピンクじゃなくて薄いピンク。日本とかアジアってかわいい系が好まれるんだけど、アメリカだとそれはちょっと幼稚で、もっとカッコいいものが好まれます。日本だとネイルは美容のカテゴリーに入るから“キレイ、ピンク、カワイイ”なんだけど、アメリカのネイルって、もっとメッセージ性があって、アートなんですよ。つまり主張があるし、自分の好きなものを爪に落とし込む感じだから、定義が最初から違うんです。

昨年の11月に、「American Influencer Awards(アメリカン・インフルエンサー・アワード)」を受賞されましたが、インフルエンサーと呼ばれることをどう思いますか?

嬉しいです。正直インフルエンサーの定義がよくわかってないですけど、どういうのが目について、人が何を求めてるかっていうことに敏感だと自負しています。私の感覚が流行に影響を与えてるって不思議な気分。今、AUTHORs Beautyで、ネイルのコラムを書かせていただいてるんですけど、自分が気になることを自分から発信できるようになり、そういうものや流行りそうなものを紹介すると、日本でも流行るようになって、ちょっとずつ手応えを感じてます。Britney TOKYOはSNSから生まれたもの。これからも新しいことを発信していけたらいいなって思っています。

今、気になるものは?

キューティクルアート。爪の周りのキューティクル(甘皮)部分にスタンプを押したり指輪をしたり、爪からはみ出して指までデザインしたり。日本でもファッションやお洒落に敏感な人たちにはちょっとずつ浸透してきてます。

キューティクルアート

Britney TOKYOさんの作品のスタイルを自分の言葉で表すと?

ポップアートです。Britney TOKYOって名前も、なんとなくサウンドがポップじゃないですか。Britney CHIBAでもダメだし、Aimy TOKYOとかでもダメで、絶対に私は Britney TOKYO じゃなきゃ成立してなかったと思ってます。アメリカでは、原宿など東京のkawaii文化のようなポップな感じで見られているから、東京がハリウッドにやって来たキャラクターができあがっている部分がありますね。

外国に行こうか悩んでいる人にアドバイスをするとしたら、なんと言いますか?

よく相談されるんですけど、「じゃあ行ったらいいじゃん」って思うんですよ。私だって“I have a pen”しか喋れないレベルでアメリカに来て、今ですからね。

それで行ける人と行けない人は何が違うと思います?

行けない(行かない)人は頭でっかちになりすぎ!ダメだったら日本に帰ったらいいじゃん!って、今だって思ってる。私はフットワーク軽いから、「OK!」って言ってすぐに行動するし、その決断はその瞬間にしてる。でもその代わり、何かいいチャンスに巡り合った時にすぐに対応できるよう、いつでもreadyな状態でいる。ネイルだって、ジェルネイルだけじゃなくて、スカルプもマニキュアも出来るし、何か絵を描いてって言われたら何でも描ける。何にでも対応できる状態にしておくのは最低条件です。体調管理にも気をつけていて、疲れてたら遊びには行かないで休みます。

ずいぶん変わりましたね。オールで大学の入試に行っていた人とは思えないです(笑)。

そうですよ(笑)。いろんな点が線でつながってきてます。失敗したおかげで今があると思うんです。もし受験に成功してたら、ただの趣味で絵を描いてるOLさんとかになってたかもしれない。だからあの時遊んでおいて良かった。基本アメリカ人の友達からも引かれるくらいポジティブシンキングです。

今からネイリストになりたいと思っている若者にアドバイスをするなら?

私、学生時代からテスト勉強とかしてこなかったし、今までネイルの練習って一回もしたことないんです。しなくてもなんとかなっているから、アシスタントには、「練習ばっかりしてないで、映画観たりアート展に行ったりしなよ。日本人に足りないのは刺激だよ」っていつも言ってます。もちろん基礎ができるのは前程の話ですが。

社会で起こっていることで気になることはなんですか?

海外で生活するようになってニュースは毎日チェックするようにしてます。自分の身は自分で守らなきゃいけないので。実際、普段仕事で通る道で事件が起こった事もありますからね。仕事上、日本の情報も知らないとダメだし、セレブの動きも把握してないといけないし、政治のニュースも基本知りたがりだからなんでも気にしてます。

自分がやっていることで、日本や世界を変えられるとしたらどんなことだと思いますか?

今まで第一線で活躍する多くの人達と関わってお仕事させていただいて、ネイルアートにはどんな人でもハッピーにする魔法の力があるってわかったので、ネイルアートを見たことない国の人達や、今ハッピーじゃない思いをしている人にもやってあげたい。ネイルサロンに行ったことがある人はわかると思うんですが、爪を綺麗にするとすごいウキウキするんですよ。手元って一番自分の目に入ってくる部分だから、少しでもハッピーになる人が世界中に増えて、何かが少しでも変わっていくんじゃないかって希望を持ってます。

リタ・オラと(左)、NYファッションウィークでジジ・ハディットにネイルをしている様子(右)

一気に視界が開けた瞬間とか、自分が成長したと実感した時は?

やっぱりグリンカードが下りた時です。弁護士さんに相談した時、最初はネイルで取るって前代未聞だから無理だって言われたんです。私の持っていたビザのカテゴリーからの申請だと、ノーベル賞を受賞した人とかオリンピックで金メダルを取った人で、なおかつ現役で第一線で活躍してる人じゃないと取れないらしくて。でも絶対に自分のセンスや技術で取りたかったから、下りた時は「やっとアメリカで日本のネイルアートが認められた!!」って勝手に日本代表な気分になりました(笑)。

それでは、Britney TOKYOさんにとって成功とはなんですか?

成功って人にジャッジされるものじゃなくて自分が良しとしたことが成功なのかな。私、基本何事もダメだったって思わないし、「あのおかげでこんな素晴らしい経験ができた」って勝手に大成功したことにしてるから。失敗は成功の通過点で、つまり成功とは、失敗って認めないこと。

全ての経験が成功に繋がっていると?

そうです。これからもっとジャンプする可能性があるし。

最後に、3年後、5年後、10年後のBritney TOKYOさんはどうなっていると思いますか。

考えるだけで楽しみで仕方ない!やっとアメリカ人と対等に働ける資格が取れて、今まだスタート地点に立ったばかりです!日本にもクレイジーでクールなやつらがいっぱいいるっていうのを少しでもアメリカに知ってもらって、“日本人=シャイで堅物”ってイメージを壊したい。昔は「変わった子ね」って言われるのが嫌だったけど、アメリカでは変わってる=「weird(風変わり、不気味)」ではなくて、「special」とか「different」で、すごいポジティブな意味なんですよ。

Britney TOKYO Information

The Truth

Britney TOKYOプロデュースのネイルシール発売中!

Britney TOKYO ネイルシール