ON COME UP
# | Jun 12, 2018

3Dプリンターで作った“やど”とヤドカリの作品が動画再生回数2400万超え。現代アーティストが生き物との共同作業を通して見る世界

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

未来に向かって躍動する人たちをインタビューする“ON COME UP”。第37回目のゲストは現代アーティストのAKI INOMATAさん。2014年のYouFab Global Creative Awards ではグランプリを、今年3月に行われたアジアンアートアワードでは特別賞を受賞され、今最も注目されているアーティストの一人です。INOMATAさんは、東京・神楽坂という都会で生まれ育ちましたが、通っていた小学校の校内には自然がいっぱいの風景が広がっていました。幼い頃に都会と自然とのギャップや境界線を毎日感じて通学したことが、今の作品に大きく影響していると言います。中学校の頃から現代アートを鑑賞し続けアーティストになりたいと思いつつも、一度はその道を諦めて普通の大学へ。しかし諦めきれずに東京藝術大学大学院に進み、そこから本格的に現代アートと向き合うことになります。卒業後に生き物を使った作品制作をスタートさせ、現在は、「やどかりに『やど』をわたしてみる」シリーズなど、生き物や自然との共同作業を行うプロジェクトを多く展開しています。INOMATAさんの幼い頃のことからアーティストになるまでの紆余曲折、生き物と共同作業を続ける理由、そして成功についてなどを伺いました。また、入門者がどうしたら現代アートを楽しめるかについてもアドバイスいただきました。
PROFILE

アーティストAKI INOMATA

東京藝術大学大学院先端芸術表現専攻修了。生き物との協働作業によって作品制作をおこなう。主な作品に、3Dプリンタを用いて都市をかたどったヤドカリの殻をつくり実際に引っ越しをさせる「やどかりに『やど』をわたしてみる」、飼犬の毛と作家自身の髪でケープを作ってお互いが着用する「犬の毛を私がまとい、私の髪を犬がまとう」など。 近年の展覧会に、「Coming of Age」(Sector 2337、シカゴ、2017)、「KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭」(2016)、「ECO EXPANDED CITY」(WRO Art Center、ヴロツワフ、ポーランド、2016)、「エマージェンシーズ!025 『Inter-Nature Communication』AKI INOMATA」(NTT インターコミュニケーション・センター [ICC]、東京、2015)、「第4回 デジタル・ショック -リアルのファクトリ-」(アンスティチュ・フランセ東京、2015) 、「アルスエレクトロニカ」(リンツ、2014)、などがある。 2017年ACCの招聘でニューヨークに滞在。

AKI INOMATA

幼い頃はどのような環境で育ったのですか?

アーティストというと、結構劇的な子供時代を送ってらっしゃる人もいると思うんですけど、私の場合は、父が会社員で母は専業主婦というごく普通の家庭で生まれ育ちました。東京の神楽坂出身の一人っ子で、家の中で絵を描くことも大勢で遊ぶこともどちらも好きでしたね。小学校から高校まではお茶の水女子大附属に通っていましたが、特に秀でた科目はない代わりに勉強は満遍なく出来るタイプ。高校時代はバドミントン部に入ってました。

小学校の頃の出来事で今でも憶えていることはありますか?

小学校は大学の広いキャンパスの敷地内にあったので、放課後みんなでよく遊んでいました。当時のキャンパスにはいろんな木々や草花が生えていて、コオロギやとんぼなどの生き物がいたり、木いちごやびわなどが育っていたり。動植物と触れ合える環境でした。でもキャンパスから一歩外に出ると、ビルが建ち並び、道もコンクリートで舗装されていて、その完全に二極化された二つの世界を行き来しているような日々だったのを憶えています。その時感じた大きな違和感みたいなものは、今の作品に繋がっている気がしますね。

ある意味とても貴重な体験をされていますね。小さい頃になりたかった職業はありますか?

絵を描いたり、工作したりすることが好きだったので、もともと小さい頃からアーティストになりたいと思っていました。美術館や、デパートで開催される美術展に行くようになったのはおそらく中学生の頃だったと思うんですけど、当時から現代アートも色々観ていましたね。

今も憶えている印象的な作品やアーティストはありますか?

中学生の頃、日比野克彦さんや村上隆さんなど現代アート作家さんの作品がたくさん展示された展覧会に行きました。日比野さんが作ったダンボール製のピアノがあったのですが、一見私にも作れそうなのにそのピアノが凄くのびのびしていてやっぱり何かが違うんです。それまではいわゆる西洋名画みたいなものがアートだと思っていたので、とても自由な表現があることに感動しました。

そこからどのようにアーティストを目指していったのですか?

高校生になって親にアーティストになりたいと言ったら「食べていけないから絶対ダメ」って反対されました。そこで、自分でも“美術家になるには“とか“美術家の話“とかいう本を読んで調べてみると、塩をなめて生きていくみたいな極貧生活をされている人がいて(笑)。親の言う通りだと思って、結局アーティストは諦めて、一度は普通の大学に行ったんです。

大学は横浜国立大学に進まれたそうですが、何を勉強なさったのですか?

教育人間科学部に入って劇作家・演出家・俳優の唐十郎さんに演劇を教わりました。名前は知っていたものの、それまで唐さんの舞台は生で観たことがなかったので、花園神社や新宿の空き地などで上演しているテントの芝居を初めて観に行ったのを憶えています。でもそのあとゼミで自分がやってみたら、演劇は全く向いていないことがわかりました。私たちのようなテレビで育った世代は、演劇のように、頭から足先まで神経を研ぎ澄ませて全身全霊で感情を激しく表現することになかなか適応できないというか、とても難しいと思いました。

初めて観た唐さんの舞台はいかがでした?

とても衝撃で、水をぶっかけられたようなショックがありました。舞台のクライマックスで、「屋台崩し」とか「借景」って言われる手法を使って書き割りを全部取っ払っちゃうんですよ。フィクションだったことが一気に現実と繋がって、いきなり全身でリアルを感じるみたいな衝撃的な体験でした。それを観て、唐さんの舞台の一員になれなくても、唐さんがやっていることを私なりにアートの世界で表現してみたいと思ったんです。それで、大学院では東京藝術大学大学院先端芸術表現科に進み、現代アートを勉強しました。

大学院ではどのような作品を作っていたのですか?

ロボットにプログラミングをして芝居させる作品が作りたくて、シャボン玉機を役者さんに見立てて戯曲「青い鳥」の上演を試みました。台詞を言うタイミングでシャボン玉がポコポコっと出てきて会話するみたいな作品です。あとは、上から水が落ちてきて、その影が下に落ちて、存在しないのに水の波紋があるように見える作品も作りました。

シャボン玉の作品「The Blue Bird」2005年作

最初は機械を使って制作されていたのに、生き物を扱うようなったのはなぜですか?

プログラミングされた作品は、計画通りにはなるのですが、私の想像を超えることはないんです。やりたかったことが90パーセントくらいはできてしまうけど、それを続けていてもそれ以上の表現はできない。そこにちょっと行き詰まりを感じてしまって。

「やどかりに『やど』をわたしてみる」シリーズを作るようになったきっかけは?

私が卒業した翌年に、フランス大使館を建て壊す直前に展覧会をやるという企画があり、事前に麻布にある大使館を観に行きました。すると、大使館の人が「この敷地は今はフランス領ですが、2009年に建て壊したら日本になります」って言うんです。展示会が行われたのは建て壊す直前だったので、タイトルが「No Man’s Land(誰のものでもない土地)」だったのですが、さらに話を聞くと、また50年経ったらフランス領に戻るらしく、フランスと日本を行ったり来たりしてることがとても面白かったし不思議だと思ったんです。

No Man’s Land展で展示した「やどかりに『やど』をわたしてみる」2009年作

その話からヤドカリを連想したのですか?

フランス大使館の領土の話を聞いた後に、友達の弟がヤドカリを飼っている話を聞いて、大使館の話がまるでヤドカリみたいだなって思ったんです。ヤドカリって体が大きくなるたびに大きな殻に引っ越していくんですよ。その生態と、大使館の領土国が変わっていく仕組みが似ていると思って、パリのアパルトマンと東京の高層ビルや一軒家をモチーフしたやどの間でヤドカリが引っ越しをするという作品を作りました。ヤドカリがなかなか引っ越さなくて大変でしたが、CGスキャンや3Dプリンターを使って何度も改良を繰り返し、ギリギリでなんとか展覧会に間に合いました。

反響はどうでした?

自分の中では凄く面白い作品ができたと思ったし、友人の反応も良かったんですけど、メディアに取り上げられるわけでもなく、次の展覧会のオファーが来るわけでもなかったのが結構ショックでした。ただ作品を観に来てくれた人と色々対話したのは為になりました。日本に帰化したい人や国籍取得の申請に来たフランス人の方がいて話を聞くと、彼らの状況がヤドカリにとても似ているんですよ。私たちも日本人という殻に守られているけど、フランス人になりうる可能性があるわけで、アイデンティティに守られたり、交換したり、引っ越したりしながら私たちは生きていると思い、ヤドカリのプロジェクトは引き続きやっていこうと決心しました。そこから、ニューヨーク、ベルリン、グアヤキルなどの都市を増やすことに繋がりました。

他にも生き物と作品を作っていらっしゃいますが、あさりの断面図の作品もインパクトがありますね。

福島で獲ったあさりの殻の断面を顕微鏡に写して拡大した作品です。殻には1日1本成長線ができていくので、日ごとのあさりの成長がわかります。震災の起きた日や、震災の前と後で生態系が変化していることも殻を見ただけでわかるんです。震災後は、地震で地面が揺れて海底の土が掘り返されたために、ミネラル分が海中に出てきて栄養が豊富になって、生き残ったあさりにとっては良環境だったこともわかるし、津波対策の防波堤の工事の影響であさりの成長が悪くなり、特に2015年にその界隈で生きていたあさりは辛い一生を送ったことを知ることができました。

「Lines—貝の成長線を聴くver. 3. アサリ(2011.7.3福島県相馬市松川浦採取)、アサリ(2015.7.17福島県相馬市松川浦採取)」 2018年作 Photo by Ken Kato

そういった生物の作品を通してご自身が得たものはありますか?

小さな生き物の視点から私たちが知らなかった世界が見えたことですね。他にも、インコと一緒にフランス語を習うという作品があるんですけど、インコがだんだんフランス語を覚えていってちょっとだけ喋るようになったんです。驚いたのは、最初は「わさびっちょ、シルブプレ」と言っていたのが、インコが自分の名前とシルブプレという単語をうまく繋げて活用し始めて、「ワサビプレ」って日本語でもフランス語でもない新しい言葉を作っちゃったこと。こうして作品で生き物と関わると、いつも私が想像をはるかに超えた想定外のことが起きるんです。

これから先に計画していることはありますか?

まだ非公開ですが、屋外で展示する新作を一生懸命作ってます。私にとって新しい試みになるのでどういうものができるのかとても楽しみです。生き物とコラボレーションするのは変わらず続けています。

日本と海外のアートの世界に違いを感じることはありますか?

それぞれの国によって観る人の反応が違いますね。例えばドイツ人は作品について討論するのが好きですし、ニューヨークの人たちは見た目でインパクトがあってコンセプトも面白いものに惹かれる気がします。ニューヨークはISCP(International Studio & Curatorial Program)というブルックリンのアーティスト・イン・レジデンスに3ヶ月いたのですが、各国からアーティストが来て、彼らはとにかく作品について語るんですよ。日本の場合は、“観て慮れ”のような風潮があって、あれこれ説明するのがいいわけではない気がしていて、それに比べるとニューヨークのアーティストはみんな凄くいろいろ喋ってくれます。その違いは大きいですし、ブルックリンはアーティスト自体も凄く多くてびっくりしました。

ニューヨークに滞在していた頃。写真左上から時計回りに:ISCPから提供されたINOMATAのスタジオ、ISCPでのアーティスト・トークの模様、ISCPの皆でフィイールドトリップした時 、Alwan for the Artsギャラリーでの展示

入門者に現代アートの楽しみ方をアドバイスするとしたら?

まず自分がちょっと気になる作品を見つけて欲しいです。もし気になる作品があったら、その作家さんの作品を観ていくと、その人の芯の部分が見えてくるし、そこを始点にその人が影響を受けた作家さんや、近いポジションにいる作家さんを辿ったりするとよりアートの世界が広がる気がします。

憧れている人や尊敬する人は誰ですか?

尊敬するアーティストさんはたくさんいますが、憧れている人は子供を産んで母になっている女性ですね。昔は結婚したり子供を産んだりって自然なことだと思ってたんですけど、いざ大人になってみると難しいなと思って。私が仕事をとても大切にして頑張ってきたせいか、恋愛や家庭を作ることにあまり力を注いでこれなかったと思っています。

現代アートをやり続けていく上で大変なことはなんですか?

初めからわかっていたことですけど、やはりお金、そしてマネジメントですね。今は、アーティスト業だけでなく、非常勤講師で教える仕事も並行しています。制作にも生活にもお金はかかりますし、フリーランスのようなものなので、自分でマネージメントもしないといけません。コスト管理やスケジュール管理はもちろん、展覧会主催者や外部の協力者とのコミュニケーション、交渉ごとなど。直接的に「作品をつくる」こと以外にも時間がかかり、そちらで悩むことも多いです。

その中でも、ご自身の生活が変わったと思った瞬間はありますか?

ヤドカリの作品が「designboom(デザインブーム)」というウェブサイトに取り上げられたことが一つの転機だと思います。2013年の出来事でしたが、それをきっかけに世界中から展覧会のオファーが来るようになって、それを観た人からまたオファーが来るみたいな良いスパイラルが続いています。ただ、自分で応募したわけでもないし、誰がどういう風にセレクトしているのかも知らないし、未だになぜ突然掲載されたのかは謎なんです。ある朝起きたら100通くらい英語のメールが来ていて、その中のひとつがdesignboomで、リンク先と一緒に「載っけたよ」だけみたいな簡単な内容でした(笑)。あと、「ART INSIDER」っていうメディアのfacebookで、ヤドカリの動画がシェアされた時は、2400万回再生以上されていてびっくりしました。展覧会をやったとしても、2400万人が訪れることはないわけですから、ネットのすごさを改めて実感しましたし、そこから確実に流れが変わりましたね。


ヤドカリの作品。左上から時計回りに:ニューヨーク、バンコク、パリ、東京、2009年~

なぜ2400万回再生までいったんだと思います?

人工のやどを背負ったヤドカリが歩いているのを私が撮影した映像なんですけど、人が作ったものと自然にあるものが融合していることは違和感があるけれども、同時にそれはテクノロジーをもある意味表象しているから、自分たちの状況にも置き換えることができて、何かを刺激したんじゃないかと思っています。

ご自身の作品のスタイルをご自身の言葉で表すと?

コラボレーション、共同制作です。生き物の生態や習性がそのまま作品になってしまったりとか、その生き物とコミュニケーションを取ること自体が作品になったりしているので。

好きなアート、音楽、映画などで一番影響を受けたものは?

唐さんの作品に一番影響を受けているかな。今私がやっていることは唐さんの作品とは凄く遠いんですけど、今でも演劇は好きです。唐さんの舞台を観に行くこともあるし、唐さんの作品は昔の作品ですが「ジョン・シルバー」が一番好きかな。他には演劇ユニットの「チェルフィッチュ」とかも好きで観に行きますね。

色々ユニークな作品を観られていますね。これから挑戦してみたいことはありますか?

まだできているわけではないんですけど、目に見えないような微生物ともコラボレーションできるといいなと思って試行錯誤しています。でも凄く難しい。見えないほど小さいので体感しづらいし、操作も難しいです。一種類とかじゃなくて有象無象が村のようになっていたりするので、どれを相手にしているのかよくわからなくなってきちゃうみたいなところも難しいです。トライアンドエラーがずっと続いている感じです。

社会で起こっていることで、気になることはありますか?

いくつかあるんですけど、例えば東日本大震災の後に防潮堤を作るなどの対策は、海と陸を分離するとか、より自然との境界をはっきりさせていくという方向に動いている部分があると思っているので、そういうものに対する違和感や疑問はありますね。自然をどんどん遠ざける方向に進んでるんじゃないかとか、環境問題もなんとなく遠い世界の自分とは関係のないものになってしまっているところもすごく気になっています。

では、自分のやっていることで日本や世界が変えられるとしたら、それはどんなことだと思いますか?

私はサイエンティストではないので、科学的な真理を探究しているとか論文を書いているわけではないんですけれど、アーティストとしてヤドカリやアサリ、犬などの生物の視点から見た状況を共有したりすることによって、例えばあさりだったら震災とその後の世界の在り方だったり、ヤドカリだったらアイデンティティの問題だったりを問いかけていけるかなと思っています。私は、アートというフィールドでそういった問いかけをしていると思っていますが、私という小さなひとりの人間が始めたことを、よりたくさんの人に観てもらったり考えてもらったりすることで、少しずつ世の中を変えていける力になると信じています。

一気に視界が開けた瞬間や、自分が成長したと実感した出来事はありますか?

成長した転機は、去年の2月末から10月末くらいまでいたニューヨーク研修です。多様なバックグランドを持った人たちが一堂に集まっている状態はとても新鮮で、そういう人の作品を観たり、彼らのルーツの話を聞いたりする中で、「私がやりたいことやオリジナリティはどこなのか」についてと向き合うことができました。

具体的にはどのようなことがあったのですか?

例えば、彼らとは生き物に関する考え方も全然違うんです。中には、生き物をピラミッド構造と捉えて、イルカやクジラは上の方でみの虫みたいな虫は下等生物だと考えている人もいました。私は日本人のせいかもしれませんが、「一寸の虫にも五分の魂」みたいな考え方を持っていて、小さな虫も私たち人間と同じように尊い命を持っていると考えているんですけど、そういう考え方の差に気がつけたのは大きかったですね。あと、英語が話せないとなかなかコミュニケーションも取れないし、文化も全然違うので適応能力とかも求められるんですけど、そこで多様な人と触れ合ったことは今の私の糧になっているし、大きく成長したポイントかと思います。大変だったけど行って良かったと思うし、助成金をくださったACC(アジアン・カルチュラル・カウンシル)にはとても感謝してます。

それでは、INOMATAさんにとって成功とは何ですか?

自分のやりたいことをずっと続けていけることですね。私は今、人と生き物や自然との関係を考えたいと思っていますが、それをずっと考え続け、作品を作り続けていけることは、ひとつの成功だと思っています。

どうしたら続けていけると思いますか?

それは結構難しいんですけど…。例えばこうしていろんな記事に取り上げてもらってやっていることを発信していくことも大事だし、いろんな期間や組織から助成してもらったりとか、いろんな方がアドバイスをくれたりとか、そういう人たちの力をお借りしながらなんとか続けていけるといいなと思ってます。自分でもマネージメントしないといけないし、クリアーしていかないといけない生活の諸々のことがあるし、実際は凄く難しいけれど、自分が本当にやりたいと思うことをやり続けたいですね。

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