代々の家柄という大きな盾がない中、父が逝ってしまった後は、歌舞伎の中で一人ぼっちな感じがして、正直どうしたらいいのかわからなかった
幼い頃のことを聞かせてください。どのような子供でしたか?
自分ではよく覚えていないのですが、楽屋に行くのは好きだったみたいです。もちろん学校での思い出もありますが、もしかしたら歌舞伎座で過ごした記憶のほうが多いかもしれないですね。と言っても定かではなく、とにかく楽屋で皆さんに遊んでいただき、優しくしていただいた記憶があります。
ご両親にはどういう育てられ方をしましたか?
基本的には、好きなようにさせてもらっていた気がします。5歳で初舞台を勤めさせていただき、その後も先輩方にお声がけいただき出演させていただく機会がありました。ですが、その時も両親が判断するのではなく、必ず僕にやりたいかどうかを聞いて、僕がやりたいと言えばやらせていただくという風にしていたみたいです。うちは代々家を継がないといけないような家柄ではないですから、父は、僕が何か他にやりたいことがあれば歌舞伎をやらなくてもいいとは思っていたようです。ですから比較的自由でしたね。
歌舞伎俳優以外には何かなりたいと思っていたものはあったんですか?
野球選手ですね。
ジャイアンツがすごくお好きだそうですね。
ジャイアンツはすごく好きなのですが、それより野球をやること自体が好きでした。リトルリーグに入っていたとかではなく、学校で毎日やっていた程度です。中学生の頃は地元のチームに入りましたが、高校に入ってからは舞台に復帰しましたので、野球部には入りませんでした。通っていた堀越高校の野球部は本格的で、仕事で部活に出られないという人は入れてもらえないんですよ。ですので、部活には入ってなかったのですが、野球はとにかく好きでやりたい気持ちはありましたね。
憧れの野球選手はいましたか?
僕は原辰徳さんが大好きなんです。選手時代から今もずっと、原さんが一番好きです。ですから野球を始めてからポジションはずっとサードですし、何か番号を選ばないといけない時は、いつも原さんの背番号だった8を選んでいました。
原さんのどういうところが好きなんですか?
やはり選手として華があるところですかね。ジャイアンツ像って、王さん、長嶋さん、あるいは松井さんとか、世代ごとに色々変わるかもしれないのですけど、僕の中でMr.ジャイアンツと言えば原さんです。真摯でカッコ良くて4番打者で。それに、野球選手として一筋縄ではいかないところが良かった。なかなか打てない時期もあったり、突如として急に大活躍したり、順風満帆な4番ではなかったのも僕にとっては魅力的でした。今年もリーグ優勝されましたが、監督としてもジャイアンツを何度も優勝に導いて、 やはりすごいなと思いましたね。
松也さんは野球に夢中になりながら、高校ではまた歌舞伎に戻るわけですけれども、その頃はもう完全に歌舞伎俳優としてやっていこうという気持ちを持っていたんですか?
いや、高校に入ってからも、今思うと大した覚悟もなく過ごしていたような気がしますね。歌舞伎俳優って、中学生の頃は声変わりもあったりして役どころがあまりないので、一旦歌舞伎から離れる方がほとんどなんですね。僕もそうですが、高校、あるいは大学を卒業してから復帰する方が多く、 中学の3年間は歌舞伎から離れた時期を過ごしてました。歌舞伎を嫌いになったわけではないのですが、あまり興味がなくなった時がありまして。
何か他にやりたいことがあったんですか?
中学時代にとにかくたくさんの映画を観まして、アメリカのエンターテイメントへの憧れが増大したんです。特に映画「スタンド・バイ・ミー」が大好きで、リバー・フェニックスさんに憧れて、僕も向こうで俳優活動ができないかと考えました。それで父に相談したら、「高校を卒業したら、日本にいようが、海外にいようが、好きにしていい」と言われて。それで、高校を卒業したら、海外に行こうかなって最初は思ってましたけど、高校一年生の時に、「歌舞伎に復帰しないか」というお話をいただいたんです。その時もどうするか父に聞かれたんですけれども、歌舞伎は誰もができることではありませんし、どちらにせよ俳優を志す気持ちがあるのであれば、歌舞伎で培った経験はいずれ自分の武器になるのではないかなと思い、復帰を決めました。ですが、その時は、「歌舞伎をやっていくんだ!」という確固たる覚悟みたいなものは全くなかったです。
なぜ歌舞伎を続けたんですか?
歌舞伎が楽しかったからなんじゃないですかね。今となっては明確な理由はわからないですけれど、いつの間にかアメリカへの想いは失せてました。もう迷いはなく、このまま進んでいくっていうような、そこまでの自覚はなかったですけど、単純に楽しくて、辞める必要性を感じなかったんだと思います。
何が一番楽しかったですか?
わかりません。ですが、好きなものってそんなものじゃないですか。野球だって何が一番好きかって聞かれても、わからないです(笑)。やはり野球が好き、にしかならない。だから歌舞伎も、その当時何が好きで続けることになったかは定かではありませんが、僕は子供の頃から、戦隊モノごっこをするように歌舞伎ごっこをして遊ぶことが多かったので、僕にとって歌舞伎に出てくる登場人物がヒーローであり憧れであったと思うんです。もちろん登場人物だけでなく、先輩方もそうですけど、そういう歌舞伎の世界が好きという感情がもともとあるからこそ、自分が大人になって復帰してその一員になれていることが素直に楽しかったんじゃないですかね。
歌舞伎俳優になるにあたって、一番影響を与えた人はどなたでしょう?
それは父でしょうね。尊敬する先輩方は亡くなった方も含めてたくさんおりますし、挙げだしたらきりがないくらいですけど、一番影響を与えられた人と言われたらやはり父でしょうね。父がいなかったら歌舞伎には触れていないですし、間違いなく、自分が野心を持って何かをするということはなかったでしょうから。昔は考えたこともなかったですけど、最近は特に、確実に父の影響を大きく受けていると感じることがあります。歌舞伎だけでなく、野球も、巨人も父が好きでしたし、意識したことはなかったですが、父の好きなものとかやっていたことに影響を受けているんだと、最近すごく思いますね。
そのお父様は、松也さんがまだお若い時期に亡くなられましたが、当時はすごく大変だったのではないですか?
大変は大変でしたけど、今となってはもうわけがわからなかったなと思っていて。病気が発覚してから一年で亡くなってしまいましたので、何の準備もできないまま逝ってしまったという感じでした。僕は二十歳でしたし、代々の家柄という大きな後ろ盾もないわけで、父がいたからこそ何とかなっていましたけれど、僕一人じゃ何ともできないような状況でしたからね。そんな中、一人ぼっちな感じがして、正直どうしたらいいかわからなかったです。
ヘアメイク:岡田 泰宜(PATIONN)
スタイリスト:曽根原 未彩
衣装:ジャケット ¥36,000、パンツ ¥21,000 / Toraditional Weatherwear(トラディショナル ウェザーウェア 青山メンズ店)
シャツ ¥9,500、ブーツ ¥26,000 / CALL&RESPONSE
次回へ続く
新春浅草歌舞伎
出演:尾上松也、中村歌昇、坂東巳之助、坂東新悟、中村米吉、中村隼人、中村橋之助/中村錦之助
- ◇第1部(午前11時開演)(年始ご挨拶)
- 『花の蘭平』、『菅原伝授手習鑑 寺子屋』、『茶壺』
- ◇第2部(午後3時開演)(年始ご挨拶)
- 『絵本太功記 尼ヶ崎閑居の場』、『仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場』
毎年、次代の歌舞伎界を担う花形俳優が顔を揃える「新春浅草歌舞伎」は、1980年の初演から2020年で40周年を迎えます。
今回は、尾上松也、中村歌昇、坂東巳之助、坂東新悟、中村米吉、中村隼人、中村橋之助という若手俳優がエネルギー漲る熱い舞台をお届けします!
当公演ならではの、出演俳優による〈年始ご挨拶〉、お客様も劇場スタッフも着物を着る〈着物で歌舞伎〉、浅草の芸者衆がロビーで出迎える〈浅草総見〉といったイベントもみどころです!令和となってから初となる「新春浅草歌舞伎」にぜひご期待ください!
- 【公演日程】
- 令和2年1月2日(木)初日~1月26日(日)千穐楽
- 【会場】
- 浅草公会堂(東京都台東区浅草1-38-6)
- 【御観劇料(税込)】
- 1等席9,500円 / 2等席6,000円 / 3等席3,000円
○11月20日(水)午前10時よりチケット販売開始!
公式サイト:http://www.asakusakabuki.com/
公式Twitter:https://twitter.com/asakusa_kabuki
公式instagram:https://www.instagram.com/asakusakabuki_gram/