ステファン・ダントン
―ご出身はフランスのリヨンだそうですが、どのような場所、環境で育ちましたか?
その頃のリヨンは多くの商店が立ち並び、とても活気のある街でした、私の母は花屋を経営していたので、母が一生懸命働く傍らで自分も手伝いながら育ちました。今でもそういう商店街の雰囲気はとても好きです。
―小さい頃印象に残っている街の情景や、子供の頃の思い出を教えてください。どんなことに興味を持っていましたか?
その頃は今と違って子供を過保護に育てることがなかったので、とても自由に育てられました。だから悪いこともいっぱいしましたね。悪ガキでした。お陰で思い出がいっぱいあります。母がお店で忙しかったので、夏休みはいつも農家を営んでいた親戚の家で過ごしていました。フランスは農業の国なので、夏休みというのは元々子供も農業を手伝うために2か月あったんです。麦や果物の収穫を手伝いました。あとはスポーツも大好きで、リヨンで人気のラグビーはもちろん、空手や山登りも大好きでした。
―ご両親はどんな方で、どんな育てられ方をしましたか?
母は結婚せずに私を生んでくれたので、店を経営しながら一人で私を育て、特に挨拶や礼儀の大事さを教えてくれました。今の子供たちが塾に通わされて小さい頃から競争精神を養わされているのとは逆に、どんなに忙しくても毎日一緒にご飯を食べて、会話をし、人間の基礎となる部分を養ってくれました。
―通った小学校、中学校はどんな学校でどんなことを学びましたか?当時はどういうことに興味がありましたか?
普通の学校で、私は成績は良くも悪くもなく、いつも真ん中くらいの生徒でした。哲学、地理、歴史、国語が大好きで、本を常に読んでいました。中でも哲学が特に好きで熱心に勉強しましたが、今ちょっと理屈っぽくなってしまったのはそのせいかもしれないですね(笑)。ところで、フランスでは義務教育期間にサン=テグジュペリの「星の王子様」を3回読んで、生きていく上で重要な哲学を学ぶんですよ。小学校ではただお話として楽しみながら読んで、中学校ではもう少し深く、高校では哲学の一環として読んでレポートにまとめます。日本と違って、小さい時から自分で考えて自分の意見をしっかり持つ教育がされていましたね。
―いつ頃から、どうして日本に住みたいと思い始めたのですか?
私は大学でホスピタリティーを専攻して、その一環でソムリエの資格も取りました。卒業後イギリスのロンドンに行って、レストランで働いていたんですけど、気付いたら日本にいましたね。元々地理や歴史が好きだったので、色々な国、特に東洋の文化や歴史、仏教に興味を持ってはいましたが、友達の影響もあってか自然の流れで日本に流れ着きました。
―当時どのような印象を日本に持っていましたか?
黒澤明などの日本の映画を観たり、本を読んで興味を持っていましたね。着物とか禅、枯山水などから美しいイメージは持っていましたが、何かが好きで日本に行きたいというような強い意志は特になく、漠然としていました。
―1983年に初めて来日されたそうですが、実際に見た日本のイメージはどうでしたか?印象に残ったこと、カルチャーショックだったことなど教えてください。
東京と京都に行き、初めて聞いた蝉の声や美しい竹林に、ただただ感動しました。その時に日本に住みたいと思ったんです。そして3年後に、一年間の留学で再来日しました。半年間東京の学校で日本語を勉強した後、函館に渡り半年ホームステイをしました。特定したことに興味を持ったというわけではないですが、その時に吸った空気や見た景色、感じたものから、私の頭の中にさらに興味が生まれてきたんです。
―何がきっかけで日本茶に興味を持ち始めたのですか?
日本に来た時はワインに関わる仕事がしたかったのですが、なかなかうまくいかず、400数種類の紅茶を置くフランスの有名な紅茶店で副支店長として働きました。それが私のお茶との出会いです。その時、お茶ってワインと似てると思ったんです。どちらも木になって、周りの環境、地域、製造の過程によって味が変わるということがとても興味深かったんです。
―その後、お茶の勉強を続けられたそうですが、どのように学ばれたのですか?
お茶の農家さんや製造者の方たちに直接会いに行って、お話を聞いて自分の知識を高めていきました。
―日本茶にフレーバーを付けるアイディアはどのように思いついたのですか?
日本のお茶の質は本当に素晴らしいもので、茶葉を蒸すという作業をするのは日本特有の技法なんです。それは日本人が旨みを大事にするからこそなんですね。そんな独特で素晴らしい文化を海外の方たちにわかってもらうには、海外の人に合ったものを提供しないとわかってもらえないと思いました。文化を継承するってそういうことだと思います。せっかくの素晴らしい文化も、ただそのまま紹介するのではわかってもらえない。お客さんに合わせてもらう様ではだめで、私たちがお客さんに合わせていくようでなくてはいけません。
―そこで思いついたのがフレーバーを付けることだったんですね。
外国人はワインを視覚、嗅覚、味覚の全てを使って味わうので、お茶もそうしなければと思ったんです。そして、私はお茶をワイングラスに入れると白ワインのような色合いになることに気付きました。外国人はグラスを手に持って鼻に近づけた時、ふわっとオレンジや洋ナシのような香りがしたら自然と口に運びます。そこから色々な会話が生まれるというのが外国人の楽しみ方なんです。だからこそ私はお茶にフレーバーを付けることを思いついたんです。
―日本でお茶のビジネスを開くにあたって大変だったことはどんなことでしたか?
外国人だと金融機関に信用してもらえないことですね。ですから今まで全て自費でやってきました。あとは、日本人は縦の繋がりをうまく利用して会社経営をされてますが、私の場合、こちらで大学にも行ってませんし、そういった繋がりを持っていなかったので、そういう部分でも大変でしたね。でも今考えると、だからこそ好きな事をやって好きな物を売るスタイルを保つことができる自由人でいられたので良かったです。
―オープン当初は外国人のお客さん向けに展開されていたのですか?
2005年にお店を開こうと思った時に、東京都内で新しいことをスタートするのに良い場所として頭に浮かんだのは、吉祥寺、自由が丘、下北沢の3か所でした。その中でも吉祥寺を選んだのは、東京女子大学や武蔵野美術大学等もある学生街でインディーズな雰囲気の街ですし、(三鷹の森)ジブリ美術館も近いから外国人も多くいて、斬新な商品を紹介するにはもってこいだと思ったんです。いざ店を開けてみると、面白いことに外国人はさっぱり来ず、たくさんの日本人が来てくれました。結果、9年お店を続けたのですが、そこで国内のお客さんのベースを気付くことができ、全国に名を広めることができました。
―それでステファンさんには、日本人のファンが多くいらっしゃるんですね。
おかげさまで、2014年からは日本橋コレド室町に店舗を構えることができ、そこで海外のお客さんに私の商品を広めることができました。そして今年の7月に、人形町に店舗を移しました。新店舗では、吉祥寺で築いた国内のお客さんと、コレド室町で出逢った海外のお客さんと、ゆっくり会話をしながら自慢のお茶を提供できる、ゆったりとした環境を持つことができています。肌の色も年齢も性別も関係ない、全ての人がウェルカムなお店です。
左:2005年に吉祥寺にオープンした「おちゃらか」初の店舗 右:2014年から6年間はコレド室町内に店舗を構えていた
―お茶のフレーバーは現在何種類くらいありますか?
季節によって少し変わりますが、大体60種類くらいです。創業当時の2005年からの3年間は9種類しかなかったんですよ。
―新フレーバーを作るに当たって、どういうことを大切にされていますか?
お客さんの好みは一人一人違います。性別や国籍などによっても変わりますから、どれが一番人気とは言いがたいです。コレド室町店にはたくさんの海外のお客さんが来てくださいましたが、例えばフィンランドの方だとヨモギ、木苺、チェリー、洋ナシなど、ヨーロッパで身近にあって馴染んでるフレーバーを好まれます。一方オーストラリアの方は、レモンやマンゴーのフレーバーに反応されます。全ての方に好まれるものを置きたいという想いから、どんどんフレーバーが増えていきました。その他にも行政の方からの依頼で、国内の色々な産地のフレーバーのお茶の開発もしています。
おちゃらかのフレーバーは、黒糖やマロングラッセ、チョコミントや、いちご、ゆずなど約60種類にも及ぶ
―60種類ですか!そういうところでも、ステファンさんがお客さんを楽しませることをいかに大事にされてるかがわかりますね。
季節ごとにも毎年新しいフレーバーを開発していて、今年の夏は緑茶ベースのラムネや国産紅茶ベースのコーラを出しましたし、今の時期は金木犀がお勧めです。私がフレーバー作りで最も大切にしているのは、温かく飲んで美味しいのはもちろん、水出しでも美味しく、お菓子と合わせても最高、この3つの条件をそろえることです。
―では、ステファンさんの日本語とフランス語で好きな言葉を教えてください。
日本語は「柔軟性」ですね。日本人にはこれが一番必要だと思うんです。こだわりがないことが私のこだわりで、それをとても大事にしています。フランス語は自由という意味の「liberte」ですね。私は自由を愛しているので。
―フランスに行ったら是非行って欲しい、ステファンさんが大好きな場所はどこですか?
私の親戚が多く住んでいるドローム・プロヴァンサル(Drome Provencale)がお勧めです。マルセイユとリヨンの間にあり、プロヴァンサル地方と気候が似てることからこう呼ばれています。真っ青な空の下、美しいラベンダー畑が広がっていて、人々の心がとても温かいところです。のんびりした時間を過ごすのに最適ですよ。
ドローム・プロヴァンサルのラベンダー(左)とひまわり(右)
―日本で大好きな場所はどこですか。
私が住んでいる横須賀が大好きです。東京からそれほど離れていないけど、海も山もあるし、多少口は悪くても、偉ぶってなく心が広い人が多いんです。そういうところが大好きです。
―ステファンさんが好きな日本の文化や特性はどういうところですか?
田舎の季節ごとの変化を見るのが好きです。街ではもうあまり見なくなりましたが、山の中にある民家に行くと、時期によって干し柿が干してあったり、風鈴が下げてあったりしますよね。そういう風に、季節の変化を大事にするところがとても好きです。私は高級で華美なものを愛でる人とはあまり共感できなく、そういう古き良きものやことが好きなんです。
―逆に変化が必要だと思うところを教えてください。
日本の尊い文化を守るために、変化、アレンジを加えることが必要です。そのまま残すことだけを考えているだけでは、せっかくの偉大な文化がこのままでは消えてなくなります。第三者からの意見を仰いでばかりいないで、自分たちで考えてしっかり向き合ってほしいですね。また、文化の継承をするのだからと、中には国の助成金を得てやろうとする人がいますが、本気で思っているのだったら自腹でやるべきだと思います。やっぱり熱い想いと全魂を注いで、たまには失敗して痛い思いもしないとだめですよ。一度は火傷したほうがいい。そうしたら2度と同じ失敗はしないから。
―失敗することも学びですね。では、ステファンさんが日本に住みながらも大事にしているフランスの文化、習慣はありますか?
意識的にではないのですが、フランスの行事やイベントは私の身体に刻み込まれていて、自然とその季節が来ると大切にするようになっていますね。それが私の仕事にも役立っていて反映していると思います。この季節がやって来たからこういうフレーバーを作ろうなどと自然と体が反応するんです。そういう自然の法則が好きですね。
―他に住んでみたい国はありますか?
たくさんあります。でも、これからもずっと日本にいますね。都心には住みたくないですけど。日本の田舎が大好きです。
―日本の田舎、いいですよね。ところで、社会で起こっていることで気になることはありますか?
私には子供がいますが、孫の世代が不安でしょうがないです。お金や車、家など余計なことにしか興味がない社会を元に戻さなければだめです。人を踏みにじってまで上に行くことをそろそろやめないと、うまくいくわけがありません。今こそみんなで力を合わせる時ですよ。
―本当にこのままではどうなってしまうのか不安ですね。それでは、ステファンさんのこれからの夢を教えていただけますか?
世界が元に戻ることですね。1910年代に戻しましょうよ。より速い戦闘機とか、速い車なんてもういらないです。全ての人が人間に戻ること、それが私の夢です。
―それが実現するにはどうしていけばいいと思いますか?
紙っ切れのお金にしか興味がない人々が、本当に大事なことは何かに気付いていくことですね。電池を使わないゼンマイ仕掛けの時計を使ったり、ベープの代わりに蚊取り線香を使ったり、クーラーを使う代わりに冷たいお茶を飲んで扇子で仰いだり、プラスチックの使用をやめて昔使われていたものの使用を再開する。とてもシンプルなことです。
店内の奥にある、ステファンお気に入りの古い時計
―その、本当に小さなことの偉大さに気付いて欲しいですね。では、ステファンさんが生きていくうえで一番大切にしていることは?
人です。私たちみんな一人では生活できないですからね。人に裏切られることもあるかもしれないけれど、それでも人と環境は大切にしていきましょうよ。
―最後に、ステファンさんにとって成功とは何ですか?
喜びですね。お金がなくても喜びさえあれば成功です。幸せは周りにたくさんあるのに、それを感じることができずに人生最低だと嘆いている人が多いと思います。今ある幸せを感じて自由にハッピーに生きることができれば、それが成功だと思います。