BICULTURAL SOULS
#20 | Jun 24, 2020

ルーマニア人のジプシー・バイオリン奏者。日本で初めて感じた観客との深い繋がりを大切に、音楽を通して表現したい感情を伝える

Interview & Text: Minori Yoshikawa / Photo: Atsuko Tanaka

様々な分野で活躍する日本在住の外国人の方々をインタビューし、日本と祖国の文化の違いなどをお話し頂くコーナー“BICULTURAL SOULS”。第20回目のゲストは、ルーマニア出身のバイオリン奏者、ポール・フローレアさん。代々音楽家であるジプシーの家庭に生まれ、5歳からバイオリンを奏で始める。幼少の頃から一日8時間の練習を積み、ルーマニア一の名門、ジョルジュ・エネスク音楽学校に入学を果たす。クラッシック音楽を徹底的に練習する傍ら、自身のルーツであるジプシー音楽にも尽力し、スピル・ハレット大学で音楽理論と音楽教育学を習得。20歳の若さにして、狭き門であるルーマニア国立放送交響楽団(ナショナル・ラジオ・オーケストラ)とジョルジェ・エネスク交響楽団の一員に選ばれ、2年後には第1バイオリニストとして活躍した。1998年、ルーマニアで行われた長崎ハウステンボスのオーディションに受かり、来日。日本で演奏して、今までに経験したことのなかった、観客との深い繋がりを感じ、日本定住を決意。今では、アーティスト・マネージメント会社を経営しながら、大好きな音楽を様々な場所で演奏し続けている。自分にとって、音楽とは「生きていくために必要なもの」と語るポールさんの大切にしている宝物、夢、成功とは。
PROFILE

バイオリン奏者 ポール・フローレア

ルーマニア出身。有名な音楽一家に生まれ、幼少時から東欧の音楽教育を享けてきた。ジョルジェ・エネスク音楽高等学校を経て、スピル・ハレット大学に進学。卒業後は、国立オーケストラ・ラジオとジョルジェ・エネスク交響楽団に参加し、2年後には第1バイオリニストとして活躍した。 1998年にハウステンボスと長期契約を結び、初来日。2004年まで数多くのゲストを魅了してきた。その後横浜に移り、現在は東京在住。クラッシック、ジャズ、オペラ、洋楽、映画音楽、J-POP、アニメなど、日本の文化も敏感に取り入れ、今も尚、幅広い年齢層のゲストに感動を与えている。

ポール・フローレア

―ご出身はルーマニアのブザウ(Buzau)だそうですが、どんな街なのですか?小さい頃印象に残っている情景を教えてください。

ブザウは、ルーマニアの首都、ブカレストから約100キロのところにある、農業やワインが有名な街です。ブザウの人々は、親切でおもてなしの心を持つ人が多く、昔からの伝統を絶やさないように文化を守り続けてきました。毎年行われているドラガイカ フェア(Dragaica Fair)という、ミッドサマーのお祭りが私は大好きで、子供の頃、友達と遊びに行っては屋台の食べ物を食べたり、サーカスを観たりして楽しんだ記憶があります。7歳の時に、音楽の学校に通うため、家族と共にブカレストに引っ越しましたが、愛する故郷として今でも私の心に残っています。

 

―子供の頃はどのような環境で育ったのですか?

私の家族はみんな音楽家なので、子供時代のほとんどを楽器の練習をすることに費やしました。5歳の時に父がおもちゃだと言って本物のバイオリンを買ってくれたのをとても鮮明に覚えています。そして、家族の中で誰が最もうまく弾けるかとか、こんなことができるようになったよ、という具合にお互いに感化し合って技術を向上させていましたね。あとは、家に大きな庭があったので、そこで友達や兄弟たちとよく遊んだりしてました。

 

小学生の頃。(ポール氏は3列目の右から5番目)通っていたジョルジェ・エネスク音楽学校の生徒たちと

―当時は、どんな音楽を演奏していたのですか?

主にクラッシックを練習していましたが、東ヨーロッパの伝統的なフォークロア(民族音楽)やジプシー音楽も両親から教わって弾いていました。

 

―ご両親はどんな方で、どんな育てられ方をしましたか?

父はとても優しい人ですが、音楽の練習に関してはとても厳しい人でした。常に適切なアドバイスを提供してくれて、より良い音楽家になれるようにと導いてくれました。母は、私や兄弟にとても厳格な人で、学校の勉強や音楽の練習、規律などにとても厳しかったですね。その父と母のバランスがとても良かったと思います。

 

―当時のルーマニアの教育システムはどうでしたか?

私が子供の頃、ルーマニアは共産国で、ゲームや映画などの娯楽はもちろんなかったので、勉強や練習に集中できて良かったと思います。今は子供の気をそらすものが多すぎるので、集中するのはとても大変ですよね。

 

 

―小学校から高校までジョルジェ・エネスク(George Enescu)という音楽学校に通われたそうですが、どのような学校なのですか?

ジョルジェ・エネスクは、「ルーマニア・ラプソディー」などで有名なルーマニア一素晴らしい作曲家です。そんな名高き作曲家の学校ということで、入学試験はとても難しく倍率も高いので、私は小さい頃から一日7~8時間練習をしていました。学校に入ってからも、毎年年度末の試験とオーディションに受からないと退学させられるので必死に練習しましたよ。共産主義国だったので容赦なく落とされますからね(笑)。

 

―当時はどんな音楽を練習していたのですか?

学校ではひたすらクラッシックを勉強しました。第二楽器を選ばなくてはいけなかったので、ピアノを選んでヴァイオリンと並行して弾いていましたが、学校の練習とは別に、ジプシー音楽もたくさん練習しました。ジプシーとして生まれた以上、いつでもどこでも、あらゆる音楽を弾けなくてはいけないんですよ。大変ですが、ジプシーにとって音楽を奏でることは生きる上でとても重要なことですから。

 

―ポールさん以外にもジプシーの学生はいたんですか?他の学生たちもクラシック以外の曲を練習していましたか?

ジプシーとそうじゃない学生と半々くらいでしたね。ジプシーの学生は勿論ですけど、他の学生たちも色々な楽曲を演奏していました。音楽はフィーリングで弾くものなので、音楽家である以上やっぱり弾きたいと思うものは練習すれば弾けるようになるものなんだと思います。私は日本の演歌も大好きで、演歌歌手の友達とコラボしたりもしてるんですよ。

 

 

―それは是非聴いてみたいです!では、高校時代はどのような学生生活を送ってらしたんですか?その時に学んだ一番大事なことを教えてください。

私の父は、私がうまくなる為だったらいつでもベストを尽くしてくれたので、とてもいい先生にも恵まれました。特に、恩師のミルチャ・コンスタンティネスク先生は、素晴らしい音楽家で音楽を教えてくれるのは勿論ですが、それ以外に、人に優しくあることの大切さなど、生きていく上で大事なことをたくさん教えてくれました。人としてどうあるかが、どれだけ素晴らしい音楽家になれるかに繋がるかを教えてくれたのもこの先生です。全ての人に敬意を払い、愛を持って接すること、そして、楽器にも尊敬の念を持って、愛を込めて演奏する大切さをこの頃身につけることができたのは私の人生の宝です。

 

―高校時代にそんな素晴らしい先生に出会えたことは、ポールさんの人生に大きな影響を与えたんでしょうね。高校卒業後は、スピル・ハレット大学(Spiru Haret University)の音楽学部に行かれたそうですが、そこでは主にどんなことを学びましたか?印象深い思い出などありますか?

大学では主に、音楽理論と音楽教育学を勉強しました。それまでは、音楽を演奏することでしか自分の才能を発揮する術を知らなかったので、バイオリンを教えることの素晴らしさも学べたことはとてもいい経験になりました。特に子供たちに教えるのはとても楽しかったです。目をキラキラと輝かせ、意欲的に学ぶ姿には心を打たれましたね。それが学生時代に経験したことの中で一番大きな収穫でした。

 

―そして20歳の時に、国立オーケストラ・ラジオとジョルジェ・エネスク交響楽団に参加し、2年後には第1バイオリニストとして活躍されたそうですね。そこではどのような体験をされましたか?

世界のどこでも同じですが、オーケストラの一員になるのは狭き門ですから、入るのは簡単ではなかったです。でも私の場合、8歳の時から子供オーケストラや学生オーケストラの一員としてヨーロッパ各地を周り、活躍していたので、わりとすんなり馴染むことができました。そして4年が過ぎた頃、ディレクターの人から、指揮者になってくれないかと声がかかりました。とても光栄なことではありましたが、私にはジプシーの血が流れているせいか、そろそろ自由な生活が恋しくなりまして(笑)。もっと自分の魂が求めるものを探すため、脱退してソロ活動を始めたんです。しばらくフランスで演奏した後、ルーマニアで他の演奏家と組んで活動しました。

 

 

―その後、1998年に長崎ハウステンボスのオーディションを受けられたんですね。このオーディションはどういう経緯で受けることになったんですか?

それが面白いことに、ある夜仕事から帰宅したら、妻が、友達から翌日の朝にとても大きな日本のオーディションがブカレストであることを聞いて、私に行った方がいいと言うんですよ。私は、急だし、準備もできてないから無理だと言ったんですけど、こんなチャンスはないから行ってみるといいと強く勧めるもんですから、行くことにしてみたんです。バイオリン奏者はたった一人の募集だったところに、20人以上も来ていたのですが、なんと私が選ばれたんです。神の恩恵ですね。

 

―それからずっと日本にいらっしゃるんですね。

そうなんです。当時はまさか定住するとは思ってなかったですが、もう運命としか言いようがないですよね。よくなぜ日本を選んだのかを聞かれるんですけど、日本が私を選んでくれたんですと答えてます。

 

―どうして定住しようと思われたんですか?

理由は色々ありますが、一番は日本の観客の素晴らしさに感動したからだと思います。私も最初はなんでこんなに日本の方たちに演奏することが自分に喜びを与えるのかわからなくて考えてみたところ、まず第一に、日本人はとても繊細な心を持ってるんですよね。言葉にするのは難しいんですけど、日本の方に向けて演奏する時、とても強い繋がりを感じたんです。それまでに観客との強い繋がりをそこまで感じたことはなかったので、とても居心地が良かったんです。

 

 

―それが日本定住を決められた理由ということは、よほどの繋がりを感じられたのですね。その他に日本に興味を持ったことはありましたか?

日本の小学校での音楽教育に貢献したいという想いもありました。日本ではほとんどの義務教育で音楽のクラスがありますが、日本人はすごく相手の気持ちを思いやる繊細な心を持っているので、その性質に合った音楽の教育方針を導入したいと思ったんです。実際に、色や光から感じることを子供達に自由に表現させるメソッドを開発途中で、完成したら公開する予定です。

 

―逆に、カルチャーショックなことなどはありましたか?

私が受けたカルチャーショックは全て良いショックでした。特に印象深かったのは日本人の団結力の強さです。ヨーロッパでは、一人一人が自分のことだけを考えているのに対して、日本人は常に相手の気持ちを配慮しているところが素晴らしいと思いました。他に驚いたのは、日本人の正直さです。ヨーロッパで仕事をしていて誰かと商談する時には必ず契約書の作成が必要です。一方日本では、口約束だけでちゃんと仕事が約束通りに成立するので、その必要がないことにはびっくりしましたね。また、街が安全なことにも驚きました。ルーマニアではいつでも自分の背後を気にしながらでなくては街を歩けません。日本ではそれをする必要がないんですから、こんなに住みやすく安全な国は他にありませんよ。

 

 

―働き始めてから5年後、ハウステンボスの経営者が変わるなどがあってお辞めになってますが、その後はどうされたんですか?

ハウステンボスで働いていた時のご縁で、横浜のレストランで演奏する仕事のオファーをいただき、長崎から横浜に引っ越しました。そのレストランで、最初はストラウスや、エネスクなどのクラッシック音楽の演奏をしていましたが、そのうちに私がジプシー音楽を取り入れるようになったんです。するとだんだんジプシー音楽に惹かれた人たちが、音楽を楽しみにやって来るようになりました。日本にジプシー音楽を紹介することができて、そしてたくさんの方に楽しんでいただけて本当に嬉しかったです。日本でジプシー音楽を演奏する人はそれまでいなかったのですが、今では増えてきましたよ。

 

―ジプシー音楽はどんな音楽と言えますか?

知らない方が多いかもしれませんが、ジプシー音楽はジャンルではなくスタイルです。例えば、同じ曲を演奏するにしても、クラッシックスタイルで演奏するか、ジプシースタイルでするかで違ってきます。そして、ジプシースタイルが他のスタイルと大きく違うところは、自由を表現できることです。私の転換期は、ジャズでもクラッシックでもなく、ジプシー音楽をメインに選んだことでした。ジャズやクラッシックを演奏していた時は音楽が楽しくなくなり、自分を見失ってしまったこともありましたが、ジプシー音楽にフォーカスすることで、自分の生き方を見つけることができました。

 

 

―今では演奏の傍ら、アーティストのマネージメントの会社を経営されているそうですが、どのようなことをされているのですか?

ホテルや会社などにミュージシャンを配属する仕事をしています。ルイ・ヴィトンやメルセデス・ベンツのような企業でのイベントに送り出したりもしています。世界各国から来た50人以上のミュージシャンのマネージメントをしていますが、アメリカから来たジャズミュージシャンや、ヨーロッパから来たクラッシック奏者など色々です。チャリティーコンサートをやることもありますよ。もちろん私自身も、ミュージシャンのマネージメントだけでなく、演奏もしています。イベントやチャリティーコンサート、代官山のジャズバーで演奏することもありますし、個人的には仲間たちと毎日演奏しています。

 

―ところで、ポールさんがミュージシャンとして大切にしていることはありますか?

自分が楽しめることと、観客の方たちに楽しんでもらうことですね。よく、今日は何を演奏するのか聞かれるんですけど、いつも「わかりません」と答えるんです。観客の方たちは私への贈り物です。お客さんを前にするとその方たちに何を演奏したら幸せに感じてもらえるかがわかるんです。

 

―観客との繋がりを本当に大事にされているんですね!そこにポールさんの音楽への愛情とプロ精神を感じます。それでは、ここからはルーマニアの文化や習慣についてお聞きします。まず、ルーマニア人の国民性を教えていただけますか?

ルーマニアは、イタリア、ポルトガル、フランス、スペインと並ぶ、世界で5つのラテン系の国のひとつで、とてもフレンドリーでホスピタリティー溢れる国民性を持っています。家に招いたり、ご馳走したり、人を楽しませることを自然にできる民族ですね。とても温かく優しくて、ポジティブな人種でもあります。共産主義時代も、経済破綻した時も、いつでも良い方向に物事を見て、ポジティブに生きてきました。どんなに大変な状況下にいても、今日を乗り越えれば明日がある、という精神でいられるのがルーマニア人の特性ですね。

 

 

―ルーマニア語で好きな言葉はなんですか?

“ Speranţă(スペランツァ)”という言葉が好きですね。「希望」という意味なのですが、「全てがうまくいく」という祈りの心が強く込められた言葉なんです。

 

―日本語で好きな言葉は?

「真面目」です。日本人の最も特徴的な特性ですよね。だからこそ、信用できるんです。最近でも、マスクをするとコロナウィルスの感染率を抑えることができるという情報が出たら、みんなが他者のことを思ってマスクをしますよね。他の国ではそうはいきませんよ。本当に日本人は真面目ですね。

 

―では、ルーマニアに行ったら是非行って欲しい、ポールさんが大好きな場所はどこですか?

黒海のビーチですね。コンスタンツァ(Constanța)のマーマイア(Mamaia)ビーチというリゾート地が特にお勧めです。多くのサーファーたちが来る場所で、たくさんのミュージックフェスが行われたり、とてもハッピーな場所なんですよ。

 

 

―日本で大好きな場所はどこですか?

私と妻は温泉が大好きなので、よく箱根に行きます。東京から近くて気軽に行けるのがいいですよね。

 

―ポールさんが好きな日本の文化や特性はどういうところですか?

オリジナリティーをうまく残しているところが好きですね。他の国では、他国の影響をたくさん受けすぎて、自国の特性を失っているところが多いですが、日本は美しい日本の伝統をちゃんと残しているところがすごいと思います。どの国も、そのルーツを失ってしまっては何も残りません。その点日本はしっかり残す努力をしていると思います。

 

―逆に変化が必要だと思うところを教えてください。

一人一人が、何を感じて、何を思うかを自由に表現できるようになったら、いい変化が起こると思うんです。それには、もっと魂を自由にしていくことが必要だと思いますが、個人が自分に自信を持って、考えや、学んできたことなどを伝えたり、発表したりすることで改善していくと思います。あと、日本人は働き過ぎとよく言われていますが、働かなくては生きていけないので、働くことは悪くないんです。問題は、働く時間の長さではなく、その質にあると思います。たくさん働いても、仕事の内容に意味がなかったら疲れるだけですから、短い時間で効率良く働けば、体を休ませたり、好きなことを楽しめる時間もできますよね。もう少し余裕を持って人生を楽しめればいいと思います。

 

 

―ポールさんが日本に住みながらも大事にしているルーマニアの文化、習慣はありますか?

食べ物ですね。運良く妻が料理好きなので、毎日美味しいルーマニア料理が食べられて幸せです。東京に住んでいるルーマニア人はわずかですが、小さなコミュニティーがあり、みんなで集まって一緒に食事をしたりイベントを開いたりしています。そのように、自国の文化を大事にできていることにとても感謝しています。ルーマニアはオーソドックスクリスチャン(正教会)なのですが、国立にルーマニアの教会があって、毎週日曜日に食べ物を持ち寄ってみんなと時間を過ごすのが私の楽しみなんです。

 

週に2回は通うという教会で

―ルーマニア料理にはどんな食べ物があるのですか?

肉料理がメインですね。中でも「サルマーレ」というロールキャベツとポレンタは、最も伝統的な食べ物で私も大好きです。でも、私は日本食も大好きですよ。昨日も家族で寿司を食べましたし、納豆だって大好きです。

 

―納豆も食べられるんですね!現在はご家族そろって日本に住んでらっしゃるんですか?

はい、大好きな日本に妻と娘と暮らしているので、これ以上の幸せはないです。

 

―他に住んでみたい国はありますか?

私たちにとって、日本以上に最高な場所はないです。なので、日本以外に住みたいところはないですね。

 

―社会で起こっていることで、気になることはありますか?

やっぱりコロナですね。最大限命を残していくことにみんなで力を合わせていけば乗り越えられると信じています。日本は本当に頑張っていますよね。国のレベルではなく、個人のレベルでとてもよくやっていると思います。先ほど日本人は真面目だという話をしましたが、こういう大変な時にもそれが表れていますよね。一人一人がマスクを着用し、うがい手洗い、殺菌などもしっかりやっているからこそ、ここまで抑えられているんだと思います。

 

 

―そう言っていただいて、気づいていなかった日本人の真面目さがわかってきました。それでは、ポールさんが今後挑戦したいことや夢はありますか?

私の夢はただ一つ、娘がいい人を見つけて幸せな家庭を築いてくれることです。仕事面では、私が日本在住の外国人を集めて結成したオーケストラ「United Nation of Orchestra(ユナイテッド・ネイション・オブ・オーケストラ)」のコンサートを開催することです。今年開催予定だった東京オリンピックの時に開くはずだったのですが、延期になってしまったので、時間ができた分、来年までに更に質を高めて皆さんに良い演奏を提供できるように頑張ろうと思っています。

 

―それは楽しみです!ポールさんが生きていく上で一番大切にしていることはなんですか?

神と家族、そして自分とのバランスですね。そしてそこに音楽があること。私は、仕事に行く時に、「仕事に行ってくる」とは絶対に言いたくないんです。代わりに「演奏しに行ってくる」と言います。私にとって音楽は仕事ではなく、生きていくために必要な大切なものなんです。

 

 

 

―それでは最後に、ポールさんにとって、成功とは何ですか?

大きなステージで演奏する時でも、駅前や道端で演奏する時でも、観客の方たちに私が表現しようとしている感情を感じてもらうことです。幸せを表現した時には幸せを感じてもらい、悲しみを表現した時には悲しみを感じてもらう。それには、観客の皆さんとの繋がりがなくてはなりません。それができていたら、それは私にとっての成功です。

 

 

ポール・フローレア Information