ファラ・タライエ
―ファラさんはイタリアのローマで育ったそうですが、印象に残っている街の情景はありますか?
私が幼い頃のローマはとても自然が豊かで、私はいつも大きな公園で遊んでました。木がたくさん生い茂っているところで、よく木に登ってフルーツを取って食べたりしていましたね。また、ビーバーが河で泳いでるような大自然を、木の枝に座って上から見下ろすのが大好きでした。
―子供の頃はどんなことに興味を持っていましたか?
自然が大好きで、生物学や植物、動物、人などに興味を持ってましたね。あと、大きくなったら大統領になりたいと思ってました(笑)。その頃のイタリアには中東の民族があまりいなくて珍しかったので、イタリア語を話せないアラビア系のクラスメイトがいじめられているのを見て、私が政治家になって世界を変えようと思ったんです。どこの国の大統領でもいいからとにかく力が欲しかったんですね(笑)。

小さい頃。イタリアにて
―ご両親はどんな方で、どんな育てられ方をしましたか?
父はとても厳しい人で、私は小学校低学年から学校の勉強の他にも英語の勉強を毎日させられたりと、かなりのスパルタ教育を受けました。この世の中で生きていくには女性は男性の何倍も頑張らなければ認めてもらえないという父の考えから、弟をのぞいて、私と姉には特別に厳しかったんです。時には宿題の字の大きさが少しでも不揃いだと最初からやり直させられたことも。毎日夕飯も食べずに夜遅くまで宿題をしてました。でもそのおかげで、私たち兄弟は流暢に5か国語を話せますし、父は自分が親から受けなかった関心や愛情を勉強という形で私たちに与えてくれたので、今となってはとても感謝しています。
―その後はイランや韓国にも住んだと聞いていますが、どのような経緯で?それぞれの国の生活はいかがでしたか?
父の仕事の関係で小学5年生の時にイタリアを離れ、2年程家族で旅行をし、1年半イランのインターナショナルスクールに通った後に、韓国に引っ越して高校に通いました。イランもイタリアも、文化や考え方などすべての面において違ったので、慣れるのに時間がかかりました。イランは多文化で30か国語以上の言葉が話されていますし、イタリアもヨーロッパ中の人達が混ざり合っています。それに反して、当時の韓国には韓国人しかいなくて、韓国語を話せない私は友達もできず完全に孤立していました。それでインターナショナルスクールに移ったのですが、ちょうどその頃ニューヨークでテロがあって、イラン人である私は不当にもテロリストのような扱いを受けて、そこでも馴染むことができませんでした。

―それは辛い思いをされましたね。どうやって乗り越えたのですか?
辛かったですけど、世界の情勢を見ることができてとても勉強になりました。そしてまた大統領になりたい欲が戻ってきましたね(笑)。世の中の在り方を一言で変えてしまうような力を持った人に憧れました。また、その頃私を元気づけてくれたものに、日本の漫画家グループ「CLAMP」の「X」という漫画がありました。日本の漫画だけど韓国語に訳されたものしかなかったので、それを読みたいがために頑張って韓国語も勉強できたんです。毎月買っては、図書館で韓国語を勉強しながら読むのが楽しみでした。
―建築に興味を持ち始めたのは韓国にいた時だったそうですが、何がきっかけだったのですか?
韓国では、イタリアでもイランでも見たことのなかったガラスやコンクリート、木などの材質が主に建築に使われていて、とても感動したんです。それまで木だけで大きな建物が建てられるなんて考えもしませんでしたし、何もかもが新鮮でした。イタリアの建築には石が多く使われていて古臭いイメージを持っていたので、とてもモダンに感じたんですね。当時はよく学校帰りに、ビルを建築している現場やガラス張りのプールが屋上にあるような興味をそそる建築物に足を運んで見学していました。建築を見るのが楽しくてしょうがなかったんです。

―そして高校卒業後は、日本の大学に入学されますね。どうして日本に来ることを決めたのですか?
日本に興味を持ったきっかけは、実は漫画の影響が大きいんです。小さい頃イタリアで「セーラームーン」をよく見てたんですけど、東京タワーの背景にいつも大きなお月様があって、子供ながらに日本の月は何て大きいんだろうとか、登場人物は目が大きいけど日本人ってこんな目なんだろうかとか、いろいろ想像していつか日本に行きたいと思っていて。でも、実際日本に来て正直がっかりしましたね。だって月は普通のサイズで東京タワーの後ろに降りないし、目の大きさも普通だし(笑)。
―それはがっかりですね(笑)。他に何かカルチャーショックなことはありましたか?
イラン人も韓国人もすごく率直に思っていることを言います。それで頭に来ることや傷つくこともあるんですけど、決してわざと言ってるわけではなくて裏がないんです。その点、日本には本音と建前というものがあって、最初は相手が本当は何を思っているのか、何を信じて良いのかわからなくて苦労しました。あと日本のマナーにもついていくのも大変でしたね。そのうちの一つに暗黙の了解というものがありますが、それを自動的に理解できないとマナー違反となってしまう。私が知らずにマナーを守ってないと、誰もそれを教えてはくれないんですけど、「はぁーっ…」と深い不愉快な溜息をつかれるんですよ(笑)。今では私もそのマナーに慣れましたし、何故そのマナーが大切かを理解できていますが、当時は苦労しました。

―建築はどうのようにして学ばれたのですか?
まず東海大学で日本語を勉強した後、奨学金でイランの大学で建築を学びました。その後日本でも奨学金を貰うことができたので、戻ってきて東京大学を受験して再び建築を専攻し、さらに大学院に進みました。同時に建築事務所で働き始めました。
―どのようなところで経験を積まれたのですか?
日本で初めて就職したのは建築家、伊東豊雄さんの設計事務所でした。私は伊東さんを本当に尊敬していて、彼は人生におけるロールモデルのような人です。彼が素材に生を与えるのを見るのは魔法を見る様でした。当時、博士課程を取りながら働くのはとても大変でしたが、その後、山下設計や日建設計で正社員として働き経験を積みました。そして片山正通さんのワンダーウォールで1年間働いた後、少し休暇を取り、世界の色々な建築を見るために15か国を旅して、去年独立しました。
―ファラさんは設計にサステナビリティ(持続可能性)を第一要素として取り入れていらっしゃいますが、いつからどんなきっかけでサステナビリティを意識するようになったのですか?
小さい頃から自然が大好きで、動物や植物に親近感を持って育ってきたのが一番大きいと思います。イランに住んでいた時、庭にすごく大きな銀杏のような木があったんですけど、毎年すごく臭い花を咲かせるんです。近所の人や家族から嫌がられて切るように言われても、父はこの木はうちの子供たちと一緒に育ってきた家族のような存在なんだと言って絶対に切ろうとしませんでした。その木はもう40歳くらいで、今もまだ同じ場所に立っています。そうやって生活を共にすると、ただの植物ではなく家族のような存在になるんです。他にも、父は野菜や果物を買う時はスーパーには行かず必ず市場に出向いたり、農園にまで足を運んで私たちに自ら木に登らせて果物を取らせたりしてました。そういう自然との共存を大事にする父の影響も大きいですね。

最近手掛けた表参道での設計コラボレーションプロジェクト
―それを建設に取り入れるのはファラさんにとって自然のことだったんですね。
そうですね。山下設計で働いていた時、熊本県庁の庁舎をデザインするコンペに応募したのですが、その敷地内に20m程の高さがある、50歳くらいの古くて立派な銀杏の木があったんです。私はその木をどうしても守りたくて、その木を囲むように建物を建て、中からガラス越しに木を眺められる設計を提案しました。最終的には木を維持するにはコストがかかるということで私たちの案は選ばれず、木も伐採されてしまい、大変残念でした。
―社会においてそのような逆境は色々あると思いますが、それでも一貫してサステナビリティを取り入れた設計を続けていくファラさんの信念は素晴らしいですね。
私は元々ある自然の中に建て、共存させる形でしかデザインしたくないんです。人間は自然と離れてしまったら人間らしさを失います。だから田舎に住んでいる人と、都会の喧騒の中に住んでいる人とでは生命の力が全く違うんです。木に登って果物を取って食べる生活をするのと、スーパーで何重にもプラスチックで包装されたフルーツを買って食べる生活をするのでは、考え方も全く変わってきますよね。SDGs(Sustainable Development Goals)という国連で定められたサステナビリティの基準となる数値があるのですが、日本の数値は驚くほど低く、多くの発展途上国にさえも及ばないほどです。残念ながら自然を大切にすることに対してとても意識が低いんです。ブランディングとして自然を取り入れるのではなく、自然がメインの設計をしていくことを私は大事にしています。
―毎日の生活の中でサステナビリティを取り入れていることはありますか?
毎朝植物の世話をすることから一日を始めることや、近くの公園に散歩に行ったり、猫と話す時間を大事にしていますね。あと、スーパーでビニールの袋やプラスチックの容器に入った野菜や果物はなるべく買わず、市場などで不揃いの物を買うようにしたり、プラスチックのものはなるべく買わないようにしています。テイクアウトする時は自分の容器を持って行くようにもしています。

―私たち一人一人がそうやって意識を持って毎日を生きることが大切ですね。ところで、ファラさんは色々な国で生活を送ってこられましたが、どの国民性を多く自分の中に持っていると思いますか?
地球ですね!(笑)。
―日本語で好きな言葉はなんですか?
「もったいない」と「しょうがない」です。私は常に完璧を求めて全てのことに一生懸命取り組むタイプなのですが、どんなに頑張ってもしょうがない時ってありますよね。そういう時にしょうがないという言葉があると、とてもホッとするんです。他の言語にはない言葉ですからね。もったいないの精神を大事にしつつ、どうしてもだめな時は、ストレスになる前にしょうがないと思えるバランスを保つことが大切だと思っています。
―他の言語で好きな言葉はありますか?
やっぱり「サステナビリティ」ですかね。サステナビリティってただ単に自然保護に関する言葉ではなく、人間、動物、自然全てにデメリットがない環境にすることや、さらには人生を豊かにすることにも繋がる意味を持つんです。

―ファラさんが日本で大好きな場所はどこですか?
軽井沢は好きな建築物が自然とうまく調和していて好きです。特に内村鑑三記念堂の石の教会は美しいです。あと、家の近くに旧小松川公園という公園があるんですけど、川に挟まれているので水の流れる音が聞こえて、四季折々の自然があって、行くととても落ち着きます。そこにあるオブジェもすごく好きですし、今はもう使われてないのですが、旧小松川閘門という、船を通すために2つの違う水位の水面を調節していた水門もあって、日本じゃないところに迷い込んだ気分になります。
―両所ともファラさんらしい素敵なチョイスですね。では、ファラさんが好きな日本の文化や特性はどういうところですか?
細かいところまで常に配慮して美しさを探求するところが好きです。他の文化にはないとても素晴らしい特性だと思います。より良くするために細心の配慮を施して完璧を求める姿勢が素晴らしいです。細かいディテールまで考えるということを常にしていると、性格や服装など人生のあらゆるところに現れてくるんですよね。建築でももちろんですが、着物の柄や生け花、食べ物の並べ方の中でさえそれを見ることができるんです。日本人はそれを毎日の生活の中で無意識にやってるんですよね。
―逆に変化が必要だと思うところはどういうところですか?
古い考えに固執しているところですかね。今あるもので満足してしまっては、それ以上のことを探しはしません。そうなってしまったら、これ以上の発展はあり得ないですよね。経済の発展は国民の発展に伴います。人々が古い考えに執着している限り、経済も発展しません。日本はグローバルになろうと最善の努力をしていますが、同時に国内での状況に満足しきってしまって、外に出ていくきっかけを逃してしまっているんです。英語ができないことも大きな壁になってしまっているので、私が携わっているNPOグループののImpacTech Japan(インパクテック・ジャパン)では、スピーチやプレゼンができるようになるよう英語教育も同時に行っています。社会を発展させるには、人々にその方法を詳しく教育していかなくてはいけないと思っています。

インパクテックの会合にて
―インパクテックについて教えていただけますか?
私は建築業の傍ら、インパクテックの日本支部を統括しています。ソーシャル・チェンジ・メーカーズスという日本財団のNPOグループとタッグを組んで、起業家になりたい人や、スタートアップビジネスを展開しようと考えている若者を対象にプログラムを展開しているんです。社会のマインドセットを変え、世の中をより良くしていけるよう、女性の社会進出や移民権の問題などの改善に力を入れている団体などのサポートにも力を入れています。このような団体が増えて活動していかない限り、日本のマインドセットはいつまで経たっても戦後のものと同じままで、不況から抜け出すことはできないと思います。
―わかっていながらも実際何をすればいいのかわからずにいる人が多い中、こういう活動をされているのは素晴らしいですね。ではファラさんが日本に住みながらも大事にしている他国の文化、習慣はありますか?
私にとって特定の文化を大事にするということはあまり重要ではないんです。今自分がいる場所の文化、一緒にいる人の文化に尊敬の念を持つことを大事にしています。私の婚約者は献身的なクリスチャンなので、一緒にクリスマスを祝うことはとても大事ですし、私の両親は3月にあるイランのお正月を毎年大きく祝うので私も祝います。全ての文化を常に大事にできる人でありたいです。
―日本以外に、他に住んでみたい国はありますか?
国ではないんですけど、何処か小さな島を買って自分で良き統治をしてみたいと思うことはあります(笑)。自分にどれだけのことができるか試してみたいんですよ。現実的な事を言うと、地球温暖化の目下にあるグリーンランドやアイスランドに住んで、直接問題を見てみたいとは思いますね。

―社会で起こっていることで、気になることはありますか?
知らない人も多いと思うのですが、多くの国はタイやベトナムなどの国にお金を払ってリサイクル可能なゴミを引き取ってもらっています。でもそのゴミの大半はリサイクルされることなく、川に流されていたり、ゴミの島に送られているんです。ゴミを渡した国々はその状況を非難しても、お金で解決しようとする自己の無責任さを省みることはありません。モルディブでゴミ集積所となっている島があることをご存じですか?世界中から集められたゴミがそこに積み上げられているんです。それをニュースで見た人たちは、なんてひどいと言うんですけど、それは全部私たちのゴミなんです。考え方を変え、私たち個人が責任を持っていかない限り、この問題が解決されることはないと思います。もう一つは、使い捨ての文化が浸透していることです。誰もが新しいものを持つことに重きを置き過ぎて、物を大切にしていません。私自身も靴が大好きで、つい買ってしまうのが悪い癖です。だから改善していくのが大変なことだとはわかっているんですけど、そろそろ意識を変えていかないと大変なことになってしまいます。
―一人一人の意識を高めるにはどうしたらいいと思いますか?
日本の学校で掃除をすることや食べ物を大切にすることを教えているように、製品や食品がどこでどのように作られているのか、その製品を購入することや、その食べ物を食べることがどのように世界に、地球に影響を与えるのか、私たちに見えないところでどんなことが起こっているのかということをしっかり学校で教育していくことが大事なのではないかと思います。

―これからやっていきたいことや夢はありますか?
大統領は無理として(笑)、社会を少しでも良くしていけるようなNPOグループを作って活動したいですね。あと、野良犬や野良猫を匿うシェルターをデザインして建設するのも夢です。きっとそういう私のビジョンを理解してくださる方もいると信じています。また、誰も見たことのないような独創的な家をデザインしたいですね。筆を使って素敵な絵を描くように素材を駆使して場に生を吹き込み、個性や素性を持つ家を建てたいです。
―ファラさんが生きていくうえで一番大切にしていることはなんですか?
どうしたら失敗を最小限に抑えて成長や成功に繋げるかということを常に考えながら生きています。人間として犯してはいけない失敗をしないことをとても大切にしているんです。誘惑に負けずに、人として正しい生き方を毎日の生活の中でしていくことで、より良い自分を確立し、それがより良い社会にも繋がっていくと思っています。
―最後に、ファラさんにとって成功とは何ですか?
成功の定義って一人一人全く違うと思うんですけど、一日の終わりに今日自分が成し遂げたことに満足して眠りにつくことができたらそれは成功だと思います。