BICULTURAL SOULS
#23 | Mar 24, 2021

パンクやヒップホップを経て、昭和歌謡に魅せられたニューヨーク出身のDJ。「Youは何しに日本へ?」の出演でさらなる人気を得た「昭和歌謡ナイト」

Interview: Minori Yoshikawa / Text & Photo: Atsuko Tanaka

“BICULTURAL SOULS”第23回目のゲストは、アメリカはニューヨーク州の首都・アルバニー出身のDJ Dandy(ダンディー)さん。10代の頃から音楽やダンスにのめり込み、クラブやレイブなどにも通ってリアルなカルチャーを体感してきた。高校卒業後は大学の入学・退学を繰り返しながら音楽イベントに携わる仕事をしたり、アメリカを横断したりして過ごす。オレゴン州ポートランド在住時代にDJを始め、その後アメリカを出ようと決めて海外に渡り、2008年に初来日。名古屋に住み、レコードを集めていく中で出会った昭和歌謡に興味を惹かれた。3年後に東京に移り、友人たちと始めたイベント「昭和歌謡ナイト」は徐々に人気を集め、これまで年齢や人種を問わず多くの人が訪れている。今年で在日歴13年になるダンディーさんに、幼い頃のことから学生時代、ニューヨークでのクラブで働いていた時のことや、日本の印象、また、昭和歌謡の魅力についてや今後の夢などを聞いた。
PROFILE

DJ DJ ダンディー / DJ Dandy

DJダンディーはニューヨーク出身、東京都在住。(主に) 7インチレコードを回している。ちまたで話題の「昭和歌謡ナイト」の共同創設者として東京新聞や、GQ、pen 等の雑誌、Tokyo FMなどのラジオから取材を受け、NHKの番組やTV東京の人気番組「YOUは何しに日本へ」など様々なテレビ番組に出演している今、話題の人物。

DJ ダンディ

ーご出身はアルバニーだそうですね。小さい頃の印象に残っている街の情景はありますか?

アルバニーのダウンタウンには政府系のオフィスやアメリカで最も古いビルが多くて、街にはストリップモール(小規模のショッピングモール)や小さなレストランとかしかないから、当時はつまらない場所だと思ってた。でも自然が多くて、今はとても綺麗な街だと思ってるよ。

 

ー当時好きだったことは?

小さい頃は、本を読むのが好きだった。「ロード・オブ・ザ・リング」とか「ホビット」とかファンタジーが好きで、学校で初めて読書レポートを書いた時、嬉しいあまりにとても長いレポートになってしまって、みんなの前で読んだら、先生に「もう大丈夫よ」って途中で終わらせられたことがあった(笑)。あと、「ガーフィールド」や「ピーナッツ(スヌーピー)」みたいな新聞に載ってる漫画が好きだったね。音楽も好きで、MT Vをよく観ていたな。当時はマイケル・ジャクソンが好きだった。それから自転車に乗ったり、ビデオゲームも好きだった。

 

—ご両親はどんな方で、どんな育てられ方をしましたか?

二人とも優しくてとても自由な考え方を持った人たちで、人間みんな平等に接するべきとか、困った人がいたら助けるとか、人として大事なことを教えてくれた。裕福ではなかったけど幸せな家庭だったよ。僕が7歳の時に両親が離婚した後は、父と母の家を行ったり来たりすることになったけど、彼らは二人で子育てのルールを決めながら僕と7歳下の弟を育ててくれた。

 

子供の頃。両親と

―学生の頃はどんな日々を送っていました?

小学生の時は優秀で、その頃に僕の人格が形成されたように思う。中学の頃はコメディが好きでいつもよく冗談を言っていた。でも変わらず成績は良かったよ。それから高校でパンクとかロックにハマるようになって、変な髪型をしたりピアスをしたり、服装もクレイジーな感じだった。偏見を持った先生には不良だと思われて反抗してたから、きっと面倒くさいやつだと思われていたと思う。でもどんな格好をしてたって、頭がいいんだってことを先生に知らしめないといけないと思ってたんだ。

 

―成績の良い生徒でありながら、反抗的であることも大事だと思っていたんですか?

そこまで反抗的だったわけではないけど、僕はストレートエッジって言われる、タバコもお酒もドラッグもやらないタイプだったから、成績も良くて悪いことは一切やってないって、スマートであることを見せつけようとしていた。今考えると自分でもよくわかってなかったと思うけど、ただ他と違う存在であることを表現したかったんだろうね。

 

高校生の頃

―当時はどんなハードコアのバンドを聴いていたんですか?

アルバニーには、アルバニーとトロイという街の2つのハードコアシーンがあった。アルバニーの方はパンクよりで、僕が好きだったのはYOUTH OF TODAYとか、GORILLA BISCUITS、 MINOR THREAT。トロイの方はメタルエッジでハードコアな感じで、INTEGRITYやCro-Magsとかが好きだった。あとはヘビーメタルも聴いてたね。

 

―音楽にハマっていたんですね。

そう、それでパンクとかハードコアのライブを見に行くようになって、僕のような変わった人たちと出会って仲良くなった。それからDJとか、ダンスミュージックのレイブやクラブにも行きだして、ダンスを覚えて、ヒップホップやソウル、ハウスを聴くようになったんだ。それが90年代初期の頃。あとは文学も好きだったし、ファッションも好きで、よく古着屋に服を買いに行ってたよ。

 

―その頃からいつかニューヨークに住みたいと思っていたんですか?

ダンスミュージックを聴くようになって、ニューヨークでそういった音楽が生まれたことや、他にもいろんな刺激的なことが起きていると知って、いいなって思うようになった。それで高校卒業後どこへ行くかを考えた時、ダンスミュージックや演劇にも興味があったから、ニューヨークに行くことにした。

 

―ニューヨークでは大学に行かれたんですか?

NYU(ニューヨーク大学)に95年から2年間行ったよ。当時はライターになりたくて国語(英語)を学んでいたけど、学費が高すぎて途中で辞めたんだ。当時NYUはアメリカで一番学費が高い学校で、僕は最初の1年は助成金を受けていたけど、2年目はあまり受けられなくて。当時はまだ自分が何をやりたいかよくわかっていなかったし、時間とお金の無駄だと思ってね。

 

―ちなみに当時はどんなライターになりたいと思っていたんですか?

ビートがすごい好きで、ジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグのような作家に憧れた。高校の頃、NYUで行われた有名なビート作家のパネルディスカッションとか読書会にも行ったよ。そうしたら、年老いた人しかいなくてがっかりしたのを覚えてる。それでも有名なライターが来る時は行ってた。僕は喜劇が好きなんだけど、自分が書く時はプランして書くというよりは、座ってタイプしてると勝手に物語が浮かんでくる感じだった。ある時書いていたら、フローゾーンに入っちゃって、ただただ書き続けるみたいなこともあったな。楽しかったよ。でも、書くことで何かしようとか具体的なことまでは考えてなかった。

 

―大学を辞めた後はどうされたんですか?

約1年かけて友達とアメリカを横断した。最後サンフランシスコにたどり着いて数ヶ月そこに住んだ。その後アルバニーに一旦帰って、ニューヨークでまた大学に戻ったんだ。今度はハンター大学に行ってそこでも国語を学んだ。でも結局1学期で辞めて。それでグリニッチビレッジにあるライフというクラブで働き始めた。

 

左上:学生時代 右上と左下:アメリカ横断をした時 右下クラブで働き始めた頃

DJをしてたんですか?

いや、最初はイベントのオーガナイズだね。その頃からブリットポップとかモッズのイベントが流行っていたから、僕が働いていたクラブでもそういうイベントをやろうってオーナーに持ちかけて、やってみたら大成功。それでプロモーターにならないかと言われたけど、僕はバーテンダーをやった。バーテンダーは一晩でチップだけで2、300ドル稼げるからね。それから他のクラブでも僕がバーテンダーをして、友達がDJとプロモーターをしたりして、そんなイベントを2年くらい続けたかな。

 

―その後は?

最初の頃は楽しかったけど、そのうち「俺は一体何をやってるんだ」ってなって、もう一度自分の人生を考え直そうと思った。旅行するのが好きだったから、またアメリカ横断をしながら次に住むところを決めることにした。まずシカゴの親友の家に2ヶ月いさせてもらって、その後行ったオレゴンのポートランドが気に入って住むことにした。レストランで働いたりしながら、エレクトロとかダンスのイベントをやるような場所でDJをするようになって、ガレージセールでターンテーブルとステレオをゲットしたんだ。レコードも買わないといけなかったんだけど、1ドル以上のものは買わないってルールを決めた。ニューヨーク時代のルームメイトがDJで、彼らはレコードにお金をかけていつも金欠だったからそうはなりたくないって思っていたんだ。

 

―それでDJを始めたんですね。ところで1ドルでレコードが買えるんですか?

うん、今でもまず1ドルのコーナーで探すよ。全く知らないレコードを発掘するのが好きなんだ。昭和歌謡もそうやって知った。これまで安いレコードを探して買い続けてきて半分はあまり良くなかったけど、1ドルだからそんなに損した気にもならない。それにすごいいいレコードに出会えた時はテンション上がるよ。

 

フリーマーケットでレコードが売っている際は必ずチェックする

―ところで、日本に興味を持つようになったのはいつ頃?昔から好きだったんですか?

高校の時にピチカート・ファイヴの曲が好きで聴いたり、北斗の拳とか、AKIRA、ドラゴンボールZとかアニメも好きだったけど、特に日本に興味があるわけではなかった。

 

―では日本に来ることになったきっかけは?

ブッシュ大統領が再選された時、こんな国にはもういられないって思って、ちゃんと学位を取ってアメリカを出ようって思ったんだ。それで外国に行くのに一番簡単な方法は英語を教えることだと思って、ポートランド州立大学に通って学位を取った。

 

―それでまずどこの国に行ったんですか?

ポーランドに行った。でも、待遇があまり良くないことを知って、英語教師をしている友人に韓国は渡航費や滞在費も出してくれるし良いと聞いて、韓国に行くことにした。韓国に住んでる時に日本に2週間くらい旅行で来て、大好きになって日本に引っ越そうって決めたんだ。

 

―その時日本にどんな印象を受けたんですか?

美しい国だと思ったし、昭和のスタイルが残っていて、ゴールデン街の雰囲気とかにも魅了された。歩くたびに小道や商店街とかいろんな面白い発見があったし、日本のワビサビや平和な感じもいいなと思った。それに人も優しくて、食べ物も美味しい。でも当時は日本語を全く話せないし和食もあまり知らなかったから、いつもセブンイレブンでおにぎりといなり寿司を買って食べてたよ(笑)。

 

―カルチャーショックなことはありましたか?

韓国ですでに経験していたから、特に大きなものはなかった。でも、住むたびに少しずつ出てきたかな。まずは、ペーパーワーク。例えば違う区に引っ越しをしたら、区役所に行って書類を提出しないといけないでしょ。コンピューターで処理できないのかなっていつも思う。先進国なのにテクノロジーが遅れているところはいまだに理解できないな。あと、元ニューヨーカーとしては、いつでも最高のディールを探すのが好きなんだけど、日本は何を買うにも大抵同じ値段なのが驚いた。それと友達と飲み食いをした時の割り勘制度。「あの人の方が何杯もビール飲んでるのに、同じ値段を払うのはおかしくないか?」と思って最初の方は申し立てしてたよ(笑)。今は慣れたけどね。あとは男女の間に不平等さがあることには驚いたね。

 

―日本に来て最初に住んだ場所は?

名古屋だよ。ポートランドみたいな街のコンパクトさがいいなと思って。当時遊びに行ってたモッズ系のイベントのオーガナイザーが僕がDJだと知って、頼まれてそこで回すことになった。でも60年代のレコードが手元になくて、持ってた昭和歌謡のレコードをかけたら盛り上がって、それからもっと昭和歌謡のレコードを集めるようになった。

 

名古屋時代。当時はDJママチャリとして二人で活動していた

―Dandyさんは日本の歌謡曲のどんなところに魅力を感じたのですか?

最初に買った日本のレコードは黛ジュンさんの「ブラック・ルーム」だったんだけど、ドラムやベースもいいし、彼女の声も最高だし、僕が昔踊っていたソウルの音楽を思い出した。当時は単にいい音楽だと思ってたけど、今は曲を通してその時代の日本を理解できるし、体感できる感じがしていいなと思ってる。あとは、日本と西洋のカルチャーがいい風にミックスされていて、とてもユニークだと思う。

 

―好きな昭和歌謡のアーティストは?

黛ジュンさん、加山雄三さん、特に彼の60年代の曲は最高だねサーフスタイルのギターもすごいいい。あと、「昭和歌謡ナイト大盛り」というスペシャルイベントをやった時にゲスト出演してくれた山本リンダさん、平山みきさん、宇崎竜童さんも好き。江利チエミさんも好きだし、他にもたくさんいるよ。

 

―その後東京に引っ越してきたのはいつ頃?何かきっかけがあったんですか?

名古屋に住んで3年くらい経った頃、もう少しパフォーミングとか何か違うことをやりたいと思うようになって、東京に引っ越すことにした。そうしたら移ってすぐに東北大震災が起きて、みんな東京からいなくなって。どうしようと思ったけど、とりあえず英語教師の仕事探しを始めたら、近所でパートタイムの教師を急募していた学校があってそこで働き始めた。

 

―それは大変でしたね。DJとしての活動はどうしていったんですか?

名古屋で一緒に活動していたDJに、東京で活動している昭和歌謡DJを紹介してもらって、一緒にイベントをやったんだ。そのイベントを見にきたある女性が、お客さんたちがすごく楽しそうに踊ったりしている姿を見て感動してくれて、彼女と他のDJと一緒に「昭和歌謡ナイト」をリズムカフェでやることになって。日本人も外国人も、年齢も若い人から年配の人までいろんな人が来て、人気のイベントになったよ。ある時GQマガジンがイベントを取材してくれて、その記事が掲載されたらテレビ番組とか新聞とかが取材に来て、もっとたくさんの人が来るようになったんだ。「Youは何しに日本へ」に出た後はもうすごかったよ。番組が放映された後、僕はイベントに遅れそうになって焦って行ったら、テレビを構えた人が近くで待っていてインタビューを受けて、その時すごく疲れていたし何が起きてるのか良くわからなかった。そうしたらカフェの前にたくさんの人がいて、みんなが拍手をして僕を迎えてくれて。本当にクレイジーだった。

 

昭和歌謡ナイトには人種や年齢限らず毎回多くの人が訪れる

―コロナ後、人が集まることが難しくなりましたけど、「昭和歌謡ナイト」はこれからも続けていく予定ですか?

「昭和歌謡ナイト」はコロナ以降はやっていなくて、緊急事態が明けた後も野外だったらいいかもしれないけど、まだしばらくは様子を見るつもり。それと実は僕、8月に自転車事故で骨折してしまい、あまり動くことができなかったんだ。最近やっと良くなってきたけど、運動不足で太っちゃったし、1ヶ月くらい前からTwichでDJとダンスを毎朝2時間やり始めた。

 

―いいですね!見た人達からはどんなフィードバックを得ていますか?

アメリカ人の女性で3パウンド落としたって人もいたし、あと小さな子供がいる友達は朝早く起きるのが楽になったと言ってくれてる。僕のダンスの動きを真似しなくても、自分の動きたいように体を動かして踊ってくれればいい。毎朝やってるから是非気軽に参加して欲しいな。

 

—それでは、アメリカ人の国民性を教えてください。

うるさいのと、太ってるという二つのことがすぐに思い浮かぶね。あとは、意見を言う、そして貪欲でわがままでもある。例えばレストランで何かを頼む時、これは抜きで代わりにこれを足してとかっていう注文をする人が多い。ネガティブなことが多くなっちゃったけど、ポジティブな面は、優しいことと、楽観的で深刻な考え抜きに問題解決しようとするところ。

 

英語と日本語で好きな言葉は?

英語は、「cantankerous(怒りっぽい、気難しい)」。ニューヨーカーの気質を表してるし、サウンドが好きなんだ。日本語は、「元気」。僕の最初のDJネームはD JメガギガGenkiだった。サウンドが気に入ってたけど、日本人の友達にダサいと言われてすぐやめた(笑)。あとは「やだ〜(嫌だ)」っていうのも好き。名古屋に矢田川という川があって、生徒たちが「やだ〜」って言ったときは、僕はすかさず「川〜」って言うんだ。

 

―面白いですね(笑)。では、アメリカに行ったら是非行って欲しい、ダンディさんが大好きな場所はどこですか?

アメリカ太平洋の北西部のワシントン州、オレゴン州のポートランド辺りはすごく綺麗で、雨もよく降って曇っていることが多いけど、あの雰囲気が好きだね。ポートランドは雨はしょっちゅう降るけど、必ず雲が切れて太陽の光が差してくる。その光景はとてもドラマチックなんだ。メランコリックで文学的なビートが好きな僕にはぴったりだね。

 

—日本で大好きな場所は?

福岡。食べ物が安くて美味しいし、人も優しくて、音楽のシーンもいいし、最高だよ。空港が地下鉄で10分というのもいいよね。それに20分くらい自転車で走ればすごい田舎に行けるし、山や海とか素晴らしい自然がある。あとは名古屋も好きだし、三重、岐阜も、愛知の豊田とかにもいいところはたくさんあるね。

 

Dandyさんが好きな日本の文化や特性を教えてください。

安全なところ、そして日本人は優しくて他人の面倒見がいいし、自分の家の周りをいつも掃除したり、みんながそれぞれのエリアのケアをしていて、とても良いと思う。あと職人魂というか、長い時間をかけて完璧なものを築き上げようとする姿も素晴らしいね。それと、日本人の計画性には感心するよ。僕はあまり計画性がなくて、その場で決めるのが好きだったりするけど。

 

―逆に変化が必要だと思うところは?

男女の不平等さ。それと日本人の中で人種差別はアメリカにしかないと思っている人がいるようだけど、それは間違いで、日本の中でもそういうことが起きてることを知る必要があると思う。あと不思議に思うのは、面倒見のいい日本人が多いはずなのに、メンタルの問題はあまり表立って語られることがないよね。そういう点も変わったらいいなと思う。あとは変化というか、すごく嫌なのは、スマホのマナーが悪い人が多いこと。どんなに人が多いところでも、携帯を見ながら歩いてる人が多い。みんな他人の目を気にしがちなはずなのに、携帯に関しては周りを気にせず、自分のことだけしか考えていないよね。

 

―では、Dandyさんが日本に住みながらも大事にしているアメリカの文化、習慣はありますか?

特にないけど、あるとしたらニューヨークのカルチャーかな。昭和歌謡ナイトのイベントは、いろんな人に来て欲しいと思っているから、昔ニューヨークでやっていたように入場料を300円とか安く設定してるんだ。踊りが下手だろうが、サラリーマンだろうが、キッズだろうが、関係なくみんなに楽しんで欲しい。あとはアメリカ人らしくよく食べること、それとうるさくいることかな(笑)。

 

—他に住んでみたい国はありますか?

これからもずっと日本に住むと思うよ。アメリカには戻りたくないね。でも、ラテン音楽が好きだし、公園やカフェ、バーとかで、フリーの音楽ライブがしょっちゅうやってる南アメリカには住んでみたい。でも治安が良くないのが気になるのと、何か新しいことを始めるには僕はちょっと歳を取りすぎたかな。あとはレコードが多すぎて、引っ越しするのが大変。

 

—社会で起こっていることで気になることはありますか?

一番気になるのは環境問題。2、3年前に、この問題の大変さを知って目が覚めた。あと、アメリカでのマイノリティの人たちへの平等権とか、ブラック・ライブズ・マターの運動や、中国人によるウイグル人の拉致問題。それから世界には食べ物や水も足りないような状況に何10年もいる人たちもいる。世界中にお金があり余ってる人はたくさんいるのに、なんでこうなるのか理解できないね。そんな世界で起きている問題を考えだすと、自分には何ができるんだろうって思うし、DJをやっていることさえ意味を見出すのが難しくなる。でも生きていく上で楽しむことは大事だし、音楽も必要だと思うし、とても難しいね。

 

―それでは、Dandyさんにとって成功とは何ですか?

成功とは、やりたいことをやりたいようにできること。

 

―では、生きていくうえでDandyさんが一番大切にしていることを教えてください。

楽しむこと、それとオープンでいることかな。みんなできるだけ人生を楽しんだ方が良いと思う。僕もコロナ禍で前みたいに友達に会ったりD Jも思うようにできていないけど、毎朝2時間ダンスをやるようになってからすごく人生が楽しくなった。今自分が幸せなことにとても感謝してるよ。

 

―最後に、今後の夢を教えてください。

いつかサウンドバーを福岡の海の側とかに開きたい。僕はカクテルが大好きで、ボサノバとかラテンのコレクションをたくさん持ってるから、カクテル音楽を流すラウンジなんていいね。あとは昭和歌謡の大きなイベントを熱海の古い旅館でやりたい。みんなで旅館に泊まって、ライブやDJ、トークショーをやったり、ビンテージの服やレコードを売ってる人がいたり、そういうイベントをやれるといいな。

 

Special Thanks

JAZZ喫茶 RAGTIME

住所:世田谷区南烏山5-17-13-3F

電話:03-3309-1460

Instagram: https://www.instagram.com/ragtime_1978new/

DJ Dandy Information