BICULTURAL SOULS
#3 | Aug 23, 2016

YMOのスタッフを経て、ブロードキャスターとなったピーター・バラカンの憂うこれからの日本とラジオ業界とは

Interview: Satoshi Castro / Text & Photo: Atsuko Tanaka

様々な分野で活躍する日本在住の外国人の方々をフィーチャーし、日本と祖国の文化の違いなどをお話し頂くコーナー“Bicultural Souls”。第3回目のゲストは、イギリス出身のブロードキャスター、ピーター・バラカンさん。80年代初期から「Bay City Blues」や「BARAKAN BEAT」、「WEEKEND SUNSHINE」など、数多くの自身のラジオ番組を通して良質な音楽を人々に届けている。また、88年から海外の社会や文化などのドキュメンタリーを紹介する番組「CBSドキュメント」では司会を26年間務めた。74年に初来日してから今年で42年。生まれ育ったロンドンから、シンコーミュージックやヨロシタ・ミュージックで働いた経験、昔の日本や、日本とイギリスの違い、さらにはピーターさんの音楽遍歴やラジオ業界について感じることや、10月に行われる音楽フェスティバル「Peter Barakan’s LIVE MAGIC!」を通して学んだことや見所など、盛りだくさんのインタビューをお届けします。
PROFILE

ブロードキャスターピーター・バラカン

951年ロンドン生まれ。 ロンドン大学日本語学科を卒業後、1974年に音楽出版社の著作権業務に就くため来日。 現在フリーのブロードキャスターとして活動、「バラカン・ビート」(インターFM)、「ウィークエンド・サンシャイン」(NHK-FM)、「ライフスタイル・ミュージアム」(東京FM)、「ジャパノロジー・プラス」(NHK BS1)などを担当。 著書に『ロックの英詞を読む〜世界を変える歌』(集英社インターナショナル)、『ラジオのこちら側』(岩波新書)『わが青春のサウンドトラック』(光文社文庫)、『ピーター・バラカン音楽日記』(集英社インターナショナル)、『猿はマンキ、お金はマ ニ』(NHK出版)、『魂(ソウル)のゆくえ』(アルテスパブリッシング)、『ロックの英詞を読む』(集英社インターナショナル)、『ぼくが愛するロック 名盤240』(講談社+α文庫)、『200CD ブラック・ミュージック』(学研)などがある。 ウェブサイトは http://peterbarakan.net

ピーター・バラカン

ロンドンで生まれ育ったそうですが、昔のロンドンはどんな感じでしたか?記憶に残る情景や思い出など教えて下さい。

50年代のロンドンは貧しく、物もまだそんなになくて、ものすごく素朴でした。車もまだあまり多くなかったので、道路で遊んだりしてましたね。60年に入って少しずつ時代が変わり、62~63年に音楽と同時にファッションも映画もテレビも急激に変わって、エネルギー溢れる街に変わりました。64年は完全にビートルマニア(ビートルズ・マニア)の時代で、他のビート・グループが次々と出てきた。その頃、海賊ラジオも本格的に広まって僕の音楽付けの日々が始まりました。

その頃からDJになりたいと思っていたのですか?

DJになりたいとか、自分のラジオ番組を持ちたいと思うようになったのは大学の頃でしたが、とにかく音楽が大好きで、お金があればレコードを買ってましたね。

大学では専門科目を日本語にしたそうですが、そうなった経緯を教えて下さい。

大学で何語を選択するか母と話し合った時に、色々出たアイディアの中で日本語がなぜかピンと来たんです。僕は 元々語学が好きで、中学でフランス語を2年、高校でロシア語を2年、あと中高でラテン語と古代ギリシャ語を7年間習いました。ラテン語や古代ギリシャ語は 特にややこしい言語ですが、僕はすぐにマスター出来るものよりチャレンジングな方が好きなんです。

日本語を選んだのは、今思えば運命みたいなものだったのですかね。

何十もの選択肢の中からなぜ日本語を選んだのか分からないですけど、縁があったとしか言いようがないですね。それまで、日本語は「すし」さえ知らなかったくらいで、日本についてほとんど何も知りませんでした。日本語を勉強して日本に行こうとか、仕事に繋げようなんて考えもしなかったです。

大学卒業後、日本に来るまでどんな活動をされていたのですか?

大学を卒業した後の長い夏休みからロンドンに戻ってきて、音楽関係の仕事を探してレコード店で働き始めまし た。8ヶ月くらいそのレコード屋で働いて飽きてきた頃に、日本の音楽出版社、シンコーミュージックがイギリスの音楽業界誌に求人広告を出していたのを見て 応募しました。(*音楽出版社とは主に楽曲の著作権を取り扱う著作権管理会社のこと)

それで日本に来ることになったんですね。

74年に初めて日本に来ました。音楽関係の仕事をしていれば、仕事としても音楽を聴けるし良いかなと。シンコーミュージックでは、英語のビジネス・レターを書く仕事で採用されました。

その時代の日本の多くの会社は、英語を話せる人材の活用の仕方をまだあまりよく分かっていなかったように思いますが、いかがでしたか?

当時、僕が担当した仕事の多くは、アメリカやイギリスの音楽出版社との手紙のやり取りでした。LAとカンヌに出張に行くこともあって、海外の出版社の人達に日本の印象を聞くと、「手紙を出しても返事が来ない」と皆言うんです。日本人が手紙の返事を書かない理由は、自分の英語力に自信がないから先延ばしにして、結局出さないというのがほとんどでした。相手は何かの情報を知りたくて手紙を出しているので、返事を出さなければ、自分の会社の信用を落とすことになってしまいます。完璧な英語でなくても自分なりの英語で返事を出せば良いんですよ。

その後、シンコーミュージックを辞めて、YMO所属の事務所、ヨロシタ・ミュージックで働いたそうですが、どのようなきっかけでそうなったのですか?

昔、吉祥寺に「芽瑠璃堂」という輸入レコード店があって、そこの店員に仲良くしてた人がいたのですが、ある時彼の友達がレコードを作るので、1曲英語の歌詞の英訳を手伝って欲しいと言われて。それは坂本龍一の「Thatness and Therenessという曲でした。その後、坂本さんのマネジャーに会いに行った時に、事務所で働かないかと誘われて、ちょうど次の仕事をどうするか考えていた時だったのでそこで働くことに決めたんです。

当時、海外へ積極的に活躍の場を広げていた人は多くなかったと思いますが、大変でしたか?

マネジメントの方は、YMOの音楽を海外でも流行らせたいと考えていましたが、YMO自身は海外に対する興味はもちろんあったけど、本格的に活動することは考えてなかったですね。彼らは音楽で十分面白いことをやっていたけど、日本でレコード出してヒットしたからといって、海外のレコード会社が面白がって売ってくれるなんてことはないんです。やっぱりツアーをやって、ラジオ局回ってインタビューして、雑誌の取材を受けて、という地道な活動をずっと続けていかないと売れない。音楽業界は未だにそういうものだと思います。

では、ピーターさんが日本に住み始めた頃の日本の印象と、外国人という存在がどういったものであったかを教えて下さい。

70年代の東京の街は、良くも悪くも近代的な雰囲気がまだ今一つとうい感じでしたが、あの素朴さも好きでした。まだ外国人の数はかなり少なくて、入国管理も厳しく、ビザの更新の手続きなどの時はすごく横柄な態度を取られたものです。僕はまだ良い方でしたが、アジアの他の国の人達などへの言葉使いは本当に酷くて、すごい差別を感じました。80年代くらいから少しずつ変わっていきましたね。

その頃の東京は住みやすかったですか?

どの街も住みやすい部分と住みにくい部分があるから微妙ですね。もちろん交通のインフラとかそういった面では、電車も時間通りに走るし、東京は世界一かもしれない。他の外国人がどう感じていたか分からないですが、日本語が出来るか出来ないかで住みやすさはかなり違ったと思います。僕は日本語が出来たおかげで、街を歩いている時も電車に乗っている時も不安はなかったです。そういう意味では、すぐに日本に溶け込めたと思います。

それでは、来日前と実際に日本に住み出してから感じた日本人の印象の違いは?

日本に来る前は大学で日本語を勉強してはいたけど、日本に対する知識が全くなかったんです。学生時代に日本人の知り合いが二人位いた程度で、日本人がどういう物の考え方をするとか、どういう国民性なのかとか、ほとんど知りませんでした。

日本に住んで42年経った今、40年前の日本人と今の日本人で大きく変わったと思う部分はありますか?

僕はずっと日本に住んでいるし、変化は徐々に起きるものだからあまり分からないです。でも時代と共に色んな技術が向上してインターネットが普及して、日本にいる外国人の数も増えるにつれて、日本人以外の考え方に少しずつ慣れてきているように思います。一方で、何も変わってない部分もありますね。

どんな点が変わってないと思いますか?

日本の多くの企業は社員に対する考えとか、ビジネスのやり方とか、あまり変わってないと思います。21世紀になって、否が応でもグローバルな世の中なのに、多くの日本人はまだ日本のやり方しか知らない。日本で一生過ごすのであれば、日本のやり方で問題ないと思いますが、特にビジネスでは、国内だけで成り立つケースは少なくなってきてますから、違う物の考え方があることに対してもう少し理解出来た方がいいと思います。あと、労働時間が不当に長くて、休みが取れないブラック企業が多いですね。他の国では休みを取るのも、仕事が終わったら家に帰るのも当たり前。上司がいるから帰りづらくて毎晩ずるずると遅くまで会社に残るというのは、おそらく日本だけでしょう。そういう点では日本人は可哀想だなと思います。あとは、政治に関してもほとんど変わってないと思います。

政治に関して変わってないと思う点はどんなところでしょうか?

日本は一応、議会制民主主義になってますけど、実質的には一党独裁ですよね。僕が日本に来た頃の40年前もそうだっ たし、今も基本的に変わってない。野党がこんなに弱い国って他にないと思うんです。民主主義国と言っている国であれば、どこの国でも与党と対決出来る強い 野党が一つあると思います。日本は自由度から言えば自由だし、行動を制限するようなこともほとんどない。でも自主規制は結構強いですよね。言論の自由は一応憲法でも保証されていますが、自主規制で言いたい事が言えない。メディアは本当に危機的なくらい言いたい事が言えなくて、皆ビクビクしてます。多くの日本人は、日本は民主主義国だと自負してると思いますが、それが全然機能していないことに対して多分あきらめてるんでしょうね。国民がそれをしょうがないと 受け入れてしまうのは、極めて残念なことだと思います。

どうすれば日本は良くなっていくと思いますか?

政治は別としても、日本人のひとり一人が少しでも周りと違う、自分独自の物の考え方をしてみるとか、心の中で思ってることを友達と話してみるとか、そういうことを心がけていけば良くなっていくと思います。

イギリスに関してはいかがですか?

イギリスはEU離脱を巡って、保守党が二つに割れて国民投票をやることになった。野党の労働党もものすごく割れていて、党がなくなるかもしれないし、分かれてしまうかもしれない。他の国でも今、政治がめちゃくちゃですね。だから多分国家という概念も、危機に立たされているんじゃないかと思う時があります。民主主義でも、選挙で大体55%を取れば圧勝と言われてますけど、55%の人達が多数派だとしたら、残りの45%の人達は、全然違う世界観を持っているかもしれない。だから何か違う制度を見つけなきゃダメなんじゃないかな。今の時代、インターネットがここまで当たり前になって、民主的な物の考え方がすごく行き渡って、いわゆる、シェアエコノミーも当たり前になってきている。もちろん色々な問題もあって、責任をどう取るかとか、特に日本だとすぐそういう話になりますよね。でも人々に自由を与えれば、それなりに失敗しつつ何とか学んでやっていくものなんです。

では日本とイギリスの似ているところはどんなところだと思いますか?

似ているのは大陸の端っこにある小さい島国であること。イギリスはヨーロッパの一員なのに、自分達は別の存在のように考えてきたところがあります。それは日本人のアジアに対する見方と全く同じで、イギリス人も日本人も、自分達が特別だと思っているところが似ていると思います。

違う点はどんなところでしょうか?

世界中の民主主義国の中で個人主義が一番深く根ざしているのは、おそらくイギリスではないかと思います。「周りと同じ様に行動しろ」と言われたら、イギリス人は絶対にしないですね。あぁしろと言われれば、こうする。反権威主義なところが多くの人にあります。もちろん伝統を重んじるところもありますけど、団体主義は好まない。日本はその真逆で団体主義が好きですね。自分だけのやり方で何かしなさいと言われても、おそらく困ってしまう人が多いと思います。これは文化的な違いですから、どっちが良いとか悪いとかということではないですが、僕はイギリスで生まれ育ったから個人主義の方が合ってます。

それでは話題を音楽に変えて、ピーターさんの音楽遍歴を簡単に教えて頂けますか?

子供の頃はまだそんなに自分の好みもなかったから、色んなタイプの音楽を聴いてました。ちなみにまだレコード・プレイヤーすら家にない時代で、真空管ラジオで音楽を聴いてたんですよ。テレビも一応ありましたけど、生活の友はラジオでした。昔は誰かが誰かのために曲をリクエストする番組が多くて、ヒット曲もよくかかり、ポップ・ミュージックを初めて聴いたのはそこだったんじゃないかな。

初めて音楽っていいなと思った曲は?

何故かよく覚えているのは、「ザ・コースターズ」というグループの「チャーリー・ブラウン」という曲。ラジオで聴いたのは59年くらい、僕が8歳の頃かな。いたずらっ子をテーマにした、小学生でもすぐにピンとくるような、歌詞が面白いご機嫌な曲なんです。

その後はどんな曲を聴いていたのですか?

レコード・プレイヤーが家に来てからは、母が買った(としか思えない)エルヴィスやバディー・ホリーなどのロックンロールから、彼女の好きなジャズのビリー・ホリデイとか、レイ・チャールズとベティ・カーターの共演盤などを聴いていました。60年代の中学生の頃は、もっぱら海賊ラジオを聴いてました。高校生では、ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドとの衝撃的な出会いをきっかけに、ブルーズにものすごく深くのめり込むようになって、普通のポップ・ミュージックだけでなく、あまり多くの人に知られてないような音楽に興味を持つようになりました。ジャズやソウルも聴きましたね。大学生ではロックを聴いて、卒業後はファンキーな感じのジャズやレゲエも好んで聴いてました。英語圏以外の音楽を沢山聴くようになったのは、80年代以降。ナイジェリアのキング・サニー・アデというアーティストに興味を持ち、それからアフリカのレコードも少しずつ聴くようになりました。その後も、世界は広くて色んな所に面白い音楽があるんだと気付いて、キューバやインドの音楽も聴くようになりました。

メジャーではないけれども、availableな(入手しやすい)音楽を聴いていたのですか?

僕はマニアックな音楽の聴き方をするように思われているかもしれないけど、そうでもないんです。あと、僕の中で音楽にメイジャーとかマイナーという言葉は存在しません。そういう考え方は元々ないし、人がどう思うかも関係なくて自分が好きだったら良いんです。あとは手に入れやすいということが前提かもしれない。

それは、視聴者にとって届きやすい曲を提供したいからですか?

今は「これは絶対早く人に聴かせたい!」という曲であれば、例外もありますけど、大体日本で入手出来るものをかけるようにしていて、発売前の曲は発売になるまで待ちます。でも若い頃は、他より先に他では聴けないものを聴かせたいと強く思っていました。しょっちゅうレコード会社に行っては、何か新しくて面白いのがないか聞いて廻ってましたね。

InterFMの「BARAKAN MORNING」で示した“コマーシャルな楽曲ではなく、良質だと思う楽曲を選曲し届ける”姿勢は、多くの音楽ファンを楽しませてくれました。番組の立ち上がり時や、番組を通して得た手応え、終了となって表出した問題点や課題などをお聞かせ下さい。

最初に番組を依頼された時は、僕のような音楽の好みを持った者が、朝のラジオ番組で通用するとは思っていませんでした。2009年から、一時休止していた時期を含めて合計で4年程やりましたが、朝の番組というのは日常の友みたいな存在ですから、普段そういう音楽を聴かない人でも、毎日聴いていると段々と好きになってくるんです。結果、たくさんの音楽好きの人達が聴いてくれて、リスナーの幅も年輩の方から若い夫婦や小さい子供を持つ親、女性たちなどと広がってきて、あと半年もすればかなり面白いことになりそうだと番組のディレクターは思っていました。そうしたらInterFMが方向性を変えるとなって•••。僕は編成のトップに一旦抜擢されましたが、僕の目指していたものだと収益を生み出せないとなり、結局番組は打ち切りになってしまいました。これは日本のラジオ全体の課題にもなると思うんですが、日本のラジオは日本の文化と一緒で多様性がないですね。

88年から26年間司会を務めた長寿番組「CBSドキュメント」では、専門の音楽以外の、政治や経済、文化について多くの知識を要する新しい分野に挑戦し、葛藤や苦労なども多くあったと思いますが、それを乗り越えて得たものについてお話頂けますか?

「CBSドキュメント」に出るまで音楽関係の仕事しかしていなかった僕が、いきなり報道番組に出ることになったので、言葉を覚えて正しく使えるようになるまでは本当に苦労しました。プロデューサー兼ディレクターの方が言葉にとても厳しい方で、最初の頃は悔し涙が出るほど大変だったけど、今の僕がいるのは彼のおかげと言っていいほど、あの時彼にしごかれたことが大きく影響しています。

それでは、これから日本で暮らそうとしている外国人が、日本で何かを成し遂げて成功するのに、やった方が良いことや、気をつけた方がいいことはどんなことだと思いますか?

まず日本語を習うこと。そして柔軟性を持つこと。自国の物の考え方や、やり方が正しいと思い込んでいると間違いなく手こずります。ちょっとクリシェではあるけれど、「郷に入れば郷に従え」ということです。

反対に日本人が外国で何かを成し遂げて成功するのに、やった方が良いことや、気をつけた方がいいことはどんなことだと思いますか?

先ほどの答えと同じで、その国の言葉を身につけて、文化をきちんと理解すること。その国の言葉でその国の人達と話し、その国の食事をして、その国のお酒を飲んで、その国のテレビを観て、その国の音楽を聴いていれば、絶対に上手くいくと思います。

ピーターさんにとっての成功とは?

僕にとっての成功というのは、音楽的に妥協せずに仕事を与えてもらえることです。今、特に日本では、ラジオという媒体は極めて危機の状態にあり、なくなりつつあります。僕は良い音楽を人に聴かせたいと使命感のように感じているので、どうやってその立場を確保するか、それだけですね。

今年第3回目を迎える「Live Magic!」が10月22日と23日に行われますが、イベントを開催する側に立って、感じたことや学んだことなどありますか?

興行の難しさ。「Live Magic!」はあまり大きくない規模のフェスティバルなので、限られた予算の中で有名な人を呼ぶのが難しい。そこで、どうやって客を集めるか、毎回それで悩んでいますが、来てくれた人には大満足してもらえているし、クオリティーの高い音楽は提供出来ています。あと、少しでも情報を拡散してくれる人達を見つけて、どうプロモーション展開していくかを考えています。

今回の見所は?

全部です(笑)。サニー・ランドレスというアメリカのスライド・ギターの天才的な人が出演するので、ギタリスト達の間で話題になってます。あとは、僕好みの日本のミュージシャンも何組か呼んでいるのと、他の海外のアーティスト達も知られてない人が多いかもしれないけど、出来るだけ事前に、僕の番組で彼らの曲をかけて情報発信していきます。

それでは最後に、ピーターさんの人生の未来予想図、日本の未来、世界の未来を教えて下さい。

僕はすごく単純な人間で常に流されるままに生きてきて、今でも先の事は考えてないんです。今年で65歳になりますが、僕が子供の頃の人の平均寿命は65歳位だったから、そう思うと健康ですね。でも10年後はどうでしょう。温暖化問題や、政治の事にしても原発だとか危険な要素があまりにも多すぎて、これから先の世の中がどうなるか誰も分からないでしょ? だから未来予想図なんて大それた事ではなく、ひとり一人が少しでもより良い世の中になるように努力するしかないと思います。妥協はせず、自分の納得がいかない行動はしないのが僕のやり方。仮に一億円を積まれたとしても、多分しないと思います(笑)。

Peter Barakan’s official info

いとうせいこう

Peter Barakan's LIVE MAGIC! supported by MasterCard PRICELESS JAPAN

2016.10/22(土)12:00~21:30・10/23(日)12:00~20:00

恵比寿ガーデンプレイス ザ・ガーデンホール/ザ・ガーデンルーム

各プレイガイドにて一般発売中
チケットぴあ
イープラス
ローソンチケット
1日券 12,000円 2日通し券 21,000円
中学生・高校生は、<学割チケット>をご購入いただけます。
[学割1日券] 7,000円 [学割2日通し券]11,000円
<学割券>をご購入の方は入場時に必ず学生証をご提示いただきます。ご提示いただけない場合は、差額分をお支払いいただきますのでくれぐれもご注意ください。
小学生以下無料(要保護者同伴)

Peter Barakan’s LIVE MAGIC! EXTRA

OSAKA 10/24(月)梅田クラブクアトロ
YAMAGATA 10/25(火)シベールアリーナ

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