クライン ダイサム アーキテクツ
あなたの祖国はどこで、どんな所ですか?
クライン(以降K): イタリアです。ミラノから一時間ぐらい離れた所にあるイスプラという街で育ちました。イタリアで一番大きいマッジョーレ湖という湖があって、昔はハネムーンで有名な場所でした。
ダイサム(以降 D): イギリスの真ん中にあるノースハンプトンで育ちました。CHURCH’Sという有名な靴のブランドで知られる街です。ミルトン・キーンズというニュータウンには、有名な建築家がデザインした素敵な建物が多くあります。他にも、シルバーストンのレース場やアストンマーチンの工場も近くにあり、創作意欲がとても刺激される街です。
日本に来るまで、どんな活動をされていたのか簡単に教えてください。
K: 高校を卒業した後、フランスのエコール・ド・アール・デコラティーフ大学に5年通いました。その後、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートの大学院に行き、インテリアと建築設計を勉強して、卒業後の88年に日本に来ました。
D: イギリス北部にあるニューキャッスル大学で建築を勉強しました。卒業後、一年アメリカのシカゴにあるスキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリルという建築事務所で働いて、その後イギリスに戻り、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アート の大学院に入りました。そこで同じコースを受けたクラインに出会いました。
K: そのコースは建築を学ぶ人が半分、インテリアを学ぶ人が半分で、課題も建築とインテリアの両方がありました。どちらのコースも同じ課題を学ばないといけなかったので、境界線があまりなくて面白かったです。
始めに話しかけたのはどちらですか?
D: アストリッドの案がすごく面白かったのですが、その頃彼女は英語があまり出来なかったので、私が代わりに皆に英語で説明したんです。
K: そう、彼は私のパーソナル通訳者だったの。代わりに上手に説明してくれて、すごいありがたかったです。ハンサムだったしね(笑)。
日本に来たきっかけは?他の国ではなく、なぜ日本を選んだのですか?
K: 日本は当時バブル全盛期で、日本らしい古風な良さを保ちながら、新しくて面白い建築がたくさん建てられていて、すごく魅力的でした。若手の建築家として、新しい体験をしたくて日本に行ってみたいと思ったんです。実際に来てみたら、信じられない様な建物が沢山あり、芸術的な密度の高さにびっくりしました。
その頃の印象深かった建物は?
K: 青山製図専門学校です。私の好きなタイプの建築と言うわけではなかったけど、赤とシルバーのトランスフォーマーのような形に驚きました。
D: ヨーロッパでは、石や煉瓦で出来た建物などは400年から500年もそのまま残っているけど、日本は伝統的なものだけでなく近代的な面白い建物もあるのが面白いと思いました。
お二人とも、初めに伊東豊雄建築設計事務所に入ったそうですが、選んだ理由を教えて下さい。
K: 選んだのではなく、選ばれたんです(笑)。それがどうかはさておいて、日本に来る前に色んな建築家に手紙とポートフォリオを送りました。当時はインターネットがなかったので大変でしたよ。伊東さんの事務所にも送っていて、日本に来た時にお会いしました。私のポートフォリオがとても良かったらしく、覚えていてくれたんです。伊東さんはとても面白い方で、実験的に色んなスタイルの建築に挑戦している姿が素晴らしいと思いました。最初は三ヶ月間ほど日本を周って戻る予定だったのですが、日本がとても楽しくなって、仕事があれば長く居れると思い、伊東さんに相談しました。しばらく経った後に、運良く彼の事務所で働けることになって、本当に良かったと思います。
伊東事務所にいた時代のクラインとダイサム/『室内』撮影:鈴木勝彦/写真提供:KDa
その後、91年にお二人でクライン ダイサム アーキテクツを設立されましたが、仕事は順調でしたでしょうか?
K & D: 伊東豊雄事務所にも居たかったのですが、大きな建設会社からプロジェクトをオファーして頂くことになり、思い切って独立して二人で一緒に会社を始めました。ですが、その後バブルがはじけて仕事がなくなり辛い時期がありましたね。それでも自分の国に帰りたくなくて、頑張って色々なところにプロポーザル(提案書)を送ったりしていました。
代官山T-SITEは、中でも大きなプロジェクトだったのではないかと想像しますが、お二人にとって、どういった意味合いのあるものでしたか?
K: 私達は、いつも新しいことにチャレンジしたいと思っています。今まで挑戦したことのないことを、どうやったら出来るのか分析しながら進めている感じです。ビーコン・コミュニケーションズという大きなオフィスのプロジェクを手掛けた時もそうでしたが、新しいスタンダードを作るのが好きなんです。そういう意味で、代官山T-SITEもマイホームみたいな居心地を大事にしながら、時代を超越した空間を感じられる新しいスタンダードが作れたかと思っています。
D: 代官山T-SITEは全ての要素が混ざり合った一つのものとして、お客様にも喜んでもらえたと思います。私達は建築家ですが、建築やインテリアだけでなく、コンテンツやイベントまで、境界線がないハイブリッドなものを大事にしています。
代官山 蔦屋書店 © Nacása & Partners Inc.
工事風景 © Nacása & Partners Inc.
どのようにして代官山T-SITEの依頼を受けることになったのですか?
K & D: 今まで関わった中で一番大きなコンペでしたが、全国の77の建築家の中から私達が選ばれ、引き受けることになりました。カルチュア・コンビニエンス・クラブの増田社長はブランディングをとても大事にしている方なので、蔦屋のブランドイメージを保ちつつ、代官山のエリアの雰囲気を壊さないように心がけました。T-SITEの「T」を意識して、外装の白の部分に小さなT字を使い、建物を引いて見た時に白の大きなT字を形作るように、ダブルでブランディングを表現しました。
現在手がけている大きなプロジェクトは何ですか?
K & D: 7月1日にお台場にオープンする予定のBMWとMINIのBMW GROUP Tokyo Bayで、大きなホールとカフェを作りました。それと、9月24日にオープン予定の銀座4丁目の交差点にある建物を手掛けています。今までは和光のビルが銀座の象徴とされてきましたが、21世紀やオリンピックに向けて、日本の最先端の技術を取り入れ、洗練された銀座の新しいアイコンとなるものを作りたいと思っています。
GINZA PLACE
2003年からやられているプレゼンテーション・イベント「PechaKucha Night」の立ち上げ時、現在と未来の姿を教えて下さい。
K: 立ち上げ当時の頃は、イベント会場のSuperDeluxeの為にやっていたイベントだったのですが、二年後のTOKYO DESINER’S WEEKで開催した時に、世界中のデザイナーが参加してくれて、「PechaKucha Night」の面白さを認識してもらうことが出来ました。そこから段々と広がっていき、今では920以上もの都市で開催されています。
D: 将来はPechaKuchaが遍在するプレゼンテーションフォーマットになってほしいと思っています。「20 IMAGES X 20 SECONDS」というルール(プレゼン者が20枚の写真を1枚につき20秒という限られた時間を使ってプレゼンをする)の元プレゼンするのですが、大人はもちろん学生や子供でも出来る構造になっていて、プレゼンテーションの良い練習になると思います。子供達にはプレゼンを通して、ストーリーを伝える ことの大事さも教えられたらと考えています。
左上: TDW © Michael Holmes / 右上: マドリード / 右下: マートリヒト / 左下: ブダペスト
すごい広がりを見せているのですね。ではお二人の日本についての印象をお伺いしたいのですが、実際に日本に住んでみて、来る前のイメージと大きく違ったところはありましたか?
D: 日本のタクシーの自動ドアには最初驚きました。今ではそれが当たり前になっているので、逆にイギリスに戻った時にドアを開けっ放しにしたまま行こうとして、運転手に怒られます(笑)。それと、今はもう見慣れたから目に入ってこないですが、電柱ですね。
K: 外国人の友達が日本に来ると、皆、電柱を面白がって写真に撮ろうとします。建築写真において言うと、電線は邪魔なので最初はフォトショップで消していたのですが、最近は“エレクトリックテンション(電圧)なのに、グラフィック的にもビジュアルテンションがあって、ダブルテンションで面白みがある”と思うようになりました。
日本の好きな点や嫌いな点を教えて下さい。
K: 好きなところは話し合いが出来て、お互いの意見を認めようとするところです。あと、多くの雇用が創出され誇りを持って働いている人が多いのは、日本の良いところだと思います。電車も時間通りに来るのも素晴らしいですね。嫌いなところは政治家達の勝手さです。発言の自由が奪われて、いつしかの独裁政治の様にコントロールされていくのではないかと心配しています。
D: とても安全なことが素晴らしいと思います。嫌いなところはあまりないですが、皆が日本語を話すところですかね(笑)。私は漢字が読めないので大変ですが、今はGoogleの翻訳で何とかなってます。
日本での仕事で一番印象的だった案件は何ですか?
D: 今は「PechaKucha Night」かな。でも、小さいプロジェクトも大きいプロジェクトもどれも面白かったですよ。
K: 自分の子供が3人いたとして、どの子供が一番好きかは言えないですよね。建築のプロジェクトも完成するまで長い時間をかけて育っていきます。なので、どれが一番とは言えないですが、社会に対して影響を与えたものや、出会った人との思い出が深いものが私にとって大事なものです。「PechaKucha Night」では、様々な人と新しい関係性が築けて、コミュニティーと繋がったり町おこしになったりするので、そう思うと自分でも感動します。ネットでプレゼンテーションを見た世界中の人達から良いフィードバックをもらえると、やって良かったと思うし、エネルギーをもらえて、また頑張ろうって思います。
ダイサムさんは日本におけるブリティッシュデザインへの貢献が認められ、2000年に大英帝国勲章の称号を英国女王より授かりましたが、その時の感想を教えて下さい。
D: とても嬉しかったです。勲章を受ける人達は大抵50歳以上の年輩の人が多く、私は当時まだ35歳だったのでびっくりしました。信じられなくて、大使館に電話して確かめたほどです(笑)。授賞式はバッキンガム宮殿で行われて、チャールズ皇太子から頂きました。皇太子とは1分間くらい、「君は日本からの来たのか」とか、「私も日本が好きだ」とかそんな話をしました。
今まで出会った日本人で、一番印象に残っている人は誰ですか?
D & K: 伊東豊雄さんと増田宗昭さんです。増田さんはアクティブで、アイデアに溢れていて、日本や日本人の可能性が分かっていて本当にすごい方です。
では、今気になる日本の有名人は誰かいますか?
K: 建築家で活躍している人達は大体みんな海外で先に有名になっていますが、デザイン業界以外はあまり詳しくないので、よく分からないです。
D: 僕はインタラクティブデザインの真鍋大度さんかな。teamLabも国際レベルで活躍しているし、CAFE COMPANYの楠本修二郎さんも面白いし、カリスマ性がある方ですね。
日本に来て一番学んだことは何ですか?
K: Be diplomatic and do not get upset. “Hai” does not mean “Yes”, it only means “I understood”.(イライラせず、そつなく物事をこなす。「はい」というのは「イエス」という意味ではなく「理解した」ということ)
D: 海外では、例えば会議中に自分の意見を言わないとチャンスを逃してしまうからどんどん言うけど、日本は皆静かで、会議中にもリラックスしながら考える時間がある。話し合いながら答えを出せるのは、とてもクールですね。でも、会議の数が多い。「え、またやるの?もう何回もやってるじゃないか」って思います(笑)。でもそのおかげで現場ではスムーズに進むし、サプライズがないですね。今やっている渋谷駅周辺の改装工事もシステマティックに進んでいてすごいと感心しています。海外ではありえないことですね。
日本語と母国語、それぞれの好きな言葉を教えて下さい。
D: 「ぺちゃくちゃ」です(笑)。あと、「ちょっとない」ですね。昔、お店で何かを買う時に「ありますか?」と聞いたら「ちょっとないんです」と言われて、「ちょっとあるのか、全く無いのか、どっちなんだ!?」って(笑)。日本語は曖昧なところが面白いです。
K: 日本語は「きらきら」とか「ぐるぐる」とか繰り返す言葉。母国語に関しては、私はドイツ人の両親を持ち、イタリアで生まれ育って幼稚園はフランス語と、小さい頃から同時に3カ国語を話していたのと、今は英語と日本語を多く使っていて、言語それぞれで考え方が違うので難しいですね。一つ好きな言葉を選ぶとしたら、英語ですが「Smile」かな。メールの文末に使っています。
日本の気になることや変わったらいいと思う点はどんなことでしょうか?
D: 例えば新幹線とか、日本のプロダクトデザインは世界一だと思います。でも日本にはデザインミュージアムがないですよね。日本の大事な文化をもっと宣伝するべきなのに、ファッションも車もバイクもミュージアムがない。
K: 着物だって日本の大事な文化の一つなのに、独自の文化がサポートされていないのは残念です。ドイツにはフォルクスワーゲンやBMW、ポルシェの立派なミュージアムがあります。私の娘は日本生まれなのにSONYの良さを分かってない。旦那がWALKMANを娘に見せたら、「これ、カメラなの?」って。自分の国の素晴らしいモノをどうやったら次の世代に繋げていけるかを考えた方がいいと思います。
D: 同じアジアでもシンガポールやバンコクは、今デザインのレベルが高いですし、すごいエネルギーがありますよ。Japan,Wake up and get going! What you waiting for?(日本も目を覚まして行動に移して欲しいです)いつか、日本でミュージアムをデザインしたいですね。
K: あと、男性ばかりにパワーがあり、バランスが悪い政府になっているように思うので、女性にもっとパワーを持たせてほしいと思います。先進国なのに女性が活躍している率が低いのは恥ずかしいことだと思います。
では世界全体に対してはどうでしょうか?
D: もっと英語を話す人が増えて世界中でコミュニケーションが取りやすくなれば良いなと思います。それと、ニュースではいつも戦争やネガテイブなことばかりで、ポジテイブな話題が少ないこと。私はPechaKucha Nightを通して毎日世界中の人達とメールでやり取りしていますが、中にはシリアやイエメンの人達もいて、イエメンでは2ヶ月おきに戦争が起きる中PechaKucha Nightをやっているけど、ポジティブな話しか聞かないですよ。ポジテイブなことや新しいこと、クリエティブなことがたくさん起きているのに、テレビではネガティブなことしか発信されていない。ネガテイブなニュースばかり聞きたい人はいないと思います。
K: ポジテイブは伝染するし、ハッピーな人と悲しい人がいたら、ハッピーな人と一緒にいたいですよね。ハッピーな人といれば自分もハッピーになれるし、マークが言ったように、ニュースでも、もっとハッピーなことが増えてほしいと思います。
それでは、外国人が日本で何かを成し遂げるために、やった方が良いことや、気をつけた方がいいと思うことは何ですか?
K & D: Don’t worry about anything, just do it. (心配しないで行動するのみ) やりたいことに情熱を持って挑めば、何でも出来ると思います。
反対に海外進出を目指す日本人に心構えとアドバイスをお願いいたします。
D: 英語を勉強する!今はGoogleの翻訳も使えますからね(笑)。そしてJust Go!
K: 問題は実在するのではなく、その人の頭の中にあるのだと思います。「日本で女性として働くことはどうですか?」とよく聞かれるけど、それが問題と思えば、その問題が起きます。考えたって何の助けにもならないから、ただ行動に移すのみです。
D: 人種差別についても同じことが言えると思います。気にし始めたら、見えてくることはたくさんあるかもしれないけど、考えてないので全く気にならないです。
最後に、お二人の人生の未来予想図、お二人が思う日本や世界の未来を教えて下さい。
D: PechaKucha Nightに出場している各国のプレゼンテーターは皆とてもポジティブでクリエティブなので、そういうパワーを使って良いものを作っていきたいです。今、バスツアーも考えていて、ニューヨークからサンフランシスコまで1ヶ月かけてやるとか、チェコも今とても面白いので、東ヨーロッパツアーなども良いですね。全都市でやりたいけど、920都市以上もあるから、1都市に1日いたとして、全部で3年半かかってしまいますね(笑)。
K: 意味のあるプロジェクトを作っていきたいです。面白い人と仕事をして良い思い出をたくさん作れたら、自分も相手も社会もハッピーになって豊かな人生になるんじゃないかと思っています。