BICULTURAL SOULS
#1 | Apr 26, 2016

全英1位を経験し、デヴィッド・ボウイがプロデュースしたバンドやクイーンのツアーキーボーディストとして活躍後、渡日し30年。モーガン・フィッシャーが見た日本

Interview: Satoshi Castro / Text & Photo: Atsuko Tanaka / Video: MRK / Video Edit & Sound : delivery

今回より新しく始まるコーナー“Bicultural Souls”では、様々な分野で活躍されている日本在住の外国人の方々に、日本と祖国の文化の違いなどをお話し頂きます。第1回目のゲストは、イギリス出身で日本在住歴が30年となるキーボーディスト/作曲家であり、写真家としての顔も持つモーガン・フィッシャーさん。7歳でロックンロールに出会い、大きな衝撃を受け、18歳からプロミュージシャンとして活躍。所属したバンド「ラブ・アフェァー」の「エヴァーラスティング・ラブ」は全英No.1ヒットを記録。デヴィッド・ボウイプロデュースのバンド「モット・ザ・フープル」で活動したり、クイーンのバンドメンバーとしてツアーに参加するなどしながら世界中を周ります。その後、静かに暮らせる場所を求めて来た日本はとても住みやすい国だと思ったそう。日本に来てから今を築くまでや、祖国の文化、社会に対する思い、人生観などについてお聞きしました。
PROFILE

キーボーディスト/作曲家/フォトグラファー モーガン・フィッシャー / Morgan FIsher

1950年ロンドン生まれ。1970年代ロック界において「ラブ・アフェアー」、「モット・ザ・フープル」、「クィーン」などのグループでキーボードプレイヤーとして活躍。1985年に日本に拠点を移し、映画やCM音楽、レコード制作などの活動をしている。音楽のみならず、抽象写真の撮影も手がけている。

モーガン・フィッシャー

あなたの祖国について教えて下さい。どんな場所で、どのような環境の元、育ったんですか?

イギリスのロンドンです。言わずと知れた都会で大きい街ですね。私は終戦後からまだ間もない1950年に生まれました。あの頃は日本もそうだったと思いますが、ロンドンも戦争で破壊された家などがたくさんあったので、子供の頃の遊び場と言ったら、壊れたお家や建物でした。食べ物も少なかったですし、食事の配給も一家族につきオレンジジュースは5本だけなど上限が決まっていた時代です。私と同世代のイギリスのロックミュージシャンは戦後すぐの生まれで、皆ガッツ(根性)がありましたね。

その時代を生き抜くにはガッツが必要だったんですね。モーガンさんはどのようにして音楽と出会ったのですか?

7歳の時に初めてロックンロールをテレビで見て感動し、それからラジオで音楽をよく聴くようになりました。当時はライトミュージックやポップス、クラシックがよくかかっていましたが、アメリカから来た新しい音楽、ロックンロールはとても衝撃的でした。ジェリー・ルイスやリトル・リチャード、エルビス・プレスリーなど、有名なロックミュージシャンの音楽をよく聴いていましたね。当時はロックの影響を受けて、エルビス・プレスリーの真似をするイギリス人のミュージシャンも多かったですよ。

日本に来る前はイギリスでどんな活動をされていたんですか?

18歳の時に「ラブ・アフェァー」というバンドで活動し、「エヴァーラスティング・ラブ」という曲は全英No.1ヒット曲になりました。ラブ・アフェァーは当時の人気アイドルバンドで、雑誌やテレビにもよく出演しました。その後はポップスやソウル、ロックにインデイーズなど色んなジャンルのバンドに参加しました。デヴィッド・ボウイがプロデュースした「モット・ザ・フープル」のメンバーとして活動した時は、全米ツアーにも行き、アメリカのブロードウェイで1週間公演した初のロックバンドとなったんです。その後は、78年に自分のインディーズレーベル兼スタジオを作って色んなバンドをプロデュースして、僕もインディーズミュージシャンとして活動し始め、82年にはクイーンのキーボーディストとしてヨーロッパツアーに参加することになりました。

Photo by Denis O’Regan

デヴィッド・ボウイやクイーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリーとの思い出は何かありますか?

デヴィッド・ボウイは「モット・ザ・フープル」のプロデューサーだったので、一度ライブにミック・ジャガーと一緒に来てくれて、楽屋で話したことがあります。優しくて、とてもフレンドリーな人でしたが、ドラッグの影響か、すごく痩せていましたね。クイーンとは約二ヶ月間、ヨーロッパツアーを一緒に回りました。ライブの演奏に関しては、ブロードウェイの演奏の様に、完璧に毎回同じように弾くことを求められ、即興演奏は許されませんでした。ライブ中にフレデイーがお客さんと一緒に歌う「コール&レスポンス」をするコーナーがあって、その間はバンドは演奏を止めるのですが、そのやり取りがすごく楽しくてそれを見るのが一番の楽しみでした。他は、フレディが楽屋でほぼ毎日彼氏に「声に悪いからタバコを吸わないで」と詰め寄られていて、その度にフレディが「Fu*k off!!」 と大声で返すやり取りがとても面白くて印象に残っています。

貴重な体験をたくさんされたんですね。モーガンさんが日本に来たきっかけは何だったのですか?

80年頃から違う国に移住することを考え初めて、81年くらいから仕事の合間にインドやヨーロッパ、アメリカなど、色んな国へ旅行に行くようになりました。アメリカではハリウッドに約一年間住んだこともありますが、私にはあまり合わないことが分かったので、次はどこの国に行こうかと世界地図を見ていた時に、たまたまアメリカの次のページに日本が載っていたので、じゃあ日本に行ってみようかと思って85年に日本に来ました。以前から日本の文化やアート、音楽や禅に興味を持っていましたが、実際に住んでみてとても住みやすい国だと思いました。

日本に住んで、音楽作りにおいては何か影響を受けましたか?

日本に住む前からロックにはあまり興味がなくなっていて、もっと自由で深い音楽をやりたいと思っていました。そして、その瞬間に感じる音楽を表現する即興演奏に興味を持ち始め、小さいライブハウスで一人で即興演奏するようになりました。イギリスではお客さんがヒットレコードを聴きたがるし、騒がしい人達が多いので、このスタイルは無理だったでしょうけど、日本のお客さんは静かに聞いてくれるので合っていますね。日本に来て新しい音楽を始めることが出来たので、すごくありがたく思っています。

新しい音楽を求めて日本に来たというのもあったのでしょうか?

そういった考えはなく、ただ、本当に住みやすい場所を探していました。若い時からロックスターとして世界中を周って、ほとんど休みがないハードワークの毎日で、もちろんすごく楽しかったけれど、ストレスを抱えて疲れていたんですね。静かな場所を探し求めて東京に来て、東京はそこまで静かではないかもしれないけど(笑)、イギリスやアメリカよりは人間的にも文化的にも静かですよね。最初の日から私にとても合っていると思いました。

日本に実際に住んでみて、来る前のイメージと大きく違ったところはありましたか?

元々あまり日本のイメージというのはなくて、畳や障子など、インテリアのイメージがあったくらいです。日本は伝統的なものと、モダンなものが両方混ざっているので、驚くことなくすんなり受け入れることが出来ました。あと、東京は混雑しているというイメージがあって、実際に人はたくさんいるけど、ストレスはなかったです。うるさいとか危ないといったイメージもなく、静かで誠実な人が多くて嫌な印象はなかったです。日本に来て最初の二年間に四回財布を落としたことがありましたが、財布の中身が全部そのままで戻ってきたのは驚きでしたね。

では、日本人のイメージはどういう印象を持たれていましたか?

侍です!15歳の頃、イギリスで黒澤明監督の映画「七人の侍」などをテレビでよく見ていました。あの映画は世界中で一番有名な日本の作品ですね。侍はとてもパワーがあるのに暴力的ではなく、格好良いしお洒落だと思いました。そして、あの映画で、尺八は楽器でありながら、悪い人を殺す道具にもなると知りました(笑)。

モーガンさんは楽器を武器にしたことがあるのですか?

一回だけピアノを舞台から落としたことがあります。メンバーに対して怒ったわけではなく、ピアノの音や調律が悪くて、ライブの間ずっと我慢していたんですけど、終わった後に「もういいやっ!」となって、バーンと押して落としてしまいました。そんな経験もありましたが、日本人のイメージはパワーがあるものと繊細なものと、両方あると思います。イギリスの文化にもナイツ(騎士)やアーサー王、キリスト教徒の為に戦ったシェイクスピアの時代の人達はプライドがあって、格好良かったと思います。イギリスはヨーロッパの他の国と少し違うところがあって、隣の国との間に海があるので島国という点ではイギリスと日本は似ているところがあると思います。

それでは、日本人とイギリス人の違いはどういうところだと思いますか?

日本人は恥ずかしがり屋な人が多いですが、イギリス人は自分の意見をはっきり言います。日本に来た最初の頃、イギリスのビールが飲みたくて、アイリッシュパブに行ったことがあるのですが、そこには沢山のイギリス人がいて、お客さん同士がスポーツや政治の話で意見が対立し、喧嘩するように話していました。せっかく美味しいビールを飲みに行ったのに、すごいうるさくて全然リラックス出来ませんでした。それからはパブではなく、居酒屋に行くようになりました(笑)。でも、音楽を作る時などは、イギリスのミュージシャン達とジャムセッションをすると、新しい発見があったり、今までにない音楽が生まれたりするけど、日本人のミュージシャンは譜面がないと演奏出来なかったり、大胆さや融通性に欠けるところがあります。もちろん全員がそうというわけではないですけどね。

日本人はプランするのが好きですよね。

プラン好きですね。そして、日本人は時間にとても正確です。僕はアバウトな人なのでいつも遅れています(笑)。イギリスで活躍している日本人のコメデイアンで小谷ゆり子さんという方がいるのですが、彼女がイギリスに来てから覚えたというある言葉をネタにしていました。それは「-Ish」で、アバウトとか、大体という意味です。例えば「Let’s meet 5-ish.」。5時くらいに会おうという意味ですが、イギリスでは5時といっても大体5時ということでアバウトなんです。日本は5時と言ったら5時ぴったりですね。僕も時間通りに動こうと頑張ってはいるのですが、なかなか難しいです。皆さん、ごめんなさいね(笑)。

それも文化の違いの一つですね。では、日本に来てからモーガンさんがどのようなステップを踏んで今にたどり着いたのかを教えて下さい。

日本に来て最初の頃は日本語が全く分からず、「ありがとう」と「酒」と「着物」だけしか知りませんでした。日本人の友達も仕事のコネクションもなく、最初は外国人用の家を借りて、英語の先生として仕事をしながらシンプルな暮らしをしていました。ロックミュージシャンとして活躍してた頃と比べたら貧乏だったけど、自由で幸せでした。約一年間、英語の先生をした後、外国人用の雑誌の求人広告でYAMAHAが英語でキャッチコピーを作れる人を探していたので応募したら、採用されて、その後はコピーライターの仕事をするようになりました。その頃、YAMAHAは世界中での展開を視野に入れていたので、演奏も英語も両方出来る僕は、ちょうど良かったんだと思います。その時にデジタルシンセサイザー「Digital DX-7」の広告カタログのキャッチコピーを作って、その商品は世界中で大ヒットしましたよ。86年の頃ですね。

その後はどういうお仕事をされていったのですか?

その後はインデイーズレーベからアルバムを出さないかというオファーがきて、85年に2枚のアルバムを出しました。LLEレコードというレーベルから出した「ウォーター・ミュージック」とメトロトロン・レコードから出した「インサイド・サティ」です。そして、そのアルバムを聞いたキティ・エンタープライズの方から映画音楽の制作依頼を頂き、87年に公開された吉田博昭監督の「ゴキブリたちの黄昏」のサウンドトラック「ライフ・アンダー・ザ・フロアー」を手がけました。他にもアメリカンエクスプレスのCMの音楽をやって、そこから段々とCMの仕事が増えていきました。

アルバムを出したことによって、次の仕事に繋がっていったんですね。

私の人生はいつも偶然に起こることの連続なんです。18歳で音楽を始めてから、レコード会社に売り込んだこともなかったですし、好きなことをやっていたら自然と次への展開に繋がっていきました。ヒット作に恵まれ、ミュージックビジネスの波をずっとサーフィンしているような感じです。上に行ったり下に行ったりしながらね。下に行くのもOK。英語の先生だって良いし、映画の音楽を作るのだって良い。即興演奏も即興人生も良いですね。Take it easy, don’t be aggressive. Don’t push!(攻撃的にならずに、気楽にいきましょう。ゴリ推しでいかずに!)

87年に行ったコンサート「スロー・モーション」のポスター

では、外国人として日本で成功するのに、どんなことをしたら良いと思いますか?

今話した様に、攻撃的にプッシュするのは良くないと思います。柔軟性を持って、色んな人の意見に耳を傾けること。例えば、CMの仕事となれば、クライアントの方や、プロデューサー、ディレクターなど多くの方が関わります。自分個人の作品ではないですし、30秒という短い曲を作るのに色んな人の意見を聞き入れないといけないでしょう。大事なのはバランスを保つことですね。

気をつけた方が良いことなどは何かありますか?

日本人は日本に住んでいる外国人をちゃんとリスペクトしているので、それはラッキーな事なんだということを理解すること。それを当たり前に思って傲慢な態度をとる外国人も中にはいると思います。僕もたまに先生と呼ばれることがあるけど、特別扱いに甘んじてプライドが大きくならない様に気をつけないといけないですね。例えば、外国人の教授で高額の授業料をもらって教えている人がいて、その人の授業の内容を聞いたら全然良くなかったことがありました。高額な報酬をもらっているのに、適当な仕事をするのは良くないですよね。

人生を楽しむにはお金も必要ですが、その辺のバランスはどう考えているのですか?

もちろん生きていくのにお金は必要です。CMの仕事を頑張ったおかげで楽器も沢山買えましたからね。バブルの頃はお金を稼ぐのはさほど難しくなかったですが、今はもっと現実的ですね。でもそれで良いんだと思います。すごいお金持ちの大ロックスターの知り合いも沢山いますが、そういう人達を見てきてお金をたくさん得たからといって、幸せになれるとは限らないと知りました。今私が住んでいるこの家は7年前にスタジオを作るために購入したのですが、ここでライブも出来るし、とても満足しています。今よりもっとお金持ちになりたいという気持ちはないです。

それでは、日本人がイギリスで成功するためにやった方が良いことや、気をつけた方がいいことはどんなことだと思いますか?

僕は30年間日本に住んでいて、イギリスには今でも一年に二週間ほど行きますが、長いこと住んでないのでよく分からないです。アドバイスを言えるとしたら、日本人は英語を書くことや読むことよりも、話すことを難しいと思っている人が多いように思うので、まずは英語を話すことに対して恥ずかしいという気持ちをなくすことだと思います。

日本の一番好きな点と嫌いな点を教えて下さい。

日本で一番好きなものは納豆、中でも黒豆納豆が一番好きです。納豆の日は7月10日、、、その冗談はおいといて(笑)、本当に納豆が好き。初めて納豆を食べた時からすごく美味しいと思って大好きになりました。イギリスには豆腐やワカメ、醤油や海苔はありますが、納豆は人気がないので手軽に手に入れることは出来ません。僕はベジタリアンで添加物も一切摂らなかった時期がありますが、日本に来てからは和食自体がとてもヘルシーなので、ベジタリアンでいる必要がなくなりました。日本にはマクドナルドやジョナサン、デニーズなどもあって便利ですが、食生活のベースに和食があるのは素晴らしいことです。日本の嫌いなことは、暴走族や街中での必要以上の大きな音での演説などがうるさくて嫌いです。僕はミュージシャンなので耳が繊細なんです。

日本に住んで、大変だったこと、嬉しかったことはありますか?

大変だったことはほとんどないです。嬉しかったことは二つあって、一つはジョン・レノンのカバーアルバム「エコーズ・オブ・レノン」を作った時に、無理を承知でオノ・ヨーコさんにゲスト出演をお願いしたいと言ったら、プロデューサーがその場ですぐに彼女とレコード会社の社長に電話をしてくれて願いが叶ったこと。ジョン・レノンの「Love」という曲の歌詞をオノ・ヨーコさんに朗読してもらいました。彼女は静かで気さくな方で、ジョン・レノンとのお話を沢山教えてくれました。とても感動的な出来事でしたね。もう一つは90年に大阪で行われた「国際花と緑の博覧会」で、大阪市に招待を受けて半年間ほとんど毎日、大きな温室に色んな植物がある空間で演奏したことです。大変でしたけど楽しかったです。

© Miki Hasui (Photographer)

日本に来て一番学んだことは何ですか?

全てを理解する必要はないということです。例えば、僕の日本語は完璧ではないけど、ちゃんと仕事が出来ています。日本に来て間もない頃、仕事仲間と飲みに行って、僕だけが外国人で後は全員日本人ということがありました。まだ日本語がほとんど分からなかった頃だけど、特に問題はなく、その場の雰囲気で面白いことがあれば一緒に笑いあったり出来ました。あまり考えすぎずに飛び込んで動いてみることの大切さや楽しさを学びましたね。未体験の分野の仕事もお話が来たらとりあえずやってみるようにしています。

これからもずっと日本に住む予定ですか?

今は日本がホームで、この家のこのスタジオに僕のルーツがあると思っています。イギリスを自分の祖国だとはもう思っていないですが、死ぬ前に、またイギリスに戻りたいと思うかもしれないです。海の近くに僕の好きな祖母の家があって、その場所で自分の生涯を終えられたらいいなとは思うけど、選べることではないから分からないですね。

それではモーガンさんが好きな日本語の言葉と英語の好きな言葉を教えて下さい。

僕は日本人が言葉を短縮するのが好きなんです。例えば、エレクトリック・ギターをエレキと言ったりアコーステイック・ギターをアコギと言ったり。アンプリファイヤーはアンプで、ベース・アンプをベーアン、ベース・ドラムはベードラ。ブラッド・ピットはブラピですね(笑)。

モーガン・フィッシャーさんはモーフィですね。

もっちゃんでいいよ(笑)。「ちゃん」という呼び方も親しみがもてて大好きですね。あと、英語では「I like you」という時、「I」と「you」がすごく分かれている気がするけれど、日本語でいうと「好きです」と、そこには壁がないというか、「私」も「あなた」も離れていない感じがして良いと思います。英語は基本的に論理的で、技術的な話や機材の話をする時は英語だととても説明しやすいです。日本語は状態や感情を表す形容詞が充実していてすごく好きです。「熱っ!」、とか「寒〜い!」、「高っ!」などインパクトを表現する言葉が豊富ですね。僕の部屋には機材がたくさんあるので、歩き回る時に色んなものにぶつかって、よく「痛っ!」っと言ってます(笑)。

では英語で好きな言葉はありますか?

Swear words are best!(罵り言葉が最高!)あまりいい言葉ではないですが、簡単に言うと、気分が高揚している時や怒った時などに強めの口調で言う時に使う言葉が好きです。例えば「New albums are fu*king great!」(新しいアルバム、ちょー最高!)とか「That beer is bloody great!」(このビール、すんごい上手いね!)というように、「F Word」や「Bloody」 といった言葉を使うのが好きですね。あとは罵り言葉とは真逆の言葉ですが、「Happy」 かな。しょっちゅう使うわけではないけど、いつも忙しくしているので、幸せな気持ちを感じることが出来る時間が少ないんです。でもある日、普段は使わない自動販売機で缶コーヒーを買って、ベンチに腰かけて夕日を見ながらゆっくり飲んだらとても幸福感を感じたのを覚えています。

では、日本社会と世界全体に対して思うことや、こういうところが変わったらいいと思う点はどんなことでしょうか?

Goverment is for the people, and not the other way around. (政府は人々の為であって人々は政府の為にあるわけではない) 一般の人々は平和を求めています。国間や政府内での問題の原因は、国同士や互いを征服するパワーが欲しいからでしょう。私がお金持ちになりたくないと言うのに通じることでもありますが、巨大なパワーや富を得てどうするのでしょうか。パワーを持っている人と持っていない人の差が大きすぎて、それがさらに大きくなっている事に問題を感じます。日本のことで言えば、東日本大震災後から色々な問題が顕著になりましたね。アメリカでは今年の秋に新しい大統領選挙がありますが、どうなるのかが気になります。

より良い世界になるには何が必要だと思いますか?

何よりも一人ひとりが自分の人生をより正直に、純粋な心を持って過ごすことが大事だと思います。人間の心はポジティブなもので出来ているはずだし、何か問題があっても、他から平和を求めるのではなく、平和のために小さいことでも自分の出来ることから始めること。それを続けていくうちに、少しずつ広がって効果が生まれ、それがやがて未来の平和に通じていくんだと思います。

モーガンさんご自身の今後のご予定は?

僕は自分の好きなことが出来て、シンプルに人生を過ごせればそれで充分です。僕の音楽とアートは美味しい料理みたいなもので、それを皆さんに提供出来るよう、これからも今のスタイルを続けていきたいと思います。最近、イギリスのバンドとコラボレーションすることもあって、この前はデヴィッド・ボウイのギタリスト、ミック・ロンソンの娘、リサ・ロンソンと曲を作りました。今後も色々なアーティストとコラボレーション出来たらいいなと思っています。そして、コンサートホールとは違うアットホームな居心地のいい僕のスタジオで、お客さんと直接触れ合うことの出来るライブを今後も大事にしていきたいと思います。毎月定期的に開催していて、次回は5月6日なので、よろしければ是非来て下さいね。

Morgan Fisher’s official info