BICULTURAL SOULS
#8 | Jun 27, 2017

ジャーナリストとして日本とフランスの架け橋となった功績からレジオン・ドヌール勲章を受賞。日本人が憧れるドラの自由な生き方

Interview: HAMAO / Photo & Text: Atsuko Tanaka

様々な分野で活躍する日本在住の外国人の方々をインタビューし、日本と祖国の文化の違いなどをお話しいただくコーナー“BICULTURAL SOULS”。第8回目のゲストは、パリ出身のエッセイスト/ジャーナリストのドラ・トーザンさん。小さい頃から外国の文化に興味を持つ。バカロレア(中等教育レベル)を一年飛び級して卒業し、ソルボンヌ大学で修士号取得。その後、パリ政治学院に進学して国際関係を学び、成績優秀者の認定を受けて卒業。91年にインターンシップで日本に短期滞在し、それまで全く興味のなかった日本にすぐさま恋に落ちたそう。その後、ニューヨークの国連で働くが、NHK教育テレビの「フランス語会話」への出演が決定したことをきっかけに日本に戻る。新聞、ラジオ、雑誌、自身の本などを通して“好きなことをして生きる”をテーマにメッセージを発信し、日本とフランスの架け橋として活躍し続けている。その功績が認められ、2015年にはナポレオンが創設したことで知られ、北野武も叙勲したレジオン・ドヌール勲章のシュヴァリエを受賞した。今年で在住25年となった日本を愛するドラさんに、家族や学生時代のこと、初めて日本に来た時の印象や、日本とフランスの架け橋になったきっかけ、未来予想図などを聞いた。
PROFILE

エッセイスト/ジャーナリストドラ・トーザン

国際ジャーナリスト・エッセイスト。フランス・パリ生まれの生粋のパリジェンヌ。ソルボンヌ大学、パリ政治学院卒業。ベルリン、ロンドン、ニューヨークで暮らす。 国連広報部勤務後、NHKテレビ「フランス語会話」の出演がきっかけで日本に住む。慶應義塾大学講師などを経て、 現在、アンスティチュ・フランセ東京、アカデミー・デュ・ヴァンなどで講師を務めながら、日本とフランスの架け橋として、 新聞、雑誌への執筆や、テレビ・ラジオのコメンテーターなど、多方面で活躍中。 2009年文化庁より長官表彰(文化発信部門)。2015年フランス政府よりレジオンドヌール勲章を受章。著書に「好きなことだけで生きる(大和書房)」、「愛される男の自分革命(徳間書店)」 「フランス式いつでもどこでも自分らしく」(三笠書房) など多数。

ドラ・トーザン

ドラさんはパリで生まれ育っていらっしゃいますが、ドラさんが子どもの頃のパリは、どんな街でしたか?印象に残る思い出や情景などを教えてください。

小さい頃は、自分が特別な街に住んでいるとは思っていなかったですが、振りかえってみると文化と触れあう時間や機会がすごく多かったですね。歴史と美が自然と日常生活に溶け込んでいるのは、パリという街の特別な一つのことだと思います。

ドラさんのご両親はどんな方なのですか?

両親は離婚して、私は父に育てられたのですが、父はとても頭の良い、まじめでセンシティブな人です。いつもよく本を読んでいて、芸術や美しいものが大好きなので、私が小さい頃から美術館によく連れて行ってくれましたね。そして父は旅も大好きだったから、フランス国内だけでなく、ギリシャやイタリア、ドイツなどのヨーロッパ諸国にも旅行しに連れて行ってくれました。私は外国が大好きになり、外国語や外国人に興味を持つようになりました。

左:幼少期の頃、父親と 右:ほぼ毎年父親と訪れているというカンボジアのアンコール・ワットにて

ご兄弟は?

妹が一人います。両親が離婚した後、私と妹は別々に暮らさないといけなくなって、辛かったです。大人になってから、私たちはとても仲が良く、悩みや問題があるときは必ずお互いに相談します。私にとって妹は双子の片割れのような、とても大事な存在です。

妹のミレイユさんと。Photo by Yu Kaida

学生の頃はどんなことに興味を持っていましたか?

勉強が大好きだったので、成績も良く、一年飛び級してバカロレア(中等教育レベル)を16歳で卒業しました。そしてソルボンヌ大学に入って、ドイツ語、英語、経済、法律などを勉強しました。最初の頃は将来何になりたいのかまだよく分からなくて、通訳とか外務省に入るとか、国際的な仕事につきたいと思っていました。

ソルボンヌ大学で修士号取得後はパリ政治学院(Institut d’Etudes Politiques de Paris, Sciences-Po)に進学されたそうですが、その頃に学んだ大事なことを教えてください。

パリ政治学院は現大統領、前大統領の出身校で知られるグランゼコール(フランス社会独自の高等職業教育機関)ですが、とても競争率が高く、コンクールでパスしないと入れない難しい学校です。そこで私は国際関係を学び、成績優秀者の認定を受けて卒業しました。在学中はみんなの前でよくスピーチをしなければならなくて、当時私はヨーロッパの問題について勉強していたので、ベルリンの壁が崩壊した時はどうやってスピーチをまとめようか、とても悩みました。あの時、あんなに早く東と西が統一されるなんて誰も思っていなかったですからね。あの事件を通して、当たり前に思っていることや決められ事がいきなり変わっても、その状況を受け入れていかなければならないことを学びました。

ジャーナリストになりたいとはその頃から思っていたのですか?

その頃はまだジャーナリストになりたいとか、考えたことはなかったです。フランスの大学では最初から何か一つのことについて専門に勉強するというよりは、幅広く勉強して、後から詰めていくんですね。私はアイデアリスティック(理想主義)だから、小さい頃からずっと世界を変えたいとは思ってましたけど。もっと自由に、いろいろなことがフェアになるべきだってね。

その頃、海外の国にもいろいろ住まわれたそうですね。

はい。18歳の夏にイタリアのフィレンツェに、イタリア語を勉強しにサマースクールに通いました。違う年の夏にはドイツのベルリンにあるアートギャラリーで仕事しながら住んだことがあるし、イギリスのロンドンにも当時の彼が住んでいたので、ちょっと住んだことがあります。外国は知らないことだらけだし、自分についても新しい発見があったりするので楽しかったです。

ちなみにドラさんは何ヶ国語話せるんですか? 言葉ってだんだん覚えるものなのですか?

私は6ヵ国語話しますが、学び方はケースバイケースです。ドイツ語は大学で勉強し、英語はボーイフレンドから、日本語は人と話して耳から学びました。イタリア語はとても大好きな言葉なので、独学でCDなどをたくさん聴いて、スペイン語はキューバにこの5年間で13回行って現地で学びました。いろんな外国語が話せると、マインドがオープンになるし、同じアイデアでも言葉によって自分の世界が広がるからすごく面白いです。

日本に来る前、日本に対して抱いていたイメージはありましたか?

ポジティブなイメージは、日本の文学や映画から受けていました。川端康成が大好きで、彼の本はフランス語でほとんど全部読んでいましたし、黒澤明や小津安二郎の映画作品なども観てました。でも、実は日本人に対してはあまり良いイメージを持てなかったんです。学生の時にノートルダム大聖堂のすぐそばに住んでいたことがあったのですが、そこを訪れる同じコートを着てメガネをかけて、同じ場所で同じ写真を撮っている日本人の姿からはどうもポジティブなイメージが持てなくて。だから、まさかその後自分が日本に行くとは思いもしませんでした。

日本へ来ることになったきっかけは?

パリ政治学院に通っていた時、学校の掲示板でインターンシップ募集の広告があって、その中にフランス政府から奨学金をもらって、外国の会社でインターンシップをするというのがありました。対象となる国にタイとドイツと日本があり、タイはちょうどヴァカンスで行ったばかりで、ドイツも前に住んだことがあって、日本だけ行ったことがなかったんです。友達から日本はとても面白い国だと聞いていたし、結局日本の会社を選んで大井町にある三菱鉛筆で働くことになりました。

実際に来てみていかがでしたか?

ちょっと経験するだけと思って来たら、街のエネルギーに圧倒されて、すぐに東京に一目惚れしてしまいました。初めて来たのは91年の1月か2月だったのですが、冬なのに空が真っ青でびっくりしたのも覚えてます。パリの冬の空はいつもどんよりと暗いのでね。同じ都会でもヨーロッパやニューヨークと比べて東京は全然違って、古いものと新しいものとか、静かさとうるささとか、安全だけどクレイジーな部分もあるとか、街や人の中にあるコントラストがとても面白いと思いました。そして、日本人の心の優しさにも感動しました。当時私は日本語は全くできなくて、日本特有の団体行動も苦手だったけど、なぜかすごい居心地が良く、自然と日本に溶け込んでいったんです。

日本語はどのように覚えたのですか?

最初の頃、友達のご両親のおうちにホームステイをしていたんです。英語が全く話せないご両親だったので、コミュニケーションを取るのはとても大変だったけど、頑張って耳で日本語を覚えました。そして彼らがNHK教育テレビのフランス語会話を見て、私がその番組の先生をやった方がいいと勧めてきて、私、NHKに電話したんです(笑)。

ご自身が電話したのですか?

外国にいると思いもしなかった勇気がでることってありますよね(笑)。それでオーディションやインタビューを受けに行ったのですが、1年先まで他の人が決まっていたので、結局インターンシップを終えた後はパリに戻り、その後ニューヨークに行きました。

ニューヨークでは国連で広報のお仕事を?

はい。前から国連で働いてみたいとずっと思っていたんですけど、実際はお役所的な仕事が多かったので、世界を変えたいと思っていた私には肩の荷が重かったです。そうした頃にNHKから次の年に番組をやらないかと連絡があって。でも、フルタイムの仕事ではなかったし、言葉の番組ということもあって、すごく悩みました。そのまま国連で働くか、はたまたフランスの外務省や大使館で働くという選択肢もあり、色々考えた結果、日本に行くことを決めました。

それから日本でのキャリアがスタートしだしたのですね。

NHK教育テレビの「フランス語会話」には92年の3月頃から出演しました。最初は1年だけと思っていたのですが、当時の番組プロデューサーに気に入られたことや、ファンのサポートもあったおかげで、5年間続けました。昔は自分の国より外国の方に興味があったのに、あの番組に出るようになってから、フランスについてたくさん勉強するようになりましたね(笑)。同じ頃に、marie claire(マリ・クレール)という雑誌の日本版で「ドラのパリ散歩」という連載を始めることになって、書く仕事を通して自分のメッセージを伝え始めました。そのほかにも朝日新聞や東京新聞での連載、また、テレビやラジオにコメンテーターとして出演するようになりました。あと、湘南にできたばかりの慶応大学の新しいキャンパスで、93年から専任講師としてフランス語とフランス文明も教えていました。

NHK教育テレビの「フランス語会話」出演時。93年

教えるのは好きだったのですか?

私はあまり我慢強くないので、教師に向いているかはわからなかったですが、結局慶応には2年間勤めました。仕事は忙しく稼ぎは良かったけれど、だんだんとその忙しさが自分の範疇を超えてストレスを感じるようになっていました。そんなある時、NHKに向かって歩いている途中に、大きな交通事故に遭ったんです。タクシーがぶつかってきて、私は7メートルくらい吹き飛ばされました。

それは大変でしたね。

人生は良いことばかりではなく、いろいろと大変なこともありますよね。でも、それも意味があるのかなと思いました。自分にとってはトゥーマッチなペースだったので、それからは自分の人生で大事なことや優先したいことに仕事のペースを合わせていこうと思いました。パリも大好きだったし、パリに住む私のおばあさんや家族にももっと頻繁に会いたかったし、自由にパリと日本を行き来しながらできる仕事がいいなと思って。実際は金銭面の問題や仕事のチャンス、ビザのことなどを考えると色々大変でしたけど、東京をベースに、フランスには数ヶ月いて、日本の雑誌用に取材などするようになったんです。

セーヌ川沿い、ノートルダム大聖堂をバックに

そうして日本とフランスの架け橋として活動されるようになったのですね。

それから行き来をずっと繰り返して、フランスの考え方やエスプリ(精神)など、たくさんのことを紹介しています。最近は逆に、フランスの人たちに日本の素晴らしさや面白さを伝えることもしていて、文化庁や官公庁のアドバイザーなども多くやっています。この10年間でフランス人の日本に対するイメージは大きく変わって、今では観光でも仕事でもみんな日本に来たがっているし、とても人気なんです。逆にパリジェンヌのイメージは、昔と比べると今は落ち着いてきているので、東京とパリ間のバランスは面白く変わったと思います。

アンスティチュ・フランセ(日仏学院)や、アカデミー・デュ・ヴァンなどでも教えられているんですよね。

日仏では95年から、いろいろなテーマを設けて教えています。以前はフランスの社会や、フランスの地方、パリ、サッカーについてなどいろいろなテーマを設けて教えていましたが、今は発音とポエムのクラスを教えています。毎週、ボードレールとかランボーなどの有名なポエムを一つ選んでみんなで一緒に読むんです。アカデミー・デュ・ヴァンでは2002年から教えています。もう15年も経ったなんて、自分でもびっくりです(笑)。

ドラさんは“好きなことだけで生きる”ことをテーマに掲げていますが、フランス人全般にそういう考え方はあるんですか?

フランス人はわがままと言われることがあるけど、私たちはあまり我慢をしないし、できるだけ好きなことをして生きています。好きなことをやって生きる達人とも言えると思います。もちろん経済的やいろんな理由でできないこともありますが、先進国に住む私たちは、自分で生き方を選ぼうと思えば選べますよね。発展途上国の人たちにはその選択肢さえないのだから、せっかくそういうチャンスに恵まれたのであれば、好きなことをやった方がいいと思います。

日本人のほとんどの人は、それができてないと思います。

そう、それは大問題だと思います。だから私は愛する日本の人たちに何度も “好きなことをやって生きる”と同じメッセージの本を出しているんです。日本人は真面目で我慢することが多い。頑張るのはいいことだけど、もうちょっとリラックスして自分らしく生きていいんじゃないでしょうか。あと、日本人は周りの目や社会を気にする人が多いけど、あまり気にせず自由になったらいいと思います。

ドラさんは悩むことはあるんですか?今までの人生の中で一番悩んだのはどんなことでしたか?

もちろん悩むこともあります。先ほど話したニューヨークの国連で働いていた時にNHKから話が来た時もそうだったし、日本とフランスを行ったり来たりする生活をしたいと思った時も本当に悩みました。最初、周りからは「絶対にできない」とか、「一つに決めないとダメ」とか、すごいいろいろ言われましたよ。人生で分かれ道を選ぶ時、どちらを選ぶかによってその後は変わるけど、その選択も楽しいですね。

2015年の7月にレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章されたことについてお伺いしたいのですが、受章を聞いた時はどんなお気持ちでしたか?

ある日いきなり日本のフランス大使館から電話が来て、特に何の説明もなく、私の長いプロフィールをフランス語で欲しいと言われたんです。私は仕事を探しているわけではなかったし、どうしてかをしつこく聞いたら、私の名前が受賞の候補に上がっているので、そのためだと。急だったし、ちょっと重たく感じたので考えさせてほしいと言ったら「これは考えるものじゃない」と怒られました(笑)。なので、今まで自分がやってきたことを振り返って、フランス語での履歴書を作って送りました。その後は自分でも受賞の話は忘れていたのですが、ある時友達からおめでとうと連絡が来て、何かと思ったら「レジオン・ドヌールを受賞したでしょ」と言われて。受賞を知って嬉しかったけど、本当に私で良いのかと最初はためらっていました。この賞はもともとナポレオンがヒーローのために作った賞で、私は賞をもらうほど国のために貢献したとは思っていなかったので。

同年12月に行われた受賞式はいかがでしたか?

受賞式は12月4日で、11月のパリでのテロ事件の後だったから、気持ち的にもすごくダウンしていて、本当は式もパーティーもやりたくなかったんです。できないと大使館に言ったのですが、せっかくだからやろうということになり、すごく複雑な気持ちでした。ですが、皆さんのおかげでアットホームなとてもいいパーティーになり、私にとって嬉しい勲章となりました。

受賞式の模様 Photo by Naoki Ooi

ドラさんはこれまで『好きなことだけで生きる』や『フランス人は「ママより女」』など、約20冊もの本を出されていらっしゃいますね。今年の4月に出された『フランス式いつでもどこでも自分らしく』について、この本に込めた思いや、読者に感じてほしいことなど教えてください。

メインのメッセージは、 “本音で生きる”こと。人生って簡単に言うと、生まれてから死ぬまでの時間をどう使うかだと思うんです。だから自分の時間の使い方は自分で決めて、本当にやりたいことをやったり、本音で生きることはとても大事だと思います。日本の皆さんは、仕事の時間をもうちょっとコンパクトにして、もっとプライベートを楽しんでほしいです。

それでは、日本語と母国語で好きな言葉を教えてください。

日本語で好きな言葉は“心”。漢字もきれいですし、大好きです。フランス語では、 “liberté”(自由)です。

日本の良いところと良くないと思うところを1つずつ教えてください。

日本の良いところは安全なところです。東京のようにこんなに都会で安心して住める場所はないですよね。良くないところは地震や津波や火山、台風といった自然災害が多いこと。とても怖くて疲れてしまうんです。フランスの自然は優しく、日本のように極端な自然現象がないんですね。

日本社会において、変化が必要だと思う点を教えて下さい。

団体主義ではなく、もう少し個人でものを考えたり、それぞれの個性が生かされる社会になっていったら良いなと思います。あとは先ほども言ったように、自分の時間を自由に使ってもっとリラックスすること。それと、結婚や子供に対してももっと自由な考え方を持つこと。フランスの社会も昔は保守的でしたが、70年代に変わりました。今は事実婚が当たり前で、結婚に興味を持っている人はとても少なく、結婚していてもいていなくても子供を持つ親には同じ権利が与えられます。日本は先進国なのに、その辺の考え方が狭すぎて少し不思議に思います。独身でいるのか、結婚するのか、子供を持つのか。今、少子化が問題になっているけど、みんながもっと自由な考えを持てば、子供を欲しいと思う人も増えてくるだろうし、環境が良くなれば女性は子供を産んでも仕事を続けられると思います。私はこのような問題をテーマにした執筆や講演もたくさんしていますが、女性にとってとても大事なテーマですね。

講演の模様

フェミニズムについてはどう思われますか?

私は特にフェミニストじゃないけれど、女性だから、男性だからとかではなく、もっと自然に人間的なこととして捉えていくのが大事だと思います。私にとってインテリであることはとても大事なことですが、ファッションやスタイル、ビューティーもすごく大事にしています。パリジェンヌたちはいつでもどこでも、政治家であろうが、フェミニンに自分らしくいることを大切にしています。

外国人が日本で何かを成し遂げるために、やった方が良いことや、気をつけた方がいいことは何ですか?

日本は心の繋がりを大切にする国だから、ロジックで考えずに自然体でいればうまくいくと思います。もちろん日本の習慣や文化をリスペクトするのも大事なことですね。

逆に日本人がフランスに行くのに必要なことは?

フランス人は会話とディベートが大好きなので、人とディベートできるようになることは不可欠だと思います。普段から自分の意見を持って、いつ何を聞かれてもいいように、今まで考えたことのない問題についても考えてみるのも大事だと思います。

ドラさんの人生の未来予想図、日本の未来、世界の未来を教えてください。

私はこれからも、自由に、自分のメッセージを発信しながら、日本とフランスと世界を行き来する人生を続けていきたいと思っています。そして日本を愛しているので、日本のいいところや面白さをもっと伝えていきたいです。日本の未来予想図は、良い意味でもっと自信を持って、人も国も国際的になってほしいです。外国の人と接するときも、英語でもう少し対等に話せるようになるといいですね。日本には外国からの輸入物がたくさんありますが、物だけではなくて、外国のエスプリも日本の中に溶け込むといいなと思います。世界においては、海外を旅すると、先進国と発展途上国のアンバランスさをすごく感じるので、地球全体のみんなにとって、もっとフェアーなシステムができればいいなと思います。環境問題も含め、今は意識の高い人たちが多くなっているから、バランスを取るために何か違うシステムや考え方が出てきてもいいのではと思います。

最後に、ドラさんにとって成功とは何ですか?

自分の人生を生きること。お金とか何かを持ってるかとかではなく、本音で生きることですね。もちろん自分のためだけに生きるのではなく、他人や世界のためにも動いていかないといけないですが、自分の人生が好きになれば、自然とポジティブになると思います。

取材協力:
CANAL CAFÉ
東京都新宿区神楽坂1-9
03-3260-8068
芳進堂
東京都新宿区神楽河岸1-1
03-3235-5111

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