ON COME UP
#43 | Aug 13, 2019

新作「蜜蜂と遠雷」で天才ピアニストの難役に挑んだミャンマー出身俳優。ハリウッドデビューを経て自身に芽生えた変化と野望

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

未来に向かって躍動する人たちをインタビューする“ON COME UP”。第44回目のゲストは、俳優でアーティストの森崎ウィンさん。森崎さんは、直木賞と本屋大賞をダブル受賞した恩田陸の同名小説を映画化した、10月公開の新作「蜜蜂と遠雷」にマサル・カルロス・レヴィ・アナトール 役で出演されています。昨年は、オーディションでスティーブン・スピルバーグ監督に抜擢され、ハリウッド映画「レディ・プレイヤー1」のダイトウ役で突如世界の映画シーンに躍り出たことで世界から注目されました。森崎さんは、ミャンマーのヤンゴンで生まれ育ったミャンマー人。小学生の時に家族で日本に移り住み、そこから東京での生活が始まります。14歳の時にスカウトされ、歌と演技のレッスンを開始し、超国際派ダンスボーカルユニット「PRIZMAX」としてデビュー。現在はアーティスト、俳優としての活動の他に、昨年は祖国ミャンマーの観光大使に任命されるなど、今後アジア全域での活躍が期待されています。多岐に渡ってマルチな才能を発揮する森崎さんに、新作映画をはじめ、幼い頃のことからハリウッド進出について、音楽活動のこと、プライベートや将来のビジョン、そして成功についてを伺いました。
PROFILE

俳優/アーティスト森崎ウィン

1990年生まれ、ミャンマー出身。小学校4年生の時に日本へ渡る。2008年よりダンスボーカルユニット・PRIZMAXのメインボーカルとして活躍中。俳優としても様々な映画、ドラマ、舞台に出演し、2014年には『シェリー』で映画初主演を務める。2018年、日緬共同制作映画『My Country My Home』に出演、そのスピンオフであるドラマ版『My Dream My Life』では主演を務め、現地のテレビ局mntvで冠番組を持つなど、ミャンマーで大ブレイク。また、スティーブン・スピルバーグ監督『レディ・プレイヤー1』のオーディションでメインキャストであるダイトウ/トシロウ役に抜擢され、ハリウッドデビューを果たした。近年の映画出演作に『クジラの島の忘れもの』『母さんがどんなに僕を嫌いでも』(18) 『海獣の子供』『トゥレップ』(19)などがある。

森崎ウィン

どのような幼少期を過ごされましたか?

ミャンマー人の両親のもと、ミャンマーのヤンゴンで生まれ育ちました。母は仕事の関係で僕が小さい頃日本に移ったので、それからは祖母に育てられたんです。おばあちゃん曰く、活発で明るい子だったって聞いてます。その後、僕が10歳の時、ちょうど弟が生まれるタイミングで、 家族全員で暮らそうということで日本に来ました。

ミャンマーに10歳まで住んでいたということは、日本に来た当時はミャンマー語しか話せなかったのですか?

そうです。日本に来た小学4年生の時から覚え始めました。

小学生の頃

小学校は、日本人ばかりの学校に行かれたのですか?

東京の公立学校に入れられました。最初は「ウィンです、よろしくお願いします、ありがとう」しか言えなくて、言葉がわからないから勉強も全くついていけなかった。ただ、ミャンマーは学年が日本より1年早く、僕はミャンマーで小学4年生まで終えてから日本に来たので、日本でもう一度4年生をやったんです。だから、算数など世界共通の科目ではすでに習ったことをやってました。当時は日本語も話せないミャンマーから来た転校生に対して、クラスのみんなは「大丈夫?わかる?」って上から目線だったけど、算数の授業で出された問題に対して、僕が手を挙げて前に出て行って、正解出したとたんに全員が「おぉ~っ!」となったのを覚えています(笑)。

小学生の頃は、元気な子でしたか?転校してくるといじめられるイメージがあるのですが。

結構うるさかったみたいです。スポーツ万能で面白くてモテるクラスの人気者で、大ちゃんっていう男子がいたんですけど、大ちゃんと二人でいつもふざけてました。 授業中うるさいからって二人だけ先生の机の隣に座らせられてましたね。もちろん最初はいじめもありましたよ。特に小5と小6の先輩がめちゃめちゃイケイケで、ませてて凄かったんです。その先輩からいじめられましたけど、その当時から僕も負けず嫌いだったんで乗り越えました。

その頃に将来なりたかったものはありました?

サッカー選手ですね。日本に来る直前まで2年ほどサッカーをやっていたので、日本でもサッカークラブに入りました。放課後になると、クラブが始まるまでみんながやりたがらないキーパーを先輩によくやらされて、泣きながらやってました。それでもめげずに通っては、仲間に入れてもらっていましたね。

サッカー少年が役者やミュージシャンになっていくのは、何かきっかけがあったのですか?

中2の終わりに、今の事務所にスカウトされまして。当時坊主だったんですけど、サッカーの試合の帰り、恵比寿でみんなとご飯に行くって母親に嘘をついて、実は好きな女の子に会いに行ったんですよ。スーパーの前で待っていたら二人の女性が近づいて来て、 「芸能界に興味ありますか?」って名刺を渡されたんです。そこから週一でダンスと演技と、歌は一対一でボイトレの先生がついてくれてレッスンしました。

サッカー少年だったのに、芸能の世界にスムーズに移れたのですか?

いや、すんなりじゃなかったですね。両親は芸能という目に見えない泡のようなものに良い印象は抱いていなかったので、応援してくれませんでした。大学だけは卒業してほしいと言われて、4年間在籍したんですけど、忙しくなっちゃって進級出来なかったんですよ。それで大学を辞めて、20歳を超えて、役者と音楽を両方やりながら悩んでいた曖昧な時期がありました。そうしたらハリウッド作品(スティーブン・スピルバーグ監督の「レディ・プレイヤー1」)への出演が決まったので、もう俺はこれで飯を食うって決めましたね。

プロとしての覚悟が決まったのはハリウッドがきっかけですか。いきなりハリウッド進出だったんですね。

その前からもちろんやっていきたい気持ちはありましたが、なかなか自分の思い通りに行ってなかったし、バイトもしてましたしね。だから、ハリウッドに行って、ガラッと自分の道が変わり始めて、「これは与えられたものなのかな」って信じられるようにはなったと思う。

「レディ・プレイヤー1」にダイトウ役で出演されて、何か変化はありましたか?

あまり変わらないですね、自分がもう少し調子に乗るのかなって思ったけど、あまり乗れなかったですね(笑)。それよりも、もっと上を目指したくなったし、自分の力量のなさを痛感しました。俺は全然まだまだなんだなって改めて思い知らされたっていうか。

まだまだと思ったのは具体的にどういうところで感じました?

やっぱり向こうの役者の芝居ですね。これがハリウッド俳優なんだなって。詳しいことは自分の中にしまっておきたいんですけど、超えられない何かがあったのを目の当たりにしました。スイッチの入れ方の早さとかもそうですし。

スピルバーグ監督はどんな方でした?

自分のおじいちゃんのような方でした。もちろん普段は偉大さを感じるし、雲の上の存在のレジェンドですけど、本当に家族の一員ように迎え入れていただいたように思いますね。

そして今年の10月4日には、新作「蜂蜜と遠雷」が公開されますね。エリートでトップピアニストとしてのプレッシャーと闘う難しい役どころですけど、完成版をご覧になっていかがでしたか?

まず、試写室で観た時には、ピアノの音が素晴らしいなと思いました。僕は(PRIZMAXとして)音楽活動もしているので、ピアノは音楽制作のときにコードを触る程度はやってましたが、クラシックに関しては全く経験なかったんです。でも実際に弾いてみて、すっと入り込めたっていうのはありました。

 

マサル役は、本来のご自身に近い役ですか?遠い役ですか?

僕はまだトップでも何でもないから、プレッシャーとの闘いという意味ではマサルほど抱えたことはないんですが、違う意味で、森崎ウィンとして求められることがハリウッドに出た後の方が断然多くなったと思います。だから、自分が今置かれている状況に、自分の力量が全然追いついていないプレッシャーというか、自分の中だけでわかることもたくさんあるんですけど、プレッシャーを自分自身に与えてしまうという意味では少し共通するところはあるのかもしれない。

今回の役を演じる上で、参考にした人はいましたか?

僕はアメリカに長く住んだことがないので、アメリカ育ちでニューヨークにいるマサルの行動や仕草は、「レディ・プレイヤー1」の主役を演じた俳優、タイ・シェリダンを思い出しました。「こういう時は一歩引いた目でクールにやっていたな」とか、ちょっとした行動は、現場でスイッチが入っていない時のタイのアメリカ人としての振る舞いを参考にしています。

役を演じるにあたり、大切にしていたことやこれだけはこだわろうと思ったことは?

やっぱりピアノですね。撮影の約半年前からピアノを練習したんですけど、そんなんじゃ当然プロには100%敵わない。20分の長さの曲を全部弾くなんていうのも無理だけど、せめて抜粋された部分は全力で向き合おうと思いました。ピアニストに近づくための苦労とか、成長するたびに新たに表れる壁や味わう挫折っていうのはガチでレッスンに向き合わないと感じられないと思っていたので、ピアノの上達は大きな目標に掲げていました。

©2019 映画「蜜蜂と遠雷」製作委員会

じゃあ上達されましたね、きっと。

そうですね。でもちょっと離れると、どんどん弾けなくなるんです。

この作品から森崎さんご自身が得たものはなんですか?

純粋に思うのは、撮影中に本気で向き合ったことって、周りの人に感動を与えるんだなってすごく感じました。もちろんピアノの腕前に関しては、現場で誰も僕に期待していないわけですよ。でも、ステージ上でのパフォーマンスを撮影した時、スタッフの皆さんも、審査員の役の方々も実際その場で観ていたのですが、演奏し終わると、先生方が来てくださって、「本当に良かったよ」とか、「すごいパフォーマンスだったね」とか言ってくださったんです。そういう風に真剣に頑張ることが人に感動を与えると身を以て体感したのは、この作品を通して得られたことですね。やっぱり人間が作り上げた世界は、人間の心を動かすんだなって思いました。

この作品をどういう人に観て欲しいですか?

僕も最初はそうだったのですが、クラシックってちょっと入りづらくて、敷居が高い印象を持っている方に観ていただきたいです。この作品は、そんなイメージも覆すほど自然に入り込めるし、音楽の力って偉大なんだなって心から感じられると思います。それに、音が素晴らしいので、耳に癒しを与えたい方にも観て欲しい。あとは主演の松岡茉優さん演じる栄伝亜夜(えいでん あや)が、自分のトラウマを乗り越えていく姿は、ピアニストと関係ない仕事をしていても、現代に生きる人に通じると思うので、自分の壁と向き合って思い悩んでいる人に観てほしいです。4人のピアニストたちがそれぞれの壁を超えていく姿は、観ている人を凄く勇気づけるんじゃないかと思います。

楽しみですね。海外と日本の作品に出演されたことで、森崎さんが強く感じる国内外の違いはありますか?

やっぱり目に見えるわかりやすい大きな違いは、バジェット(予算)ですかね。これはもうリアルに、向こうはお金があります。セットの道端に落ちてる紙コップサイズのゴミも小道具ですし。でも、作品作りに関する大きな違いはあんまりないんですよね。言語やカルチャーが違うから、芝居の仕方の違いはありますけど、みんな熱い想いを持ってものづくりに取り組んでいるという点では同じだと思います。

PRIZMAXでの音楽活動からスタートされて、今は俳優やラジオのパーソナリティなどもされて、活動内容が幅広く多岐に渡ってきましたが、ご自身の中で以前は感じなかった難しさはありますか?

今、かなり難しいですね。昔はもっと器用にやっていけるのかなって思ってたんですけど、前日まで現場で撮影をやって、次の日には全然違う環境にポンと行って、ライブで歌うって、すんなり気持ちの切り替えができなくなってることに最近気付いたんですよ。自分はそんなに器用じゃないんだって改めて感じ始めているところでもあります。僕も人間だし、現場で全然違う人間を演じたあと、すぐに森崎ウィンには戻れないんですよね。

ご自身としては、もっと役者の方を深めていきたいという思いが強くなったってことですかね?

正直どっちがやりたいかと言ったら、どっちもやりたいんですよ。車のアイドリングストップのように、信号で一回エンジンが切れてまたブルルンと上がっていくくらい、自分の中でどんどん切り替えられていったらいいなって思うし、それが次の目標でもあるんです。

時間が経ったら切り替えが上手くなるのかもしれないですね。それかどっちかになっていくんですかね。

どっちかになっていく可能性の方が高いんですかね(笑)。いや、でも音楽無しでは森崎ウィンが消えてしまうくらい音楽は大好きなんで、音楽も続けていきたいですね。

作品では英語を話す役がすごく多いですけど、英語はどちらで学ばれたんですか?

実は祖母が英語の先生をしていて、ミャンマーの自分の家で英語の塾を開いてるんです。僕が小さい頃から朝起きたら英語が耳に入ってくる環境だったので、そのおかげで発音が良いのと、音楽をやってるっていうのもあって耳がいいんですよ。

祖母と、ミャンマーにて

ミャンマーで生まれ、日本で育ち、英語も話す森崎さんですが、ご自身は何人という意識が強いですか?

何ですかね、ミャンマーにいたらミャンマー人になるし、日本にいたら日本人の考え方になるし、アメリカ人っていう要素は僕の中にあまりないですけど。面白いのは行く国によって見る夢が違うんですよ。その日の夜に見る夢の言語が変わるんです。イギリスで撮影してた時に、主演の俳優さんに「英語で夢を見るようになったら英語がすんなり上達してることになるよ」って言われて本当かな?って思ってたんですけど、最後の1か月くらいはずっと英語で夢を見てました。ミャンマーに行ったらミャンマー語で夢を見ますし、それはすごい面白いなって思います。

仕事の内容だけでなく言語も変わるのですから、それは切り替えが大変ですね。

そうですね。ただ、木みたいに中心に幹が1本あって、そこから枝のように何本も発生してるんで、枝から枝に飛び移らずに、一回幹に戻る時間があれば問題ないかなって思ってます。でも枝の先っぽまで行くと戻ってくるまでがなかなか大変なんで、枝から枝に飛び移らないといけない時が一番大変ですね。

幹に戻るとは、具体的にどういう行為なのですか?

単純に休むことです(笑)。好きなことをやったり、ゲームをやったり、飛行機を見に行ったりとか。最近は行けてないんですけど、飛行機の離着陸が見える公園に行ってボーッとしたり。

飛行機は何が心にくるんですか?

だってあんなに大きい物体が浮いてるんですよ、宙に。ロマンじゃないですか。でも戦闘機じゃなくて、旅客機が好きなんですよ。最近、エアバスA380というANAの2階建てのホノルル便が出来たんですけど、あれだけのでかい物体が上で浮いてるんですよ、凄くないですか?そう考えてたら興味が湧いて。飛行機に乗る機会も増えたので、どんどん好きになってのめり込んでます。

じゃあ飛行機で海外に飛び回る仕事は最高ですね。

「ウィン、今どこにいるの?」って連絡が来たら、「今どこどこにいて、来週日本に帰ります」って言うのが僕の目標です。これからはミャンマーだけでなく、アジア諸国に出ていきたい、僕の30代前半の夢ですね。

「10年以内にオスカーを獲る」ともおっしゃっていますね。

言っちゃったんでやるしかないですね(笑)。まずはアジア人、ミャンマー人としてオスカーにノミネートされる作品に出たいです。獲る、獲らないは他人が決めることでもありますし、自分の想いとしてはそのくらい本気でやるっていうことなんですけど、結果に捉われず、そこにノミネートされる作品に携わることが大きな目標ですね。

そのために何か日頃から取り組んでいることはありますか?

やっぱり英語力は磨いていきたいです。英語のレッスンもそうですけど、ありがたいことに立て続けにお仕事をいただいているのでなかなか勉強する時間はないんですけど、今自分が求められていることに全力で向き合うことが、結果そこに繋がっていくんじゃないかなと思っています。演技は、自分なりの演技のプランとかもまだまだ全然確立されてないので、これからどんどん見つかっていくんじゃないかなって思ってますね。とにかく今は人間観察を大事にしてます。

それでは、人生を変えた出逢いがあれば教えてください。

それはもう「レディ・プレイヤー1」じゃないですか。

今でも心に刻んでいる言葉はありますか?

10代の頃、焼肉屋でバイトしてた時のミャンマー人の先輩の言葉なんですけど、店がオープンしたてで、まだ一組か二組くらいしかお客さんがいない時に、「これから何万人ていうお客さんを相手にエンターテイメントをやっていきたいんだったら、お前はあそこにいる一組のお客さんをまず幸せにしてこい。その二人を幸せにすることができれば、何千人、何万人を幸せにできる」って言われたことがすごく残っています。そこからいい接客っていうのを学びましたし、人を幸せにすることに通ずるものを得たんじゃないかなって思ってます。

俳優を続けていく上で大変なことはありますか?

「蜜蜂と遠雷」の石川監督に、「10年以内にオスカーを獲れるように頑張ります」って言ったら、「10年続けることがまず難しいよね」とおっしゃって。運もあるし、自分と一緒に闘ってくれるマネージャーもそうだし、作品がヒットするかどうかも全部が関わってくることなんで、自分だけの力じゃ何もならない時ってあるじゃないですか。勝手に10年続くものと思ってましたが、監督にそう言われて、続けることの大変さを改めて感じましたね。

憧れている人、羨ましいと思う人、尊敬する人がいたら教えてください。

職種ごとにたくさんいるんですけど、音楽で言ったらブルーノ・マーズがすごく好きで、僕にとって本当に神なんですよ。あとは、役者ならジェイク・ギレンホール。彼の目が好きなんです。あの目はなかなかカメラの前でできないと思います。最近は、ブラッドリー・クーパーも好きです。「アリー/ スター誕生」と「アメリカン・スナイパー」を観て、どれだけ準備期間があったんだろうなって思うし、役の振り幅も凄いですよね。「アリー/ スター誕生」は監督もしたことを後々知って、そこまで一つの作品にかける想いや労力っていうのは生半可な気持ちじゃできないことだとすごく感じました。

今、社会で起こっていることで、気になることは何ですか?

バルサ(FCバルセロナ)の3部リーグに入った安部裕葵選手が結構イケメンで、男も惚れるくらいかっこ良いことです。僕、ウイイレ(ウイニングイレブン)が大好きで、昔、マスタリーグでバルサに中田選手を入れてたんですよ。バルサに日本人がいたらかっこいいって思っていたことが現実になっています。

ご自身のやっていることで、日本や世界が変えられるとしたら、どんなところだと思いますか?

全世界に和楽器を広める活動をしているAUN J (アウンジェイ・クラシック・オーケストラ)という和楽器のグループと、僕がボーカリストとしてコラボすることになって、アジアを一つにする歌詞を書いてほしいと曲をいただいたんです。その時にふと思い出したのが、映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」の中で佐藤健くんが言う、「売れたアーティストは世界平和の曲を歌う」っていうセリフです。マイケル・ジャクソンも、世界平和の歌を歌うようになって、世界を一つにしようとしていったじゃないですか。でも、そんな世界平和なんて、僕には全然書けなかったんですよ。

その歌詞はどうやって完成したのですか?

その頃にちょうど、カカオ農園で働く子供のドキュメンタリーを観たんです。それで、その子供のために書こうって思ったらスラスラと書けたんですよね。だから、唯一言えるのは、僕が携わる作品が、誰かの日常にポンと色を足せるような存在になれたらいいなということです。世界って規模は僕にはまだ語れないです。

では、森崎さんにとって、成功とは何ですか?

僕にとっての成功は、死ぬまで来ないんじゃないかって思いますね。 僕の座右の銘は有言実行ですし、たくさんの目標を一個一個絶対叶えていきたいけど、一個叶えるとまた一個増えていくんで、いつまで経っても成功に達しないまま終わっちゃうんじゃないかと思う。でも、それがまた面白いんだと思います。つまり、一個一個目標が生まれてくることも成功と言えるんじゃないかなって。

最後に、3年後、5年後、10年後の自分はどうなっていると思いますか?また、どうしたらそれになれると思いますか?

3年後は、音楽では、おそらくアジアツアーをやってるはずです。5年後は33歳、それまでにハリウッド映画をもう一本決めてます。10年後にはオスカーに携わるような作品に出会えてたらいいなって思ってますね。それは、3年後、5年後の結果次第だと思うんですけど。とにかく5年以内にハリウッドの映画をもう一本決めたいです。ハリウッドってやっぱり縁もありますし、オーディションを受け続けられる環境も必要ですし、凄く壁は高いですけど、果敢にチャレンジしていきたいですね。

森崎ウィン Information

The Truth

『蜜蜂と遠雷』10月4日(金)全国公開

キャスト:松岡茉優 松坂桃李 森崎ウィン 鈴鹿央士(新人)
原作:恩田陸「蜜蜂と遠雷」(幻冬舎文庫)
監督・脚本・編集:石川慶
「春と修羅」作曲:藤倉大/ピアノ演奏:河村尚子 福間洸太朗 金子三勇士 藤田真央
オーケストラ演奏:東京フィルハーモニー交響楽団(指揮:円光寺雅彦)
配給:東宝
©2019 映画「蜜蜂と遠雷」製作委員会
オフィシャルHP:https://mitsubachi-enrai-movie.jp/