ON COME UP
#62 | Oct 11, 2022

世界大会優勝46回。パリ五輪で初の正式種目となったブレイキンの金メダル最有力候補。競技を通して自分自身の内面と対峙し、常に挑戦し続ける

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka / Photo Assistant: Shusei Sato

OCU今回のゲストは、ダンサーのShigekixさん。20歳という若さながら、世界大会ですでに46回チャンピオンになった経歴を持つ、最強のブレイキンダンサーです。ブレイキン(ブレイクダンス)とは、1970年代初頭のニューヨーク・サウスブロンクス地区で生まれたストリートダンスのこと。音楽に乗せて全身を使うアクロバティックな動きが特徴的で、踊りを見せ合い、時にバトル形式で競い合います。2024年開催のパリ五輪で初めて正式種目となったことで今、世界的に注目を浴びているブレイキン。そのダンスに7歳で出逢い、11歳の時に国際大会デビュー、2020年18歳の時に出場した「Red Bull BC One」では史上最年少で優勝を果たすという、桁外れの才能と華々しいキャリアを持つShigekixさんに、幼い頃のことから、ブレイキンとの出逢い、国際大会へ臨む姿勢などを伺いました。しっかりとした考え方や、ひとつひとつの言葉の重みに、Shigekixさんが勝ち続ける理由がわかった気がします。Shigekixさんが今思うことをたくさんお話しいただきました。
PROFILE

BボーイShigekix

7歳の時にBreakingを始める。 Kids Bboyシーンで頭角を現し11歳の時に世界の大会に挑戦を始める。 無敵の快進撃でKidsの世界大会を総ナメ、他の追随を許さない唯一無二の存 在になった。 2018年ブエノスアイレスユースオリンピックにて銅メダルを獲得。 2020年JDSF第2回全日本ブレイキン選手権で優勝し日本一に輝く。 その勢いはとどまるところを知らず同年Red Bull BC One World Finalにて最 年少で優勝を獲得。 世界一の称号を手に入れた。 2022年JDSF第3回全日本ブレイキン選手権で優勝し2連覇を獲得。 同年Breakingの選手として初めてNIKEと個人契約を結ぶ。 これまでになんと46回の国際大会での優勝経験を誇り、2024年パリオリン ピックではもっとも金メダルに近いBboyである。

Shigekix

―小さい頃は、どんな子供でしたか?

物心ついた頃から考えることがとにかく好きだったと思いますね。今はわりと社交的で人と関わることも好きですが、幼い頃は内向的で物静かに見られることが多くて、お風呂に一人で入ってる時によく色んなことを考えてました。昔から一つの物事をいろんな角度から見て考えることが好きだったなぁと思います。

 

ご両親にはどんな育てられ方をしましたか?

母親からは常に「視野を広く持て」と言われて育てられました。 日本はあくまでも一つの国であって、世界と比べたら小さいから、世界を見るようにとずっと言われてきました。それは、何かの競技でプレイヤーとして世界に羽ばたいて活躍する人になってほしいっていうメッセージではなく、全てにおいて視野を広く持つことが大切だという意味です。人間関係もそうですし、カルチャーなど、見るもの感じるもの全てにおいて世界を見なさいと。この教えは今の自分にすごく繋がっていると思います。

 

―ダンスに出会う前、子供の頃に夢中になったものはありますか?

すごく興味を持ったことは、絵を描くことやアートを観ることでした。今も描くことは好きですし、好きなアーティストもたくさんいますね。自分と繋がりのあるアーティストは、その人の人生もかぶせながら観ちゃうので、活動を陰ながら応援させてもらいたい気持ちで観させて頂いてます。

 

―小さい頃になりたかったものってありますか?

最初に絵を描くことを好きになったので、アートと関わる仕事をしたい、関わるような大人になりたいっていう風に思ってました。その後、選手として本格的にやった競技は、体操競技のトランポリンです。それと並行してダンスをやり始めて、アートだけに関わらず体を動かすことにも興味を持ち出したので、それからは体を使ってやるような職業というか、楽しいと思えるもので大人になっていきたいと思ってました。

 

―ブレイキンとの出会いは7歳と伺っていますが、お姉さんの影響で始められたそうですね。

そうですね、ブレイキンをよく見るようになったのは5、6歳ぐらいです。すでにブレイキンをしていた姉が出場する大会や、練習場に両親と一緒に行ったのが始まりです。最初は絵を描いて時間をつぶしていたんですけど、音楽をかけて何やってるんだろうなとか、姉や周りの人達がどんなダンスやってるんだろうとか、徐々に興味を持ち出して、気づいたら自分もやりたいなと思うようになった。それが7歳ですね。

 

ブレイキンを始めた頃

―そこで練習を始めて、どんどんいろんな技ができるようになっていくんですか?

姉と一緒にやってた先輩方を子供ながらにすごくかっこいいって思って憧れて、ちょっとでも近い存在になりたいという気持ちでやってました。最初の頃は独学で、自分の動きを作ったり、踊り方やスタイルを確立していったり、個人で練習して技を磨いていきました。レッスンはあくまでも基礎を学んでエッセンスを求める所で、自分の踊りがそこで確立されるものではないので、最初は練習場所で先輩方にかわいがってもらいながら、たまにアドバイスを頂いて見よう見まねでやり始めたんです。想像以上に熱中して夢中にやっていたので、せっかくだったら基礎も学んでみたらということで、1年後くらいにレッスンも通い始めました。それから週に一回ダンサーの方から習って、あとは自分の踊りやスタイルを磨いていきました。

 

―レッスンを受けてみて、何か変わっていきました?

独学の時は、自分が得意だったり、ついつい目が行ってしまう部分に偏りがちだったのですが、レッスンを受けたことで自分の苦手な部分や知らなかったことを知れるチャンスが広がりました。そして自分は何が得意で何が苦手なのかが明確になって、余計にブレイキンが面白くなって、さらに夢中になりました。

 

11歳の時に世界大会にデビューされたそうですが、やっぱり他の生徒に比べても抜きん出てたんですか?

僕の感覚としては、自分が当時レッスンに通い出した時に、5歳ごろから習い始めた同い年の子達はすでに自分よりすごく上手だったので、まずは彼らにくらいついていって、その子達と同じレベルに到達したらもう一つ先を目指すぐらいのハングリーな気持ちでやっていましたね。多分外から見ても違いがわかるレベルまで到達したのが10歳、11歳だったと思いますし、一気に世界で戦える可能性みたいなのを見出し始めたタイミングでもありました。でも、 「あともう少しで世界だ」という感覚よりも、まずは自分が見えている中で一番の努力と結果を残そうっていう気持ちのほうが大きくて、楽しくて夢中でやっていて気づけば世界大会に出ていたっていう感じではあります。

 

―日本国内でやっていた時と、世界大会に出た時って何か違いましたか?

もともとやるならとことんみたいな気持ちはあったので、いきなり世界になったからと言って、気持ちが小さくなっちゃうみたいなことは意外となかったんですけど、やっぱり世界は広いなって思いました。そして、日本から出て生活するっていう経験も含めて、母親が小さい頃から僕に言い続けてくれていたことの本当の意味を少しずつ体感し始めました。ダンスの大会や技術的なことに限らず、一人の人間として、11歳っていう年齢で世界に行かせていただいた経験は大きかったですね。

 

―初めて世界に行って、ダンスに限らず今までと違ったことは何かありました?

それまで日本でずっと自分なりに理想を追いかけ続けていましたが、それをいざ世界で出した時にすごくポジティブな反応をいただけたり、嬉しい言葉をかけてくださったのがすごく印象的でした。 日本では僕の経緯を知っていて、こういう結果を残しているのを分かった上で皆さんに踊りを観てもらってますけど、海外は、「この日本の子供はいったい何をするんだろう」みたいな、それぐらいフラットな状態だったので、そこでもらえた反応はとてもピュアだったし、すごく嬉しくてもっともっと上を目指したいって改めて思いました。小学校高学年くらいから定期的に世界戦に出るようになって、中学生になったぐらいの頃には月に1、2回ぐらいのペースで国際大会に行く生活が始まりました。

 

―そこで世界を体感して帰ってきてからは、またずっと練習を続けていくという繰り返しですか?

そうですね。 ずっとそれの繰り返しですね。

 

―学校との両立は大変だったのではないですか?

もちろん中学校までは義務教育ですし、周りは毎日通って授業を受けているなか、僕は世界に出て好きなことを続けていたので、学校でも周りの人以上の成績を残せてないとダメだって思っていたし、応援してくれている先生のことを考えても、責任は感じていました。それに、親からも勉強をないがしろにした状態で自分の好きなことをするのは、好き勝手なだけだって言われてたので。高校は、芸能やスポーツを本格的にやっている子達が高校生活を送りやすいような特別なコースに進学させてもらったので、毎日登校してはいましたけど、自分の活動はやりやすかったかなと思います。

 

―そんな中で世界を転戦して勝ち続けて、46回も世界大会で優勝されているんですね。特に印象的な思い出はありますか?

二つあって、ひとつめは、11歳の頃だったのかな、「Chelles Battle Pro」っていうフランスで行われた大会があって、そこで当時僕が憧れて目標にしていたアメリカの同世代のBボーイの子と対戦して勝つことができたことです。世界中が注目している大会で、自分の目標としていたもの、思い描いていたことが実現できた経験は今に繋がっています。もうひとつは、2020年の 「Red Bull BC One」という、ずっと目標にしていた世界大会の最終の大会で優勝できたことです。最年少で優勝するって自分に課していた目標も達成できたし、 結果も踊りも過程も含めてすごく自分の糧になってると思いますね。

 

―そんなに勝ち続ける自分には何があるんだと思いますか? 

逆に自分に何もないっていうのが分かってるから、挑戦し続けられるんだと思います。いつも気は抜けないって、いい意味で常に自分にプレッシャーをかけてますし、常にハングリーな気持ちでい続けられることですかね。それは自分がやってきたことを自分が一番理解してるし、「何もしなかったら何もない」って自分で思えてることが大きいのかなって。だからこそいろんなことをやって、それを形にしていこうって思うし、その考えが一番のエネルギーで、自分の誇れる部分だと思います。

 

―大会ごとに優勝するための戦略を立てたりするのですか?

技術的な部分や実際に対峙した時の戦略はもちろん考えるんですけど、それ以上にそれぞれの大会でどういう部分を伸ばして、それを実際にアウトプットして成果を目に見えるものにするかみたいな、勝敗に関わらない部分の、自分自身の課題にも常に結果を求めてます。 じゃないと、結果が出れば良くて、出なかったら悪いみたいな、ただ体を酷使するだけの話になってしまうので。毎回大会に出るたびに、理想を考えた上で、 観ている人と一体感が生まれるようなパフォーマンス、動き、踊りまで持っていきたいですし、メンタルにしろフィジカルにしろ、その時々で自分なりの結果は大切にしてます。

 

―そうやって課題を自分に課して目標を決めて、やり抜いたことが大会で優勝という結果にも結びついてるってことなんですね。

そうですね。逆に思うような結果が出せなかった時に、結果出せなかったねってだけで終わってしまったら、それの繰り返しでしかないし足踏みしてるだけなので。そうではなくて、その大会を迎えるにあたって自分に課してたものは克服しているのか、達成できてるのか、達成できた上でいい結果を残せなかったのかなどを考えますし、その理由もその都度変わってくるので、そこは見極めるようにしてます。そうすることで、次に勝った時、ラッキーなだけで勝ったわけじゃないことを自分の中で裏付けられますしね。

 

―素晴らしいです。では、Shigekixさんにしかない強みはなんだと思いますか?

強みは周りが評価することかなと思うし、実は自分自身では、自分の弱い部分ばっかり見えているんです。これを俺は乗り越えられないのか、それとも乗り越えられるのか、みたいに、常に自分と向き合ってますし、もしかしたら、その弱い部分と向き合えることが強みなのかもしれないです。

 

―例えばどういう状況ですか?

練習中、「しんどいな、キツいな」と思ってる時、これはフィジカルがきつくて今キツいと思ってるのか、それとも気持ちがキツくてキツいのか、または体はキツくないけど気持ちがキツいと思ってるのか、それとも体も心もキツくないのにキツいと思いたくてそう思ってるのか、どうなんだろうみたいなのも考える。それで本当に体がキツかったら、冷静に考えて自分の状態を見て、体のケアをしたり、トレーニングをしようとか、今日の練習はこういう内容にしようとか考えたりします。

 

―その考え方は昔からですか?

そうですね、最初に話したお風呂に入ってる時に考えてたようなことの延長線上にある考え方なのかなと。たくさんの人に支えてもらってやってはいるものの、やっぱり個人で戦ってる競技なので孤独な戦いを強いられるし、結構考えがちな方だとは思います。考えた結果別に正解が出なくていい時もあるんですけど、でも考えることに意味があるんだなぁと思いますね。考えたりメンタルを整えるために走ったりもします。

 

―ブレイキンは派手な技術が印象的な競技だと思っていましたが、そんなところはほんの一角で、トップにたどり着く理由は違う部分に起因するんだとハッとしました。では、人生を変えた人物との出会いと言われたら誰が思い浮かびますか?

家族だと思います。自分の人生は家族ありきで出来上がっているんで。ブレイキンももちろんですけど、自分が物心ついてからやってきたこと全て、自分の四つ上の姉が先にやってたことですし、ダンス以外でも姉が自分の年齢より4年早く成長して挑戦する姿を見て勉強したことがめちゃくちゃあるし、未だに一緒に切磋琢磨してやって高めあえる存在はすごくでかいです。両親は言うまでもなく、自分の考え方全てにおいて土台になっていると思いますし、僕の人生をこんなに楽しくしてくれたのは家族だと思います。

 

―自分の人生に影響を与えた言葉や、座右の銘みたいなものはありますか?

「視野を広く持て」っていう母親の教えはすごく自分の根っこにあると思います。ほかにプレイヤーとしてすごく大事にしてることは、「常に挑戦する」っていうことですかね。本当にシンプルですけど、挑戦することが全ての始まりだとは常々思います。

 

ブレイキンをやっていて最も大変なことは?

答えがない部分ですかね。悩まされる種ではあるんだけど、それが面白味でもありブレイキンの特徴でもある。分かりやすく数字で測れる物差しがないので、その都度自分なりの物差しで自分なりに測るみたいな。そこに関しては永遠の課題じゃないですけど、そこを追い求める美学みたいなのがブレイキンというか、アートの世界というか、そういうカルチャーにあるのかなと思います。

 

―ブレイキンをしていく上で大切にしていることは?

柔軟にいろんなものからインスピレーションを受け取ることは大事にしていますね。ある程度自分のスタイルは確立されているんですけど、ステップアップするためには他からのインスピレーションは常に大事です。あまり閉鎖的になりすぎると、取り入れるものは常に自分の好きなものや馴染みのあることばかりになってしまうんですよ。また、追い求めすぎてシャットダウンしてしまうとそれしか入ってこないので、突然180度違う角度からのインスピレーションやアイデアを受け取って、面白いエッセンスを自分の踊りやスタイルに取り入れています。それに踊りだけじゃなくて、人としても、自分を常にスポンジみたいにしておこうっていう気持ちではいますね。

 

—素晴らしい姿勢ですね。

自分が正しくて自分がやってきたことが全てで、それ以外は正しくない、みたいな風に自然と思いがちになってしまうと思うんです。でも、自分のことを肯定してくださる人がたくさん増えていくにつれて、逆に、より柔軟になることは大切にしています。

 

―今はどのようなスケジュールで1日を過ごしてますか?

海外にいることも多いので、日本と海外にいる時でちょっと変わってはきますけど、日本にいる時は毎日練習がメインにあって、それ以外は体をリラックスさせたりケアしたり、食事とか睡眠もちゃんと取って、基本練習をどれだけ良いものにできるかを大切にしながら24時間生活しています。あとは、オリンピック競技になってブレイキンが注目をどんどん浴びて知名度が上がっていくにつれて、メディアでも活動の幅が広がってきているので、いただいた仕事を前後でやらせていただいてます。

 

―練習は1日どのくらいやるんですか?

その時にもよるんですけど、毎日3時間くらい練習場所にいますね。ウォームアップして練習して、その後はその日にもよりますがトレーニングをして、帰って次の日の練習に備える。練習はコーチのような存在はいなくて、仲間と練習するみたいな感覚ですね。時に仲間からアドバイスをいただくこともありますが、僕に限らず、指示したりアドバイスするためだけのコーチはいないです。今までのオリンピック競技の例から、新しい取り組みもブレイキンに活かされたりして、取り組んでる人もいるんですけど、基本は僕たちがやってきたものの先にオリンピックがあるという感じですね。

 

―オリンピック種目になったと初めて聞いた時はどんな気持ちでしたか?

嬉しい気持ちが一番強かったですね。もちろん一番は自分のためにやってるんですけど、自分のためにやってることで人を幸せに出来たり、エネルギーを与えたり、感動を瞬間的にでも与えられたら、それってすごく素晴らしいことだなと思います。オリンピックは、自分が大切にしていることや実現したいことを思い切り後押ししてくれる機会になるかなと思っています。

 

―決まってから注目度が増したのは感じます?

すごく感じますね。僕はもともとずっと好きでやってきたんで、ブレイキンは楽しいし面白いし、魅力的なのは重々承知してましたけど、オリンピック種目にならなかったら興味を持つこともなかっただろう人たちがブレイキンに触れる機会が増えて、いいなと言ってもらえて、そういう反応を実際に耳にした時は嬉しいです。

 

―一気に視界が開けた瞬間や、自分が成長したと実感した出来事はありますか?

視野が広がった瞬間は初めて国際大会に出場した時ですね。やっぱりいくら話で聞いていても、親の教えがあっても、実際に体感してみないとわからないことがあるので、そこはパッと開けたタイミングなのかと思います。自分が成長したと思った経験は、ユースオリンピックの時に納得いくような結果を出せなくて、すごく悔しい思いをしたことです。でもそこでの学びは、勝って学んだものとは全く種類の違うもので、ネガティブな状態からポジティブを生み出していくために、その後の数年間もがいて学んで活かしてきたことで今の僕があります。

 

―では、ご自身のやっていることで、日本や世界が変えられるとしたら、どんなところだと思いますか?

例えば昔からある人種差別などの社会的な問題に対して、ブレイキンは正解を一つ見せてる形なのかなと思っています。 ブレイキンに差別は存在しないし、ブレイキンをやってるというだけで世界中の人と友達になれます。男女の違いが出るわけでもなく、どこ出身でどんなバックグラウンドがあろうが、ブレイキンをやってる共通点を大事にしてるので、ブレイキンが社会問題を解決できることもあるんじゃないかなと客観視して思います。僕はそれが当たり前で育ってきて、自分と違う人に対してネガティブな気持ちになったことがないし、逆に違う所で生まれ育って違うものを見てきたのに、同じものを共有してる素晴らしさの方に目を向けるべきだと思うし。ブレイキンが本来、競技ではなくカルチャーとして存在してるから、僕もそういう考え方なんだと思います。

 

Shigekixさんにとって、チャンスとは?

僕にとってチャンスとは全ての出来事ですね。良いことも悪いことも、その瞬間はどっちとも取れないことでさえも、何かをそこから学んだり、何かを得るチャンスだと思っているので。起きた瞬間から寝る瞬間までに起きる全てのことが、自分を少しでも成長させられるチャンスだと思ってます。

 

―では、Shigekixさんにとって成功とは何ですか?

僕にとって成功とは、振り返ってやっと気づくものだと思ってます。その瞬間に成功したとか、これは成功だっていう感覚はそこまでなくて、一つのことを経験したその先に、自分が成長できたりいろんなことを学べたりする。そうした時に、やっとあそこが一つのターニングポイントになって今に繋がってるんだ、ポジティブな方向に矢印が向いたんだっていうのを実感するのではないかと。だから、成功してやるぞっていうよりかは、常に向上していきたいなという気持ちでやり続けてる時に、ふとあの時成功したなって感じる、それが成功かなと思います。

 

 

―最後に、まだ実現していないことで、これから挑戦してみたいことは?

これから挑戦していきたいことは本当に山ほどあります。やりたいことしかないですね。これって一つに絞ることはできないんですけど、常に挑戦し続けたいので、それはブレイキンに限らず一人の人間として続けたいと思います。

 

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