ON COME UP
#61 | Aug 9, 2022

新時代の盆栽プロデューサーの稀有な半生と未来思考。ストリートカルチャーに根ざした斬新な視点で日本文化を世界に伝える

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

今回OCUに登場するのは、盆栽プロデューサーの小島鉄平さん。小島さんの手がける盆栽は、世界的ファッションブランドや人気アパレルショップとコラボレーションするなど、今、多方面から注目されています。 盆栽と言えば、由緒正しい日本文化というイメージですが、小島さんはアメリカのストリートカルチャーに影響を受けた青年時代を過ごし、そこからインスパイアされ、磨かれてきた独特の感性を盆栽に活かしています。その斬新な視点で作られた小島さんの作品は、世代や国境を超えて、今や世界中にファンを持つようになりました。また、生まれ育った町の名前に因んで名付けた株式会社松葉屋では、盆栽の販売やリース事業のほか、エキシビジョンなどを通して、若者にも盆栽の素晴らしさを伝えています。そんな小島さんはどのようなの半生を送ってきて、これからの未来をどう見ているのでしょうか?たくさんのことをお話いただきました。
PROFILE

盆栽師小島鉄平

「TRADMAN'S BONSAI」CEO兼プロデューサー、盆栽職人。1981年、千葉県生まれ。 バイヤーとして活躍していたアパレル業界から一転、日本の伝統文化である盆栽を世界に伝えるというミッションのもと、 2015年TRADMAN’S BONSAIを結成(のち2016年に株式会社松葉屋設立) これまで「shu uemura」「NIKE」「Dior」「RIMOWA」などのブランドコラボレーションも行い、伝統を守りつつ既成概念を超えた、 これまでにない盆栽の世界を、若者を含む幅広い世代に日々届けている。

小島鉄平

―小さい頃はどんな子供でしたか?

僕、施設育ちなんです。親の元で生まれ育ったのですが、小学校1年生の頃からしばらくの間は離れ離れになって施設で過ごし、僕と弟は、身寄りのない子たちと一緒に生活をしていました。施設は規則がすごく厳しく、学校が終わったらすぐに帰らないといけないし、外に遊びにも行けなかった。今も記憶にあるのは、施設内に盆栽があったことです。 放課後、毎日たくさん時間があったので、盆栽を眺めたり、盆栽の本を見たりしていました。それが盆栽との最初の出会いです。

 

―子供の頃に夢中になったことはありますか?

スケボー、タトゥー、音楽、洋服、とにかくアメリカのストリートカルチャーが大好きで、本気で夢中になっていました。それから、親父が服好きで、小学校の頃に初めて501をくれたのですが、その時にリーバイス501の存在を知って、そのバックグラウンドストーリーを聞いて、めちゃくちゃかっこいいなと思いました。それが9歳か10歳くらいの時です。

 

―その頃、音楽は何を聴いていたんですか?

親の影響で 、カーペンターズあたりから入って、Boyz II Men、それからロックだとガンズ(ガンズ・アンド・ローゼズ)とかにハマっていきました。それでタトゥカルチャーを知って、ものすごく衝撃を受けて。6年生の頃からは、地元松葉町のマルエツというスーパーの広場にみんなで集まって、スケボーをやったりしていました。のちに、先輩に教えてもらってTHRASHERマガジンの存在を知って刺激されてからは、さらにアメリカにのめり込んでいったんです。

 

スケボーやアメリカのカルチャーにハマっていった青年期

―小学校、中学校はずっと千葉県柏市松葉町が地元ですか?

そうですね。でも学校はあんまり真面目に通ってなくて、当時付き合ってた彼女に会いに行くためだけの場所でした。僕はちょっとふざけた生徒だったんで、親や先生に反対されて、その彼女とは無理矢理別れさせられてしまったんです。でもずっとその子のことが忘れられなかったですね。それから紆余曲折を経て、後々その彼女と結婚するんですけどね。

 

—そうなんですか!すごいドラマがあったのでしょうね。ところで高校生活は?

高校は通ってはみたものの全然合わなくて。当時は高校で教わることはないし、通うだけ時間の無駄と思い、中退して就職しました。でもまだ16歳だったし働けるところはたかが知れていて。工場勤務などしましたけど、何ヶ月か出勤しては辞めて、またフラフラしてみたいなことを繰り返していた感じです。

 

—それからどうなっていくのですか?たしか、最初はアパレルの道へ進まれるのですよね?

もともとずっと洋服をやりたいと思っていたんです。ただ、プライベートでちょっと衝撃的な体験をしてしまい、それをきっかけに何もかもやる気がなくなった時期があって。その時は地元の仲間たちが、一緒に共同生活して支えてくれて立ち直ることができました。なので仲間にはめちゃめちゃ感謝しています。それからしばらくしてすごく吹っ切れて、「よし、やろう、人生は一回きりだ!」って、仲間3人で洋服のセレクトショップを開きました。それが27歳の頃です。でも、アパレルの仕事をしている間も盆栽にはずっと興味があって、自分で調べたり、盆栽園に通うのはわりと習慣的でした。

 

友人らと地元にセレクトショップをオープン

―若い頃から、盆栽のどこに惹かれていたんですか?

単純に好きで、カッコいいと思っていました。 盆栽って、リーバイス501のヴィンテージと一緒で、過去の作家さんがいて、オーナーが引き継がれていった先に、100年ものとかのヴィンテージデニムが存在している。盆栽もいろんな作家さんやオーナーさんがいらっしゃって、毎日メンテナンスして、水やりと光合成をさせてきたことが今に生きてる。この感覚がものすごく似ていると思いました。今もインスタでは、「盆栽は究極のヴィンテージ」ってハッシュタグをつけてます。車のナンバーも501ですし、全部501。とにかく501にはいろんなことを教わったし、盆栽もそれと同じように感じています。

 

―盆栽の世界に仕事として入っていったきっかけは?

服のバイヤーをやっていたんで、旅行も兼ねていろんな所に行くんですけど、海外に行った時、たまに盆栽を飾っているショップに出くわすんです。すると、「君は日本人だろ。僕の盆栽を見てくれ」って言われるから見るけど、全然違う。そこで、僕の知ってる盆栽を写真で見せると、「ワオ」ってリアクションがどこでも同じように起きたんです。その時に、本当の盆栽がちゃんと伝わってないのかなって思って。もちろん彼らがイメージする盆栽も、それはそれで正解なんでしょうけど、盆栽の写真を見せた時の彼らのリアクションがすごかったんで、その辺からすごく火がついちゃって。これはやれるかもしれないっていう確信が多少あったし、周りに盆栽やってる人間もいたので、日本に戻って来た時に、「洋服屋さんはもうみんなに任せる」って言って辞めて、そのまんま盆栽の世界に入っていきました。

 

—思い切りましたね。

最初はなんにもわからないし、技術も全くなかったんですけど、知識は多少あって、目利きはできたんです。そこで、盆栽をやっている友人を集めて、「俺がプロデュースするから盆栽を作ってくれ。それを世界に発信したい」って言ったのが、今から11年前になります。みんなもわかってくれたので、俺がボスになって、「TRADMAN’S(伝統的な男たち)」っていうチームを作りました。それが30歳の頃です。盆栽の職人さんたちは自分であまり発信しないので、僕はプロモーターというかプロデューサーとして入って、彼らの技術を世界に発信するっていう立ち位置になりました。

 

TRADMAN'S設立当初

―小島さんは、盆栽職人ではないということですか?

いや、結局やっていくうちに自分が技術を学ぶのが一番早いなってところに行き着いたんです。でも職人になるのは時間的に難しかったんですね。なぜなら盆栽の業界は基本、弟子入りするのですが、基本的なプロセスは5年間給料なしで、住む所と食事だけはなんとかいただけるという世界。本当に無給で、休みもほぼないみたいな状況で過ごすんです。その5年間の後には、1年間のお礼奉公として親方の付き人もしなければなりません。つまり、トータル6年っていうプロセスを経て盆栽職人として認められていくんですよ。

 

—なんと。職人になるには、そんなに時間がかかるのですね。

僕はもう会社もやっていたので、6年間それだけをできる環境ではなかった。でも自分で技術を身につけたかったので、盆栽を仕入れる際にいつもお世話になっていた岡村先生に、特別に許可をいただいて、5年くらい通いながら技術を学ばせてもらいました。そのうちに仕事の方がどんどん忙しくなってしまって、結局その先生にはうちの社員になってもらいました。そこから僕は会社の経営のほうに集中していくんです。

 

岡村氏(真ん中)と、株式会社松葉屋 副社長の小山(右)と

―業界の因習的なしきたりを飛び越えることで、周りが気にならなかったですか?

僕は全然関係ないと思ってやっていましたが、協会や組合の人たちからは面白くないみたいなことを言われてました。でも、もともと土俵が違うと思ってたんで気にはならなかったですね。もちろん今までやってきている大先生の方たちはすごいし、その方達がいらっしゃったから今の盆栽界があるのは百も承知です。ただ、僕の魅せ方だったり、ストリートカルチャーやブラックミュージックとか、僕が今まで培ってきたものと盆栽を掛け合わせるっていうことは僕にしかできないと思っていました。ものは一緒でも戦う場所は違うっていうことは最初から自分の中で認識していました。

 

―TRADMAN’Sが広く注目されるようになったきっかけはあったのですか?

代々木で開催している「rooms」 っていうファッションイベントがあるんですけど、そこに盆栽を飾って欲しいというお誘いをいただいて飾ったことが大きかったですね。何百社が参加した中から、一番良い優秀賞を頂きました。そうしたらそれがきっかけでビームスさんやユナイテッドアローズさんから声をかけていただくようになって。もともと僕は盆栽を広めるためにはまず若い人たちに知ってもらうことが重要だと思っていたので、roomsに出たことで、若い人たちにアピールできたのは大きかったです。

 

roomsの会場にて

―ところで、人生を変えた人物との出会いと言ったら誰ですか?

いっぱいいますけど、心から思うのは今の奥さんですね。もともと僕はいろんなことをちょっと斜に構えて見るところがあったけど、一緒になってからはすごく素直になれました。やっぱり愛する人がいるって、生きていくためのモチベーションにもなるし、すごく大事じゃないですか。だから、今の奥さんと結婚が叶った時は幸福感が半端なかったですね。俺、もうなんでもできるんじゃないかって、勘違いするほど舞い上がりました(笑)。とにかく自分のいくつかある大きな夢の一つが叶いました。

 

―素敵なお話をありがとうございます!では、プロとして今の職業で最も大切にしていることは?

かっこ悪いことはしたくないっていう思いは強いですね。大雑把でシンプルな話ですけど、仕事を受ける時も、かっこいいのか、悪いのかという基準はすごく大事にしてます。シンプルに盆栽をかっこいいと思った時の気持ちもそうだし、かっこ良さで全てを判断してるのはあるかもしれません。

 

―言葉にできるものがあるとしたら、どういうものがかっこ良くてかっこ悪い?

嘘臭いとか、薄っぺらいとかはかっこ悪いな、自分はやりたくないなって思っちゃいます。盆栽職人の人って本質を知っていて、めちゃくちゃかっこいいと思う。好きなことをやってる人ってかっこいいじゃないですか、魅力が滲み出てるというか。それがこっちまで伝わってくる時点で、もうかっこいいですからね。

 

―今の仕事をしていく上で最も大変なことは?

盆栽の管理ですかね。盆栽は 鉢の中の土だけで生活してるので、乾燥しちゃったらもう生きる術がなくなっちゃう。2日水をあげなかったら枯れて死んじゃいます。100年間ずっと一生懸命毎日やってきたものが2日、3日間で終わっちゃって、復活しないんですよ。その責任感は半端ないですね。

 

―ところで、小島さんは盆栽を見た瞬間に、完成イメージが浮かぶのですか?

はい、それは癖がついているんで社員全員が出来ることだと思います。盆栽って針金をかけて形を作っていくんですけど、1年、3年、5年、10年、20年、100年先をイメージして作っていくんです。ビジネスと一緒で、その先のことを考えながら、どんどん針金をかけていきます。

 

―5年後、10年後を見据えて、今進むべき方向を決めているのですね。

どういう風に伸びていくのかを想像して、どうなったらかっこいいのかを考えてやっていくんですね。針金をただかけるだけじゃなく、伸びた後に空間がどうできるかまで、トータルで想像しながら考えていく。盆栽って、不等辺三角形を作っていくと綺麗に見えるというセオリーがありまして、大体みんな三角形っぽく作られているんですね。盆栽は、鉢の中でいかに自然を表現するかが大事になるんで、その自然をイメージさせるようにデザインしていきます。それに、盆栽は引き算がたくさんあるんです。ここの空間があるからこの曲線が生きて、この枝がさらに生きてくるとか、やっぱり日本のわびさびってすごく大事ですね。

 

―空間の作り方しかり、独特のセンスの根源はなんでしょうか。

もともと絵もすごく好きで、小学校の頃は賞もよくもらってました。タトゥも基本自分で全部描いて、これを入れてくれって昔から頼んでいます。

 

―好きな音楽、映画、アートなどで影響を受けたものはありますか?

音楽で言うと、ヒップホップとかブラックミュージック。その前は、パンクロックですね。ランシドのティムが大好きで、彼の影響はめちゃめちゃあったかもしれないですね。あとは、鳥山明さんのドラゴンボールが大好きです。僕の夢の一つは、鳥山明先生に、 スーパーサイヤ人の自分が盆栽を持ってる絵を描いてもらうことです。

 

―今社会で起こっていることで気になることはありますか?

日本がだいぶ弱ってるなって思います。それもあって、この前の寺田倉庫でのイベントの名前を「NIPPON」(*7月末から2週間開催した) にしたんですよ。この先どうなっちゃうのかなってすごく心配ですし、もう1回生きのいい日本を再生できたらなってすごく思ってます。昔はもっとカッコ良かったじゃないですか。今、不安要素がすごくあるし、このままじゃまずいなってすごく思います。だから盆栽を通して、日本ってかっこいいんだぞっていうのを、世界にもっと知ってもらいたいって思います。

 

寺田倉庫で開催したイベント「NIPPON」のフライヤー(左上)スタッフ達と(右上)会場には数々の貴重な盆栽が展示された(下段)

―今までのお話を伺って小島さんはすごく行動力があると感じましたが、それは元からの性格ですか?

そうですね、めちゃめちゃ自信家ですね。昔からずっと自分はドラゴンクエストの勇者だと思っています(笑)。でも本当にやれるって思ってないとやれないと思うし、言霊にしていかないと多分ならないと思うんで、弱音を吐いてる場合じゃないですよね。

 

―でも、ビジネスマンとして、やれるっていう気持ちだけだとできないから、きっと経営的な数字も強いんですよね。

そうでもないですよ。僕すごく運が良くて。会社経営していくとやっぱり財政難の時もあるじゃないですか。そういう時に限ってスペシャルな人が現れるんです。

 

—スペシャルな人ですか!

僕が尊敬してる人で、山田潤さんっていう、元ZOZOTOWNでNo.2だった方がいるんです。僕と地元が一緒で、中学校の先輩なんですけども、お会いしたことはなかったんですね。ところがある日、ユナイテッドアローズのHっていう店で盆栽の展示をしているのを見てくださった山田さんが、盆栽をとても気に入ってくださって、写真を撮ってインスタにあげてくれて、それをきっかけにお会いすることになって。 それが去年のことです。

 

山田潤氏と

—いいタイミングでの出会いだったんですね。

山田さんに、「これからどういう風にしていくつもりなの?何か手伝えることない?」って聞かれて、僕はちょうど会社をその先どうしていくかを悩んでいた時期だったので、思い切って全てをお話しました。ちょうど次の日に車を売却して資金繰りするつもりでいることを伝えると、「松葉屋に未来を感じるし、俺にできることはやらてよ」って言ってくれて、次の日にお金を用意してくれたんです。「何もしなくていいから。いつか返してくれればいいよ。別に返さなくてもいいんだけどね」って。変な話、こういうのって危ないから勘ぐって周りにも相談したんですけど、「全然大丈夫だよ、潤はそういう人だから。そこは甘えた方がいい」ってみんなに言われて。だから、本人からいらないと言われたのに、僕がお願いして、今、会社の大半の株は山田さんに渡してバックアップしてもらってます。僕も初めて心を許せる、アニキと言える人にやっと会えたし、彼のおかげで今があるんですね。

 

—感動ですね。では、そんな小島さんにとって、チャンスとはなんですか?

ありきたりかもしれないけど、自信を持って、行動していくことで掴み取るものだと思っています。やっぱり待ってたってチャンスは来ないし、その一歩を踏み出す勇気があるかないかで来るか来ないかなと思うので、そのチャンスを掴むのは、やっぱり自分の行動あるのみだと思います。山田さんと出会えたのも、自分が行動してきたことの結果でチャンスが訪れたんだと思います。

 

―では、成功とはなんですか?

やっぱり笑っていられることかな。ありきたりかもしれないけど、笑ってるってことは、単純に、色んなことがうまくいってるってことだと思うんですよね。お金ではなくて、笑ってられる人生を送れたらいいなって思いますかね。

 

―たくさんあると思いますけど、盆栽から得たものは?

半端じゃないすね。盆栽から得たものしかないかもしれないですよね。個人を大事にするとか、なんでも「大切にする」という考え方とか、あとは先のことを考えていないと盆栽って作れないので、全てがそういう思考に切り替わりました。ビジネスでも先のことを考えるし、あとはいかに引き算ができるかとか、センスを磨くこともそうだし、“Simple is best”っていうすごく好きな言葉に行き着くことができたのも盆栽のおかげです。

 

―これからの盆栽も含め、ビジネスも含め、未来を考えてる時間が多いですか?

常にそうですね。家にいても、ずっとそんなことをずっと考えて、それが癖になってる。やりたいことがたくさんあるんで、それをいつも想像しているから、言葉もいっぱい出てくるんですよ。

 

―3年後、5年後、10年後のご自身はどうなっていると思いますか?

間違いなく盆栽はやってるし、会社のビジョンとしてやりたいことは色々あるんですけど、まずは僕たちにしかできないやり方で盆栽の業界を変えていきたいです。新しい流派は5年後にはできていたらいいですし、自分たちの秘伝の書みたいなのが作っていけたらいいなぁと考えています。あと盆栽の天下一武道会っていうのをやりたくて。天下一武道会って漫画の「ドラゴンボール」に出てくるんですけども、本当に強いやつらが天下一武道会に集まって、戦ってチャンピオンを決めるんです。それを盆栽でやりたいなと思ってます。今までも盆栽の大会ってあったけど、本当にかっこいいものはかっこいいでしょって、シンプルなところで評価することをやりたいですね。盆栽を通して、日本のカッコ良さっていうのを発信していきたいっていうのはあるかな。

 

—きっと、全て実現しますね。

将来的には文化人になりたいです。自分の名前がちゃんとした教科書に載るような、しっかり取り上げてもらえるようなことをやり遂げて、名前を残していけたら本望だと思います。

 

小島鉄平 Information