ON COME UP
#31 | Nov 14, 2017

バリスタ世界大会準優勝!苦節8年を要した自分への挑戦。人生をかけてまで伝えたいコーヒーの魅力とは

Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

未来に向かって躍動する人たちをインタビューする“ON COME UP”。第32回目のゲストは、バリスタの鈴木樹さん。小さい頃からお菓子作りをするのが好きで、高校卒業後はパティシエを目指し専門学校へ進学。その後、菓子店に就職するも、パティシエの道を諦めコーヒーの世界へ。ZOKA coffee(ゾッカコーヒー)で働き始めるが、店舗自体が閉店してしまい、元上司に誘われて丸山珈琲へ入社。競技会で活躍するプロのバリスタ達を目の当たりにして、自分もその道を目指そうと決意する。競技会のためのトレーニングに邁進する日々を過ごした鈴木さんは、数々の試練を越えて2010年、2011年とJBC(ジャパンバリスタチャンピオンシップ)で優勝し、日本代表として世界大会への出場を果たした。その後、紆余曲折がありながらも、数年間のブランクを経て昨年には、3度目の日本チャンピオンに返り咲く。そして、2017年11月12日、日本代表として3度目となる、WBC(ワールドバリスタチャンピオンシップ)に出場し、準優勝という過去最高の輝かしい成績を残した。まだ興奮冷めやらぬ世界大会終了直後の韓国で、世界に挑む気持ちや心構え、直前の心境のほか世界大会直後の率直な気持ちを伺うことができた。また、パティシエを目指していた時代の話や、最初にコーヒーに出会ったきっかけのほか、現在、軽井沢を拠点に国内に10店舗を構える人気コーヒー専門店「丸山珈琲」のバリスタとして日々活躍する様子やプライベート、家族のことも伺った。(*このインタビューは世界大会前に行ったものです。大会後のコメントは再取材したものとなります )
PROFILE

株式会社丸山珈琲 販売企画ディレクター/バリスタ鈴木樹

1984年神奈川県生まれ。製菓学校卒業後、都内でパティシエとして3年ほど勤務したのち、2006年からコーヒーの仕事に携わり、2008年に丸山珈琲に入社。店長、店舗統括ディレクターを経て、現在に至る。2016年9月に行われたジャパンバリスタチャンピオンシップでは、2010年、2011年の二大会連続優勝に続き、史上初の3度目となる優勝を獲得。2017年11月に韓国で開催されたワールドバリスタチャンピオンシップで、自身最高位となる準優勝を果たした。世界で最も注目される女性バリスタの一人。

鈴木樹

小さい頃はどんな子供でしたか?

人見知りでしたね。今も変わらないかもしれないですけど、ちょっとは大人になりました。兄と姉がいる3人兄弟の末っ子なのですが、姉がいるから友達がいなくてもいいかなっていうくらいお姉ちゃん子で、2歳上の姉を崇拝して生きてきましたね(笑)。3人目だったこともあると思うのですが、両親には自由奔放に育ててもらいました。

4歳の頃

ご出身は横浜でしたよね。中学校、高校時代はどのような学生だったのですか?

中学校ではブラスバンド部でした。高校は凄く楽しかったんですけど、「この勉強は本当に人生に必要なんだろうか」と色々考えるようになったら、自分の好きな授業しか勉強しなくなってしまって、だんだん居心地が悪くなってしまいました。

その頃に将来なりたかった職業はありますか?

パティシエにずっと憧れていました。親や姉が家でお菓子作りをするのをずっと見ていたので、自然と自分も作るようになったら楽しくてはまってしまって。高校卒業後は、パティシエを目指して代官山にある専門学校(レコールバンタン)に1年通い、その後は菓子店に就職しました。

バンタンに通っていた頃

パティシエからどのようにコーヒーの道に入ったのですか?

就職してから3年ほど働いたんですけど、家や学校でやっていた時とは違って、繊細な作業をうまくできず、「私の道はこれではないかもしれない」と思って仕事を辞めました。今振り返ればちょっと根性がなかったですね。当時は労働時間も長く、ほとんど休みなく働いていたので、辞めてからは沖縄に3回くらい行くなど4ヶ月ほど旅行してリフレッシュしました。「そろそろ働かないと」と思い始めた頃に、家の近所で新規オープンの「ZOKA coffee(ゾッカコーヒー)」横浜店がスタッフを募集していたんです。応募したらスルッと採用していただけました。

コーヒーはもともとお好きだったのですか?

もう10年以上前の話ですが、20歳までコーヒーは特に好きでもなく、その頃スターバックスが横浜にもできたので、ラテやカプチーノを少しずつ飲むようになった程度で、ブラックコーヒーはまだ飲めなかったんです。でも、ZOKA coffeeで、「コーヒーって素敵なんだよ」っていう話をしてくれる上司や先輩に恵まれて、その影響で飲むようになりました。本当に知らないことばかりだったので、逆にそれが楽しかったんです。

当時、今でも記憶に残るような衝撃的だった出来事はありますか?

コーヒーが種から始まりカップの液体になるまでの過程を「from seed to cup」という言葉で表現するのですが、それを説明してくださった女性の店長が凄く情緒豊かな方で、話しながら感動して途中で泣き出してしまったんです。それを見ていて「人をここまで動かせるコーヒーってすごいな」って思ったんですよ。

ZOKA coffeeにはそんな素晴らしい方が働いていらしたのですね。

ZOKA coffeeは残念ながらなくなってしまったのですが(2011年閉店)、その後私のように丸山珈琲に移った人もいますし、バリスタトレーナーの阪本義治さんは当時の上司で、たまに横浜に視察に来た時にお会いする程度で、私にとっては神のような存在でしたがなぜか可愛がってもらいました。阪本さんがZOKA coffeeから丸山珈琲に移籍した後、横浜店が閉店した時にご連絡いただいて、「いつまでもフラフラしてないで軽井沢に来ないか」って誘ってもらったんです。

それで長野に行かれて、丸山珈琲に入社したのですね。

小諸店の立ち上げのためにまずは軽井沢で働いてから一ヶ月後に小諸に移動し、半年くらいカフェのスタッフとして働いた後に、小渕沢のリゾナーレ店に移動したのが2008年のことです。私が入社した当時は、まだ長野と山梨の2店舗しかなくて、アルバイトのスタッフを入れても従業員は20人以下でしたので、今と全然違いましたね。当時の軽井沢店のスタッフは地元の主婦の方が中心で、軽井沢まで働きにくる若者はほとんどいなかったです。

リゾナーレ店で働いていた頃

では、お店が拡大していくのと同時に鈴木さんも変化していったのですね。

入ってからの10年は自分も会社も成長期であり、ずっと過渡期な感じです。ZOKA coffeeの時のように、私は丸山珈琲に入ってからも丸山健太郎社長をはじめ素敵な先輩バリスタ達に恵まれました。そして、中原見英さんや先輩のバリスタたちが大会に出場している姿を近くで見ていて、自分とは別世界のものだと思っていたJBC(ジャパンバリスタチャンピオンシップ)の存在を身近に感じるようになったんです。この大会はお店で普段やっていることの延長線上にあるし、自分の成長のためにすごくいいチャンスだと思ったら挑戦したいと思い、その気持ちを社長に伝えると「やってみたらいいんじゃない?」って言ってもらえて。

大会に出場するとなると、営業中の仕事とは別のことをされるんですか?

そうですね。営業終了後や休みの日に練習します。当時は小淵沢にいたので小諸まで2時間ドライブして練習に行ってました。技術は自分だけで習得できても、大会で求められている「何が美味しい味か」とか、「今どういうものが良いとされているか」は自分だけでは判断できないので、他の人に飲んでもらうんですよ。世界のコーヒーの流れは常に変わっていくし、正解がないのでどんなに技術を磨いてもゴールに辿り着けないんです。だから、小諸にまで行って社長や先輩や阪本さんに味を判断してもらって、自分がやっていることが正しいかどうかのすり合わせをし、それをまた持ち帰ってその経験を一つひとつプレゼンテーション(*)に組み込んでいくんです。
*:大会では、決められた制限時間内に「エスプレッソ」「ミルクビバレッジ」「シグネチャービバレッジ」の3種類のドリンクを提供し、抽出技術、コーヒーのクオリティ、美味しさを評価され点数を競い合うが、自分の使用した豆やそれまでのストーリーを含めて解説しながら競技を進めていく「プレゼンテーション」も大切なポイントとなる

確かJBCに初出場(2009年)した時は、成績はあまり良くなかったんですよね?

セミファイナルで9位でした。その当時の丸山珈琲は「バリスタ=ファイナリスト(*)」が当たり前で、バリスタと名乗っている人たちは皆、バリスタチャンピオンシップのファイナリストだったので、私はそこに到達できなくてめちゃくちゃ悔しかったです。
*:JBCでは世界大会と同様、予選から勝ち上がった上位者6名がファイナリストとして優勝をかけて競い合う

2009年のJBCにて

やっぱり負けず嫌いの性格もお持ちなのですね。

そうですね。負けず嫌いなのもありましたし、それ以上にこのままだとこの会社で生きていけないという危機感がありました(笑)。それで来年も頑張ろうと思い直したのですが、そこで競技を振り返ってみると、本番の舞台で美味しいエスプレッソが出せなかったことが一番の問題だったことに気づいたんです。多分舞い上がっちゃったんでしょうね。反省は色々あったのですが、何よりコーヒーをいい状態で審査員に出せていないことが悔しかったので、翌年の大会では自分のエスプレッソが一番美味しいって言ってもらえるように努力しました。

本番で舞い上がったことが原因だったのを、練習でどのように修正したんですか?

そもそもうちの会社でバリスタと名乗っている人たちの出すエスプレッソは、どんな状況でも常に一定以上の美味しさがあるんです。私のように自分の調子で味が変わるものを出していてはダメで、そこに目に見えない大きな壁があると痛感しました。今振り返ってみると、やっぱりコーヒーや機械への理解が足りなかったのもありますし、エスプレッソに対してそこまで掘り下げていなかったんだと思います。

優勝した年はたくさん練習しましたか?

凄く練習しましたけど、私は皆さんに力を貸してもらっておんぶに抱っこなんですよ。すごい手をかけてもらったんです。

接客をしていて、今でも印象に残っていることはありますか?

その後、翌年の2010年にJBCで初優勝したんですけど、当時山梨のお店で働いている時に地元のメディアの方がたくさん取り上げてくださったおかげで地元のおばさまたちがこぞって来てくださいました。普段あまりエスプレッソを知らない環境で暮らしているのか、ラテのことを「テラください」って言うんです。それでも「美味しい、美味しい」って言って飲んでくださる姿を見て、私個人の力では彼女達をそこに呼ぶことはできなかったので、大会やメディアの存在の凄さを感じました。優勝してメディアに取り上げていただいたことによって、その方にコーヒーが提供でき、ラテを人生で初体験してもらえたことに、凄く大きな可能性を感じたんです。

そして翌年も2年連続で優勝されたのですよね。日本のチャンピオンになるとWBC(ワールドバリスタチャンピオンシップ)の出場権を手にするわけですが、世界大会はいかがでしたか?

世界大会に行って、「自分は全然何も知らないなぁ」って感じました。一度目の世界大会は5位だったのですが、本当にアップアップで何もコントロールできてなくて、全く記憶がないくらいです(笑)。

左:2010年のJBCで優勝した時 右:2011年のWBCに出場した時の様子(写真中央にいるのが鈴木)

世界大会も予選はあるのですか?

はい、各国1名が国の代表として選ばれて、だいたい60カ国から来た60人で予選を2日かけて行い、そこから16人がセミファイナルに進み、最後に6人がファイナリストとして決勝を戦います。日本、オーストリア、アメリカ、カナダは結構レベルが高く、日本の国内大会もほぼ世界のセミファイナルやファイナルと同じくらいのレベルな気がします。

世界大会の言葉はプレゼンテーションも全て英語ですよね。日本大会でやるのと言葉の違いは大きくなかったですか?

凄く大きいです。英語は先生をつけて死ぬほど練習しました。話すことと作業することを、それぞれを別々にやるのはなんとかクリアできても、母国語ではない言葉に自分の感情を乗せて相手に伝えるということは本当に難しいですね。

他に大変なことはありましたか?

その年の開催地がコロンビアのポコタだったので、標高が結構しんどくて、体調も良いのか悪いのかよくわからない状態で常に息苦しい感じだったんです。ただ決勝の舞台はとても楽しくて、「もう一度あの舞台に立ちたい」っていう思いからもう一年やろうと翌年も挑戦しました。2年目の世界大会(2012年)は4位だったのですが、1年目のやりきれなかった思いと違って悔しさを強く感じました。

2012年のWBCに出場した時。右はファイナリストの6名たちと

その後、大会は少しお休みされて、再び挑戦しようと思ったのですね。

もう一回世界大会に出たいのか、あのまま丸山珈琲のスタッフとして大会に関わらないことがちょっと嫌だったのか、その当時の気持ちも色々ありましたね。それで出場したら結局国内3位(2014年)という結果で、やっぱりダメなのかなと思いつつも、会社内での立場も変わり、年々練習できる時間は少なくなるのでなかなか結果に繋がらなくて、このままやめた方がいいのかと3年ほど葛藤していました。この時期は自分の中でもがいていた暗黒時代です。

もがいていた時代がありつつも、それを振り切ったきっかけになったことはあったんですか?

続けてやることも大切だなと思いました。それに、負けた時の方がたくさん成長するヒントをもらうので、それを一つずつ真摯に改善していくことが重要だと気づいたんです。あとは人に伝えるためには手段を選ばない方がいいのかなって、コミュニケーションの取り方というか、自分にはカッコ悪いなって思うことでもわかりやすいこともあるんだなって。

例えば?

例えばプレゼンテーションの中で、「私のバリスタとしての工夫は〜、私のバリスタとしての課題は〜」という言葉の使い方はダイレクトすぎて嫌だって思ってたんですよ。ちょっとオラオラ系に感じてしまって(笑)。でも、競技時間15分という限られた時間の中で何かを伝えるにはなりふり構っていられないんですよね。それからは、つまらないプライドを捨ててどうしたらわかってもらえるかってことに力を注いだ感じです。

それでまた昨年のJBC(2016年)で優勝されたのですね。その時はどういうお気持ちでした?

これ以上何をやっていいかがわからなかったので、ホッとしました。

2016年のJBCで優勝した時

一度チャンピオンとしてメディアにも取り上げられ、世間からも評価されたのに、再度挑戦して何年も優勝できないのは結構しんどいのではないですか?それでも挑戦し続けるのはすごい強いメンタルをお持ちだからかと思うんですけど、どう維持するのですか?

究極のところはもう一度世界大会のファイナルの舞台に立ちたいという気持ちが一番自分を支えているような気がします。言葉には言い表せないんですけど、とにかく世界大会というあの場所でベストなパフォーマンスをやりたいんです。

世界大会に出てから、ご自身の中で変わったことはありますか?

視野は広くなったような気がします。それまでは自分のための大会であり競技だったのですが、世界大会に出た後は、自分がこの業界やコーヒーのために何ができるんだろうかとか、何をしなければいけないんだろうかって考えるようになりました。

日本人と他の国の人たちは何か違いますか?

難しいですが、日本のバリスタはすごいレベルが高く、探究心も強くて真面目なのですが、あまりにもストイックすぎる感じがしますね。世界大会に出場している海外の皆さんも真面目なんですけど、「コーヒーだから基本は楽しくないとね」という感覚がまずある気がします。

バリスタとしての鈴木さんのスタイルを一言で表すと?

柔らかい感じですね。良くも悪くも譲れないルールみたいなのはいくつかあるんですけどそれほど多くなくて、基本は変わることを拒否しないように心がけています。素材も機械も年々どんどん良くなっていく中で同じルールに縛られてしまうと破綻してしまうし、お客様もいろんな方がいるのでなるべく全てを柔らかく受け止められるようになりたいと思っています。

バリスタの資質として一番大事なことってなんだと思います?

柔軟性ですかね。

世界大会に出る前に、普段の生活で気をつけていたことなどありますか?

やっぱり体力も大切だと思い、今は色々と生活を改めまして4キロぐらいが限界でしたが週2回走って筋トレをしてました。きっと何かに活きるんじゃないかって、前向きになれました(笑)。

そして、今年韓国で行われた世界大会、いかがでしたでしょうか?

素晴らしいチームのみんながいてくれたし、客席にも日本にも自分を応援してくれる方がいて、力をもらって競技ができました。もちろんパーフェクトではないのですけど、やりきったし、まぁ良かったかなぁという感じです。もうこれが最後の世界大会だと決めていたので、今回は特に「色々細かいことはいいかな」と自分に言い聞かせてやり切りました。予選、準決勝、決勝の3日間では今回の決勝の競技が一番良かったと思うし、満足しています。

WBC 2017年の模様。準優勝のトロフィーを手に

好きな音楽、映画、アート、本はありますか?会場で流す音楽もご自身が決めるんですよね。

そうですね。ケイティ・ペリーとかコールドプレイとか、レッド・ホット・チリ・ペッパーズとかです。好きな曲は集中できるので競技でも使いますね。今年の大会では競技中に自分が一番楽しくなれる曲がいいなと思って、2曲ともコールドプレイを流しました。あとは最近Netflix(オンライン動画サービス)の料理の番組にハマっていて。

お料理もするんですか?

本格的にするっていうほどはしないんですけど、食べるのが好きです。Netflixのシェフに密着するドキュメンタリー番組で、モデナという田舎にあるレストラン「Osteria Francescana(オステリア・フランチェスカーナ)の料理人マッシモ・ボットゥーラを密着した回が衝撃的で心に残っています。彼は基本的に全てを肯定して、何かアクシデントが起きた時にもそれを武器に変えてポジティブに前進する強さがあって、人生が常に楽しそうなんです。例えば、日本人のスーシェフ(*)が最後の1個の大切なチーズケーキを落として崩しちゃった時、そこから 「チーズケーキ落としちゃった」っていうメニューが生まれているんです(笑)。「そのメニューを見るたびに苦い思いになりますね~」ってスーシェフがコメントしていたのですが、楽しそうなワクワクが凄く詰まっていると思いませんか。なかなか行けるような場所じゃないんですが、人生で一度行ってみたいなって思いました。
*:sous-chef。シェフを補佐する副料理長のこと

今、一番気になる人は誰ですか?

今年の国内バリスタチャンピオンになった石谷貴之さんです。彼がどんな競技をするのかも楽しみです。すごい楽しみなのと、心配なのと、お手伝いしたいなっていう気持ちで今一番気になってます。彼の周りには強力なサポーターがたくさんいるんですけど、私も前チャンピオンの岩瀬由和さんや井崎英典さん、中原見英さんに凄くお世話になっていろんなアドバイスや助言いただいて助けてもらっているので、私も石谷さんに何かお手伝いできることがあったらいいなって思ってます。

他人が思う自分と、実際の自分自身とのギャップがあると感じることはありますか?

あります。バリスタの仕事をしている鈴木樹と実際の自分が若干違うところがあるので。実際はちょっとだらしないし(笑)、それに人見知りなので、仕事以外で全然知らない人に急に話しかけられると対応できないです。とは言っても話しかけられることもあるので、なるべく仕事のスイッチを家まで持たせるようにしてます(笑)。

憧れの人は誰ですか?

たくさんいすぎて、難しいですね。憧れというか、純粋に尊敬している人ですとやっぱり丸山珈琲社長の丸山健太郎かな。

彼の最も凄いところはどこですか?

上司なので凄く厳しい部分もたくさん知ってますけど、情に厚いというか懐が深いんです。常に前に進まないといけない立場にいるからだとも思うんですけど、本当にいろんな人やものを受け止めてアウトプットしているところは、自分にはまだまだできないことなので凄いと思います。

これからの鈴木さんの夢を教えてください。

いろんな方がたくさん力を貸してくれたので、それをいい形で恩返ししていきたいなと思っています。それから、コーヒーが「文化」になるのってやっぱり時間がかかることだと思うんですよ。「スペシャルティコーヒー」(*)はまだ始まって10年、20年で、もちろん広まってきてはいるんですけど、文化という意味でまだ定着してないと思っていて、漠然としていて具体的にどうするべきかはまだわからないのですが、そのために自分が何かをしたいなっていう夢は持っていますね。
*:スペシャルティコーヒーとは、トレーサビリティがとれていて、コーヒーの液体の風味が素晴らしい美味しさであり、際立った印象的な風味特性のほか、爽やかな明るい酸味や甘味ある後味など、消費者が美味しいと評価して満足するコーヒーのこと

左:2011年のWBCにて。丸山珈琲、カッパー/バリスタの中原見英(左)、バリスタトレーナーの阪本義治(右から2番目)、社長の丸山健太郎(右)と。
右:バリスタの井崎氏にトレーニングを受けている様子

鈴木さんにとって、成功とはなんですか?

後悔がないことです。競技ではもちろん結果として順位がつくこともあるし、自分のパフォーマンスに対して後悔する時もあるんですけど、自分が自分のできる最大限のことをやりきれたかどうか、後悔はないと思えるかどうかが私にとっての成功です。

3年後、5年後、10年後の自分はどうなっていると思いますか?

まだ具体的に描けないこともありますが、どこかで楽しくコーヒーを淹れているのは間違いないと思います。

鈴木樹 Information