BICULTURAL SOULS
#5 | Dec 20, 2016

憧れのユーミンを撮り続けて15年。LGBTのアクティビストとしても活躍する写真家のレスリー・キーが希望する日本と世界の未来とは

Interview: Satoshi Castro / Text & Photo: Atsuko Tanaka / Video: MRK

様々な分野で活躍する日本在住の外国人の方々をインタビューし、日本と祖国の文化の違いなどをお話し頂くコーナー“Bicultural Souls”。第5回目のゲストは、シンガポール出身のフォトグラファー、レスリー・キーさん。13歳の時、幼い妹のために家族写真を撮るのをきっかけに写真に出会い、同じ頃、日本の音楽や文化に触れる。自ら働いたお金で19歳の時に日本に留学。学校に通い続けながら、仕事と作品撮りの日々を送る。卒業後、山口小夜子さんの目にレスリーさんの作品が目に留まったことから、フォトグラファーとしてのデビューを果たす。デビュー後は、瞬く間に人気を博し、現在も世界中の著名人を精力的に撮り続けている。シンガポールで暮らしていた幼少期から青年期、日本へ来てデビューするまでの苦労話や、ずっと憧れだった松任谷由実さんとの撮影話、LGBTのアクティビストとして活動などについて聞かせてもらった。
PROFILE

写真家レスリー・キー

写真家 / シンガポール生まれ。 アート、ファッション、ドキュメンタリー、広告、CD ジャ ケットの撮影、PV 映像監督などを中心に 東京、PARIS、NY、アジア各国で活動。 世界中のスーパーモデルやセレブリティを撮影し続けている世界で知られる写真家の 一人。 スマトラ沖地震津波被害者支援のために約 300 人のアジアのトップアーティス トを撮りおろした写真集『SUPER STARS』、 東日本大震災チャリティ写真集 『TIFFANY supports LOVE & HOPE by LESLIE KEE』(2012年)が第40回APA経済産業大臣賞を受賞。 日本のLGBTのポートレートを撮影するプロジェクト「OUT IN JAPAN」、第19回文化庁メディア芸術祭エンタテインメント部門審査委員推薦作品に選出され、 2016年4月には合計1000人の当事者の撮影を達成。 また、初監督ショートムービー「THE INDEPENDENTS 」がPARISにて開催された 2015 ASVOFFのコンペディション作品にノミネートされ、BEAUTY PRIZE AWARDを受賞。 2016 年より NHK と共に 2020 年東京オリンピック・パラリンピックに向けたポートレート企画 「→2020 レスリー・キーがつなぐポートレートメッセージ」もスタートさせた。

レスリー・キー

レスリーさんはシンガポールの生まれ育ちですが、どのような環境でどんな子供時代を過ごしたのですか?

私は、母と祖母と妹の4人暮らしの家庭で育ちました。当時はシングルマザーの家庭はすごく少なく、僕は父親がいないことにすごくコンプレックスを感じていました。学校で先生が家族のことを聞く時は、いつもあてられない様に他の事をして逃げてましたね。とても静かでシャイな子供でした。当時のシンガポールはまだ貧しくて、シンガポールのお金持ちのほとんどは日本人。私にとって日本人は、とてもエリートでオシャレで憧れの存在でした。

お母様やおばあ様はどんな方でしたか?

母は、僕が小さい頃からずっと働いていたからあまり家にはいなかったのですが、とても優しくて、感謝の気持ちを持つことや、人に優しくすること、困っている人がいたら助けてあげるなど、人として大事なことを教えてくれました。祖母はちょっと厳しい人だったけど、愛情を持って私と妹を育ててくれました。

そのお母様が、レスリーさんが13歳の時に他界されたんですよね。

母は39歳で癌で亡くなりました。僕が17歳の時です。そして、その3年後に祖母が亡くなりました。親戚は遠い親戚ばかりだったし、妹もまだ8歳と小さかったので、私は高校に行かずに13歳の頃からバイトしていた工場で働くことにしました。妹の学費を払えるし、自分の洋服や大好きな日本の音楽のレコードも買えるからね。私は昔から働き者なんです。

10代の頃から日本の音楽が大好きだったそうですが、どのようにして知ったのですか?

私が働いていた工場はカセットテープを製造する日本の工場で、多くの日本人が働いてました。特に若い人が多く、シンガポールの若者達にも日本の音楽を知ってほしいと、当時流行っていた曲をカセットテープに録音してくれたんです。最初は中森明菜さんや、松田聖子さん、チェッカーズなどを聴いて、すごく好きになりました。もっと違う音楽も聴いてみたいと言ったら、ユーミンや山下達郎さん、オフコースなどを録音してくれて、さらにはまって。特にユーミンの大ファンになって、ユーミンの豪華なライブの話を聞いては色々想像をして、いつかユーミンのライブを観てみたいと思うようになりました。

写真を撮り始めたきっかけは?

私は子供の頃から家族写真がほとんどなく、寂しい思いをしてきたので、妹にはそうなってほしくないと、13歳の誕生日プレゼントに母にMINOLTA X-700を買ってもらいました。カメラの凄さに圧倒されたのを覚えてます。その頃からよく読んでいた「明星」や「平凡」の表紙のアイドルの真似を妹にさせて撮影して、「まだ終わらないの?もう撮られたくない」っていつも言われてました(笑)。私がこうしてフォトグラファーになれたのは妹のおかげですね。

日本語はどうやって勉強したのですか?

最初は働いていた工場の仲間から学びました。カラオケに一緒に行くこともあって、そこでも覚えましたね。日本に来る前は、シンガポールで日本語のレッスンを受けました。

初めて日本に来た時の印象はどんなでしたか?

初めて日本に来たのは93年の12月。まず凄い寒さにびっくりしました。初めて雪を見た時も感動しましたね。東京の人はみんな忙しくて、中々相手にしてもらえないという印象でした。新宿に行った時は、アルタスタジオのモニターの大きさにあっけにとられて、口を空けたまま何分間か見続けたのを覚えてます。あとは、さくらやで見たことのないカメラや機材を見て感動したり、新星堂や紀伊國屋で大好きな日本の歌手の写真集を見たり、レコードを聴いたりして、もうここで死んでもいいって思うくらい天国にいる様な気分でした。

最初は留学で来たのですか?

学生ビザを取って、一年間日本語学校に通いました。その後はシンガポールに戻る予定だったけど、出来ればもっと永く住みたいと思って、バイトを掛け持ちして学費を貯めて、東京ビジュアルアーツに入りました。

そこで写真を学んだのですね。東京ビジュアルアーツで学んだことで今の仕事にも活かせていることはありますか?

学校にいた頃は、大体いつも1灯のライティングで撮影していたんですけど、1灯でどうかっこ良く撮れるかはすごく大事で、それは未だに変わらない。多分他のフォトグラファーも同じだと思うけど、写真を続けていく中で自分の好みや作風は変わっていっても、大体また最初のスタイルに戻りますよね。1灯のライティングでかっこ良く撮るということは私にとっての原点で、今でも大事にしていることです。

学生時代はどんな生活を送っていたのですか?

学校に通いながらバイトをしていたのですが、いつもバイトに遅刻しないように必死でした。毎日学校が終わったら、急いで駅まで走って電車に飛び乗って、また駅からバイト先まで走って。その頃の自分を思い出すと、とにかく走ってましたね。バイトは病院の床掃除から皿洗い、ビラ配りなどたくさんやりました。バイトがない時は作品撮り。当時私が働いてた新宿歌舞伎町にはイスラエル人が多くいたので、彼らに声をかけ、モデルになってもらいました。イスラエル人は混血が多いから、かっこ良くて雰囲気があって、クールな人が多いんですよ。

卒業後は、どのようにして写真の仕事を得ていったのですか?

卒業した後、10軒くらい撮影スタジオに面接に行って、10名くらいの写真家の面接を受けたけど、ほとんど相手にしてもらえませんでした。最初の1年は辛かったですね。結局、友達にモデル事務所を紹介してもらって、若手のモデルを撮る様になり、そこから広がっていきました。大きなターニングポイントとなったのは山口小夜子さんと出会ったこと。now fashion agencyという事務所にたまたま小夜子さんが遊びにきて、その事務所に貼ってあった私の写真を見て、小夜子さんが私に撮ってもらいたいと言ってくれたんです。そして、「家庭画報」と「メープル」という雑誌で小夜子さんを撮影しました。それが私の最初の仕事で97年のことです。それから「SPUR」や「装苑」「FIGARO」、「ELLE」からも仕事をもらう様になりました。想像以上に一気にたくさんの仕事が舞い込んできて、もう撮るので精一杯。私には師匠もいないし、経験もなかったから不安ばかりでしたが、そのうち雑誌の表紙も任されるようになりました。

大好きだったユーミンさんと初めて仕事した時の思い出や、感想を教えて下さい。ユーミンさんにはご自分からアプローチされたんですか?

98年の終わりから2000年頃にかけて、毎月のようにVOCEの表紙を撮影していたのですが、ユーミンを撮影したいとずっと言い続けてきた私に、VOCEの編集者がユーミンの撮影の機会を与えてくれたんです。そこで、ユーミンのために何かサプライズをしたいと考えました。ユーミンと言えばラブストーリー。色んなラブストーリーがあることを写真で表現しようと思って、内緒でたくさんのモデルの友達に声をかけて、撮影に来てもらいました。ユーミンがヘアメイクをしている間にモデルたちを並ばせて、何も知らないユーミンを驚かせました。そうしてユーミンとの関係は始まり、それから15年間撮り続けてます。

今まで世界中のセレブやモデルなどたくさんの著名な方々を撮られてきましたが、撮影する上で一番大事にしていることは何ですか?

1分とか3分といった短い撮影時間でも、被写体に対して自分が誠意を持って撮影したい気持ちや、LoveとRespectを伝えたいと思ってます。伝え方は色んな方法があるけど、まずその人の目を見て挨拶して、心を感じる様にする。そうするとお互いに化学反応が起きて、良い写真が撮れると思います。

レスリーさんが駆け出しの頃と今の日本の写真業界を比べて大きく変わったと思うところは?

私が尊敬している写真家の先輩達は歳を重ねても、変わらずに現役で走ってる人たちばかり。それに比べて私と同年代の写真家達は、同じ様に走ってはいるけど、先輩達の早さにはついていけてないように思います。

それはなぜなのでしょう?

やっぱり先輩達のハングリーさと夢の大きさには勝てないからなのかな。例えば、操上和美さんは今80歳で、アラーキーさんと篠山紀信さんは76歳、坂田英一郎は75歳。彼らが活躍していた70年代後半と80年代は日本も世界も、自分を表現できる可能性や自分が特別になれる可能性など、多くのチャンスがあったと思うんです。でもデジタル化が進んで、今は誰でも簡単に写真が撮れるようになって、写真家のスタンダードが崩れてスペシャリティーになるのが難しくなった。情報がありすぎるせいで、人が成長するスピードは遅くなってるのかもしれないですね。あと、日本はクリエイティヴィティの国と言いながら、コマーシャル化しすぎて多くのクリエイターを潰してしまいましたね。

レスリーさんが今、一番気になる人は誰ですか?

いっぱいいますが、俳優だったらジェームズ・フランコ。言うまでもなく彼は役者としてすごい評価されているけど、それ以外でも色々と大胆なチャレンジをして、アート業界の新しい可能性を創れる人かなと思ってます。いつか撮れたらいいな。

今取り組んでいるプロジェクトについて教えて下さい。

NHKで東京オリンピック・パラリンピックに向けて「レスリー・キーがつなぐポートレートメッセージ」というプロジェクトを行なっています。多くのアスリートや著名人の方を始め、一般の方々にも夢や目標を色紙に書いて掲げてもらい、それを僕が撮影しました。夢や目標を共有することで、より良い未来を築きたいという思いから始まった企画です。映像も撮影したのですが、MVではユーミンの「やさしさに包まれて」を提供してもらえて、本当に感無量です。多分、私にしか出来ない作品に仕上がったと思うので、凄く幸せです。

日本語の好きな言葉、また母国語で好きな言葉は何ですか?

日本語は「ありがとう」。英語は「Love & Respect」。私はいつも文章の終わりにLove & Respectと書いてますが、その気持ちさえ持っていれば、きっとすごい事が出来ると思ってます。

日本の良いところと、悪いところを1つずつ教えて下さい。

良いところは、礼儀正しいところや、繊細でおもてなしの気持ちを持っているところ。侘び寂びも含めて、昔から受け継がれてきた日本の精神を若い人たちに忘れてほしくないですね。これからデジタル化が進んでも、グローバル化しても、日本の魅力をずっと守り続けてほしい。悪いところは基本的にないと思います。なぜなら、自分の見方次第で何が悪いのかは変わるから。もしあるとしたら、日本に対する理解が足りないんだと思います。昔からある国の習慣や方針は、革命的なリーダーが出てこない限り、中々変わらないでしょう。価値観もそれぞれの国で違うし、外国人から見ると良くないことだと思っても、その国の人たちにとってはそれが普通だったりするんですよね。

外国人が日本で何かを成し遂げるために、やった方が良いことや、気をつけた方がいいことは何ですか?

どこの国にもその国のルールというものがあると思います。私は日本の一部の業界の人達に“ルールを破る人”と思われているけど、それは誤解で、私はルールを破ろうとしてるんじゃなくて、新しいルールを提案したいだけなんです。ルールを守りながら、新しい提案をして、それがアジャストしていけば、もっと良くなっていくと思う。だから日本に住む外国人の方も、日本のルールや文化、考え方を理解して行動しながらも、自分のアイデンティティを捨てないでほしい。せっかく日本に来てるんだから、自分のアイデンティティと自分が出来る事や自分の魅力、自分の国の魅力を日本の人達に知らせましょう。そしたらお互いに学びがあって、成長し合えると思います。

反対に海外進出を目指す日本人に、心構えやアドバイスをお願いいたします。

とにかく日本を出たらいいと思います。日本は他のアジアのどの国よりも、経済力があるから、ある程度働けばお金を貯めて海外に行けるでしょ?例えば、ベトナムとかカンボジアとかの若者達はパスポートさえ持ってない人もいて、外国に行きたくても行けないんです。日本人はバイトすれば行けるんだから、どんどん行って、どんどんカルチャーショックを受けて、恐れず体験することが大事だと思います。自分が想像する以上の可能性がどこかに待ってるから、あとは行くだけ。

日本と世界全体に対して、変化が必要だと思う点を教えて下さい。

日本は先進国なのに、LGBT(同性愛者や両性愛者、性別越境者などの人々を意味する)に対する認識が凄く遅れていると思います。ゲイもレズビアンも人間なんですから、人間の基本である人を愛することの大事さを分かってほしいです。そして、日本でも早く同性婚が認められたらいいなと思います。2020年までにそうなるのが理想です。そうなったら、世界中の人達が日本に影響を受けると思うし、差別も失くせて、ダイバーシティー(多様性)に対して理解が深まると思います。世界に関しては、どこの国も政治が複雑すぎてメディアが言ってる事が正しいかどうか分からないし、100%信じる事は出来ないですよね。日本の若い人たちにも、もっと世界の環境や平和に対して関心を持ってもらいたいですね。

今後、写真や映像で挑戦してみたいことはありますか?

いっぱいあります。SNSでアップしている写真を本にしたり、Tシャツやグッズにして、展覧会もやれたらいいですね。たまに学校で講演もしていますが、これからもやっていきたいです。映像に関してはまだまだ新人ですけど、ドキュメンタリーやファッション、アーティスティックなコンテンポラリー作品や、短編映画、長編映画など色々チャレンジしていきたいです。これからはもっと沢山の仲間を増やして、監督として作品を作っていきたいと思ってます。長編映画は頑張って50歳までに撮りたいですね。

レスリーさんにとって成功とは何ですか?

有名になることや名声を得ることを成功だと思っている人は多いように見えますが、僕はその二つは全く別のことだと思う。たとえ、名声を得ることが出来たとしても、一生続くものではないと思います。成功とは自分の夢や目標が達成された時に得る自分へのご褒美みたいなものだと思う。そうするには、あらゆる機会に感謝の気持ちを持って、自分自身を含め、家族や友人など自分の周りにいる人たちを愛して大切にすることが大事。自分を応援してくれる人がいれば、どんなことも挑戦出来るはずです。

それでは最後に、世界の未来についてどう思うか教えてください。

世界が平和になってほしいし、戦争がなくなってほしいと思います。国同士の問題、人種の問題、性別の問題、宗教の問題、全てにおいて一日でも早く、少しでも問題を減らせたら、苦しんでいる人たちが減っていきますよね。どこかで誰かが苦しんでいると思うと、一瞬はハッピーになれても、心の底からハッピーになれません。世界中がハッピーになってほしいけど、これは永遠の課題ですね。みんながもっと感謝の気持ちを持って、生きる力や生きる意味を感じるようになればいいなと思うし、いつ死んでも悔いはないんじゃないかな。だって死は誰にでもいつか訪れるから。だから悔いが無いように毎秒生きていければと思います。

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