SPECIAL
#6 | Oct 1, 2018

魂に響く衝撃的なインプロで観客を魅了するアルメニア人天才ピアニスト、ティグラン・ハマシアン。制限の先にある自由を求めて

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

各々のフィールドで専門性を極め、グローバルな視点と感性を持って、さらなる高みを目指す海外のアーティストやビジネスパーソンなどをインタビューするコーナー「INLYTE(インライト)」。第6回目は、ピアニストのティグラン・ハマシアン。ジャズ、ロック、メタル、アルメニアの伝統音楽など、あらゆるジャンルのサウンドが織りなす独自の世界観は、多くの聴衆の心に衝撃を与え続ける。
PROFILE

ジャズピアニストティグラン・ハマシアン/Tigran Hamasyan

1987年、アルメニア生まれ。 3歳の頃から、家にあったピアノでレッド・ツェッペリンの曲を弾き語り、11歳から様々なフェスティバルやコンクールに出演。ジャズ、ロック、クラシック、アルメニア民謡、エレクトロニカと様々な音楽を吸収しながら、10代を過ごす。2006年、弱冠19歳で、新人ジャズ・ミュージシャンの登竜門「セロニアス・モンク・コンペティション」にて優勝を果たす。ジャンルを超越した音楽を生み出し、クラシック音楽ファンから、エレクトロニカのファンまで世界各地の聴衆を熱狂させている。 2015年に発表されたデスメタル的作品「MockRoot」(Nonesuch)は、音楽シーンに強い衝撃を与えた。その後間もなく発表されたアルメニアの聖歌隊との作品「Luys i Luso」(ECM)では、ティグラン自身のルーツであるアルメニアの5世紀の音楽を掘り起こし、現代に蘇らせた。 そして、2016年にエレクトロニカのJan Bangらと共に「ATMOSPHÈRES」(ECM)を発表。その猛烈なスピードの創造性は、ブラッド・メルドーをはじめ、現代を生きる様々な国のミュージシャンたちにも、音楽的な影響を与えている。人間の音楽という概念を越えたティグラン・ハマシアンのピアノの響きは、聴くものの魂に直接語りかける。 2017年「An Ancient Observer〜太古の観察者〜」(Nonesuch)を発表。2018年に発表した最新作が今回の公演タイトルにもなっているEP「For Gyumri」(Nonesuch)。

4歳でレッド・ツェッペリンの曲をピアノで演奏。デスメタルにインスパイアされたジャズの即興を作り上げ、アルバムをリリース

アルメニア生まれのティグランは、3歳よりピアノを弾きはじめ、4歳になる頃には、レコードから流れるレッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどの曲を聴いただけで弾けるようになる。ピアノの先生について音符や音階などの基礎を習ったのは5歳になってからのことだった。11歳になるとジャズに夢中になり、集中的にビバップを勉強するのと同時に、様々なフェスティバルやコンクールに出演。2003年に米国ロサンゼルスへ移住し、より深く音楽への探求を続け、2006年に新人ジャズ・ミュージシャンの登竜門「セロニアス・モンク・コンペティション」で優勝する。

 

その後は世界中をツアーしながら活動を続けていたが、2012年に祖国アルメニアへ一時帰国した際に、自身の人生における大きな変化をいくつか経験し、2015年にアメリカからアルメニアに永久帰国することを決心する。そして同年、デスメタル的な楽曲が印象的な「MockRoot」をノンサッチ・レコードから、その翌年にECMレコードからのデビュー曲で、アルメニアの5世紀の音楽を現代に掘り起こした「Luys i Luso」を立て続けにリリース。そしてエレクトロニカのヤン・バン(Jan Bangらと共に「ATMOSPHERES」 を発表。その翌年には、再びノンサッチ・レコードから「An Ancient Observer~太古の観察者~」を発表してワールドツアーを行った。今秋、東京ジャズフェスティバルへの出演と、自身のジャパンツアーのために来日したティグランに、今までの音楽との関わりや向き合いかた、ライブ後の身体のメンテナンスやライフスタイル、アルメニアの風土について、また成功やチャンスなどの話を聞いた。

 

選択肢が多い今の時代だからこそ、ひとつのことに集中することが大切。自分のリミットを打ち破って新しい世界を見続けたい

東京ジャズフェスでのパフォーマンスはいかがでしたか?

凄く良かったよ。とても楽しんだね。

 

ライブを初めて観て衝撃を受けました。ティグランさんの曲はジャズとカテゴライズして良いのですか?

ジャズでもあるし、色々な音をミックスしたものでもある。自分が愛する音楽と、ジャンルを超えたあらゆる音楽からインスパイアされたものが僕の音楽を作り上げているからね。僕は常に自分の好きな音楽を探しているんだ。

 

夜の部は、ティグラン・ハマシアン・トリオとハービーハンコックさんの2組が出演されましたが、ハービーさんと東京で同じ舞台に立った心境は?

ハービーは僕にとってすごく意味のある人だから、今回こうして一緒に出演できてとても光栄だったよ。僕が2006年に出場した「セロニアス・モンク・コンペティション」で彼は審査員だったし、ハービーのコンサートでは僕のジャズバンドが前座を務めたこともある。昔も今も、彼からはものすごい影響を受けているし、僕の大好きなジャズのアルバムの一つは、ハービーの「Empyrean Isles」なんだ。

 

ティグランさんは、パフォーマンス中にかなり激しく動きますね。ショーの後は疲れないですか?

小さい頃からよく動き回る子供だったから、激しく動くのは今も変わらないね。でも最近はショーの後、少し疲れるようになってきた。それに、演奏中は身体が緊張状態にならないようにキープするのは結構大変なんだ。公演前は練習もするけど、リラックスもするようにして、ストレッチや演奏前のウォームアップは欠かさないようにしてる。セラピストのところにマッサージを受けに行って、メンテナンスもしているよ。

 

—幼い頃の話を少し聞きたいのですが、ピアノは3歳の時に始めたそうですね。

そう、それで4歳の頃にはレッド・ツェッペリンとかディープ・パープル、フランク・ザッパとかを真似して弾けるようになった。父親が音楽好きでレコードをたくさん持っていたから、いろんな音楽を聴いていたね。彼がレコードをかけるたび、僕は興奮して歌っていたんだ。

 

ピアノは誰に教わったんですか?

誰にも教わらずに耳で聴いたものを自分で真似して弾いたり、父親がちょっと教えてくれたり、5歳になると先生について音符とか音階とかを教えてもらった。特にアルメニアがソビエトの支配下にあった時代は、子供の頃にピアノを習うのが一般的で、大体どこの家庭にもピアノがあったんだ。

 

ティグランさんの音楽にジャズの要素が入ってきたのはいつ頃からですか?

叔父がジャズ好きだった影響で、11歳くらいの頃に夢中になった。ジャズ以外は何も聴かないような時期が3年ほどあったよ。叔父がバーハック・ハイラペジャンというビバップのピアニストのところに僕を連れて行ってくれて、そこで1年くらいビバップを集中的に習ったんだ。

 

—ジャズ以外は聴かないとは、徹底してますね。

ひとつのことに深く集中するのはすごく大事なことだと思う。深く探求してある程度のレベルに到達すると、それが本当に自分がやりたいことなのかどうかがわかるからね。そうやって僕は、ビバップは自分のやりたいことじゃないって気付いたんだ。

 

ジャズのどんなところを好きになったのですか?

僕がジャズを選んだ理由は、インプロビゼーション(即興演奏)。ジャズやインプロがどんなものかを理解する前から、インプロで弾くのが好きだった。すでにあるものをアレンジするだけでなく、何かコードを見つけてそこから曲自体を組み立てながら弾いていくこともあるよ。

 

ティグランさんは、メタルもお好きなんですよね?

数えるほどしかいないけど、音楽に知性があってソウルを感じるメタルバンドが好きなんだ。メシュガーとか、とか、あとはもう少しソフトなロックも好きだよ。グリズリー・ベアもすごく知的で美しいね。他には、エヴリシング・エヴリシングとか、もう解散しちゃったけど、デンマークのバンド、エフタークラングも最高にいいバンドだ。

 

—日本のバンドで知っているグループはいますか?

東京ジャズフェスで演奏していたコーネリアスのことは聞いてはいたけど、彼らの音楽についてはあまり知らなかった。小曽根真さんは本人も音楽も知っているし、もちろん上原ひろみさんも知っている。

 

では、アルメニアの国のことを聞きかせてください。どんな所なんですか?

アルメニアは岩山がたくさんあって荒削りの自然に囲まれている一方で、スイスのような水と緑が豊かな場所もあって、いろんな顔を持っているね。四季があって、夏は凄く暑くて、冬は凄く寒い。全てが小さく収まっている。僕は首都エレバンの郊外に住んでいるんだ。

 

—ティグランさんの音楽は、そうしたアルメニアの風土からも影響を受けていると思いますか?

アルメニアの人々の性格は感情的ですごくラフだから、音楽もとてもパワフルで情緒的。僕にとってはそれら全ては繋がっていて分けられないものなんだよね。その地域で生まれた音楽、建物、ダンス、人のキャラクターとか全てがきっちり繋がっていて分けられないものなんだ。

 

日本人のことはどう思う?

日本はまだ東京と九州と沖縄しか行ったことがないから他はわからないけど、すごく平和を感じるよ。日本のように緑が多く湿度があるところに住んでいる人は穏やかな傾向があると思う。あと、日本の音楽も映画も、音と空間に特別なアプローチの仕方がある気がする。

 

興味深いです。日本とアルメニアの観客は違いますか?

全然違うね。日本の観客は、演奏中は感情を見せないけど、演奏後に見せるよね。

 

日本人は演奏を聴くのに集中していますから(笑)。

そうだね、それは凄く良いことだと思う。アルメニア人は対照的に、演奏中に叫び出すよ(笑)。演奏を邪魔しようとしているわけじゃないんだけど、自然にそうなっちゃうんだよね。イタリア人みたいな感じ。

 

ティグランさんにとって音楽とは何か?と聞かれたらどう答えますか?

音楽より好きなものはない。もちろん家族とかそういうのは別にしてね、それにはまた違う価値があるから。でも、自分が生涯をかけてやりたいことは音楽以外に何もないよ。歴史や建築、映画やビジュアルアーツとかにインスパイアされることはあるけど、やっぱり僕には音楽しかないんだ。

 

音楽を演奏する上で一番大事にしていることは?

僕が音楽をやる目的は、聴いている人たちの魂を覚醒させること。これが僕にとって音楽を演奏する上で一番大切なことだよ。音楽が体だけに行き届くのも、マインドだけに届くのも嫌だし、感情的なものとして捉えられるのも嫌だね。バランスを取ることが大事だと思う。

 

—とても深いですね。どうやってそのバランスを取るんですか?

意図的にバランスを取ることはなくて、僕はいつも観客を後押しするだけなんだ。それで何が起ころうが、彼らが理解しようがしまいが、自分が好きなことをやると決めているよ。

 

—演奏中はどんなことを考えているのか知りたいです。

理想的なのはあまり考えないことだよね。即興音楽って演奏中に考えすぎると分析的になってしまうから、力を抜きつつ、その時の成り行きに任せてやって行く一方で、コントロールを保つことが大切。だからバランスが大事なんだよね。

 

—あなたの人生において一番影響を受けた人を挙げるとしたら?

たくさんいるから一人に絞ることはできないね。でも一番感謝してる人は叔父。両親ももちろんそうだけど、叔父は僕の才能を見出してくれた人で、僕がアーティストとして成功するために一生懸命面倒を見て応援してくれた。2012年に彼が亡くなるまで、僕らはいつも一緒にいたよ。

 

—この先の予定についても伺いたいのですが、オダギリ ジョーさん初監督作品の長編映画の音楽を担当されるそうですね。

制作はこれからなんだけど、彼が僕の音楽を聴いて作品に合っていると思ったらしく、マネージメントを通して連絡をくれた。それから彼は、僕に会いにわざわざアルメニアまで来てくれたんだよ。僕の家に来て、義母と奥さんが彼のために料理を作ったり、12世紀に建てられた近所の修道院を案内したり、バーベキューしたりしたよ。

 

—あなたのようなアーティストになりたいと頑張っている若きミュージシャン達にアドバイスをいただけますか?

まず、自分以外の誰にもなろうとするなって言うよ(笑)。とにかくまずは、自分が音楽の何が好きなのかを知ることだね。そして、仕事をたくさんして、本当にやりたいひとつのことに集中するんだ。そうすることで出発地点と自分が進むべき方向が見えてくるから。今の時代はできることの選択肢が多すぎるから、逆に制限をかけることで自由を得るといいと思う。

 

—それでは最後に、 ティグランさんにとって成功とはなんですか?

音楽をクリエイトし続けること。そして、自分のリミットを打ち破って、新たな音楽を発見すること。今まで築き上げたものも大切だけど、だからと言って守りに入るようなことはしたくない。僕の音楽を聴いてくれるお客さんは大事にしたいけど、彼らの反応ばかりを気にするようなこともしたくないんだ。だから、たまに練習が必要だと思ったら、コンサートの予定を変更することもあるよ。一番大事なのは他人の評価じゃなく、自分自身がどうしたら納得できるかを知ることだと思う。

 

ステージでの激しいパフォーマンスとは対照的に、とても穏やかな優しい笑顔で、自身についてをたくさん話してくれたティグラン。ひとつのことを納得するまでとことん追求するからこそ、誰もがまだ見ぬ斬新な世界を見せてくれるのだと実感したインタビューとなった。次にどんな景色を見せてくれるのか、次回の来日を楽しみに待とうと思う。

ティグラン・ハマシアン Information