SPECIAL
#8 | Nov 21, 2018

ジャズに居場所を見つけたイスラエル人のジャズピアニスト、シャイ・マエストロ。独自の想像力とインプロが織りなす美しい世界

Interview: Kaya Takatsuna / Text & Photo: Atsuko Tanaka

各々のフィールドで専門性を極め、グローバルな視点と感性を持って、さらなる高みを目指す海外のアーティストやビジネスパーソンなどをインタビューするコーナー「INLYTE(インライト)」。第8回目は、イスラエル出身のジャズピアニスト、シャイ・マエストロ。インプロヴィゼーション(即興演奏)を大切にする彼の音楽は、映画のシーンのような美しく儚い情景を描かせ、記憶の底にある何かに訴えかけてくる。
PROFILE

ジャズピアニストシャイ・マエストロ / Shai

1987年、イスラエル生まれのジャズ・ピアニスト。5歳からクラシック・ピアノ、8歳からジャズの演奏をスタートさせ、テルマ・イェリン国立芸術高等学校でジャズとクラシックを学んだ。2006年からはイスラエル・ジャズ・シーン確立の立役者の一人であるであるベーシストのアヴィシャイ・コーエン(b)のグループに参加し、注目を浴びる。2010年に自身のユニットを結成。並行してテオ・ブレックマンとのコラボレーション、マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット等でも才能を発揮してきた。2017年には、自身のバンドで東京JAZZのメイン・ステージで演奏する等、日本での人気も高い。またこれまでに4枚のリーダー・アルバムをリリースしており、ECMデビュー・アルバムとなる『The Dream Theif(ザ・ドリーム・シーフ)』はシャイにとって5枚目となる。

バークリーの奨学金を辞退して独自の道を進んだことが転機に。アヴィシャイからの学びを活かして自身のトリオを結成

イスラエル出身のシャイは、5歳でクラシックピアノを弾き始め、8歳の時にジャズピアニストのオスカー・ピーターソンに影響を受け、ジャズを習い始める。その後、イスラエルの都市、ギヴァタイムにあるテルマ・イェリン国立芸術高等学校に入学し、ジャズとクラシックの両方を学んだ。在学中の2002年とその翌年には、「The National Jazz Ensembles Competition Jazz Signs」 で 優勝し、アメリカ・イスラエル文化財団より2004年からの6年間の奨学金を得て、14歳でアメリカの音楽の名門校、バークリー音楽大学の夏のプログラムを受講する。その後、16歳にして同校から全奨学金をオファーされるも、先生と母親に諭され、シャイはそれを辞退することを決意。

 

そして高校を卒業後、独学で音楽を学び続けていたシャイに、ある日世界的に有名なベーシスト、アヴィシャイ・コーエンから運命の電話がかかってきた。そこでシャイはアヴィシャイのメンバーに誘われ、トリオに参加することが決まったのだ。それから数年間、アヴィシャイと共に、世界各国のツアーやフェスを巡り、「Gently Disturbed」や「Seven Seas」など4枚のアルバムにも参加。アヴィシャイからプロのミュージシャンとしての演奏や技術から立ち居振る舞いまでを全て学び、吸収した。

こうして最高の環境に恵まれていたシャイだが、自分のバンドをスタートするべく、2011年にアヴィシャイトリオ脱退を決断する。そして、ベーシストのホルヘ・ローダー(Jorge Roeder)とドラムスのジヴ・ラヴィッツ(Ziv Ravitz)と「シャイ・マエストロ・トリオ」を組み、同年トリオ同名のアルバム「Shai Maestro Trio」をリリース。続いて「The Road to Ithaca」(2012年)、「Untold Stories」(2015年)、「The Stone Skipper」(2016年)を出し、現代のジャズ界を担うビッグアーティストとなった。

また、今年に入ってからは、ジャズの名門レーベルECMと契約し、11月に待望の「The Dream Thief」をリリース。15カ国に渡るツアーはすでに7月から始まっており、カナダ、ヨーロッパ各国、アメリカでのショーを終えて、今回9回目となる来日を果たした。9年前にニューヨークに移り住み、現在はブルックリンを拠点に活動を続けるシャイに、祖国イスラエルについてや音楽との出逢い、アヴィシャイから学んだこと、現在のジャズシーンについて思うことなどを聞いた。

 

想像で見て感じることをインプロで美しく表現。「The Dream Theif」を聴いた人それぞれに自身のストーリーを描いて欲しい

—昨日のコットンクラブでのライブはいかがでしたか?

僕はベストは尽くしたよ。聴きに来てくれた人達が良かったと思ってくれていたらいいんだけど(笑)。

 

—シャイさんの出身国、イスラエルはミュージシャンにとってどんな国なのですか?

ジャズに関して言うと、ニューヨークに続いて世界で2番目にいい国と言えると思う。イスラエルは小さい国だけど、僕も把握できないくらい若手のジャズミュージシャンがたくさんいるんだ。ジャズの学校は教育面でも充実していて、知識豊富な教師もいる。それに、イスラエルのジャズの学校とアメリカのバークリーやニュースクールのような音楽大学の間にはいい関係性があって、イスラエルの学校で取得した単位がアメリカの学校でも使えるんだ。多くの学生がアメリカに行く頃にはすでにレベルの高いミュージシャンになっているから、とても良いシステムだと思う。

 

—それはジャズだけに特化したことなんですか?

ジャズはたくさんの文化を抱擁している音楽だからね。イスラエルにはロシア、ポーランド、南アメリカやアラブ諸国など、世界中からの移民が住んでいるのと同じように、ジャズはインプロヴィゼーション(即興演奏)で成り立っているから、新しいものや不規則なものに対して寛容だし、その人の背景がどんなものであろうと喜んで受け入れる音楽なんだ。素晴らしいことだよね。だから、多くのイスラエルのジャズミュージシャンたちはジャズに自分の故郷を見つけたと感じていると思うよ。

 

—素晴らしいですね。シャイさんは子供の頃からそう感じていたんですか?

うーん、そう感じたのはもう少し大きくなってからで、ニューヨークに行った頃かな。「そうか、だからジャズをホームだと感じるんだ」ってね。

 

—5歳でクラシックピアノを始めたそうですが、音楽にはどのようにして出逢ったんですか?

3、4歳の頃、イマジネーション(想像)ゲームで遊んでいたことが音楽との最初の出逢いだね。台所にピアノがあって、母親がディナーの用意をしている時に僕が例えば森を想像して弾くんだ。「森に動物が出てきて、風が上の方向に吹いたと思ったら、突然下に叩きつけられた」なんてことをイメージして自分で音を作っていったんだ。

それからクラシック音楽を習い始めて音階がわかるようになると、動物や風をコードで表現できるようになって、音のコントロールの仕方を覚えていった。そんな風にして、いつも想像したものをインプロで表現してきたよ。想像したものが映画のシーンやイメージで見えることもあるし、色や匂い、感情として感じることもある。

 

—だからシャイさんの音は絵的なんですね。その後、8歳でジャズを弾き始めたそうですが、クラシックからジャズにどのようにして転向したんですか?

きっかけはオスカー・ピーターソンの「Oscar Peterson Plays George Gershwin Songbook」というレコード。ある日それを聴いていたんだけど、アルバムの最初の方に入っている「Summertime」がまた終わりの方にかかったとき、同じ曲が2回かかるなんて最初は間違いだと思った。それでもう一度聴き返してみたら、同じ曲なんだけどちょっと違う弾き方をしていることに気づいたんだ。その時初めてそれがインプロなんだと知ったよ。インプロで弾けば、同じ曲でも違うものになるし、その時の自分の感情で表現できるから、クラシックよりジャズの方が自分らしいと思ったんだ。

インプロって仏教の「全てはうつり変わるもの」という考え方に近いよね。僕は毎回同じ演奏を弾くなんてできないし、それでお客さんからお金をもらうなんてこともしたくない。毎回、座って目を閉じて、その場所のエネルギーを感じて演奏するんだ。僕はいつもオープンでいたいし、人間らしくありたい。

 

—ジャズを始めた頃から、ジャズが自分の音楽だとわかっていたんですか?

うん。16歳の頃、その後クラシックの道かジャズの道に進むのかを決めなければいけなかった。悩んでいた時に、お母さんに「あなたはジャズを弾いてる時の方が幸せそう」って言われて、確かにと思ったよ。クラシックももちろん大好きなんだけど、音を間違えてはいけないし、いつも試されている気がするんだ。でも、ジャズは0から築いていける音楽だからストレスを感じることなく弾ける。

 

—ところで、昔、バークリーの奨学金を辞退したそうですが、なぜだったんですか?

その時、僕はまだ高校生で、すぐにでもバークリーに行きたいと思っていた。でも先生から「なんでバークリーに行きたいのか」を何度も何度も聞かれて、自分の中でもその理由を掘り下げていったんだ。「だってバークリーだよ、すごい学校だし」って最初は明確な答えは出てこなかったけど、そのうちその考えは自分のエゴだと気づいた。“高校在学中にバークリーに合格した最年少の学生”なんて噂の生徒になりたかっただけだったんだよね。

 

—先生はシャイさんになぜ突き詰めて聞いたんでしょうね?

僕のことを一番知ってたんじゃないかな。もちろん大学に行って音楽を学ぶ人たちのことは凄いと思うし、その考えに反対しているわけではない。それが良いとか悪いとかでもなく、必要な人もいる。でも僕は本当に何をしたいかよく考えて、音楽が義務になるのは嫌だと思った。例えば、「やりたくないけどオーケストラ用に曲のアレンジをしなきゃ」とか、嫌だなと思う感情を持って音楽をやりたくなかったんだ。自分に課せられた宿題ではなく、自分から喜んで情熱を持ってやれることをやりたいと思った。

それで結局バークリーには行かないことにして、高校を卒業後も自分で学びながらピアノを弾いていた。そしたらある日ベーシストのアヴィシャイから電話があって、彼のトリオに参加することになったんだ。結果それが僕の大学ということになったね、“リアルな人生を学べる大学”だ。活動拠点はイスラエルのまま、1年に120〜150くらいのショーに出演するような、とても濃い日々が始まった。

 

—アヴィシャイさんからはどんなことを学びましたか?

全てだね。僕は性格的にスポンジみたいになんでも吸収するし、当時まだ19 歳で若かったから、いろんなことを観察して学んだよ。特に彼が何かを教えてくれたわけではないけど、リハーサルの進め方からホテルのブッキング、チェックインの仕方や、マネージャーとの話し方、アレンジやサウンドチェックのやり方、ミュージシャンとのコミュニケーションの取り方とか、目も心も大きく開いて、色々なことを学んだ。

 

—アヴィシャイ・トリオを辞めたのはいつだったんですか?

2011年かな。自分のトリオをやりたかったからね。

 

—辞めるのは決心がいったかと思いますが。

すごくリスキーだったよ。アヴィシャイのトリオにいた時は、世界中でたくさんの人が集まる大きな会場でコンサートをやっていた。バンドのミュージシャンも最高なメンバーだったからすごく良い音楽ができて、もちろんギャラの面でも申し分なかった。キャリア的にも順調でとてもありがたかったけど、僕はそれを辞退して自分のバンドを始めたんだ。最初はもちろんマネージャーもいないし、何もない状況からのスタートだったよ。一緒にやりたい二人のメンバーを集めて、僕のアパートの台所で一緒にバンドをやろうと話して、僕のトリオ「シャイ・マエストロ・トリオ」としてやることになった。曲を作って、コンサートをやってと、始まりはゆっくりだったけど、そのうちにマネージャーが見つかって、ファーストアルバムをレコーディングした。

 

—リスクを背負ってまでも自分でやりたかったんですね。

うん、一緒にやるメンバーは自分で選びたかったしね。僕の音楽はすごくインプロが多くてとても自由だから、一緒にやるミュージシャンも同じような考え方を持って理解してくれる人じゃないとダメなんだ。そういうことをわかってくれなくて、何か決まったものにしがみついてないとダメな人も多くいるよ。でも理解してくれるミュージシャンと一緒にやれば、たくさんのマジックが起きる。自由であるが故にコンサートがうまくいかないこともたまにあるけど、でもそれでいいんだ。反対にすごく良い時もあるからね。両極端だけど、普通にやっていたらそうはならないから。

 

—音楽家にとって一番必要なことはなんだと思いますか?若手のミュージシャンたちにアドバイスがあれば教えてください。

ある一定方向から見たら、音楽は海に落ちるただ一滴の水のようなもの。そんなに重要なことではないんだけれど、一度やり始めたら世界で一番大切な、生きるか死ぬか、自分の全てを捧げるくらい大事なことなんだ。ミケランジェロのある名言に影響を受けて、僕は子供の頃から朝の7時に起きて夜中までピアノの練習をしてたよ。それくらい音楽と真剣に向き合ってきた。音楽って愛を注げば注ぐほど、愛が返ってくるんだ。

僕は今とても最高な人たちに囲まれて、ピアノを弾いて、世界中を旅して素晴らしい人々に出逢えて、とても美味しいご飯をいただけて、いろんなことをみんなと共有できている。毎回僕のライブが終わって観客の人たちが手を胸に当てているのを見ると、彼らが最高な気分を味わってくれたのがわかる。それって最高の贈り物だよね。音楽を通してたくさんの愛を与えてもらって、本当にありがたいと思う。

 

—素晴らしいです。新しいアルバム「Dream Thief」についてお伺いしたいのですが、タイトルはなぜそのようにしたのですか?

聴く人それぞれに自身のストーリーを考えて欲しいから。僕も自分の中でのイメージはあるけど、みんなそれぞれに考えてもらって、それをシェアできたらいいな。まずは音楽を聴いてみて欲しい。

 

—ところで、海外のいろんな国に行かれていますが、好きな都市はどこですか?

日本だと京都の嵐山が大好き。とても美しいよね。他にもスペイン、南アメリカ、キューバ、ミラノとかもいいね。でもやっぱり日本は特に好きで、日本でやるコンサートはとても深いものになるんだ。日本人は尊敬の心を持って僕の音楽を聴いてくれているからね。ただ静かに聴いてるだけではなくて、好奇心を持ってちゃんと理解しようとしているのが伝わってくる。だから僕もテンションが上がるんだ。毎回日本に来るのが楽しみで、来年は2回来る予定だよ。

 

—日本のアーティストで知ってる方はいますか?

うん、小川慶太は友達なんだ。中村恭士も素晴らしいベーシストだし、ピアニストの山中みきも良いね。

 

—ジャズ以外の音楽は聴きますか?

もちろん。クラシック、ダブステップ、ダンスミュージック、エレクトロ、キューバ、フラメンコ、ボサノバ、インドやアフリカの音楽とか色々だけど、アフリカ音楽やキューバ音楽の宗教的な儀式で神に向けて演奏する音楽にハマってる。あのビートは何時間と聴いていられるよ。

 

—今の世界のジャズシーンについて思うことはありますか?

とてもいいと思うよ。今はインターネットの発達のおかげで情報が世界中にすごい速さで届くし、文化に深く根付いた音楽を発見することもできる。昔はレコーディングするのに、レコード会社と契約を取ってスタジオを抑えてという段階を踏まないといけなかったけど、今はコンピューターがあるから、アイデアがあれば、自分で録音すればいい。自分で音楽をプロデュースできるし、スタジオに行く必要もない。お金がなくて自分の才能を表現できなかった人たちも多くのチャンスに恵まれているから、とてもいい時代だと思うよ。

 

—それでは最後に、シャイさんにとって成功とはなんですか?

自分に正直でいること、周りの人達から理解を得ること、そして世界に光を与えることかな。 政治的に見ても、最近は世界中で大変なことがたくさん起きているし、僕もそうだけど、光を必要としている人は多いと思う。ジャズは民主的なメディアだから、ちゃんと周りに対して聞く耳と尊敬や憐れみの心を持って、オリジナリティーを大切にしながら、ジャズという大きなコミュニティの一員として世界中と繋がって役に立てたらいいなと思う。

 

伝えたいことがたくさんあるからなのか、早めの口調で少し興奮気味に多くを語ってくれたシャイ。とてもハートの温かい人という印象を受けた。日本人のライブの聴き方を理解しているだけでなく、感謝していると聞いて、やはり研ぎ澄まされた感性を培った真のミュージシャンだと思った。

 

以下は11月12日にブルーノート東京にて行われたライブのレポート。

メンバーと共にステージに現れたシャイは、「今日は来てくれて本当にありがとう。日本でまた演奏することができて本当に嬉しいです。年に一度か二度は来ていますが、日本が大好きです。今日は先ほど回転寿司を食べたけど、すごい!!」と言い、観客の笑いを誘った。そして、同じ高校に通っていたというベーシストのノーム・ウィーゼンバーグと、スイス出身でバンドリーダーを務めるドラマーのアーサー・ナーテクを紹介し、「セットリストは作っていません。僕の音楽はインプロヴィゼーションがたくさんあるから。とりあえず最初の曲をやってその流れでどうなるか、やってみたいと思います。楽しんでください」と言った。

ステージライトが暗くなり、静かにピアノを弾き始める。 2016年にリリースされた4枚目のアルバム「The Stone Skipper」の「From One Soul to Another」だ。しばらくシャイの演奏が続いたあと、ドラムスとベースが静かに入ってくる。美しい音色と青と緑のステージライトから、月夜の情景が浮かんで見えるようだ。シャイは笑顔でメンバーに合図を取りながら徐々に激しい演奏へと進めていった。

 

Photo by Tsuneo Koga

2曲目「GAL」(「The Road to Ithaca」収録曲/2013年)は、ピアノとドラムスから始まる。少しするとシャイが口笛を吹き始めた。曇り空の静かな湖畔を静かに散歩している少年の姿が想像できた。ドラムスがプレイするエレクトロニカのようなビートに合わせて、シャイは嬉しそうに笑いながら、そのリズムに応え合わせて弾いていく。嬉しさが抑えきれず、時にはヒューと声をあげてノリノリの様子だ。途中まるでバトルのような激しい演奏になるも、最後はオルゴールのような繊細なピアノの音で終わった。

約15分ずつ2曲を演奏した後、「ちゃんと聴いてくれてありがとう」とMCを挟み、次の曲「Looking Back(Quiet Reflection)」(「Untold Stories」収録曲/2015年)を弾き始めた。ベースのソロから始まり、ゴーンと静かに重く響くようなピアノと、さざ波のような音色のベースが入る。そして、大自然の壮大さを感じさせるようなダイナミックな演奏からセンシィティブな心を表すような演奏になり、再びダイナミックで情熱的な演奏と繰り返す。最後、エンディングを感じさせるような余韻を引きずりながら、4曲目「New River, New Water」(「The Dream Thief」収録曲/2018年)のピアノのソロへと続いていく。シャイが自身の内心と向かう姿が音になって聴こえてくるようだった。しばらくしてドラムスとベースが加わると、3人のインプロが楽しすぎるようでシャイは弾きながら笑い、時に声をあげていた。今夜はマジックが起きたようだ。

 

Photo by Tsuneo Koga

アンコールはシャイがソロで登場し、感謝の気持ちを述べた。何を弾くかは考えていなかったようで、「どうするかわからないけど、とりあえずやってみよう」と言い、静かに弾き始めたのは「THESE FOOLISH THINGS(Remind Me of You)」(「The Dream Thief」収録曲)。スポットライトが当たるシャイの後ろには月と満天の星がしっとりと輝くような光景が浮かぶ。途中シャイのハミングが聴こえてくる頃にはすっかり彼の世界に引き込まれ、最後は彼らしいオルゴールのような優しい音色に、心がふんわりと包まれたような温かい気持ちになった。

 

シャイ・マエストロ Information