SPECIAL
#11 | Dec 14, 2018

伝統と革新の融合、最高のハーモニーの答えは家族にあった。世界最大規模のカクテル大会、バカルディ レガシーの頂点に立ったバーテンダーが、今目指すもの

Interview & Text: Minori Yoshikawa / Photo: Atsuko Tanaka

各々のフィールドで専門性を極め、グローバルな視点と感性を持って、さらなる高みを目指す海外のアーティストやビジネスパーソンなどをインタビューするコーナー「INLYTE(インライト)」。第11回目に登場するのは、2017年 、世界最大規模のバーテンダーとカクテルの大会である、「バカルディ レガシー グローバル カクテル コンペティション」にベルギー代表で出場し、見事優勝を手にしたバーテンダー、ラン・バン・オングバレ(Ran Van Ongevalle)。優勝に輝いた、濃厚かつ微かな甘みを含むオリジナルカクテル「クラリタ(Clarita)」は、今や世界中で賞味され愛されている。
PROFILE

バーテンダーラン・バン・オングバレ/Ran Van Ongevalle

幾つかのコンペティションに勝利した後、2013年に彼のファミリーが経営するベルギーにあるバー「The Pharmacy」に加わり、自身がハイボリュームバーの素晴らしバーマネージャーであることを証明した。その後、2017年にカクテル「Crarita(クラリタ)」にて、「バカルディ レガシー カクテル コンペティション 2017」 世界大会で優勝。優勝後はバカルディと共に世界中を旅しながら名声のあるバーやイベントで「Crarita」を提供している。彼の次のステップとして、ロンドンのバー「The Artesian」に加わり、Remy Savage、Emilio Di Salvo、Anna Sebastian等の才能あるバーテンダー達と働くことが決定している。

「全て思い通りにはいかないかもしれない。でも力を合わせればなんでもできる」。 父が一から立ち上げたバー、「ザ・ファーマシー」の頭上に掲げられるその格言には、家族の想いが込められている

ランはベルギーの北西部、オランダとの国境付近に位置する港街、クノック・ヘイストで生まれ育った。ベルギーのモナコと称される人口12000人程のその小さな街は、美しいビーチに恵まれ、カジノや高級ブランド店が立ち並ぶ、ベルギーナンバー1の高級リゾート地だ。ランは、大学ではパフォーマンスアートや写真を勉強していたが、2010年秋、東京でのモデルの仕事のオファーを受け、躊躇なく退学を決意。憧れの日本で3ヵ月働いた後帰国し、両親が経営していたファッション店で働き始める。長年の顧客も多い、ドルチェ&ガッバーナやディーゼルなどのブランド物を取り扱う人気ブティックを家族で営み、平和な日々を送っていたある日、ファッション業への情熱を感じられなくなったと、急に父が店を売ることに。

職なしとなった父が、初心に戻り、一から目指したのはおもてなしの世界だった。心配する家族が見守る中、父はなんと、ウェイターからキャリアをスタートし、バーテンダー、バーのマネージャーを経て、オーナーへと這い上がっていった。そしてファッション業界を背にして4年後、自身のバー、「ザ・ファーマシー(The Pharmacy)」を立ち上げ、今ではベルギーに2軒、メキシコに1軒バーを構え、その世界ではベルギーで1番の企業へと発展させた。今やベルギーでは、”カクテル業界のゴッドファーザー“と呼ばれる父が、バーテンダーという職業に何を見出し、虜となったのかを探求するべく、ラン自身も追うようにバーテンダーへの道を歩み始める。父と同じく、バーテンダーの世界にすっかり魅了されたランは、父と姉と共に、ザ・ファーマシーで働きながら、最高のバーテンダーとなるべく精進の日々を続けた。

 

ザ・ファーマシーにて、家族と

家族の絆があってからこそ歩めたバーテンダーの道で、古くから伝わる素晴らしいカクテルの伝統を大切に伝承しつつ、大きな革新を起こしたい

そして2016年、かつて父も出場した、バーテンダーなら誰もが夢見るバカルディ レガシー カクテル コンペティションのベルギー大会に参加し、ベルギー代表の座を獲得する。そして、その翌年の3月にドイツ、ベルリンで行われた世界大会で、選び抜かれた37カ国、38人のファイナリストの中から見事勝利の座を勝ち取った。

 

王冠を手にしたそのドリンクは、“Family(家族)”、“Heritage(遺産)”、“Innovation(革新)”を意味するオリジナルカクテル、「クラリタ」。バカルディの創立者、ドン・ファクンド・バカルディが、バカルディのエンブレムであるコウモリのロゴに託したと言われる3つの要素、“Family Unity(一家の団結)”、“Fortune(幸運)”、“Health(健康)”もインスピレーションの一つとなった。

 

クラリタ

ちなみに、クラリタ(Clarita)の語源は、ファクンドのラムへの情熱を信じ、経済面でサポートした叔母の名、クレア(Clare)だと言う。クラリタのレシピを造った時、まずランが考えたのは、バカルディラムを造ったファクンド本人が、「そのラムを使ってカクテルを作るとしたら、どんなドリンクを作るだろう」ということだったと言う。そこで思いついたのが、「ファクンドだったら、自分が精魂込めて造り上げたラムの味を掻き消すようなものは加えない、逆にその味を引き立てるものを入れるはずだ」ということだった。そしてそれこそが、「ハーモニー」=家族そのものだったのだ。

昨年の世界大会で優勝して以来、超多忙な毎日を送るランが今手掛けるのは、有能バーテンダーと認められたものにしかこなせない大役だ。ロンドンで150年の歴史を持つ名高き老舗ホテル、ザ・ランガム・ロンドン(The Langham London)の中にあるバー、アルティザン(Artesian)での仕事。アーティジャンは2011年にオープンして以来、4年連続でヨーロッパNo.1のバーの地位を与えられた。しかし2015年、当時の人気ヘッド・バーテンダーを先頭に、主要メンバーが続々辞めたこともあり、翌2016年には54位へと急降下。その壮健を図るために、ランを含め、有力バーテンダー達が世界中から集められたのだ。

11月22日、東京都内で開催されたバカルディ レガシー カクテル コンペティション 2019日本大会のセミファイナルに、審査員として来日したランに、バーテンダーの仕事への情熱、第二の故郷であるという日本への思い、アルティザン再建への意気込み、夢についてなどを聞いた。

 

日本のシンプルでミニマルな美しさに触れ、バーテンダーとしての新たな自分の在り方を確立することができた

—今日は一日お疲れさまでした。審査員をするのは今回が初めてですか?

いや、2回目だよ。初めてやったのは去年メキシコで行われたバカルディ レガシー カクテル コンペティションのグローバルファイナルのセミファイナルの時だね。あの時は、僕が優勝して一年後のことだったから、個人的にストレスもあったり色々大変な時期だったんだ。でも今回は、世界で一番好きな日本に審査員として来れてすごく嬉しいよ。日本のバーテンダー業界を尊敬しているから、こんな光栄なことはないね。今日の大会もレベルが高くて、使っているグラスや氷もすごい良かったね。

 

—審査員としてコンテスト出場者達の動きなどを見て、何か学んだことはありましたか?

うん。まず僕が一番尊敬するのは彼らの技術、そして、スプーンの持ち方からシェイカーの振り方や、お客さんとのコミュニケーションの取り方。どちらが良いとか悪いとかの話ではないけど、ヨーロッパにはヨーロッパ流のアプローチの仕方があって、やり方が全く違うんだよね。あとは、フレーバーの合わせ方も学んだし、グラスも本当に美しいものばかりだった。ヨーロッパや他の国であんなに美しいものはあまり見ないよ。あったとしても、かなり高額なものになってしまう。

 

—各国で色々違うんですね。

カクテルの作り方やフレーバーの出し方、技術のアプローチの仕方はそれぞれの国で違うから面白いよ。バーテンダーって何年やっても全てを学びきれない学校みたいなものなんだ。もう十分学んだからバーテンダーを辞めようなんて思う人はいないだろうね。常に新しいフレーバーやスタイルが出てくるから、僕もいつも感化されてるよ。

 

—今夜の大会はどう思いましたか?

素晴らしかったよ。みんなバカルディをうまく使って完璧なバランスのドリンクを作っていて、レベルがすごく高かったし、専門的技術の高さにも驚いた。そして短い時間の中で時間通りにイベントが進行していることにも本当にびっくりした。会場もとても綺麗だし、全てが完璧に構成されていて、総合的に見て本当に良いイベントだったね。

 

バカルディ レガシー カクテル コンペティション 2019日本大会のセミファイナルに出場したバーテンダー達と

審査をするラン

—ところで、ランさんのバックグラウンドをお聞きしたいのですが、出身はベルギーのクノック=ヘイストなんですよね?どんな街なんですか?

オランダとの国境近くの、人口が12000人くらいのとても小さな街だよ。海沿いにあって、ベルギーのモナコと呼ばれていて、高級車を持ってるような、リッチで上品な人がたくさん来る場所なんだ。すごくいい街で、僕はそこをホームと呼べて光栄に思ってる。

 

—お父様はそこで「ザ・ファーマシー(The Phamacy)」というバーを経営なさってるんですよね?

うん。お父さんと姉と僕と新しく加わった妹で家族経営してるんだ。斬新なスタイルのバーではないけど、居心地のいい聖域のようないい雰囲気のカクテルバーだよ。ファーマシーに来てくれた人たちは自分の家族のように接するよ。でも、現在僕はロンドンの「アーティザン(Artesian)」で働いているから、そこにいないんだけどね。最初はベルギーの「ヘント(Ghent)」 というところで1年間ほど働いて、その後クノックに戻って実家のバーで家族と一緒に働き始めた。

 

—小さい頃からそのバーで色々学んだりしていたの?

いや、僕は元々はファッション業界で仕事をしていたんだ。両親がベルギーでファッションの店を25年やっていたからね。でも6年前にお父さんが、急にファッションはもうやりたくないって辞めちゃったんだ。それでバーテンダーになりたいって言うもんだから一時はみんな心配したよ(笑)。彼はそれから6年の間に、職なし状態からバーテンダーになって、バーのマネージャー、そして、オーナーになった。その後自分のバーを開いて、ケータリング・サービスやコンサルティングまで手掛け、今ではベルギーで一番大きな会社へと成長させ、とても成功してるよ。

僕はお父さんがバーテンダーになった1年後に始めたんだけど、ずっと背中を追ってきた感じだね。生き生きと楽しそうにやっているのを見て、バーテンダーの魅力が何なのか知りたいと思った。それはお酒を作ることなのか、人との出逢いや会話を楽しむことなのか。それでお父さんを研究して自分もやってみたら、すごく楽しくてハマってしまったんだ。

 

—バーテンダーの学校に行ったわけではないんですね?

違うよ。大学では演劇、映画、写真を勉強していたんだ。でも18歳で学校をやめて、日本に来てモデルの仕事をしながら渋谷に3ヶ月住んだ。2010年の秋だね。東京に行けるチャンスがあるって聞いて、学校はすぐ辞めたよ。学校で学ぶことはいつでもできるけど、東京に行けるチャンスは逃したくなかったから。それで東京に来てすごい刺激を受けて、世界の広さを知ったんだ。だから僕は日本が世界で一番好きなんだ。新しい自分、今のバーテンダーの僕が生まれた場所だしね。第2の故郷と言っても過言ではないよ。

 

—あなたが造ったカクテル「クラリタ(Clarita)」は“Family(家族)”、“Heritage(遺産)”、“Innovation(革新)”を意味するそうですが、レシピはどのようにして考えついたんですか?また、いつもカクテルを考える際に、その背景には必ず何かストーリーがあるんですか?

カクテルやその名前を思いつく方法は2通りあるんだ。まずはあるアイデアを基にカクテルを作りだす方法。例えばクラリタを作った時には、“自分は何者なのか、自分をカクテルにどう定義するのか”など色々なことを考えた。まずは、家族経営でバーをやっているから「家族」、次にカクテル業界において古くから受け継がれてきた伝統のレシピを大切にしたいという意味で「遺産」、そして、ラボで研究したり、改革するのが好きだから「革新」をテーマにした。

でも突然アイデアが浮かぶこともあるし、例えばお客さんにアーモンドフレーバーのカクテルが飲みたいって言われて作ってみて、良いものができたらそれを新しい商品として出すこともある。まあ、ストーリーが背景にあるカクテルの方が意味があるからいいけれど、全部に意味がなくても良いかもね。

 

大会後のパーティーで、ランがクラリタを来場者にふるまった。仕上げにオリーブオイルを一滴垂らす

アイデアやインスピレーションはどういうところから受けるんですか?

フレーバーだね。僕はよくいろんなレストランに行くけど、例えば昨日行ったレストランで、デザートに紫蘇シャーベット シャンパンがけが出てきた。それまではそんなこと思いつきもしなかったけど、今なら誰かにシャンパンのカクテルを作ってと言われたら、紫蘇を思いつける。そういう日常における経験の積み重ねでいろんなドリンクが作れるようになるよね。

 

—世界中で今たくさんの人たちが、ランさんが造ったクラリタを楽しんでいますよね。それについてはどう思いますか?

最高だね。クラリタはとても強いお酒なんだけど、あまり強いのが好きではない人にも楽しんでもらってるし、上海やインドのニューデリーをはじめ、世界のいろいろな所で好まれてるんだ。アルコール度とフレーバー、甘みの比率のバランスが良いんだろうね。世界中の人に愛されるドリンクを考えて、バカルディの大会に出すカクテルとして恥じないよう自分の全てを捧げて、優勝して、本当に嬉しかったよ。それだけではなく、例えば今回審査員として日本に来れたのも、精魂込めてクラリタを作ったことで実現したわけで、夢にも思わなかったことだけど本当にありがたいと思ってる。

 

—これまでの人生で一番大きなターニングポイントについて教えてください。それによって人生はどう変わりましたか?

まさに昨日その運命の場所にいたんだけど、新宿にある「ベンフィディック(Ben Fiddich)」というバーで起きたことだね。初めて日本に住んで以来日本が大好きになって、自分のカクテルを広める活動をしていた時に再び日本に来た。それで、ベンフィディックや西麻布の「Bar 霞町 嵐」、ザ・ペニンシュラ東京のバー「ピーター(Peter)」でゲストバーテンダーとしてセミナーをしたんだ。

その中で、特にベンフィディックで受けた影響は大きかった。店の雰囲気や、かかっている音楽、グラス、お客さんが吸うシガーの煙など、全てにね。それで、それ以降自分のカクテルはできるだけシンプルなものにしようと決めたんだ。余計な付け合わせ(飾り)も、複雑な材料もいらない。もっと一つのフレーバーにフォーカスしようと思った。そうして、時間や努力を惜しまず自分の全てを捧げて出来上がったのがクラリタなんだ。それまで作ってきたカクテルの中で最高なものに仕上がったよ。

それと同時に、自分の人生もミニマルに、日本的な考え方で生きようと思った。それが僕のバーテンダー人生のターニングポイントだね。もちろんバカルディの大会で優勝したことも、よりいいバーテンになろうって自分を奮い立たせてくれたよ。でも、自分が造るドリンクや人生に気づきを与えられたという意味では、ベンフィディックで体感したことはとても大きい。

 

—そうなんですね!それでは、バーテンダーの仕事をする上で好きなのはどんなことですか?

3つあるんだけど、まず1つ目はスピリッツのアンティークボトル。僕は前からそれらを集めてるんだけど、特に40年代や60年代のカンパリのボトルが好きで、その背景にある歴史にも魅力を感じるんだ。2つ目はカクテルを注ぐグラス。日本のガラス製品も大好きで、今回の来日でも、バーテンダー御用達のガラス製品店「創吉」に行きたかったんだけど、残念ながら時間が無くて行かれそうにないな。そして3つ目は氷。氷はドリンクを作る上で一番大事な要素だからね。あとはもちろん、カクテルをお出しするお客さんとの関りも僕にとっては大事だよ。

 

—逆に大変なことは?

労働時間かな。毎日早い時間から準備を始めて、遅くまで働かないといけない。好きなことをやっているから苦ではないけど、長時間働くのは大変だよ。バーに立ってる時はいつも笑顔でいないといけないし。お客さんは楽しい時間を過ごしたくて来てるのに、僕が眠い顔をしてたらダメだからね。

 

—さて、ロンドンのバー「アルティザン(Artesian)」の再建を図るために、今は世界トップクラスのバーテンダー達と共に働かれていますが、順調に進んでいますか?

チームとしての絆が深まっていて、いい感じだよ。イタリア、スペイン、ポーランド、ロシア、ルーマニアなど世界各国から優れたバーテンダー達が集まって、アルティザンの栄光を取り戻そうと頑張ってるんだ。最高のおもてなし、サービスを目指して、美味しいドリンクを提供しているよ。みんな同じビジョンを持って同じゴールを目指してる。たくさんのことを学べて、いいインスピレーションを受けて、最高級のグラス、氷に囲まれて、僕の大好きなものが集まった最高の職場と言えるよね。でも、もちろんプレッシャーもあるよ。なんといっても、ロンドンの老舗5つ星ホテルの中にあるバー・レストランだから、全て正確に物事を対処していかないといけないし、毎日自分のベストを尽くさないといけない。

 

—ランさん個人としては、アルティザンにどのような貢献をできると思いますか?

いい笑顔でお客さんを迎えることかな。そして、最高のおもてなしをして、楽しんでもらう。あと、僕はバーテンダーオタクで、実験室で使われているハイテク機械を使ってカクテルを作ることにも興味があるんだ。例えばロータリー・エバポレーター(有機化学実験などで使われる、減圧して液体を蒸発させる機械)や、ソニック・プレップ(超音波注入器)、セントリフュージ (遠心分離機)なんかがアルティザンにあるから、自分の持ってる知識をみんなと共有していきたいと思ってる。

 

—もし機会があればバーテンダーとして行ってみたい国はありますか?

もちろん日本だよ(笑)。去年、彼女と世界14カ国を300日かけてバックパッキングの旅をしたんだ。そのあと一瞬ベルギーに戻ったけど、すぐにロンドンでアルティザンの仕事が始まったから、今はホームが恋しいよ。その前もスペインのバルセロナにいたし、世界のいろんなところはもう十分に見てきたから、早く地元に戻って落ち着きたいね。来年の6月に結婚するんだけど、子供も欲しいし、新しい人生をスタートさせたいな。

 

—ロンドンにはどのくらい住む予定ですか?

6ヶ月だよ。その後はベルギーに戻って、自分のバーを開く予定。他の国に住んで自分のバーを持つのもいいけど、地に足がつかないというか、バケーションのように感じてしまうんだよね。だからロンドンではホームシックだよ。今は自分の第2の故郷、日本にいるから寂しくないけど(笑)。

 

—日本が本当に好きなんですね!他に好きな国はありますか?

バリ島はすごく良かったな。天国みたいな場所で心を奪われたよ。彼女と1ヶ月滞在したんだけど、朝起きて、バイクに乗っていろんなところに行ったり、サーフィンしたり、本当に楽しかった。アジアのバーのベスト50にも選ばれた、「ザ・ナイト・ルースター(The Night Rooster)」というバーはとてもいいよ。最近「アペリティフ(Apéritif)」という新しいバーがオープンしたんだけど、僕がコンサルタントとしてメニューを考えたりしたんだ。

 

—世界中のバーテンダーシーンを見てきて、それぞれの国の特徴や違いなどで気づいたことはありましたか?

台湾の台北は日本のプロフェッショナルさとアメリカのリラックスした感じが混ざったようなスタイルで面白かったよ。インドはちょっと甘めのドリンクが好まれる。あと、タイのバンコクにもいいバーがたくさんあるよ。シンガポールもいいし、アジアが全体的にアツいね。ヨーロッパだと、ロンドン、バルセロナ、ストックホルム、スウェーデン、ポーランドやフィンランドが良かった。メキシコもいい。でも斬新さにおいてはやっぱりアジアが一番だね。

 

—それでは、これからバーテンダーを目指す人たちにアドバイスをお願いします。

自分の人生を捧げるくらい、愛を込めてやることだね。大好きと思えることでないならやらないほうがいい。本当に好きなことをしてる時にしか最高の仕事はできないと思うから。でも僕は西洋人だから日本の人にアドバイスをするのは難しいかもしれないな。日本は特にプロフェッショナルさが問われる厳しいところだと思うから。でも、バーテンダーという職業が大好きなら、とにかく自分のベストを尽くすことだと思うよ。

 

—最後に、ランさんにとって成功とはなんですか?

他人をインスパイアできる存在でいること。この前ストックホルムでやったワークショップに来てくれたある男性から今日メッセージをもらったんだけど、そこには僕のセミナーを受けたことで、本質を見抜く力がついて、現在ストックホルムでトップ3のバーテンダーになったという言葉が感謝の気持ちと共に書いてあった。それこそが僕にとっての成功だね。

 

終始目をキラキラさせ、満面の笑顔でインタビューに応じてくれたラン。長身の体からエネルギー溢れんばかりに語ってくれたことからも、彼の一貫したホスピタリティー精神が感じられた。最近婚約したばかりなので、早くロンドンでの使命を果たし、ホームであるベルギーで家庭を築き、自分のバーを開くのが楽しみでしょうがない様子。彼が最も大切にする家族の絆、そして日本で得たミニマリストの美などの要素が、これから創造していくカクテルやバーにどのような影響を与え、育んでいくのか楽しみだ。

ラン・バン・オングバレ Information