SPECIAL
#10 | Nov 30, 2018

ダンスミュージックフェスで世界一の動員数を誇る「EDC」主催者のパスカーレ。コミュニティーを通し、世界中の音楽好き同士の繋がりを広める

Interview: Kaya Takatusna / Text & Photo: Atsuko Tanaka

各々のフィールドで専門性を極め、グローバルな視点と感性を持って、さらなる高みを目指す海外のアーティストやビジネスパーソンなどをインタビューするコーナー「INLYTE(インライト)」。第10回目に登場するのは、インソムニアック(Insomniac)の創業者でありイベントプロモーターのパスカーレ・ロテーラ。世界で最も多くの観客動員数を記録したとされるダンスミュージックフェスティバル「EDC」や「HARD SUMMER」などをはじめとする数多くのパーティーやフェスを企画し、開催してきた。
PROFILE

株式会社インソムニアック(Insomniac)創業者/イベントプロモーターパスカーレ・ロテラ/Pasquale Rotella

1974年生まれ。今の世界のダンスミュージックやEDMシーンを築いた最重要人物とされている。1993 年にInsomniacを創業し、12年にInternational Dance Music Awardsで世界No.1プロモーターを受賞。翌年には「In The Mix POWER 50」でEDMで影響力のあるビジネスマン1位に輝いた。また、13 年から4年連続で、「Billboard Power 100 (音楽業界のビジネスマンランキング)」にも毎年ランクインをしている。

ダンスミュージックコミュニティーの一員になったことで、人生が良い方向へ。約20年前に始まった「EDC」は世界一のフェスへと発展

カリフォルニア州はロサンゼルスで生まれ育ったパスカーレは、9歳の頃から地元のベニスビーチに遊びに行くようになり、80年代当時流行っていたブレイクダンスを始める。グラフィティークルーのメンバーでもあった彼は、時にトラブルを起こすこともあったが、ある日友達に連れて行かれたパーティーでダンスミュージックに出逢い、そのコミュニティーのメンバーとなったことが彼の人生を良い方向へと導いた。当時ダンスミュージックに対して良い印象を抱く人は少なかったが、パスカーレは自分のパーティーを開催し、積極的に宣伝を行った努力が功をなし、そのパーティーの規模はだんだんと大きくなって、彼が20歳の頃には2000もの人々が集まるパーティーへと成長した。その後も多くのパーティーやイベントの企画、主催を続け、97年にダンスミュージックフェスティバル「EDC」を始める。

 

「EDC」は、現在ラスベガスをメインの拠点地に、これまでアメリカ国内はニューヨークやLA、オーランド、シカゴなどの7都市で開催。ラスベガスでの観客動員数は、11年に23万人、12年と13 年は30万人を超え、14年から17年にかけては毎年40万人を記録し、16年までの5年間でLas Vegasに1400億円以上の経済効果をもたらしたとされている。また、海外ではメキシコ、イギリス、インドなどの過去7か国で行われている、日本でも今年の5月に東京で2回目のEDC Japanが開催され、世界中から熱狂的なファンが集まった。

 

パスカーレは、EDC以外にも「ハード・サマー(HARD SUMMER)」や「ノクターナル・ワンダーランド(Nocturnal Wonderland)」など、多くのフェスやイベントを主催しているが、それらのベースにあるものは、音楽、アート、コミュニティーだと言う。そしてフェスに来る観客のことを“主役”と呼び、ステージ上のDJやアーティストではなく、彼らがスポットライトを浴びるべきだと語る。今回2度目となる来日を果たした彼に、ダンスと音楽にハマった青年時代のことやイベントプロモーターとして活躍することになったきっかけ、EDCへの想いなどを聞いた。

 

 

EDCは音楽、アートであり、世界を変えたいと思う人たちのコミュニティー。日本にも大きなダンスミュージックのカルチャーを根付かせたい

—パスカーレさんは現在どこを拠点に活動されているのですか?

ラスベガスを拠点に、LAとの間を行ったり来たりしてるよ。僕の仕事はどこにいてもできるけど、EDCの一番大きなフェスがラスベガスで行われるから、そこにいることが多い。オフィスはビバリーヒルズにあって、最近ハンコックパークに家を買ったばかりなんだ。

 

—EDCについて、少し教えていただけますか?

EDCは97年にLAでスタートしたダンスミュージックフェスティバルで、10年後くらいに拠点をラスベガスに移して、今までに世界14都市で開催している。ダンスミュージックフェスにおいて、観客動員数で言うと世界で一番大きなフェスに成長した。最高な音楽がたくさん聴けて、EDCをサポートしている人たちのとても大きなコミュニティーがある、とてもユニークなフェスなんだ。

 

—どんなコミュニティーなんですか?

音楽好きで、世界を変えたいとか、人生にポジティブなことを見出したいと思っている人たちの集まりだよ。僕はEDCに来た人たちみんなに、最高の自身になって欲しいと思ってるんだ。同時に、フェスで近くにいる人たちと知り合いになって、みんなと仲良くなって欲しい。EDCの一番大事なことは、来ているみんなのバイブスなんだ。ステージの上にいるDJがかける曲を聴いたり、アーティストに楽しませてもらうのを待つだけではなく、みんなで繋がって互いに情報交換したり、一緒にダンスしてパーティーして楽しんで欲しい。ステージの上にいるDJがかける曲を聴いたり、アーティストに楽しませてもらうのを待つだけではなく、みんなで繋がって互いに情報交換したり、一緒にダンスしてパーティーして楽しんで欲しい。

 

—パスカーレさんは、EDCをただの“音楽フェス”というくくりで考えていないそうですね。

EDCは音楽、アートであり、コミュニティーでもあるんだ。そしてその目的は世界を変えること、コミュニティーの一人ひとりがね。今、世界中で鬱病が大きな問題になっているよね。僕がフェスにいる時によくあることなんだけど、僕の姿を見かけた誰かが寄ってきて「このフェスを開催してくれて本当にありがとう。僕は自殺を考えていたんだけど、このフェスに来て考えが変わったよ」って言ってくるんだ。他にもEDCで出逢ったカップルがEDCの中のチャペルで結婚して子供ができて、家族で一緒にフェスに来るなんてこともあるよ。他にも数えきれないくらいのストーリーがあって、手紙やメール、SNSを通してそういったメッセージが来る。だからEDCは、多くの人生を変えた特別なイベントでありコミュニティーなんだ。

 

—ヘッドライナーをはじめとするアーティストがいて、彼らの音楽を聴いたりパフォーマンスを観て楽しむだけではない特別なフェスなんですね。

そう、僕自身がこのフェスの一部であることをとても嬉しく思ってる。INSOMNIACは毎年約100万枚以上のチケットを売っているんだけど、一枚のチケットの売り上げにつき1ドルを子供に特化した組織やアートの組織などに寄付しているよ。アートは幸せをもたらすと思うし、誤って良くない人生を歩んでしまった人々を助けることもできるしね。

 

—パスカーレさんのバックグランドについてお聞きしたいのですが、子供の頃はどんな環境で育ったのですか?

僕は、イタリアから移民してきた両親の元で育った。小さい頃からちょっとクレイジーなエリアとか、色んなところに行くようになって、ベニスビーチでよく遊んでいたね。今は変わったけど、当時のベニスビーチは低所得者たちが住むエリアで“海の近くのゲットー”と呼ばれていて、危なかったんだよ。でもアーティストにとって最高な場所で、音楽好きやストリートパフォーマーがたくさん集まっていた。80年代半ばの頃、僕はまだ9歳か10歳くらいだったけど、音楽とダンスにハマって、年上のダンサーたちに憧れてブレイクダンスを始めた。あの頃はみんながBボーイになろうとしてたな。でっかいブーンボックスを持ったやつらや、ダンサー、ローラーステーターとかがそこら中にいて、毎日がフェスのようですごい楽しかった。そういう環境で育って、ダンスミュージックに出逢ったんだ。

 

—その頃からダンスミュージックにハマっていたんですか?

最初はヒップホップだったね。例えばハービー・ハンコックの「ROCKIT」とか、ニュークリアスの「JAM ON IT」や、他にもアフリカ・バンバータ、シュガーヒル・ギャング、クラフトワークとか、ダンスしやすいヒップホップを聴いていた。僕にとってはそれらがダンスミュージックへの入り口だったんだ。

ちなみに僕はAWRというグラフィティークルーのメンバーでもあるんだけど、当時グラフィティーでちょっとしたトラブルを起こしていた。ある時友達にパーティーに連れて行かれて、それから毎週末そのパーティーに行くようになり、そのコミュニティーの一部になってからはトラブルを起こさないようになって、人生がポジティブな良い方向に進んでいった。

でも、そのパーティーは違法なウエアハウス(大きな倉庫のような場所)で行われていたから、ある時地元の警察に取り締まられてしまった。毎週遊びに行ってたパーティーがなくなっちゃってどうしようって思って、それで自分のイベントをやろうと思ったんだ。「インソムニアック(Insomniac)」というパーティーで、のちにそれが会社の名前になったんだけど、最初のパーティーはサウスセントラルにある倉庫でやって、300人来たよ。

 

—サウスセントラルですか?だいぶ危ないエリアだったのでは?

うん、なぜサウスセントラルだったかと言うと、ダンスミュージックは本当はとても素晴らしいコミュニティーなのに、ロックやヒップホップに比べて評判が悪かったから、パーティーをやるにも法律的にギリギリOKな場所とか、できる会場が限られていたんだ。93年の10月に初めて自分のパーティーをやって、それから毎週金曜に毎回違うシークレットの場所でやるようになった。やるごとに、お客さんの数は300人から400人、そして700人と増えていって、最後のほうには1500から2000人くらいになった。

 

—どうやってそんな人数を集めたんですか?当時あなたはまだ20歳だったんですよね?

レコード屋にフライヤーを置かせてもらったり、ベニスビーチに行ってたくさんの人にフライヤーを配って、自分がやろうとしていることを説明したんだ。45分くらいかけて一対一で話して、興味を持ってもらうようにした。それでパーティーは自然に大きくなっていって、1年後のアニバーサリーパーティーには2000人もの人が来たんだよ。毎週やるのは大変だから、ある時「ノクターナル・ワンダーランド(Nocturnal Wonderland)」という大きなパーティーをやった。一番初めが95年で、それから数ヶ月おきにやって、やるごとに大きくなっていった。今でも継続してやっていて、来場者は1日に3万人にくらいかな。

 

続けるだけでも大変なのに、お客さんの数が増え続けているのは魅力あるイベントだという証拠ですね。ちなみにパスカーレさんはEDCだけではなく、他にも多くのイベントやパーティーを手がけていらっしゃいますよね。

1年に100ものイベントをやっていて、クラブでやるようなパーティーからコンサート、フェス、タレントショーケースなどのイベントをやっている。違ったジャンルの音楽イベントもやっているけど、EDCが一番有名だね。

 

—全てのイベントに共通してあるのは、音楽ですか?

もちろん良質な音楽は必要だけど、ベースにあるのはさっき言ったように、音楽、アート、コミュニティーだね。音楽はフェスでの体験に対するサウンドトラックだと思ってる。

 

—EDCは現在メキシコやイギリス、ブラジル、インドなどいろんな国で開催されていて、日本では東京で2年前から行われてますよね?なぜ東京で開催しようと思ったのですか?

東京ではEDCのようなパーティーが行われていなかったから良いかなと思って。僕自身がこのコミュニティーとカルチャーのファンであるし、可能な限り世界のいろんなところにEDCを広めたいんだ。

 

—日本は他の国と比べていろんな意味で大きく違うと思いますが、東京で初めて開催した時はどのように思いましたか?

どの場所も、初めてやる時はチャレンジが伴うけど、日本はとてもユニークだよね。EDCがどんなイベントなのかは日本でまだあまり知られていないし、間違った認識が広がっていると思うんだ。多くの人はEDCをただのEDMのコンサートだと思っているみたいだけど、それは違う。EDCではEDM以外にも、ハウスやテクノ、他にもドラムンベース、ハードスタイル、トランスとか、いろんなダンスミュージックが聴けるし、ヒップホップもある。

それに日本には大きなダンスミュージックのカルチャーやコミュニティーがないから、アメリカのように根付かせていきたいと思ってるんだ。イベントを通して人々の心が繋がったり、誰に批判されることなくみんなが自分自身を表現することができて、本当に楽しめるようなことを必要としている人は多いと思う。このコミュニティーに携わることがセラピーを受けているようなものなんだ。僕自身が15歳の頃からダンスミュージックのコミュニティーに入って、いろんな意味で助けてもらったようにね。

 

—前回日本で行われたEDC Japanに行った際に受けた印象として、外国人の方が全体の半分くらいと、とても多いように思いました。彼らはEDCのファンとして世界中のEDCに行ってるような方たちなんですか?

そうだよ、彼らの中には全てのEDCに参加した人たちもいる。彼らと僕はタイトなコミュニティーとして一緒に旅をしてるんだ。世界中でそういった関係をファンの人たちと築いていきたいと思ってる。ちなみに、僕はファンのことを主役と思っているんだよ。普通はステージでパフォーマンスするメインのアーティストのことをヘッドライナーと呼ぶよね。でも僕にとってはファンのみんなが主役で、彼らがスポットライトを浴びるべきだと思っている。

 

—素敵な考え方ですね! ところで、日本のアーティストで誰か知っている人はいますか?

Ken Ishiiは知ってるよ。いつか彼をラスベガスのフェスにブッキングしたいと思っているんだ。あとはDJ Nobuも日本で独自のシーンを築いてきたアーティストで、彼もいつか呼びたいと思っている。日本からアメリカに来るDJはあまりいないけど、もっといるといいなと思うし、サポートしたいと思ってるよ。そうすることで相乗効果が生まれると思うんだ。日本にもっとちゃんとしたダンスコミュニティーがあれば、そこで知り合えるからいいんだけどね。

 

—世界で活躍する日本人アーティストがもっと増えていくといいなと思います。パスカーレさんはとても楽しんで仕事しているように見えますが、続けていく上で大変だと感じることは何かありますか?

僕には二人の子供がいて、仕事で彼らと離れないといけないのが一番辛いけど、ほかは全て好きだよ。毎朝起きて好きなことをできて本当に幸せだと思ってる。パーソナルなこととビジネスのバランスを保つことは大変だし、チャレンジしないといけないことはいつもあるけど、もしそれが簡単に乗り越えられるようなものだったら、ユニークで特別なものにはならないからね。

 

—みなさんの笑顔が目に浮かびます。それでは最後に、パスカーレさんにとって成功とは何かを教えてください。

成功とは幸せであること、だね。

 

インソムニアック Information

【EDC JAPAN 2019 開催概要

■日程: 2019年5月11日(土)・12日(日)

■場所:ZOZOマリンスタジアム&幕張海浜公園EDC特設会場

■時間:12時開場、12時開演予定

■特設サイトURL: https://japan.electricdaisycarnival.com/

 

先行先着割引チケット販売情報

販売期間:2018年12月1日(土)12:00〜 ※売り切れ次第終了

チケット :【GA 2日通し券】 Tier 1 チケット 18,000円 / 【VIP 2日通し券】 Tier 1 チケット 49,000円

受付URL:https://japan.electricdaisycarnival.com/tickets/?noredirect=1

English:https://japan.electricdaisycarnival.com/en/tickets/?noredirect=1