SPECIAL
#12 | Jan 8, 2019

ナズやビギーなど多数のヒップホップアーティストを撮り続けてきたフォトグラファー、B+が、「Ghostnotes」で表現した異なる写真の関連性

Interview, Text & Photo: Atsuko Tanaka

各々のフィールドで専門性を極め、グローバルな視点と感性を持って、さらなる高みを目指す海外のアーティストやビジネスパーソンなどをインタビューするコーナー「INLYTE(インライト)」。第12回目は、アイルランド人のフォトグラファー、B+。鋭い観察眼で、時間をかけて築きあげた被写体との関係性を見事写真に写し出す。
PROFILE

フォトグラファービープラス/B+

アイルランド生まれ、1990年よりロサンゼルスに移住し本格的なフォトグラファーとして活動を開始。1993年に“ITS NOT ABOUT A SALARY: RAP RACE AND RESISTANCE IN LOS ANGELES”と題した本をリリースし、ROLLING STONE誌にその年のベスト音楽本としてノミネートされる。その後ヒップホップコミュニティを中心に写真を撮り続け、現在までNas、Mos Def、Q-Tip、The Notorious BIG、Lauryn Hillをはじめとする、100人以上のアーティストのアルバムカバーやオフィシャルアーティスト写真を撮り続けてきた。 数多くの大御所アーティストから絶大な信頼を寄せるフォトグラファーとしての活動と同時進行で、音楽誌「WAX POETICS」の写真編集を担当する時期や、またパートナーであるEric Coleman (エリック・コールマン)とのプロダクションチームMochilla (モチラ) では、Madlib, Cut Chemist, Beat JunkiesなどのDJ陣とアメリカやブラジルのレジェンドミュージシャンなどを引き合わせてセッションさせる音楽/カルチャー・ドキュメンタリームービー: “Keepintime”、“Brasilintime”、“Timeless”なども制作してきた。ミュージックビデオも手掛けてきており、DJ ShadowやDamian Marleyの作品や、日本でもNitro Microphone Undergroundのミュージックビデオを手掛けた経歴もある。現在は、写真やミュージックビデオなどのMochillaのプロダクションチームとしての活動の他に、カリフォルニア州立サンディエコ大学アート科の助教授でもある。

写真を学ぶため、アイルランドから渡米。教授の言葉をきっかけに、人生の転機となるLAラップの歴史を探るプロジェクトをスタート

アイルランドのリムリックで生まれ育ったB+(本名:ブライアン・クロス)は、幼少期の頃から音楽とアートに興味を持つ。学生時代にはパンクロックに影響を受け、スポーツも楽しみながらアートへの情熱を育み、アート&デザイン国立大学(National Colleget of Art and Design)へ入学。絵画を学ぶ傍ら、「Blue Funk」というポリティカルアートの集団に属し、夜な夜なロックやラップを聴いていた。

アメリカに渡ったのは大学卒業後の90年。カリフォルニア州ロサンゼルスにあるカリフォルニア芸術大学(California Institute of the Arts)でアラーン・セクーラ氏の元、写真を学ぶためだった。そしてある教授に勧められたことをきっかけに、ロサンゼルスのラップの歴史を題材にしたプロジェクトを開始。DJシャドウやマイカ9、ドクター・ドレーらをはじめとする40人ほどのアーティストらを取材した。教授の後押しもあり、それらを一冊の本「It’s Not About a Salary: Rap Race and Resistance in Los Angeles」にまとめて、93年にVerso Booksより出版。多くの賞賛を得た。

他にも、90年代の半ばに、彼にとってとても重要なブレークスルーが3つ起きた。一つはヒップホップ/ブレイクビーツ界の重鎮とされ、トリップ・ホップやアブストラクト・ヒップホップという新しいシーンを築いたDJシャドウのアルバムカバー「Endtroducing」を撮影したこと。二つ目はFUJI フィルムのカメラGA645を使い出したこと。それにより、身軽に動いて大事な瞬間を逃さず捉えることが可能となった。三つ目はB+が抱えるプロダクション会社「Mochilla」のパートナーであるエリック・コールマンとの出逢い。エリックのサポートによって、自身が撮りたいもの=ヒップホップだと強く思い、奮い立つことができたのだ。

 

その後もB+は精力的に活動を続け、ナズ、ローリン・ヒル、ザ・ノトーリアス・B.I.G.、モス・デフ、Qティップなど数多くのヒップホップアーティストたちを写真に収めてきた。また、MVも撮るようになり、DJシャドウやメキシコのラップグループ・コントロール・マチェテ(Control Machete) 、日本でもニトロ・マイクロフォン・アンダーグラウンド(Nitro Microphone Underground)などの作品を手がけた。

自身のアーティストとしての活動以外にも、2012年からUCSD(カリフォルニア州立大学サンディエゴ校)のアート科で准教授として写真を教えている。また、多忙な日々の傍ら、これまで撮りためたものの中から貴重な200枚の写真を収めた写真集「Ghostnotes : Music of the Unplayed(ゴーストノート:演奏されないサウンド)」を2017年の末にリリース。アメリカ西海岸、アイルランドでのブックツアーを経て、東京へやって来たB+が取材に応じてくれた。幼少期の頃の思い出から、多くのチャンスを運んだプロジェクトについて、さらに、これまでで一番思い出深い撮影や、今の時代の写真についてなどを聞いた。

写真で溢れかえる時代でも、写真が本当に好きならどんどん撮るべき。優れたフォトグラファーであれば、きっと誰かが目をつけてくれる

―B+さんはアイルランド出身とのことですが、どのような環境で育ったのですか?

出身と育ちはリムリックという小さな街で、子供の頃は自然の中を何時間もかけてさまよって遊んだりしていた。とてもいい時代だったと思うし、あの頃がすごく懐かしいよ。でもアイルランドはいろんなことから閉ざされていたから、大きな出来事で覚えていることと言えば、僕が11か12歳の頃、パンクロックがニュースになったことかな。1976年12月のことだね。当時はみんながパンクロックに憧れていて、その頃初めてカルチャーが人に与える影響の凄さを知ったんだ。

 

―音楽はずっと好きだったんですか?

うん、というか、僕は小さい頃からとても耳が冴えてたんだよね。例えばラジオで初めてかかる曲を聴いて、それがヒット曲になるってわかったんだ。

 

―大学では絵画を学んだんですよね。アートへの情熱はどう育んでいったんですか?

子供の頃から、よく父と絵を描いて競い合っていた。例えば馬の絵をお互いに描いて、どっちの方が上手く描けてるか、なんてね。中学、高校の頃はスポーツも得意だったけど、アートも変わらず好きだったからその道に進もうと思って、アート&デザイン国立大学(National Colleget of Art and Design)に入学したんだ。写真を学びたかったけど当時はその選択肢がなくて、両親が勧めるインダストリアルデザインを勉強してみた。でも、僕には向いてなかったみたいで全然好きになれなかったね。それから絵画を学んだんだ。その2年後に自分で写真を撮るようになって、最初は自然を撮っていた。

 

―その後、90年にLAのカリフォルニア芸術大学(California Institute of the Arts/カルアート)でアラン・セクーラ氏から学びたいと思ったそうですが、なぜそう思ったのですか?

セクーラ氏は労働問題をテーマにしたものを撮ったり、写真を面白い角度で捉えていたからね。あと、彼の「Photography Against the Grain」という本にすごい感銘を受けて、彼の元で勉強したいと思ったんだ。

 

―先ほどアイルランドは閉ざされた国だったとおっしゃっていましたが、当時写真について学ぶ源は十分にあったんですか?

難しかったね。学校の図書館にある本とかを読んでいたけど、写真を教えているところはなかったから。そのうちだんだんと写真の情報は入ってくるようになっていったけど、まさか写真が仕事になるとは思ってもいなかったな。結婚式を撮影するくらいしか思い浮かばなかった。

 

―LAに来た時は、「フォトグラファーになりたい!」とか夢を持っていたわけではないんですね。

全然。写真を学びたいとは思っていたけどね。あとは、アメリカでどんなことが起こっているのかを知りたいというのもあったけど、卒業したらアイルランドに戻る予定だった。カルアートに入ってしばらくは自然を撮っていたんだけど、1年目の終わりの夏に、マイク・デイビスという教授が僕にヒップホップのプロジェクト (「It’s Not About a Salary: Rap Race and Resistance in Los Angeles”」93年にVerso Booksより本を出版)をやったらどうかと言ってきたんだ。

 

―あのプロジェクトのテーマはあなたご自身が決めたのかと思っていたら、先生のアイデアだったんですね!

そう、僕はいつも音楽を聴いていたし、カルチャーとしてもすごい影響を受けてきたけど、それをテーマにした写真を撮るとは思ってもいなかったよ。若い時って自分の意思とは関係なしに周りに勧められてやってみることってあるよね?そんな感じだったんだ。他でも同じようなことをやってる人がいるかと思ったけどいなかったし、やっていて楽しかった。それで2年半くらいかかって完成したものを先生に見せたら、すごく良いから本にしたらどうかと言われて、本の契約を取ってきてくれたんだ。

 

―素晴らしいですね!プロジェクトを通してたくさんの扉が開いたわけですもんね。

そうだね、マイカ9、DJシャドウ、ファーサイド、アイス・キューブ、ドクター・ドレーとか、取材で出逢った人達とのちに仕事をしていくこととなった。

 

―彼らは取材に協力的でしたか?

うん、あの頃ヒップホップはまだそんなにメジャーじゃなかったしね。

 

―本を出した後、大きく変わったことはありましたか?

本を出す前、僕はカメラショプで働いていたんだけど、クビになって職を失った。それで何か食べていける術を見つけないとと思って取材を始めたけど、その後も長いこと生活は苦しかったね。それからアメリカに定住しようと決めて、仕事が来だして少しずつ稼げるようになって、MVを撮るようになってから変わったかな。メキシコやキューバ、ブラジル、日本に行ったりするようにもなった。当時、多くのヒップホップの会社は、音楽もファッションもインディーズとしてやっているところが多かったけど、彼らは日本からのサポートなしに経営を続けるのは難しかったと思うよ。僕もそのうちの一人で、日本と仕事をできてとてもラッキーだと思ってる。

 

―これまでたくさんのヒップホップアーティスト達を撮影されてきましたが、一番思い出深い撮影について教えてください。

マッドリブがブルーノートから出した「Shades Of Blue」のアルバムカバーを東京で撮った時かな。彼がそのアルバム用に写真が必要なタイミングで、僕は写真展をやるために東京に来ないといけなかった。僕がLAに戻った後だと間に合わないということで、彼も一緒に東京に来ることになったんだ。写真展が終わったあと、撮影用にスーツを買って1日かけて東京の街で撮影をした。すぐにフィルムを現像して、LAに送って、僕がLAに戻った頃には写真が選ばれてカバーが出来上がっていたよ。あの写真は今でもすごく気に入ってるし、特別なものの一つだね。

 

―他に、B+さんの歴代の作品を象徴する一枚と言えば、やはり「RAP PAGES(ラップ・ページズ)」のカバーになったオールダーティー・バスタードの写真が挙げられると思うのですが。

そう?あの撮影は、当時ジャネット(ジャクソン)のカバーがすごい話題になった時だったから、真似してやったんだ。ジャネットの写真がどうやって撮られているのかをよく調べて、ハッセルブラッドで撮った。そういえばモデルが被ってるウータンのビーニーは オールダーティーの女性マネージャーが個人的に作ったものだったんだけど、モデルが持ち去っちゃったもんだから、彼女は激怒してたね。多分今でも怒っているんじゃないかな。

 

写真展会場にて。右がオールダーティー・バスタードの作品

―そんなことがあったんですね。ところでB+さんは、「RAP PAGES」や「Wax Poetics(ワックス・ポエティックス)」でフォトエディターを務めていたこともありますが、その経験はフォトグラファーとしてやっていくのに役立ちましたか?

あの経験のおかげで、フォトグラファーとしてかなり早いスピードで上達していけたと思うよ。エリック・ジョンソン、カール・ポージー、ダニエル・ヘイスティングス、スー・クウォンとか、たくさんのいい写真家達の作品を見て、彼らがどんなことをしているのかを知れたからね。

 

―反対にご自身がフォトグラファーとして、他のフォトエディターから学ぶことはありましたか?

二人の優秀なフォトエディター、「VIBE(バイヴ)」のジョージ・ピッツと「Raygun(レイガン)」のロビン・フォーレストと仕事できたのはとてもいい経験だった。彼らに撮影を依頼されて撮った写真を見せると、時には「なんでそうするんだ。こうすればいいじゃないか」とか「こんなの見たくない。こういう写真を撮ってこい」なんて言われることもあったけど、そのおかげで僕はいろんな写真を研究して自分のスタイルを築いていくようになった。でも、他のフォトグラファーのスタイルを盗むことだけはしないようにしてたよ。ヒップホップでも他のラッパーのスタイルを真似るのはご法度だったようにね。僕もなんとか自分のスタイルを作っていって、次第に人々からそれを求められるようになったんだ。

 

―ご自身の写真のスタイルをどのように定義しますか?

ごくたまにストロボを使って撮ることもあったけど、必ずいつも現場にある光を使って撮るようにしている。僕が今教えてる生徒達にも言ってることだけど、スタジオでライトを作り込む前に、まずは世の中をよく観察した方がいい。それを知らずにゼロから光を構築するのは難しいからね。あとはフィルムで撮ること、それと写真同士に繋がりを持たせて見せるようにしてるよ。目を凝らして探さないといけないけど、違う写真同士の中にある関係性を見つけるのが好きなんだ。あとは、例えば被写体がミュージシャンだったら、彼らが作っている音楽をよく聴いて、その被写体との関係性を築くようにしてるよ。綺麗に写真を撮るのは簡単だけど、もっとリアルなものを求められるのなら、時間をかけて相手を知る必要があるよね。

 

―2017年末に発売された写真集「Ghostnotes : Music of the Unplayed(ゴーストノート:演奏されないサウンド)」についてお伺いしたいのですが、この写真集を作ろうと思ったきっかけは?

1999年にLAのNew Image Art というギャラリーで写真展をやった時に、「Ghostnotes」というタイトルでやったんだけど、実はその頃から作品同士に繋がりを持たせて、写真集として見せるにはどうしたらいいかって考えていたんだ。例えばクール・ハークの写真の次にキング・タビーの家の写真、ポール・ハンフリーがフーセンガムを膨らませている写真の次に少年としゃぼん玉の写真、その次にコロンビアの若者が手でWをしている写真っていう風に見せることで、音楽の他の側面についてを語れるし、写真の意味が成してくると思うんだ。でもアイデアを形にするのは時間がかかるよね。仕事以外に色んなことが起こるし、ネガをスキャンしてデジタル化するだけでも3、4年かかった。あとはインデザインを学んで、レイアウトもほとんど自分で考えたよ。

 

DJクール・ハーク(左写真の右側)、WFMJレコードフェアにて、1997年

キング・タビーの家、ジャマイカ 2012年

ポール・ハンフリー、LA 1999年(左)イライジャ・ワシントン、カリフォルニア 2009年(右)

コロンビアの青年、2009年(上4枚全て写真集「Ghostnotes」より)

―本を出版してからツアーもされていますが、反響はどうですか?

今までやってきた中ではとてもいい反応をもらえてる。アメリカはLA とサンフランシスコでやったけど、残念ながら東海岸ではまだやってないんだ。あとはアイルランドでもやったよ。今回日本でもやって、これから他のアジアの国でもやるかもしれない。できればヨーロッパでもやりたいと思ってる。

 

―ところで、今の時代は簡単に誰でもフォトグラファーになれると言われてますが、それについてはどう思いますか?

写真を撮るのは簡単だけど、フォトグラファーになるのとは別だよね。

 

―確かにそうですね。では、若きフォトグラファーにアドバイスをするとしたら?

今の時代は写真で溢れかえっているけど、本当にそれが自分の好きなことならどんどん写真を撮るべきだと思う。もし君が優れたフォトグラファーなら、きっと誰かが目をつけてくれるから。

 

―もし誰からも目をつけられなかったら?

他の何かを見つけた方が良いと思う。それか誰かに目をつけられるまで粘るか、だね。

 

―現在はUCSD(カリフォルニア州立大学サンディエゴ校)のアート科で准教授を務めていらっしゃるそうですが、どんなことを教えているのですか?

写真と映像だよ。教え始めてもう6年経つ。楽しいけど大変だね。拘束される時間が長いし、色んなこととバランスを取るのは難しい。写真を撮ることにも余力を取っておかないといけないからね。

 

―たくさんの生徒さんがいるかと思いますが、彼らをどんな風に見ていますか?

彼らの中には必ず優れた子がいる。25人いるとしたらその内の2、3人くらいと、確率は低いけど。彼らはラッキーだったらチャンスがあると思うよ。他の子達も、最悪でも学んだことに対して感謝の気持ちを持ったり、フォトグラファーとして生計を立てられるようになるまでには時間がかかることを理解して、それまで本物を見たり知ったりしていけば良いんじゃないかな。

 

―優れた生徒とそうでない生徒の違いはどういうところにあるのでしょうか?

色々あるけど、才能以外にも、情熱や自制心を持っていること、よく働くこと、統率力があることとか、それらの中で最低でも二つ以上のことが普通より飛び抜けてなければいけないと思う。なかなか難しいことだけどね。

 

―それでは、今、B+さんが手がけているプロジェクトについて教えてください。

映画を二つ手がけていて、一つはレゲエのドキュメンタリーなんだ。両方とも、撮影監督と監督を担当しているけど、完成にはまだまだ時間がかかりそうだね。あとは「Ghostnotes」をドキュメンタリー映画にもしているんだ。写真集にないものが映画に出てきたり、その反対もあったりするけど、アイデアとしては一緒だよ。

 

―ご自身の未来はどう見据えていますか?

僕は子供の頃から、未来についてを考えたことがないんだ。“期待”というものを持ったことがないし。まあ、自分のことに関してはそれでいいんだけど、誰かとの関係性を作るのにはそれだとダメだよね。プランを立てられないから、友達や恋人をなくすといった問題が起こったこともあった(笑)。

 

―最後に、B+さんにとって成功とはなんですか?

自分がやっていることを続けていくことだね。今のレベルでこの先も人生の旅を続けられればそれで十分だよ。スタート地点を思えば、ここまで来れたことはすごいことだし、僕が人生で経験してきたことは、言い方はちょっと陳腐かもしれないけど、とてもユニークなんだ。お金では買えないことだし、土地を所有してたってできないことだ。だから僕はもう成功してると言えると思うよ。

B+ Information

B+ 写真展“Ghostnotes : Music of the Unplayed”

東京 at 16(Sixteen)渋谷
住所: 渋谷区神宮前6-19-15
開催期間: 2018/12/15 – 2019/1/14
時間: 12-8PM
入場無料