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#4 | Sep 20, 2018

4度目の来日で魅せた新世代ジャズの真骨頂。カマシ・ワシントン、ビルボード東京ライブ公演

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka / Retouch: Koto Nagai

各々のフィールドで専門性を極め、グローバルな視点と感性を持って、さらなる高みを目指す海外のアーティストやビジネスパーソンなどをインタビューするコーナー「INLYTE(インライト)」。第4回目はサックス奏者のカマシ・ワシントン。ロサンゼルスが生んだ今世紀を代表する唯一無二の名プレイヤーは、ジャズというジャンルのボーダーを軽々と飛び越えて、多くの音楽好きを虜にする。
PROFILE

ジャズサックスプレイヤーカマシ・ワシントン/kamasi Washington

カマシ・ワシントンはロサンゼルスで生まれ育ったマルチ奏者/プロデューサー。市内の名高いレイマート・パーク地区でジャズを演奏して育ち、高校生の頃、最初のバンド、ザ・ヤング・ジャズ・ジャイアンツをスティーブン・“サンダーキャット”・ブルーナー、ロナルド・ブルーナー・ジュニア、キャメロン・グレイヴスと結成した。ワシントンは民族音楽学を学ぶためにカリフォルニア大学ロサンゼルス校へ進学し、スヌープ・ドッグ、ラファエル・サディーク、その他多数と共演した。2015年に発表したデビュー作品『The Epic』は熱狂的に大絶賛され、その年の最優秀作品の1つとしてあまねく受け入れられ、初のアメリカン・ミュージック・プライズを受賞した。待望のセカンドアルバム『Heaven & Earth』は2018年6月にリリース予定で、『The Epic 』と、2017年に絶賛されたEP『Harmony of Difference』の成功が基になっている。

ロサンゼルスの音楽一家に生まれ育ち、ジャズと共に育った幼少期。13歳からサックス奏者としてライブで演奏し、大学では音楽民族学を専攻

1981年2月18日生まれ、カリフォルニア州ロサンゼルスのイングルウッドで育ったカマシは、テナーサックス奏者の父と、フルート奏者の母を持つ。音楽一家だったため、2歳からドラム、ピアノ、クラリネットなど数々の楽器に触れる幼少時代を送るが、サックスを吹くようになったのは13歳の頃だった。アレクサンダーハミルトン高校(Alexander Hamilton High School)では音楽を専攻し、テナーサックスのリードプレイヤーとして活躍。その後は名門カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の音楽民族学部(Ethnomusicology)へと進学し、そこで教鞭を取っていたケニー・バレルやビリー・ヒギンズ、ジェラルド・ウィルソンらと共に演奏し腕を磨く。1999年にジョン・コルトレーン・ミュージック・コンペティション( John Coltrane Music Competition)で優勝を果たし、学生時代にはロナルド・ブルーナーJr、ステファン・ブルーナー(のちのサンダーキャット)、キャメロンとともに“ヤング・ジャズ・ジャイアンツ(Young Jazz Giants)”を結成。2004年には同グループで、アルバム『Young Jazz Giants』を発表した。

 

また、13歳からライブでプロのステージを経験してきたカマシは、19歳の時にスヌープドックのメンバーとしてツアーに参加。その後はジャズだけでなく、ローリン・ヒル、フライング・ロータス、サンダーキャットなどジャンルを超えた様々なアーティストとの共演も増えた。2015年には、ケンドリック・ラマーのアルバム『To Pimp A Butterfly』への参加と、初のソロアルバムで3枚組、3時間にも及ぶ大作『The Epic』をブレインフィーダーより発売するという大仕事を成し遂げ、世間から多くの賞賛を得た。その後も2017年には、EP『Hermony of Difference』を、2018年に2枚目のソロアルバムとなる『Heaven and Earth』と、EP『The Choice』を立て続けにリリース。現在はアメリカだけでなく、ヨーロッパや日本でもツアーを頻繁に行っており、今回はサマーソニックとビルボードでのライブのために4度目の来日を果たしたカマシに、今までの音楽との関わり方や日本のこと、成功について、そしてこれからの夢を伺った。

俺ら世代のジャズ奏者はみんなヒップホップから影響を受けている。いい音楽家になりたいなら、まずは自分を知ることから始めよう

—サマーソニックはいかがでしたか?昨日のビルボード東京でのライブも、チケットがソールドアウトだったそうですね。

サマーソニックは楽しかったよ。夕日が凄く綺麗だったね。昨日のライブも良かったし、凄く楽しかった。

 

—カマシさんの音楽との関わりを少し遡りたいです。まず、生まれ育ったのはLAのイングルウッド(Inglewood)あたりですか?

俺の親父がイングルウッドで、母親はサウス・セントラル(South Central)だったから、LAのそのあたりが生まれ育ったところだね。レイマートパーク(Leimert Park)にはよく遊びに行っていたよ。

 

—サックス奏者になる前は他の楽器を演奏していたそうですね。

最初はドラム、その次にピアノ、それからクラリネットをやった。ドラムは俺がまだ2歳の頃に始めて、少ししてピアノも弾き始めた。親父もミュージシャンでサックスを吹くんだけど、彼がまだ若かった頃は、ダブラー(Doubler:2つ以上の楽器を演奏するプレイヤーのこと。マルチプレイヤーとも言う)じゃないといけなかったから、サックスだけじゃなくてクラリネットとフルートもやっていた。俺は親父に、クラリネットの方がサックスより難しい楽器だから、まずはクラリネットをマスターするようにって教えられたんだ。

 

—最初にサックスを吹いた時のことを覚えてますか?

親父がリハーサルに出て行って部屋にサックスを置いていったから、それを手にとって「Sleeping Dancer Sleep On」っていう曲を吹いてみた。ずっとジャズを聴いてきてサックスをやりたいって思っていたから、凄く嬉しかったし、吹いた瞬間に「自分の声はこれだ」って思ったよ。

 

—やはりクラリネットより簡単でしたか?

クラリネットよりは簡単だよ。でも、もちろん音もそうだけど、サックスとはやっぱり違うんだよね。親父は一緒だって言ってたけど、俺はやってみて違うと思った。

 

—お父様から最初にクラリネットをやりなさいって言われた意味がわかりました?

今はわかるけど、当時はまだ子供だったから…。子供の頃って自分のやりたいことをやりたいでしょ?でもサックスをやると決めたら親父も了承してくれた。

 

—若い時組んでいたグループの名前は「Young Jazz Giants」だそうですが、グループ名の由来は?

俺らがジョン・コルトレーン・ミュージック・コンペティションというコンテストで優勝した時の記事で、ある記者が俺らのことを「A Group of Young Jazz Giants」って言ってたんだ。それをグループの名前として使うことにした。

 

—大学はUCLAで民族音楽学を学んだそうですね。プレイヤーならバークリーやジュリアードなどの音楽大学に進む選択肢もあったかと思いますが、なぜUCLAで民族音楽学を選んだのですか?

大学は学位をもらうために行ったわけではなかったし、それまで自分がやってきたことは学校で教わらなくてもそのまま自分で続けられたからね。それに民族音楽を学べば世界中の音楽を勉強できると思ったんだ。自分がそれまで知らなかった音楽や文化を知ることで新しい発見ができると思ったし、実際に自分の範疇になかった音楽に触れ合うことができた。それまで考えたこともなかったインドネシアの音楽とか、北インドのクラシック音楽とかね。

UCLAに行くか、ニューヨークの大学に行くか迷ったんだけど、バンドがいたからLAを離れるのは難しかった。それに、UCLAにはケニー・バレルやジェラルド・ウィルソンなど俺が学びたいと思っていた教授もいたし、プログラムにも興味があったんだ。

 

—プロのミュージシャンとしての最初の仕事は、スヌープ・ドッグのバンドだったというのは本当ですか?

それは初めてのツアーの仕事だね。プロとしてサックスを演奏するのは13歳の頃からやっていたよ、クラブとかでね。最初の仕事は確か14、15歳で、スヌープのツアーに参加したのは多分19歳くらいだったと思う。

 

—当時のスヌープはどうでしたか?

クールで楽しい人だよ。ワイルドだったけどね(笑)。

 

—カマシさんは、もちろんヒップホップからもインスパイアされているんですよね。

うん、ヒップホップを聴いて育ったし、俺らの世代はみんなそうだよ。

 

 —カマシさんにとって、ジャズとヒップホップの違いはどんなところにあるのですか?

ジャズとヒップホップは絡み合って互いに影響を与えていると思う。多くの若手のジャズミュージシャンたちはヒップホップのアーティストから影響を受けている。俺たちで言うと、例えばQ-ティップ(Q-Tip)やスヌープ(Snoop Dogg)、ドクター・ドレー(Dr. Dre)とか。逆に彼らは、ハービー・ハンコックとかジャズのミュージシャンから影響を受けているわけで、ジャズとヒップホップは密接に繋がっていて切っては切れない関係だね。だから俺の音楽にもヒップホップは深く関係しているよ。

 

—カマシさんは今、若手のジャズミュージシャンとして、今のジャズシーンをリードしていく立場にいると思いますが、特にLAの音楽シーンをあなた自身が変えたという意識はありますか?

俺はシーンの一部だと思っているけど、LAの音楽シーンはずっと前から築かれてきたものだし、俺たちが今やっていることはそこに一つのものを吹き込んでいるだけ。

 

—では、LAはカマシさんにとってどんな場所ですか?

生まれ育ったところで、俺という人間を形作ってくれた。LAは、すごく小さな街がたくさん集まって一つの文化を作っているとてもユニークなところだと思う。イングルウッド、ベニス、ダウンタウンとか、どこに行っても違うから、全部好きだよ。

 

—ところで、カマシさんが作る曲を聴いていると宇宙を想像するんですけど、頭の中は一体どんな風になっているんですか?

俺はボ〜ッと思考を巡らせてあれこれ想像するのが好きなんだ。俺の音楽が表しているよね(笑)。いつも脳内のあちこちでいろんなことが巡ってる。

 

—日本人のアーティストで誰か知っている人はいますか?

ウォンク(Wonk)を知ってるよ。前回日本に来た時に彼らに会ったんだけど、いいよね。俺はいろんなジャンルの音楽に対してオープンだよ。

 

—音楽以外に興味があることや、やりたいことはありますか?

スクラップアルバムを作っているし、他にもいろいろあるよ。物語を書くのも好きで、まだ書き終えてないけど今書いている。

 

—ミュージシャンは俳優として活躍する人も多いですけど、カマシさんは演技に興味はありますか?

うーん、よくわからないけど、自分が演技をするより映画を撮る方がいいかな。サイレントムービーだったら出てもいいと思う(笑)。

 

—それでは、カマシさんにとって成功とは?

幸せを見つけること。

 

—最後に、カマシさんのようなプレイヤーになりたい人たちはどうすればいいと思いますか?若きミュージシャンたちへアドバイスをお願いします。

う〜ん、まずは髪の毛を俺みたいにモジャモジャにして…(笑)。それは冗談で、ミュージシャンにとって一番大事なのは、自分の意味や定義を明確にすること。それって終わりのない旅のようなものだけど、とにかく始めないと。ミュージシャンの中には音楽をしっかり勉強して上手に演奏することはできても、自分を見つけられていない人もいる。素晴らしい音楽を作りたいのなら、まずは自分を知ることだね。

 

大柄な体で、動きも優雅でゆったりとしているカマシ。インタビューでは終始穏やかに、ニコニコしながら色々なエピソードを語ってくれた。学生時代は音楽民族学に触れ世界の多くの音楽に触れ、インタビューでも「俺はいろんなジャンルの音楽に対してオープンだよ」と語っていたように、音楽に対して偏見や批評的観点を持たずに、ありのままをただ楽しみ、広く受け入れてきたことが今の彼の人柄と音楽性に深く影響していることを感じた。いつも頭の中でいろんなことを想像していて、最近は曲作りだけでなく物語も書いているというカマシ。彼がどんな小説を書いているのか、いつか読んでみたい。

 

以下は、2018年8月20日にビルボードライブ東京で行われたライブレポート。

ドラムセットがステージ中央を挟んで2台置かれたステージ。メンバーは、カマシ・ワシントン(サックス)、マイルス・モスリー(ベース)、トニー・オースティン(ドラムス)、ロナルド・ブルーナーJr(ドラムス)、ルスラン・シロタ(ピアノ)、ライアン・ポーター(ピアノ)、パトリス・キン(ヴォーカル)。ファーストステージは、「今日は楽しもう。準備はいい?」と言って、カマシのソロで「Hub-Tones」から始まる。

 

Photo by Masanori Naruse

一曲目からベースとドラムがそれぞれソロをたっぷり聴かせた後、2曲目は、シンガーのパトリスがステージに登場し、今年発売のアルバム『Heaven and Earth』より「Journey」を披露。3曲目が始まる前、カマシは「私は世界中に存在する全ての美しい人々を祝して次の曲を書きました。ミュージシャンとして世界中を旅していると、世界には異なる国がたくさんあって、違う人種の人がいて、違う言葉を話して、違う食べ物を食べて、違う考えや思いがある現実に触れますが、そういう人たち皆がお互いを祝して、感謝するような曲です。この曲では5つの違うメロディーを一緒に奏でますが、この地球上に多種多様な人たちが存在することがいかに美しいかということをメタファーとして表現しています」と言って、昨年発売されたEP『Hermony of Difference』から「Truth」を披露。サックス、ヴォーカル、トロンボーン、キーボード、ベース、ドラムそれぞれが優しい音を紡ぎ出し、幾重にも重なった美しいハーモニーは雄大にクライマックスへと展開していく。18分にも及んだ楽曲は圧巻の一言で演奏後は拍手喝采が続いた。

 

Photo by Masanori Naruse

その後は雰囲気をガラッと変えて、「俺の大好きなビデオゲームから」と言い、「Street Fighter Mas」を演奏。ラストはファーストソロアルバム『The Epic』収録曲の「The Rhythm Changes」で締めくくった。カマシのソロから始まり、ドラムが加わり次第に音が重なり合ってボーカルが始まるまで2分以上あるアレンジだった。

わずか5曲だが、演奏時間は70分超。宇宙の中に放り込まれたような感覚になったり、カマシの脳内を一緒に旅している気分にされられたりしながら、ダイナミックでエネルギーに満ち溢れたライブは観客のハートに深く沁み入ったに違いない。

 

カマシ・ワシントン Information