SPECIAL
#1 | Aug 23, 2018

アンダーソン・パーク&ザ・フリー・ナショナルズ再来日公演。パワフルで圧倒的なドラミングスキルとラップで観客を魅了

Interview & Text: Kaya Takatsuna

いよいよ待望の新コーナー「INLYTE(インライト)」がスタートする。INLYTEとは、“人々の心を魅了する美しい人やもの”というという意味合いを持つ。ここでは、各々のフィールドで専門性を極め、グローバルな視点と感性を持って、さらなる高みを目指す海外のアーティストやアスリート、ビジネスパーソンなどを特集していく。HIGHFLYERSがテーマに掲げる「成功」や「夢」を中心に、彼らがどんな環境でどんなことと闘いながら想いを実現させてきたのか、また、これから何を成し遂げようとしているのかなどをインタビューしながら、その人物の魅力に迫っていく。 第一回目のゲストは、米国カリフォルニア州出身のシンガーソングライター、アンダーソン・パーク(Anderson .Paak)。
PROFILE

シンガーソングライター/プロデューサー/ラッパーアンダーソン・パーク/Anderson .Paak

彼の名前と苗字の間にある一つのピリオド、それが放つ存在感にはアンダーソン・パークが今世紀最も注目すべき人物である事、そして素晴らしくユニークなアーティストだという事が示されている。彼が世界中から注目される理由、それはすなわち彼が作る音楽には70年代の音楽界を率いたアイコンたちのパワフル・ソウル・ヴォイスの要素を取り持ちつつ、現在の音楽を取り込んだユニークさがあるからだ。シンガー、ラッパー、ドラマー、そしてプロデューサーなど様々な場面で活躍しているアンダーソン・パーク。まさに「ジャンルレス・サウンド」と言える彼の音楽は、R&B、ヒップ・ホップ、ダンスなど多様多種な音楽スタイルを混合しており、濃厚で中毒性が高い音楽を作る事に成功している。世界中に強固なファンベースを持つアンダーソンの音楽はローリング・ストーン、ビルボード、ニューヨーク・タイムズ、ロス・アンゼルス・タイムズ、ピッチフォーク、他大手米メディアから高い評価を得ており、彼はそしてエレン、ザ・レイト・ショー・ウィズ・ジミー・キンメル・ライブ、CBS・ディス・モーニングなどでテレビ・パフォーマンスを成功している。 アーティストとしてまだ比較的経験が浅いのにもかかわらず、アンダーソンは現在に至るまで100曲以上を世に送り出してきた。2017年に彼は恵まれない子供たちや次世代の若手アーティストの為のセーフ・ヘイヴェンとなるNPO法人「.Paak House」を立ち上げ、子供たちの音楽や教育、そしてメンタル・ヘルスの向上をサポートし続けている。 ドクター・ドレーのレーベル、アフター・マスと契約を交わしたアンダーソンは、現在待望の最新アルバムの制作に取り掛かっている。 彼の次のステップに世界が注目する。

ホームレス生活からわずか5年でグラミー賞ノミネート。人生で起こることはすべて必然

カリフォルニア州ヴェンチュラ市(Ventura)にあるオックスナード(Oxnard)で生まれ育ったアンダーソンは、小学校6年生の時、バンドのドラマーとして教会で演奏を始める。高校生になるとターンテーブルを手に入れて、DJをしたりミックステープを作ったりするようになるが、音楽だけでは生活していけず、その後は音楽活動を続けながらサンタバーバラのマリファナファームで働く日々を過ごした。しかし、程なくしてファームを解雇されホームレスになってしまう。息子と妻を抱え、友人の家に住まわせてもらう日々を送ることになったアンダーソンは、そこで一念発起し、多くのアーティストのプロデュースを手がけるサーラー・クリエイティブ・パートナーズ(Sa-Ra Creative Partners)のメンバー、シャフィーク・フセイン(Shafiq Husayn)のアシスタントとして雇われることになった。2011年頃の出来事である。

才能が開花し世間から注目を浴びるようになったのは、それから数年後にブリージー・ラブジョイ(Breezy Lovejoy)というアーティスト名をアンダーソン・パークに変えた頃。そしてついに2014年にデビューアルバム「Venice」をリリースすると、その後ドクター・ドレー(Dr. Dre)に見出され、ドレーの15年ぶりとなる新作「Compton」の6曲に参加したことでスターダムへの扉が大きく開かれた。翌年発表したセカンドアルバム「Malibu」は、グラミー賞で最優秀新人賞と最優秀アーバン・コンテンポラリー・アルバムの2部門にノミネートされたほか、多くの著名ミュージシャンから名盤と絶賛され、名実ともにアメリカを代表するミュージシャンとなった。

 

今年の夏は、フジロックフェスティバルへの出演と豊洲ピットでのワンマンライブのため、ザ・フリーナショナルズ(The Freenationals)のメンバーと共に来日。2016年に続き2度目の来日となった今回、豊洲ピットのライブには、フジロックでの素晴らしいパフォーマンスの噂を聞きつけた人達が開場前から当日券を求めて列を作っており、日本での注目度がますます高まっているのを実感することができた。HIGHFLYERSは開演前のアンダーソンに、ドラムとの出会い、貧困時代のこと、ドクター・ドレーについて、アーティストを志す若者へのアドバイス、夢と成功など様々な話を伺った。

自分が愛することの中に幸せは見つけ出せる。地道な努力をして準備しておけば、必ずチャンスは掴める

—フジロックはいかがでしたか?ライブを生で観た人もネットで中継を観た人も、みんな素晴らしかったと絶賛していました。

 本当に?気に入ってくれた?実は、標高のせいか、風が思ったより強かったせいか、始まる前はすごく疲れていて調子があまり良くなかったんだ。でも、ステージに立ったら、そこからの景色の美しさに圧倒されたね。しばらくして雨が止んで、空から日が射してきた時は本当に素晴らしかったよ。観客のみんなも僕の音楽をわかっていて、僕のパフォーマンスを凄く楽しんでいるのが伝わってきてクールだったね。

 

—昨日はオフでしたが、東京でどう過ごしました?

家族とゆっくり過ごしたよ。原宿に買い物も行ったし、息子と妻と、義理の弟とその彼女と一緒にロボットレストランにも行ったよ。ランダムにいろんなパフォーマンスがあって、すごく不思議なところだった(笑)。息子も喜んでいたよ。

 

 —今日のライブの準備は完璧ですか?サウンドチェックはうまくいきました?

 凄く上手くいったよ。時間がなかったけど、ジャムセッションをやって新曲を合わせたんだ。

 

—アンダーソンさんの今までの音楽との関わりについて少しお聞きしたいのですが、音楽に夢中になったのはいつ頃からですか?

もともと音楽好きな家族で、母親がテンプテーションズやカール・スミースといったいい音楽をずっとかけていたんだ。ドラムを始めたのは、12歳の時。ドラムセットを手に入れて、教会のバンドに入った。それからはDJになりたくて、ターンテーブルを手に入れて練習したり、ビートを作って曲を書いたりするようになったんだ。高校の頃からは教会でドラムを演奏しながらお金を稼いで、MPCとかキーボードとか機材を買って、ミックステープを作ったりしたよ。とにかく教会で音楽を色々学びながら、ベストなミュージシャンなろうと思って夢中で演奏していたよ。

 

—数ある楽器の中で、なぜドラムを選んだのですか?

それしか残ってなかったんだ。本当は女の子にモテるからサックスをやりたかったんだけど、サックスは他の奴に取られちゃって、残ってたのはべースとドラムだった。やるのをやめようかと思ったんだけど、家に義理の父親のドラムセットがあって、俺がどうやって演奏するのか全然わからないって言ったら、「とにかくやってみな」って言うから、とりあえず叩いてみたら凄く簡単だったんだ。すると、母親が来てダンスし始めて、「アーチーベル&ザ・トレルズ(Archie Bell & the Drells)の『Tighten Up』が演奏できたらみんな注目してくれるわよ」って言うから、その曲を練習することから始めた。それからはドラムを叩き続けたね。

 

—ところで、まだ売れない時代に、マリファナファームで働き、そのあと解雇されてホームレスになったっていう話は本当ですか?

そうだよ。奥さんが妊娠したからすぐに稼げる仕事をしなくちゃと思ったんだ。音楽だけではまだ十分なお金を稼げなかったから、マリファナファームで平日8時間から10時間働いて、週末は家に戻るっていう生活をして、病院にかかるお金や生活費を払っていたんだよ。でもベイビーが生まれてお金がなくなっちゃったんだ。

 

—振り返ったらその当時は最も辛い時期と言えますか?

まぁ、何度かやめたくなったけどね。次のステップへと人生を進めていきたかったし、他の人を見ているとどんどん成功していくのに、僕らはまだまだ貧乏で、車もないからバスを使って、フードスタンプ(アメリカで低所得者向けに行われている食料費補助対策のクーポンのこと)をもらっていたんだから。とは言っても、楽しいこともたくさんあったけどね。子供ができる前はちょっとしたお金があれば良かったけど、息子が生まれた時、「家族ができたんだから、さぁ、ここから抜け出して進まなきゃ」って、音楽をしっかりやっていこう覚悟を決めたよ。振り返ってみれば、色々大変だったけど全てが信じられないくらいあっという間に過ぎていったよね。

 

—その時、今のようなスターになる姿は想像できました?

こんなことになるなんて思いもしなかったよ。でも全てのことは必然だと思うんだ。だって、マリファナファームで一緒に働いていた友人のホセが、今もザ・フリー・ナショナルズのメンバーとして活動しているんだから。他のメンバーともその頃出会ったんだけど、みんなで音楽を作ったり、演奏したりしながらこの先どうしていくべきかって毎晩話し合っていたんだ。

 

—2014年に「Venice」をリリースしてから、わずか数年でここまでスターになるって、私たちからしたらまさにアメリカンドリームを体現しているように見えますが、何か秘訣はありますか?

いや、ただその時を必死に生きてきただけだよ。今だって、最高の曲を作ってライブでベストなパフォーマンスをすることだけに集中しているし、いつも与えられた環境で精一杯闘っていきたいと思っているよ。周りのみんなが成功して大きくなっていくのと一緒に僕らも大きくなりたいし、これからもっとストーリーを作っていきたいと思ってる。

 

—素晴らしいです。ラップやヒップホップは、日本ではまだアメリカのようにメジャーではないですが、アンダーソンさんのようにトップアーティストを目指している若者に勇気を与えるようなアドバイスをするなら?

 特にヒップホップを志す女の子たちに言いたいけど、君たちが女であることを利用しようとするヤロウもいるだろうし、とにかく全部自分でやらなくちゃいけないから大変だと思うんだ。でも、自分でビートを作って、詩を書いて、歌って、レコーディングも全てできるようになれば、誰に頼る必要もない。いつか人を雇って仕事することになっても、誰に何も言われることなく夢を叶えることができるんだ。でもそのためには、地道な努力が必要だよね。僕も自分の部屋でレコーディングして、ビデオを撮って、マーケティングして、PR素材を作って、ショーのオーガナイズをして、同時にサウンドやラップの作り方も勉強しながら、地味で大変なことを全部やってきた。成功している面しか見てない人も多いけど、こうやって準備をしていたからチャンスをものにできたんだよ。

 

—ではなぜ女性だけに?男性は違うのですか?

一緒だよ、でも男は簡単。勝手にどんどんやれるからアドバイスはいらないんだよ(笑)。女の子は十分なリスペクトがなかったり、パワハラもあったりするしね。

 

—そういうことですね。ところでアンダーソンさんは、日本のアーティストの音楽も聴くことはありますか?

YMO、坂本龍一、山下達郎、あとは上原ひろみや佐藤博も聴くよ。

 

—アンダーソンさんのキャリアを語る上で、ドクター・ドレーの存在はとても大きいと思いますが、彼はあなたにとってどんな人ですか?

 間違いなくメンターだし、Big bro(偉大な兄貴)だよね。Big uncle(偉大なおじさん)だしHomie(親しい友人)でもあるし、彼はちょっと別格なんだ。もう全てを手に入れた人だから、何かを得るとか失うとかそういうレベルで生きていないし、そういう考えで人と付き合ってもいない。それに、全く威圧的じゃないし、僕の活動もリスペクトしてくれて自由にやらせてくれる。前向きだし、僕に対しても正直だし、いつも勇気をくれるんだ。アドバイスが欲しい時には親身になって話してくれるし、本当に凄い人だと思う。

 

—では、アンダーソンさんがこれからの未来に描いている夢はありますか?

 たくさんあるよ。ザ・フリー・ナショナルズのみんながリッチになること。そしてビルボードホット100に入るヒット曲が欲しい。それから、グラミー、オスカー、VMA(MTV ビデオ・ミュージック・アワード)やAMA(アメリカン・ミュージック・アワード)も獲りたい。

 

—オスカーとは、これから役者にもなるんですか?

演技もプロデュースも作曲もなんでもやりたい。それに、ジェット飛行機も、ソーラーパワーも買いたい。それからいつかヴィーガンになりたい。

 

—ヴィーガン?それはなぜ?

食べ物が世界を救えるでしょ。肉を食べる人も多いけど、肉よりベターな食べ物は世界中にあるから。それに見た目も良くなるんじゃない(笑)?

 

—なるほど(笑)。それでは最後に、アンダーソンさんにとって成功とはなんですか?

 自分が愛することをやること。そこに必ず幸せを見出せるはずだから。それから、自分の人生のミッションを見つけてそれを実行すること。それは他人を救うことにも繋がると思う。自分のやるべきことを見つけられずに、他人に意見を押し付けて人の人生をめちゃくちゃにするやつらも多くいるけど、俺は自分のミッションを見つけることができたし、それをサポートしてくれる人がそばにいるんだ。そういうことが成功だと思うよ。

 

インタビューで話す言葉もまるでラップしているかのようにリズムがあり、ステージ上のパワフルでポジティブなエネルギーをそのまま感じることができた。今後の夢を語る姿は、まるでこれから描くこと全てが叶うと信じて疑わない少年のように、ワクワク感で溢れ、キラキラとしていた。

また、タワレコオンラインサイトには、アンダーソンおすすめのアルバム情報を掲載している。そちらもチェックして、アンダーソンの音楽性にどっぷり浸かろう。

 

以下は豊洲ピットのライブレポートとなる。

 

ショッキングピンクのドゥーラグとオーバーオール、GUESSのロゴが大きく描かれたイエローストライプのTシャツという出で立ちで、フリーナショナルズのメンバー4人(Jose RiosRon Tnava Avant、 Kelsey Gonzales、 Callum Connor)に続いて舞台下手から登場したアンダーソン。ステージの中央に置かれた高台に乗ると「Come Down」をヘビーなビートに合わせて歌い踊り、「トーキョー!ジャパーン!カリフォルニア、ロサンゼルスから来たよ!今夜のパーティの準備はできてる?」と叫ぶと観客の熱気は1曲目から一気に高まった。

 

「The Waters」の後、アンダーソンのライブでお決まりの掛け声「Yes, Lawd!」を叫び、観客とコール&レスポンスを3回繰り返すと、「ダンス!ダンス!ダンス!」と囁きながら、ケイトラナダ(Kaytranada)のアルバム収録曲「Glowed Up」へ。続いて最新シングル「Bubblin」の前奏が始まると会場のテンションは最高潮に達した。曲中では、ドラムセットに向かって走り出すと激しいドラミングを繰り広げ、続く「Season/Carry Me」でもドラミングとラップを同時に激しく続けるアンダーソンの姿に観客からの絶叫が聞こえる場面もあった。メンバー紹介の後は「Put Me Thru」へ。続けて「Heart don’t stand a chance」の演奏のドラムロールが始まると、再び会場全体から大合唱。その後、未発表曲「Gidget」を披露し、ハービー・ハンコックの「カンタループ・アイランド」のアレンジのキーボードのソロが続いた。

 

後半は2015年に発表した「Room in here」、スパイク・ジョーンズが監督、FKA ツイッグスが主演を務めたAppleスピーカー「HomePod」のCM曲「Til It’s Over」、「Venice」収録曲の「Miss Right」、その後はノーウォーリーズのアルバムから「Suede」、「Am I Wrong」、「Lite Weight」と立て続けに歌い上げた。

 

「みんな、よく聞いて。君たちの夢は絶対に叶う!僕たちは本当にちっちゃなステージから始めて、今このステージに立てている。これが僕たちの夢が叶った姿だよ。I love Japan!」と言って、続く「The Bird」で観客は再び大合唱。「Luh You」では“I think I luh you”を観客と掛け合い、さらに会場の一体感を作り上げ、アンコールでは「Dreamer」を歌い爽やかに幕を閉じた。

舞台を縦横無尽に駆け回って歌い踊り観客を魅了し、ドラムセットを前にすれば圧巻のドラミングを奏で、スキルとエンターテイメントが交錯した力強いパフォーマンスでこれ以上ないほどの感動と多幸感を与えてくれたアンダーソン。観客の多くがほとんどすべての曲を一緒に合唱できるほど歌詞を覚えていたのは、それだけアンダーソンを深く愛するファンが日本にいることの証明だろう。現在新しいアルバムに取り掛かっているそうだが、ますます目が離せないアンダーソン・パークの今後にも注目していきたい。

アンダーソン・パーク Information