天国に旅立った夫との別れが転機に。金細工職人だった父の教えを胸に、3人の息子と自身のブランドをスタート
バチカンの装飾品などを手がけるイタリア系の金細工商家の娘として、サンパウロで生まれ育ったシルヴィアは、幼い頃からアトリエで仕事をする金細工職人の父の姿を見て、技術を身につけることの大切さを学ぶ。しかし、17歳の時に父が他界。父への想いが強かったシルヴィアはショックのあまり家業に向き合うことができず、別の仕事へ進むことを決意する。大学卒業後はマーケティング、アロマセラピーやカスタムジュエリーなどの仕事を転々とするが、2000年頃にワークショップで金に触れたことで、長年封印していた父との繋がりをより強く感じるようになり、金細工への情熱が再び芽生える。
転機が訪れたのは2003年。突然の事故で夫が急逝したのだ。当時育ち盛りの3人の息子を持つシルヴィアは、家族のために女手ひとつで稼がなければならない状況に陥った。そこで、息子達と一致団結して、数年来趣味として情熱を傾けていたジュエリー制作で新しいビジネスをやることを決意し、自身のブランド「シルヴィア・ファーマノヴィッチ」を立ち上げた。
シルヴィアの作品は、ディテールに凝り、クリエイティビティに富んだデザインが特徴。ブラジルのアクレ州へ旅した時、現地の木を扱う寄木細工の職人の技術を見たことが、作品制作のアイデアのきっかけとなった。自由自在に組み合わされた木に、アメジストやトパーズ、オパール、ガーネットなどの天然石を添えることで鮮やかなコントラストを生み出す。シルヴィアのアイデアをベースに、職人たちの分業により手仕事で作られた作品は、ひとつとして同じものはない。
紆余曲折を経て、ブランドは現在、イヤリングやネックレス、ブローチやクラッチなどの商品を展開し、世界のセレブたちを顧客に持つまでに成長した。世界を旅し続けることで作品制作のヒントを貪欲に探し求めるシルヴィアの好奇心に終わりはなく、二度目の来日となった今回は、日本でも多くのヒントを得たという。大の日本好きというシルヴィアは、日本でどんなことを感じ、何を体験したのだろう。ブラジルに帰国する直前の彼女に話を聞いた。
ナオミ・キャンベルやグウィネス・パルトロウらのセレブも顧客に。作品の背景にあるストーリーや職人の技術の価値、作品の完成度をわかってくれる人に私のジュエリーを着けて欲しい
ー「シルヴィア・ファーマノヴィッチ」を2003年に立ち上げた時のことを聞かせていただけますか?
2000年頃から金を使ったワークショップを趣味でやり始めたら、ずっと昔に亡くなった父との繋がりを強く感じるようになったの。それで、ジュエリービジネスの道に進むことに決めたんだけれど、2003年に突然前の夫を事故で亡くして、真剣に働かなきゃいけなくなってしまった。そこで当時18歳、15歳、13歳とまだ若かった3人の息子達と話し合って、みんなで団結して一緒に新しいビジネスをやろうと決めたのよ。
—息子さん達と一緒にビジネスができるなんて幸せじゃないですか。
今はそれぞれがプロとしてこの仕事で生活できるようになったわ。でも最初はすごく大変で、もうダメなんじゃないかと思った時もあったけど、いろんな機会に恵まれて新しい扉が開かれていったの。息子達は当時ブラジルで英語学校に通っていたこともあって、海外の大学に進学した。二番目の息子、アンドレはニューヨークの大学に行って、それからずっとニューヨークに住んでいて、今はPR会社で働きながらうちのブランドの仕事もしているわ。
—ニューヨークでシルヴィアさんをサポートされているなんて、とても素敵ですね。
とても嬉しいわ。でも、息子達は3人とも性格が全く違うからいつも喧嘩するし、家族でビシネスをするのは大変なこともあるわ。私はいつも彼らの仲を取り持つ役なの(笑)。
—他の2人の息子さんは、何をされているのですか?
長男のアレクサンダーは、GIAという資格を持つ宝石鑑定士なの。だから良い石を見分けることができ流。個人の顧客担当の営業もしていて、制作過程にも関わっているので、私と一緒に世界を旅をしながらリサーチもするわ。末っ子のアントニーは一番難しい経営面を担当している私たちのボス(笑)。彼にはいつも「これやっていい?あれやっていい?」ってお願いしているわ(笑)。
息子のアントニー(左)とアレクサンダー(右)と
—ブランドを立ち上げる前、カスタムジュエリーを作っていた頃は、どんな石を使っていたんですか?
ブラジルでよく採れるアメジストや、トルマリンとか。ブラジルで採れるトルマリンは緑色で、特にパライバ・トルマリンは今はあまり採掘できない貴重な石として有名で、通常のトルマリンより約2倍の値段がするの。他にはエメラルド、クォーツ、アクアマリン、オパールも使っていたわ。私のブランドでオパールを使ったコレクションを作ったことがあるほど、オパールは大好きなの。
—若い頃からたくさんの石を見てインスパイアされたことが、今生かされているんですね。
私の作品は、宝石と自然物、例えば木や貝などをミックスしたスタイルね。他の人からしたら使えないと思うような素材でも、私にはとても価値があって大事に思えるの。
—シルヴィアさんは、日本の工芸品や技法などについてとても詳しいですが、ブラジルからどうやって日本の情報を得ているのですか?
私は常にリサーチをしているの。たくさんリサーチしていれば、必ず何か面白いものを見つけることができるのよ。
—作品を作る上で、どんなものから刺激を受けていますか?
職人の手で作られたものを見た時ね。例えば日本の竹を使って作ったものや根付とか、インドで見つけたミニチュアペインティングとか。あとは自然からはいつもいいインスピレーションを受けるわ。
—ジュエリーを作る過程で一番難しいことはなんですか?
私の作品は全てがオリジナルで、ひとつの作品を作るのにすごく手間と時間がかかること。例えば寄木を作った作品の中にはブラジルのアマゾンで作られたものがあるんだけれど、この場所に行くこと自体がまずとても大変。3つの飛行機を乗り換えて車とボートを使って12時間くらいかかるの。以前は観光用のお土産程度のものしか作っていなかったアマゾンの職人たちと、昔から受け継がれてきた寄木細工の技術を工夫して色や形をアップデートして、ジュエリーを作っているのよ。これらの作品を作り上げるのに、木を切って、寄木を作って磨いて、サンパウロに持って帰ってきて、金や宝石をつけて、完成するまでに100人ほどの手を介して2ヶ月半くらいかかるの。私はアイデアを出してデザインをするのはもちろんのこと、現地にも頻繁に行くわ。
ブラジルのアマゾンにて
—世界中で仕事をしていくのに、大変なのはどんなことでしょう?
他の文化圏の人たちと仕事をするのはチャレンジね。特にインドは難しいと思う。例えば、インドのミニチュアペインティングは男性しかやることを許されていなくて、女性はやってはいけないなどの文化的なルールが残っている。日本は英語を話す人が少ないからそういう意味でとても難しい。グーグルの翻訳を使ってもおかしな風に訳されてしまうしね(笑)。
—ところで、今回の来日は何が目的なのですか?
1年に2回発表するコレクションの参考になればと思って陶器を見に来たの。益子と京都で開催していた大きなフェアに行って、富士には陶芸の練り込みのクラスを受けに行ったわ。練り込みの技術を使ったイヤリングとか、何か作品を作れたらいいなと思ってる。あとは私が大好きな作家、伊藤赤水さんに会いに佐渡にも行ったわ。私は特別な技術を持ったアーティストとコラボレーションするのが好きで、これまでも一緒に作品を作ってきたれけど、彼とも何かコラボレーションできたら良いなと思って。でもやっぱりそう簡単にはいかなそうだけど。
—日本にはまた戻って来られますか?
もちろん、いつでも(笑)。私の前世は日本人だったと思うくらい、本当に日本が大好きなの。着物も和食も好きだし、日本人は優しいし、日本に来る度にホームに戻ってきた感じがするの。できるなら住みたいくらいだし、日本でもいつか私の作品を売れたらいいなと思ってる。今は種まきをしている状態ね。
—日本は未発売ですが、海外ではすでにナオミ・キャンベルやグゥイネス・パルトロウなどのセレブが着けているそうですね。
アメリカとブラジルの多くのセレブ達が着けているのは、ニューヨークにいる息子を始めとしたPRチームのおかげね。もっと多くのセレブが着けてくれるようになるといいなと思う。
グゥイネス・パルトロウ
—他にはどんな方に着けて欲しいと思いますか?
ジュエリーの価値と、ひとつの作品ができるまでの過程やその背景にあるストーリーをわかってくれる人。私のお客さんは経済的にも欲しいものは大体なんでも買えるようなクラスの人達が多いけど、しっかり付加価値を見出して私のジュエリーを欲しいと言ってくれる。それは、とても大切なことだと思うわ。
—それでは最後に、シルヴィアさんにとって成功とはなんでしょうか?
自分の好きなことを心を込めてやること。それが一番大切なことで成功だと思う。そして、完成までの過程でいろんな大変なことがあっても、出来上がったジュエリーを見て喜んで買ってくれるお客さんがいたら、それも成功と言えるわね。自分だけではなく、作品作りに関わっている人達を助けることもとても大切。アマゾンに住む職人達は、以前はすごく貧しい生活をしていたけど、私とビジネスをして今は前より良い生活ができている。それに旅をするのは大変なことが多いけど、いつも新しい発見があるから楽しんでやっているわ。
父から職人の技術の大切さを学び、その想いを受け継いで、「シルヴィア・ファーマノヴィッチ」は立派なブランドに育った。それぞれの作品の背景にあるストーリーはこれからもさらに多くの人の心に伝わっていくだろう。近いうち彼女の作品が日本でも目にする日が来ることを楽しみにしたい。