ON COME UP
#57 | Dec 14, 2021

岩手出身の第14代酒サムライ。学生時代に学んだ化学の知識を活かし、様々な日本酒や、意外性を重視した食とのペアリングの開発に挑戦し続ける

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

ON COME UP 57回目のゲストは、日本酒利酒師の千葉麻里絵さん。岩手で生まれ育ち、勉強好きだった彼女は山形の大学に進学し、有機化学を学ぶ。その頃バイトしていたレストランで接客業の楽しさを知り、上京した後も飲食の世界へ。新宿にある日本酒立ち飲みバー、新宿スタンド酛(もと)などで多くの日本酒に触れ、そのルーツを知るために酒造りの現場へ通うようになる。そこで衝撃を受けた彼女は、日本酒の魅力を伝えようと真剣に向き合うようになり、2016年には第14代酒サムライに叙任した。そんな熱き想いに溢れる千葉さんに、幼少期の頃から学生時代のこと、飲食店で働き始めた日々や日本酒を通しての異業種の人達との出会い、自身の使命に感じていること、今後の夢などを聞いた。
PROFILE

日本酒利酒師千葉麻里絵

日本酒ソムリエ/ 恵比寿 GEM by moto/ 第14代酒サムライ。 岩手県出身。保険業界のシステムエンジニアから飲食業界に憧れて転身。飲食店で勤務するなかで日本酒に魅了され、日本全国の酒蔵や酒販店を訪ねるようになる。酒類総合研究所の研修に参加するなど日本酒の専門知識を習得し、化学的知見から一人ひとりに合わせた日本酒を提供することで人気店舗となる。口内調味やペアリングというキーワードで新しい日本酒体験を作り、さまざまなジャンルの料理人や専門家ともコラボレーションし、新しい日本酒のスタイルを日々模索している。2019年には日本酒や日本の食文化を世界に発信する「酒サムライ」に叙任。国内外の日本酒ファンを魅了し続けている。

千葉麻里絵

—千葉さんは岩手出身ですが、どのような幼少期を過ごしましたか?

転校が多く、大体3年ぐらいで環境が変わるというのが高校、大学まで続いたので、空気を読む子供でした。祖父母から聞いた話だと、幼い頃は結構何でも食べる子。田舎だったので、自然で遊ぶのが好きで、インドアでゲームしてるよりは、外で探検隊みたいなことをしたり、山の中に基地を作ったり、土粘土で遊んだり、木に登っていろんなものを食べたりしてました。あと、自然に生えてるものを何でも食べていたから、常に香りを嗅いでいる子供だったらしいです。

 

子供の頃

―子供の頃に夢中になったものはありますか?

高校生までは結構何でも好きで、優等生でした(笑)。勉強も好きだったし、そろばん、水泳、ピアノなど色々やって、これと言ってすごいハマったというのはなく、全部それなりに好きみたいな。でも、やりだすと寝ないでずっと朝までやるようなところがあって、それは今も変わらないです。

 

―将来の夢はありました?

なかったです。それよりも小学校、中学校の時は盛岡一高に入ることだけ考えて勉強してました。大人になってからの目標が特になかったので、とりあえず良い学校に入ればやりたいことが見つかるんじゃないかなって漠然と考えて。

 

―それで合格したんですか?

はい。盛岡一高の理数科に入りました。 でも入学したら糸が切れちゃって。目標がなくなってしまったのと、中学校までは学校で一番テストの成績良かったのだけど、一高に入ったら本当に化け物みたいに頭が良い人がたくさんいたから、挫折というか、自分がいかに何者でもないことに気づかされたというか。それで一年腐って、赤点とかを人生で初めて経験して。でもその環境にも飽きてきて、2年生ぐらいからもう一回頑張りました。その時は有機化学が好きで、ちょっと勉強したら、赤点だったのがクラスの2位くらいまで上がって。好きなことが見つかると急にやる気が出るんです。大学は、山形大学の工学部の物質化学工学科に入りました。

 

―大学時代、飲食店でアルバイトされたそうですね。いかがでしたか?

最初のお店は、山形の地酒を中心に、日本酒を40種くらい扱ってるところでした。日本酒の名前をある程度覚えないといけないし、「これはどこどこ産の何々の魚です、刺身か唐揚げがおすすめです、ぜひお塩で食べてください」とか、全部頭に入れてもてなす接客。結構お客さんと近い経験をして、飲食って達成感がある仕事だなって思いました。

 

―でも飲食には行かずに、東京の企業に就職されました。数年後、やはり飲食に戻られたのは、その経験が大きかったのでしょうか。

SEをして、仕事自体は全然嫌じゃなかったんですけど、あまり笑顔になる職場じゃなくて、毎日ありがとうって言われる接客業って改めてすごい仕事なんだなと思ったんです。それで3年勤めて3月くらいに辞めて、4月ぐらいから新宿を中心にいろんなバイトの面接に行きました。特に日本酒にはこだわらず、こじんまりとしたお店で、お客さんの顔が見れるようなところでやりたいなぐらいしか思ってなくて。それでたまたま採用されたのが新宿スタンド酛(もと)で、立ち飲みで日本酒をちょっとずつ出すってあまり聞いたことがなかったんで、面白いなって思って。

 

新宿スタンド酛(もと)で働いていた頃

―そうやって新宿スタンド酛で色々な日本酒に触れて、さらに日本酒を好きになっていきましたか?

正直日本酒のことは全然わからなかったので、 実際にお酒を造っている人に会いに行きたくて酒造りの現場に行ったら、結構衝撃的で。冬のピリッとした空気感のなか、見えない菌をコントロールせず一緒に共存して、菌の手助けをしてお酒を造ってる。麹やもろみも生きているし、なにしろ蔵元さんのカッコいい姿に感動して、すごい世界のものを伝えてるんだな、私はこのままじゃだめだと思いました。当時は美味しいお酒がどんどん出始めてきた競争時代だったし、蔵に行っても自分がまだまだ未熟なので相手をしてもらえず、1年目は悔しくて泣くこともよくありました。

 

―それでも通い続けたのは何か自分の中で理由があったんですか?

圧倒的に酒造りがすごいから。悔しかったけど、そんなことはどうでもいいなって思ったんです。菌とか、発酵中のもろみとかを見てると、言葉で説明できないけど鳥肌が立つっていうか。圧倒的にすごいと許せちゃいません?酒造りしてる人たちって、いつまでもかっこいいんですよね。こうして話しているだけで鳥肌が立つ。

 

日本酒の造り手たちと。左:三重県 而今 大西唯克氏 / 右上:栃木県 鳳凰美田 小林正樹氏 / 下真ん中:山形県 山形正宗 水戸部朝信氏 / 右下:広島県 加茂金秀 金光秀起氏

たくさんあるんでしょうけど、人生を変えたお酒との出会いは?

新政の白やまユという、初めて木桶で造ったお酒。裏にあるストーリーを知って泣くことはあるかもしれないけど、そうではなくて飲んだ瞬間に泣けてきて。初木桶なので杉の香りが結構付いていて、バランス的にはすごい危うい感じというか、今にも壊れそうな味なんですね。じゃあ万人ウケするかって言ったら決してしないタイプの、分かる人は分かるけど、分からない人には分からないままでいいような感じのお酒。そのギリギリな感じというか繊細で壊れそうな感じが、命をかけて造ってるっていうのが伝わってきて、当時(新政の佐藤)祐輔さんも多分そういう精神状態だったと思うんですけど、私もこの店をオープンして1年目ぐらいで走っていた時で、日本酒はそういう風土とか、先人へのリスペクト、想いだったり、蔵付き酵母だったりとか、いろんなのがあって、人の心を動かす酒なんだなって感じて、もっと丁寧に伝えていかないといけないなと思いました。

 

ーところで、ここにはどのくらいの種類のお酒があるんですか?

300種類くらいです。奥の部屋には、マイナス5度冷蔵庫があってそこに保管してます。当時そういうことをやってる飲食店が他にいなかったから、同業者にはあまり理解されなかったけど、酒蔵とはそれで密に会話ができるようになったし、酒造りの話ができるようになりました。

 

GEM by moto は、意外な組み合わせのペアリングを出すことで知られていますが、千葉さん的にこれまでのペアリングで史上最強だったなっていうのはありますか?

定番のハムカツとどぶろくです。オープンの時に、一番キャッチーで分かりやすいもの作ろうと思って、「ハムカツを食べて、どぶろくをソース代わり飲んでください」っていう風にしたんです。あとはちょっとした違和感というのも出したくて、ハムカツの場合は、「ハムカツって言ったらビールでしょう」とか、「流し込むドライなお酒でしょう」ってなって、ドロドロのどぶろくと揚げ物なんて合うわけないじゃんみたいに思われがちですけど、ちょっとした違和感で合わせるとめちゃくちゃ美味しいみたいな。それでいて誰もが知ってるメニューにしたかったんで、ハムカツとどぶろくっていう意外性で試そうと思いました。

 

GEM by motoで人気のペアリング、ハムカツとどぶろく

―そういうインスピレーションは、どのようなものから得ているのですか?海外などでも食べ歩いてるからですか?

そうですね、あとは料理以外のことも常に観察してます。 このハムカツとどぶろくの考え方は、私が好きなサカナクションの山口さんがよく言っている「ちょっとした違和感」ということから影響を受けていて。マジョリティに受ける部分とちょっとした違和感っていうのを入れることがすごい大事だって言ってて、なるほどと思いました。

 

―では、千葉さんは、日本酒の世界で自分の使命と感じていることを教えてください。

特に自分は何者でもないと思ってますけど、「酒サムライ」を獲っちゃったんで、やっぱりもっと日本酒を世界に広めていかなきゃと思ってます。別の言い方をすると、世界に対して日本酒を通じてどこまで勝負できるか、日本文化を伝えられるかっていうことで、そういう意味では使命じゃないけど世界征服なんですね。世界平和と世界征服。

 

―プロとして、最も大切にしていることは?

感謝。自分一人じゃ何もできないですからね。プロになればなるほど自分の力がすごいみたいに感じちゃうから、それは日々意識してますね。他に、最近意識的にやっているのが、神棚に手を合わせること。酒蔵さんには必ず神棚があって、神様に日本酒を捧げるんです。前は言われないとやってなかったんですけど、今季から酒蔵に行った時は、神棚の場所を教えてもらって手を合わせるようにしています。

 

―いろんな業界の方とコラボレーションされていますが、他の業種から得るヒントとは、具体的にどういうことがありますか?

お客さんの層が違うので、その反応が面白かったりするし、違う視点も勉強できますよね。例えばコーヒーと日本酒のコラボをやった時は、コーヒーのクオリティや、その資質の種類を知ることができて、そうするともっと違うものにこだわりたいとなって、また別の異業種の人と繋がれるっていう。異業種だと、出会いが掛け算になっていきますよね。

 

―今の日本酒業界の問題点や改善すべき点は何かありますか?

もうちょっと広い視野で物事を見ることじゃないですかね。日本酒業界って老舗の蔵が多いから世界が狭くて、奥に入っていけば入っいてくほど他の世界を知ろうとしないというか。あと現実的な問題で、国内で日本酒を飲んでる人達って、ビールとかワイン、ウイスキーとかと比べると、まだ1割も満たないんですけど、その事実を否定するのではなく、ちゃんと受け止めて、あとの9割の人に対してどう発信していくかということを考えていかないといけないと思います。

 

―飲食業界を目指す若者にアドバイスをお願いします。

とにかく何かやりたいと思ったらやること。あとはいっぱい失敗して欲しい。失敗って怖いけど、失敗ってすごい財産で、失敗することによってすごいいいものが生まれる良さがあるんですよね。あと、ちゃんと失敗をしないと、結局どこまでやっていいか、ギリギリの加減がわからないので、いいものを作ろうとしても中途半端で終わっちゃうんです。ギリギリを知ってると、ここまでやっちゃダメっていうのが分かるので、振り切る時もいいところまで振り切れる。失敗したときは正直へこむけど、後々財産になっていくから、若いうちはどんどん失敗して、そこから得られるものは得た方がいいと思います。

 

―今、千葉さんはどのようなワークライフバランスを送っていらっしゃいますか?

お店に入る時は入って、冬も夏も酒蔵に行ける時は行って、あとは連載を3つぐらい持っているので書いたり、地方でセミナーをやったり、オリジナルのお酒を造ったりとか、いっぱいやってるんで休みはないです(笑)。でも好きなこどだからいらないですね。

 

―中でも何をやっている時が一番好きですか?

仕事では、基本的には書きもの以外は全部好きだけど、ここに立ってる時が一番好き。あと酒蔵に向かう途中の電車の中ですかね。ノートを付けていて、それを見返しながら今年はどんな感じになったのかなみたいなことを想像してニヤニヤしてます。プライベートだと、ラーメンを食べてる時かな。

 

写真左、中:何年もつけているノート。その時々で感じたこと、食べたものの感想などを書き留めている 右:大好きなラーメンを食べている様子

―好きな映画や写真、音楽やアートなどで一番影響を受けたものは?

やっぱりジブリかな。「隣のトトロ」とか「もののけ姫」とかが好きなんですけど、子供の時、寂しかったから、それを観て愛を感じていたんですね 。あとは、アンダーカバー。高1の時からあの世界観がずっと好き。はっきり目に見えないものというか、想像がつかないもの、あとちょっと怖いものが好きです。 美しくてノイズあるものってかっこいいなって。日本酒でもそういうのは好きで、白やまユはそれに近いと思います。

 

―アートも色々見たりするんですか?

見るのは好きです。お母さんがパッチワークアーティストの世界チャンピオンなんですよ。子供の頃からずっと「この配色はどっちがいいと思う?」とか言われて、こっちかな、みたいなのはやってましたね。

 

―理想の女性像は?

自分のやりたいことをやりながらチャーミングな人。小泉今日子さんや、マツコデラックスさん。チャーミングでかっこいいし、優しいですよね、圧倒的に。

 

―社会で起こっていることで気になることは何ですか

スケールが壮大ですけど、食育的なことですね。恵比寿で食育とか、学校に向けての取り組みをやってらっしゃってる方が結構いらして、 ちょっと考えさせられて。親の事情とかでご飯を食べたくても食べられない子供とか結構いるじゃないですか。 人の味覚って、二十歳までに半分形成されて、あとは経験値と言われていて、そうなると昔食べられなかった人たちってちょっと不利というか、それに対して綺麗事かももしれないけど、何かいいものを摂取できるとか、お金がなくても食べられる子供食堂みたいな場所ができたらなと思ってます。それで、そういう人たちが大人になった時に「子供の時、あの人たちカッコ良かったしな」みたいにちょっとだけ思い出してもらって、お金が儲かったら日本酒を飲むか、みたいになったらいいなって。

 

―自分のやっていることで、日本や世界が変えられるとしたら、どんなところだと思いますか?

日本文化を知ってもらうきっかけに日本酒がなることですかね。すごい職人の方たちがたくさんいる国ですし、あと素材とか環境もそうですけど、それって漠然と言っても伝わらないと思うから、私が日本酒のアイコンみたいになって、興味を持ってもらって、そこから色々日本の文化が広げていけたらなって思います。

 

―もうなってますね。

もうちょっとやりたい。そのうち落ち着いたら海外で移動カーとかやりたいです。酒と燗だけ持っていって、「あいつ来たよ」みたいな、そこを荒らして去っていくみたいな(笑)。

 

―一気に視界が開けた瞬間や、自分が成長したと実感した出来事はありますか?

いろんな人とコラボするようになったことかな。今までいろんな異業種には興味はあって種まきしてきたものの、あまり実現してなかったんです。でも、逆にどんどんそういう人たちがうちに集まってきて、ハブっていうか、こういう面白いやつがいるよみたいになって、物事がどんどん上手くなっていった時に、「日本酒という枠に捉われなくていいんだ」っていう感じで楽になりましたね。今までは日本酒にスパイスを入れたり新しいことをすることで、誰かに嫌われるんじゃないかとか、見えない誰かのことを考えていた時があったんですけど、自分がやっていることをいいと言ってくれる異業種とかお客さんたちに対して、ちゃんと真摯に付き合う方がいいって、ある意味吹っ切れたというか。特にコロナになってからがそうでしたね。本当に応援してくれる人だけが残ったから、そういう人たちを大事にしようって腹をくくれたというか、削ぎ落とされた気がします。だから今、いろんなことにチャレンジできるようになって、コロナ前よりすごく忙しいです。

 

―では、千葉さんにとってチャンスとは?

意外と常にあるもの。いつか来るものとか思いがちだけど、常に意識してることが大事じゃないですかね。同じチャンスがあるのに、それを掴む人と掴まない人の違いは、いつも何かに興味を持って目を向けているかどうかだと思います。結構些細なことでも、それを面白がれるか面白がれないかだと思うし、ビッグなことがチャンスだと思いがちだったりするけど、全然そんなことはなくて。例えば街を歩いてたまたま入ったお店にチャンスは転がってるかもしれないし、勝手に決めつけないでとりあえず受け入れてみるみたいなことは、しんどいかもしれないけどそこにチャンスはあるんじゃないかなと。

 

―千葉さんにとって成功とは何ですか?

成功してないからわからないけど、これからじゃないですか。別に社長になってるからすごいとかじゃなくて、普通に田舎で暮らして、農業を毎日やって、収入も少ないし大変だけど楽しそうに生きてるみたいな人は成功者なんじゃないかな。

 

3年後、5年後、10年後の自分はどうなっていると思いますか?

3年後は、人のことをちゃんと育てられたらいいなと思ってます。自分が全面に立ってるというか、プロデューサーみたいな立ち位置。5年後は海外で好き勝手に日本酒を広める旅に出てるんじゃないですか。10年後は、ラーメン屋(笑)。日本酒はずっとやってたいですけどね、おばあちゃんになってもお燗とかつけてたいな。1種類くらいのお酒で、「あそこのおばぁのお酒は超美味いんだよ、目はあまり見えてないらしいけど、香りだけでやるんだよ」とかって(笑)。かっこいいですよね。

 

―最後に、まだ実現していないこと、これから挑戦してみたいことは?

自分の店をやりたい。海外でもアメリカと台湾とフランスで、アメリカはニューヨークもいいなと思いますけど、ロスのアボットキニーとかでできたらいいですね。

 

千葉麻里絵 Information