山岸潤史とKenKenが結成したバンド「Funk On Da Table」が再び結集!ニューオリンズさながらのファンキーな音楽愛に溢れた夜【インタビュー/ライブレポート】

2019/02/18

アメリカはルイジアナ州ニューオリンズを拠点に活動を続ける大御所ギタリスト、山岸潤史が参加するファンクバンド「Funk On Da Table(ファンク・オン・ダ・テーブル)」が昨年に続き、今年も日本国内4か所でツアーを行った。バンドメンバーは、山岸の他に、ニューオリンズ出身で山岸と馴染みが深いキーボードのジョン “パパ” グロウHIGHFLYERS 1月号でも特集しているご存知ベースのKenKenに、ビヨンセのバンド“The Sugar Mamas”で活躍していたことでも知られるドラムのニッキー・グラスピーといった豪華な顔ぶれだ。

山岸は日本国内で70年代初期からブルースやジャズのシーンで、ウエスト・ロード・ブルース・バンドやチキンシャックなどのバンドで活躍してきた。80年代後半にニューオリンズのマルディグラ・インディアンの音楽に衝撃を受け、ニューオリンズへの行き来を繰り返しながら、90年代半ばにとうとう愛して止まない地へ移住を決意。その後はザ・ワイルド・マグノリアス(マルディグラ・インディアンの部族であり、バンド)や、Funk On Da Tableのメンバーでもあるジョンのバンド「パパ・グロウズ・ファンク」に参加したり、数多くのミュージシャン達との共演を重ね、現在も尚変わらず精力的に活躍を続けている。

HIGHFLYERSは、ツアーの最終日、恵比寿のリキッドルームで行われたライブ前に、山岸にインタビューを行い、ニューオリンズへ行くことになったきっかけや現地の音楽シーンについて、若きミュージシャンへのアドバイスや成功とはなどを聞いた。

大御所ミュージシャン達から学んだ一番大事なことは、“自分の音”を知ること。自分の音は作るもんじゃなくて、もともと持っているもの。俺の音は “関西弁”

―昨年行われたFunk On Da Tableのライブを拝見させていただいて、とても素晴らしくて感動しましたが、今年は大阪、名古屋、京都と回っていかがでしたか?

どこも、みんな良かったですよ。昨年はこのバンドでやるのが初めてで、みんな探りながらの状態だったけど、今はバンドとしてちゃんと形になってる。まあいつも事前の決め事は30パーセント程度で、あまり決めずに演奏して、後はもうその時みんなとのケミストリー(化学反応)がどうなるかっていう感じ。

―それはFunk On DaTableの時に限らず、いつもそうなんですか?

ニューオリンズはもうケミストリーのみ。ステージに上がるまで、誰も特に何をやるとかの話はしない。挨拶して上がって、セッティングして、始める。ほとんどそうで、例えば誰かのオリジナルの曲をやる時でも、曲を事前に送ってもらって聴いておいて、リハをせずにいきなり本番でやるとかね。

―じゃあ音楽を演奏するのは、ご飯を食べるような感覚と一緒なんですね。

その通り!音楽をやるのが生活の一部なんですよ。ご飯を食べたり、トイレに行ったりするのと同じなのね。

―それは、アメリカのニューオリンズ以外の都市でも同じように感じますか?

ニューオリンズの街のことを“Big Easy”って言うんだけど、全てがゆるいの。何でかって言ったら、ロサンゼルスとかニューヨークにはインダストリー(業界)があってビジネスと直結してるから、そこで作られる音楽はきっちりしてたり、丁寧なものだったりする。でもニューオリンズは、もっと素朴で気取らない感じ。音楽の街だけど、昔からインダストリーが入ってこれなかった。

―ニューオリンズのミュージシャン達が、業界を受け付けなかったんですか?

ニューオリンズで成功したミュージシャンは、アメリカの南部だったらナッシュビルやメンフィスに行った。失敗してまた戻ってくる人もいたけどね。それに彼らは癖の強い人が多いから、ニューオリンズで発信した音楽としては(他の都市でも)受け入れられたとしても、個人として行った時には受け入れられないことが多かったようです。特に昔(50年代〜60年代頭)はね。

―なるほど。山岸さんが、初めてニューオリンズに行った時のことをお聞きしたいですが、受けた印象や衝撃を覚えてますか?

初めて行ったのは87年。日本でチキンシャック(CHIKENSHACK)というバンドをやっていて、3枚目のアルバムのミックスをバハマでやった帰りに、前から気になってたニューオリンズに行ってみたんだけど、「何だこれ…」って思った。

ーその当時の街はどんな感じだったんですか?

バーボンストリートっていう新宿の歌舞伎町みたいな繁華街があるんだけど、むちゃ臭いの、ドブ臭いって言うか。街中に食べ物の匂いがして、食べ物を買おうって行ってみたら、そこも下水みたいな匂いがして。あとは、僕はいわゆる観光客用じゃなくて、ローカルが集まる所でのライブを観てみたくて、一人でタクシーに乗って行こうとしたら、住宅街の街灯がポツポツしか点いてないような真っ暗な所を通って行かれて、すごい不安になったのを覚えてる。

―80年代ですし、怖そうですね。では、その時はニューオリンズに惹かれたわけではないんですね。

全然。その頃僕は、シカゴブルースやメンフィスのスタックスを聴いていて、ニューオリンズの音楽はそんなにハマってなかったの。でも日本に帰った後も、ニューオリンズの街の匂いが身体から抜けなくて、ある時マルディグラ・インディアンの音楽を聴いて、ドーンとハマってしまった。そしてそれを生で聴いてみたいって思って、91年にジャズフェスに行ったら、もうどんどんハマって、それからはアルバムを作るという名目で毎年行くようになった。そうするうちに、日本に帰りたくないって思うようになって、成田に着くと涙が出てきちゃうようになっちゃって。恋に落ちちゃったのね。飲んでいる時とかにニューオリンズの話をしていても涙が出てくるし、これはもう引っ越すしかないと思って、マネージャーに「95年の9月20日で仕事を全部切ってくれ」と頼んだ。そうしたら「頭おかしいちゃうの!」って言われたよ(笑)。

―それでも強行突破して、95年に行かれたんですね。

確か、9月の26日に行った。これがまた面白いことに、俺がデビューした日が1972年の9月26日で、たまたま同じ日だったの。ニューオリンズに移って、仕事はすぐには見つからなかったけど、ブルースジャムに行ったりしてるうちに、親友のマイケル・ワードっていうパーカッショニストのバンドに入ることになって。その次の年に、ロナルド・ジョーンズに(ザ・ワイルド・)マグノリアスのライブに来いと誘われた。ただ遊びで弾きに来いって言ってるのか、お金を払ってもらえるのか聞いたら、お金を出すからやってくれって言うから、どの曲を演奏するかも教えてもらわずに、ただギターとアンプだけを持って行ったの。(マルディグラ・)インディアンの曲なんて、ニューオリンズの地元の人でさえ知らないのに、俺は全部知ってたから「なんで日本人のお前が知ってるんだ!」ってなって雇われることになった。

―運がお強いですね!これまでの音楽人生で、ご自身にとって一番意味のある出来事を教えてください。

いっぱいあります。ないのは金だけ(笑)。例えば、B.B.Kingと二人だけで共演できたこと。僕は他の人がやってることをやりたくなかったから、BBに二人だけでやりたいって言ったの。彼は一度オーケーしてくれながらもあまり気が進まないようだったけど、トライしてみようと言ってやってみたら納得してくれて、実現してすごい嬉しかった。あとは、ボビー・ウーマックと僕のギターで、レコードの溝を刻むというのが自分の夢の一つとしてあって、それが叶った時は雲の上に登ったような気分だった。

―お話を聞いていて、山岸さんご自身の何かが、実現したいことを引き寄せていらっしゃるように感じますね。

自分でもわからないけど、誰に対しても嘘つかんと素直に接したりするからかな。例えば「この人が好き」って伝えたいって思ったら、言葉じゃなくて行動で示すしね。それだけやと思う、俺はね。好きなことができたら、普通でいいのよ。もちろんお金は必要だけど、昔から自分の音楽が売れるとか、大金を儲けるとかそんなのは全然興味ないもん。

―ニューオリンズの音楽シーンについてお聞きしたいですが、山岸さんが行った頃から変化してますか?

僕が最初に行った頃はファンクなんて全然なかったよ。ブラスバンドはあったけど、みんながニューオリンズ ファンクをやり出したのって98年とか、それくらい。ギャラクティック(Galactic)が出たのが96年くらいで、マグノリアスがメジャーでCD出したのは99年くらいだし、パパグロ(Papa Grows Funk)ができたのも2000年だからね。それからどんどん変わってきてる。ニューオリンズには世界中から若いミュージシャンがいっぱい来るし、昔の俺みたいに、憧れて移り住む人がいっぱいおる。でも、飛び抜けたのはいないね。

―ニューオリンズに行ったら、行くべき山岸さんオススメの場所を3つ教えてください。

メイプル・リーフ(Maple Leaf Bar)、ティピティーナス(Tipitinas)、ヴォーンズ(Vaughn’s Lounge)。僕は、毎週木曜はメイプル・リーフかボーンズのどちらかで、あとは週末にd.b.a、ブルーナイル(Blue Nile)とかでやってます。

―ところで、日本はいろんな種類の音楽があってもテレビで流れているのはポップスが主流ですが、そういう音楽はニューオリンズでは耳に入ってこないですか?

全くない。ラジオをかけたらブルースがかかってるし、レストランに入ってもそう。ポップスはないね。日本は特殊なんだよ。

―同じアメリカでも、ロスやニューヨークなどは違いますよね?

でも、ロスも今やってるのはライブというよりショーケースばっかりやん。俺が初めて行った頃は天国だったよ。フォーラムのようなでかい会場で、エリック・クラプトン、サンタナ、オールマン・ブラザーズ(・バンド)、エルヴィン・ビショップとかが朝の1時半くらいまでライブをやってて、そこからクラブで5時くらいまでやってた。あと、サンセットストリップに会員制のレインボーというバーがあって、そこにはリンゴ・スターやアル・クーパーとかがいて、みんな飲んでヘロヘロになったりしてたよ(笑)。

―アメリカは、スターが普通にいたりして、彼らとの距離を近く感じますよね。

みんな音楽が好きだから、そういう所に現れるやん。一番びっくりしたのが、まだ有名になる前のトム・ウエイツを観に行った時、俺の後ろにティム・ボガートがいてびっくりしたね。彼がやってる音楽は全然違うけど、普通にそこにいるのを見て、俺は「そういうことなんやな」って納得したの。日本って何でもジャンル分けして、「この人はこのジャンルだからそれは違う」とかあるけど、「アメリカはそういうんじゃない、音楽は音楽や」って、俺がアメリカに行きたいと思ったのは、そういうことを確かめたかったからだったの。

―山岸さんは、そうやってたくさんの真のミュージシャンの方達と触れ合ったり、セッションされてきていますが、彼らから学んだ一番大事なことはどんなことですか?

自分のトーン(音)を知ること。テクニック的なことではなく、自分の体とスピリッツ、ソウルを通して聴こえてくる音が一つになった時に、自分の音が出てくるじゃない。そこでエフェクターもアンプも何も関係ない。自分の音って、自分で作るもんじゃなくて、もともと持っているものなの。俺もよく周りに言われるんだけど、「山岸さんは長いことアメリカに住んでるから、もっと(音が)混ざってるかと思ったけど、やっぱり“関西弁”やね」って。それって俺にとってはすごい褒め言葉だし、そう感じてくれるのはすごい嬉しい。だってそうしかできひんし、嘘はつけへんもん。

―じゃあ山岸さんの音楽のスタイルを一言で表すと、“関西弁”ですか?

別にスタイルはない。ただ、ブルースとかファンクとかが好きなだけで、自分のスタイルとかは意識したことないね。俺はスタイリッシュじゃないから(笑)。“スタイル”じゃなくて、“自分が今まで生きてきたこと”やな。

―深いですね!では、音楽を愛して活動を続けている若きミュージシャンで、このままでいいのかとか、悩みを抱えている人はたくさんいると思いますが、アドバイスを送るとしたら?

自分を信じなさい。やりたかったらディグ(掘る)しなさい。勉強だと思って掘るのは違うよ、好きだから掘り起こせんねん。今はYouTubeとかで弾き方とか全部学べるけど、俺らの時代はそんなのなかったから、音を聴いて、どの辺で弾いてるのかなとか、そういう感じだった。でも逆にそれで良かったと思う。俺は、いわゆるポップじゃないロックとかファンク、ジャズとかの全ての音楽は1970年に終わった気がすんねん。(ジミ・)ヘンドリックスや、あまり知られてないけど俺の大好きなアルバート・アイラーというサックス奏者、ジャニス(・ジョプリン)が亡くなって、ビートルズも解散して、何かが終わった。そこから後は、それまでの繰り返しで、彼らに影響を受けた人達が新しい音楽を作っているような気がする。まあとにかく、自分は本当に音楽が好きだって言うんなら、自分を信じなさい。

―それでは最後に、山岸さんにとって成功とはなんだと思いますか?

なんでしょうね。俺は金はないけど、他の人が経験したことないこととかができて、ものすごく最高に幸せ。そういう意味で、成功とは言えないけど、自分の人生に満足してます。

 

大御所ミュージシャンなのにも関わらず、気さくに優しい口調で想いを語ってくれたその心に、真のミュージシャン魂を深く感じた。

以下は、リキッドルームでのライブレポート。

KenKenの「俺たちはFunk On Da Table だぜ!」のかけ声とともに、ライブがスタート。まずは、フレディヘンチアンド・ザソウルセッターズ の「Funky to the Bone」、ファンカデリックの「Standing on the Verge of Getting It On」と立て続けにプレイしたところで、KenKenがメンバーを紹介。そして、「6連チャンで毎日楽しいライブをしていて、サイコーな毎日を過ごしてます。みんなも楽しんで帰ってください!」と言った。

左から時計回りに:ジョン“パパ”グロウ、山岸、ニッキー・グラスピー、KenKen

間もなく、ジョンのキーボードのソロ演奏が始まると、そこに山岸のギターが加わり、アツくセクシーな音色を奏でながら二人のジャムがしばらく続き、ドリス・トロイの「 All That I’ve Got(I’m Gonna Give It To You」を演奏。続いて、ジョンが2017年にリリースした「Cocaine and Chicken Fricassee」、次に、観客の手拍子とともにパパ・グロウズ・ファンクのベース、マーク・ペロの「Gorilla Face」が披露された。まだまだ聴き足りない様子の観客に向かって、KenKenが「みんながついて来てくれれば、また来年も3人を呼べますから」と言い、みんなが笑顔と拍手でそれに応える。そして、再びファンカデリック の「Hit It And Quit It」を聴かせてくれた。

すると、山岸のミュージシャン仲間であるウォッシュボード・チャズ(Washboard Chaz)が偶然ニューオリンズから来ているとのことで、DJなどとして日本国内で活躍する山岸の息子、ライトゥー・ライト(Lightoo Light)と共にサプライズでステージに登場。ウォッシュボード・チャズは、その名の通り、ウォッシュボード(洗濯板)をパーカッション楽器として操るブルース界の大ベテラン奏者。アツいジャムセッションが始まり、ビートとリズムはどんどん加速。すっかりニューオリンズの街と化したような雰囲気の中、パパ・グロウズ・ファンクの「Tootie Montana」を皆でプレイ。テンション高まる会場はマックスに盛り上がった。

写真左:ウォッシュボード・チャズ 写真右:Lightoo Light

大きな拍手でゲストの二人がステージを去った後は、しばし山岸のギターソロを聞かせてくれた。スポットライトが当たる中、響き渡る哀愁漂うギターの音色に観客は釘付けに。次に聴かせてくれたビートルズの「Come Together」は、重く渋い低音で、前曲の時とは違う空気感で観客を包み込んだ。そして最終曲、ジョンの「Pass It!」では、KenKenのベースソロから山岸のギタープレイが加わり、二人のジャムをしばし楽しませてくれた後、ニッキーが力強いドラミングを披露。アンコールでは、再び山岸のギターソロから徐々にメンバーが加わり、ザ・ミーターズの「It Ain’t No Use」を演奏。KenKenとニッキーのファンキーで力強いプレイもたっぷりと楽しませてくれた。「サイコー!」という観客の声や拍手喝采の中、メンバーみんなで挨拶をしてライブは幕を閉じた。

Interview, Text & Photo: Atsuko Tanaka