「硯の中の地球を歩く」発刊、SWITCHインタビュー出演、そして隕石の硯の製作と、さらに邁進する製硯師・青栁貴史が近況を語る【インタビュー】

2018/08/02

HIGHFLYERSは初の試みとして、日本の毛筆文化継承のために尽力する製硯師(せいけんし)の青栁貴史の活動を長期にわたって取材している。前回のブログ記事では2月に蔵前で開催された「青栁派の硯展」をお伝えしたが、それから数ヶ月が経ち、現在はどのような活動をしているのだろうか。7月某日、工房がある浅草の書道用品専門「宝研堂」を訪れた。

改めて説明するが、製硯師(せいけんし)とは、 “硯に関する全てのことに精通する技術者”のこと。青栁は、浅草で昭和14年から続く宝研堂の4代目として、石の採掘から研究、硯の製作、模刻復元のほか、流通プロデュースや修理に至るまでの全てを行っている。

 —最近は、どのような活動をされていましたか?

今年の6月に新刊「硯の中の地球を歩く(左右社)」を出させて頂きました。情熱大陸で話せなかったことや、幼少期のこと、中国での暮らし、それから山に入った時にどういう生活をするのかなど、また製硯師の生活を細かく記しています。4月に本を出さないかというお話をいただいてから、僕の工房に出版社の方達に頻繁に来ていただいてヒアリングをするところから始まったのですが、大学の僕の授業にも出て頂いたりして硯に関する基礎知識を知ってもらいながら進めていきました。3ヶ月ほどの共同作業で本は完成しました。

—出来上がった本をお読みになっていかがでしたか?

当事者である僕が読んでも面白いと思いました。直接的な書道への文化貢献は勿論ですが、この本を読んでいただくことで硯に興味を持ってくれる人が増えたり、硯を持つきっかけを作ることができたら嬉しいです。硯を使う文化を作り手が社会に発信することで、間接的であっても毛筆文化への貢献になってくれることを願っています。

—前回2月にお会いした時は、北海道に石の採掘にいく直前だったと思います。北海道はいかがでしたか?

いろんな気づきがありました。硯に最適な石はなかなか巡り会えないものなんだということを改めて痛感しました。ここを掘ってダメならあそこを掘って、まるで世界地図にダーツをしているような感覚でした。掘ってみないと中なんて全くわからない。自然を相手にしては人は無力ですし、思い通りにならないということを思い知らされました。

 —北海道にはどのくらい滞在されたのですか?

採石、調査を試みたのは合計3回で、日数にすると16日間くらいです。行ってみてひとつわかったことがあるんですけど、どうやら北海道の石、つまり日本の石の年齢は生成されてからだいたい5000万年から8000万年なんです。堆積泥岩というものなんですけど、川がしずしずと砂を運んで、それが少しずつ海の中に積もっていったものが、様々な自然の影響を受けて地層化して成り立っています。その中には地殻変動などの外圧で押し上げられたものがあったりと、基本的には自然界の理の中で、とても長い時間をかけて作られているんです。

—5000万年から8000万年もの時間をかけて作られているのですか。

それがわかった時に、じゃあ中国の石はどうなんだろうって思って調べを進めたら、だいたい1億2000万年前っていうことがわかりました。つまり4000万年違うんです。4000万年という時間感覚って、中国における人が石で作った硯の歴史をざっくりと2000年と考えてもそこにゼロ4つ足して、それのさらに2倍なんですよ(笑)。

—数字が大きすぎてもうわからないです(笑)。4000万年の石の違いはありますか?

我々彫り手が感じる中国の石のあの硬度や密度と、日本のちょっとねっとりとしてフカっとしてる感触の違いが、その4000万年という自然の中の時間の差によって感じるのかもしれないと思ったら、やっぱり日本で中国の名材に勝てる石を探そうという発想自体が違うんだなって思ったんです。別に日本で良くない石が出ているわけじゃないんです。地球が作り上げた石であることは同じで、中国大陸の石、日本列島の石、双方に自然が作り上げた結果としての石があって、それら異なった特色は個性でもあると感じました。

—それで探すのは諦めたのですか?

そう思いながら下山し北海道旭川空港に向かう道中ラーメン屋に入ったんです。食べ終わってレンタカーに乗り込む前にふと夜空を見上げると、本当に綺麗なお月さんが見えたんですね。その時、「僕の足下に広がる大地は8000万年だけど、あのお月さんの石はどのくらいなんだろう」って思ったんです。

—月ですか!?

それで、誰かに聞いてみようと思って、翌日帰って来ていろいろ調べて、国立極地研究所という極地を専門に研究しているラボに辿りつきました。研究室長の山口晃先生に繋いでくださって、先生に「月の石で硯を作ってみたい」とお伝えしたところ、「この人は何を言ってるんだ?」と最初戸惑われている様子でしたが、詳しくご説明差し上げるうちに、逆に地球外の石について色々教えてくださったんです。

—それでどうしたのですか?

隕石で硯を作ることに成功したんです。

—隕石で!!素晴らしいです!

これは、モロッコに落下した NWA869っていう名前の石で、NWAはノースウエストアフリカのことを意味します。大気圏を通過してきたので黒くなっている部分があるんですけど、キラキラ光っているのは磁石でくっつく鉄分です。丸い粒が見えているのが、コンドリュールっていう地球上に存在しない鉱物なんです。ちょっと茶と白が混ざったような丸い斑点、見えますか?

NWA869

—はい。そしてこれが硯ですか?

これが隕石から作った硯の第1号です。あまりの感動にいてもたってもいられず研究所のロビーで持参した簡易工具で作ってしまいました(笑)。その時嬉しくて書いたのがこれです。

「6月19日。拝啓、ただいま極地研究所で宇宙より飛来した石で墨を磨って書いております。おそらく地球人で初めての試みです。」

磨り心地も今までに経験したことのないものなんです。

左:隕石で作った硯 右:その硯で墨を磨って書いた手紙

—感動的ですね。今までの磨り心地とどう違いますか?

墨を滑らせた時、ワンテンポか半テンポ遅れて石と墨の接点の様子が伝わってくるような不思議な感触を受けます。また水との相性が良くなく、従来の製硯方法を受け付けてくれませんでした。 墨を石に噛ませる(*)メカニズムを作るのが僕たちの技術でもあるんですけど、構造や成分の理解が及ばず、取り組むことができた全ての隕石に鋒鋩を作ることができなかったんです。(全部の石に墨を噛ませる面を作れるわけではなかった、つまり墨が磨れなかった)。でも、火星と木星の中間地点という地球から遠い場所で小惑星になりそこなった隕石が飛来して地球にやって来たものの中に、僕たちが硯を作れるものがあったとわかったことは大きな収穫でした。

*「墨が石に噛む」とは、墨と硯面の接点のこと。墨は硯面との摩擦によって出来るので、墨が磨れるように石に繊細な鋒鋩(ほうぼう)と呼ばれる凹凸を整えることも製硯師の大切な技術の一つとされる。

—石の感触の伝わり方がワンテンポ遅れるというのは、石が時空とかを超えてきたからそう感じるのでしょうか。

時空の話などはよくわかりませんが、不思議な磨り心地ですよね。今回は地球外の石という材質に対する挑戦でした。全てが未知の世界。完全な未知の世界を自分の中で体験できた時って、こんなに身体の細胞ごと喜べるものなんだって感動しました。

—今後、彫ってみたい隕石はありますか?

いつか月の石でも彫ってみたいと思っているんです。月の硯っていったら、普段墨を磨っていない方も磨りたいって思うんじゃないかなって。そうすることで文化貢献に直接繋がるんじゃないなって考えています。

 —磨ってみたいです。1億2000万年前の石から月の石まで、時間軸が物凄いですね。

そうですね。石、そして硯、はたまた地球や宇宙の時間感覚から見れば僕の製硯師としての活動なんてほんの一瞬の出来事です。そんな一瞬の出来事であっても、製硯師として取り組んだ挑戦や、それらの結果を多くの方に楽しんで頂けるイベントを計画したいと思っています。

—楽しみにしています!イベントが盛りだくさんで、しばらくはとてもお忙しそうですね。

来年の1月には顔真卿の展覧会があり、その中でイベントも予定されています。それにあたり唐代の硯を再現して製作してみて、当時の製硯師になったつもりで唐代の人々の硯のある暮らしについて紐解きお話しできればと思っています。そんなことを考えながら、最近の僕は毎晩この工房の窓から月を見てうっとりしている生活を送っています。

 

2月に取材をしてからわずか数ヶ月。前回は全く話題に登場していなかった、本の出版と隕石の硯がすでに誕生していたことに非常に驚くとともに、青栁の無限の発想力と行動力に改めて感心させられる取材となった。なお、来たる8月6日には、隕石で硯を製作するにあたり国立極地研究所で出会った隕石研究家の山口晃氏と、発刊記念のトークイベントを行う予定である。テーマは「隕石で硯を作る?!」。石を極めるもの同士がどのようなユニークな話の数々を繰り広げるのか、ぜひ専門家の生の声を聞きに行こう。

Interview & text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

トークイベント「隕石で硯を作る?!」青栁貴史(製硯師)x 山口晃(隕石研究家)

【日時】8/6(月) 19:00〜20:30(開場 18:30)
【場所】青山ブックセンター 本店 小教室
【料金】1,350円(税込)
【定員】50名様

お申し込みは青山ブックセンター本店の店頭、もしくはウエブサイトから。

「硯の中の地球を歩く」の購入はこちらのリンクより。