夏目漱石の硯も再現した話題の製硯師・青栁貴史の魅力が詰まった「青栁派の硯展」。大自然の石に惚れ込んだ男が20年間で作りためた硯の数々を一挙公開【レポート】
2018/03/08
「製硯師(せいけんし)」という職業をご存知だろうか。一言で言うならば、“硯に関する全てのことに精通する技術者”のことで、石の採掘から研究、硯の製作、模刻復元のほか、流通プロデュースや修理に至るまでの全てに携わる仕事人のことを言う。浅草で昭和14年から続く書道用具専門店「宝研堂」の4代目・青栁貴史は日本で唯一の製硯師継承者で、その仕事の幅の広さから、普段は「職人」「作家」「学者」「研究家」「硯のお医者さん」「石のオタク」「硯の変人」などと様々な呼ばれ方をされているそうだ。その青栁が20年間作りためた硯を展示した「青栁派の硯展」が、東京・蔵前の「シエロイリオ」にて2月20日から3月5日まで開催された。
今回の展示のことを、青栁は「個展」と表現しない。なぜなら製硯師は、造形美を追求する“硯作家“とは一線を画すという意識を常に持っているからだ。さらに青栁は、名だたる書家から起業家、伝統芸能の家元、歌舞伎役者、政治家など多くの人の硯を作るが、原則として硯に作者名を刻さない。その理由を青栁はこう語る。「僕は硯石に対して、自分のエゴを入れないことを大事にしています。それは、山とかつての無名の名工達から学んだことです。硯に名を刻さなかった中国の名工達の作り方は、本当に無駄がなく丁寧だし、自然としての石への敬意を感じるんです。 とにかく石の扱い方が上手なんですよね」。
自然な石の姿を大切にする青栁らしく、展示会場の入口には川の音が響いている。採掘した自然の中で自ら集音してきたそうだ。足元には吊り橋を模した床が施されており、その脇には白い砂利が敷き詰められ、橋に沿って壁に並んだ写真パネルには、南アルプスで原石を採掘する青栁の姿が映っている。来場者に硯ができるまでの背景を伝えたいという、青栁らしい心意気を感じる空間だ。その先には夏目漱石の硯を再現した際の図面が並び、青栁のシナリオごとに4章に分かれた28面の硯の展示が続く。
第1章は『戦後の改刻が育てた技術』。戦後に作硯の中心だった、既に作り上げられた硯を別の形に作り直す「改刻」という技法に焦点を当てた9面が展示されている。「端渓(たんけい)」「歙州(きゅうじゅう)」「澄泥(ちょうでい)」の3大名硯を並べ、これらの硯材の歴史をわかりやすく展示した。ちなみに硯の上にはそれぞれの見どころにフォーカスした写真が飾られている。
第2章は『伝統的彫刻』。硯の彫刻で多く用いられる伝統的な吉祥図案から、自然物をテーマにした雲紋、植物などを展示。天然の石眼や墨池デザインを月に見立てた硯などもある。現代と清の時代、江戸時代の職人が作った雲をそれぞれ再現しているほか、東日本大震災が起きた宮城県石巻市雄勝町から採ってきた石に、復興への祈りを込めた天然如意池硯や青栁が21歳の時の処女作で、 篆刻の印刀だけで彫ったという無花果硯もある。そして第2章の最後には、祖父の作った「緑砂泥蘭亭硯」を展示。「祖父は数多くの蘭亭硯の修復に携わって来ましたが、これは蘭亭硯製作に最も向いてない澄泥、つまり砂岩で40代の時に作ったもので、裏には王羲之の蘭亭序も彫っています。僕は、この珍しい硯を祖父なりの挑戦だったのではないかと思っていて、ここから製硯師の精神性の骨格を学ばせてもらいました」。これが青栁の製硯師としてのあり方に非常に影響を与えている特別な蘭亭硯であることを話した。
そして第3章は『新しい硯式の提案』。石材の美しさを余すことなく引き出すため、従来の彫刻、硯式に当てはめず、自然美を保ったまま製硯したという青栁のオリジナル作品を6面展示。青栁の製硯師としての本質が全て凝縮されているかのような章になっている。6面の硯は、どれも石の良さを生かすために作ったもので、設計図は存在しない。「自然美というものが持つ美しさは素晴らしく、人の手をかけなければかけないほど美しい」と話す青栁は、原石からできる限り引き算をせずに硯を完成させた。「僕は大自然からいただいた原石が、硯に変わるまでのほんの一時に立ち会っているだけで、技術云々はどうだっていいんです。本当は少しだけ石を整えて、自然や山の絶景を感じてもらえるところで終わらせておきたい」。石に対して人間があまり無理をしない接し方がむしろ現代的でもあると話す青栁の、“彫刻や造形で作ったものは、自然が作った表情を超えることはできない”という信条が強く伝わってくる硯だった。
最後の第4章は『夏目漱石愛用硯の復刻』。展示している夏目漱石の愛用硯は、神奈川近代文学館内「漱石山房」に長期展示できるよう平成29年に製作した完全復刻版である。当時の原石は現在入手不可能なため、最も近い石材を山口県から入手した。他にも刀法という手法や寸法、重さも、幕末から明治にかけて作られた日本の「挿手硯」の作り手の製法を分析し忠実に再現した。中国への憧れを感じつつも日本人的な寡黙さがある硯である。
石を選ぶ一番の判断基準を質問すると、「やっぱり一目惚れするかどうか。山から抜いた状態でどれほど惹かれるかですね」と答えた。また、「現状を後世に遺していくのもその時代を生きた製硯師の仕事」と考える青栁は、墨汁や小さな硯を使う人が多い今の時代の文化を記録として伝えるのも大切だと話す。さらに今後は、世界中の硯材になりうる石を見つけ、その優秀性の活かし方を突き詰めていくことにも注力していくそうだ。
この展示を通して知られざる製硯師の取り組みや硯石の歴史に触れたら、久しぶりに硯で墨を擦り、筆を手にとって和紙に文字をしたためたい気分になった。4月28日にNHKカルチャーで講座が開かれる予定なので、興味のある方は是非参加して製硯師の真髄に触れよう。
そして、HIGHFLYERSは、特異な才能と技術、そして石への飽くなき探究心と愛情を持ち合わせた日本を代表する世界的職人、青栁貴史の製硯師としての活動や取り組みをこれから長期に渡って取材し、定期的にブログでお伝えしていく予定である。長期に渡り一人を特集するのはHIGHFLYERSでも初の試み。青栁の活躍とともに、HIGHFLYERSのこれからにも是非注目していただきたい。
Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka
硯作りの貴公子が語る うつくしき文房具 「硯」の世界
講師:製硯師、宝研堂4代目 青栁 貴史
場所:NHKカルチャー町田教室
日時:4/28(土) 13:30~15:00
詳細はNHKカルチャーのHPにて