REJUVENATE
# | Apr 24, 2026

ニューアルバム「MOJACAT」をリリース。常に複数の視点から音楽を捉え、独自の存在感を放つKan Sanoが、今奏でるポップスの集大成とは

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka

PROFILE

キーボーディスト/トラックメーカー/プロデューサーKan Sano

バークリー音楽大学ピアノ専攻ジャズ作曲科卒業。 ビートミュージックシーンを牽引する存在である一方、ジャズとクラシックを融合したような独自のスタイルでピアノ一本の即興演奏もおこなう。バンドセットのライブではトランペット、ベース、ドラムも演奏し、会場を熱狂させる。 リリースした楽曲「On My Way Home」が2,000万回、「DT pt.2」「Sit At The Piano」はそれぞれの再生回数が1,000万回を突破。日本人音楽家としての存在を確立する中、イギリスの名門レーベル Decca Recordsから日本人として初リリース。また、Tom Mischが「Kan Sanoのファンだ」と公言し、自らの日本・韓国公演のオープニングアクトに指名するなど国内外で活躍。 さらに、プロデューサー、キーボーディスト、リミキサーとして、UA、Chara、七尾旅人、中村佳穂、絢香、m-flo等、多数のアーティストのライブやレコーディングへも参加、CM音楽や「劇映画 孤独のグルメ」へのエンディングテーマ提供をはじめ、劇伴も数多く担当している。 2026年4月22日、7thフルアルバム『MOJACAT』リリース! “Kan Sano” の名は、様々なシーンに破竹の勢いで浸透中。

 

HIGHFLYERSにゆかりのある人物に、自身の心のオアシスとして大切な場所を紹介してもらうコーナー「Rejuvenate(リジュビネイト)」。今回のゲストは、シンガーソングライター/トラックメイカーのKan Sano。国内外での活動を重ねながら独自の音楽を築き上げてきた彼は、4月22日に通算7枚目となる最新アルバム「MOJACAT」をリリースした。

そんなKan Sanoが選んだ場所は、長年にわたり弾き語りライブを重ねてきた下北沢のライブハウス「lete(レテ)」。10年以上にわたって月に一度のペースで演奏を続けてきたこの場所は、東日本大震災後からコロナ禍という不安定な時代の中で、観客と向き合い、音楽をアウトプットし続けるための、彼にとって欠かせない空間だった。

 

最高のポップスアルバム「MOJACAT」が完成。 これからも、頑張りすぎず、自分に固執しすぎず、生涯音楽を続けていきたい。

ニューアルバム「MOJACAT」リリース、おめでとうございます。タイトルは、モジャキャットという読み方で合っていますか?

はい、モジャキャットです。

 

その意味を教えてください。

造語なんですけど、「モジャ」はベンガル語で「美味しい」「素晴らしい」「最高」といった意味があって。自分にとって理想のポップスを思い浮かべたときに、猫のイメージがあったんです。人懐っこくて可愛くて親しみやすいけど、急にそっぽを向いたり、冷たくなったり、少し凶暴な一面があったりする。そういう両面を持ったポップスを作れたらいいなと思って。理想の、最高のポップスという意味でこのタイトルにしました。

 

最高のポップスなんですね。

今回は初めての試みで、全曲歌モノにしました。これまでは歌モノの合間にインストを入れることが多かったんですが、インストはインストで別に作りたいと思っていて。一度、自分の中で分けてみようかなという感覚ですね。

 

今回、このタイミングでアルバムを出すことになったきっかけはありますか?

特別な理由があったというより、ライブ活動や他の流れの中で、このタイミングになったという感じです。2022年にライブ活動を休止して、2023年は一回だけやってほぼ休んでいて。2024年の春から再開して、半年くらい経った頃に調子も戻ってきて、ようやくアルバムのことも考えられるようになってきました。スタッフと話す中で「じゃあ作ろう」となった流れですね。前回のアルバムからは数年経っていたので、その間にいろんなアイディアや考えていたことのストックも多少ありましたし、時間の経過とともに、歌詞として書きたいことも自然と溜まっていました。ただ、普段から曲を作りためているタイプではないので、作ると決まった瞬間に一気にスイッチを入れる、という感覚です。

 

「MOJACAT」制作時の様子

スイッチですか。

僕はわりと単純で、「やる」と決めたらすぐスイッチが入って、生活も変わりますね。ずっとアルバムのことを考えている状態になるので、制作中の曲で頭がいっぱいになって、他のことを考えたくなくなります。アルバムだとそれを何曲も同時に進めていくので、常に頭が埋まっている感覚です。これまではだいたい半年くらいで作っていたんですが、今回は制作期間が一年くらいあって、後半はしんどくなっていました。スイッチが入った状態を一年維持するのは大変でした。そこはこれまでとの違いでした。

 

一番の渾身の作はありますか?

そういう意味では全曲が渾身の一曲ですね。ただ、自分の努力や頑張りがそのまま完成度に比例するかというと、そうでもなくて。むしろ、さらっと書けた曲の方が良かったりもする。それが本当に難しいところなんですけど。そういう制作の揺れを行き来しながら、ずっと作っていました。

 

関口シンゴさんとの「COFFEE BREAK」はいかがですか?

あの曲はわりとすぐに作れたタイプですね。セッキー(関口シンゴ)のギターの音色をイメージしたら、メロディや言葉が自然と湧いてきて。アルバムの中でも比較的スムーズに完成した曲なんですが、僕自身、すごく気に入っています。

 

リズムも歌詞もずっと残りますね。歌詞の意味もつい考えてしまうんです。「立ち止まる夜、歩き出す朝、なにひとつ君だけのものじゃない」ってあるじゃないですか。これは、どういう意味なんだろうって。少し冷たくも感じるというか、独占しないというニュアンスなのかな、とか。

なんというか、自分が見ている景色や街の風景、物や人も含めて、特定の誰かのものではなく、みんなのものという感覚なんです。あなただけのものでもないし、自分だけのものでもない。誰のものでもない、というか。

 

なるほど。それでいいんですね。

そうですね。たしかに、少し冷たく聞こえる部分もあるかもしれないですね。でも今お話を聞いていて思ったんですけど、たぶん僕自身、「所有する」という感覚にあまり興味がなくなってきているのかもしれません。自分だけのものというよりは、すべては共有されているもの、みんなのものとして存在している、という感覚に近いのかなと思います。

 

それは興味深いです。ところでこの場所(lete)は、Kan Sanoさんにとってどんなゆかりがある場所なんですか?

この場所は、僕が2011年から2012年頃にスタートしてから10年以上、弾き語りでほぼ毎月ライブをやっていた場所です。実は10代の頃からソロピアノでライブ活動をしていて、当時は金沢に住んでいたんですが、近江町市場の地下に「メロメロポッチ」というお店があって、そこで毎月ライブをやっていました。20代で上京してからは、そういう活動から一度少し離れていたんですが、東日本大震災のあとにピアノ曲を書いて、ライブをして、アルバムを作りたいと思うようになって。東京で場所を探していたときに、シンガーソングライターの長谷川健一さんに紹介してもらい、この場所に出会いました。

 

かなり長期間やられていたんですね。

最初の頃はお客さんがなかなか集まらなくて、集客に苦戦していた時期もありましたが、続けていくうちに少しずつ来てもらえるようになって。コロナ禍では人数制限もあったので、客席とステージの間にシートを引きながら、人数を絞って続けていました。

 

ライブ後にカウンターでお酒やカクテルを飲んで愉しむのですか?

家では飲みますが、ここへは車で来ることが多かったので、あまり飲まなくて。ただ、ジュースとビールを割ったカクテルはおいしかったですね。

 

出身は兵庫県でいらっしゃいますが、幼少期のお話をお伺いしたいです。どのような環境で育たれたのでしょうか。

父は音楽家で、ドラマや舞台、演劇の劇伴の仕事をしていました。妹がピアノを習っていて、自宅には真っ白のグランドピアノがあったんですが、当時の僕はまったく興味がなくて。小学校高学年の頃にJリーグが開幕して、サッカー一辺倒でした。小学校に入ってから両親が離婚したので、父とは毎月会っていましたが、一緒に過ごす時間は母の方が長かったですね。

 

小学5年生、ギターを弾き始めた頃

最初に触れた楽器はピアノですか?

アコースティックギターもあったので、ギターかピアノか、どちらかですね。

 

そこから本格的に音楽を志したきっかけは?

きっかけはミスチル(Mr.Children)です。はっきり覚えているんですが、小学校5年生のとき、遠足の帰りのバスで女子生徒たちが「innocent world」を流して合唱していて、「この曲いいな」と思って(笑)。当時かなり流行っていましたよね。

 

それが「innocent world」を初めて聴いた瞬間だったんですか?

そうです(笑)。その頃は槇原敬之さんなどいろいろ流行っていましたが、僕はミスチルを選んで。そこはひとつの分岐点だったと思います。それから「innocent world」をCDショップに買いに行って、シングルやアルバム、「CROSS ROAD」など過去の作品も遡って聴いていくうちに、「深海」が出て。90年代後半は日本で一番CDが売れていた時期で、ちょうど同じタイミングで自分も一番CDを買っていました。

 

そこから音楽にのめり込んでいくんですね。

そうですね。父に教えてもらったビートルズも好きでした。クリスマスプレゼントに「Abbey Road」のCDをもらって。ビートルズやミスチルのように、自分もオリジナルの曲を書いて、演奏して、作品として残したいと思うようになりました。それで曲を作るために、ピアノやギターに自然と触るようになって。当時は譜面も読めなかったので、見よう見まねでコードを覚えて、ラジカセでカセットテープに録音する、みたいなことをしていました。

 

小学校 5年生でCD 買って歌って、コードやギターをやるようになって、中学生になった後もずっと続けていたんですか?

そうですね。 小学校の頃はサッカーも大好きだったんで、迷って一応サッカー部に入部したんですけど、 1日目のランニングがハードすぎて、「これは曲作ってる時間なくなるな」と思って、次の日退部届を出しました。そうしたら急にそのサッカー部の先輩がめちゃめちゃ冷たくなって。もう仕方ないんで、家帰って一人でずっと曲作ってました。だから突然帰宅部になっちゃったんですけど、当時帰宅部って学年で 2、 3人しかいなくて、何も悪いことしてないのに、すごく肩身が狭かったですね。

 

中学3年生の頃

音楽でプロになろうという気持ちは、当時からありました?

その頃から考えていましたね。音楽を自分で作るようになって、将来はミュージシャンになり、曲を作ってライブをやって生計を立てたいと漠然と思っていました。父の仕事を見ていたこともあって、そういうことに自然と興味を持っていたと思います。当時の自分のアイドルはミスチルの桜井和寿さん、ジョン・レノン、ポール・マッカートニーでしたが、10代後半になると、宮崎駿や北野武のような映画監督など、クリエイター全般にも惹かれるようになっていきました。ただ、自分で曲を書いて、歌って演奏して、録音物を作ることがすごく好きだったので、どうなりたいかというよりは、それを作って発表して、仕事にできたらいいなと思っていました。

 

その後、米国ジャズの名門音楽大学、バークリー音楽院にも進学されますが、ジャズに行った経緯を教えてください。

高校に入ってからジャズにのめり込んでいきました。独学でギターとピアノを続ける中で、同時に独学の限界も感じるようになって、コードや理論をきちんと勉強したいと思うようになりました。そこで、金沢の地元のジャズワークショップに参加したり、高校では吹奏楽部に入りました。そこに2つ上でバークリーに進学した先輩がいて、メールでやり取りをするうちに、バークリーいいかも、と思うようになって。日本の音大も考えましたが、当時はクラシック専攻が多く、ジャズを学べる環境が今ほど整っていなかったので。たぶん今だったら、YouTubeで独学していたと思いますけどね。

 

バークリー音楽院留学1年目

行かれてみてどうでした?

やっぱり世界中から才能のあるミュージシャンが集まっている場所なので、生徒も先生も本当にレベルが高くて、最初は打ちのめされましたね。もともと引きこもりがちな性分なんですけど、最初の1年くらいはさらにこもって、練習室でずっと練習していました。人生で一番練習していた時期です。最初の1、2年目は、自分のレベルが周りにまったく追いついていなくて、その焦りがすごかったですね。当時はちょうど上原ひろみさんが卒業する頃で、コトリンゴさんもいて、 國田大輔というギタリストがいたんですが、彼とはその後ルームメイトになりました。

 

その後日本に戻ってきてからは、いわゆるジャズ一辺倒ではなくなった?

バークリーはジャズの本場なので、とにかくジャズがうまい人が多くて、学校の中では僕はどちらかというと非ジャズ寄りというか。ジャズも好きでしたが、同時にクラブミュージックやネオソウル、ニュージャズ、ソウルやR&Bも好きだったので。演奏することも好きでしたが、やっぱり作品を作ることが軸にあって、いわゆるバークリーのがっつりジャズの人たちとは、少し距離を取っていた感覚がありました。

 

だから、すごくユニークな方向に行ったんですかね。

そうですね。当時から少し俯瞰して見ていたというか、プロデューサー的な感覚だったのかもしれません。「この人のこういう才能と、この人のこういう才能を組み合わせたら、新しいものができるんじゃないか」と、そんなふうに人を見ていた気がします。

 

そうだったんですね。でもそれが今につながって、いろんなプロデュースをされている。プレイヤーと並行しているのも素晴らしいです。帰国後は、活動を続けながらorigami PRODUCTIONSさんに出会うんですか?

そうです。2006年に帰国してすぐ東京に出て、その頃にorigami PRODUCTIONSのレーベルメイトでもあるmabanuaと知り合いました。mabanuaとはときどきライブをやっていたんですが、彼がある時origami PRODUCTIONSからアルバムを出すことになって、レコーディングやライブを手伝うようになりました。そこからorigami PRODUCTIONSと関わるようになりました。最初はいちサポートメンバーとしての関わり方でした。

 

とても興味深いです。Sanoさんにとって、音楽を作る意味や理由のようなものは、考えたことはありますか?

考えたことはありますし、よく考えます。音楽は僕にとって、趣味であり仕事であり、生活の一部で、人生から切り離せないものなんです。文字通り、生きるためにやっている。物理的な意味でもそうですし、精神的なバランスを保つためでもあります。音楽を共有することも好きですし、そのプロセスも、何より作っている時間がすごく好きなんです。今はAIでも音楽が作れる時代ですけど、自分にとって一番楽しい時間なので、その時間を誰かに任せるのは嫌だなと思っていて。 だから、音楽でなくてもいいのかもしれないですけど、何かを作るということ自体が、自分にとってはすごく大事で。それがあるから人生が成り立っている、という感覚ですね。

 

素晴らしいです。では、Sanoさんにとって「チャンス」と聞いて思い浮かぶことは何ですか?

うーん、チャンスですか。僕の場合はやっぱり、曲作りやライブでの即興演奏に近い感覚かもしれないですね。頭の中にふっと浮かんできたものを、その瞬間に掴み取れるかどうか。曲を作るうえでも、そういう感覚はすごく大事で。それってある種の偶然性でもあって、ジョン・ケージが言っていた「チャンス・オペレーション」に近いものだと思うんですけど。何かが立ち上がってきた瞬間に、それを拾えるかどうか。そのときに、自分の感覚や美意識、感性がそのまま出るというか、試される感覚があります。

 

チャンス・オペレーション!

あとは、人との出会いもチャンスだと思います。僕のマネージャーは、音楽に限らず、いろんな分野の優秀な人たちをどんどんつないでいくというか、輪を作っていく力があって、すごいなと思っていて。人と人がつながることで、新しい何かが生まれる、その起点をつくれるのもチャンスのひとつだと思います。僕自身も長く音楽をやってきて、たくさんの才能ある人と出会ってきたはずなんですけど、人見知りすぎて。LINE交換までなかなか至らないんですよね(笑)。だから、チャンスをものにできるかどうかは本当にその人次第だと思いますし、チャンス自体はみんなに平等に訪れるものだと思っています。

 

では、Sanoさんにとって成功とは何ですか?

成功とは何か。難しいですね。僕にとっての目標は、音楽を生涯続けることなので、それができたら自分の人生は成功だったと思えると思います。そのうえで、自分と周りの人たちがハッピーでいられたら、万々歳ですね。

 

音楽を続けていく上で、一番しんどいことは何ですか?

やっぱり、力んで頑張りすぎると続かないことですね。20代、30代を振り返ると、すごく力んでいたなと思っていて。もう少し力を抜いて、「頑張らない頑張り方」を身につけたいなと思っています。

 

ライブと曲を作ること、どちらが好きですか?

どちらも違う楽しさがあるんですけど、どちらかと言えば作る方かもしれないですね。作っている時間そのものも好きですし、自分が作ったものが残っていくことにもロマンを感じてるタイプなので。自分がいなくなった後も作品は残る、というところに惹かれているのかもしれません。

 

いいですね。では最後に、まだ実現していないことで、これからやりたいことはありますか?

具体的なことはいろいろあるんですけど、今回いろんなシンガーソングライターとコラボレーションして、曲作りのアプローチを知ることができたので、それを自分の制作にも活かしていきたいですね。あとは、ライブを続けていく中で、できるだけ大きな会場で演奏したいという思いもあります。それと、僕は谷川俊太郎さんがすごく好きで、最近もインタビューをよく読んでいるんですが、最終的にはああいう在り方に近づけたらいいなと思っています。自分自身にあまり固執しないというか。さっき話した「頑張らない頑張り方」ともつながると思うんですけど、それができれば、これからもずっと音楽を続けていけるんじゃないかなと思っています。

 

谷川俊太郎さんの話を聞いて、さっきの「君だけのものじゃない」という歌詞が、なんとなく腑に落ちた気がします。それもある意味、「所有しない」という感覚なのかなと。

そうですか。谷川さんが「過去の自分に嫉妬しない。なぜなら自分だと思っていないから」と話していて、驚いたんです。過去の自分を、もう自分だと思っていないんだ、と。究極ですよね。

 

Kan Sano Information

New Album MOJACAT

2026.4.22 (wed.) Digital & フィジカル Release

Kan Sanoニューアルバム『MOJACAT』完成!! 「ユートピア feat. UA」をリードシングルに、柴田聡子、Maika Loubté、関口シンゴ(Ovall)、luv、Kacoといった多彩なアーティスト達と培ってきた様々な関係性を感じる楽曲たちを含む全曲歌モノ・アルバム。 ポップスの解釈を更に広げた、猫のように大胆で、移り気で、優しくて、意地悪で、しなやかで、おおらかで、芯の強い全11曲。 また、アルバム リリースツアーはパリ公演を含む7カ所で開催! 「改めまして、こんにちは。お久しぶりです。Kan Sanoです。」

■ 収録曲: 1. Romantics In A Flat Major 2. ユートピア feat. UA 3. Coffee Break feat. 関口シンゴ 4. White Out feat. Maika Loubté & 柴田聡子 5. Stuck In My Mind 6. Window 7. それから 8. With Love feat. luv 9. OK (is not OK) 10. Deja Vu In Taipei feat. Kaco 11. Dreaming About You

■ レーベル:origami PRODUCTIONS

■ 形態:CD、ストリーミング&ダウンロード

■ CD価格:3,300 yen(including tax)

■ URL:https://kansano.lnk.to/mojacat

取材協力:lete(レテ)

住所:東京都世田谷区代沢5丁目33−3

電話:03-3795-0275

Website:https://l-ete.jp

Instagram:@lete_machinoshintaro