―小さい頃は、どんな子どもでしたか?
岐阜の大垣というところで育ちまして、実家のすぐ横に揖斐川というきれいな川があったので、夏は犬と一緒に川に泳ぎに行ったり、外で遊んだりするのが好きな活発な子どもでした。
―ご両親はどんな方で、どんな育てられ方をしましたか?
母はとにかく明るくて楽しいことが好きで、父は無口ですけれども、とても愛情深い人。僕は、母の明るさと父の芯の強さという、両親のいいところをもらいましたね。
―小学生の頃の夢は?
プロ野球選手になりたかったです。中日ドラゴンズの小松辰雄投手や郭源治投手とか、球の速いピッチャーが好きでした。

―ちなみに、おばあさまがプロレス好きで、棚橋さんも小さい頃からよく見ていたとか。
そうですね、その頃はよく分からずに見てました。
―中学、高校生の頃はどんなことに夢中で、どんな日々を送っていましたか?
ただひたすら野球をやってました。プロ野球選手になりたかったですけど、普通校でレフトで7番というのは…プロ野球選手にはなれないですよね。でも野球が好きだったので、プロ野球を取材するような新聞記者になりたいと思って、大学受験をして立命館の法学部に進学しました。

高校生の頃
―大学でプロレス同好会に入会されたそうですね。
はい、新歓の時にプロレス同好会が目立ってたんです。マスクつけてうろうろしてたり、コスチュームを着ていたりする学生もいて。当時の会長に「僕、プロレス好きなんです。この同好会からプロレスラーになった方はいらっしゃるんですか?」って聞いたら、「おるぞ」って。でも実際にプロレスラーになったのは僕が初めてだったので、後で“ついていい嘘”があるということを知りました(笑)。
―(笑)。ちなみに、レスリング部にも入られていたとか。
アマチュアレスリングの先生が1人いて、立命館宇治高校のレスリング部出身の子が団体戦に出たいから、プロレス同好会から何人か出てくれということで。たまたまですね。
―大学の頃はレスリングとプロレスの両立という感じですか?
そうですね。でも、プロレス同好会では実際にプロレスをするのは学園祭とか年に2、3回で、基本的にはみんなで集まってプロレスについて熱く語り合ったり、プロレスを見に行くのがメインでした。
―初めて新日本プロレスの入門テストを受けたのは、大学何年の時でしたか?
2年生の時です。プロレス同好会に入会した大学1年の時は体重が68キロだったんですけど、プロレスラーになりたいと思って、筋トレをバンバンやって、飯をたくさん食って、1年の終わりには80キロになりました。当時ジュニアヘビー級とかで85とか90キロの選手がいたので、自分ももうちょっと頑張ればプロレスラーになれるんじゃないかという、肉体の変化が夢の後押しをしてくれて。それで2年生の時に受けたんですが残念ながら落ちてしまい、3年の時に受けた3回目のテストで受かりました。
―お気持ちはどうでしたか?
嬉しかったですね。一日も早く入ったほうがいいので大学を途中でやめようと思ってたんですけど、当時の試験監督の長州(力)さんが「待ってやるから卒業してから来い」と言ってくださいました。長州さんも大学を卒業されていて、プロレスラーは怪我で続かないかもしれないから、卒業はしておけということで。ただ、僕は試験に受かった時点で大学をやめようと思っていたので、単位を取り逃していまして、大学4年の時に必死に勉強して60単位を取って、無事卒業することができました。
―そして、プロレスラーの世界へ。想像していた世界と違いはありましたか?
初めての寮生活が始まって、非常に楽しかったです。ちゃんこ番といって、掃除や洗濯、料理を担当しました。練習はきつかったですけどね。
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入門直後(©︎新日本プロレス)
―上下関係も厳しい世界なのでしょうか?
そうですね。ただ、きっちり自分の仕事をやって、練習についていくことができていれば、特に怒られることはなかったです。
―その年にデビューされたんですよね。デビュー戦のことは、やはり印象深く記憶に残っていますか?
覚えています。1999年3月に入門して、10月にデビューをしました。激しい練習をしていたから今よりもスタミナがあるはずなのに、5分足らずの試合ですごい息が上がってしまって。緊張してたのかもしれないですけど。あと印象に残ってるのは、デビュー1か月前ぐらいに「お前のデビュー戦の相手は真壁(伸也 現:真壁)だ」と言われて。当時、真壁さん、柴田(勝頼)さん、僕が3人同部屋だったんです。横に寝ている人を倒さないといけないという、「これがプロレスラーとしての生活なんだな」って感じたのを覚えてます。
―それから25年、いろんなことがあったと思いますが、中でも印象に残る出来事や試合など、ご自身の中でトップ3を挙げるとしたら?
まず、2006年7月にIWGPヘビー級王座のベルトを初めて獲った頃。僕が先頭に立って新日本プロレスを盛り上げていこうと思ってたんですけど、そこからブーイングの日々が始まって大変でしたね。
それから、2015年のG1 CLIMAX決勝。棚橋と中邑(真輔)はずっとライバルと言われていて、向き合ったときの高揚感は最高なんですけど、充実した試合を残すことがなかなかできなかったんですね。でもその決勝は、会場の雰囲気もあって、本当に棚橋・中邑の集大成だったなと思います。
あと、2019年のケニー(・オメガ)とのシングルマッチも思い出深いです。あの時はプロレスのスタイルや人間的な部分も含めた棚橋対ケニーの対抗の図式でお互いのファンの心をひりつかせてしまったという意味では、僕のキャリアの中で、ものすごい珍しい試合です。
―2023年12月に新日本プロレスの社長になられましたが、1年半ほど経って社長業にもだいぶ慣れてきましたか?
正直、まだ全然慣れないですね。役員会議や案件の承認など、そういうことはできるようになってきたんですけど、僕自らが動いてやるのは、きっと引退してからなんだろうと。でも、空いてる時間があれば本を読んだり、ビジネスサイトを見たり、いろんな勉強はしています。
―社長になられたことで、プロレスに対する見方や考え方など変わったことはありましたか?
社長になる前は、エースとして人を呼んで会場を盛り上げて、選手やその家族まで食わしてやるっていう気持ちでやってましたが、社長になった以降は、プロレスラーとして頑張るだけでなく、社員やその家族、スタッフ全員の生活の責任を負わないといけないので、本当に身が引き締まる思いです。
―そういう思いはプレッシャーに感じますか?
僕のこれまでのキャリアの中で、プレッシャーをやりがいに変えるという“変換システム”があるんです。
―ぜひ詳しく教えてください。
なぜ緊張するのかと言えば、期待に応えたいから、ですよね。ファンからの期待や自分自身に対しての期待、その期待が大きいと緊張してしまうんですけど、その期待を喜びに変えてエネルギーに変換させるんです。人から期待されるということは喜びなので。僕はブーイングされたり、動員が難しかったり、期待されなかった2010年代の厳しい時代がありましたが、それを経験したのは無駄じゃなかったなと今は思います。

―いろんな記事を読んでいても、好きでも嫌いでも、感情を持たれないことが一番辛いことだとおっしゃっていましたね。
そうですね。興味を持ってもらえないことが一番ダメなので。
―とはいえ、ブーイングや嫌われるってやっぱり辛いですよね。
僕はわりとメンタルモンスターなんです。「なんでみんな俺の良さが分かんないんだろうな?」って思ってました。
―最初から結構そんな感じで、辛いと思ったことはあまりなかったんですか?
そうですね。2006年にIWGPヘビー級チャンピオンになって、「所属選手の中で俺が一番動けるし、一番いい体してるし、一番かっこいいし、悪いことないじゃん!みんな俺の良さが分からないなんて…」と思ってたので。基本的には、ブーイングを受けても割とノーダメージでした。それに、僕にブーイングが来たら対戦相手が応援されて、結果、試合が盛り上がるようになるんです。柔軟に考えて、なぜ戦うかとか、どっちがどういう立場で、どういう思いがあって、ということを試合前に説明する大切さを、そのチャンピオン時代に学びました。

―プロレスラーって、結構ポジティブマインドの方が多いんですか?
基本的に根明が多いですね。年間約150試合あるので、勝敗に対する感情の浮き沈みを次の日に持ち越せないんで。毎回会場の雰囲気も、ファンの方も違いますし、試合のたびにリセットします。そうやってリセットできる選手が、どんどん上に上がってくるんです。
―今、スポーツ界でもメンタルの大切さが大きなテーマになっていると思いますが、プロレス界はメンタル的なことが理由で試合に上手く反映できないとかはあまりないんですね。
あんまりないと思います。なぜって、新日本プロレスに入門したあとの練習はめちゃくちゃ厳しいことで有名なんですけど、そこを耐え抜いてきた連中ばかりなので、あの時のキツさに比べれば今は大丈夫、みたいな。そのキツい練習生時代に、この仕事で飯を食っていく “覚悟”を持てるかなんですね。そこを乗り越えた人間じゃないと、そのあとに続くプロレスラーの生活は続けられないっていう。
―そのキツい時期に、棚橋さんは「もう無理、やめたい」とか思ったことはなかったですか?
プロレスをやめようと思ったことは、一度もないですね。ただ、新日本プロレスから移籍しようと思ったのは一度だけあります。2004年か5年に、WWE(アメリカのプロレス団体)に挑戦しないか?という話があったんです。でも、新日本プロレスで一番も取っていないのに海外に通用するわけがないと自分に言い聞かせて、お断りしました。

―毎年1月4日に新日本プロレスの年間最大のイベント「WRESTLE KINGDOM(レッスル・キングダム)」が東京ドームで行われます。その年の新日本プロレスの起点となる試合なんですよね。
新日本プロレスの年間最大のビッグマッチで、1年のスタートであり、その前年から戦ってきたゴールでもあります。40、50人いる所属選手の中から、この舞台に立てるのは一部の選手だけですからね。
―そこで来年、棚橋さんは引退試合をされるわけですが、どんなお気持ちですか?
当日は、多分いつもと変わらない朝で、いつもと同じものを食べて、という感じになりますかね。さすがに筋トレはしないと思いますけど、前日までしっかりトレーニングして、いいコンディションで臨めればと思います。
―毎回、試合前のルーティンはあるんですか?
カレーを勝負飯にしているので、タイトルマッチ前は必ずカレーを食べてました。なので、引退試合の前もカレーを食べましょうかね。
―何カレーですか?
カレーだったら何でもいいです。最悪、時間がなくてカレーライスを食べられないときは、カレー味の何かでも大丈夫です(笑)。
―そもそも、なんでカレーになったんですか?
たまたまあるタイトルマッチの前に食べたのがカレーで、いい試合ができたとかだったと思います。2011年は、試合前にカレーを食べてIWGPヘビー級王座を連続11回防衛してたんですけど、12年の2月にオカダ・カズチカとタイトルマッチをした際、オカダは凱旋帰国直後だったので、「オカダぐらい大丈夫でしょう」と思って、カレーじゃないものを食べたら負けてしまって。あのとき僕がカレーを食べていたら、レインメーカーは生まれてなかったかもしれない。
―中でも一番好きなカレーはありますか?
ココイチさんですかね。昔、新日本プロレスとコラボ(「真夏の祭典カレー」)もありましたので、またコラボできるようお待ちしております、社長案件で(笑)。

―では、これまでご自身の活動を続けてきた中で一番辛かった時期や出来事などを挙げるとしたら?
先ほど自分はメンタルモンスターと言いましたけど、プロレスラーになる前は、両親から愛情を受けて育ったし、友達もいっぱいいて、人に嫌われるという経験もなかったので、ブーイングをされていた頃、2006年以降はへこんだ時期がありました。ある時、音響スタッフの遠藤さんと何気ない会話をしていた時に、「俺、ブーイングされちゃうんですよね」って言ったら、「棚くんはそれでいいよ、棚くんはアントニオ猪木だよ」って言ってくれて。その時はその言葉の意味を理解できなかったんですけど、「遠藤さんは俺のことを信じてくれてる」と思ったら力が出て。きっと「賛否あってのものだよ」っていうことを言ってくれたんだろうと思います。たくさんの人に応援されなくても、1人信じてくれる仲間がいれば頑張れるって、その大切さを思いましたね。
―いい話ですね。では、逆に一番嬉しかった出来事は?
仙台で集客に苦しんでいて、なかなか盛り上がれなかった時に、2011年2月のタイトルマッチで仙台サンプラザが満員になったんです。いっぱい応援していただいて、試合後に「僕は生涯この景色を忘れません」って泣きました。
―では、棚橋さんのプロレスのスタイルを一言で表すとしたら?
「生き方」ですね。人生って良い時も悪い時もあって、波があるじゃないですか。プロレスも同じで、攻めている時もあれば、やられてる時もあって、人気がある時もあればブーイングの時もある。でも苦しい時を耐えていれば浮上のきっかけが掴めるし、逆にいい時はおごらずにっていうね。僕、「人生トントン説」を唱えているんです。人生って平均したら多分トントンで終わるんですよ。だから、今苦しくて辛い状況にある人はこれからいいことが待ってるって思えばいいし、逆に今人生の絶頂期みたいな時は、これから起こりうることに前もって対策を練るといいんじゃないかと思います。

―どの業界でも自分のスタイルを確立するのは難しいと思います。そこに苦労している人にアドバイスをするとしたら?
自分のスタイルは恐らく一日でできるものではなく、僕の場合で言うと、ブーイングされても観客に求められなくても、信じてやり続けてきた結果今があるので、自分が正しいと思ったことは結果が出るまでやり続けてほしいなと思います。もし結果が思うように出なかったとしても、それまで挑戦してきた多くの経験は自分の中で財産として残るので、とにかく日々全力で生きることが大事なのかなと。毎日寝る前に「今日は頑張れたかな?」って自分を顧みる時間を作ると非常に良いと思います。一日の充実感の出し方のテクニックというのがあります。100%集中したとか、100%の力を出し切ったっていうのが、コンマ何秒でも1分でもあればその日は充実するので、そういう“100の出し方”を覚えたらいいかなと思います。
―長い時間でなくても、1秒でも1分でもいいというのがいいですね。
すごい集中する瞬間とか、自分の能力を100%開放できれば、その日はもう合格です。今日はちょっと失敗しちゃったとか、思うように仕事できなかったなっていうときでも、そのことに対して自分が本気で100%出したかということにフォーカスすると気持ちも切り替えられるし、次の日ももっと頑張れると思います。
―とても勉強になります。棚橋さんご自身が勉強になったことや、影響を受けた言葉や出来事などはありますか?
日々のインプットを大事にしているので、僕は本をよく読みますし、映画も観ます。プロレス以外のものに触れないと、プロレスの価値観に染まってしまいそうなので。本は推理小説が多いです。その世界に入ると一回気持ちをリセットできるのがいいですね。特に好きなのは、東野圭吾さんや内田康夫さんなど。割とオーソドックスな推理小説が好きで、「浅見光彦」シリーズは大体読破してます。映画はジャンル問わず見ます。エンディングですごい印象に残ってるのは『フェイス/オフ』です。

―では、憧れたり尊敬する方はいらっしゃいますか?
自分ができないことをできる方は全部尊敬の対象になるので、他のジャンルの方、新日本プロレスの選手、社員も、全員すごいなと思いながら尊敬してます。そうすれば争いは生まれないし、世界平和につながる…って言い出すと猪木さんっぽくなりますね。そういった意味では、猪木イズムを引き継いでるのかな。
―謙虚でいらっしゃるんですね。
謙虚でありたい自分と、「俺って最高」っていうのが同居してる珍しいタイプなんですよ。二重人格なんじゃないかって思う(笑)。
―棚橋さんの理想の人間像は?
さっきの話に通じるんですけど、どんな人に対しても尊敬の念を持って接することができる人間でありたいなと思います。特に社長としていろんな人と接していく中で、新日本プロレスのビジネスを広げていくためにも、その気持ちは忘れずにいきたいと。
―では、最近気になることは何ですか?
インスタとかのリコメンドの機能ってあるじゃないですか。「家で痩せるトレーニング」みたいなのを一回見ると、そういう動画がいっぱい出てきて。同時に、僕は大食いの動画も好きで見てしまうので、トレーニング動画と大食い動画が交互に出てくるっていうカオスな状況(笑)。僕も食べたいんですけど我慢してるので、人が食べてるのを見てスッキリしてます。

―節制されてるんですね。
そうですね。引退試合までどこまで絞れるかというところです。食事は基本的にチキンかビーフの高たんぱく・低脂質で、炭水化物の量で体重管理しています。
―では、一気に視界が開けた瞬間や、自分が成長したと実感した出来事はありますか?
プロレスラーとして成長したのは、外国人の選手に「「プロレスは耳でしろ」と言われた時ですね。お客さんの歓声、例えば「棚橋行け〜!」ってなっているのか、相手に応援がいっているのかを自分の耳で聞いて、次の展開をイメージしろって言われたんです。それを心がけたら、今だ!っていう時に逆転して見せたり、反撃に移ったりとかすることができるようになりました。
―ドラマを感じさせる展開だとさらに盛り上がりますもんね。では、棚橋さんにとって、チャンスとは?
チャンスとは、チャンスに気付けるかどうかですかね。僕はブーイングになった時に、チャンスだと思っていました。なので、例えば若い選手が大きい怪我をして長期欠場しないといけないとなったら、それはもちろんピンチなんですけど、戻ってきた時に一気に人気が出るかもしれないと思ってチャンスに捉えることもできると思います。物事をピンチとチャンスの両方の局面から見て、チャンスと捉えられる人間が強いんじゃないかなと思います。
―棚橋さんが今までつかんだ中で、一番大きかったチャンスは?
初めてIWGPヘビー級王座のチャンピオンになった時です。当時チャンピオンだった選手がドタキャンで来日せず、対戦カードが流れて急きょトーナメントになり、そのトーナメントで勝ち上がって僕はチャンピオンになりました。目玉のカードが飛んでしまってファンの方に対して申し訳ないという思いでしたけど、僕が勝ってチャンピオンが決まった瞬間、ファンの方がぶわーっとリングサイドに集まって祝福してくれて。その日に僕の生き方が決まったというか、どんな状況であっても、全力を尽くすからこそ見えてくるものがあると実感しました。
―それでは、棚橋さんにとって成功とは?
プロレスラーとしての成功は、誰かの力になれることですかね。「棚橋が頑張ってたから、よし、俺も仕事頑張ろう」とか、「勉強頑張ろう」とか思ってもらえたら嬉しいです。ファンレターやイベントで「棚橋さんのプロレスを見て元気が出ました」と言われるのは、プロレスラーとしての冥利に尽きます。僕たちはただ一番になりたくて戦っているだけなんですけど、見る側の人にとって力になれてるって、こんなに嬉しいことはないなと思います。
―最後に、まだ実現していないことでこれから挑戦してみたい夢や野望はありますか?
僕は映画の主演も務めましたし、色々なことにも挑戦してクセが強い選手でしたけど、試合内容とか体つきとかそういう個性を含めて、棚橋を超える人間を“作る”んじゃなくて、“生まれる環境を整えておきたい”と思います、社長として。高校、大学を卒業してプロレスラーになって、そこでプロレスの技術以外に礼儀作法など社会人教育を受けることになります。僕は入門した時に、山本小鉄さんに「プロレスラーは大きいし威圧感があるから、他の方よりも丁寧な言葉遣いでしゃべれよ」と教わりました。「いちプロレスラーたる前に、いち社会人たれ」、その精神をしっかり受け継いでいきたいなと思います。

WRESTLE KINGDOM 20 in 東京ドーム
新日本プロレスの年間最大のビッグマッチ、“イッテンヨン”開催!
2026年の“イッテンヨン”は、ウルフ アロンのデビュー戦、そして棚橋弘至の引退試合が行われます。
大会当日の夜22時15分からは、テレビ朝日系列全国ネットにて今大会の放送が決定!
詳細は新日本プロレス公式サイトおよび大会特設サイトをご覧ください。
日時;2026年1月4日(日)14:30開場 16:00開始
会場:東京ドーム
特設サイト:https://wrestlekingdom.njpw.co.jp/