写真家・西野壮平の新作“Diorama Map Beppu” が第24回TARO賞に入賞。撮影を通して出会った別府の人々や風景、温泉の魅力
2021/03/19
写真家、西野壮平による「Diorama Map」シリーズの新作“Diorama Map Beppu “が、現在川崎市岡本太郎美術館にて展示されている。西野はこれまで国内外の様々な都市を歩いて写真に収め、作品を作り続けてきた。以前HIGHFLYERSで西野をインタビューしたのはコロナの感染が大きく広がる前の、去年の2月中頃。その後日本橋三越本店のコンテンポギャラリーで「東海道」の作品展は開催されたが、コロナの影響で自由に行き来することが難しい今、西野の中でものづくりにおける考え方も変わってきたようだ。
あれから約1年が経った今、西野を再び取材し、撮影を通して出会った別府の人々や印象的だったこと、岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)に入賞したことについて、また現在取り組んでいる作品に関してなどを聞いた。
源泉数と湧出量が日本一を誇る別府で数多くの温泉に入り、改めて自分が自然の一部にいることに気づいた
―前回取材させていただいた時は、東海道の作品展が始まる少し前くらいでしたね。
そうですね。今年の夏頃にまた日本橋の三越であの作品を展示させてもらうことになっていて、前回は全体で34メートルあるうちの7メートル分を見せたんですが、今回はもう少し規模を大きく、三越の1階の広場に13 メートル のケースを造作して見せようかなと思ってます。
―最近の活動についてお伺いしたいです。「Diorama Map」シリーズの新作「Beppu」ですが、今作ではなぜ温泉をテーマにしたんですか?
別府に「GALLERIA MIDOBARU(ガレリア御堂原)」というホテルが建設されることになって、そこに飾る別府を題材にした作品を9名のアーティストが作ることになり、そのうちの一人に選ばれまして。最初は今までやってきたような大きなスケールのものではなく、お祭りや出来事とか、小さなスケールで物語みたいなものにフォーカスしようと思ってたんですけど、現地に足を運んでいろんなものを見たり、僕自身も温泉に毎日入っていろんな人と話すようになって、この街はやっぱり温泉だなと思うようになって。
―別府はアートを大切にしている街なんですか?
僕とホテルの間に入ってくれている「BEPPU PROJECT」というNPO 団体の方々がいて、彼らはアートと街を繋げたり、アートに関わる仕事をされています。代表の山出さんは元々アーティストの方で、ずっと海外に住まわれて地元に帰ってきた時に、別府は温泉とか観光業しかないのでいつか廃れていくことに危機感を覚えて、まちづくりにアートを取り入れていこうと、これまでにいろんな活動をしてきたんです。いろんな人を招聘して何かを作って、様々な場所で展示をしてもらうという企画をやって、今ではNPO 団体としては日本でかなり大きな組織になっています。
―そこから西野さんに依頼が来たということですね。ちなみにGALLERIA MIDOBARUはどんなホテルなのですか?
ちょっと山手の方にあって、すごく落ち着いた雰囲気のかなりかっこいいホテルです。去年の12月にオープンして、いろんな部屋やロビー、レストランなどにそれぞれのアーティストの作品が飾られています。
―西野さんのBeppuの作品は第24回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)に入賞され、現在川崎市岡本太郎美術館でも展示されていますが、西野さんご本人が応募したのでしょうか?コンテストに応募することは今でもよくあるんですか?
昔はしてましたけど、最近はしてなかったですね。でもTARO賞はいつか出したいと昔から思っていたんです。写真を勉強していた大学生の頃、岡本太郎さんの書籍をよく読んでいて、太陽の塔とか作品をよく見に行ったりもして、好きだったんですね。悶々としていた当時の僕に、彼の言葉がビシバシ突き刺さって、いつか何か関わりを持ちたいなと思っていました。作家として活動するようになって、なかなかタイミングが合わずでこの時期になりましたが、ちょうど去年に別府の作品を作って、コロナ禍の今、応募してみようと思いました。
―TARO賞は「時代を創造する者は誰か」を問うための賞とされているそうですが、今回616点の応募の中から選ばれた24名のうちの一人となって、どんな想いですか?
TARO賞では作品が5 立法メートルのスペースに収まれば表現の技法は自由で、過去に受賞した人達の作品を見ても、空間を存分に使っているものが多く、僕の作品は写真で平面だし多分インパクトが弱いだろうなと思っていました。23000枚もの写真をコラージュに使ってるとは言えど、なかなか人の目に止まるのは容易ではないと思っていたので、受賞したと聞いてすごく嬉しかったですね。
―今回のプリントは布にしたそうですが、どんな布を使ったんですか?
屋外で雨に濡れても大丈夫な素材の布で、野外広告とかにも使われるようなものです。最初はいつも使用している用紙にプリントしようと思っていたんですけど、サイズを大きくして見せるとなると今まで使っていた紙だとサイズ的に2枚になってしまうのと、ホテルの作品を展示する場所が光が入る所だったので、布にアクリルを挟んで下からライトを当てたライトボックスの形式を用いました。思いの他カッコ良い仕上がりだったので、それをTARO賞にも採用しました。
―では、今回撮影をどんな風に進めていったのか教えてください。
撮影は1 月と6月の2回に分けて約1ヶ月かけて撮りました。まず何度か下見に行って、BEPPU PROJECTの皆さんと一緒にいろんな場所を巡りました。驚いたのが、彼らが僕をアテンドする際に最初に連れて行ってくれた場所が、担当者の方のおすすめの温泉だったんですよ。「西野さん、ちょっと行きましょうよ」って言われて、地元の人たちが入るようなある温泉に、会って1時間ぐらいの仲の二人が裸になってお風呂に入る。その日は2、3湯入ったかな。
―確かに、それはその街ならではのもてなし方ですね。
別府はそこまで大きな街ではないと思うんですけど、源泉数と湧出量が日本一で、本当にいろんな種類の温泉がありますよね。温泉の数は旅館やホテルとかにあるのも含めたら約200湯ほど。アテンドも温泉が多かったし、みんな自分の好きな温泉が必ずあって、そんな街って他にないなって。みんな地元の温泉のことを“じもせん”って言うんですけど、「私のじもせんはここです」って、例えばイタリア人にワインの話を振るといくらでも話が出てくるように、別府の人は温泉の話をすると本当に止まらない。各々がプライドを持ってるんです。
―マップの全体像は、どこから見た別府になるんですか?
山から別府の街を見た構図になっていて、高い所から撮ったものに関しては、山や別府駅周辺のビルとマンション、ホテルや展望台とか民家の屋上とか、80から100カ所ぐらいから撮影しました。それに加えて温泉は100湯くらい。僕が入ったのはその半分くらいですが、1日4、5湯入りました。とにかく網羅してやれという感じで。
―そんなに出たり入ったりして湯冷めしないんですか?
それが全然しなくて。最初に行ったのは1月だったので寒かったですけど、泉質が良いので5分でも入ると体がポカポカで。肌はふやけましたけどね。湯治って言うくらい、湯で体を治す人たちが来るような場所でもあるんで、結構泉質が強いのもあって、僕も最初の方は湯当たりみたいなのもして、身体を慣らすのが大変でした。泉質が強すぎて体の中に吸収されて、人によっては熱が出たり気持ち悪くなったりすることもあるみたいです。
―他に撮影を通して大変だったことはありましたか?
まずは撮影許可を取ること。男性の方は自分も温泉に入って地元の人たちに声をかけて、プロジェクトの説明をして、許可が取れたら自分の体をパパッと拭いてその人たちを撮らせてもらってました。女性を撮る時は別府プロジェクト女性スタッフの方に一緒についてきてもらって、撮影が大丈夫か聞いてもらいましたけど、やっぱり断られることが多かったです。でも中には後ろ姿ならとか、顔が写らなければ大丈夫と言ってくれる方もいて、その時は入って本当に10秒くらいで撮ってすぐ出るみたいな感じでした。あとはカメラの問題。最初に行った1月はカメラは冷たいけど、中は湯煙がすごくてレンズがすぐ曇っちゃって。それと、1月はコロナ前で、大分県外から来た僕が温泉を撮ることに対してみんなすごいウエルカムだったんですけど、6月はやっぱりちょっと空気感が違うのを感じたし、温泉を閉めてるところもあって。そういう難しさはありましたね。自分の中でも5ヶ月間のタイムラグがあったので、気持ち的に少しトーンダウンしてしまったところもありました。
―なるほど、大変なことが色々多かったんですね。印象に残ったことは何かありましたか?
障害者の方が入れるお風呂が多いことですね。車椅子でヘルパーさんが必要な方でも受け入れている温泉や、バリアフリーにしてる温泉も多かったです。僕は大学の頃に重度の障害を持った方の生活を支えるバイトをしていたことがあって、僕がいつもついていた方が温泉に入りたいけど入れるところは限られていて、近くにないようなことを話していて、それが印象に残っていて。別府では結構障害者の方を受け入れていたし、ヘルパーの方と一緒に入っている場面もよく見たんですね。それを知って、ヘルパーの団体の人たちに話を聞きに行ったりもしました。介護事務所というか会社がいくつかあって、彼らが頑張って行政に働きかけをしていく中で、障害者を受け入れる温泉が多くなっていったんだと思います。
―それは素晴らしいですね。
車椅子生活をされている方は、動かせない体の部分の血液が滞って筋肉が硬直したりすると思うんですけど、温泉は血流の流れをとても良くしますし、すごいリラックス効果がありますよね。僕は腰痛持ちで、肩凝りもそうですけど、1週間毎日何度か入っていた時は全く痛みがなくなって。それはすごく印象的でした。
―全く無くなるんですか。
本当に魔法にかかったみたいでした。でも、自然の恵みですよね。50年前に降った雨が土に入って地下水になって、マグマによって温められた水が湧いて出る。地層の中にはいろんな成分があって、その成分によって白くなる温泉があったり、炭酸を持った温泉だったり、鉄分やナトリウムが多い温泉だとか、本当に色んな種類があって。温泉に入ることで、改めて自分が自然の一部の中にいるんだと気づかされた感じでした。
―中でも特に印象に残った温泉や、また行きたいと思う温泉は?
山の上の方にある塚原温泉ですかね。成分がきつくてちょっとピリッとする感じで、土から硫黄の煙がもくもくと上がっていて、火口口は真っ黄色になってるんです。そこは好きで毎回行きますね。あとは蒸し風呂もいいですよね。大人4人ぐらいがいれるくらいの小さなスペースで、洞窟みたいなところにわらが敷き詰められていて。入ったら、内臓が良くなりました。体の毒素が出て、常にすっきりした感じでした。
―いいですね。他に、撮影を通して気づいたことや感じたことは何かありましたか?
どの町にも一つ温泉があって、みんな家族みたいにワイワイといろんな話をしてコミュニケーションを取っていて、町人たちみんなでその温泉を共有して守っているんだなと思いました。その一方で、温泉がどんどん潰れていってるのも事実で、経営難で老朽化したり、若者の温泉離れも進んでいて、僕が滞在してる期間にも2湯ぐらい潰れていました。地域で共有してる大事なものがなくなっていく背景を見たり聞いたりとかして、コミュニケーションの場がなくなっていくのを感じました。
―この作品を見た人にどんなことを感じて欲しいですか?
別府に行かれたことがある方は分かると思うのですが、街中に湯けむりがもくもくと立ちのぼっていて、至る所に温泉の案内があるという風景にわくわくすると思うんですね。いつも私が街に入り込む時は、歩きながら色々な場所を発見し、いろんな人と出会いその街の音楽を聴き、地元の人がどのようなものを食べているのか、恐る恐る中へ中へと近づいていくというスタンスでやっています。ですが別府という街に関しては、街の方から自分の体が引きずり込まれるように呼び込まれたという感覚が強くて。それもやはり温泉の引力というものなのか、人々の温泉に対する熱量なのかわからないですけど、この作品は僕自身がこの街をどのように捉えようとしたかという旅の記憶であると同時に、温泉にどれだけ浸かったのかという温泉地図でもあります。普段は観る人に迷子になるから僕の作品を片手に街を歩かないようにと言っているのですが、別府の作品は持って温泉に出かけてくださいと言いたくなるほど温泉に特化した作品になっています。先ほど言ったように、この街の温泉が抱える老朽化や人手不足などの経営困難、若者の温泉離れなどの問題もあり、何十年後には数がだいぶ減るのではないかと言われているので、こういった風景が当たり前ではないんだという視点で観ていただききたいです。いつかこの作品が資料的な意味を持つことになるんだろうと想像しています。
―ところで、インスタに制作途中の鳩の作品が上がっていましたが、あれはどんな作品になるのですか?
コロナ禍で制作してるものがいくつかあって、鳩の作品はそのうちの一つで、ここ最近撮り始めたものです。僕が構えてるアトリエの近くにレース鳩を200羽くらい飼ってるおじさんがいて、朝7時半から9時ぐらいまで運動のために鳩を飛ばすんですね。鳩はレースで北海道とか遠くまで行くこともあるんですけど、今はそういうレースもなくて、ただ朝のその時間だけ飛んで時間が来たら住処に戻るというのを日々繰り返している。その様子を毎日見ていたら、我々人間みたいだなって思って。僕たちも今、コロナで海外に行くことが制限されて、すごく矛盾の中に生きてるわけじゃないですか。それで今の現状を鳩に投影して作品を作れないかなと思って、ずっと撮影してます。
―前からその鳩たちには興味を持っていたんですか?
何回か見たことはあったんですけど、それが飼われてる鳩だというのは全く気づいてなかったです。コロナ以降、空を見ることが多くなったからだと思います。海でも水平線を見たり、遠い所を見るようにしていたので、その一環でしょうね。以前のように簡単にいろんな所に行けなくなって、やっぱりどこかフラストレーションが溜まるというか、物思いに耽る時間が多くなって、戸田の町を散歩したり、海に行ったり山に登って空を見たりするようになりました。
―そう言えば、前回のインタビューで山のシリーズの撮影で今度富士山に登るとおっしゃってましたね。
富士山は今年行きます。去年は入山制限があって行けなかったですけど、今年はおそらく人数制限を設けた上で登山できるだろうと言われているので。
―富士山は前にも登ったことはあるんですか?
あります。今回は何回かに分けて登ろうかなと思ってます。山シリーズの最初の作品のエベレストに登った時は、頂上までは行ってないですけど6000メートルくらいまで行きました。自分が歩くことで世界を作るというコンセプトで作品を作っているんで、とにかく体が大事ですね。富士山の作品では、綺麗な富士山とか風景の中にある富士山ではなく、周りに広がっている風景とか文化、人々とかを含めた複合的な富士山というものを撮りたいと思ってます。
―今は海外に行くのがなかなか厳しいですが、コロナが良くなったら行く予定のところはありますか?
それが結構考えちゃうんですよね。コロナ前は行きたい場所のリストがあって、それを叶えに色々行ってたけど、コロナで制限がかかって思うように行けなくなって、良くなった後の一発目に行くところって本当に行く必要があるのかとか必然性を求めてしまう。とはいえ、前に撮影したインドの遊牧民の生活の続きとかは撮りたいですね。あとはアフリカに行きたいです。最近アップテンポなアフリカンハウスをずっと聴いてるんです。3、4年前に南アフリカのヨハネスブルグに行った時、アフリカンハウスがすごい盛んで、子供からおじいちゃんまでがノリノリで聴きながらいろんな所で踊ってる光景がすごく印象に残っていて。その時に入手したアルバムとかを聴いてます。踊りたいのかもしれないですね。
―西野さんは踊るのが好きなんですか?
すごい好きってわけでもないけど、要は解放するということですよね。ヨハネスに行ったのがちょうど年越しの時期で、大草原みたいなところでやってる「スモーキンドラゴン」というフェスに連れて行ってもらって。その時はもうすごかったですよ、星がすごい綺麗で、湖とかもあって、全員トランス状態ですごいいい音楽を聴いていて。アフリカ人の踊り方とか音の取り方とか、人間として一歩上を行ってると思うことがあって、すごく好きで、それを肌で感じながら自分も下手なリズム感覚ではあるけども、一緒に行った友達とめちゃくちゃになるまで踊りました。あの狂乱は次いつできるんだろうって思いますね。何も考えずにお酒とか飲んで体を自由に動かして。
―だから踊りたいって思うんですね。そうやって行ったことのない所に行ったり、見たことのないものを見たりとかして、自分の感性を保ってると以前のインタビューでおっしゃっていましたけど、今は行けない分どうやって保っていますか?
火を起こしてます。自分で木を切って薪を作って焚き火をして。あとテントサウナをやってますね。4人ぐらい入ったら一杯の大きさのテントで、その真ん中に薪ストーブを置いて煙突を外に出してサウナを作るんです。それを川辺や海辺に置いて、90度ぐらいのサウナで汗をかいて、川や海に飛び込んでそれを10回くらいくり返す。そんなに長い時間やってるつもりはないですけど、気づくと4、5時間くらい経っていて。デジタルデトックスできたり、血流が本当に良くなるし、とにかくいろんなことがクリアになる。めっちゃオススメです。最近新しいテントを買って、届くのを待ってるんです。
―そうやって色々楽しんでいるんですね。
やっぱり色々フラストレーションとかあるし、なかなか人にも会えずに一人でアトリエで集中してやってるんで、逃す場所というか時間を無理やりでも作らないとって思って。あとは昔からですけど、料理をしてますね。いろんな人を呼んでみんなに作ってあげたりとかするんですけど、免疫を強くするのにいいと言われている発酵食品を作ろうと思って、この前は近場の人たちとキムチを作るワークショップをやりました。次は味噌を作る予定です。自分は何をやってるんだろうって思うこともありますけど、作るということを保っていこうと思って、それが自分のフィールドのものじゃなくてもいいんじゃないかと思うようなりました。
―いいですね、作ることで色々繋がっていきますもんね。
火を起こすのも料理も、ものづくりってもっと自由だし、クリエイティブなマインドを自分の中に作っていくことこそが大事だと思うので、とにかくなんでも作っていこうと思います。
Text & Photo: Atsuko Tanaka