フランスで最も有名な日本人パティシエ・吉田守秀が、パティスリー「MORI YOSHIDA PARIS」を渋谷スクランブルスクエアに日本初出店。連日完売御礼のモンブランができるまで【インタビュー】

2019/12/03

11月1日にオープンした「渋谷スクランブルスクエア ショップ&レストラン」。連日多くの来場者で盛り上がりを見せているが、その中でも開店当初から未だに行列が続いているのが、パリ 7 区ブルトゥイユ大通りに店を構えるパティスリー「MORI YOSHIDA PARIS(モリ・ヨシダ・パリ)」の日本一号店だ。MORI YOSHIDA とは、2012 年にオープンした、吉田守秀がオーナーパティシエを務めるパティスリーで、パリの人々はMORI YOSHIDA のお菓子を口々に「Simple et efficace(サンプル エ エフィカス/シンプルで印象的)」と 評している。現在日本の店舗では、ドレープのように絞られたクリームが印象的なモンブランが毎日のように入手困難となっている。

吉田は、フランス TV M6 、ベルギーTV Plug RTL 、イギリス TV BBC で放映された「Le Meilleur Pâtissier : Les Professionnels」というお菓子作りを競い合う人気テレビ番組 で2018 年 シーズン2、2019 年 シーズン 3 とも連続優勝を果たし、今やフランスでも国民的に知名度の高い日本人パティシエとなった。また、日本では過去に、人気テレビ番組「テレビチャンピオン」のケーキ職人選手権にて2度の優勝を果たした経歴も持つ。

HIGHFLYERSでは、パティシエの吉田守秀にインタビューし、パリでも日本でも大人気になる、その理由に迫った。

僕は常に世界で一番美味しくなるためにはどうしたらいいかを考えて、彼女や母親に食べて欲しいと思った最高のものをショーケースに並べている

—唐突に伺いますが、どうしたらこんな素晴らしいお菓子が作れるのでしょうか?

僕は、「このあたりが落としどころだな」っていうところを見つけられない人間だと思ってます。「世界で一番美味しくなるためにはどうしたらいいか」っていうところを考えて限界までやってみたくなっちゃうんですよ。最高なものじゃないと、お客様に出す意味ってないんですよ。

—その考え方は、幼い頃からですか?

幼い頃から片鱗はあったと思いますが、大きく変わったのは、パークハイアットホテルで働いていた時です。当時は ホテルランキング10年連続1位だった時代で、僕はその最後の4年間を任されていたんですけど、そこで最高のものを作るためにとことん追求していたのが今も自分の中に残っているんだと思います。

—最高のものを追求する姿勢の根底には、何があるのでしょうか?

僕は、彼女や母親に美味しいものを食べてもらいたいという気持ちで作っています。それをショーケースに並べることによってお客様にお金を払って買っていただいている。だから、買ってもらったお客様が僕と同じ気持ちで、彼女やお母さんに、女性だったらお父さんにあげたくなるような、友人に教えたくなるようなものになってるべきだと思ってやり続けてます。ビジネス戦略とかは特にないし、それが一番僕らしい戦略なので、素直にシンプルに行くところまで行っちゃおうって。

—今回は日本初出店ですが、いかがですか?

渋谷でやるということの難しい部分はきっとあるでしょうね。アジアに出すのが初めてだし、それは僕にとって、フランスでフランス菓子を出すために向こうに行ってまで本物をやりたかったのですが、どこの国で何を作っても、美味しいものは美味しいと思うんで、「これがパリの日常の美味しいものですよ」っていうのが日本でも伝わるといいなと思っています。

—ターゲットは50代の男性だと伺いました。

パリのお店のお客様で一番多い年齢層って50代男性なんですよ。フランスのパティスリーは、ガトーがあって、マカロンがあって、ショコラがあって、ケークがあって、コンフィチュールがあって、クロワッサンやパンとショコラやブリオッシュがあるのが日常なのですが、そういう年代の方が、朝の仕事前にパン・オ・ショコラやクロワッサンを買って行き、帰宅前にまた寄って今日のデセール(デザート)はモンブランにしようって買って帰るんです。店が甘いもの専用冷蔵庫みたいな存在になるのが僕は面白いと思っています。

—年齢や性別なんて関係ないって素敵ですよね。

逆に日本が変えてしまっているのかなって思うんですよ。見た目だって、色は本来のフルーツの姿であるべきなのに、無理やり可愛くしたって美味しくないんです。良い素材を使ったり、美味しいバランスを探したりすることが大切なのに、本質を失っている気がして。もちろん今の時代、パリでもインスタはありますけど、10年後も“映える”ものなのかって疑問に思うんです。

—確かに、インスタ映えに普遍性があるかはわかりませんね。

僕は普遍的に美しいものとか面白いものって、10年経っても見る人にとっては新しいと思うんですよ。絵画と同じで、何年経っても、モナ・リザだってバスキアだって多くの人にとって凄い作品なように、お菓子を食べたときに衝撃が走ったり、記憶に残ったりして欲しいんです。逆にそれができないとモリヨシダには並べませんし、それしかショーケースには並んでないっていうスタンスで考えてます。だから、まだ日本で出せる種類は少ないですけど、1個ずつ検証して徐々に増やしていけたらと思ってます。すぐにはできないからこそ、できた時の喜びって絶対あるじゃないですか。それをみんなで共有したいし、お客さんとも共犯関係として一緒にやっていきたいと思っています。

—今回売り切れ必至のモンブランは、パリでも一番人気ですか?

いえいえ、パリでは17〜18個あるラインナップの一つです。たまたま雑誌「フィガロ」で1位になって大きく紹介してもらったので、モンブランを買いに来るお客さんも多いですけど、モリ・ヨシダといえばモンブランかっていえばそうでもない。店内でおじさん同士が、私はこれも知ってる、これもいいよ、って言い合ってるのを聞くと良かったなぁって思うんですよね。おじさんたちでそんなことを話してるのっていいですよね。

—日本でもそんな光景が日常になるといいですね。

50代男性も手に取りやすくて、ロジックを誰かに話したくなるようなお店でありたいし、そういうことが誰でも自然にできるような環境、店づくりをしたい。同じ感覚を持ってる人、食べたいという味を共有できる人がなるべく多くいた方がいいですよね。

—大人気のモンブランの特徴について教えてください。

もともとモンブランのクラシックなものって、メレンゲ、生クリーム、マロンクリームで構成されていますが、僕は家に持って帰った時にメレンゲがしなっとしてしまうのがあまり好きではないんです。なので、モリヨシダでは、メレンゲの食感をパートフィロに置き換えて、ザクザクした食感に仕上げました。マロンクリームは、丸く絞ると食感に負けて栗のクリームのバランスが悪かったので、軽さのある栗のクリームの絞り方を工夫して、厚みを出し、量があっても軽くて美味しく食べられるようにしました。その結果、このフォルムになっているんです。

—今回どういう経緯で出店まで至ったんですか?

最初に東急さんからお話をいただいたときは、「一生出ません」て言い続けていました。なぜなら、僕がやりたいことを実現するためには、とても僕の力だけでは出れないと思ったからです。日本もパリも両方力を入れてやるためには、僕らの味をしっかり作れる資金力や技術力が必要だったんです。逆に、そういうものがある企業と一緒なら日本出店できる可能性はあると思っていました。そこで、東急さんからユーハイムさんに働きかけてもらって、オファーをいただきました。それでも「この味を再現するのはおそらく無理だと思っています」って言って始まったんですけど、最終的にはオープンまでに3 種類もできたんで良かったです。

—皆さん頑張ったんですね

頑張ったと思います。数日前までは2種類しか出なかったんですけど。試作段階でオッケーが出ているものもあって、工場に落とし込むのに時間がかかっていますが、もう1個、2個は出そうだなって思っているんです。

—オッケーか、そうでないかの基準は?

パリの味を再現してもらえたらオッケーです。「もっと良くなる」って思ったらオッケーじゃない。僕も常にマイナーチェンジを繰り返してより良くしていくので、みんなも一緒に良くなっていってもらわないとダメなんです。

—やはり常に上を目指していくんですね。

世界で一番美味しいものを作りたいって思ってやらなければいけないと思います。 それこそが、自分の彼女や母親に食べさせたいものなんじゃないかなって。彼女に手を抜く人はいないと思っているので。そのくらいのものじないとお金と交換するのは違うと思います。

—作る上で一番大事にしてるこだわりは?

こだわるのは当たり前のことなので、強いて言えば、愛情があるものってことですよね。ロックシンガーがラブソングを歌うのって、想っている誰かに対して歌っているわけじゃないですか。だったら 僕らも想う人がいてお菓子を作るべきだと思っているんで。自分が携わったところは、他よりもより美味しくなければいけないし、それをすることで世界がより平和になると思っています。

—日本やフランスでチャンピオンになって、変化はありました?

やれば勝つ。だったらやろうよってなりましたね。僕はロールケーキやシュークリームが街で売れていたとしても、そういうものは作らない。でも市場のニーズに合わないものを売りたいなら、自分自身の知名度を上げるしかない。やることが変わらないんだったら、僕のステイタスを変えればいいんだって思っていました。フランスでは「Le Meilleur Patissier les Professionnels」というテレビ番組で2年連続優勝しましたが、あの番組は、5、6週間続けて3時間番組でお菓子を作るんです。7000万人くらいいるフランス人の15、6%が観ていたら、まぁまぁ僕のこと知ってるじゃないですか。だからこそ、フランスのユニクロさんも日本人代表としてモデルに選んでくれたんでしょうし、大使館からも色々お話いただきますし、ありがたいことです。でも自分は常に自分らしくいたいなって思っていますね。

—生活してみて、フランスと日本で具体的に違いを感じることはありますか?

食文化が違うと思います。お菓子も50代男性が当たり前に買いに来る。パリは、美術館の中で暮らしているようなものなので、当たり前のように歴史的建造物があるし、日本だと現代建築もすごい素敵だと想うんですけど、そういう建造物のことをしっかり話せる人ってあんまりいないんだなって。エッフェル塔はパリ万博の時に作ったけど、当時は反対にあって、、という話を東京タワーに置き換えると、東京タワーは竹中工務店が作ったとか、戦車の部品から作られてるとか意外に知られていない気がします。でもフランスはそういうのを話すのが好きなおしゃべり文化なんです。そしてお菓子も建造物も境界線がないんですよ。

—それでは、今までの人生で一番影響を与えた人がいたら教えてください。

やっぱり兄二人かな。兄がお菓子屋をやらなかったからしぶしぶ打順がまわってきたと思っています。薬学部に通っていた兄と、美大に通っていた兄がいるんです。これが美味しいとかかっこいいとかは、兄の影響でいろんな価値観が僕に生まれたと思います。 僕が専門学校に通ってる頃、武蔵野美術大学の学祭に連れて行ってもらったのですが、その時に、芸術っていうのは食べれる食べれないってことじゃなく、見た瞬間に何の疑いものなくハートに直接刺激してくるものだって思ったんです。僕的には、薬の仕事と、芸術の仕事の間くらいにパティシエという職業があるんじゃないかなって。「レシピ」っていう言葉も薬の用語から来てるんですよ。

—ヨシダさんにとってチャンスとは?

チャンスの時こそ、なるべく大事にいかなければならない。僕は逆にチャンスはピンチだとも思っていて、できなかった時のリスクだったり、もう一歩でゴールと思っちゃうところが本当にゴールなのかってところは意識してしまいますね。今回のオープンもチャンスって思うのと、ピンチって思うのと表裏一体なわけで、逆にピンチな時はチャンスが裏にあったりとか、今回も種類が3つしか出ないってピンチと思うのか、3つも出るってチャンスだと思うのか。

—3つはチャンスだと思います。では成功とはなんですか?
まだ何も成し得ていないからわからないですけど、成功とは権力だと思います。フランスはステータス社会なので、例えば僕が何も変わっていなくても、有名になったことで相手に凄いって勝手に思われたら、それはすでに自分がある種の権力を持ったようなものですよね。でも、いくら知名度が上がってもそれがなるべく出ないように、 モリヨシダならこうだよねって、いつ何が来ても、何をやっていても僕はフラットでいたいって思います。

—どういうタイプの人が世界で活躍できると思いますか?

世界にボーダーを引いていない人じゃないですかね。僕だって世界に出たって思ってないですけど、それはもともと日本が島国だから思うだけで、国境なんかないんですよ。もちろん言葉は違うし、向こうに行って10年経ちましたけど、今も気持ちを言葉に乗せるのは難しいです。でも同じ人間ですしね。

—最後にまだ叶っていない夢があったら教えてください。

何も叶ってないですけど。そもそも夢っていうと世界平和になっちゃう。目標はあります。近い目標は渋谷スクランブルスクエアのオープンが僕なりに肌感覚で成功したなって思えること。遠い目標は、モリヨシダがいろんな国でその国のお菓子を美味しくさせることができるようになること。例えば「この地域、エリアでは絶対にモリ・ヨシダだよね」ってなっていくように、常に世界が見えているというのは目標ですね。

Interview & Text: Kaya Takatsuna