ビラルやQティップら大御所アーティストと共演するキーボーディストのBIGYUKIが来日公演。ニューヨークの現場で掴んだチャンスを起点に躍進【インタビュー/ライブレポート】

2018/12/26

ニューヨークを拠点にキーボーディストとして活躍するBIGYUKIのライブが11月26日に渋谷WWWで行われた。BIGYUKIは6歳でピアノに出逢い、高校までを日本で過ごした後、バークリー音楽大学に入るため渡米。 紆余曲折を経て、今ではニューヨークで大御所アーティスト達に実力を認められるミュージシャンとなった。そのアーティスト達は、90年代ヒップホップの代表的グループ、ア・トライブ・コールド・クエストQティップや2000年前期に人気を博したラッパーのタリブ・クウェリ、そして、ソウル/R&Bのボーカリストとして独自の世界観を放ち一目置かれる存在のビラルや、現代の若手ジャズ界の兄貴分、ピアニストのロバート・グラスパーなどの名が挙げられる。実力社会のニューヨークで、彼らのようなビッグアーティスト達と仕事をしてきたと言えば、BIGYUKIが優秀なミュージシャンであることがすぐにわかるだろう。

個人の活動としては、2016年にファーストアルバム「グリーク・ファイヤー(Greek Fire)」、そしてその翌年に「リーチング・フォー・ケイローン(Reaching For Chiron)」をリリース。同アルバムに収録されている「2060 Chiron」のMVは、野性爆弾くっきーが製作を担当したことで話題を呼んだ。また、今年10月に行われた「朝露 JAM 2018」に出演した際には、ベストアクトと称され、国内でもその活躍に注目が集まっている。

HIGHFLYERSは来日したBIGYUKIをインタビューし、ピアノとの出逢いから、バークリー時代の仲間を含むミュージシャン達から学んだこと、アメリカの音楽シーンについて、成功とはなどを聞いた。

大事なのは、現場で体感して得ること。何かやりたいことがあったらその場所に飛び込んでいって、体全体で吸収するのが一番身になる

—6歳からピアノを始めたそうですが、ピアノとの出逢いを教えてください。

俺のおかんが趣味で弾いていたピアノが家にあって、遊びで弾き始めたのが始まりです。それから先生についてクラシックを習うようになったんですけど、その先生の教え方がすごい良かったんですよね。テクニックよりも音楽性を重視する先生で、曲を聴かせてイメージしたことを絵に描かせたり、それを表現するにはどうしたらいいのか考えさせたりしてくれました。

—小学生の頃からコンクールなどに出て、賞を取られていたそうですね。

先生がすごく熱心だったおかげもあって、コンクールでは優秀な成績を取ることができました。俺は練習は嫌いだったんですけど、人前で弾く時は一種のトランス状態に入るというか、その感覚が好きだったんです。集中すると体温が下がって首筋に風が吹くような気がして、その状態を「音楽の風が吹いた」と言ってたみたいです。興奮してアドレナリンが出るような感じではなくて、ゾーンに入るような感覚というか、めちゃ集中して落ち着く感じ。

—一番最初にその”音楽の風が吹いた“と感じたのはいつだったんですか?

小学校3、4年の頃かな。

—その後、中学、高校もずっとピアノばかりを弾くような日々を送っていたのですか?

いや、中学に入ったら遊びにハマって、ピアノの練習をサボり始めちゃって。クラシックの道は狭き門だから、ピアノでやっていくにはもう難しいと思った時期もあったんですけど、高校に入ってまたピアノを弾きたくなって、先生について習い出したんです。前とは別の先生なんですけど、その人も素晴らしい先生でした。

—高校生になってまたピアノを弾こうと思ったきっかけは何かあったんですか?

中学の時も、ピアノをサボっていたと言っても一応触ってはいたんです。俺は飽きっぽい性格なんですけど、高校の時までなんだかんだ続けていたのがピアノだと思ったら、やっぱりやめちゃうのは勿体無いと思って。あと、ピアノを弾くこともそうだけど、演奏に没入して我を忘れる感じが好きだったんです。

—大学はバークリーに行かれたそうですが、昔からずっと行きたいと思ってたんですか?

日本で特に行きたい大学もなかったし、自分が将来何かをやりたいっていうイメージが全く持ててなかったんですよね。ずっと続けてきたのは音楽だけど、自分がやりたいのはクラシックじゃないとわかって、だとしたら何なんだろうって考えて色々調べたら、バークリー出身の日本人のミュージシャンで活躍している渡辺貞夫さんや小曽根真さんとか、ジャズの方がいっぱいいることを知って。それから、母の知り合いのバークリー出身の人に話を聞いたりして、ジャズに興味を持ち始めて、バークリーに行くことを考えたんです。

—それで奨学金を得て、バークリーに行った?

はい。クラシックで入って、まず最初はジャズをやろうと思ってたんですけど、ゴスペル音楽にすごい影響を受けてチャーチ(教会)で演奏するようになりました。あとは、ボストンに「ウォーリーズ(Wally’s Cafe Jazz Club)」っていうたくさんの有名なジャズミュージシャンが演奏してきたジャズクラブがあるんですけど、そこで聴いた音楽にもすごく影響されて。黒人音楽のリズム感は自分のキャラクターに合ったんですよね。その二つの場所で、俺の音楽の基盤が形成された感じです。

—ちなみに英語は最初から話せたんですか?

全然。高校卒業していきなり飛び込んで行ったんで。

—バークリーでその後の自分のキャリアを変えた大きな出逢いはありましたか?

今、俺がニューヨークで仕事してるミュージシャンたちとの出逢いは、バークリー時代に一緒に遊んだり演奏してた連中がきっかけなんですよね。どこの学校にもあることだと思いますけど、バンドを集めたり、ミュージシャンを必要とする時は大学時代の仲間に声をかけるから。俺の仲いい同級生には、女の子3人組のKINGがいたり、あとは一緒に演奏してたわけじゃないけど、最近活躍しているアーティストだとエスペランサ(・スポルディング)やクリスチャン・スコットがいますね。バークリーの横の繋がりは今でもありますよ。

—バークリーに学んだ大事なことってなんだと思います?

バークリーで学んだというよりも、アメリカ生活で学んだことですけど、実際に現場で生を体感して得ることと、ただ何かを情報として得ることは自分への入ってき方が全く違うということ。何かやりたいことがあったらその場所に飛び込んでいって、体全体で吸収するのが一番身になるんじゃないかと思います。それって簡単なことではないですけどね。何の繋がりのないところから異質な異物として入っていって、そこから異物じゃなくなるまでには障壁があるわけですよ。同じ文化圏から来た人間とつるむのは楽ですけど、そうなると危機感を持たなくなってしまうから。

—その後、ニューヨークに住み始めたのが2007年だそうですが、最初はどんな生活を送っていたんですか?

ニューヨークに移ってしばらくは仕事が見つからず、週末になると出稼ぎにボストンに行って、誰かの結婚式で弾いたり、日曜日にはチャーチで弾いたりしてました。それが終わると長距離バスに乗って4時間かけてニューヨークに戻る、そんな生活を6、7年やってました。今思うと何年もよくやったなぁって思いますけど、ニューヨークにいるべきだと思ってたから。でも、結構へこんだ時期もありました。音楽だけで生活していけるビジョンが全く持てなくて、日本に帰ったらなんとかなるかなとか、ニューヨークにいたという事実がステータスになるんじゃないかなんて、生半可な考えもありましたね。

—仕事はどうやって増えていったんですか?

1年経った頃に、周りのミュージシャン仲間がそれぞれ頑張って仕事をしていく中で、二つ誘われたアーティストのギグがあって、それがビラルとタリブ・クウェリだったんです。ビラルは、彼のバンドリーダーがトランペッターのイグマー・トーマスで、バークリーの繋がりから俺を呼んでくれて、そこで演奏してビラルに気に入られてバンドに入ることになった。同時期に、それもイグマー絡みの仕事で、ブルックリンの小さなジャズクラブでギグがあって。その時のドラマーがタリブ・クウェリのミュージックディレクターのダル・ジョーンズで、ちょうどその翌日にタリブと演奏するのにキーボーディストが必要だから来ないかと言われて、演奏したらタリブに気に入られて彼のバンドでもやることになったんです。そんな感じで少しずつ仕事が増えていって、彼らのライブに来たアーティスト、ルーツのクエスト・ラブジェイムズ・ポイザーファラオ・モンチやモスデフらと知り合うようになって、広がっていきました。

—ロバート・グラスパーやQティップとかもそこから?

グラスパーはビラルを通して知り合って、ブルーノートで一緒に演奏したりしました。Qティップと出逢ったのは、それからしばらく後です。

—トライブの最後のアルバム「We got it from Here… Thank You 4 Your service」の楽曲もいくつか一緒に手がけられたんですよね。

演奏はほぼ全部やってるんですけど、「kids…」、「Melatonin」、「The Donald」の3曲は一緒に作りました。

—アメリカは実力があれば認めてもらえる国ですが、才能溢れたミュージシャンがたくさんいる中で、BIGYUKIさんが選ばれた理由は何だと思いますか?

理由というか、タイミングが良かったことは大きいですよね。俺がニューヨークに住んでなければビラルやタリブのギグに出ることもなかったし、トライブのアルバムに参加することもなかった。Qティップと一緒に仕事したのは、彼がずっと一緒に仕事してきた、ケイシー・ベンジャミン、クリス・ショーラ、ルイス・ケイトというミュージシャンがいるんですけど、彼らが俺のことをQティップに推薦してくれたからなんですよ。あとは、誰かに言われたことですけど、俺は集中した時の集中力がエッジーだと。そういうのと感覚的なところが選ばれた理由ですかね。

—ミュージシャン仲間から学んだことで印象に残っていることは?

俺が関わったタリブの初めてのギグで、ステージ上での自分の見せ方をどうしたらいいかわからなかった時に、ギタリストのクリス・モーガンが「観客にとってはステージにいるやつはヒーローなんだから、自分がなりたいと思えば、バットマンにもスーパーマンにもなれる。ステージではスーパーヒーローになったと思って演奏しろ」と言ってくれたこと。今でもすごく覚えてるし、嬉しかったですね。

—それによってステージ上で自身の見せ方は変わりました?

まあ段々ですけど、その後色々経験を積んでステージ慣れしていって、ステージ上にいる自分がすごく自然に思えるようになったと思います。

—日本の音楽シーンで思うこと、変わったらいいなと思うことなどはありますか?

日本の音楽と触れ合う機会がこれまであまりなかったので、あまりわからないですね。日本って海外から情報がいっぱい入ってくると思うけど、逆に日本初の情報がアメリカまで届くことはあまりないから。でも、俺がアンテナ張ってないだけかもしれないし、面白いことをやってる人は絶対にいるはずですけど。

—アメリカの音楽シーンはどう思いますか?

アメリカは、今はLAのシーンが面白そうだなって思います。ケンドリック・ラマーとか、フライング・ロータスとか、ジャンルの垣根が溶け始めてそれぞれのフィールドで個性の強い人同士が触発しあってる感じがすごく面白いし、羨ましかったりもします。

—LAに移ろうかなとか考えることはありますか?

たまに思いますね。俺の周りにもニューヨークから移った人はいますし。あと、今俺の中で、他にアメリカでアツいと思う所は、コロラド州のデンバー。マリファナが合法化して、ミュージシャンとかアーティストとか、いろんなカルチャーが集まってきてるんですよ。それで一つのコミュニティーができてるのがすごく面白そうだなと思って。逆にニューヨークはそういうのが希薄なのかなと感じたりもするんですよね。ニューヨークのシーン全部が細分化されちゃって、横の繋がりがあまりないんじゃないかなと。まあだからこそチャンスなのかもしれないですけどね。

—それでは、アメリカでミュージシャンとして挑戦してみたいと思っている若者にアドバイスを送るとしたら?

全然やるべきですよ。準備ができてから行くんではなくて、とりあえず行ったらいいじゃないですか。例えばニューヨークだったら、チケット代が往復で12万くらいで買えるからお金貯めて買って、Air B&Bとかで泊まれる安いところを探すとかして、とにかく行く。それで色々やったら自分のやりたいことが見えてくると思います。

—最後に、BIGYUKIさんにとって成功とはなんですか?

夢や目標があって、それが実現したり達成してもそこで人生終わりかと言ったらそうではなく、そのレベルを維持しないといけないですよね。それってすごく難しいことだけど、それを継続していくことが成功だと思います。

テンション高めに少し早口に語る姿や、質問に対して感覚的に答える様子から、アメリカのアーティストと同じものを感じて懐かしい気持ちになった。BIGYUKIが、ニューヨークのあらゆるシーンで身体を通してリアルに体感してきたのがよくわかる。

 

以下は、11月26日に渋谷WWWで行われたライブレポート。

会場はBIGYUKIの演奏を聴こうと駆けつけた観客で溢れ返っていた。今回のバンドメンバーは、ギターのランディ・ラニオン、ベースのルーベン・ケナー、ドラムスのスミソネオン。皆いずれもBIGYUKIがニューヨークで一緒にやってきた仲間だ。ステージにメンバー全員が登場し、まずはモブ・ディープの「the learning」をプレイ。そしてBIGYUKIファーストアルバム「Greek Fire」の冒頭曲、「Red Pill」のピアノのイントロが流れると、観客から声援が沸き起こった。続いてセカンドアルバム「Reaching For Chiron」の「Pom Pom」を披露。ステージ後ろに配置された大きなスクリーンに、水面に水が滴り落ちるような映像が映し出される。

Photo by Yuto Kida

続いて「Paradise Descended」では耳に心地よいピアノの音色を、「Simple Like You」ではノリノリのエレクトロ/ヒップホップチューンを楽しませてくれた。その後、ビラルをフィーチャリングした曲「John Connor」では、それまでの雰囲気が一転して、BIGYUKIにスポットライトが当たり、彼が静かにピアノをソロで演奏を始める。しばらくして、バンドメンバーの演奏が加わって、ドラムスのスミソネオンが歌う姿が抽象的なデザインのようになってモニターに映し出された。

Photo by Yuto Kida

拍手とともに、BIGYUKIがバンドメンバーを紹介。後半はトラヴィス・スコットの「Antidote」のリミックスバージョン、ビラルとのもう一つのコラボ曲「Soft Places」、続いてBIGYUKIが所属していたバンドAnimus Rexx の「Terminal」、「Burnt N Turnt」をドラマチックに激しくプレイした。再びバンドメンバーを紹介し、「こんなにたくさん来てくれてマジ嬉しいっす。本当にありがとう」と言い、最後の曲「Nunu」を演奏。大きな拍手を受けた後はステージ袖に引くことなく、アンコールの2曲、フライング・ロータスの「Putty Boy Strut」とエイサップ・ファーグの「East Coast」を立て続けに披露した。観客もノリノリに体を大きく揺らしながら全身でパーティーチューンのサウンドを楽しんでいる様子だ。演奏終了後、BIGYUKIはバンドメンバーと肩を組み、観客に向かって深くお辞儀をした。大きな笑みを浮かべた姿に歓声と拍手はしばらく止むことなく、ライブは大盛況に幕を閉じた。

Photo by Yuto Kida

Interview, Text & Photo: Atsuko Tanaka

 

BIGYUKI 東京ファイナルライブ
日程: 2019.01.19 (土)
時間: 16:30 (open) / 17:30 (start)
会場: OPRCT (渋谷区上原1-29-10 OPRCT)
チャージ: ¥5,000 (adv) / ¥5,500 (door) + 1 drink
予約: https://bigyuki-live.peatix.com
MCP CREW先行予約:2018年11月30日 19:00~ / 一般予約:2018年12月7日 19:00~