「ヴーヴ・クリコ ビジネスウーマン アワード 2018」が日本初の独自開催。未来を切り開く日本人女性2人を表彰【イベントレポート】

2018/09/29

27歳の若さでシャンパーニュメゾンを継承し、ビジネスウーマンの先駆けとして成功を成し遂げた才気ある女性、マダム・クリコヴーヴ・クリコ ビジネスウーマンアワードは、彼女へのオマージュとして、1972年にメゾン創立200周年を記念して設立されたもので、マダム・クリコと同じ革新的精神を持つビジネスウーマンの活動を世界27カ国350名以上の女性に授与してきた実績を持つ。この度、ヴーヴ・クリコは、このアワードの日本初独自開催を決定し、2018年9月13日、シャトーレストラン「ジョエル・ロブション」にてアワードセレモニーを行った。

左から、ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン社代表取締役のジャン=マルク・ギャロ、「ニュージェネレーション アワード」を受賞した気仙沼ニッティング代表取締役の御手洗瑞子「ビジネスウーマン アワード」を受賞した美術評論家長谷川祐子ヴーヴ・クリコ ビジネスウーマン アワード2018の審査員長、妹島和世

セレモニーでは、ビジネスウーマン アワードと、ニュージェネレーション アワードの受賞者2名を発表。近代における女性企業家のパイオニアとして他に類のないアイデンティティと創造力によって、メゾン ヴーヴ・クリコの発展に寄与したマダム・クリコを体現する女性に贈られる「ビジネスウーマン アワード」にはキュレーターの長谷川祐子が、マダム・クリコの大胆さ、勇敢さを体現、ビジネスにおける新規性をもって将来のさらなる活躍が期待される女性に贈られる「ニュージェネレーション アワード」には気仙沼ニッティング代表取締役の御手洗瑞子が受賞し、二人のスピーチが行われた。

はじめにヴーヴ・クリコ・ポンサルダン社代表取締役、ジャン=マルク・ギャロが挨拶。「数週間前に天国へ旅立った長年の親友、ジョエル・ロブションの店で祝福できることは何かの縁だと思います」と友人に追悼の意を述べたあと、「周りをインスパイアし続けた者に与えられるこの素晴らしい賞。過去に27カ国 の女性たちが受賞し、お二人もその中の一員になりました。今後の更なる発展を心からお祈り申し上げます」と述べた。

ジャン・マルク・ギャロ

その後、ニュージェネレーション アワードの受賞者、御手洗瑞子が登壇し、スピーチを行った。御手洗は、2011年の大震災という辛い経験をした街に、誇りを持って取り組める仕事を作りたいと、気仙沼の漁師やその家族が航海の無事を祈って編んできたフィッシャーマンズセーターの伝統に目をつけ、2012年に「気仙沼ニッティング」を設立。 伝統に、現代のデザイン性を加え高品質の手編みという付加価値をつけ、手間に対して適正な価格で販売できるブランディングをすることで、編む人と、買う人の良い関係を構築した。新しい価値に加え、雇用までをも生み、その事業の可能性は広がり続けている。

御手洗は、「このような栄誉ある賞をヴーヴ・クリコさんからいただけたということが大きな励みであります。マダム・クリコさんが最初に社長に就任したのは27歳だったとお聞きして、私が気仙沼ニッティングを始めた時と同じ歳だったので共感しました。事業をやっていく上で、ヴーヴ・クリコさんの掲げる「Only One Quality, The Finest(品質はただひとつ、最高級だけ)」という言葉は、私どもが一番大事に思っていることとも共通している。私がマダム・クリコの一番好きなところをお伝えするなら、シャンパーニュとは濁ったものという常識を、動瓶台(ルミアージュ)を作ることで変えたこと。夢を実現するために必要なことは非常にシンプルで、具体的で、地に足の着いたアイディアであると思います。私たちも地に足を付けて、大きな夢に向かって頑張っていきたい」と述べた。

御手洗のスピーチを聞いた社長は、「245年後にあなたの会社も繁栄していることをお祈りしています」と賛辞を述べた。

続いてビジネスウーマン アワードの長谷川祐子が登壇した。長谷川は、海外でのキュレーター活動を始め、金沢21世紀美術館の立ち上げにも参加し、東京藝術大学大学院で教授として若いキュレーターを育成するなど現代アートの普及に多大なる影響を与えている。 現在は東京都現代美術館や海外でのビエンナーレなどを通じて様々な展覧会を手がけ、国際的なアートシーンにおいて幅広い役割を果たし、 2016年には芸術文化勲章シュバリエ、2017年にはブラジル政府より国家勲章を受勲されている。

長谷川は、「クリエイティブでイノベイティブな女性が世界のネットワークの要になっていくと思います。今後、ヴーヴ・クリコのお名前の下にどのようなレガシーが積み重なっていくのか、また、その一員に加えていただくことはたいへん嬉しい。マダム・クリコは確かな時代 の観察に基づき、いま必要とされているもの、それまで誰も試みなかったことに挑戦された。キュレーターの仕事もそれと同じで、皆さんが見たことのなかった新しいアートを紹介し、その価値を人々の豊かさとして共有してもらう、そこに共通点があると思います」と話した。

その後、ヴーヴ・クリコ ビジネスウーマン アワード2018の審査員長を務めた妹島和世が総評を述べた。「長谷川さんは、キュレーターという新しい専門の中で、一人で世界へ出て行って、これからの世の中がこうあるべきではないかというビジョン、みんなのあり方を美しく、分かりやすい形で示されている。 御手洗さんは、人やものの本来の価値をみんなが見直し考えてみるというのを提示して仕事を進めています。二人ともビジョンを分かりやすく示され、どんなに困難な状況でもしなやかに物事を進められていることに素晴らしさを感じました。また改めて、人やモノの価値を考え直すことの重要性に気づかせていただきました 」と話し、盛大なセレ モニーを締めくくった。

ヴーヴ・クリコ ビジネスウーマン アワード2018の審査員長、妹島和世

 

HIGHFLYERSは、プレス発表後に、ジャン=マルク・ギャロ社長、長谷川祐子、御手洗瑞子にそれぞれ独自インタビューを行った。

ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン社代表取締役、ジャン=マルク・ギャロ

—今日の授与式はいかがでしたか?

素晴らしかったですね。長い間準備をしてきた甲斐がありました。日本は我々にとってとても重要なマーケットですし、特に近年は女性の活躍が目まぐるしいので、この賞を日本で差し上げたかった。

 —ジョエル・ロブション氏とも友人だったそうですね。

長年の親友だったし、マダム・クリコのファミリーのような大切な存在だったから悲しいなんてもんじゃなかった。この賞も、彼への尊敬の念を表す意味も込めて、この場所を選んだという気持ちもあります。

—今日のお二人の女性は素晴らしい成功者ですが、社長にとっての成功とはどういうことでしょうか?

自分のやりたいことを成し遂げることが成功です。成功は世間からの名声よりも、自分自身が何をしたかが最も重要。成功のためには、ヴィジョンをかかげ、 目標に向かって行動を起こしますが、その中で自分が快適に生きていくことも大切です。

—今後の夢はありますか?

マダム・クリコのスピリットを継承し続けること。いつも、彼女ならどうしたか、彼女だったら同じことを考えて進んでいるか、と考えます。ちょっと違和感を感じたり、変だなと思ったら、その方向へは進まないようにしています。

それから、日本人はシャンパーニュは大好きですが、「シャンパーニュに詳しいか」といったら疑問があります。日本のマーケットに関しては、 私たちがイニシアチブをとって、皆さんにシャンパーニュに好奇心を持ってもらえるようにしていきたい。単にお祝いとしてシャンパーニュを飲むのではなく、楽しみとしていろんな機会で触れてもらいたいと思っています。あとは、私の家族皆がハッピーで、それぞれが人生の成功についての意義を持って生きていってくれたらいいと思いますね。

 

「ビジネスウーマン アワード」受賞、美術評論家・長谷川祐子

—長谷川さんがキュレーションなさる時のアイディアや発想の源はどこから来るのでしょう?

もちろん本を読んだり、最近の動向を調べたりということはありますが、一番は実際に自分の目で見たことから判断していくことだと思います。

アートの分野で起こる新しい傾向は、デザインや建築の分野など、何か世界で起きていることともリンクしてくるんですね。例えば、複数のディシプリン(=原理)を横断することで、建築家が非常にアーティスティックな仕事をしたり、アーティストがデザインとかファッションとコラボレーションして非常に面白い表現を作ったりといった傾向に対して、私は、「クロス・ディシプリナリー」「インター・ディシプリナリー」という言葉をよく使いますが、それも私自身が作り出したというよりは、眺めていたら、そういう人たちがたくさん出てきたんです。

—いつも“眺めて”いらっしゃるんですね。

そして眺めながら「なぜそれが出てくるのか」っていうことを必ず考えるんです。すると、縦割り社会の中から逃れたいと思っているクリエイティブな心のある人たちが、そこから出る手段として、例えば建築家がアーティストと一緒にコラボレーションしようと思ったということがわかってくるんです。

—今、注目している分野や事象はありますか?

私は「データの視覚化」っていう言葉をよく使いますが、見ているだけじゃ読み込めないようなデータを、別の形でデザインしたり、マッピングしてもらったりするとわかりやすくなりますよね。例えば、ライゾマティックスや池田亮司さんなんかは、データを使いながら、それを全く別のわかりやすい形に変換してくれる。データの量も半端ないし、それって今までの技術では出来なかったことです。私たちがデータの中でハッカーにアタックされている状態を、ライブストリーミングで嵐とか戦争みたいな形で視覚化したんですが、それはアーティストが形にしてくれて私たちが初めて認識することですよね。

—長谷川さん自身もそこで驚くこともあるのですか?

そうですね。それで実際に次のプロジェクトに繋げていくこともあります。ライゾマティックスは、最初に東証のストックマーケットについて、データビジュアライゼーションをライブでやったんです。そのきっかけは、私が東北大震災の時に彼らがトヨタと一緒にやった、ハザーディアスのドライビングマップを見たからです。彼らは衛星から情報を送って、ルートは絶えず繋がってる、断絶してるっていうのを凄く綺麗なビジュアルにして、震災から6、7時間後に立ち上げたんですよ。美しさを持ってビジュアライズされると人を助けるんだって思ったんです。エッセンシャルというか、本質的なことですよね。

大切なのは、視覚的に 「美しい」ということと、ライブでちゃんと動いてるということ。例えば、私はキュレーターとしてハッカーであり、プログラマーであり、アーティストである真鍋大度さんに次々といろんなテーマを与えてあげながら、彼がそれに応えてくれるっていう感じですね。それは非常に面白いと思いますね。

—それはヴーヴ・クリコにも通じることですね。

人はやっぱり単純な足し算、引き算では動いてないんで。人間なんで。

—そうですね。長谷川さんは女性のアーティストにも注目されていますが、女性が優れていると感じる部分はなんでしょうか?

やはりフレキシビリティですかね。男の方は建前があるんで、ここからは絶対ダメっていうところがあるし、すぐに限界がきちゃったりする。でも女性は、これがダメならこれで代用するっていうフレキシビリティがあることが一つと、やはり命を育むという母性を持っているので、命を保たなきゃいけない、何があっても命、みたいな考え方ってあるじゃないですか。そこからこの環境を守らなければならないとか、人の命も動物の命も同じように守らなければならないって繋がっていくと思うんですけど、やはり女性には、有機的にものをつなげていこうとする力が凄くあると思います。

—最後に伺いたいのですが、長谷川さんにとって成功とはなんですか?

私を一つのロールモデルとして、この人を受け継ぎたいという人が一人でも出てくることが成功です。ただそれだけ。一人いればいいと思う。やっぱり命は限りがありますからね。

 

「ニュージェネレーション アワード」受賞、気仙沼ニッティング代表取締役の御手洗瑞子

—御手洗さんは、気仙沼を拠点に活動されていますが、気仙沼はどのような現状でしょうか?

気仙沼はまだ復興途上ではありますが、昨年災害公営住宅が全戸完成したことは大きな変化だったと思います。災害公営住宅というのは、被災した方々のための公営住宅です。これができたことで、ようやく仮設住宅を出られた方がたくさんいらっしゃいました。逆に言えば、それまでプレハブの仮設に住んでいる方が随分大勢いらしたということです。プレハブの仮設住宅は、夏は暑く冬は寒いですし、隣家の音なども聞こえます。そういった環境で暮らすのは、本当に大変なことだと思います。ですので、公営住宅ができて、安心して暮らせる環境になったのは、大きな変化だと思います。

—気仙沼ニッティングの一番の魅力はなんですか?

やはり誰かが自分のために編んでくれたものを着るというのは、贅沢なことだと思います。例えば料理を食べるとき、人が手をかけて作ってくれたものと冷凍食品の違いは、誰でもわかると思います。それと同じように、手編みのをものを着ると、「あぁ、これは誰かが手をかけてつくったものだ」ってわかるんですよ。不思議なもので。包まれるようなあたたかさがある。家族が編んでくれたものも、特別うれしいものだと思いますが、気仙沼ニッティングの場合は、プロの編み手が、高い技量でセーターを編んでいます。家族のための編み物が、「おうちのごはん」だとすると、気仙沼ニッティングのセーターは、料亭のような贅沢さがあるのかもしれません。

—御手洗さんは着実にやりたいことを実現されていますが、秘訣はありますか?

遠くに夢を持ちつつ、手元のことを具体的に考えることでしょうか。ふわっとした夢だけ持っていても実現しないので、そのために何をするか、どうすればできるか、についてはものすごく考えていると思います。

—考えたら、すぐ行動に移しますか?

すぐ行動するものもあれば、タイミングを見ないといけないものもあります。それは自分の中で、「これはすぐ動ける」「これは機を見てだな」とか考えています

—御手洗さんにとって成功とはなんでしょう?

あまり意識したことないので、なんでしょう。でも、「成功とはなにか」なんて意識しないでやってこれたことは、幸せかもしれないですね。見方次第のようにも思います。人から見たら失敗だということも、「これはずいぶん学びが大きい勉強だった」って思うこともあります。例えば、気仙沼ニッティングは始めてから6年経ってこういう舞台にいるので、立派に見てくださるかもしれないですけど、私が最初マッキンゼーをやめてブータンに行き、ブータンから気仙沼に行った時に、それを「大丈夫かな」と都落ちのように見た人もいたかもしれない。わからないですけれど。

—確かにそういう人もいるかもしれないです。

はい。なので、「成功とはなにか」というのは、考えても仕方がないんじゃないでしょうか。見方次第、考え方次第のところが大きいように思います。

—そのように世間からどう見られようが、自分で選んで進んでいくのは、心で決めていることなんですか?

もちろんそうです。私は、ちょっと何かが抜けてるのかもしれないですけど、あんまり「世間からどう見られるか」とか、ちゃんと考えていないのです。世間の価値観に照らして成功か失敗かとか、どうでもいいと言いますか。信じていることをやっている、というところがあります。

—それは才能だと思います。

どうすればできるか、ということについては、ずっと考えています。たとえばさっきギャロさんに気仙沼ニッティングも「245年後にヴーヴ・クリコみたいになっていたらいいね」って言われて、そうなるためにはどうしたらいいだろう、と考えていますよ。編み手さんはどうやって増やしたらいいんだろうとか、どうやって上手になってもらおうとか、次はなんの商品出そうとか、どうしたらお客さんは喜んでくれるかとか、ずーっとそういうことについては、いつも、考えています。

—それはご両親の教えからそうなったのですか?

教えられてそうしている、というわけでもないかもしれません。ちょっとマイペースなんでしょうね(笑)。

—最後に、これからの夢を教えてください。

気仙沼ニッティングは、創立当初から、100年後の未来の老舗を作ろうと思っています。未来の老舗になるためには常に新しいことをしていかなくてはいけないとも思っています。それに、「やっぱり気仙沼ニッティングのものはいいなぁ」という信頼も生まれている必要がありますし、「気仙沼ニッティングは、流石だね」って思われる存在になっていくためにも、山ほどやることがあるなと思っています。先ほどギャロさんから245年と言われて、私が考えていた100年よりも時間軸が長くなりました(笑)。100年はなんとか想像できる長さですけど、200年というのは肌感覚のない時間なので、なかなか想像はむずかしいですね。

 

Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka