十八世中村勘三郎を偲び、歌舞伎座と平成中村座にて2ヶ月連続公演決定!父への想いを中村勘九郎、中村七之助が語る【インタビュー】
2018/08/08
名歌舞伎俳優として名を馳せながらも、2012年に57歳という若さで急逝した十八世中村勘三郎。4歳で五代目中村勘九郎を名乗り初舞台を踏んで以来、長きに渡り多くの古典の当り役を演じる一方で、「コクーン歌舞伎」や芝居小屋「平成中村座」を立ち上げ、歌舞伎界に新風を吹かせた革新派でもあった。また、現代演劇の演出家達とも意欲的に芝居作りに取り組んだほか、その活躍は国内にとどまらず、ニューヨークなど海外でも度々公演を行った。そして、没後もその功績は語り継がれ、勘三郎の息子である中村勘九郎と中村七之助がその意思を継ぎ、中村屋の精神を守り続けている。
そしてこの度、十八世中村勘三郎七回忌の追善興行として、歌舞伎座10月公演「芸術祭十月大歌舞伎」と平成中村座11月公演「十一月大歌舞伎」の2ヶ月連続公演を行うことが発表された。製作発表記者会見には中村勘九郎と中村七之助が登壇し、公演についての意気込みや亡き父への想いを語った。
会見は、松竹株式会社取締役副社長、安孫子正の挨拶から始まり、「日頃、勘九郎さん、七之助さんが手を携えて見事にここまで頑張って来られました。この公演ができるということは、お二人の素晴らしい精進の上に成り立つことでございますけれども、今までいろんなところでお力をいただいたことを改めて感謝申し上げます」と述べ、その後、演目について説明した。
歌舞伎座130年でもある10月歌舞伎座の「芸術祭十月大歌舞伎」は、昼の部、『三人吉三巴白浪』では七之助がお嬢吉三、『大江山酒呑童子』では勘九郎が酒呑童子、『佐倉義民伝』は松本白鸚が木内宗吾、七之助がその妻のおさん、勘九郎が徳川家綱を演じる。夜の部は出演者がそろっての『宮島のだんまり』に続き、『吉野山』は勘九郎の狐忠信、坂東玉三郎の静御前。勘三郎が生前に演じたかったという『助六曲輪初花桜』は、片岡仁左衛門の助六、七之助の揚巻、勘九郎の白酒売新兵衛、中村歌六の意休、玉三郎は満江を演じる。
11月、平成中村座の昼の部は『実盛物語』を勘九郎の実盛、『近江のお兼』を七之助のお兼で見せ、『狐狸狐狸ばなし』は中村扇雀の伊之助、七之助のおきわ、芝翫の重善。夜の部は『弥栄芝居賑』で賑やかに幕を開け、『舞鶴五條橋』は勘九郎の弁慶、『仮名手本忠臣蔵 七段目』は芝翫の由良之助、七之助のお軽、勘九郎の平右衛門という配役となっている。
安孫子は、「七回忌と考えるとなんとも言えない気持ちになりますが、このお二人が今の歌舞伎の中心で頑張っているということを勘三郎さんにお示しする機会が得られたということは私共にとっても本当に嬉しいこと」と述べた。
続いて勘九郎が挨拶を行い、「祖父が父に言っていた言葉で『追善ができる役者になってくれ』というのがございました。喜びはございますが、あまりにも早く逝ってしまった父のことを思うと、なんで追善という悔しさと悲しみがございます。私たちも父のモットーであった、お客様方に喜んでいただけるような、いい興行にしたい」と述べた。
そして七之助は、「父も、祖父も上で喜んでくれていると思います。いま安孫子副社長が演目と配役を読み上げただけで、震え上がるようなお役ばかりでございます。一生懸命、父のため、祖父のため、そして父を愛してくださったお客様のために命がけで勤めます」と述べた。
その後は質疑応答となり、七回忌を迎えるまでに勘三郎の存在がどのように変化していったかという質問には、「役一つに集中するのではなく、いろいろなことに目と気を配らなければいけない本当に厳しい状況の中で、私たちの魂の中に残るようなパフォーマンスをし続けていた父の精神力と芝居を愛する心は改めて尊敬しています。親孝行したい時に親がいないという言葉を身に沁みて思う日々でございます(勘九郎) 」、「父は本当に人々に愛されていたんだなということをずっと思い続けていましたし、いつまでも褪せることなく、むしろどんどん大きくなっていくことを感じています。父が遺してくれたもの、父が愛したものを僕も愛して、一生懸命勤めていきたい(七之助)」と述べた。
また、2ヶ月連続で歌舞伎座と平成中村座にて追善興行をすることについては、「父が19歳の時に唐(十郎)さんの芝居を観て以来、テントでやりたいという想いがあったので、平成中村座は父の夢の小屋。父の夢を僕たちが引き継いでずっと続けて行きたい(勘九郎)」、「生前、建替え工事中の歌舞伎座を見て、『ここは宝箱だね、ここからいろんなものがどんどん出来てくるね』と話していたのに、その舞台に立てなかった父がいます。その歌舞伎座でまず兄とともに先輩のお力を借りて公演ができるということは嬉しいですし、父も喜んでくれると思う(七之助)」と話した。
来年の大河ドラマの撮影がすでに始まっており、トレーニングなどで精悍なアスリートの顔立ちになった勘九郎にはドラマの撮影についての質問も飛び交った。体調管理については、「公演中は糖質を入れながらうまく調整していきたい、といっても僕じゃなく妻がやってくれるんですけど」と答える場面も。そして、「私たち極度のファザコンなんで(笑)。父に褒められたい、父だったらどういう言葉をかけてくれるだろう、と考えて演じていたので、いなくなってしまってからも、しっかりしないと、と思ってやってきた。だから映画『ビッグ・フィッシュ』のような父子をテーマにした映画に弱いです」と話して合同会見を締めくくった。
会見の後、HIGHFLYERSは父・十八世中村勘三郎との思い出や、先日行われたスペイン公演について、また今後の平成中村座への想いなどをさらに詳しく伺った。
—お父様はお二人にたくさんのことを遺されたと思いますが、その中でも繰り返し思い出す言葉などはございますか?
勘九郎:あんまり多くの印象的な言葉を残すような人ではなかったんですけれども、言葉よりも想いですね。芝居や役に対する気持ちっていうのは、芝居に出て役をやるたびに必ず思いますね。
—お父様の表情や行動で、今でもよく思い出す光景などはありますか?
勘九郎:僕はソファーに座っている姿です。新しい家では病気の時期が長かったのであまりいい思い出がないのですが、昔の家のソファーに座っていたり、パジャマ姿だったり、あとは歩いている時の後ろ姿は思い出しますね。
七之助:車の助手席に座ってガラスを指でカタカタって鳴らすのが癖だったので、その音を思い出します。最近は無意識に自分も同じことをやっているみたいです。あとは旅行へ行った時のことですね。もちろん歌舞伎の時は、父の勘九郎時代の鏡台を使っていますから、その引き出しを見たら、パレットとかそこら中にあるので必ず思い出しますけど。
—スペイン公演をなさったばかりですが、勘三郎さんはスペインが大好きだったそうですね。
スペインに住んでいる友達とゴルフをしたり、フラメンコを観に行ったりするのが好きでした。最初に観たフラメンコがあまりにも凄くて、その翌日は正装してまた観に行ったんです。あとは、「サグラダファミリアが完成した暁には、お前たちの孫かひ孫に俺の遺影を持たせてサグラダファミリアを訪れてくれ」って、これが遺言だと冗談で言ってましたね。当時は2026年に完成(予定)するなんて思っていなかったですから。
—スペインのお客さんは日本と違いますか?
勘九郎:全然違いますね、特に集中力。言葉も何もわからない異文化の物語って、すごい集中力がないと観ていられないと思うんですね。僕らでさえオペラとか観ていてわからなくなったら集中力が切れますし、日本人でさえ日本語で喋っている歌舞伎でもそうなると思いますが、スペイン人は全然違いますね。エンターテインメントや芸術的なものを観るのに長けている人たちだと思いますね。
七之助:面白かったですね。集中力はもちろんのこと、どういうことをしているのか、すごく興味を持って観てくれるんですよ。僕の演目『藤娘』は25分の踊りなのですが、日本では普通、もちろん鳴物やお囃子は作品の一部ではあるけれども、メインは中村七之助を観に来るわけですよね。でも、スペインのお客さんは、鳴物やお囃子の時はそっちを見るから、顔の向きが変わるのが舞台上からはっきりわかるんですよ。
—面白いですね。それは国民性でしょうか。
七之助:スペインではフラメンコって歌が大事なんですって。日本人がフラメンコを観たら、かっこいいし演者ばかり見るでしょう。でも、フラメンコで大事なのは歌だから、観客はこの人が何をしているかを理解したいんですよね。「悲しそうに歌ってるのかな」とか、「楽しそうに歌ってるのかな」とか見比べているんです。
—海外でそういう違いを感じた場合、その国のお客さんの反応に応じてご自身の表現を意識的に変化させることはありますか?
七之助:それがわかった翌日、日本人の文化としては無表情の中でいかに表現するかも美徳だと思うから日本では絶対にやりませんが、スペインで歌詞によって少し感情を外に出したりして変化をつけて歌ってみたら、反応が本当に全然違ったんです。みんなでこの違いは本当に面白いねって話していました。それがいいか悪いかは別にしても、スペイン人はとにかく集中力がすごい。だからサッカーは勝てないですよ(笑)。ひとつのものに対してうわっ!て向かう集中力は国民性だし性格だと思う。
—舞台を拝見すると、まるで勘三郎さんが舞台にいるのかと思う瞬間がたくさんあるのですが、ご自身でお父様のDNAを受け継いだなって思う瞬間はありますか?
勘九郎:電話で話す時の音量。声が大きいと言われます。自分では全然気付かなかったです。
七之助:でもそう言われてもわからないわけでしょう。
勘九郎:うん。
—話してる相手側に声が大きいって言われるんですか?
勘九郎:ううん、隆行(七之助)だったり、マネージャーだったり。うるさいって。
—うるさいんですか?
七之助:うるさいっていうか、文明を信じてない感じ(笑)。人に伝えたい想いが強いんじゃないんですか。これは(勘九郎の)次男の長三郎はもう完全に引き継いじゃってるね。この前も一緒に食事したんですけど、「自分の主張を伝えたい!」っていう想いが凄いんです。
—七之助さんはお父様のDNAを受け継いだと感じることはありますか?
七之助:僕は自分では特に、「あ、今父親に似てたな」とか感じることはないです。周りからはちょこちょこ言われますけど。
勘九郎:似てるよ、足音とか。それは昔からもうそっくりです。
—足音が大きいんですか?
勘九郎:そう、主張する(笑)。
七之助:あんまり僕は自分の中では感じてないし、特にあっ!と思うこともないかな。
—勘九郎さんは電話の声で、七之助さんは足音で主張されるんですね(笑)。お二人とも多忙な日々を送っていられると思うのですが、どうやって気分転換していらっしゃるんですか?
勘九郎:僕は子供達じゃないですかね。家に帰って怪獣が二人いるので。それはそれで楽になったり疲れたりしますね。
七之助:僕は一人で休みの日にお蕎麦屋さんに行くのが昔から好きです。「世の中の人は働いているのに悪いなぁ」って思いながら昼から飲むお酒が美味しいんです(笑)。
—最後に、これから平成中村座をお二人で作っていくために心がけていることや今後の展望がありましたらお聞かせください。
勘九郎:平成中村座は本当に色んな作品ができる小屋だと思っているので、可能性を信じて色んなものをやってみたいと思いますね。何でも本当に合うと思うので。
七之助:父の遺してくれた魂のようなものを忘れることは100%ないですけど、今のまま一生懸命前に進んで、古典もやりながらその中で色んな試みをできたらと思っています。さすが父親だなと思ったのが、父が亡くなってしまった時に「中村屋とはこうなんだよ」とか言わなくてもみんなが自ずと父を追いかけているんです。なので、すごく楽だし安心しています。また、若手の子達が平成中村座やコクーンに出たいと言ってくれてるのは嬉しいので、彼らがこれから出演することで何かを感じてくれたらいいなと思います。
Interview & Text: Kaya Takatsuna / Photo: Atsuko Tanaka
歌舞伎座10月公演「芸術祭十月大歌舞伎」と平成中村座11月公演「十一月大歌舞伎」の詳細はオフィシャルページにて。